2024年11月24日日曜日

親友の1周忌


11月19日は親友の1周忌でした。

仕事を終えて、急いで彼の自宅に向かいました。

その途中でケーキを買いました。



自宅に到着し、ケーキを手渡して、はにかんだ表情をしている親友の遺影の前で手を合わせました。

その後、居間のテーブルを囲んで家族と話をしました。



今、どうしているのだろうと思う時があります。

死後、どの様な経過を辿るのかは人によって違って来ます。

すでに亡くなった人と再会し、自分の葬式が行われているのを見て、多くの人は死んだと思い始めます。

死んだら無になると信じていた人は、変わらずに意識があるために、地上を生きていると錯覚します。

親友は現実主義者でしたが、霊の存在を否定していたわけではありません。

向こうの世界に順応していると思います。



親友がいるのは想念の世界です。

物質(肉体)を介して自己表現をする必要がなくなり、想念は直ちに具現化します。

遺影の前に掛けられた黒の革ジャンが目に留まりました。

革ジャンを着てハーレーに乗るのが好きだったので、(想念で創り出したハーレーに乗り)気の合う仲間を見つけてツーリングを楽しんでいただろうと思います。



もちろん、家族のことは何よりも気にかけているでしょう。

家族から想いが届いたら、直ちに地上に赴いて寄り添っているでしょう。

必要とあれば、想いを送って助けようとしているはずです。



向こうに行くと、地上の人生を振り返る時が来ます。

さすがに、この時ばかりは神妙になったはずです。

自分がしたことが役に立っていたのを知ると、うれしくなったでしょう。

こんなことをしなければ良かった、あんなことを言わなければ良かったと、悔いたり反省することもあったでしょう。



親友は、30代の時に前妻を亡くしました。

悲しんでいる暇もなく、仕事や幼い3人の男の子の子育てに追われました。

声をかけるのもためらうような状況に陥りました。

それから数年して、今の奥さんと出会いました。

嫁いでくれた彼女は、親友の女神のように思えました。

その後、2人の間に女の子が生まれて、今は大学4年生です。



悲しい出来事もうれしい出来事もありましたが、どれ1つが欠けたとしても、その後の自分はないことに気付いたと思います。

自分で決めて行動したことが相応の結果を生み出し、それに対して行動することで新たな結果を生み出します。

原因と結果の連鎖を繰り返しながら、今に至っていることを実感したと思います。



親友は会社の社長として、気を張って生きて来ました。

その重圧から解放されましたが、後を引き継いだ2人の息子が上手くやっていけるのかを心配していたと思います。

長男に尋ねたところ、親友が亡くなってから取引先を1つも失っていないとのことで、経営状態はまずまずのようです。

2人の努力を褒めると共に、力を併せてさらに発展させて行くように檄を飛ばしました。

同じことを親友は言いたかっただろうと思います。



奥さんのことが、どれほど愛おしく大切な存在だったのかを、死んで改めて分かったと思います。

それは奥さんも一緒のようです。

お互いに伝えておけば良かった想いがあるでしょう。



想念の世界にいる親友に、語らずとも奥さんの想いは知れています。

語ることのできない親友は、奥さんに想いを伝えるのは極めて難しくなっています。

伝えられない想いを、守り導くことで表現して行くことになります。



将来に対する不安は奥さんにあるでしょう。

それでも、何とかなると思える時があるそうです。

そんな時は、親友からの励ましの想いを受け取っていると伝えました。



娘さんに「お父さんの存在を感じる時はない?」と尋ねました。

夢に出て来たと答えましたので「(眠っている時は幽体離脱をして)実際に会っていたんだよ」と伝えました。

すると、目が覚める直前に「お母さんは何も分からない」と伝えられたと言われました。

家族に話したところ、誰も意味が分からなかったようです。

それを聞いて私は「お母さんに接触していろいろと伝えようとしたが、全く気付いてもらえない」と親友は言いたかったと感じました。

そう話すと、みんなから笑いが出ました。

奥さんが(少し鈍感で)気持ちを察してくれないことを、生前から親友は嘆いていたそうです。



愛は魂を引き付ける不滅の力です。

死によって家族への想いが変わることはありません。

自分への想いがはっきりと分かった今、むしろ強くなっているのではないでしょうか。

親友のオーラに包まれて、全員が守られているように感じられました。



帰り際に、親友の分もケーキを取り分けるようにお願いしました。

もちろんケーキは食べられません。

けれども、夫として父親として今も敬意を払ってもらっているように感じられて、うれしいのに決まっています。



命日は、親友にとって向こうの世界での誕生日です。

変わらぬ想いを信じてもらい、向こうの世界での幸せを家族に祈ってもらえたのなら、これほどうれしいことはありません。

一番の供養になると私は信じています。




2024年11月17日日曜日

寿命は決まっている


小学生の夏休みに、公園でセミ取りをしたのを覚えています。

セミの寿命はせいぜい2週間です。

網の中でジージージーと暴れながらけたたましく鳴いている姿を見て、限られた時間を奪っているような気がして、子供ながらに罪の意識を感じました。


生き物には定められた寿命があります。

同じ哺乳類でも、フサオネズミモドキはわずか1ヶ月で、ホッキョククジラは200年以上も生きる個体があると言われています。



人間はどうでしょう?

