ラベル 意志 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 意志 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年7月27日日曜日

真実を伝えたいと言う意志を持つ


40年来の友人が今月初めに、突然亡くなりました。

少し前から体調が良くなさそうだったので心配はしていましたが、まさかでした。



このブログにも書いた2年近く前に亡くなった友人とは、同じハーレーに乗っていたこともあり、旧知の仲でした。

「ずいぶん早いじゃないか」と迎えられたのではないかと思います。



機会があれば、周りの人に魂やあの世の存在を教えていましたが、彼はまだでした。

あの世などあるとは思ってもいなかったでしょうから、自分が置かれている状況に少し戸惑っていると想像されます。

きっと自宅のいつもの場所にいて、家族の様子を眺めていると思います。



人はいつ死んでもおかしくありません。

妙なことを言うやつだと思われても、真実を伝えておけば良かったです。



話は変わりますが、私の患者さんにがんを患っている人がいました。

インプラント治療をして、何でも食べられるようになりたいと言っていました。

1年以上に及ぶ治療が終わったところで、急にこの人と話をしたくなりました。

仕事部屋に呼び入れて、ご自身の病気について少し話をした後に、「肉体は死んでなくなっても意識は変わりなく存在し生き続けます。」と伝えました。

そんな言葉が私の口から出たので驚かれたでしょうが、その後に笑みを浮かべられていました。



しばらくして、新聞のお悔み欄でその人の名前を見つけました。

あの笑みは、求めていた真実が聞けたからなのかもしれないと思いました。



10年以上前の話です。

私の医院のスタッフのお母さんが、ステージ4の卵巣がんと診断されました。

何かお役に立てないかと思い、休診日にお母さんを医院に呼んで、何回かヒーリングを行いました。

目を閉じていると光のようなものが見えたと感動されていたので、霊力の存在は実感できたのではないかと思います。



残念ながら、その数か月後にお母さんは亡くなりました。

そのスタッフが涙声で報告をして来たので、「お母さんとは必ずまた会えるよ」と伝えました。

すると「先生と出会えて良かった」と、絞り出すような声で言われました。

彼女は、その真実が聞きたかったのだと思います。



霊的な真実を求めている人がいます。

そんな人に、知っている人が伝えるのは極めて重要です。

けれども、どこにいるのかは分かりません。



霊界にいる人たちには、地上の人の心が見えます。

誰が、どんな真実を求めているのかが分かります。

求めている人が、真実に辿り着けるように、霊界の人たちは腐心していると思います。



残念ながら「シルバーバーチの霊訓」を書店で手にすることはできなくなりました。

著者のエゴが反映されている書籍がたくさんある中で、高い界層から届いた真理が無垢のまま書かれているのがシルバーバーチの霊訓です。

求めている人が、遠回りをせずに、辿り着くことを願うばかりです。



ネットで真実を探している人も多いでしょうが、こちらも玉石混淆です。

何も知らずに、好ましくない団体や人物と接点をもってしまう人もいます。



霊界の人たちは、真実を知っている人たちに、導きやすい環境を整えることを望んでいるような気がします。

それは書籍を出したり、サイトを立ち上げたりするだけではありません。



真理の普及は霊界が主導です。

自分の力で広めるのには限界があります。



何よりも大切なのは、「真実を伝えたい」「真実で救いたい」と言う意志を持ち続けることです。

その意志(想い)が霊界に届くことで、求めている人と知っている人を結び付けることが、初めてできます。



「招かれる者は多し、されど選ばれる者は少なし」とイエスは言っています。

知っている人は多いのですが、伝えたいと思っている人は少ないと、霊界の人たちは嘆いているのかもしれません。



伝えたいという意志さえあれば、霊界が導いて来てくれます。

直ぐにではなくても、引き寄せられるように近づいて来る人がいます。

そんな人は、自分でも何で近づいたのか、分からないことも多いです。

霊界の人たちに導かれているなどとは、思ってもいません。



会ったとたんに、これまでのいきさつを話し始めるかもしれません。

これも、霊界の人たちに促されていると考えられます。



一通り話を聞いた後に、心に思い浮んで来るものがあれば、霊界からのインスピレーションかもしれません。

その人が求めている真実(真理)の可能性が高いので、そのまま伝えれば良いのです。



霊界からのインスピレーションは、霊力(愛)を帯びています。

たった一言で人生が変わる可能性があります。



地上の人には、必ず1度は霊的に目覚める機会が訪れると言われています。

その時に、真実を伝えることができたのなら、とても大きな意味を持ちます。

乾いた大地に降る雨のように、求めている魂に真実は浸み込んで行きます。



力む必要も、焦る必要もありません。

救われた真実(真理)により、救われる人がたくさんいることを忘れず、伝えようとする意志を持ち続けていれば良いのです。



出会いは偶然ではありません。

求める想い、伝えたい想いに対する、霊界の回答です。

その意図を汲み取って対応する、霊的な感性が必要とされます。





2025年7月20日日曜日

あの世で喜びを感じながら生きるために


あの世は思念の世界です。

物質の世界にいる私たちの想像を超えた現象も起きるようです。

シルバーバーチの霊訓の中に、こんな問答があります。

「霊界にも電車はありますか?」という問いに対して

「ありません。但し、電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現れます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現れるのです。」と答えています。



あの世では、思ったことが直ちに具現化します。

一方、この世ではいくら思ったとしても、具現化しません。

電車で行きたいと思えば、駅まで行って、切符を買って、乗らなければいけません。

肉体を使って行動に移さなければ具現化しないのがこの世です。

当たり前のようにそうしていますが、実は煩わしい世界に生きているのです。



そんな煩わしい世界に、どうして生まれてきたのでしょうか?

