人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2016年1月31日日曜日
霊的な病気の意味
私は、メールでのやり取りが苦手です。
まず、字を書く(変換する)のが煩わしく思え、電話で直接、話をした方が、手っ取り早いと感じるからです。
事務的なものであれば、メールで用件を伝えることもありますが、相手にお願いすることがあったり、謝らなければならない時には、メールを使うことは、まずありません。
やはり、電話でやりとりした方が、こちらの気持ちが正確に伝わり、相手もどんな気持ちなのか、判ると思うからです。
いくら適切な言葉を選んで並べたとしても、生の声ほどお互いの気持ちは伝わらないと思います。
絵文字などが使われるのは、こちらの気持ちが伝わっていない不安があるためではないでしょか。
食事をしたり、買い物をしたりすると、帰り際に「ありがとうございました」と、あいさつをされます。
同じ言葉でも、人によって大きく印象は違い、言われて何も感じな時もあれば、少しうれしくなり、また来てみようという気持ちになる時もあります。
それは、同じ言葉でも、感謝などの「想い」が込められているか、いないかの違いだと思います。
音楽も、同じです。
名演奏は、その曲にふさわしい情感が込められた時に生まれると思います。
奏者の想いが音を通して、聴く人に伝わって来た瞬間、感動が生まれると思います。
その証拠に、ホテルのロビーなどに無人のピアノ演奏機が置いてありますが、ミスもなく、完璧な演奏をしているにもかかわらず、伝わってくるものは何もなく、感動はありません。
機械が発生させる音なので、想いが込められていないためと思われます。
伝えるものの本質は想いであり、言葉や行動は媒体に過ぎません。
想いの入っていない言葉や行動は、事務的な連絡や機械的な作業を超えるものではありません。
この世は、想いを肉体により言葉や行動に変換して、表現しなければいけない世界です。
お互いの想いを伝えるには、五感を通すしかありません。
ほとんどの人は、五感で認識できる(物質次元の)ものを実体と思い込んでいますが、それは錯覚です。
実体は、物質を超越していて、五感を超えた霊的次元にあり、魂で感じ取っています。
この世に生きる私たちは、肉体を使って、笑ったり、泣いたり、怒ったりして、自分の想いを表現しています。
しかし、肉体と言う媒体を介しているので、すべての想いを表現できるわけではありません。
愛する人を喪った悲しみを、言葉により伝えられるとは思えません。
言葉よりも泣く方が、より適切な表現と思われます。
強い怒りを、言葉だけで伝えられるでしょうか?
言葉だけで伝えられないからこそ、時に、人は暴力的な行動をとってしまうのかもしれません。
言葉や行動は、想いを乗せている道具(媒体)です。
私たちは、快適な世界に暮らしているように思えますが、実は、想いをうまく表現できない、とても不自由な世界に生きていると言えます。
私たちが後に行くあの世は、肉体という媒体のない世界であり、想いは直接、しかも正確に、相手の魂に伝わります。
想いが全て伝わる世界と、伝えようとしても伝えられない世界では、どちらが望ましく、心地が良いのかは明らかです。
それにもかかわらず、この世の多くの人は、あの世に行ってしまった人を、不憫に思っています。
一足先に向こうに行った人は、この世の私たち見て、とても煩わしい思いをして生きているように見え、きっと可哀相に思っています。
物事を認識して、言語を介して論理的思考をしているのは大脳です。
しかし、思念(想い)は大脳から生まれているのではありません。
人の本質である、魂から生まれています。
「心」や「感情」が未だに解明されないのは、科学が唯物的な考えから抜け出せずに、魂の存在を認めていないためと思われます。
死とは肉体から魂(霊)の永続的な分離です。
魂を失った肉体は、存在理由がなくなってしまうために、土に還ります。
死んで肉体が土に還っても、魂は変わりなく存続していて、そこから想いは生まれ続けています。
単純明快な自然現象にもかかわらず、躍起になって否定する人がいますが、そんな人たちも、いつの日か訪れる死によって、現実と直面し、誤った考えを改めざるを得なくなります。
想い(思念)が生まれると、精神で指令となり、肉体で言葉や行動となって、外に向かって表現されます。
絶え間なく、想いの表現が繰り返されて、人生は紡がれていきます。
想いは、実体のない、生まれては消える泡のような存在ではありません。
霊的次元では実在そのものであり、物質的なこの世界において、具現化させるエネルギーとなっています。
神と呼ばれる存在から、魂が生命力を受け取って、想いというエネルギーが生じ、精神を経由する中で感情や意志となり、肉体に指令が出され、最終的に言葉、表情、行動と言った(肉体的)表現となって完結されています。
ところが、何かの理由があって、肉体で表現として外に放散されずに、想いというエネルギーが内部に滞ってしまう時があります。
例えば、会社において、上司が理不尽な言動をして憤りを覚えたとしても、それをそのまま表わしてしまえば波風が立ってしまうので、グッとこらえます。
よく考えてみると、私たちは、周囲の環境により自分の想いを素直に表わせない、窮屈な世界に生きていると言えます。
日常でそんな経験をすると、ストレス発散と言って、酒を飲んで騒いだり、体を動かしたり、趣味に没頭したりして、無意識に言い表せなかった想いを解放させようとします。
ところが、深刻な出来事が身に起きた時には、魂から強烈な想いが生じていますが、そんな想いほど、外に向かって表現するのは困難になります。
目の前で惨事が起これば、何らかの強い想いは生じていますが、言葉を失い、立ち尽くすだけです。
ひどい仕打ちを受けて、強い怒りや憎しみが生まれた時ほど、その想いを表現する言葉を見つけるのは困難であり、唇を震わせるだけです。
激しい嫉妬心を、うまく表現する言葉は、どこにも見つかりません。
ストレスが発散できずに溜まったり、強い想いであればあるほど、表現するのが難しくなり、解放されない想いは、内に滞って行きます。
外に解放されなかった、想いというエネルギーが徐々に内部に蓄積してくると、自然法則の働きにより、肉体や精神を変化させる力となります。
現代医学で突き止められていない病気の多くは、この蓄積されたエネルギーが根本原因となっていると考えられます。
肉体は、魂のありさまを表現する媒体です。
魂のありさまの変化は、肉体上の変化として現れます。
怒りや憎しみや忌み嫌う想いが、表現できずに滞ってくると、その蓄積されたエネルギーは、肉体を変化させ、暴力的で攻撃的な病変となって表現されます。
それが、ガンという病態です。
自分に対する怒りや憤りは、自分を責める想いとなり、その想いが溜まってくると、自分を守っているシステムが、自己を攻撃してしまう機能異常を生じさせます。
それが、膠原病という病態です。
直接、外に表現できなかった想いが、時を経て、肉体上に病態となって表現されています。
ガンや膠原病は、科学で対象外の「魂」と「想い」と深くかかわっている霊的次元の病気と思われます。
肉眼や検査で確認できる病変や機能異常は、表現されなかった「想い」という本体が、肉体上に反映されたものと思われます。
心(魂)と病気は密接不可分の関係であり、心(魂)のありようによって、病態は大きく変化すると考えられます。
なぜ、病気となって表現される必要があるのでしょうか?
