2024年7月28日日曜日

霊界で成長するために


「魂は肉体の奥深くに埋もれているために、それを目覚めさせるにはよほどの体験を必要とします。」

これはシルバーバーチの霊訓の一節です。


今月、アメリカ合衆国の大統領候補であるトランプ氏が銃撃されました。

弾丸は右耳をかすめ、流血していました。

興味深かったのは、銃撃後の最初の演説でした。

それまでの険しい表情は影を潜めて、とても穏やかそうに見えました。

「これは、私に与えられた国を一つにまとめるチャンスだ」だと言って、準備されていた対立候補を批判する内容から、団結や協調を訴えるものに変更されました。

その様子を見て、九死に一生を得た体験によって、トランプ氏の魂が目覚めたのではないかと思いました。

「魂を目覚めさせるためのチャンスは地上の人間の一人ひとりに必ず訪れています。神は完全です。誰一人忘れ去られることも無視されることも見落とされることもありません。誰1人として自然法則の行使範囲からはみ出ることはありません。その法則の働きによって、1つ1つの魂に、目覚めのためのチャンスが用意されているのです。」と、シルバーバーチは言っています。

「神に護られた」と言っていましたが、間一髪で助かったのも、守護霊の働きかけがあったのかもしれません。

そのままでいて欲しかったのですが、その後の演説を聴くと、以前のトランプ氏に戻ってしまったようです。

「目覚めるまでに至らなかったとすれば、それは本人が悪いというべきではなく、せっかくのチャンスが活用されなかったと言わねばなりません。」と、シルバーバーチは続けて言っています。

