2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。