2026年5月10日日曜日

地上に生まれて来た目的


留学して学位を取った、仲の良い大学の先輩がいます。

アメリカで学位を取るのは難しく、言葉の壁を克服しなければならないのはもちろんのこと、膨大な数の論文を読みながら知識とスキルを身に付けなければならず、審査も日本に比べて厳しいです。

その後、日本に戻りましたが、異国の地で学んだ経験は、今の仕事に十分に活かされています。



ふと、こんなことを考えました。

私たちは、地上という異次元の場所に留学しているようなものかもしれない。

目的は同じで、元いた場所では学べないことを学ぶためです。

けれども、その期間は数年ではなく一生です。

1度肉体に宿ったら、死ぬまで戻れないので、並々ならぬ決意で、地上に生まれて来たと思います。



本来の住処は霊界です。

そこでは肉体はありません。

食べて行くために働く必要はなく、病気や障がいも老化もありません。



周りにいるのは、自分と似通った人たちばかりです。

嫌いな人と会うことはなく、煩わしい人間関係もありません。



霊界では、肉体という障壁が取り払われています。

それにより、周りとの間に、霊的な一体感が感じられるようになります。

地上で自分に向いていた意識は、周りに向かうようになります



ミクロからマクロの世界まで、同じ神の摂理(自然法則)が働いています。

それぞれの細胞が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全身が正常に機能することができます。

それぞれの生命が、それぞれの役割りを果たすことによって調和が生まれ、全体が健やかに生きて行くことができます。



もう1つ、大切な摂理があります。

与えられた役割りを果たし、誰かのために役に立つことで、人は悦びを感じるようになっています。



霊界では(低い界層を除いて)、お互いがお互いのために役に立つ悦びを感じながら生きていると思われます。

けれども、しばらくすると現状に満足できなくなります。

自分をもっと高めたいという欲求があるからです。

さらに次元の高い役割りを果たし、全体のために役に立ちたいと想うようになります。



いくら役に立ちたくても、自分にその資質がなければ、想いが叶えられることはありません。

役に立つために必要な資質が自分に足りないことを自覚した魂は、その資質を身に付けるために、地上に生まれようとします。

その意志に、因果律が働くことによって、最適な環境に生まれます。



いざ地上に生まれると、霊界では当たり前のように感じられていたことが、感じられなくなります。

五感が絶対的なものとなるので、それぞれの人は独立して存在しているように見えます。

それに伴い、一体感が感じられなくなります。

霊的な感覚は、五感に埋もれてしまいます。

そのために、実体として感じられた愛は、存在すら分からなくなります。



地上に生まれた瞬間、肉体と魂との間に自我が生まれます。

自分を守ろうとしたり、自分を優先しようとするのは、自我の働きによるものです。

助けを求めていたり、困っている人がいても、見て見ぬふりをしてしまうのも、自我があるためです。



普段、私たちは自我を前面に出して生きています。

ところが、いくら考えても解決できない、深刻な出来事に直面すると状況は一変します。

追い詰められた自我に代わって、その奥に隠れていた魂(霊的な自我)が前面に出て来ます。



前面に出た来た魂は、それまで意識することが少なかった、生命や愛など霊的なものを強く意識するようになります。

そして、霊的な真実を見つける人もいるでしょう。

見つけた人は、内部に変容が起こります。

霊的なつながりが深まり、克服する力が与えられる人もいるでしょう。



そんな出来事は、生まれる前に立てられた計画に従って起きているのかもしれません。

目覚めた魂が、霊的な真実を見つけることも、予定されていたのかもしれません。

もしそうであれば、見つけた真実を大切にし、守りながら生きることによって、必要だった霊的な資質が身に付けられているのかもしれません。



例えば、「勇気」という資質が足りなかった人がいたとします。

その人は重い病気を抱えて生まれて、人生のある時期に手術を受けなければいけなくなるかもしれません。

成功する確率が低い手術であれば、臨むのに相当な勇気が必要になります。

もし、無事に手術が終わり、生きながらえることができたのなら、勇気を出すことの意味を学び、それからの人生に活かして行くでしょう。

地上で培った勇気は、役に立つための強い意志に転化されて、霊界で活かされることになります。



「信じる」という資質を手に入れたかった人がいたとします。

その人は、全く動かすことのできない肉体に宿って、ベッドの上で過ごすことになるかもしれません。

周りの人からの援助がなければ、数日も生きられないことを、魂は知っています。

死の不安や怖れに押しつぶされずに生きるためには、人を信じるしかありません。

一生涯に渡って信じ続ければ、それは自分の資質となるでしょう。

信じられるようになった魂は、周りの魂との結びつきも強くなります。

地上で受け続けた援助によって、周りの人に愛を表現したくなるでしょう。



神の叡智は完全です。

さまざまな人の目的(原因)が絡み合い、全てが完璧に計算された上で、それぞれの魂の成長にとって、最善の結果が生まれるように、人生の計画が立てられていると考えられます。



何故、霊界ではなく地上の経験により、資質を身に付けなければならないのでしょうか?

安全で快適でリスクを冒す必要のない霊界よりも、肉体があり不完全な地上の方が、「勇気」を出さなければならない局面に恵まれています。

お互いが分り合えている霊界より、肉体があり相手の想いが分らなくなる地上の方が、「信じる」ことが求められます。



ロウソクの光は、明るい陽ざしの中では、その存在は分かりません。

暗闇の中で、はっきりと分ります。

霊的な暗闇が広がる地上だからこそ、霊的に大切なものが光り輝き出し、目覚めた魂が見つけることができます。






2026年5月3日日曜日

自分で決めて来た人生を歩みながら学んでいる


人生には計画(ブループリント)がある。

そう思ったのは、約20年前に起きた3つの出来事からです。

6月のある朝、ヒーリングの力が手から出ているのに気付きました。

そして、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会いました。

しばらくして、今までに経験したことのない苦難が起こりました。

人生を変える大きな出来事が、わずか1ヶ月の間に立て続けに起きたので、鈍感だった私も偶然ではないと思いました。



望んでもいなかったヒーリングの力がこの時に発現することは、生まれる前に決まっていたと思います。

力が出た直後に霊的真理に出会えたのは、霊界の導きによるものです。

降りかかった苦難は、霊的真理を受け入れるために必要でした。

3つの出来事が密接に関わりながら起きていて、どれ1つが欠けたとしても、今の自分はなかったと思います。



「計画された人生を歩んでいる」

この真理を確信を持って伝えるために、自らがこのような経験をする必要があったと考えています。


人間には、成長したいという根源的な欲求があります。

もしなければ、苦労の多い地上に生まれる必要はなく、居心地の良い霊界でずっと過ごしているでしょう。

地上しかできない経験を通して、自分に足りない霊的な資質を手に入れて、魂を成長させるために生まれて来たと考えられます。

もし(霊的な資質の1つである)寛容さが足りないと自覚した人がいれば、それを手に入れるために、自分とは違う人と暮らさなければいけない環境に生まれ、許すことを強いられる出来事が起きる人生になるかもしれません。



人生の計画が立てられた時に、その環境に生まれて、その出来事が起きることを、自分の意志で決めていたはずです。

思念(意志)は具現化します。

その意志に因果律が働いた結果として、出来事が具現化すると考えられます。



もし、人生が偶然に支配されていたらどうでしょう?