あの世では肉体がありません。

生きるために働く必要もありません。

何もしなくても生きて行けます。

生きる目的は成長することにあります。

何もしなくても生きて行けるのですが、何もしなければ成長することもありません。



周りのために何かをすることで、人は成長します。

何かをする「意志」を培うのが、この世に生まれて来た大きな目的の1つと考えられます。



この世に生まれると、魂と肉体との間に地上の自我が生まれます。

地上の自我の働きにより、意識は自分に向かいます。

自分が1番大切に思えるのも、不安や怖れが生じるのも、この自我の働きによるものです。

意識が自分に向いている時、周りのことは目に入らなくなります。



普段、私たちは地上の自我を前面に出して生きています。

ところが、徹底的に追い詰められる出来事が起きると、それまで眠っていた霊的な自我(魂)が目を覚まします。



霊的な自我が目覚めると、相対的に地上の自我の働きは弱まります。

それに伴って、意識は自分から周りに向くようになります。

お金や地位など地上的なものに向いていた意識は、愛や生命など霊的なものに向くようになります。



本当に大切なものは、五感に触れません。

誰かに教えてもらうのではなく、自らの経験を通して、そのことに気付きます。



ありふれたものほど大切です。

例えば空気です。

あまりにもありふれた存在なので、大切さを意識することはほとんどありません。

けれども、溺れたりして息ができない状態になると、強烈に意識することになります。



死んであの世に行くと、五感は取り払われ、霊的な感覚だけになります。

それに伴い、生命や愛などが身近な存在として感じられるようになります。

ただ、そんな世界にずっといると、空気と同じ様にありふれた存在となってしまい、意識するのが難しくなるのかもしれません。



霊的に大切なものを意識しながら生きるために、この世に生まれて来る人もいると思います。

いざ生まれると、五感に依存するようになるので、霊的なものが感じられなくなります。

中には、生命(魂)や愛など存在しないと言う人もいます。



そんな人でも、命が脅かされるような病気を経験すれば、生命について思いを巡らすようになるでしょう。

霊的に結ばれた人を失う経験をすれば、愛し合う以上に大切なものはこの世界に存在しないことに気付くでしょう。

霊的なものが感じられなくなる世界だからこそ、強烈に意識することができるのです。



あの世ではできない経験を通して、五感に触れない大切なものに気付いて、それを深く学ぶために、この世に生まれて来たと考えられます。

肉体を使って具現化しなければいけない、労苦を伴うこの世を生きることで、あの世で成長して行くための意志を培っていると考えられます。



この世で無駄な経験はありません。

1つ1つの経験が自分を形作っています。



経験から学んだことは霊的な財産となり、あの世に持ち帰ることができます。

霊的な財産が多い人ほど、喜びを感じながら生きることができるはずです。





2025年5月18日日曜日

許すという意志を持つ


今生きている世界と、死んでから赴く霊界では、大きく違うところがあります。

霊界では、周りにいるのは自分と同類の人ばかりです。

一方、地上では、周りにいるのは自分と違う人ばかりです。

そのために、相性が良くない人や、苦手な人がいたりして、人間関係で苦労します。



自分と違う人、例えば肌の色が違う人、言葉の違う人と会うと、どこか隔たりを感じます。

隔たりを感じて避けてしまうと、お互いを理解できなくなります。

理解できていないために、誤解が生まれて、いさかいに発展してしまう時があります。

争いの多くが、お互いの違いを認めなかったり、理解し合えないために起きていると思われます。



争いにより被害を被ると、怒りや憎しみが生まれます。

相手のことが許せなくなると、やり返すことになります。