私たちが生きている目的は、自分を成長させるためです。
成長していくことで、他者との調和が生まれ、世界が平和になって行きます。
それぞれの人生には、この世で自分を大きく成長させるために、予め決められているシナリオがあります。
楽しいこと、うれしいことばかりであれば良いのですが、それだけでは自分を大きく成長させることはできません。
つらいのですが、歓迎されない、出来れば避けたい、不運や不幸と言われるような出来事により、翻弄され、もまれながらも乗り越えて行く中で、大きく成長して行くようになっています。
従って、この世に生まれた限り、誰もが苦難に出会うことになっています。
自分を成長させているのは、それだけではありません。
人や動物、そして社会のために、役に立ちながら成長していきます。
従って、どんな人にも、奉仕の機会が必ず訪れるようになっています。
多くの人は、身に起きる出来事を、偶然起きたと思いがちです。
しかし、生まれる前に自分が自分にした約束があって、それが人生のシナリオに従って起きていると考えた方が良さそうです。
最悪と思える時に起きるのは、自分(魂)の成長にとって最適な時だからです。
身に起きた出来事を、無我夢中で乗り越えて行く最中で、自分(魂)は確実に成長して行き、この世に生まれた目的を果たしていると考えて、間違いありません。
しかし、シナリオとは関係なく、他者の身勝手な言動によって、自分が傷つけられてしまうことがあります。
肉体が傷つけられると、血が噴き出るように、魂が傷つけられると、想いが溢れ出てきます。
溢れた出た想いが、うまく表現できないと、内に滞ることになります。
滞った想いにより、何かと出会ったり、何かをしようとした時に、無意識のうちに抵抗してしまったり、拒絶してしまう時があります。
一般的に、それを「トラウマ」と呼びますが、それは過去に起きた出来事の「記憶」ではなく、出来事から生じた「想い」によって、引き起こされていると考えられます。
その時の想いが、怒りや憎しみを伴うものであったならば、その後の人生で起きる出来事により、同じ様な想いを生じさせてしまうことになります。
親による子供の虐待ほど、痛ましいものはありません。
それは親、自らが虐待を経験し、そこから生じた想いが表現されずに滞っていて、時を経て自分が子供を育てる時に、過去の情景が思い出され、滞っていた想いが表に出てきて、自分の子供に向かって表現されていると思われます。
親は、子供を嫌ったり、憎んでいる訳ではないはずです。
過去に生じた想いはそのまま残り、後に、それを喚起させる出来事に遭遇すると表在化し、肉体的表現に変わると考えられます。
解放されなかった想いは消えずに、内に潜伏していて、その後の人生に、深刻な影響を与えていると言えます。
現代社会では、頭をフルに働かせる生活を強いられています。
そのために、頭脳優先となり、自分の想いに気付きにくくなっています。
周囲に合わせ、円滑に生活していくために、自分の想いに長い間ふたをしたまま、機械的に生きていると言えます。
そんな生活をしている限り、内に溜まっている想いに気付くことは、まずありません。
自分を成長させる出来事は、シナリオに従って起きます。
霊的次元から見ると、魂を成長させるためにある試練であり、好機ですが、この世に生きる私たちにとって、困難や障害にしか見えないことが多くあります。
シナリオに従って出来事が生じた時に、ありのままの自分(魂)は、すぐさま進むべき方向を指し示します。
その想いに従って、進んで行くのが、シナリオに沿った生き方です。
しかし、内に溜まった想いが、ありのままの想いを表現する、大きな障害となっています。
怒りの想いが内に溜まっていて、人に優しくすることができるでしょうか?
自分を責めている時に、何かに挑戦しようという気になるでしょうか?