自分の成長にとって必要な出来事が起きるのは、運任せになります。

何回地上に生まれたとしても、経験できるとは限りません。

既に経験した出来事が、重複して起きるかもしれません。



無限の愛、無限の叡智によって、人生の計画が立てられます。

そこに成長に必要な出来事が、組み込まれると考えられます。

最善のタイミングで、最善の出来事が起きることで、効率良く、短い期間で、霊的な学びが得られ、足りなかった資質を手に入れることができると考えています。

ただ、地上に生まれると、そんな計画があったことなど忘れてしまいます。

最悪のタイミングで、最悪の出来事が起きたと思うかもしれません。



人間には自由意志が与えられています。

計画に従って起きた出来事を、どのように捉えて、どのような行動をするのかは、本人に任されています。

運命や人生を嘆き続けてしまったのなら、そこから大切なことを学び取り、成長することはできません。

感情に支配された、何も残らない人生となってしまいます。



霊界に行くと、人生を振り返る時が訪れます。

あの出来事には、こんな意味が隠されていたのかと知って、驚く人もいるでしょう。

生まれる前に決めていたのと、違う生き方をしてしまい、予定されていた学びや成長ができなかったことを知ったのなら、後悔することになります。



どう捉えるのかは自由です。

ですが、自由には責任を伴うことを忘れてはいけません。

後悔が大きければ、もう一度地上に生まれて、同じような出来事を経験して、学び直すことになるかもしれません。



偶然はありません。

自分にとってどんな意味があるのかを、自分自身に問い質してみる必要があります。

おぼろげながら、その意味が見えて来る時もあるでしょう。



全く分からないのであれば、過去生に原因があるのかもしれません。

出来事の意味が分からずに、苦しんだり痛みを感じる日々がその人にとって必要であり、計画されていることがあります。

そうであれば、苦しみや痛みを享受し終わったのなら、その出来事から解放されるはずです。



学んでいない(知らない)ことから生れる苦しみがあります。

もし私が霊的真理に出会わず、因果律の働きを学んでいなかったのなら、20年前に出来事が起きた時も、何で自分だけがと不満や怒りが生まれ、苦しんでいたでしょう。

つらい日々に耐えられたのも、乗り越えられない苦難は決して起きないことを学んでいたからです。



大切な人を失って、もう2度と会えないと思うと苦しみが生じます。

魂(生命)は不滅であり、また会えるという事実を知ることで、その苦しみは和らぐでしょう。



傷つけられたり、貶められたりして、その人が何の罪にも問われなければ、理不尽さや怒りから苦しみが生じます。

霊的な罪が問われ、同等の苦しみや痛みによる償いをすることで、完全な公正が保たれていることを知れば、苦しみは和らぐでしょう。



シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「ある段階以上に進化すると、憎しみを抱かなくなります。苦しみを感じず、幸せばかりを感じるようになります。難しいことですが真実です。」

多くを学んでいる魂ほど、憎しみに代わって哀れみを抱くようになります。

神性が発揮されることで流れ込む愛によって、苦しみではなく幸せが感じられるようになると考えられます。




どんな出来事が起きたとしても、苦しみとして感じられなくなった人は、地上に生まれて学ぶ必要がなくなり、霊界で成長して行くことになると思われます。






2026年4月26日日曜日

神性を発揮するために


私たちの本来の住処は霊界です。

霊界のことを知れば知るほど、素晴らしい世界だと思うようになりました。

死は喜びであると言われますが、そんな世界に戻れるのだとしたら、その通りです。



霊界では肉体がありません。

食べるために働く必要はなく、病気をしたり事故に遭うことはなく、老いることもありません。

生きるのに苦労することも、心配することもありません。



霊界は思念(想い)の世界です。

想ったことは、言葉を介さずに、電光石火に相手に伝わります。

思念は直ちに具現化します。

想いを伝えたり、形にするのに、苦労することもありません。



霊界で周りにいるのは、魂の似通った人ばかりです。

お互いに分かり合えているので、対人関係で苦労することもありません。



そんな快適で安全な霊界を離れて、何故、苦労の多い地上に生まれて来たのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。」

居心地の良い霊界にいるよりも、困難や障害があり、危険を伴う地上を生きる方が、多くを学び、自分を大きく成長させることができると思われます。

学び成長することを期待して、自らの意志で地上に生まれて来ています。


私たちは、神によって創られた神の一部です。

生命そのものである魂には、神性が内在しています。

神性は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛となって発揮されています。

人間の進化成長とは、より多くの神性が発揮されるようになることです。




地上は神性が発揮される機会に溢れています。

例えば、車で走っている時に道を譲るのも、ささやかですが神性が発揮されたことになります。

動物を可愛がるのもそうです。

困っている人を助けるのもそうです。

悩みを抱えている人の相談に乗るのもそうです。

悲しんでいる人を慰めるのもそうです。

誰かのために何かをしようとする時、そこに神性が発揮されています。




自分とは違う人を認めようとするのもそうです。

他者の過ちを許そうとするのもそうです。

神性が発揮されると、周囲との間に調和がもたらされ、いさかいを避けることができます。

無心になって仕事をしている時も、神性が発揮されていると考えています。




神性が発揮されるのを妨げているのは、自分自身です。

肉体がある地上だけに存在する自我によって、私たちは自己表現しています。

その自我には、自分の身を守ろうとしたり、快適に生きようとする働きが備わっています。

そのため、助けを求めている人がいても、無視してしまう時があります。

自我の働きが強くなると、神性が発揮されにくくなります。




シルバーバーチの霊訓にはこうあります。

「運命全体としての枠組みはできております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するのかは、あなたの努力次第だということです。」