それが繰り返され、争いは発展して行きます。



怒りや憎しみは、地上的自我から生まれます。

地上的自我は、肉体で自己表現するための(精神の)媒体です。

死んで霊界に行くと、肉体はなくなり霊体で自己表現するようになります・

それに伴って、霊的自我が媒体となります。

地上的自我はなくなるので、怒りや憎しみの感情は生まれなくなります。

普段、私たちはこの地上的自我を前面に出して生活しています。



許せなくなるのは、地上的自我の働きによるものです。

許せなくなると、怒りや憎しみの感情が生じて、心が苦しくなります。

苦しさから解放されるためには、許せば良いのですが、いくら許そうと思って許せるものではありません。



許すのは、地上的自我ではなく、霊的自我の働きによるものです。

霊的自我には神性があります。

神性は、寛容心、親切心、共感力、忍耐力、誠実さ、利他性、公平さ、責任感、思慮深さ、柔軟性、勇気などによって表現されています。



許すためには、神性が発揮されなければいけません。

頭でいくら許そうと思っても許せないのはそのためです。

許そうとする霊的自我と、許すまいとする地上的自我の間で葛藤が生じることがあります。



2つの自我の間で葛藤が起きることは日常的にあります。

道で倒れている人を助けようとするのは、霊的自我の神性が発揮されたからです。

的自我は、自分には関係ない、関わりたくないと考え、その場を去ろうとします

助けるのか、助けないのか、迷う時があります。



神性は、魂が進化するほど発揮されます。

さまざまな経験をしながら、年月をかけて、魂は少しずつ進化して行きます。

従って、一朝一夕に許せるようにはなりません。



それでは、どうやっても許すことはできないのでしょうか?

人間には意志があります。

意志は具現化する力を秘めています。



許さないと言う意志がある限り、当然のことながら許すことは決してありません。

その逆に、許すという意志を持てば、たとえ直ぐにではなくても、許す方向へと向かって行くはずです。



怒りや憎しみの感情は、地上的自我から生じています。

許そうとする意志は、霊的自我から生じています。

地上的自我(精神)の上位に霊的自我があります。

怒りや憎しみはの感情は、霊的自我から生じている許そうとする意志には勝てないので、消えて行くはずです。


自分にある神性を信じましょう。

神性が発揮されて、許せないことは何もありません。



許そうとする意志の本質は、自己犠牲を伴う愛です。

愛によって、内に溜まっている怒りや憎しみの感情は手放されます。

手放された時、対象は許されます。



負の感情に支配されそうになった時、認める、許す、哀れむという意志を持ちましょう。

その意志は、神性を帯びたものなので、感情は鎮まって来るはずです。



シルバーバーチの霊訓から引用します。

「あなたが地上に生まれたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。それは永遠に終わりません。なぜなら神性は無限だからです。神性は自発的に表現を求めます。
それが、あらゆる種類の美徳と善行、つまり、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって表現されます。その量が多ければ多いほど、それを発現している魂は偉大です。」



自我に打ち克って、神性を発現させることが、地上に生まれた大きな目的のようです。

小さなことから、大きなことまで、その機会はいくらでも巡って来ます。

その1つ1つが、魂を進化成長させることにつながっています。


2025年3月23日日曜日

意志は感情よりも強い


ALSと言う病気を聞いたことがある人も多いかもしれません。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動神経細胞が徐々に障害され、筋肉が衰えていく進行性の神経疾患です。