内に溜まった想いがあると、シナリオとは違う方向に行ってしまい、予定されたこの世での成長が得られなくなる可能性があります。
内にある想いに早く気付いて、解放してやらなければ、この世で予期した成長は望めません。
霊的な成長を続けている人間にとって、魂から湧き上がる想いに忠実に生きられないのは、大きな損失となっています。
生まれてきた目的を果たせずに、無為に地上の時を過ごすことにつながってしまうからです。
病気は、霊的次元の想いを、肉体次元に具現化させ、五感で認識させるためにある、自然法則(神の摂理)の働きによるものです。
因果律の働きにより、見えないものを見える形にして、内にある想いに気付かせるものです。
ほとんどの病気には、誰もが避けたい苦痛が伴います。
なぜ、苦痛を味わなければいけないのでしょうか?
目に見えず、人にも知られない想いにも、自然法則(神の摂理)が働いています。
どんな想いを抱いていたか、問われています。
想いには、摂理に適ったものと、反したものがあります。
摂理に適った想いを、短く一言で表現すると「愛」です。
摂理に反した想いは、愛に反する、怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、貪欲、不寛容、傲慢などです。
もし、病気により苦痛を感じているのであれば、何かしら摂理に反した想いを抱いていたことになります。
病気の苦痛は、摂理に反した想いを抱き続けた償いであるとともに、魂を目覚めさせる触媒となっています。
それまでは、内にあるさまざまな想いにより作り上げられた、見せかけの自分や歪められた自分が、主導権を握っていたと思われます。
苦痛により、見せかけの自分や歪められた自分は吹き飛ばされ、それまで奥で眠っていた、本当の自分が目を覚まし、表に出て来ます。
自分ではどうすることも出来ないほど、内にある想いが溜まっていたのです。
病気にならない限り、内にある想いを解放させることは、出来なかったのです。
病気は、肉体と敵対しているものではなく、想いが肉体上に現れたものであり、その想いを解放させて、本当の自分を取り戻すために存在しています。
人(魂)は、神が創った、神の一部です。
私たちは、食物から栄養を摂取して生きているように見えますが、それは肉体に限られています。
体感されませんが、魂は神と呼ばれる存在から、生命(霊)力を受け取って生きています。
魂が目覚めると、神とのつながりは、より一層深まって、生命力が存分に流れ込みます。
流れ込む生命力は、愛を帯びているので、内にある(愛に反する)想いは、魂との親和性を失います。
根強く居座っていた想いが、ようやく解放されていきます。
想いが解放され、魂は浄化され、因果律の働きにより、肉体上の病変や機能異常は消失していきます。
本当の自分が姿を現したのなら、病気はその役割を終えて、心身は癒されるはずです
大きな病気を克服した人の中には、別人のように活き活きと、明るく生活するようになった人を見かけます。
そんな人たちは、人には言えない苦痛を経験した末に、本当の自分(魂)に目覚め、本来の生き方を取り戻した人たちだと思います。
より輝いて見えるのは、想いという障害物がなくなり、生命力が外に溢れ出しているからです。
より奉仕的な生活をするようになるのは、愛の大切さに目覚め、内から湧き上がる想いを素直に表現できるようになったからです。
病気をきっかけに人間が変わったように見えますが、実際は、人間を変えるために病気が存在していると思われます。
霊的な病気には、霊的な目的が隠されています。
根本原因は、表現されなかった想いです。
目的は、内にある想いの表在化と解放です。
魂の治癒過程における、心身上の現象が病気です。
生きる目的は、自分(魂)を成長させるため以外にありません。
より強く、より美しい自分になるためです。
困難や障害を、1つ1つ乗り越えて行くことで、強くなっていきます。
優しさや、思いやりを表わすことで、美しくなっていきます。
病気は、偶然や不運ではなく、人を成長させるためにある自然法則であり、私たちを良い方向に導いているとしか思えません。
参考ページ: 「健康と病気 ~霊的視点からの私見~」
2016年1月17日日曜日
ありのままで生きる
仕事が休みの日には、障がい者施設にボランティアに行っています。
ボランティアと言っても、一緒に遊んだり、話し相手になっているだけです。
行くといつも喜んでくれてうれしいのですが、自分も教えてもらうことがたくさんあります。
そこにゴンちゃんと呼んでいる子(といっても20代後半の男性ですが)がいて、良く話をします。
詳しくは知りませんが、おそらく出産時の難産が原因で、酸素が行き渡らなかったために、脳の神経が大きなダメージを受けてしまったと思われます。
歩くことは全くできず、かろうじてスプーンを保持して、口元に運ぶ程度の身体的機能しか残されていません。
目もあまり見えておらず、精神年齢は4,5歳程度と思われ、少し難しい話になると理解できません。
多くの入所者は、車いすで生活をしています。
車いすには大きく別けて2種類あり、腕により車輪を回転させて、自力で移動する一般的な車いすと、全身が不自由なため介助者により移動させる車いすがあります。
ゴンちゃんの障がいは重いため、車いすは移動に介助が必要なものであり、寝る時以外は、いつもその上にいます。
昼食時に、ゴンちゃんの介助をすることが多かったのですが、私の役目は、おかずを小さく分けたり、つぶしたりしたり、スプーンに食べ物を載せることです。
身体が不自由なゴンちゃんにとって、食事は大きな楽しみであり、献立を繰り返し聞かれ、出された食事をいつもおいしそうに食べ、残すことはありません。
