あの世は思念の世界です。
物質の世界にいる私たちの想像を超えた現象も起きるようです。
シルバーバーチの霊訓の中に、こんな問答があります。
「霊界にも電車はありますか?」という問いに対して
「ありません。但し、電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現れます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現れるのです。」と答えています。
あの世では、思ったことが直ちに具現化します。
一方、この世ではいくら思ったとしても、具現化しません。
電車で行きたいと思えば、駅まで行って、切符を買って、乗らなければいけません。
肉体を使って行動に移さなければ具現化しないのがこの世です。
当たり前のようにそうしていますが、実は煩わしい世界に生きているのです。
そんな煩わしい世界に、どうして生まれてきたのでしょうか?
あの世では肉体がありません。
生きるために働く必要もありません。
何もしなくても生きて行けます。
生きる目的は成長することにあります。
何もしなくても生きて行けるのですが、何もしなければ成長することもありません。
周りのために何かをすることで、人は成長します。
何かをする「意志」を培うのが、この世に生まれて来た大きな目的の1つと考えられます。
この世に生まれると、魂と肉体との間に地上の自我が生まれます。
地上の自我の働きにより、意識は自分に向かいます。
自分が1番大切に思えるのも、不安や怖れが生じるのも、この自我の働きによるものです。
意識が自分に向いている時、周りのことは目に入らなくなります。
普段、私たちは地上の自我を前面に出して生きています。
ところが、徹底的に追い詰められる出来事が起きると、それまで眠っていた霊的な自我(魂)が目を覚まします。
霊的な自我が目覚めると、相対的に地上の自我の働きは弱まります。
それに伴って、意識は自分から周りに向くようになります。
お金や地位など地上的なものに向いていた意識は、愛や生命など霊的なものに向くようになります。
本当に大切なものは、五感に触れません。
誰かに教えてもらうのではなく、自らの経験を通して、そのことに気付きます。
ありふれたものほど大切です。
例えば空気です。
あまりにもありふれた存在なので、大切さを意識することはほとんどありません。
けれども、溺れたりして息ができない状態になると、強烈に意識することになります。
死んであの世に行くと、五感は取り払われ、霊的な感覚だけになります。
それに伴い、生命や愛などが身近な存在として感じられるようになります。
ただ、そんな世界にずっといると、空気と同じ様にありふれた存在となってしまい、意識するのが難しくなるのかもしれません。
霊的に大切なものを意識しながら生きるために、この世に生まれて来る人もいると思います。
いざ生まれると、五感に依存するようになるので、霊的なものが感じられなくなります。
中には、生命(魂)や愛など存在しないと言う人もいます。
そんな人でも、命が脅かされるような病気を経験すれば、生命について思いを巡らすようになるでしょう。
霊的に結ばれた人を失う経験をすれば、愛し合う以上に大切なものはこの世界に存在しないことに気付くでしょう。
霊的なものが感じられなくなる世界だからこそ、強烈に意識することができるのです。
あの世ではできない経験を通して、五感に触れない大切なものに気付いて、それを深く学ぶために、この世に生まれて来たと考えられます。
肉体を使って具現化しなければいけない、労苦を伴うこの世を生きることで、あの世で成長して行くための意志を培っていると考えられます。
この世で無駄な経験はありません。
1つ1つの経験が自分を形作っています。
経験から学んだことは霊的な財産となり、あの世に持ち帰ることができます。
霊的な財産が多い人ほど、喜びを感じながら生きることができるはずです。