根本的な治療法はなく、呼吸に関わる筋肉が動かせなくなり、最終的に死に至ります。



ALSの患者さんは大きな決断をしなければいけません。

呼吸が困難になって来たら、気管切開をして人工呼吸器を取り付けて延命を計るのか、または自然に任せる(死を待つ)のか、どちらかを選択しなければいけません。



死後の生があるのが分かっていて死ぬのは恐くなくても、息ができない苦しみは避けたいです。

少しでも長く生きて欲しいと家族に懇願されたのなら、心が動かされてしまうかもしれません。

極めて難しい選択を迫られるのは間違いありません。



霊的真理には「乗り越えられない困難や障害は起きない」と書いてあります。

この病気には、治療法がなく死に至ります。

どう乗り越えて行けば良いんだと思われる人もいるでしょう。



病気が進行すると、全身の筋肉は麻痺し(眼球を除いて)動かせなくなりますが、意識は最後まで清明です。

意志の疎通が全くできなくなるのを「Totally Rocked Syndrome(完全閉じ込め症候群)」と言いますが、人工呼吸器を付けて生き長らえたとしても、この状態が死ぬまで続きます。

逃れられない苛酷な現実を前にして、多くの患者さんは絶望と恐怖を感じるようです。

精神的に追い詰められて、それまで眠っていた魂が目覚めて、霊的真理に辿り着く人もいるでしょう。



地上の人間は、肉体を携えた魂です。

本質は魂です。

従って、肉体がいかなる状況に追い込まれたとしても、魂から生まれる意志によって思い通りの自分でいることができるはずです。



けれども、人間には(地上の)自我が存在しています。

肉体や外部の環境から影響を受けて、精神(自我)からはさまざまな感情が生まれます。



精神(自我)よりも魂が上位にあります。

精神から生まれる感情よりも、魂から生まれる意志の方が強いのです。

意志を持つことによって、好ましくない感情は抑えられるはずです。



ALS患者に藤田正裕さんと言う方がいます。

彼は広告プランナーとして第一線で活躍していましたが、30歳の時にALSと診断されました。

次第に呼吸が困難になり、生きるか死ぬかの決断をしなければいけない時が来ました。

肉体に閉じ込められる恐怖はもちろんのこと、家族に金銭的、精神的、身体的な負担や迷惑をかけたくないという理由から、約70%は人工呼吸器を付けない方(死)を選ぶそうです。

1度人工呼吸器を装着したら、倫理的、法律的な問題から外すことは難しくなります。

そんな中で、藤田さんは生きる方を選びました。



藤田さんの魂は目覚めていると思います。

命の終わりを意識することで、生きる意味に気付き、絶望ではなく希望を持って人生を全うしようと決めたそうです。

「END ALS」という組織を立ち上げて、治療法の確立と患者の生活向上支援のための活動を始めました。



絶望や恐怖を感じていたい人はいません。

何かをしようとする「意志」が生まれている時には、絶望や恐怖などの「感情」から解放されています。

逆境の時ほど、感情に翻弄されないために、意志を持つことが必要です。



「死にたくない」と思うのは意志ではなく、自我から生じている願望です。

願望なので叶えられないかもしれないと思うと、そこから負の感情が生まれてしまいます。



「生きる」と決めてしまえば良いのです。

生きて、ALSを終わらせると心に決めた藤田さんは、無用な感情に悩まされにくくなっていると考えられます。

意志は全てに優先されるからです。



以前も書きましたが、戦時下のアウシュビッツ強制収容所である出来事が起こりました。

囚人が脱走して、同じ棟にいた10人が無作為に選ばれ、連帯責任として飲まず食わずで死に至る飢餓刑を科せられました。

選ばれた人の中に、妻子がいることを知ったゴルベと言う神父は、自分が身代わりになることを申し出ました。

身代わりとなり飢餓刑に処せられた神父は、牢内で最期まで周りの人たちを励まし続けたそうです。

「全き愛は恐れを知らず」

このイエス・キリストの言葉をゴルベ神父は証明していたと思います。(神父は1982年に聖人に列せられました。)



聖人でなくても、全ての人は神の愛を持っています。

泣いている子供がいると声をかけたくなるのも、悲しんでいる人を慰めるのも、落ち込んでいる人がいると励ますのも、私たちは神の愛を持っているからです。

駅のホームで転落した人を助けようとして亡くなった人がいますが、死の恐怖より助けようとする意志(愛)の方が優っていたからです。

置かれている状況から生み出される、絶望や恐怖を完全に抑えることのできる最高の意志は愛です。



霊界にいる存在からも、地上の私たちは愛を受けています。

将来のことで怖れや不安が生まれそうな時は、霊界にいる存在とつながっていると強く信じましょう。

霊界から届く愛(想い)により、怖れや不安が和らぎ、あたたかいもので満たされるのを感じることができるかもしれません。

「万策尽き、これにて万事休すとあきらめかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられることがある」とシルバーバーチの霊訓に書かれています。