自分に残された機能で、一所懸命に食べる姿を見て、いつも立派だと思っています。
目が見えなくなると、周囲の気配を察知するために、代償的に人の聴覚は敏感になります。
同様に、身体や頭脳の働きが弱くなると、魂が優位となって、人から伝わる想いに敏感になると思われます。
ゴンちゃんは興味深い話も聞かせてくれて、夜、部屋の電気を消すと、亡くなったお父さんとおじいちゃんが、傍にいるのが判るそうです。
動いたり、考えたりすることは苦手で、眼も良く見えませんが、その分、霊的な感覚は鋭敏になり、亡くなった人の姿が見えたり、人の想いをしっかりと感じ取っていると思います。
ゴンちゃんの生まれて来た目的は、自分のやりたいことをするのではなさそうです。、
どのような理由(原因)があって、このような身体で生まれてきたのかは判りませんが、健常者では得られない体験を通して、生涯をかけて何か大切なことを学んでいると思います。
ゴンちゃんの頭脳はダメージを受けたため、文字を読んだり計算をしたりすることは出来ません。
大人になるのに従い生まれてくる打算や偏見はなく、幸か不幸か、嘘もうまくつけません。
また、体裁を繕ったり、見栄を張ったりするなど、見せかけの自分を作ることも出来ません。
ありのままの自分で、生きるしか出来ません。
話は変わりますが、小中学校の同級生であり、仕事上の付き合いも長い友人がいます。
饒舌であり、強気で負けず嫌いな性格です。
彼は、歯医者が発注した義歯を作成する歯科技工士をしていますが、妥協を許さない仕事ぶりに、私は全幅の信頼を置いています。
月に数回、依頼した義歯の製作についての確認や打ち合わせのために、会っていました。
ところが、約2年前の冬のある日、交通事故で彼の長男が突然亡くなりました。
その日を境に、顔を合わすことはなくなりました。
仕事のことで、こちらから連絡を取ろうとしても、留守録になっていて、しばらくすると別の人から用件を聞く電話が入ります。
仲の良い幼馴染とも連絡を取っておらず、誰とも会いたくないのだと思いました。
去年の12月、事故から約2年経ったある日、ばったりと顔を合わせる機会がありました。
一瞬、目が合った後、言葉を交わすこともなく、その場から離れて行きましたが、以前と様子が違って見えました。
強気なところは失せて、張りつめていたものがなくなっていたように見えました。
どなたかのブログで、親を亡くすと過去を失い、配偶者を亡くすと現在を失い、子供を亡くすと未来を失うと書かれていましたが、将来の大きな希望が無くなってしまったために、元気がなくなり、そう見えたのかもしれません。
経験のない私には良く分りませんが、子供を喪う以上の悲しみは、この世に存在しないのではないかと思います。
どんな想いで、この2年間、過ごしてきたのか知る由もありません。
友人の存在を確認できたのは、届けられる義歯だけです。
届けられる義歯は、以前と全く変わりない、質の高い義歯です。
彼の作る義歯は、装着する時に調整が少なくて済み、とても丈夫に作られていて、壊れることはほとんどありません。
患者さんにとっても、義歯の出し入れがし易く、食事の際にも痛くなく、繊細な配慮が行き届いています。
歯医者にはうれしく、患者さんには優しい義歯です。
人の手によって作られるものは、作る人の性格が表れ、想いが込められていると思います。
彼の作る義歯にも、彼の性格が反映されている気がします。
会って話をすると、饒舌で強気な性格のように多くの人が感じていると思いますが、本当はとても繊細で優しい性格だと思います。
では何故、強気なところを見せているのでしょうか?
私には強気なところを見せて、繊細で優しい自分を守っているように感じます。
この世には、さまざまな人がいます。
中には、平気で人の心を傷つける人もいます。
特に、無防備な子供の時に、傷つけられてしまった人は、とても多いと思います。
心を傷つけられると、精神的な苦痛を伴うので、それを避けるために、無意識に自分を守ろうとします。
性格的特徴と思っていた強気な面は、彼自身が作り上げたバリアみたいなものであり、必死に自分を守ろうとしていたのかもしれません。
昨年末、友人に会った時に感じた違いとは、覆っていたバリアがなくなり、素の自分が出ていたためと思いました。
人を避けていたのは、繊細で優しい自分が傷つけられるのが怖かったのかもしれません。
繊細で優しい性格は、彼の美徳であると、私は思います。
なぜなら、思いやりや、優しさを表現すれば、人が喜び、自らの霊的な成長を促すからです。
しかし、この世では、繊細で優しい性格を前面に出すと、そのような美徳を持ち合わせない人から、傷つけられてしまうことがあり、外面的性格を作りあげて自分を守ろうとしている人は、たくさんいると思います。
自分自身で作り出した、鎧のような外面的性格が、優しい想いを表現する妨げとなっていて、彼の成長に大きな障害となっていたのかもしれません。
深い悲しみは、魂の琴線に触れ、目覚めさせると言われますが、目覚めると同時に、周りに張り巡らされていたバリアが解かれたのかもしれません。
魂にまで響くような出来事に遭遇すると、昔の自分には戻れないと言う人がいますが、それは昔の自分のさらに前の、本来の自分の姿に戻っているのかもしれません。
ゴンちゃんは表現の自由を失いました。
友人は子供を喪いました。
不幸の極みとしか映りません。
しかし、霊的な次元から見れば、この世の出来事は別の様相を呈してきます。
何かが変わり、何かを見出すことが出来たのなら、その出来事は少なからず意味を持つことになります。
ずいぶん前のことですが、東名高速道路で飲酒運転のトラックに追突され、乗っていた車が全焼し、幼いお子さん二人を亡くされたご夫婦がいました。
