今、ピョンチャンで冬季パラリンピックが開催されています。
ハンディーを背負いながら、懸命に頑張る姿は観る人に感動を与えています。
競技種目の中に、視覚障がい者のクロスカントリースキーがあります。
全盲の選手であれば単独で滑ることは不可能であり、競技には伴走するガイドが付いています。
前方から、声で指示を出して、選手はそれに従いながら、コースを滑ります。
ガイドは進路や障害物について、事細かに指示を出して、選手が安全に既定のコースを滑走できるように努めます。
これが障がい者スポーツだ!のHPより |
目的はただ1つであり、自分(魂)を成長させるためです。
学習をしたり、スキルを身に付けるのは、社会的価値を高めるのに有効でしょうが、成長に直接つながっているわけではありません。
では、どうすれば成長するのでしょうか?
人や社会や動物に奉仕をすること、言い方を変えれば、外に向かって愛を表現することで魂は成長をします。
仕事や家事を精一杯するのも、誰かのためにボランティア活動をするのも、道で困っている人を助けるのも、成長につながっています。
また、人生で立ちはだかる、困難や障害を乗り越えて行くことでも、魂は成長します。
目が見えなくなった人が、絶望の中から立ち上がり、恐怖に打ち克ちってスキーを始めようとするのも、成長につながっています。
人や社会のために何かをしようと思ったり、困難を乗り越えようとするのは、真の自分(魂)が望んでいるのであり、その結果として魂が成長するからです。
多くの人は、自分一人で、考え、決断し、行動し、生きていると思っています。
現実は一人ではなく、目に見えない守り導いている存在(守護霊)と共に生きています。
残念ながら、実感に乏しいのために、ほとんどの人はその存在に気付かずにいます。
なぜ、守護霊と共に生きているのでしょうか?
この世の人生には、おおよそのシナリオがあります。
シナリオが存在するのは、自分に足りないものを的確に学び、効率よく成長するためと考えられます。
訪れた奉仕の機会を全うし、与えられた困難や障害を乗り越えて行くことで、予定された成長が得られるようになっています。
しかし、いざ生まれてしまうと、人生のシナリオは記憶から完全に消去されています。
魂を成長させるシナリオは、得てして避けて通りたい出来事です。
人は弱いので、もし事前に知っていたならば耐えられなくなってしまうために、神の配慮により消去されていると考えられます。
先に何が起こるか全く判らないまま、私たちは生きていると言えます。
成長させるための出来事が、シナリオに沿って訪れた時に、進退を決断をしなければいけません。
この世の人は霊的な目が閉ざされているために、その決断が自分(魂)の成長にとって、いかに重要であるのかが判りません。
絶好の機会が訪れても、逃してしまうこともあるでしょう。
そんな時に、人生において大切な意味があると思わせるような思念を送って、逃さないように働きかけているのが守護霊です。
また、困難や障害と言われるような出来事が目の前に立ちはだかった時に、避けて通ろうとするかもしれません。
そんな自分を戒めて、立ち向かわせるような思念を送っているのが守護霊です。
この世に生まれると、霊的な眼は閉ざされ、肉眼で見えるものを頼りにして生きるようになります。
それと同時に、霊的な存在であることを忘れてしまい、この世に生きている意味も忘れてしまいます。
霊的に見れば、暗闇の中を手探りの状態で生きているのと同じです。
予定されていた成長をさせて、この世に生きる意味を成就するために、生まれた時から死ぬまで、陰から守り導いているのが守護霊です。
先が視えなくなってしまっているこの世の私たちにとって、先を見通せている守護霊は、言ってみれば視覚障がい者のクロスカントリースキーのガイドの様な存在です。
姿は見えなくても、この世に生きている人に、必ず守護霊が付いているのは、きわめて大切な事実です。
しかし、ほとんどの人は守護霊の存在をはっきりと感じられません。
その理由は、もしはっきりと感じられたのなら、未熟なために頼り過ぎてしまうためなのかもしれませんが、一人ぼっちで生きている人は、この世に存在しません。
はっきりと感じられなくても、どこかに出向こうとした時、「行ってはいけない」と、心の中で囁きを感じたことはなかったでしょうか?
そんな時は、好ましくないことが起きることを察知して、守護霊が引き留めるように思念を送っていたのかもしれません。
人と出会った時に、何か特別なものを感じる時はなかったでしょうか?
そんな時は、自分の成長にとって大切な人であり、意識が向かうように思念を送っていたかもしれません。
人を傷つけたり、社会正義に反する行動は、神の摂理に反しているので、罪を作ってしまい、成長の妨げになってしまいます。
その様な行動を取らないように、「やってはいけない」と思わせるような思念を送って、思い留まらせていると考えられます。
成長を妨げる方向に行くのを阻止し、成長を促す方向に向かうように、思念を送って導いています。
しかし、人生を決めて行くのは、あくまでこの世の人であり、守護霊はその決定(自由意志)に干渉できません。
自分で決めたことは、自分で責任を取らなければいけません。
大部分の人は守護霊の存在を信じずに生きていて、日常のほとんどの問題は、自分の頭で考えて解決しています。
しかし、どんなに頭で考えても解決しない時があります。
そんな時に守護霊は、言葉やイメージを送っていて、それがひらめきとなって伝わり、問題解決のきっかけになることもあります。
突然、人や物に意識が向いた時は、守護霊から思念が伝わって来たのかもしれず、そこに問題解決の糸口が存在するのかもしれません。
目の前で困っている人がいると、助けようとする自分と、放って置こうとする自分がいます。
本当の自分(魂)は助けようとします。
この世だけに存在する自分(エゴ)は、放って置こうとします。
人生のいろいろな局面で、両者のせめぎ合いが起きていて、それが精神的葛藤として自覚されます。
そんな時、守護霊は本当の自分(魂)に囁きかけて、助けるように促していると考えられます。
人生において、とても耐えられないと思うような苦難が起きることがあります。
その苦難からは大きな苦痛が生じ、生きているのがつらくなり、早く楽になりたいという衝動に駆られる時があるかもしれません。
生きるのを放棄したとしても楽にならないばかりか、大きな罪を作ってしまうのを守護霊は知っているので、懸命に思念を送り続け、過った決断をしないように働きかけています。
生きるのがつらい時ほど、魂は大きく成長しているので、どうにかして、この局面を乗り越えさせようと、力付け、励ますような思念を送り続けていると思います。
守護霊も、この世の人を守り導くことで成長が得られるようです。
霊界の同じ界層で共に生活していた類魂(グループソウル)の一人が、守護霊として付くようです。
同じ類魂であれば同調しやすく、思念を伝えやすいので、導くのが容易になると考えられます。
この世の人と守護霊が得た学びと成長は、類魂全体の霊的な財産となり、進化に寄与するようです。
この世を終えた時に、待っていた愛する人と再会し、大きな悦びに包まれます。
そして、これまで守り導いていた守護霊とも対面し、お互いの労をねぎらうことになるでしょう。
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