1人ではなく、霊界にいる存在と共に地上の人生を歩んでいることを忘れてはいけません。



ALSによってたくさんのものを奪われたが、「感謝、希望、人とのつながり」は奪われなかったと藤田さんは言っています。

病気により奪われることなく、最後まで残ったものが、藤田さんにとって最も価値のあるものと思われます。



自らの成長のため、周りに示唆を与えるために、この病気に立ち向かうことを、決めていたと考えられます。

多くの人に支えながら生きている、大きな意味での愛を学んでいます。

自分を表現することの大切さ、勇気や希望を持ち続けることの意味を訴えています。

病気により培われた生きようとする意志は、霊界に行くと誰かのために何かをしようとする強い意志に変わるでしょう。



最後に、シルバーバーチの霊訓のこの一節を、病気に苦しむ人に捧げます。

「時として厳しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。『自分は神の一部だ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界でくじけるものか』と。そう言えるようになれば、決してくじけることはありません。」





2025年2月23日日曜日

成長して行くための意志を培っている


人間の行動には、必ず意志が先行しています。

何を食べるか、何を着るか、どこに行くかなど、自分の意志で1つ1つ決めながら、行動しています。

今、このブログを見ているのもそうです。

意志が生れなければ、何も始まりません。



行動しなければ、生きていけないのが地上です。

生活するために働かなければいけませんし、家事もしなければいけません。

私たちは、行動する意志を持ち続けながら生きています。


死んで私たちが行く世界は違います。

肉体がないので、生活するために行動しなくても済みます。

意志を持たなくても生きて行ける世界です。


生きる目的は、霊的に成長することです。

シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「魂は親切、寛容、同情、愛、奉仕を通して成長するのです。」

愛を表現することで人は成長しますが、表現しようとする意志がなければ何も始まりません。

目的を果たすために、意志を持ち続けなければ生きて行けない地上に生まれると考えられます。



霊界では、意志(意念)が直ちに具現化します。

地上は物質(肉体)を介して、具現化することになります。

例えば、希望する学校に入りたいと思えば、試験を受けて合格しなければならず、そのために勉強をしなければいけません。

意念を具現化するために、肉体的、精神的な労力を必要とします。

地上では、労力が報われるとは限りません。

たとえ報われなかったとしても、それまでの労力は意志を培うことにつながっています。



小学校低学年の時に、九九(掛け算)を覚えました。

その時は、何でこんなものを覚えるのだろうと思いました。

ところが後になり、九九が生活して行く上で活かされることを知りました。

漢字もそうであり、覚えていて良かったと思う時があります。



人生で起きる出来事もそうかもしれません。

その時は、何でこんなことが起きたのかと思います。

死んだ後の世界では、霊的な目が見開かれます。

原因と結果の連鎖が繰り返されているのが分かるようになり、後の人生のために欠くことのできない出来事であったことを知ります。



時には、生きる目的を奪ってしまう出来事も起こります。

生きる目が奪われた中で生きるのは、とても苦しいものです。

苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。

真実を受け入れ、それまでの苦しみから解放され、新たに目的を見つける人がいます。

それこそが、地上に生まれた目的である人もいるでしょう。



生きる目的をなくした中で生きることにも意味があります。

息をするのも、食べようとするのも、生きようとしているからです。

ただ生きているだけであっても、生きようとする意志が培われています。

霊界では経験できないことを経験しているのです。



霊界に行くと、意識が全てになります。

周りには、自分と意識を共有できる人たちが集まっています。

肉体がなくなることで、自分と他者との境界が曖昧になります。

自分への執着が弱まり、意識は周りへと向かうようになります。



生きる力は神の力であり、愛を帯びています。

そのために、周りのために何かをしようとする意志が、自然に生まれるようになります。

地上を生き抜くことで培った意志は、周りのために何かをしようとする意志となります。



困難や障害に出会った時に、人は何とかして乗り越えようとします。

「光と闇、日向と日陰は、1つのものの2つの側面です。闇がなくては光の存在は分からず、日影がなくては日向の有難さも分かりません。人生の苦難は、魂の成長を促す手段です。困難や障害や不利な条件は、全て魂の試練です。それを1つ1つ克服するたびに、魂は強さを増し、清さを増し、深みを増し、本性を高めるのです」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