目覚めかけていた魂は再びエゴに覆い隠されチャンスを逃してしまったように感じられました。



地上の人間は、「肉体」「精神」「魂(霊)」の3者が一体となった存在です。

地上に生まれると、肉体と魂の間に精神(地上的な自我が形成され、活動するようになります。



眠ると魂は霊界に赴きます。

肉体に代わって霊体で自己表現するようになり、霊体と魂の間に存在する精神(霊的な自我)によって活動するようになります。



普段の生活では地上的な自我が優位に働いていますが、いざ深刻な出来事が起きると状況は一変します。

俗に言う「魂が目覚めた」状態となり、それまで陰に隠れていた霊的な自我が前面に出て来ることがあります。

傍から見ている人にとって、別人になったように感じられますが、そうではありません。

眠っている時に自己表現している、本来の自分表に出て来ただけです。



地上的な自我は、肉体と密接に結びついています。

そのために、自己保存的な欲求が強いです。

断崖絶壁の上に立つと怖くなるのは、地上的な自我の働きによるものです。

もし地上的な自我が存在しなければ、高所にいても全く怖さを感じないために、崖から落ちてしまう可能性があります。

お金が少なくなると心配になるのも、地上的な自我の働きによるものです。

地位があれば、生きて行く上で有利になるので、地上的な自我の欲求は満たされます。

地上的な自我は、肉体を守り、快適に生きるためになくてはならないものですが、その働きが強くなり過ぎると、生まれて来た目的を果たせなくなる可能性があります。



地上に生まれて来た目的は、自分(魂)を成長させるためです。

生れる前に立てられた人生計画に従って生きて、魂に内在している神性を発揮することにより成長して行きます。

地上的な自我の働きが強くなると、相対的に霊的な自我の働きは弱くなり、神性は発揮されにくくなります。


朝、目覚めると、霊的な自我から地上的な自我に切り替わり、今日の仕事の内容が頭の中に浮かんで来ることが多いです。

難しい仕事があったりすると、地上的な自我の働きがさらに強くなり、心配が生じる時があります。

シルバーバーチは「取り越し苦労」をしてはいけないと何度も言っています。

そうは言っても、地上は不完全な世界であり、思うように行かない時もあります。

あらゆる事態を考えておくのは必要です。

けれども、それに付随して負の感情を抱いてしまうと、守護霊をはじめとする霊界の存在からの援助を受け取りにくくなるので、気を付けなければいけません。


VV191  NASA公開画像より

自然法則の働きによって、宇宙は経綸されています。

私たち(生命)は、法則の働きに従って、進化成長しています。



困難や障害を乗り越えようとする意志は、自然法則の働きに適っているので、成就させるための力が魂に流れ込みます。

その意志を、霊界にいる存在がキャッチすると、インスピレーションを送って支援します。

自分を信じることで、内在する神とつながりが強くなり、進んで行く力が湧き上がります。

勇気を出して、自分を信じて進んで行けば、2重3重の援助が得られるので、何とかなるのです。



大切なのは、霊界とのつながりを常に意識しつつ、強い意志を持つことです。

生れて来た目的を果たすために、感情に打ち克って、前に進んで行かなければならない時があります。

地上的な自我から生まれる「感情」よりも、霊的な自我から生まれる「意志」が優ります。

進もうとする意志を持つことで、感情に打ち克つことができます。



肉体を使って表現しないと何も始まらないのが地上です。

表現する意志を持つことが、生きて行くために求められます。

死んで霊界に行くと状況は一変します。

思念は直ちに具現化するために、地上のように(肉体で表現するための)意志は必要なくなります。

意志を持たなくても、生きて行くことができます。



私たちを生かしているのは、神的なエネルギーです。

そのエネルギーによって個々の生命は進化成長して行きます。

霊界は何もしなくても生きて行ける世界ですが、何もしなければ進化成長もしません。

進化成長しようとしないのは、神の意志に明らかに反しています。



そのことに気付いた魂は、因果律の働きによって、地上に生まれます。

何かをしなければ生きて行けない地上を生きることで、霊界で成長するために必要な意志を培っていると考えられます。



地上で意志を培うには、魂が目覚めた方が有利です。

どん底に突き落とされたり、危機的な状況に陥る経験により、魂が目覚めて、何をしたかったのか、何をしなければいけないのかに気付いて、自分の意志で生き始める人がいます。



