小学生の夏休みに、公園でセミ取りをしたのを覚えています。
セミの寿命はせいぜい2週間です。
網の中でジージージーと暴れながらけたたましく鳴いている姿を見て、限られた時間を奪っているような気がして、子供ながらに罪の意識を感じました。
生き物には定められた寿命があります。
同じ哺乳類でも、フサオネズミモドキはわずか1ヶ月で、ホッキョククジラは200年以上も生きる個体があると言われています。
人間はどうでしょう?
生きている時間は人によって大きく違います。
100年を超える人もいれば、わずか数時間しか生きていない赤ちゃんもいます。
その違いはどこから来るのでしょうか?
生きる目的は、自らを成長させるためです。
目的を果たすと寿命が来るのは人間も同じです。
強く感じていることがあります。
それは寿命の短い人は、優しく、思いやりがあり、誰からも好かれる人が多いことです。
そんな人は霊的に成長しているため、地上で学ぶことも少なかったのではないかと考えています。
人間(魂)は多面的です。
どの面を磨かなければ(成長させなければ)ならないのかは、人それぞれ違います。
例えば、優しい面があるけれども強さに欠ける面もある人もいれば、強い面があるけれども優しさに欠ける面もある人もいます。
前者は強さを、後者は優しさを手に入れるための人生を歩むことになるでしょう。
目的を果たすために、それに相応しい出来事を経験することになります。
もし偶然に支配されているのなら、相応しい出来事を経験するまでに、気の遠くなるような長い時間が必要となるでしょう。
出来事は自然法則(因果律)の働きによって起こります。
無限の叡智の働きによって自然法則は創られています。
自然法則の働きによって、必要な出来事が完璧なタイミングで起きていると考えられます。
20年近く前に突如ヒーリングの力が出現し、霊的真理と巡り会い、絶望的な出来事が起きましたが、この人生を変える3つの出来事がわずか1ヶ月の間に最適な順番とタイミングで起きたので、シナリオ(計画)があることを確信しました。
人生のシナリオには、雲1つない晴れの時もあれば、嵐が吹き荒ぶ時もあります。
誰しも晴れを望みますが、それだけでは自分を成長させることができません。
もし成長できるのであれば、居心地の良い霊界を離れて地上に生まれる必要はありません。
晴れの日と嵐の日を織り交ぜて、シナリオは創られています。
起きた出来事は変えられません。
けれども、自分の心(意識)は変えることはできます。
成長するために起きている、必ず乗り越えられると強く信じれば、心の嵐は収まって来ます。
難しいでしょうが、感謝できるようになれば、心は晴れています。
そう変わることを期待して、出来事は起きていると思います。
すでに魂の多くの面が磨かれていて、いかなる出来事にも感謝できるような人は、長く地上にいる必要がありません。
そんな成長した人は、自分ではなく周りの人を成長させるために生まれて来るのかもしれません。
自分の存在を周りの人の魂に深く刻み込んで、成長を願いながら、早々と地上を去る人もいるでしょう。
人生最後の出来事が死です。
いつなのかは決まっているので、避けようがありません。
こうしていれば結果は違ったと悔いたりしますが、何をもってしても変えることはできません。
死には理由があります。
先に逝った人はその理由を知っているので納得しています。
地上の人に思い違いがあれば苦笑し、こちらに来れば本当のことが分かるのにと思っているでしょう。
地上にいるとどうしても地上を中心に考えてしまいます。
私たちの本来の住処は霊界です。
霊界で経験できないことを経験するために地上に生まれ、特別な時間を過ごしています。
目的を果たしたら霊界に戻り、経験が活かされる生活が始まります。
まだ磨かれてない面があることを自覚したら、再び地上に生まれることを志願するでしょう。
2つの世界を行き来しながら、私たちは完全(神)へと近づいています。
寿命は決まっていて、そこには神の完全なる公正が働いています。