霊界は思念の世界と言われています。
地上にいる私たちには理解しがたい現象が、そこでは日常的に起きています。
その1つとして、思念が立ちどころに具現化することが挙げられます。
例えば、車に乗りたいと思えば目の前に車が現れ、食べたいと思えば食べたいものが目の前に現れます。
そして、想ったこと(思念)は波動となって相手に直接伝わります。
まるでSF映画の世界のようです。
地上では、想うだけでは何も始まらず、何も伝わりません。
物質(肉体)を介して表現しなければいけません。
地上は労力を使って自己表現しなければならない煩わしい世界ですが、そこに生きる意味があると思います。
そんな世界に生まれて来たのは、自分を成長させるためです。
降りかかる困難や障害を乗り越えることや、人や動物や社会のために何かをすることで成長します。
生きている限り、困難や障害が次々と生じます。
仕事や家事など、誰かのために何かをしなければ生活が成り立ちません。
今いる環境を精一杯生きているだけで、自然に成長していると思います。
地上の人間は、肉体、精神、魂(霊)により成り立っています。
肉体と魂の間に精神(地上的な自我)が介在し、自己表現しています。
地上的な自我は、肉体と深く結びついていて、安全に快適に生きること志向しています。
崖の上に立つと怖くなるのは、地上的な自我が肉体を守ろうとしているからです。
霊界に行くと、肉体はなくなり霊体になります。
魂と霊体の間には霊的な自我が介在し、自己表現するようになります。
霊的な自我は、魂と深く結びついていて、神の心(神性)を表現しようとします。
地上の人間には肉体と目に見えない霊体があり、地上的な自我と霊的な自我の両方が存在しています。
霊的な自我から生じた思念は、地上的な自我によって具体化されて、肉体で具現化されています。
その行程が円滑に行われているのが健全な状態です。
福島原発を襲った津波 出典:朝日デジタル |
福島原発は津波に襲われて、機能が停止しました。
高熱を発している核燃料を冷却できないと、炉心溶解(メルトダウン)を起こし、放射能汚染を引き起こします。
それを防ぐためには、一刻も早く海水を注入して冷却するしかなく、原発の所長は会社の上層部にそのことを伝えます。
けれども、海水を注入すると廃炉になってしまうために許可されません。
良心に従って海水を注入することを、所長の霊的な自我は強く訴えていたと考えられます。
けれども、地上的な自我は会社組織における自分の立場を考え、上層部の命令に従おうとします。
命令を無視すれば会社から責任を問われてをクビになる可能性があり、命令に従えば深刻な放射能汚染を引き起こします。
両者の自我の間で、激しい葛藤が起きていたと想像されます。
翌日になって、所長は上層部の命令を無視して海水を注入します。
所長ですが、事故から1年後に脳卒中となり、2年後には食道がんになり、58歳の若さで亡くなりました。
唯物的な医学ですが、近年になり精神が肉体に及ぼす影響を認めるようになったので、病気になった原因を、事故当時のストレスと片付けるかもしれません。
そうではなく、内部で激しい葛藤が起きて、表現できない思念が蓄積したために病気になったと私は考えています。
思念はエネルギーです。
霊的な自我から生じた強い思念が、地上的な自我に遮られて表現できずに内部に滞り、それが閾値を超えると、因果律の働きによって肉体を変化させるエネルギーになることがあると考えています。
先程の原発の所長は極端な例かもしれませんが、社会のために貢献したいと思っている人が、自社の利益しか考えない会社で働いていると、体調を崩したり、病気になることは良くあると考えられます。
もし私が公務員になって保健所に配属され、動物たちを殺処分するガス室のボタンを押す仕事を任されたとしたら、きっと病んでしまうでしょう。
現代社会において、本当の自分(霊的な自我)の想いに忠実に生きられずに病気になる人は少なくないと考えています。
地上の人生には、学び成長するための計画があります。
誰かのために何かをしたり、困難や障害を乗り越えようとするのは、霊的な自我の働きによるものです。
一方、お金を儲けて贅沢に暮らそうとしたり、安楽な方向に進もうとするのは、地上的な自我の働きによるものです。
地上的な自我の働きが強くなり過ぎてしまうと、生まれる前に立てられた計画から逸れて、学びや成長とは関係のないことに貴重な地上の時間を費やしてしまう可能性があります。
ガンになり医者から見放された人の中に、医学的に説明のつかない治癒をした人たちがいます。
その人たちに共通しているのは、今までの生き方や考え方が根本から変わったことです。
病気は自然現象です。
偶然はなく、そこには自然法則の働きがあります。
神の意図が、病気に隠されていると思います。
病気により、肉体は苦痛を味わい、精神は追い詰められます。
そして、それまで眠っていた魂が目覚めます。
地上的な自我に代わって霊的な自我が主導権を握り、計画されていた人生を再び歩み始めます。
病気が消滅したのは、本来の姿を取り戻したからです。
本当の自分の想いに気付かせてくれた病気に、心から感謝している人も多くいます。
神の心は愛です。
人を苦しめたり痛めつけたりするためではなく、自然法則の働きを学び、成長する方向へと導くために、病気は創られたと考えられます。