計画の一環として、大きな壁のように感じられる出来事が立ちはだかったり、リスクを冒して挑戦しなければいけない時があります。




「自分には無理だ」という自我の声がした時には、こう宣言するようにシルバーバーチは勧めています。

「私には神性が宿っており、どのような状況も私を揺るがすことはできない。私の魂にはあらゆる困難に打ち勝つ無限の力があるのだ」

自我に打ち勝って、神性を発揮して乗り越えて行くことは、地上に生まれた大きな目的の1つです。




地上の人生は、生きているだけで知らずに負荷がかかっています。

登り坂をずっと歩いているようなものかもしれません。

坂が急になり、疲れ果てて、これ以上登れないという時もあるでしょう。

そんな時に、神性が発揮されると、一歩を踏み出す力が内から湧き出して来ます。



霊界では、何もしなくても生きて行けます。

けれども、それでは生きる悦びは感じられません。

全体のために、何らかの役割りを果たすことで人は悦びを感じ、成長することができます。




自分に望まれている、あるいは自分が望んでいる役割りが、霊界で待ち受けているのかもしれません。

その役割りを果たすために、どうしても身に付けなければならない、霊的な資質があったのかもしれません。

その資質を身に付けるのに相応しい経験をするために、地上に生まれて来たのかもしれません。




その経験は、困難や障害、挑戦を伴うことがほとんどです。

自分を強く信じましょう。

自分を信じれば、自分の中にいる神を信じることにつながります。

それによって神性が発揮されて、内から湧き出す力によって、必ず克服することができます。













2026年4月19日日曜日

霊的に結ばれた人との別れの目的


お口の中に問題や悩みを抱えた患者さんを毎日のように診ています。

ある日、奥歯が痛いと訴える患者さんがいました。

虫歯がないか確認しましたが見当たらず、レントゲンを撮って調べてみても、原因は見つかりません。

痛みの原因はストレスでした。

日中にストレスを感じて、寝ている時に歯ぎしりをして、解消していたようです。

歯ぎしりをすることで、歯に強い力が加わったために、痛みが出ていたのです。

目に見えない原因を見つけるのは、つくづく難しいと思いました。



人生で起きる出来事も、いくら考えても原因が見つけられない時があります。

原因が見つけられなければ、偶然として片付けるしかありません。



シルバーバーチの霊訓には、こうあります。

「一つとして偶然がないのです。偶発事故がないのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。」



これまでの人生の中に原因が見つけられなければ、それ以前に原因があるのかもしれません。

過去生に原因があって、その結果として出来事が起きているのかもしれません。

あるいは、その出来事を通して大切なことを学ぶ「目的」が存在しているのかもしれません。



大切な人を亡くされた人から、このブログにコメントをいただくことがあります。

その悲しみ深さから、結びつきの強さを思い知らされることがあります。



結びつきには、さまざまな次元のものがあります。

ご近所や職場の人たちとは、地上的な結びつきです。

友達同士は、精神的な結びつきです。

コメントをいただいた方の多くは、霊的に結ばれていると思いました。



導かれるようにして出会い、出会った瞬間、探していたものを見つけたような感覚があったのなら、出会うことが予定されていた可能性があります。

一緒に過ごす時間は、とても幸せだったはずです。

そして、早く亡くなることも予定されていたと考えられます。

霊的に結ばれている人との別れによって、身を引きちぎられるような感覚になる人もいるでしょう。



霊的に結ばれている人が、親子になる時もあります。

そうすれば地上で確実に出会えるからです。

親子以上の親近感を感じながら、幸せな時間を過ごしますが、その先に別れが待っているなど、知る由もありません。



血肉のつながりも付加されるので、いなくなると言葉にならないほどの喪失感、絶望感を覚えると察せられます。

最も大切な存在がいなくなってしまった理由を探しますが、どこにも見つけられません。



霊的に結ばれている人がいなくなれば、悲しみや苦しみが生まれるのは避けられません。

その悲しみや苦しみはどこから来るのでしょうか?



私たちの本来の住処は霊界です。

霊界では肉体がないので、意識は自分から周囲へと向います。

そこは、お互いがお互いのために生きる世界です。

霊的に結ばれた人同士が、愛を表現し合う世界です。



霊的に結ばれた人が、同時に地上に生まれたとしても、その関係は全く変わりません。

霊界にいた時と同じように、愛を表現し合いながら生きるようになります。

それ以上に、幸せを感じることはありません。



どちらか一方がいなくなると、お互いのために生きることができなくなります。

生きる目的を失ってしまったように感じるのは、そのためです。



行き場を失った愛が、悲しみとなります。

愛することのできない現実が、苦しみとなります。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「悲しみは魂に悟りを開かせる体験の中でもとくに深甚なる意味をもつものです。 それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚めさせるものです。」

別れの悲しみは、自我の奥で眠っている魂を目覚めさせるために、最も有効な手段と思われます。



目覚めた魂が、霊的な真実を見つけます。

「お互いがお互いのために生きること以上に大切なものはこの世界に存在しない」



愛について学びを深めることこそが、地上の別れの目的です。

先に逝った人は、そのことを知っています。

何も知らずに悲しんでいる地上の人に伝えたいのです。



次元を超えて信じ合うこと、愛し合うことは、霊的に結ばれた人にしかできないことです。

それができるからこそ、別れることになったのです。





2026年4月12日日曜日

戦争が起きる1つの理由



上の写真は、アルテミス計画で月に向かう宇宙船の窓から見た地球です。

漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球は、美しいオーラを放つ、1つの生命体のように感じられます。



月面に立ったある宇宙飛行士は「宇宙から地球を見た時、圧倒的な一体感を感じた。すべてがつながっているという体験だった。」と語っています。

地上と隔絶された環境に置かれて、霊的な意識が高まり、そのように感じる宇宙飛行士は少なくありません。



地上にいる私たちは、目に見えるものが全てだと思ってしまいます。

肉体があるために、個別に存在しているように見えてしまい、一体感は失われます。

意識は自分に向かい、自分を中心に考えるようになります。



最近になって、○○第一主義、○○ファーストという言葉を聞く機会が多くなってきました。

自分たちのことを最優先するのは、当たり前のように思えるかもしれませんが、他者はどうなっても良いという考えにつながります。

聞こえが良くても、自己中心的であり、利己主義者の言うことのように思えます。



宇宙は自然法則によって支配されています。

その法則を、神の心が貫いています。

神の心とは、「全体を想う無限の意識」と考えています。

一字で表現するのなら「」です。



利己的な行いは、法則(愛)に反しています。

因果律の働きによって、その行いを正すような結果が生じます。

周囲との間にトラブルが起きたり、無視されるなどして、苦痛を感じて、行いを改めることになります。



国家が利己的な行動をしていたらどうでしょうか?