生きている時間は人によって大きく違います。

100年を超える人もいれば、わずか数時間しか生きていない赤ちゃんもいます。

その違いはどこから来るのでしょうか?




生きる目的は、自らを成長させるためです。

目的を果たすと寿命が来るのは人間も同じです。




強く感じていることがあります。

それは寿命の短い人は、優しく、思いやりがあり、誰からも好かれる人が多いことです。

そんな人は霊的に成長しているため、地上で学ぶことも少なかったのではないかと考えています。



人間(魂)は多面的です。

どの面を磨かなければ(成長させなければ)ならないのかは、人それぞれ違います。

例えば、優しい面があるけれども強さに欠ける面もある人もいれば、強い面があるけれども優しさに欠ける面もある人もいます。

前者は強さを、後者は優しさを手に入れるための人生を歩むことになるでしょう。

目的を果たすために、それに相応しい出来事を経験することになります。




もし偶然に支配されているのなら、相応しい出来事を経験するまでに、気の遠くなるような長い時間が必要となるでしょう。

出来事は自然法則(因果律)の働きによって起こります。

無限の叡智の働きによって自然法則は創られています。

自然法則の働きによって、必要な出来事が完璧なタイミングで起きていると考えられます。

20年近く前に突如ヒーリングの力が出現し、霊的真理と巡り会い、絶望的な出来事が起きましたが、この人生を変える3つの出来事がわずか1ヶ月の間に最適な順番とタイミングで起きたので、シナリオ(計画)があることを確信しました。



人生のシナリオには、雲1つない晴れの時もあれば、嵐が吹き荒ぶ時もあります。

誰しも晴れを望みますが、それだけでは自分を成長させることができません。

もし成長できるのであれば、居心地の良い霊界を離れて地上に生まれる必要はありません。

晴れの日と嵐の日を織り交ぜて、シナリオは創られています。




起きた出来事は変えられません。

けれども、自分の心(意識)は変えることはできます。

成長するために起きている、必ず乗り越えられると強く信じれば、心の嵐は収まって来ます。

難しいでしょうが、感謝できるようになれば、心は晴れています。

そう変わることを期待して、出来事は起きていると思います。




すでに魂の多くの面が磨かれていて、いかなる出来事にも感謝できるような人は、長く地上にいる必要がありません。

そんな成長した人は、自分ではなく周りの人を成長させるために生まれて来るのかもしれません。

自分の存在を周りの人の魂に深く刻み込んで、成長を願いながら、早々と地上を去る人もいるでしょう。




人生最後の出来事が死です。

いつなのかは決まっているので、避けようがありません。

こうしていれば結果は違ったと悔いたりしますが、何をもってしても変えることはできません。




死には理由があります。

先に逝った人はその理由を知っているので納得しています。

地上の人に思い違いがあれば苦笑し、こちらに来れば本当のことが分かるのにと思っているでしょう。




地上にいるとどうしても地上を中心に考えてしまいます。

私たちの本来の住処は霊界です。

霊界で経験できないことを経験するために地上に生まれ、特別な時間を過ごしています。

目的を果たしたら霊界に戻り、経験が活かされる生活が始まります。

まだ磨かれてない面があることを自覚したら、再び地上に生まれることを志願するでしょう。

2つの世界を行き来しながら、私たちは完全(神)へと近づいています。




寿命は決まっていて、そこには神の完全なる公正が働いています。





2024年11月10日日曜日

霊界にいる人とつながるために


一昔前は、ガンになっても本人に余命は告げませんでした。

死は忌まわしく、恐いものに感じていた人が多く、ショックを与えないための配慮があったと考えられます。

今は、医者が余命を告げないと訴えられる可能性があります。

患者に知る権利があるにはもちろんですが、以前ほど死が恐いものに感じられなくなったせいもあるのかもしれません。



ここ十数年で「霊」や「魂」と聞いただけで拒絶反応を示した人が少なくなり、信じる人が増えて来たと感じています。

それを裏付けるデータがあります。

2017年のPew Research centerの調査によると、アメリカにおいて「無宗教」だがスピリチュアルな信念(魂の存在を含む)を持つ人が増えていて、特に1980年代生まれ以降の若年層(いわゆる「ミレニアル世代」や「Z世代」)では、「宗教を持たないが魂や霊的存在を信じる」人が急増していて、無宗教者の中でスピリチュアルな概念(魂の存在)を信じる割合は、過去15年間でおよそ30%以上増加したそうです。