炎上する車内に取り残された子供たちを、なす術もなく、そばで見ているしかなかったそうです。
ご両親も事故で大きな火傷を負われましたが、このような悲劇が2度と起きてはならないと思い、同じ飲酒運転(加えて無免許で無車検)で一人息子を失った遺族とともに、社会に働きかけて、世論を動かし、国会で道路交通法の罰則が強化されて、危険運転致死傷罪が新設されました。
この法律により、飲酒運転という愚かで恐ろしい行為は減り、世の中の片隅で泣く被害者は、間違いなく減ったと思われます。
これは、子供の死を無駄にしたくないという、ご遺族の切実な想いがあったために、成し遂げられました。
亡くなった人は、2度と戻っては来ません。
しかし、その死は無駄にならずに、大きな意味を持ったことになります。
子供の死を、暗く、不幸な出来事として終わらせずに、世の中を明るく、幸せにするために、活かせたと思われます。
子供を喪った悲しみが、消えるわけではありませんが、あの世にいる子供たちにとって、自分たちの死により、この世で嘆き悲しむ人が少なくなったのは、とてもうれしいことであり、その想いは魂でつながっている、ご両親に伝わり、きっと癒やされたと思います。
友人の長男の死により、世の中が何一つ、変わったわけではありません。
しかし、少なくても友人を変えたと思います。
単なる不幸として終わっていないと、私は考えます。
あの世から、この世の人の想いは、手に取るように判ります。
あの世にいる長男は、この世ではガミガミとうるさいことばかりを言っていた父親が、実は繊細で優しい人だと知って、驚くとともに喜んでいると思います。
なぜなら、あの世に行って、思いやりと、優しさが、最も尊ばれ、価値を持つことを知ったからです。
自分が死んでしまって、すごく悲しませてしまったけど、お父さんを包み込んでいた余分なものが取れて、本当の想いを素直に表現できるようになったのであれば、それをうれしく感じているに違いありません。
何で素直に良いところを見せられないのか不思議に思っていて、他の人にも早く知ってもらいたいと願っていると思います。
障がい者施設のゴンちゃんは、自分を守る術はなく、肉体的にも精神的にも、いつも無防備な状態です。
しかし、自分を守るものがなく、ありのままでいても、傷つける人は誰もいません。
それどころか、周りの人たちが、生きるのを常に助けてくれています。
そのような暮らしを何十年も続けていれば、過去にどんな出来事があったとしても、人は信用するのに値する存在であり、心を許しても良いことが判ってくると思います。
全生涯をかけて、学んだことを、今度は身体を存分に使って、思いっきり表現する、すばらしい人生が待っていると思います。
この世で、不幸としか思えない出来事は、ありのままの自分にさせる力を持っているようです。
人の本質は、肉体ではなく魂です。
魂は、死によって肉体から離れて、真の生活が始まります。
そこでの生活は、覆い隠すものは何もなくなり、丸裸になって、周りに自分(魂)の全てが知られてしまいます。
この世の地位や肩書き、外面的性格は通用せず、ありのままの自分でしかいられなくなります。
ありのままに生きるとは、自分の考えた通りに生きるのではなく、自分の想いに素直に従って生きることだと思います。
頭で考えて行動するのではなく、内から湧き上がる想いに忠実に生きることです。
ありのままの自分で生きた方が良い大きな理由は、あの世に行くと、ありのままでしか生きられず、そして、生まれる前に決めていた人生の通りに生きることが出来て、この世に生まれた目的を果たすことにつながるからです。
すべての出来事は、自然法則の働きにより、支配されています。
苦しい思い、悲しい思い、つらい思いのまま、全てが終わりになってしまうのではなく、自然法則の働きにより、その先で、必ず報われるようになっています。
地上的なものを喪ったと同時に、必ず霊的な成長を得られるようになっているからです。
神については、数千年も前から、たくさんの人により説かれてきましたが、あまりにも大きな存在であり、全体像を掴めた人など存在しません。
全然信じていなかった私が言うのもおかしいのですが、神も仏もない、神に見捨てられた、神を恨んでいる人ほど、後に全容が明らかになり、自然法則の働きにより不公正、不平等が一切存在しないのが判った瞬間、思わず何者かに向かって、深く感謝したくなると思います。
その何者かが神であり、大きな愛を感じずにはいられなくなると思います。
もし友人に、こんな話をしたのならば、おまえは経験したことがないから、そんな好き勝手なことを言えるのだと、怒鳴られるかもしれません。
どれほど涙を流したのか、どれくらい悲しい、悔しい、苦しい想いをしたのか、私には判りません。
しかし、幸運にも、友人のまだ知らない、いくばくかの霊的な知識を持っています。
今は何のことだか判らなくても、時を経て、その知識により、光が差し込み、悲しみが癒されるのであれば、どのように思われようとも、しっかりと伝えたいと思っています。
友人にこそ必要な知識であり、向こうにいる彼の子供がどうしても伝えたいことだと思うからです。
2016年1月1日金曜日
最も大切で美しいもの
冬、こたつでうたた寝してしまい、気付いたら真夜中でした。
テレビが付けっ放しになっていて、一昔前のモノクロの洋画をやっていました。
どんな題名の映画かも分らず、寝ぼけながら観ていましたが、そこに出ているヒロインがあまりにも可愛いらしく、輝いていたので、すっかり目が覚めてしまいました。
「世の中には、こんなきれいな人もいるんだ!」と思いながら、最後まで観てしまいました。
映画の題名は「ローマの休日」で、ヒロインはオードリー・ヘップバーン(以下オードリー)です。
言わずと知れた、20世紀を代表する女優の一人です。
