2026年1月25日日曜日

この人生は挑戦


パキスタンと中国の国境に連なるカラコルム山脈に、K2という世界で2番目に高い山(8611m)があります。

登頂の難易度は世界最高峰のエベレストより高く、「非情の山」と言われています。

2024年7月、極めて難易度の高い未踏峰のルートに、アルピニストの平出和也さんと中島健郎さんが挑戦しました。



お二人のことは、2018年に同じカラコルム山脈にあるシスパーレ山の未踏峰ルートを登頂した時に撮影されたドキュメンタリー映像で知りました。

数千メートルに及ぶ垂直に近い氷の壁を、ピッケルとザイルで慎重に登って行き、さまざまな思いを抱きながら頂に立った姿を見て感動を覚えました。

シスパーレの氷壁に挑む平出さんと中島さん(山と渓谷オンラインより)

人生は挑戦の連続と言われます。

お二人の生き様を見ていて、山登りで自分の限界に挑戦し、魂を成長させることを志願して生まれて来たと思ってしまいます。

そうでなければ、これほどの危険を冒してまで登り続けることはできないでしょう。



残念ながら、お二人は7000m付近で滑落し、帰らぬ人となりました。

若くても、当初の目的を十分に果たして霊界に戻られたと、私は信じています。

K2登頂前の平出さん(左)中島さん(山と渓谷オンラインより)


私たちの本来の住処は霊界です。

そこは思念の世界です。

想像するのが難しいですが、高くそびえる山の頂に立ちたいと思えば、一瞬のうちに移動することができます。



地上で山の頂に立ちたいと思えば、自分の足で歩いて行かなければいけません。

立ちはだかる問題をクリアして、息を切らして登り続けて、ようやく辿り着けます。

大変な思いをして登った山ほど、頂に立った時の感動は深く、忘れがたいものになります。

ヘリコプターを利用して頂に立ったとしても、同じような感動は味わえません。

一瞬で想いが叶う霊界では味わうことのできない、地上ならではの感動が存在していると思います。



登山には、リスクが伴います。

途中で、天候の急変があったり、滑落や転倒、落石に遭遇する可能性もあります。

そんなリスクを承知した上で、登り始めます。



地上に生まれるのも、いくつかのリスクを伴います。

いざ生まれてしまうと、人生の設計図(ブループリント)があったのを、すっかり忘れてしまいます。



人間には自由意志があります。

ブループリントに沿って出来事が起きたとしても、どう対応するのかは、その人に任されています。

逃げてしまうのか、挑戦(克服)しようとするのかは自由です。



挑戦(克服)する方を選んだ方が良いのは、生まれる前に(挑戦することを)自分で決めていたかもしれないからです。

逃げてしまえば、予定されていた学びや成長の機会を逃してしまうことになり、後悔するかもしれません。

そちらに進んで行かなければならないと言う、根拠のない衝動に駆られたのなら、それはブループリントに刻まれている出来事なのかもしれません。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「賢い人間とは、体験の全てを魂にとってプラスになる方向に転換する人、試練や誘惑から逃げようとせず、全力を尽くして困難の克服にあたる人です。その意気込みの中でこそ、霊性が進化し強化されるのです。」

エゴは逃げるための言い訳を見つけようとします。

それに惑わされず、挑戦(克服)して行く方向を選ぶのが賢明と考えられます。



さらにこう書かれています。

「自由意志は神からの授かりものです。しかしその使い道を誤るとそれなりの償いをしなければなりません。摂理に則った生活をすれば恩恵を刈り取ります。逆らった生き方をすればそれ相当のものを刈り取ります。」

自由意志があるために、過ちを犯してしまう可能性があります。

過ちを犯すと、成長しないどころか、償いが生じてしまいます。

償いのために、地上に生まれる人も少なくないと言われています。



いっそのこと自由意志などなければ、過ちを犯さないのにと思ったことがあります。

それに対しての回答は、こう書かれています。

「もしも人間が自由意志を奪われたら、只の操り人形でしかなくなり、内部の神性を発揮することができなくなります。霊的本性が進化せず、地上生活の目的も果たせません。貴方が地上に生を受けたのは、地上は霊の保育所であり、学校であり、訓練所だからです。様々な挑戦にあい、それを克服していく中で自由意志を行使してこそ、霊は進化できるのです。」



神が全てを決めているとしたら、自分の意志はないことになります。

人を傷つけるのも、裏切るのも、貶めるのも、神の意志ということなります。

それは明らかに神の心に反しているので、矛盾が生じてしまいます。



自分の意志が、神の心に反していれば、良心の呵責が生じます。

自分の意志だからこそ、反省をしたり償いをする必要があり、それが学びにつながっています。



神は完全です。

私たちは完全(神)を宿しているのですが、意志決定をしている媒体(自我)が不完全なために、過ちを犯してしまいます。

神性を発揮する方向を選ぶことで、完全(神)に一歩近づくことができます。



霊的なものが見えなくなる地上の人のために、神は守護霊を付けて下さっています。

守護霊は、地上の人にインスピレーションを送り、時に五感で分かる現象を起こして、生まれて来た目的を果たせるように導いています。

ただ、地上の人の意志決定に干渉はできません。

自分で決めて、自分で責任を取ることになります。



私たちは、成長するために地上に生まれて来ました。

けれども、自由意志が与えられているために、過った方向に進んでしまったり、成長を妨げる行いをしてしまう可能性があります。

そのリスクを承知した上で、この人生に挑戦しています。



これから登る山を目の前にした時、アルピニストは身が引き締まる思いがするでしょう。

これから辿る地上の人生を前にした時、私たちは身震いをしていたのかもしれません。

それでも、目的を果たせるという確信があったからこそ、挑戦することを自分で決めて、母体に宿ったと思われます。