周囲と国との間に、不調和が生まれます。

不調和が高じると、争いに発展します。

自国だけでなく、周りの国も巻き込んで、大きな争いに発展して行く可能性があります。



神が良心となって、私たちの中に顕現しています。

法則に適った(善い)こと、法則に反した(悪い)ことは、誰かに教えてもらわなくても分かっています。

法則に反したことをしようとする時、良心は声なき声で働きかけて、止めさせようとしています。



利己的な考えに支配され、良心の声が聞こえなくなってしまった人たちによって、戦争が引き起こされています。

そんな人たちを選んだ人や、容認している人も、似たような傾向があるのかもしれません。



霊界で立てられた計画が、地上で実行に移されています。

お互いの違いを、認め合うこと、信じ合うことで乗り越えて、慈しみ合うことで、人類は1つになって行く計画が立てられていると考えています。



戦争は街を破壊し、人を傷つけるだけではありません。

長い年月をかけて築き上げて来た、信じ合う心を壊してしまいます。

人と人、国と国とのつながりを分断します。

生まれるのは、怒りや憎しみ、悲しみや嘆き、そして恐怖です。



霊界で立てられた個々の人生の計画、人類の進化の計画を狂わすものが戦争です。

神の計画の実現を、最も遅らせるものの1つです。



シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「何千何万という人間が、何の備えもなく霊界に送り込まれている現実があります。その一人一人が休みなく私たち霊界の者に何らかの要求をしてきます。大変な数の人間が霊的無知のまま、あるいは誤った信仰を持ったままやってまいります。」

亡くなった人たちは、霊界の人たちの援助を受けて、新しい世界に順応して行きます。

戦争によって、平常時とは比べものにならないほどたくさんの人たちが、何の備えもないまま霊界に送り込まれて来ます。



そんな人たちの多くは、死んだことさえ分かっていないために、対応するのが難しいようです。

霊界の人たちは、それぞれに与えられた役割りを果たしていますが、それを中断して対応に当たっていると思われます。

地上で起きていることは、霊界にも大きな影響を与えているのです。



戦争によって、地上は不穏な空気に包まれます。

恐怖、不安、疑念、悲しみなどが生じると、霊界の人たちの地上の人たちへの接触が妨げられます。

霊界の人たちからのインスピレーションや援助を受けにくくなります。

それによって、事態がますます悪化して行く可能性があります。



国や人種や宗教は人間が精神上に作り出した概念です。

お互いを隔てるものは、どこにも存在しません。



私たちの本質は霊(魂)です。

霊的につながっていて、1つです。



この意識の欠如から戦争は起こります。

戦争を始めた人たちを宇宙船に乗せて、地上から離れた場所から地球を見せれば、(意識が変わり)少しは分かってもらえるのかもしれません。

それは無理なので、少なくても知っている者が、そのことを意識しながら生きて、伝えて行かなければと思っています。



2026年4月5日日曜日

霊界に行った子供たち


イラン南部にある小学校がアメリカ軍に誤爆され、170人以上の子供たちが犠牲になりました。

あってはならないことであり、亡くなった子供たちのご両親、ご家族の心中を想像すると胸が痛くなります。

ご存じのように、イランはイスラム教国家です。

イスラム教(シーア派)では、戦争で亡くなった子供たちはどうなると説かれているのかが気になり、調べてみました。

子供たちは無条件で天国に迎えられると言われています。

殉教者として見なされ、神に近い特別な存在として、天国で安らぎの中にいると言われています。

家族が来るのを天国で待っていて、時に導く存在になると言われています。



霊的真理に近いものがあると感じました。

生きていて、待っていてくれると信じることができれば、せめてもの救いになります。




誤爆で亡くなった子供たちは、どうしているのでしょうか?