「ローマの休日」は生まれる前(1953年)の映画であり、私が大きくなった時には、もう映画には出ていなかったと思います。
時がさらに過ぎ、90年代の初めでしょうか、ユニセフのテレビコマーシャルの中で、彼女を見かけました。
映画に出ていた時のイメージとは全く違い、平服で、化粧もせず、顔にはしわが刻まれて、その瞳に憂いのようなものを感じました。
年を取ったと言えばそれまでですが、スクリーンの印象があまりにも鮮烈だったために、幻滅とまではいかないまでも、少しがっかりしてしまった覚えがあります。
いくら綺麗な人であっても、美しさに翳りが出て、女優としての価値は低くなり、すでに財産も十分にあるので引退し、余暇を慈善活動に当てているのだろうと思っていました。
事実は全く違っていました。
真の意味で美しい女性でした。
オードリーは1929年、ベルギーのブリュッセルで生まれます。
生後6週間後で悪性の百日咳にかかり、呼吸停止にまでいたりましたが、お尻をたたかれ息を吹き返したそうです。
幼い頃から母親に「あなたは特別な人間じゃないのよ」と、よく叱られ、目立つことはしてはいけないと戒められて育ったそうです。
あの明るい笑顔から想像すると、さぞかしあたたかな家庭で育ったと思うかもしれませんが、決してそんなことはなく、後々まで人生に影響を及ぼす出来事が幼い時に起こります。
6歳の時に、尊敬していた父親が家族を捨て、家を出て行ってしまいました。
彼女にとって、それは大変ショックな出来事であり、毎日のように、父親が帰ってきて、抱きしめてもらうことを願っていたそうです。
しかし、その願いが叶うことは、最後までありませんでした。
10歳の時のオードリー |
その後、世の中は大戦へ向けて突き進んで行き、希望に満ちたとは言えない少女時代をオランダで過ごします。
いざ戦争が始まると、オランダは早期にドイツ軍に支配され、何も食べるものがなくなって、兄弟は犬用のビスケットを食べ、チューリップの球根を食べる人もいたそうでうす。
戦争末期になると、食料品はすべて軍隊に回されたため状況はさらに悪化し、住民の食料は底をつき、オードリーは極度の栄養失調で餓死寸前だったと、後に語っています。
ようやく戦争が終結して、赤十字とともに「アンラ」という組織が街にやってきて、人々に食糧と、医薬品と衣服が配給され、オードリーも渡されたチョコレートを全部食べたそうです。
年端もいかないころからプリマ・バレリーナに憧れ、レッスンを受けていましたが、本格的にバレエを習うために、18歳の時に母親とともにロンドンに移り住みます。
そこで傑出したバレエ教師として名高かったマリー・ランバートという人と出会い、レッスンに打ち込みます。
ある日、マリーに「このまま技術を完全にマスターすれば、プリマ・バレリーナになるチャンスが巡ってくるでしょうか?」と聞いたそうです。
マリーは非常にやさしく「あなたは私が教えた中で最高に優秀な教え子のひとりで、セカンド・バレリーナとして、他の生徒たちをはるかにしのぐキャリアを積むことができるでしょう。」と言われたそうです。
セカンドバレリーナとはプリマ・バレリーナを補佐する役目であり、バレエの世界では主役になれないことを意味しました。
「私の夢はどうなりますか?」打ちのめされたオードリーは聞き返したそうです。
これからどんな厳しい練習をこなしても、体格をつくるべき重要な年齢は過ぎてしまっていて、もう取り返しがつかなかったそうです。
背が高かったこともありますが、戦時中に過酷な日々を送ったオードリーは十分な栄養を摂ることができなかったために、筋肉の発達が阻害されてしまい、適切な栄養を摂取でき、十分な練習を積むことができた他のバレリーナに太刀打ちが出来なかったのです。
つまり、戦争が彼女から夢を奪ったと言えます。
帰宅して、部屋に閉じこもってひたすら「死んでしまいたい」と思ったそうです。
最高のバレリーナになれないなら、別の分野でなれるだろうと、気持ちを切り替えます。
けれども当面の生活をどうやって支えるかが問題であり、モデルの仕事を始めることになり、そして俳優の仕事をするようになりました。
彼女にとって俳優は、幼い時からの夢が破れ、やむをえない選択だったのですが、バレエと同じ様に、一生懸命がんばること、規律正しく取り組むこと、プロ意識を持つことを心に決め、いくつかのミュージカルと映画の役者として出演しました。
ある映画の撮影で南仏にいた時、撮影隊と同じホテルに宿泊していたコレットと言う人に出会いました。
コレットはフランスの有名作家であり、「ジジ」(フランスの少女の物語)という芝居の準備のために南仏を訪れ、脚本家とプロデューサーの3人で主役を演じる女優を探していたそうです。
コレットはオードリーの姿を見つけ、こう宣言したそうです。
「ジジを見つけたわ!」
頭の中で生み出した人物が、肉体を持った人間として突然目の前に現れたと思ったそうです。
その日のうち、コレットはブロードウェイに出演してほしいと、オードリーに申し込みます。
いつしかメイクアップの助けを借りなくても、すばらしい輝きを見せるスターになるに違いないと思ったそうです。
1951年、ブロードウェイの舞台で「ジジ」を演じ、成功を収めます。
その2年後、「ベン・ハー」などを手がけた、巨匠ウィリアム・ワイラー監督が、「ローマの休日」(1953年)のヒロインのオーディションを行いました。
そこに現れたのがオードリーであり、役どころ(王妃)の全てを兼ね備えているのに驚き、すぐに抜擢したそうです。
『ローマの休日』に主演した頃(1952年) |
それまでにいなかったヒロインの登場により、世界中の人たちは魅了され、映画は大ヒットして、その年のアカデミー主演女優賞を受賞します。