死や霊的なことがタブーでなくなり、普通に語られるようになり始め、意識が変化しているのは確かなようです。



この変化は一過性のものではなく、永続的に進行して行きます。

何故なら、魂が存在しているのは紛れもない事実だからです。



魂の存在が信じられる人が増えて行ったらどうなるのでしょうか?

地上と霊界とのつながりが深まって行くと考えられます。



私たちは肉体を携えた魂です。

そのため霊的な感覚が生まれながらに備わっています。

ところが霊的な感覚は、肉体が持つ五感よりはるかに微弱です。

電車に乗った時に、合い向かいの長椅子に座っていた7人全員がスマホを見ていました。

日常生活において、スマホやパソコンを見たり、作業をするなど、五感を働かせて頭を使っている時間が極めて多いです。

五感を働かせて頭を使っている時は、相対的に霊的な感覚は弱くなっています。



もしそうならば、五感や頭の働きを弱めることで、霊的な感覚は強くなるはずです。

目や耳から入る情報が遮断される環境、静かな部屋で目をつむって、何も考えずにいるだけでも(五感や頭の働きは弱められて)霊的な感覚は強くなるはずです。

スマホやパソコンを見るのをやめて、心を空っぽにする時間を持つことは、霊的な感覚を保つために必要と思われます。



霊的な感覚が強くなっている時に、霊界とのつながりも深まっています。

つながりを通して、インスピレーション(思念)を受け取ることもあるでしょう。

インスピレーション(思念)を受け取ると、イメージとして浮かび上がることがあります。

ふと湧いたアイデアや概念は、霊界から届けられたものなのかもしれません。

私は眠りから覚める直前にインスピレーションを受け取ることが多いです。

忘れてしまうのを防ぐ、霊界にいる人の配慮と考えられます。



霊界の人が、地上の人に「うれしい」と伝えたいとします。

「うれしい」という言葉で伝えるのは、霊界にいる人にとって至難の業です。

言葉は五感を通して伝えるために存在する、地上だけの思念の代用品だからです。



「うれしい」の本質は想いです。

その想いは、霊的な感覚を通して伝えるしかありません。

霊的な感覚によって受け取った想いが、言葉に変換されなかったとしても、地上の人に何らかの変化をもたらすかもしれません。

何も考えていないのに、思わず笑みがこぼれた時は、うれしい想いが伝わって来たのかもしれません。

過去に地上の人を愛しむ霊界にいる人の想いが伝わって来た時のことですが、私には何の感情もないのにもかかわらず涙が溢れて来ました。

霊界にいる人の想い(愛)が、地上の人の涙によって表現されることがあります。



霊的なものが見えなくなる地上において必要なのは信じる心です。

「自分を愛してくれている存在といつもつながっている。」

そう信じることで、霊界にいる人とのつながりが深まります。

つながりが深まるほど、地上の人に想いを伝えやすくなります。



地上にいる人同士でも、言葉を超えて相手の想いが伝わって来ることがあります。

一卵性双生児の中には、相手の考えていることや望んでいることが分かる人たちがいます。

肉体だけでなく、魂も似通っているために同調しやすく、無意識の内に想いを交わし合っていると考えられます。



つながりが深まるのに従い、霊界の人から受ける影響も大きくなって行きます。

思いもよらずに行動してしまった、あるいは行動したくない衝動にかられた時は、霊界の人からの想いに知らずに反応している可能性があります。

良心の声に従わせるような想いを投げかけて来ることもあるでしょう。

霊界にいる人は、地上の人の成長を願っているからです。



霊的な能力がある人しか霊界からのメッセージを受け取れない時代から、特別な能力を持たない人でも受け取れる時代になって来ていると感じています。

地上全体が少しずつ霊的に進化して、霊界とのつながりが深まって来たからだと思います。



霊的な感覚は、五感とは別次元のものです。

いくら耳を澄ましても、想いを「聴く」ことはできません。

何も聴こえないからと言って、何も伝わって来ていないと判断するのは誤りです。

心が急に明るくなったり、内側から温かくなるのを感じたり、見守られているような気がした時は、言葉にならない想い(愛)を受け取っているのかもしれません。

そんな時は、次元を超えてつながっていること、変わらずに愛されていることを、霊界に向かって感謝しましょう。





2024年11月3日日曜日

持っているものを分け与える


霊界が最も憂いている地上の出来事は何でしょうか?

