昔は、調べ事があると図書館まで行ったものです。
欲しいものがあれば街まで出かけました。
今はスマホがあるので、居ながらにして用が済みます。
生活に欠かすことのできないスマホですが、もし百年前の人に見せたとしたらどうでしょう?
薄べったい物体にしか見えません。
遠くにいる人とやり取りができるなど、想像もしないでしょう。
私たち人間も想像を超えた存在です。
目に映っているのは肉体ですが、それを動かしているのは精神です。
その内奥に魂(霊)が存在しています。
異なる次元に存在する、肉体、精神、魂(霊)の3者の複合体が地上の人間です。
千年後には、そのことが当たり前のように認知されているでしょう。
死んで霊界に行くと、物質的次元の肉体は失われます。
五感もなくなり、言葉を介さない思念のやり取りによって、コミュニケーションが行われるようになります。
スマホでコミュニケーションができるのは、ネットワークでつながっているからですが、思念のやり取りができるのも、魂と魂が霊的につながっているからです。
地上の人も同じで、霊的につながっています。
何を根拠に?と言う人もいるでしょう。
約20年前にヒーリングの力が出現し、遠く離れた場所にいる人に癒しの力を届けられるようになりました。
メールはアドレスを入力すれば届きます。
ヒーリングの力は名前も住所も分からない人にも届きますが、霊的なネットワークが張り巡らされていて、受ける人に意念を向けた瞬間、霊的なつながり(リンク)ができると考えられます。
そのつながりを通して、ヒーリングの力は伝わって行きます。
思念とは波動(エネルギー)です。
音叉の原理と同じで、思念を受け取ると同じ思念が生じます。
地上ではさまざまな思念が放たれていますが、五感から入る情報が圧倒的な存在感を持っているため、感識するのが難しくなっています。
霊的な感受性の高い人であれば感じ取れるでしょうが、それほど高くない人でも、無意識の内に受け取り、少なからず影響を受けていると思われます。
もらい笑い、もらい泣き、あるいは集団(群衆)心理と呼ばれるものは、放たれている思念の影響を受けて、同じような反応をしてしまうことだと思います。
地上の人も、霊的につながっているのです。
子供の時の夏休みに、家族で海の近くに泊まりました。
夜、1人で抜け出して海を見に行きました。
浜辺で寝そべると、それまで見たことのない数の星空が広がっていました。
しばらくすると、宇宙と一体になったような不思議な感覚になりました。
1人で真っ暗なところにいるのに怖くないどころか、何とも言えない安心感がありました。
私たちは独立している存在のように思えます。
それは物質(肉体)に限った話です。
霊的には宇宙と一体です。
真っ暗な場所で、宇宙と自分だけしか認識できなくなり、一体感が蘇ったと考えられます。
安心感が得られたのは、何か大きな存在に見守られている感じがしたからです。
私たちは、神とつながっています。
何を根拠に?と言う人もいるでしょう。
怪我をすると血が流れます。
しばらくすると血が固まって止まります。
固まった血はカサブタとなり、数日経つとはがれ落ちます。
その下には新たらしい皮膚ができています。
この一連の現象は、自然法則の働きによって起こります。
傷が治って行くのは、自然治癒力の働きによるものです。
ここで言う自然が神です。
神とのつながりなしに、存在しているものはありません。
個々の細胞は全身の一部としてつなっがっているように、個々の生命は宇宙(神)の一部としてつながっています。
個々の細胞に同じ血液が流れているように、個々の生命に同じ力が流れています。
「神と一体であり、神の力によって生かされている。」
死んで霊界に行くと、この感覚が取り戻されます。
肉体があり、霊的な感覚が著しく鈍くなっている地上では、そう信じるしかありません。
信じることにより、神とのつながりが強くなります。
流れ込む生命力によって、地上を生きる怖れや不安や怒りは和らいで、穏やかな心でいられるはずです。