バレリーナの夢が絶たれてから、わずか5年で映画女優として頂点に立ちます。
1年後に、「麗しのサブリナ」(1954年)に主演し、映画スターとしての地位を確立します。
その後も数々の映画に主演し、高い評価を受けます。
私が観た映画に「ティファニーで朝食を」(1961年)がありますが、その中で彼女が「ムーンリバー」という曲を唄っていたのが印象に残っています。
声量に恵まれているわけではありませんが、その切ない歌声が郷愁を誘います。
作曲者であるジョニー・マーサーは、今まで1000以上のバージョンでこの曲が歌われたが、彼女以上に曲を理解し、感情を込めて歌った人はおらず、文句なしに最高だと言っています。
ところが、パラマウント映画の社長が、試写をした時に、その歌の部分をカットしろと言い、そこにいたオードリーは席を立ち上がり、怒りの感情を露わにして、周りの人を驚かせたそうです。
周囲に怒りを見せたのはこの時くらいであり、普段はとても謙虚で、控えめな女性だったと言われています。
ある日、オードリーは「アンネの日記」の出演依頼を受けましたが、頑なに断ったそうです。
オードリーはアンネの日記を読んで、こう感じたそうです。
「同じ年に生まれ、同じ国に住み、同じ戦争を体験した。ただ、彼女は家のなかに閉じこもり、わたしは外にいた点だけが異なっていた。(彼女の日記を読むことは)わたし自身の体験を彼女の観点から読むことに似ている。わたしの胸はそれを読むことによって引き裂かれた。二つの部屋から一歩も外へでられず、日記を書くことしか自己を表現する手段を持たなかった思春期の少女。彼女が季節のうつろいを知る方法は、屋根裏の窓から一本の木をのぞき見ることだけだった。住んでいたところこそ同じオランダの違う町だったが、わたしが体験したすべての出来事が彼女の手で信じられないほど正確に描かれていた。(中略)外の世界で起きていたことだけでなく、大人になりかかった若い娘の心の動きまで。彼女は閉所恐怖症だったが、自然への愛、人間性の認識と、生命への愛、深い愛によってそれを乗り越えている。」
実際にユダヤ人がナチスに捕らえられたり、殺されたりする様子を見ていたオードリーは、自分と同じ国に住み、生まれた日もわずか1ヶ月ほどしか違わないアンネに、強い親近感と哀悼の意を持ち続けていたと思われます。
断った理由は、アンネの一生を演じて、自分が利益(報酬や賞賛)を得たりする気には、とてもなれなかったからです。
そして、「アンネ・フランクの思い出が現在も将来も永遠にわたしたちとともにあるのは、彼女が死んだからではなく、希望と、愛と、とりわけすべての許しの不滅のメッセージをわたしたちに残すのに充分な時間を生きたからなのです。」と言っています。
ショービジネス界では人も羨むような賞賛と栄誉を手に入れますが、彼女にとってそれほど魅力的なものではなかったようです。
華やかな世界にいましたが、実はきわめて家庭的な女性でした。
あたたかな家庭を持つことに憧れて、2度結婚をしましたが、残念ながらうまく行きませんでした。
しかし、夫との間にできた二人の子供にとっては、最高の母親であったようです。
女優業を潔く引退し、スイスにある自宅で家族とともに時を過ごします。
平凡な日々に十分満足し、仕事の情熱を注ぎ込む時期は終わったと周囲の人は思ったそうです。
家庭人として穏やかな日々を過ごしていた1987年のある日、ユニセフが主催する募金コンサートにゲスト出演の誘いが来ました。
彼女は、2つ返事で受けたそうです。
なぜなら、戦争が終わり、彼女が支援を受けた「アンラ」という組織は、ユニセフの前身であり、その時の恩返しができると思ったからです。
コンサートの中のスピーチで、「世界中の子供たちが飢えや病気、戦争の犠牲になることなく、幸せに暮せるように努力することが、私たち大人の役割である」とオードリーは訴えて、聴衆の心を動かし、それを聞いていたユニセフの理事から親善大使を依頼され、年棒1ドルで引き受けることになります。
彼女は、これこそ私が今やるべきことと思ったそうです。
翌年、大使としてエチオピアに向かいましたが、想像していた以上の惨状を目の当たりにします。
昨日、笑いかけていた子供が、次の日には目を閉じて冷たくなっているという経験をする度に、涙を流したそうです。
栄養失調で4人に1人の子供が亡くなるという現実を、世界の人に現状を伝えなければならないと、強く思ったそうです。
テレビや新聞のインタビューに積極的に応じ、講演活動を通して、現状を訴え続けました。
ユニセフでの演説(1992年) |
この世の中で、飢えた子供、病んだ子供を救うためには、まず、食糧や薬を手に入れるためのお金が必要です。
彼女自身も、年100万ドルの寄付をしていたと言われていますが、女優としてのキャリアは強力な武器となり、抜群の知名度が活かされることになります。
アメリカの議会で1回スピーチをして、エチオピアへの支援の予算が6000万ドル増額されたそうです。
国家の要人や、経済界の大物も、私と同じ様にスクリーンに映るオードリーに魅了された人も、きっと多かったと思います。
もしそうであれば、彼女に寄付を頼まれたなら、無下には断れません。
日本でも、ほとんどの人は彼女のことを知っていたので、ユニセフのCMを見て関心を持ち、貧困国の現状を知り、寄付をした人も少なくないと思います。
一人の人間の無償ともいえる奉仕により、世界中の人々が子供たちの悲惨な現状を知り、それにより莫大な寄付が集まり、その寄付により数え切れないほど多くの子供たちの命が救われたと思われます。
映画で共演した男性俳優は、彼女をこう褒め称えています。
「オードリーの人生は2部構成であり、前半ですべてのものを手に入れ、後半は手に入れたものをすべて(社会に)還元した」