自分の成長のために必要だと、魂は自覚しています。

生まれる前に決めていたことであれば、それしか選択しようがありません。



成長とは、より高い愛を、より強い意志で表現できるようになることだと思います。

愛が見えなくなり、愛に反する想いが存在し、生きて行くために労力を伴い、苦しみや痛みの存在する地上だからこそ、成長して行くための意志を培うことができます。



「魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなか得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。」シルバーバーチの霊訓にはこうも書かれています。

大変な時こそ、大切な時のようです。



死んで持って行けるのは、霊的な財産だけです。

地上で大変な思いをして得た財産は、本来の住処に戻って、周りのために活かされます。






2025年1月19日日曜日

今を生きるために意志を持つ


去年の12月26日に、愛犬の金太郎が亡くなりました。

金太郎は兄弟犬のはなと我が家で生まれ、母犬のしろと共に暮らしていました。

3匹は近寄ったり、匂い嗅いだりしてお互いの存在を常に確認していましたが、日々衰弱して行く金太郎の様子を、はなとしろは少し離れたところから見ていてました。



金太郎の魂が肉体から離れる時が来ました。

全く動かなくなった金太郎を見て、犬たちが死を認識していたのかは分かりません。

それでも、はなの瞳からは別れの悲しみのようなものを感じました。



人間は動物より精神(自我)が発達しています。

精神が発達するのに伴い、感情も豊かになって行きます。

人間と共に暮らし、愛情を受けた動物たちは自我が芽生え、さまざまな感情を表現するようになります。

嫉妬という感情も生まれ、人間に近づいています。

また、人間の感情を識別していると思う時があります。

悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、寄り添って顔をなめて慰めようとします。



金太郎を散歩に連れて行く時に使っていたリードを見ると、元気な時の姿が思い出されて、(元気でいるのは分かっていても)悲しくなってしまいます。

はなとしろは、何事もなかったかのように元気にしています。



人間は過去を思い出します。

思い出しては、感傷に浸ったり、後悔したり、時に怒りや憎しみが生まれる時もあります。

もちろん動物にも過去の記憶はあるでしょうが、生きて行く上で必要のないことは思い出さないと考えられます。



人間は未来を予測します。

予測しては、不安になったり、心配したり、恐れを抱いたりします。

動物も未来を予測するでしょうが、生きて行く上で必要のないことは予測しないと考えられます。



動物たちが元気なのは、今を生きているからです。

それに比べて人間は、過去や未来に捉われて、必要のない感情が生じることによって、生きる力が奪われていると思います。



感情は精神(自我)から生まれています。

精神の上位には、意識の源泉である魂が存在しています。

魂からは、意志(意念)が生まれています。

意志があるところに、感情は生まれません。



1947年、インドがイギリスから独立しました。

その立役者となったのがマハトマ・ガンジーです。

ガンジーは強い意志で、非暴力を貫き通しました。

非暴力という意志を持つことにより、敵対する者への怒りや憎しみの感情が生まれるのを防いでいたと考えられます。

ガンジーだけではなく多くの国民も、同じ意志を持つことにより、感情的にならなかったので、目的が成し遂げられたと思います。(怒りを爆発させたら武力で封じ込められていたでしょう)




アルピニストが断崖絶壁を登って行く姿を見る度に、怖ろしくてとても自分には出来ないと思います。

もちろん彼らにも「怖い」と言う感情はあるはずですが、それよりも「登る」という意志の方が上回っているので、挑戦することができると考えられます。

シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没)



誰もが同じような経験をしています。

仕事や趣味などに没頭すると、それまであった感情を忘れています。

意念は感情に優っているのです。





死んで霊界に行くと肉体がなくなり、地上的な苦しみから解放されます。

何もしなくても生きて行くことができる安楽な世界です。




霊界においても、生きる目的は魂の成長です。

何もしなければ、成長もありません。

自分の意志で何かをして、それにより周りが良くなれば、自分も良くなって(成長して)います。




時間が存在する地上では、過去の記憶や未来の憶測が付きまとい、そこから苦しみを伴う感情が生まれます。

その感情に支配されないためには、意志を持つことが必要です。

地上で意志を培うことは、(時間がなくなり)今を生きている霊界での成長につながります。




胸に手を当てると、自分の意志を感じ取ることができます。

心臓の鼓動は、地上を生きようとしている魂の現れです。