2013年12月28日土曜日

すべては魂の向上のため



赤ちゃんのつぶらな瞳を見ていると、魂そのものであり、神の一部であるということを、感じることがあります。



役目を果たすために、どこか遠いところから、この世に降りてきて、生まれた直後に泣き叫んでいるのは、もちろん呼吸をするためなのですが、この先の大変さを魂が分かっているからと思えてしまうことがあります。



子供にとって親は必要な存在であり、強者です。

しかし、親が上で子供は下であり、親の意見に子供は従わなければいけない、などということは大間違いで、1つの魂として見れば、対等の関係です。

肉体は遺伝しますので、容姿は似通ったところがありますが、魂は別次元のものであり遺伝はなく、反映している心、性格は親子でも肉体みたいに似ていません。

数十年、早くこの世に生まれてきただけであり、魂に年齢は関係はなく、親よりも魂が向上している子供もたくさんいると思います。



幼い子供が生まれながらの難病で苦しみ、治療のかいもなく亡くなってしまうことがあります。

小さいながらも親や周囲の人を気遣い、決して弱音をはかない子がいて、周囲の人を驚かさせます。

そんな子は、この世を長く生きて大切なこと(摂理)を学ぶ必要はなく、自分に足りなかった部分だけを、病気という苦難を通して学びとり、それが終わると早々と、次の世界に行ってしまうのかもしれません。

幼いのは肉体だけであり、魂は向上していて、成熟した大人なのかなと思うことがあります。

子供に先立たれた親は、深い悲しみを味わうことになりますが、その耐え難い苦痛が、魂を向上させることにつながります。

つまり、短い生涯であっても、その親の子供として、病気を抱えて生まれてきたのは、それぞれの魂の向上を成就させるために、必要だったということになります。



魂は、自らに足りないものを自覚して、その部分を補うために、適切な試練が得られる、環境を選んで生まれてきます。

災難や不幸と思われることは、摂理に背いた想いや行いをして因果律が働き、その結果として表れたものもありますが、魂の向上させるために、あらかじめその人に計画されている場合も多いのではないでしょうか。



休みの日で時間があれば障害者施設にボランティアに行っています。

ボランティアと言っても、遊び相手や話し相手になっているだけなのですが、良く来たと、笑顔で歓迎してもらえると、うれしくなります。

そこでは足が不自由で車いすの人、身体は健康だけど知的障害がある人、身体が不自由で知的障害がある人など、様々な種類や程度の異なる障害を抱えた人達が共に生活しています。

一人ひとりの意見は尊重されますが、集団生活なのでわがままや規律を乱す行動は許されません。

そんな中で、自分の置かれている立場を十分に理解して、残された能力を活かしながら、精一杯生きてるのを見ていると、こちらが元気をもらいます。



抱えている障害は、生活していく上で大きな支障となり、健常者にはわからない大きな苦痛となっていると思います。

中には、障害が重度で、食事をするのも、ベットで寝返りをするのも、着替えるのも介助が必要で、常に人の手を借りなければ、生きていけない人もいます。

ベッドに横たわったまま、身体を動かすことも、話すこともできず、一生を終えるであろう人を見て、以前の私でしたら、かわいそうにと同情したり、生まれてきた意味があったのだろうかと思ったことでしょう。



しかし、霊的真理を知った今は、肉体で魂の表現がほとんどできないという、最も過酷とも思われる試練は、大切なこと(摂理)を学び魂の向上をさせるために、その人に必要だったのかもしれない、あるいは前世での罪の償いを今、果たしているのかもしれないと、考えるようになりました。

どちらにしても、その人の魂の向上にとって不可欠なものであり、目的があって不自由な身体を選んでこの世に生まれてきたことになります。



一人では生きていけないこと、人に助けてもらうことを通して、愛がもっとも最も大切であることを、心身の障害を通して学んでいるのかもしれません。

もしかしたら、全人生をかけての苦難に耐えられるほど、すでに魂が向上している人であり、さらなる向上を得るためなのかもしれませんので、安易な同情は慎まなければいけないと感じています。



すべてのことに無駄はなく、意味を持っている、と言われても、この世では目に映るもの、耳に聞こえるものが、すべてに思えてしまうため、目に見えない霊的法則が働いていることは、どうしても分かりにくくなってしまいます。

高い次元から見ると、すべてのことは神の法則である因果律に従っていて、その叡智により計算しつくされた上で、絶妙の時期に、かかわる人すべての魂の向上のために、最適な形で出来事が生じていることが、手に取るように分かるため、シルバーバーチは神の完璧な叡智には驚嘆させられる、と言っているのかもしれません。



私を含めて、魂を表現をする自由を与えられた人は、存分に愛を表現していくべきであり、この世ではそのための手段として肉体が与えられたのだと思います。






参考ページ: 「早世した子供たち」

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