彼女のことを知るにつれ、ついこんなことを考えてしまいます。
一人の天上の魂が、地上でおなかを空かし、涙を流している子供たちを見て、何とかしてやりたいと強く願いました。
その願いは神により叶えられ、一人の女性として地上に生まれます。
与えられたのは、誰をも引き付ける美貌であり、好感を持たれる性格です。
彼女の輝くような笑顔は、女優としての名声や富を手に入れるためではなく、飢えや病気に苦しむ子供たちを救うためにありました。
戦争の恐怖と飢え、別離そして挫折・・・人生で起きたつらい出来事は、崇高な目的を果たすために、どれも必要なものでした。
1つ1つの出会いは偶然ではなく導きによるものであり、何一つ欠けても目的地にたどり着くことは出来ませんでした。
無事に目的地にたどり着けたのは、周りに流されることなく、自分(魂)に正直に生きて、導きに素直に従ったためです。
飢えや病気に苦しむ子供たちに、あれほどまでに寄り添うことができたのは、自らが戦争を経験して長い間、空腹を味わったからです。
夢や希望を喪った子供たちの悲しみを理解できたのは、有り余るほどの才能を持ちながら、時代に翻弄され、バレリーナの夢を断念せざるを得なかった経験があったからです。
子供たちの中に、食べ物では癒せない心の飢えがあるのに気付けたのは、父親に見捨てられ、抱きしめてもらうことが出来なかった、愛情の飢えが自分自身にあったからです。
ソマリアの難民キャンプでのオードリー(1992年) |
子供たちの姿に、過去の自分を見出しました。
子供たちが流す涙は、過去の自分が流した涙です。
過去のつらい出来事は、子供たちの想いを、我が事のように感じ、共有するためにあったのです。
想いを共有できたからこそ、子供たちのために全身全霊で困難に立ち向かって行くことができました。
すべての出来事は一直線につながり、子供たちを救うという目的地に向かっていました。
もし、彼女が女優になるために生まれてきたのならば、頂点まで上り詰めた瞬間に目的の大半は達成されますが、人も羨むような名声を手にしても決して満足しなかったのは、さらに高いところに目的地があったからです。
飢えに苦しむ子供を抱きしめた瞬間、魂の奥に仕舞われていた約束を思い出します。
子供たちの笑顔を取り戻すという約束を。
オードリーはどんなことにもまして、ひとつのことを信じていたそうです。
それは愛です。
愛は人を癒し、救い、立ち直らせ、最終的にすべてを良い方向に変えてくれると信じていたそうです。
女優として世界中の人々に与えた喜びや愉しみは計り知れませんが、子供たちに与えた愛はそれをはるかに凌ぐ価値を持っていると思います。
集まった寄付以上に大切だったのは、恵まれている人が恵まれない人のために行動するという、チャリティーの精神であり、それは世界中に広がり、後世にしっかりと受け継がれました。
自分の生き方を見せることで、人にとって何が大切か、幸せかという問いを投げかけていました。
多くの人が追い求めている富や名声では幸せになれず、人を愛することで手に入れられることを、子供たちに向ける美しく、やさしい笑顔で示してくれました。
真の幸せを、子供たちの笑顔や喜びの中に見つけていました。
誰からも愛された人は、誰よりも人を愛していました。
人へ向けた想いは、神の摂理の働きにより、自分に戻って来ます。
エチオピアの子供と(1988年) |
美しい花々に囲まれた自宅で家族に囲まれ、63歳で彼女はこの世の幕を閉じます。
少し短い一生のような気がしますが、生まれて来た目的は十分に果たしたと思います。
魂が肉体を旅立つ時、微笑んで、眼の縁に小さな涙の滴がたまって、ダイヤモンドのように光っていたそうです。
きっと、力及ばず助けられなかった大勢の子供たちが、オードリーがあの世に来るのを待っていて、子供たちの姿を見つけた時の、悦びの涙だと思います。
オードリーがこよなく愛した文章があります。
作者はサム・レヴェンソンという人で、孫娘が生まれた時に宛てた手紙に書かれていたものであり、彼女はこの世で最期のクリスマスイブに家族のために読んだそうです。
題名は「ときの試練によって磨かれる美」です。
『魅力的な唇になるために、やさしい言葉を話しなさい。
愛らしい目を持つために、人の良いところを探しなさい。
おなかをすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりするよ。
1日1回子供が指で梳いてくれれば、髪はつややかになる。
決してひとりで歩いていないことを知っていれば、
弾んだ足取りで歩けるはず。
お前の未来のために伝統を残しておこう。
愛情をこめた人のやさしい慈しみは、けっして失われることがない。
物は壊れたらおしまいだけど、
人は転んでも立ち上がり、失敗してもやり直し、生まれ変わり、
前を向いて何回でも何回でも何回でもあらたに始めることができる。
どんな人も拒絶してはいけないよ。
助けがほしいとき、必ず誰かが手を差し伸べてくれることを覚えておきなさい。
大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。
一つ目の手は自分を支えるため、もう1つの手は誰かを助けるため。
おまえの「すばらしき日々」はこれから始まる。
どうかたくさんのすばらしき日々を味わえるように。』
自宅の庭にて(1969年) |
引用した主な資料
『Audrey Hepburn 母、オードリーのこと』 ショーン・ヘップバーン・フェラー著(竹書房)
『オードリー・ヘップバーン』 バリー・パリス著 (集英社)
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