地上では、霊的なものが全く見えなくなります。

経験することでしか、霊的に大切なものは見つけられません。



最も大切なのは、誰かのために何かをすることです。

誰かのために何かをしようとする意志を持つことは、地上に生まれて来た大きな目的の1つであり、その意志が培われることで、霊界で自律的に成長できるようになります。





2024年7月21日日曜日

神的エネルギーによって生かされている


愛の対極は憎しみと言われます。

ただ、愛と憎しみが生まれるところは違うと考えています。



地上の人間は、肉体、精神、霊から成り立っています。

霊は霊的次元、精神は精神的次元、肉体は物質的次元にあるので、私たちは3つの次元にまたがった存在ということになります。



霊の核心である魂は、神の心(意識)の一部です。

表現が適切でないかもしれませんが、魂は愛を帯びた神的エネルギーの噴き出し口と私は考えています。



霊からは、意志(思念)が生じています。

精神(自我)は、その意志(思念)を肉体を使って表現するためにある媒体です。

肉体と密接に結びついているために、自己保存(利己)的な性質を帯びています。



魂から生じた意志は、精神を活動させるエネルギーとなります。

そのエネルギーにより、精神で思考が行われ、肉体に指令が出され、表現されて完結します。


火事で建物の中に取り残され、助けを求めている人がいたとします。

その光景を見た瞬間、魂から噴き出している神的エネルギーによって「助けなければ」と言う意念が生じます。

ところが、肉体を守ろうとしている精神(自我)は「助けに行くと自分まで死んでしまう」と考えます。

助けようとする意念は、精神(自我)の働きによって、怖れへと変わります。



魂から生じている意念が、精神の働きによって感情に変わることは良くあります。

夫婦のどちらかが不貞を働いて、一方が裏切られたと知った時、愛情は一瞬にして怒りや憎しみに変わることがあります。

大切な人が亡くなると、愛情がたちまち悲しみに変わります。

「神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。」とシルバーバーチは言っています。

怒りも悲しみも、神的なエネルギーが形を変えたものと言えます。


ガザに暮らす人たち

多くの人が怒りや憎しみ、そして悲しみや怖れを抱えながら生きています。

地上を生きて行く上で、精神(自我)はなくてはならないものです。

しかしながら、精神(自我)から生まれる負の感情に支配されていると、成長の妨げになります。



肉体、精神、魂の3者の間には、ヒエラルキーが存在します。

肉体より高位に精神があるので、肉体は精神に従います。

精神より高位に魂があるので、精神は魂に従います。



イエス・キリストは「全き愛は恐れを締めだす」と言っています。

愛は魂から生じているエネルギーで、精神から生じている恐れ(感情)のエネルギーよりも強者なので、締め出すことができます。

また「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とも言っています。

怒りや憎しみを抱えて苦しんでいる人は、(非常に難しいのですが)対象を愛することによって、苦しみから解放されると伝えたかったのではないかと考えています。



人間だけではなく、動物も同じです。

以前、山中を放浪していたラブラドール犬を見つけ、捕獲しました。

ジョン君と名付けて、家で保護することにしました。

怒鳴られたり、追い回されていたからでしょうか、しばらくの間、私たちのことが信じられず様子を窺っていました。

幸運にも、飛び切り愛情深いご夫婦の家族として迎え入れてもらえました。

数年後には、怖れは完全に払拭され、今までの孤独な日々を取り戻すかのように甘えるようになっていました。

愛は負の感情を取り除く力を秘めていると、改めて感じました。

安心して甘えるようになったジョン君



愛は自分で作り出すものではありません。

同調することで神とつながり、そのつながりを通して魂に流れ込んで来ると考えられます。

自分以外のために、何かしようと想うことで、同調すると考えられます。

神とのつながりが強くなるほど、ふんだんに愛が流れ込みます。

流れ込んできた愛によって、肉体によって表現したくなる衝動が生まれます。



自分を成長させる方向に進んで行く時もそうです。

勇気を出して挑戦しようと一歩を踏み出した時に、それを成就させるための神の力が流れ込んで来ます。

神の意志は、私たちを進化成長させることにあります。

魂から生じた意念と、神の意志が一致した時、神の力が流れ込んで来ると考えられます。


神とのつながりを強くするためには、まず神の存在を信じなければいけません。

