生きていると、思い通りにならないことがたくさんあります。
仕事が思った通りに行かずに、未熟さを痛感する時があります。
ずっと健康でいたいと思っていても、病気になる時もあります。
人との関係も思うように行くとは限りません。
思い描いていた人生とは、違う方向に進んで行くことがあります。
死んだ後に行く霊界では、思い描いたことが直ちに具現化されます。
家に住みたいと思えば、思い描いた通りの家が目の前に現れます。
SF映画のようですが、思念が全ての世界なのでそうなります。
そんな世界を離れて、地上に生まれて来たのは、何か理由があるはずです。
霊界では目の前にある山の頂に立ちたいと思ったら、次の瞬間、頂に移動しています。
地上では、頂に立ちたいと思えば、自分の足で登って行かなければいけません。
霊界の方が楽に目的が達成できて良いようにも感じられます。
頂に立ちたいと思い、山を登り始めたとします。
登っているうちに、大自然の中で自分がいかに小さな存在なのかを自覚して、謙虚な気持ちになる人もいるでしょう。
崖を登る時には、勇気を出さなければいけません。
仲間で登れば、助け合うことやチームワークの大切さを学ぶことになるかもしれません。
アクシデントが起きた時、どう対処したら良いのかを、自分で考えなければいけません。
険しい山道を登って行くことで、体力と精神の限界が進展する人もいるでしょう。
たくさんの汗をかきながら、困難や障害を乗り越えて来たからこそ、頂に立った時に感激を味わうことができます。
もしヘリコプターで頂まで連れて行ってもらったとしたらどうでしょうか?
同じような感激を味わうことはできません。
思ったことが瞬時に具現化される霊界ではできない、貴重な経験を地上でしていると思います。
思い通りにいかず悔しい思いをしていると書きましたが、良く考えてみると、初めから思い通りに何でもできたとしたら、学ぶことは何もありません。
悔しい思いをして、自分に何が足りないのか、どうしたら良いのかを、悩んだり考えたりします。
思い通りに行かない地上の方が内省する機会に恵まれ、何かに気付いて、自分を変えることができると考えられます。
ところで、自分1人だけで生きられるでしょうか?
自分で食料を調達しなければいけません。
住む家も、自分で作らなければいけません。
暖を取るために、薪を集めて自分で火を起こさなければいけません。
着る服も必要です。
1人で生きて行くことは、極めて難しいと思われます。
私たちの生活は、自分ができないことを、誰かにやってもらうことで成り立っています。
1人では生きて行けない地上で、互いに助け合う「相互扶助」の精神を学んでいると考えられます。
それは、肉体がないために(衣食住の心配がなく)1人でも生きて行ける霊界において、学ぶのは難しいと考えられます。
相互扶助の精神は、極めて大切な霊的な資質です。
その精神が発揮されることで、全体に調和が生まれて、霊的な一体化が促進されます。
人に何かをして、人に何かをしてもらう、この営みを地上で毎日のように繰り返すことによって、誰かのために何かをしようとする意志が培われていると考えられます。
誰かのために何かをすることで、人は成長します。
霊界で自律的に成長して行くために、1人では生きて行けない、この地上に生まれて来たと考えられます。