直後は、その場に留まっていたと考えられます。

目の前に動かなくなった自分がいて、置かれている状況を全く理解できずに、混乱していたと思います。

無理やり肉体から引き離されたので、ショック状態に陥っていたと考えられます。



心配はありません。

霊界は助け合いの世界です。

ショックで茫然自失となっている子供たちの周りには、霊界の医師をはじめとして看護する人たちが集まって来ます。

その人たちから受ける献身的なケアと、降り注いでいる癒しのエネルギーによって、本来の自分を取り戻して行きます。

先に逝った肉親や知り合いがいれば、傍に寄り添って、これまでのいきさつを伝えるでしょう。



しばらくすると、ほとんどの子供が家に帰ります。

そこには嘆き悲しんでいるお父さん、お母さんの姿が見えます。

「自分はここにいるよ」と、いくら訴えても、全く気付いてもらえません。

体を叩いて教えようとしても、手が素通りしてしまいます。

家族とは違う世界にいることを、改めて実感することになります。



一人ぼっちになることは、決してありません。

子供が大好きで、愛情に溢れた人たちが付いて、不安や寂しさを和らげてくれるでしょう。

クラスメートや友達の姿も見つけるでしょう。


戦争などで、不意に霊界に行ってしまうことがあります。

亡くなった子供たちは、これから地上でさまざまな経験をする予定だったのに、それが叶わなかったので、 予期していた学びや成長ができなかったのではと考えてしまいます。



もしそうであれば、もう1度地上に戻ってやり直したいと訴える子供たちがたくさんいてもおかしくはありません。

けれども、そんな話はあまり聞きません。



神の公正は完璧です。

何の落ち度もなく、霊界に行った子供たちには、シルバーバーチの霊訓にある「埋め合わせの法則」が働いていると考えられます。



地上は肉体を介した経験によって、学び成長する場です。

私たちは何度も地上に生まれ、霊的資質を身に付けながら、向上進化して行きます。

一方、地上に1度も生まれずに、向上進化した(天使的な)存在がいると言われています。

地上での経験を必要としない、学びの方法があることになります。



子供たちに不満が生まれないのは、地上と同じ学びが、霊界でもできるためと考えています。

戦争で亡くなった子供たちに、このような埋め合わせの原理が働くことによって、公正が保たれていると考えています。


いきなり暗い海に落とされたとしたらどうでしょう。

絶望的な状況に、もう終わりだ、生きては行けないと思う人もいます。



戦争で子供を失った家族の中にも、そんな絶望を感じている人もいるでしょう。

生きて行けないと思う中で、生きなければならないほど、つらく苦しいものはありません。



愛は魂を引き付け合う力です。

生きている次元が違って、その姿が見えなくなっても、愛する者同士が離れてしまうことは、絶対にありません。



思念の世界にいる子供たちには、悲しみの本質が愛であることが分かっています。

とめどもなく流れる涙を見て、いかに愛されているのかを知ります。

地上を生きていては分からなかった愛の側面を、霊界から学ぶことになります。

そんな想いに応えて、つらい思いをしている家族に、励ましや労りの想いを送っているでしょう。



以前、このブログにコメントを送ってもらった、お子さんを亡くされたお母さんのことを思い出しました。

霊界にいるお子さんは、悲しみに堪えながら必死に生きているお母さんの姿を見ながら、たくさんのことを学んでいると伝えて来ました。



霊界にいる子供たちは、地上にいる人の傍にいて、その人が経験している出来事や想いを共有しているようです。

共有することによって、地上にいる時と同等の学びが得られ、それによって成長することができると考えています。



神の摂理は完全です。

愛で結ばれた者同士は、想いを共有し、共に成長して行くことができて、それによって埋め合わせが行われていると思います。

地上にいる人の経験が、子供の学びにつながることによって、早く霊界に行ったとしてもハンディは生じないと考えています。



この人生は、ずっと続いている物語の1章です。

何度も地上に生まれ変わり、物語を綴って行く中で、先の章で経験する予定だった出来事を、この人生で経験することになったのかもしれません。

この経験を通して得られた貴重な学びは、子供たちの魂にも刻まれていて、活かされているはずです。




2026年3月29日日曜日

地上の痛み


私は毎日のように、歯の痛みを訴えて来る患者さんを診ています。

眠れなかったのであれば痛みは相当なものでしょうし、眉間にしわを寄せているようならかなり痛いのだろうと想像が付きます。


恥ずかしながら、自分も虫歯になったことがあるので、その痛みを知っています。

また、虫歯の治療される時の、不安や怖さも分っています。



虫歯になった経験がなければ、患者さんが訴えている痛みを想像できませんし、治療される時の怖さも分かりません。

好ましいことではありませんが、私が仕事をする上でその経験は役立っています。

痛みを感じることで、患者さんは異常があるのを自覚し、歯科医院を訪れます。



先天性無痛無汗症という病気があります。

この病気の人は、怪我をしても痛みを感じません。

ガンなどの病気になっても、痛みを感じにくくなります。

痛みを感じないのは良いことのように思えますが、そんなことはありません。

大きな怪我をしても気付かなかったり、病気の発見が遅れて命を落としてしまう可能性があります。

痛みは誰でも嫌ですが、身体を守り、健康を維持するために必要なものと言えます。


今、世界各地で戦争が起きています。

人は傷つき、大切な人を失い、家や街が破壊されています。

肉体的、精神的に傷つき、たくさんの人が苦痛を感じています。



今、戦争を起こしているのは、人の痛みを感じられなくなっている人たちのように思えます。

そんな人たちは、家族を失って泣き叫ぶ人たちを見ても、大義のためにやむを得ないと考えています。



罪もない人たちに、苦痛を与える大義など存在しません。

何も知らずに、霊的な大罪を犯しているのです。



人は物的に独立して存在していますが、霊的につながっています。

つながっているとは、関係性があり、互いに必要としていることを意味します。



例えば、自分ひとりになってしまったら、生きて行けるでしょうか?

極めて困難です。

食べ物を作る人がいるから、食べて行くことができます。

着る物を作る人がいるから、裸で生活しなくて済みます。

人と人はさまざまな形で関わり合っていて、1人1人が何らかの役割りを果たしていることによって、この世界は成り立っています。



その仕組みは人体と似通っています。

人体を構成している、1つ1つの細胞がそれぞれの役割りを果たすことで、正常に機能することができます。



戦争を起こしている人たちは、全体の調和を乱しているガン細胞のように思えてしまいます。

周囲の組織を押しのけて増殖して行く姿は、戦争を起こしている人たちのエゴが増幅して行く姿と重なります。



人間だけでなく、全ての生命は霊的に一体です。

地上に生まれると、五感が絶対的なものとなり、そのことが分からなくなります。



エゴが強くなると、相対的に霊的な意識は弱くなります。

それにより、生命のつながりが感じられなくなります。

人や動物が感じている苦しみや痛みに対して、何も思わなくなってしまいます。



画鋲を踏んでしまえば、痛くて飛び上がります。

足も身体の一部なので、当然です。



遠い場所で起きている戦争で傷ついた人たちを見ると、心に痛みを感じてしまうのは、霊的につながっているからです。

自分の中にある良心(神性)が疼いているからです。



もし痛みを感じなくなってしまったら、それは「足」で起きていることだから、「手」の自分には関係ないと言っているようなものかもしれません。

痛みを感じなくなる病気のように、自らの生存まで脅かされるような事態が、その先に待っているのかもしれません。



戦争を止めさせる力は、私にはありません。

つながりを通して感じる痛みは苦しいものですが、無駄にはなっていないはずです。

痛みを感じるからこそ、何とかしなければと言う想いが生まれます。



想いは具現化する力です。

そんな想いを持った人たちが増えて行き、やがて大きなうねりとなって、現実が良い方向に変わり始めると信じています。





2026年3月22日日曜日

生まれ変わり(再生)について


私が小さい頃、4歳違いの妹はある場所を極端に怖がりました。

それは水の張った浴槽です。

浴槽を見ると泣き叫んで逃げていたので、いつもどうしてだろうと思っていました。(母親と風呂に入る時は何故か大丈夫でした)

幼少期を過ぎると、いつのまにか怖がらなくなっていました。


米国のバージニア大学医学部にイアン・スティーブンソンとういう精神科の教授がいました。

彼は2300例という前世の記憶を持つと言われる子供たちを調査して、1977年「神経・精神病学雑誌 (Journal of Nervous and Mental Disease)」に「生まれ変わり現象」についての論文を発表しました。

事例として記録されたのは、前世の記憶を持つとされる子供が、前世の人物の持ち物や親しかった人を見分けられること、前世の人物に見られた特徴的な行動を示すこと、前世の記憶とされる事象が1人以上の成人によって裏付けられたなど、6つの条件の内、2つ以上を満たしたものでした。