神は全存在であり、全法則と考えられます。

全存在の中に神が存在しています。

もちろん、自分(魂)の中にも神が存在しています。



神を信じるとは、自分を信じることかもしれません。

自分を信じることは、自分の中にいる神を信じることにつながり、困難や障害を乗り越えて行く力を受け取ることができると考えられます。



自分を信じるのは簡単そうで難しいです。

精神(自我)が過去を思い出したり、取り越し苦労をして、信じるのを妨げるからです。



信じる意念は、魂から生まれています。

精神(自我)は魂に従います。

強く自分を信じることで、自我の働きによって作り出された考えや感情は一掃されます。



意念(意志)を持つことで、精神(自我)から生じる思考や感情に振り回されずに済みます。

意念を出している時、例えば仕事を成し遂げようとしている時には、捉われていた感情から解放されています。



人間は神的エネルギーによって生かされています。

そのエネルギーにより、魂で何らかの意念(意志)が生じ、肉体を活動させています。

同じエネルギーによって、世界全体も活動しながら進化して行きます。



同じ場所に留ろうとすると苦しく感じるのは、進化している全体の流れに逆らっているせいかもしれません。

神的エネルギーによって生かされているのであれば、苦しくても進んで行かなければいけません。



私たちは、神の法則に従って、永遠に進化成長して行く存在です。

神的エネルギーに内在する神の意志に、抗うことはできません。






2024年7月14日日曜日

高みに導かれている


人生にはブループリント(計画)があります。

ブループリントに従って人生は展開して行きますが、約20年前にそのことを実感しました。

望んでもいなかったのに、ヒーリングの力が突然出現しました。

ほどなく、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に巡り会いました。

そして、経験したことのない苦難が始まりました。

この人生を変える3つの出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きました。

いくら鈍感な私でも、偶然ではなく、計画的に起きていると思わざるを得ませんでした。



順番やタイミングは絶妙でした。

ヒーリングの力が出なければ、真理とは無縁だったでしょう。

続けて苦難が起きなければ、真理は私の前を素通りして行ったでしょう。



その頃の私には、1つの夢がありました。

同業の親から独立して、歯科医院を開業しようと思っていました。

土地は既に購入してあり、建物の図面も引いて、さあ始めるぞと思った矢先に、苦難が始まりました。

状況はどんどん悪化し、想定された中で最悪の結末を迎えました。

明日をも知れぬ日々を過ごす中で、救いとなったのがシルバーバーチの霊訓でした。

「乗り越えられない出来事は起きない」この真理にしがみつきました。



夢だった開業は叶いませんでした。

それでも、開業した時に費やされたであろう時間と労力を、ヒーリングやブログを書くことに回すことができたので、全く悔いはありません。

霊的な奉仕は、開業よりもはるかに重要と考えています。

代わりになる歯医者はいくらでもいますが、真理を伝えている人は周りに見当たらないからです。

私の計画に開業はなかったのです。



予定されていた計画があるにしても、その通りに生きているのだろうか? 

ふとそんなことを考えてしまいます。

最善を尽くせなかったことはたくさんあります。

そんな時、シルバーバーチのこの言葉が目に留まりました。

たった一人でいいのです。全てが陰気で暗くわびしく感じられるこの地上で、元気づけてあげることが出来れば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。

救われると同時に、大きな愛を感じました。



もし真理と出会っていなければ、致命的に思える処分を受けて、人生の負け組に転落したと嘆いていたでしょう。

人生に勝ちも負けもありません。

それぞれが予定されていた人生を歩んでいるだけです。

負けに思える出来事は、生まれて来た目的を果たすために起きていることがあります。



以前、ボランティアで行っていた肢体障がい者施設に、身体をほとんど動かせない人がいました。

ベッドの上で1点を見つめたまま、身じろぎもせず過ごしてしている人を見て、何のために生まれて来たのだろうと思いました。



身体の自由が奪われた肉体で一生過ごすことを承知して、その人は生まれて来ています。

もし、生まれる前にそんな人生を提示されたのならどうでしょうか?

