「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」
シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。
今、こうしてブログを書いているのも、予定されていたことだと思います。
宗教に関心のない両親の元に生まれたのも、抵抗なく霊的真理を受け入れるためだと思います。
振り返ってみると、目的を果たすために、さまざまな出来事が絶妙のタイミングで起きていました。
死んで全てが終わりになるのなら、人生に意味などありません。
無になるのに、意味など見つけるのは、それこそ無意味です。
出来事は偶然起きるのであり、運が良い人と悪い人がいるだけです。
この人生で終わりではありません。
死んだ後に、次の世界が待っています。
残念ながら、そのことを客観的に証明する手段はありません。
困難な出来事に遭遇したとします。
人生が終わりになるのであれば、逃げてしまっても構わないはずです。
それなのに、人は何とかして乗り越えようとします。
どうしてでしょう?
真の自分である「魂」が、そうすることを望んでいるからです。
悪いことをしたくありません。
人には良心があるからです。
良心とは「魂」に内在する神です。
過ちを犯さないように、神によって監視されているのです。
「魂」は肉体を超えたものです。
死によって肉体がなくなっても、次の世界で変わりなく魂は存在しています。
死んで無になるのか、魂となって生き続けているのか、どちらを選ぶのかは個人の自由です。
無になる方を選ぶのは、一定のリスクを伴います。
それぞれの人に、予定されている人生があります。
自分に足りない資質を身に付けたり、過去生の過ちを償うために、神の叡智によって計画されています。
およその人生は決まっていますが、起きた出来事をどう捉えるのかは、個人の自由です。
捉え方によって、進んで行く方向が大きく違って来ます。
小学校の時に漢字を習いました。
当時は何でこんなものを覚えなければいけないのかと思いましたが、今は生活して行く上で活かされていることを知っています。
出来事が起きた時、何で自分がこんな目に遭わなければならないんだと思う時があります。
死んだ後、地上の人生を振り返ります。
その時に、出来事から大切なことを学んで、意図していた自分に変わるために起きていたことが分かります。
けれども、霊的な目が閉ざされている私たちは、偶然や運として片付けてしまいがちです。
偶然や運として片付けてしまうと、出来事から何も学べなくなります。
人生を呪ったり、神を恨んだりするのも同じです。
変わるための力が削がれてしまいます。
それでは、地上に生まれた来た目的を果たせなくなります。
出来事を正面から受け止めると、感情に押しつぶされそうになる時があります。
それは自然なことです。
その後、どう捉えるのかが重要です。
偶然ではありません。
誰のせいでもありません。
自分に必要なことが、自然法則の働きによって起きています。
出来事から何かを学ぶことで、それまで捉われていた感情から解放されて、今までと違う自分に変わることができます。
「私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。」
この言葉はヘレン・ケラーのものです。
自分の身を嘆いたり、運命を呪っていたのなら、暗闇に閉じ込められたままです。
苦しみの中で、光(真理)を見つけて、変わることができて、暗闇から抜け出せたと思います。
人間の本質(魂)は、変えようと思っても、変わるものではありません。
そこで地上に生まれることを志願します。
苦しみや痛みを伴う出来事を経験することで魂が目覚めて、霊的に大切なことを見つけ出して、変わることができます。
出来事は自然法則の働きによって起きています。
つらい状況に追い込まれたとしても、良い方向に変わるために起きています。
なぜなら、神の心(愛)が、自然法則の働きの中に顕現しているからです。
最後は良くなると、強く信じて下さい。
生まれて来た目的を果たすために、地上の人が辿る人生を知っている守護霊が付いて導いています。
けれども、自我の働きで我欲や怖れなどが強くなってしまうと、導きに気付きにくくなってしまいます。
出来事の捉え方を誤り、予定されていたのとは違う方向に進んでしまい、変われずに終わることもあります。
地上に生まれた目的の果たせなかったことに気付き、ひどく後悔するでしょう。
後悔を晴らすために、今度は予定された方向に進んで行くと固く誓って、もう1度地上に生まれることがあります。
相応しい環境に生まれて、同じような出来事が起こるでしょう。
困難で、できれば行きたくないなのに、どうしても進んで行かなければならない衝動に駆られたとしたら、過去にそのようないきさつがあったのかもしれません。
もしそうだとしたら、迷わずに進んで行くしかありません。
出来事に偶然はありません。
自然法則の働きによって起きています。
私たちは、自然法則の働きによって起きた出来事を経験することで、成長して行きます。
成長することで、全体の成長が促されて、神の意図した世界となって行きます。