研究によると、前世の記憶は2歳から5歳までの間に現れて、成長するのに伴い消えて行くそうです。

また、前世の死亡時の状況を覚えていて、死因となった特定の乗り物や火や水、銃火器などを見ると怖がる子がいたそうです。



「肉体がなくなっても生命(魂)は生き続ける。」

そのことは、私にとって当たり前の事実となっています。

この人生は、永遠に続く生命の営みの一部分です。

思い出せませんが、この人生の前にも地上の人生があったのです。



妹に起きていたことを、改めて考えてみると、このような推論が成り立ちます。

水を張った浴槽を見て怖がったのは、前世で溺れる経験をしていたのではないか。

魂に刻まれたその記憶が、自我が発達していない幼少期に蘇っていたのではないか。

真偽は分かりませんが、そう考えるとつじつまが合います。



世界のいたるところに、生まれ変わりの話はあります。

チベット仏教の最高指導者であるダライラマの後継者の選定も、生まれ変わりを前提にしています。

生まれ変わりとして認定されるのには、過去世を思い出して事実に基づいた話ができる、先代が使用していた物品を同定できる、先代の周囲にいた人を同定できるなどの要件を満たさなければいけません。

日本では江戸時代の「勝五郎の生まれ変わり」が知られていて、前出のイアン・スティーブンソン氏が研究を始めるきっかけとなりました。



仏教では、天・人・修羅・餓鬼・畜生(動物)・地獄の、いづれかの世界に生まれ変わると言われています。

ヒンズー教では、人間以外にも、動物や昆虫、植物などの生命形態に生まれ変わる可能性があると言われています。

霊的真理では、(地球では)人間は人間以外に生まれ変わらないと言われています。



3者に共通しているのは、因果律(カルマ)によって来世が決まると言うことです。

ただ現世で過ちを犯すと、動物などに生まれ変わると言うのは、一種の罰であり、戒めのように思えます。



人間は人間以外に生まれ変わらないと、私は思っています。

何故なら、カルマは罰としてあるのではなく、公正を保つため、学びや成長のためにあると考えているからです。

犯した過ちを償い、学ぶためには、もう1度人間に生まれて、それに相応しい経験をしなければならないと考えています。



学んでいるのは、自然法則の働きです。

法則は、神の心が顕現したものです。

神の心の核心は愛であり、愛が法則を貫いています。



愛に適った行いをすると、法則の働きにより調和が生まれ、喜びがもたらされます。

愛に反した行いをすると、法則の働きにより調和の乱され、苦痛がもたらされます。

喜びと苦痛により、私たちは愛を学び、それを表現する方向へと導かれています。



戦争は最も愛に反した行いの1つであり、著しく調和を乱します。

それによりもたらされる苦痛を世界全体が共有して、愛と平和の意味について人類全体が学ぶ時代が来ていると思われます。



愛(神性)は、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の行いなど様々な表現形態を取ります。(シルバーバーチの霊訓より)

愛を表現することによって、霊的なつながりは強まります。

物的に離れて存在している生命が、霊的に1つになって行くのを目論んで、法則は創られていると思います。



人間は法則の働きによって、霊的に成長して行きます。

成長するのに伴い、より高い次元の愛を表現できるようになります。


成長の一環として、地上に生まれます。

地上でしかできない経験を通して、地上でしか学べないことを学んでいます。

それによって成長が促されて、それまで表現できなかった愛を表現できるようになります。



地上の人生は「学校」に例えられます。

学校では、予定されていた1年のカリキュラムが終わると、春休みに入ります。

その時に、通知表が手渡されて一喜一憂します。



予定されていた地上の人生が終わると寿命が来て、霊界に戻ります。

戻った後に、地上の人生を振り返ることになり、一喜一憂します。



学び損ねたことがあるのに気付いて、それを悔やんで、もう1度学び直そうと思うかもしれません。

さらに、学びを深めたいと思うかもしれません。

あるいは、もっと別のことを学びたいと思うかもしれません。

そんな思いに対して、因果律が働いて、結果として地上に生まれることになります。



生まれ変わりは、リ・スタートです。

学年が上がると、クラスが変わり、新たな環境で学校生活がスタートします。

同じ魂が別のパーソナリティとなり、思いを成就するために最適な環境に生まれ、新たな人生がスタートします。



小学1年生が、いきなり高等な数学を習得することはできません。

まず、足し算と引き算を学ぶことから始めます。

次に掛け算を学び、その次に割り算や分数を学びます。

学年が上がることで、より難しい算数を学ぶようになっています。



何度も生まれ変わるのは、たった1度の人生で、全てを学ぶことなどできないからです。

地上に最初に生まれた時は、易しい人生になるのかもしれません。

次に生まれる時は、より難度の高い人生になるのでしょう。

より難しい人生に挑戦することによって、より価値のある教訓を学ぶことができて、魂はより大きく成長すると考えられます。



学校に行く目的は、人や社会に奉仕するための知識やスキルを身に付けて、自立した生活を営むためと思われます。

地上を生きる目的は、肉体を介した経験から霊的な学びや成長を得て、霊界に戻って全体のためにさらに自分を活かせるようになるためと思われます。



霊界で自律的に成長して行けるほどの愛を表現できるようになった魂は、もう地上で学ぶことは残されていないので、生まれ変わる必要はなくなります。



2026年3月15日日曜日

ありのままの自分

 

「ありのままの自分」という言葉を良く聞きます。

素の自分、本当の自分と言う意味でしょうか?