ほとんどの人は、自分には耐えられないと、しり込みするでしょう。



経験を積んだアルピニストは、より難度の高い山を目指します。

誰でも登れる山では、心身の鍛錬や登山技術の向上につながらないからです。



それと同じで、向上した魂には、難度の高い人生が提示されます。

生易しい人生では、さらなる向上は望めないからです。



肉体の自由を失ったら何もできません。

自分の存在を忘れられたり無視されたら、数日で死んでしまいます。

他者(の施し)を信じるしかありません。



置かれている状況を受け入れなければいけません。

他者からどのような対応をされても受け入れなければいけません。

寛容な心が要求されます。



1人では生きていけないことを身を持って経験しています。

生かしてくれている人たちに感謝します。



肉体の動きがなくても、魂は活動しています。

信じ続けることが求められ、寛容な心が養われ、感謝の想いを積み重ねていると考えられます。

生きている時間の全てが、そのことにつながっています。



その人は最高難度の人生に挑戦しているのかもしれません。

もしそうならば、哀れみを持つのは失礼であり、その勇気に敬意を払うべきだと思います。





地上での人生経験の乏しい人には、難度の高くない人生が提示されるでしょう。

何不自由のない身体と環境が与えられ、地上的なもの(金銭や地位)に恵まれて、大禍のない人生を送るかもしれません。

往々にして、難度の高い人生は不幸せに、易しい人生は幸せそうに見えます。

それは上辺であり、霊的な真相は全く違います。



計画された通りに行くとは限りません。

進む方向を決める自由が、私たちに残されているからです。

計画などすっかり忘れてしまっている地上の人が、進むべき方向を間違わないように、守護霊が付いて導いています。

迷った時は、インスピレーション(守護霊の導き)を信じましょう。



神は「法則」です。

そして「愛」です。

法則の働きの中に、神の愛が顕現しています。

全ての事象は、法則の働きによって起きています。

生まれて来るのも死ぬのも、法則の働きによるものです。

予定されていた出来事が、法則(因果律)の働きによって、最善のタイミングで起きています。

もし、法則の働きの中に神の愛が顕現しているのであれば、出来事は苦しませるために起きているはずはありません。

高みに導くことで、自らの心(愛)を私たちを通して顕現させるために起きていると考えられます。



「乗り越えられない出来事は起きない」という真理に私は救われました。

挫折させるためでも、人生を壊すためでもなく、望ましい自分に変わるために起きていたと、今は確信しています。

自分が変わることによって、それまでの苦しみから解放された時に、その出来事は乗り越えられたと考えられます。



さまざまな出来事を乗り越えて来た末に、ようやく死に辿り着きます。

それまでの苦しみは嘘のように消え、あるのは生き切ったという達成感です。

地上の人生を振り返る時が来て、出来事の意味(目的)を知ります。

その出来事が魂を目覚めさせ、大切な学びを得て、自分を変えていたことが分かるでしょう。



険しい人生で、苦しくつらい思いをした人ほど、霊的な高みに到達しています。

生れる前の自分は、高みに立てた悦びを感じるために、この人生を選んでいたことを思い出します。

予定されていた学びや成長が得られたのなら、次の世界でより価値のある奉仕ができるようになっています。


平地を歩いているのは楽です。

でも、何か物足りなさを感じます。

しばらく歩いていると、険しい山が見えて来ます。

その頂に立って、見たことのない景色を見てみたい欲求が再び生まれて、そちらに向かって歩み始めます。



つらく苦しい思いをするのが分っているのに、この人生を選んで生まれて来たのは、より自分を成長させたいという強い欲求があったからに他なりません。

成長することは、生きる意味そのものです。

つらく苦しい時ほど、地上を生きる意味を成就しています。

より高みに導かれています。






2024年7月7日日曜日

愛の存在を信じられる人はあの世の存在も信じられる


古今東西を問わず、権力者は老いや死を恐れているようです。

2000年以上前の中国で絶大な権力を誇った秦の始皇帝もその1人です。

徐福という家来に、不老不死の薬を見つけて来るように命じました。

徐福は東方にその薬があると聞き、海を渡り日本に来て、そこで死んだという伝説があります。

和歌山県の新宮市には、徐福の墓があるとされています。

徐福の墓 建立1736年 新宮市HPより

人間が地上を生きる年月は決められています。

どんなことをしても、寿命は延ばせません。

権力者は、幻を追い求めていたことになります。



目の前に不老不死の薬があったとします。

その薬を飲んでも良いと言われたとしても、私は絶対に飲みません。

死は肉体から意識の解放です。

地上生活の卒業です。

その先に大きな自由が待っているのに、何故、自分から放棄する必要があるのでしょうか。

真理を知った私にとって、不老不死の薬は猛毒のように感じられます。



権力者に限らず、死んだらお終いだと信じている人は少なくありません。

そんな人は、きっとこう言うでしょう。

「終わりでないのであれば、その証拠を見せて下さい」



死後の世界は、地上とは次元が異なるために、残念ながらお見せすることはできません。

証拠がないのならば信じるしかありませんが、あの世の存在を説くべき宗教が、人間の作ったドグマに固執して関係のないことばかりを言っています。

