人生は選択の連続です。
大きなことでは、学校を決めたり、仕事を決めたり、結婚相手を決める、小さなことでは何を食べるか、どこに出かけるか等々、選択をしない日はありません。
選ぶのは、大体が自分が好きな方、自分の利益になる方です。
もし、一生働かずに遊んで暮らすのと、少ない賃金で一生働くのを選べるとしたらどうでしょう?
多くの人は前者を選択するかもしれません。
肉体を持っている地上では、安全で楽な方を選ぶ傾向があるからです。
死んで霊界に行くと、その考えは大きく変わります。
肉体がないので、関心は自分の魂に向かい、地上にいる時には判らなかった生きている意味がはっきりと自覚されます。
生きている意味とは、いかなる次元においても、自分(魂)を成長させるためです。
朝から晩まで働いていると肉体や精神は疲弊し、遊んで暮らしている人たちを見れば羨ましく感じるかもしれません。
しかし、霊界から見ると、遊んで暮らしている人の魂は成長してないことが判ります。
むしろ、堕落しているように映るようです。
私たちが経験する出来事もそうです。
絶対に避けたかった出来事であれば、地上の人は不幸や凶事、災難に遭ったと思います。
けれども、霊界から見ると、大きく変わるための好機として映るようです。
何の原因も見当たらなければ、偶然、起きたとしか思えません。
しかし、その出来事は生まれる前に計画されていたのかもしれません。
目的は自分を変えるためであり、最適な出来事が、最適のタイミングで起きているのかもしれません。
自分に足りない部分、弱い部分を霊界で自覚して、そこを変えたいという強い願望が「原因」となって、神の法則である因果律が働いた「結果」として、その出来事が起きた可能性があります。
大きく変えたい人ほど、衝撃的で深刻な出来事が起きることになります。
徹底的に追いつめられることで、それまで眠っていた魂が目覚め、根本から変わり始めるからです。
変わろうとするのか、そのままでいようとするかは、地上の人の自由意思が尊重されます。
変わるのは大変であり、リスクが伴うような感じがします。
そのままでいるのは、安全策のように思えます。
荷車を押す時に、止まっている状態からわずかに動き出すまでが、1番力が必要です。
しかし、いざ動き出してしまうと、力はそれほど必要なくなります。
同様に、変わろうとする瞬間が、最も大きな労力を必要とします。
そのままでいるのは、安全で労力もいらないので、良さそうに思えます。
しかし、人(生命)は変わりながら、成長進化して行くように定められています。
その流れに逆らうと、自然法則の働きによって、苦しみを感じるようになっています。
そのままでいるのは、予定を先送りしているだけかもしれません。
起きた出来事は、予定されていたことかもしれないからです。
自分が変わるために、自分が決めていた可能性があるからです。
しかし、変わりたくても、変われない時もあります。
そのことにも大切な意味があり、変われない苦しみが、変わるための土壌を整えています。
魂に準備が整えば、変わる時が訪れます。
拒むのではなく、出来事を受け入れなければいけません。
人や世の中など他者のせいにしたり、運命を呪うのは止めましょう。
その想いが自分が変わるのを妨げてしまい、無用な苦しみが続いてしまうことになります。
それでも、頑なに変わるのを拒んだとすればどうなるでしょう?
霊界に戻った時に、予定していた通りにならなかったことを、後悔すると思います。
後悔が大きければ、変わるためにさらに強烈な出来事が計画されて、地上に生まれることになると思います。
出来事を乗り越えるとは、自分の中の何かが変わることだと思います。
大切なことを学んだ瞬間、自分の中の何かが変わり、それまでの苦しみから解放されます。
それは思考によるものではなく、言葉を超えた霊的な悟りです。
突然、水の中に放り込まれたとしたらどうでしょう?
どうしたら良いのか判らず、溺れかけ、水を飲み、息ができずに苦しい思いをします。
苦しくならないようにするには、どう体を動かせば良いのかを自分で体得するしかありません。
苦しみは、何かを学んで、変わることを促しています。
自分が変わり、成長するために、神は苦しみを創造したと考えられます。
神の心が愛ならば、それ以外に意味を見い出せません。
自分を変えるために、苦しみを味わっているのかもしれません。
変わろうとしている自分がいたら、その自分を尊重しましょう。
それが出来事が起きた1つの意味であり、苦しみから抜け出す唯一の手段と考えられます。
人生に苦しみがなく、喜びだけだったら、どんなに良いだろうと思う時があります。
しかし、そんな人生では、きっと何も変わらないでしょう。
四苦八苦して、もがいている中で、変わって行くようになっています。
根本(魂)から自分を変える。
それが、この世に生まれて来た目的です。
大変な思いをしたけれども、この経験があったからこそ、自分は変われたと振り返る時が必ず来ます。
望んでいた自分に変わった悦びに優るものはありません。
苦しみは、その先で待っている成長した悦びのためにあります。