分っているようで、意外に分っていないような気がしたので、少し考えてみました。


人間の本質は魂(霊)です。

地上の人間は、肉体を携えた魂です。

魂は肉体の上位にあり、支配的な存在ですが、直接肉体を動かしているわけではありません。

魂と肉体の間に、精神(地上的自我)が存在しています。



受胎した瞬間、精神(地上的自我)は生まれます。

魂から生まれた想いは、地上的自我が働くことによって、肉体に命令が出され、外部に表現されます。

地上的自我は魂を表現するための媒体ですが、肉体と密接不可分の関係にあり、強い影響を受けています。

外部の危険を察知して、肉体を守ろうとするのも、この自我の働きによるものです。



地上の人間には、肉体の他に「霊体」があります。

起きている時は肉体を使って活動していますが、眠っている時は魂は肉体を離れ、霊体を使って活動しています。



魂と肉体の間に地上的自我が存在していますが、魂と霊体の間には「霊的自我」が存在しています。

地上の人間には、地上的自我と霊的自我の2つが存在していることになります。



地上的自我は肉体の影響を強く受けていますが、霊的自我は魂の影響を受けています。

地上では霊的自我から生じる想いのまま行動すると、肉体が危険に晒されることがあるため、地上的自我が抑制的に働いています。




以前、車いすの男性が踏切内で立ち往生してしまい、それを見て助けようとした女性が列車にはねられて亡くなるという痛ましい事故がありました。

魂には神が宿っています。

亡くなった女性は、地上的自我で抑えきれないほどの神性が霊的自我を通して発揮されたと思われます。



地上の人生には、生まれる前に立てられた計画(ブループリント)があります。

霊的自我にはその記憶がありますが、地上的自我にはありません。

守護霊の働きかけもあり、無意識の内に計画に沿って生きようとしますが、地上的自我が強くなってしまうと、それが出来なくなります。

例えば、金銭的な欲望に負けてしまい、計画から外れてしまう人もいます。



計画から外れてしまうと、因果律の働きによって、何らかの出来事が起きるかもしれません。

金銭的な欲望に負けてしまった人は、経済的に破綻するなど、地上的自我(精神)が追い詰められる出来事が起きるかもしれません。



また、地上的自我から生じている感情によって、計画通りに行かなくなる時があります。

怖れが強くなり過ぎると、計画されていた出来事が起きても尻込みしてしまい、予期した成長が得られなくなることもあります。

運命を呪ったり、不運として嘆いたりしてしまうと、そこから何も学ぶことができなくなります。



魂から生じている想いは、肉体によって外部に表現されることで完結します。

地上的自我の働きが強くなると、感情や考えによって妨げられて、想いは肉体によって表現できなくなります。

想い(思念)はエネルギーです。

表現できずに内に溜まった想いが閾値を超えると、因果律の働きによって、肉体を変化させるエネルギーとなり、病気として現れることもあると考えられます。



失敗、挫折、病気などの出来事からは苦痛が生じます。

苦痛により、眠っていた魂が目覚めます。

地上的自我の働きは弱まり、霊的自我が前面に出て来て、想いを素直に表現できるようになります。



不幸と言われる出来事は、本来の自分を取り戻すため、計画されていた人生を歩むための触媒の役割りを果たしていることになります。



ありのままの自分とは霊的自我のことを指していると思いましたが、そうではなさそうです。

地上的自我も含めて、ありのままの自分と思うようになりました。

頭を働かせて考え、悩みながら、地上を生きなければならないからです。

感情が生まれるのは自然なことだからです。



ありのままの自分とは、そのままの自分です。

ありのままの自分でいようとするのであれば、そのままの自分でいれば良いのだと思います。



大切なのは、地上的自我から生まれている欲求や感情や考えに惑わされずに、霊的自我から生まれている想いやインスピレーションに気付くことかもしれません。

それを表現することで、人は学び成長することができ、地上に生まれた目的が成就されて行きます。    






2026年3月8日日曜日

魂は不滅であり、永遠に生き続ける


「魂とあの世が存在する可能性は何%でしょう?」

こう聞かれたとしたら、迷うことなく100%と答えます。

何を根拠にと言う人がいるでしょうが、私なりの根拠があります。

それを少し書いてみようと思います。



20年前に左手から病気を癒す力が突然出ました。

霊的なことなど興味もなく、そんな力があることなど知らなかった私には驚きでした。



力の正体をどうしても知りたくなり、出会ったのが「シルバーバーチの霊訓」でした。

そこには、その力は「霊界」から届いていると書かれていました。

この世界のものではないと感じていたので、素直に信じることができました。



この本を貪るように読みました。

シルバーバーチは霊界にいる存在(魂)です。

交霊会において、参加者から受けた質問に対して、間髪入れず淀みなく答えていますが、霊媒であるモーリス・バーバネルが考えているとは思えませんでした。

何より、その答えに地上の人への慈愛が感じられます。

無知な私でも、高次の存在からのメッセージだと思いました。



私自身も霊界にいる存在からメッセージを受け取ることになります。

十数年前のある朝、起きる直前に、ある単語が心に浮かびました。

最近出会ったある人に、浮かび上がった単語を伝えなければならないと言う衝動が生まれました。

その単語を伝えてもらいましたが、それは少し前に亡くなった家族しか知らないものだったようです。



数日後、今度は手紙のような文章が伝わって来ました。

しばらくして、その単語を伝えた人が、家族を連れて私のところに訪ねて来ることになりました。

その文章が、亡くなった人からのものと保証するものは何もありません。

間違っていたら人間性を疑われかねませんでしたが、「根拠のない確信」がありました。



霊界にいる人の想いを感じながら、その文章をお伝えしました。

伝え終わると、ご家族は号泣されていました。

どうして泣いているのだろうと、不思議な気持ちになったのを覚えています。

ご家族もそうだったでしょうが、私自身も死んでも人は生きていると、実感することになります。



霊界の計らいを感じた出来事がありました。

16年前、義父が亡くなりました。

仲の良かった義母は憔悴し、心ここにあらずと言った状態となり、子供たちは心配しました。

半年くらい経った頃でしょうか、亡くなった義父の魂に意識を合わせ、「(義母に)何か伝えたいことはありますか?」と問いかけてみました。

返って来た答えは「早くこっちへ来い」でした。

義母まで逝ってしまうような気がしたので、戸惑いました。

けれども、託されたものと考え、伝えました。



それから数か月して、義母が末期のガンであることが分かります。

家族の誰もが少しでも長く一緒にいたいと思っていましたので、遠隔ヒーリングを行うことにしました。

効果があったのかは分かりませんが、医者の予想に反して生き続けてくれました。



ついに向こうに逝く時が来ました。

その日は、奇しくも義父母の結婚記念日でした。

再び結ばれたうれしさでいっぱいだと感じたのは、私だけではないと思います。



余談ですが、付き添っていた妻の話によると、病床の義母は義父が来ていると言っていたそうです。

遠く離れたところに住んでいて、普段は一緒にいられなかった妻の気持ちを察して、早く迎えてやりたい想いを抑えて、もう少しこの世にいるように義父が促していたと考えています。