戦争と飢餓だと思います。

9人に1人が飢餓状態にあり、毎日2万5千の人が飢えで亡くなっていると言われています。

さまざまな要因により起こりますが、根本には霊的な知識の欠如があると考えられます。



聖書に書かれている「金持ちとラザロ」の話を思い出します。

豪華な衣装をまとい、毎日贅沢な生活を送っていた金持ちがいました。

そこに貧しく病気に苦しんでいたラザロが訪ねて来ます。

ラザロは食卓から落ちるパン屑を求めましたが、金持ちは無視し続けました。

やがてラザロと金持ちは亡くなります。

死後、ラザロは天使に連れられてアブラハムの元に行き、慰めを受けるようになります。

一方、金持ちは地獄で苦しみ、遠くに見えるアブラハムとラザロに助けを求めます。

金持ちは、自分の舌をラザロに冷やしてもらうことを願いますが、アブラハムは立場が逆転したことを説明し、両者の間には大きな溝があるため、行き来することはできないと告げます。

自分の家族に警告するためにラザロを送ってほしいと金持ちは懇願しますが、アブラハムはたとえ死者が復活して伝えても信じることはないだろうと断言します。(ルカによる福音書より)



地上に生まれると、五感を頼りに生きるようになります。

そのために、目に見えるものが全てと錯覚してしまいます。

お金よりも大切なものはないと思っている人は少なくありません。



目に見えるものには永続性がありません。

お金や肉体は消えてなくなる運命です。

目に見えないものに永続性があります。

生命の本質である魂は不滅です。

魂から生じている愛も不滅です。

愛より大切なものは、この宇宙に存在しません。



目に見えない法則(因果律)が働いています。

自分の行ったこと、言ったこと、想ったことに対して、相応の結果がもたらされます。

金持ちは、この(霊的な)知識がなかったために、死後に苦しむことになります。

持っている者は、持たざる者に分け与えなければいけなかったのです。



なぜ分け与えなければいけないのでしょうか?

肉体は独立して存在していますが、生命(魂)は霊的につながっています。

けれども、普段通りの生活をしていて、つながりを意識することはありません。

何かの出来事をきっかけにして意識することがあります。



2011年3月11日に東日本大震災が起きました。

津波により多くの人が亡くなり、街全体が流されました。

その後「絆」という言葉を良く耳にしました。

それは、悲惨な出来事を経験して、眠っていた魂が目覚めて、目に見えない霊的なつながりを意識するようになったからだと考えています。



他人の身体の痛みは分かりません。

けれども、心の痛みが分かる時があります。

想いを共有することもできます。

もらい泣きや、もらい笑いをしてしまうのは、霊的につながっているため、想いが伝わって来たと考えられます。



離れた場所にいても、ヒーリングはできます。

携帯電話同士が電子的につながっているので会話ができるように、人と人は霊的につながっているので力を伝えることができます。


地球は大きいです。

けれども無限大の宇宙から見れば点のような存在です。

宇宙の中で、地球は1つのユニットとして創られたと考えられます。

地球上の全ての生命は、全体のために何らかの役割りを果たしています。

それぞれが役割りを果たすことで、神が計画した通りに全体が機能します。

植物は動物のために、動物は植物のために、お互いに役割りを果たしています。

全体のために必要とされていない生命は地球に存在しません。



神の心は、全体を想う心です。

全体のために役割りを果たすことで、神の心を表現していることになります。

神の心を表現することで、ばらばらに存在している生命に調和が生まれて、霊的に一体となって行きます。



金持ちが苦痛を味わったのは、(全体のために)分け与えなかったのが、神の心に反した行いだったからです。

地上にはすべての人に行き渡るだけのものがあります。

現実はラザロのような人がたくさんいます。

持っている者が、持たざる者に分け与えていないからであり、同じ罪を犯していることになります。



霊的真理は、お金よりもはるかに価値のある財産です。

持っている者は、持たざる者に分け与えなければいけません。

持っていることで満足していると、金持ちと同じようになってしまいます。

地上を悩ましている出来事は、真理が広まれば根本的に解決されることから考えると、それ以上の罪になるのかもしれません。



真理を伝えたいと意念を発することで霊界が動き始めます。

必要としている人が導かれて来て、自身に起きていること話し始めるでしょう。

そんな時こそ、持っているものを分け与える絶好の機会です。



何よりも大切なのは、伝えたいと言う想いです。

想いがあれば、インスピレーションにより適切な言葉が自然に生まれることも多いでしょう。

それを素直に伝えれば良いのです。