これでは信じられなくなるのも無理はありません。



「パスカルの賭け」というのがあります。

物理学者であるパスカルが、神が存在するのか?それともしないのか? どちらを選んだ方が賢明なのかを、科学者らしい観点から述べています。

神が存在するのを選んだ方が賢明と、パスカルは言っています。

そちらを選んでおけば、少なくても賭けに負けることはないからです。



あの世についても、信じていた方が賢明です。

信じていて、実際に存在していれば、その通りだったと思うだけです。

存在しなかったとしても、無になるので、間違っていたと悔しがることもありません。

信じていないで、あの世が存在していた場合は、混乱は避けられないでしょう。



死んだら終わりだと思うと、したいことをしようとする気持ちになります。

問題なのは、どんなことをしても、無になってしまうので構わないだろうと考える人がいることです。

自分の想ったこと、言ったこと、行ったことに対して、自然法則が働いています。

相応の結果が生じて、反していれば苦痛による償いが発生します。

嘘を付いたり、悪いことをするのがいけないのは、道徳的な問題ではありません。

霊的な法則に反しているからです。

あの世がないと信じている人の多くは、そんな法則など存在しないと思っているので、この世で罪を重ねてしまう可能性があります。



誰が何度やっても同じことが起きるのが法則です。

地面に物が落ちるのも水が100°Ⅽで沸騰するのも、(物質的)法則の働きによるものです。

愛されると悦びを感じます。

愛する人との別れは悲しみを感じます。

これも誰が何度経験しても同じです。

感情が生まれるのも、(精神的)法則の働きによるものです。



生れるのも、成長するのも、老いるのも、死ぬのも、自然現象の一環です。

自然現象に偶然はなく、自然法則の働きによって起きています。

法則の働きによって起きているので、完全な公正が保たれています。

証明することのできない法則も、信じるしかありません。



証明することができないけれども、存在しているものは他にもあります。

それは「愛」です。



愛は霊的次元の存在です。

従って、五感に触れません。

霊的次元に存在する愛は、この世では体験を通して感じ取るしかありません。


ある出来事が、第二次世界大戦下のアウシュビッツ強制収容所で起きました。

収容所から脱走者が出たのです。

罰として、同じエリアにいた人たちの中から無作為に10名が選ばれて、連帯責任を取らされることになりました。

その内容は残酷極まるもので、部屋に閉じ込めて飢死させるものでした。

選ばれた1人の男性が思わず「私には家族がいる」と叫びました。

それを聞いていたゴルベという神父が、自分が代わりになると申し出ました。

申し出は聞き入れられ、ゴルベ神父はその男性に代わって部屋に入り、2度と生きて出て来ることはありませんでした。(最期まで讃美歌を唄って励ましていたそうです)

身代わりになってもらった人が、強烈に感じたのは「愛」です。

収容所から解放された後、自分が体験して得たことを世界各地で講演して回ったそうです。



あの世は深遠な愛の世界です。

愛は宇宙を進化させる根源的なエネルギーであり、あの世では実感を伴います。



地上では酸素を含んだ空気により私たちは生かされています。

あの世では愛を帯びた生命エネルギーが充満し、それによって生かされています。



生きる目的は、自分(魂)を成長させることにあります。

苦難を乗り越えて行くこと、愛を表現することで、人は成長して行きます。

多くの苦が取り払われているあの世では、他者に愛を表現することで目的が成就されると考えられます。



地上の空気と同じように、あの世では愛はありふれた存在です。

ありふれているがゆえに、その意味や大切さに気付けない人がたくさんいます。

かと言って、誰かに教えてもらうわけにも行きません。



空気が少なくなると、途端に息苦しくなります。

息苦しくなることで、空気の存在が強烈に意識されるようになります。

生きて行く上で欠かせないものであることを知ります。



愛も同じです。

霊的な感覚が前面に出ているあの世では、何もしなくても愛を意識することができます。

ところが、地上に生まれると肉体(五感)によって遮られて、意識できなくなります。

深甚な体験をすることによって、魂が目覚めて、霊的な感覚が蘇り、再び意識されるようになります。

収容所で身代わりになってもらった人ではありませんが、極限まで追い詰められる体験によって、愛が最も大切であることに気付いて、後の成長へとつながって行く人がいます。



ありふれたものほど大切です。

けれども、長く同じ状態でいると、それが分からなくなってしまいます。

あの世でありふれた存在になっている愛を、五感で感じられなくなる地上において、体験を通して改めて意識し、新たな学びを加えるために生まれて来た人もいます。



魂に刻み込まれた霊的な学びは、あの世に持ち帰ることができ、全て活かされます。

新たな学びが加えられ、深みを増した愛によって、より次元の高い奉仕ができるようになります。



愛を表現することで個々の魂は成長し、それが全体の進化へとつながっています。

全体に調和が生まれて、美しさを増しながら、1つになって行きます。



愛の存在を信じられる人であれば、あの世の存在も信じられるはずです。

愛が生まれているのも、感じているのも、同じ次元に存在している魂です。

肉体から完全に離れた魂が赴く先が、あの世です。

そこが真の住処です。


くぅとしの「認知症の犬しのと介護猫くぅ」より