同時に、友人の奥さんに向けてヒーリングも行っていました。

新居を建築中であり、そこでの暮らしを楽しみにしていた矢先に、ステージ4のガンの宣告を受けました。

脳に転移して予断を許さない状態にもかかわらず、一時退院して完成した新居でしばらくの間、家族と過ごすことができました。

30代の若さで逝く時が訪れますが、その日は友人の誕生日でした。

友人がどう感じたのか分かりませんが、いなくなっても忘れずにいて欲しいというメッセージのように思えました。



もちろん、二人が逝く日を選んでいたわけではありません。

偶然ならば、この記念日に逝く確率は、(単純に計算しても)5万分の1以下です。



家族にとって、言葉を超えたメッセージとなっています。

私にとって、この世の人を想う霊界の人たちの計らいを、強く感じた出来事になりました。



このような偶然とは考えられない出来事を、いくつも経験しました。

魂が存在していなければ説明することのできない出来事を、いくつも経験しました。

それらの積み重ねによって、否定する気持ち、疑う気持ちは全くなくなりました。




人間は疑い深い動物です。

目の前で証拠を見せてもらわないと、信じない人たちはたくさんいます。



そんな人たちに、「愛は存在していますか?」と質問してみたいです。

誰かに愛された経験、誰かを愛した経験がある人ならば、「存在している」と答えるでしょう。



続けて「存在しているのなら、その証拠を見せて下さい」と言ってみたいです。

返答に困り、「それはできない」と答えるでしょう。



そして「証明できない愛の存在は肯定しているのに、証明できない魂の存在をどうして否定できるのですか?」と問いかけてみたいです。

さらに返答に困ってしまうと思います。



愛も魂も、物質的次元の存在ではないので、科学的に証明することはできません。

けれども、存在しているのです。 



        

愛は、魂から放たれている最も波動の高いエネルギーです。

放たれた愛を感じているのも魂です。

魂が存在しなければ、愛は存在せず、感じることもありません。



魂の存在を信じられない人は、証明されていないからではなく、信じるに足るような経験をしていないだけです。

どんな人でも、自分が実際に経験すれば、信じるようになります。



魂や霊界の存在を信じることによって、この世を生きている意味、死の意味について理解できるようになります。

霊界で経験できないことを経験し、大切なことを学び、魂を成長させるために、この世を生きています。

寿命が来て、霊界に移行するための自然現象が死です。



「存在すると信じて、間違っていたらどうするのか?」と言う人もいるでしょう。

もし魂や霊界が存在しなかったとしたら、死んだら無になり、意識はなくなります。

信じていたのを後悔することも、騙されたと憤慨することもないので、心配はありません。



私がこれまでに経験してきたことが夢幻でない限り、精神がおかしくない限り、死んで無になることはないと断言します。

「魂は不滅であり、永遠に生き続ける」

これが真実です。






2026年3月1日日曜日

法則の働き



今から500年前、日本は戦国時代でした。

武力がものを言う時代であり、各地の大名が領土争いを繰り広げていました。

そこに住んでいた者は争いに巻き込まれ、多くの命が失われたことでしょう。

時代が進むにつれて、争いは少なくなって行き、日本は平和な社会となっています。



昔は、女性が政治に参加することは許されませんでした。

家で食事を作ったり、掃除や洗濯をするのが、女性の仕事と思われていました。

今は、女性が首相になる時代となりました。

多くの男性が、当たり前のように家事に参加しています。



世の中も人も、時代と共に変化しています。

500年前に生きていた人が現代に生まれたとしたら、あるいは現代を生きている人が500年前の世界に生まれたとしたらどうでしょう?

周りの人間との間に大きな隔たりを感じて、適応するのが困難でしょう。

その時代に見合った、進化の程度の人が生まれて来ると考えられます。



進化とは、知性が高くなることではありません。

霊性が高くなり、より神の心が表現されるようになることです。

進化した世界とは、個々の生命が持っている特性が全体のために活かされて、高度に調和している状態を指すと思います。


もし、宇宙の彼方から知的な生命が訪ねて来たらどうでしょう。

最も進化していると言われている人間が、ところどころで傷つけ合い、殺し合っています。

飢えている人、苦しんでいる人がいても、見て見ぬふりをしています。

自分が住んでいる星を汚して、他の動植物たちの生存を脅かしています。

そんな姿を見て、何て野蛮で愚かな生命だろうと思うでしょう。

現代人が500年前にタイムスリップした時よりも、強い違和感を感じるかもしれません。

形跡があるのに、人前に姿を現さないのは、進化の程度に大きな差を感じて、友好関係を結ぶ気になれないからなのかもしれません。

無用な争いをせず、協調性に富み、自然と調和して生きている、海の中にいる知的でフレンドリーな生き物の方に、親しみを感じているような気もしています。



争いがない社会になって行くのも、男女の分け隔てがなくなって行くのも、偶然ではありません。

もちろん人間がそうなるように努力をしているのですが、最大の理由は目に見えない自然法則が働いているからだと思います。



自然法則と言っても、さまざまな次元のものがあります。

水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのは、物質的次元の法則の働きによるものです。

助けてもらうとうれしくなり、裏切られると怒りが生じるのは、精神的次元の法則の働きによるものです。

より平和で平等な世界になって行くのは、霊的次元の法則の働きによるものです。

あらゆる現象に、自然法則が伴っています。



法則の根底にあるのは「因果律」です。

原因があれば結果が生じます。

「法律」に背いた行いをしても、見つからなければ咎められることはありません。

「法則」に背いた行いをすれば、相応の結果が必ず生じます。

人や動物を傷つければ、自らの魂を貶める結果が生じて、相応の苦痛を味わって償わなければいけなくなります。



神の心が法則によって顕現しています。

法則は神の公正によって貫かれています。

苦痛は公正を保つために必要であると同時に、自らの過ちに気付いて正すために存在しています。



乗り越えられない出来事は存在しないのは、神の法則の働きによって起きているからです。

苦しめるため、挫けさせるためではなく、学び成長させるために起きているので、ぎりぎりのところまで追い詰められたとしても、乗り越えられるようになっています。



どんな出来事にも原因(目的)があります。

それが分からないと、偶然としか思えません。

不幸や凶事と言われる出来事であれば、理不尽に思えて、運命を呪ってしまうこともあります。



死んで霊界に行くと、霊的な目が見開かれます。

地上にいる時に分からなかった原因(目的)が分かるようになります。



自分に足りない資質を手に入れるために、その出来事を経験する必要があり、そのために起きているのかもしれません。

あるいは、過去の人生に原因があって、今回の人生で結果として現れているのかもしれません。



自分の言動や想いが原因となり、自動的に結果を生み出しています。

生み出された結果に対する、自分の言動や想いが、新たな結果を生み出しています。

原因と結果を繰り返しながら人生が営まれていますが、その一局面として出来事が起きているのかもしれません。



いずれにせよ、偶然や不運ではなかったことを知ります。

地上にいた時に抱いていた、理不尽な思いは消えます。

そして、出来事が起こった時の対応によって、自分が形作られて行くのを知ることになります。



自分が原因を作っていないのに、苦痛を伴う出来事を経験することがあります。

そこに埋め合わせの法則が働いています。

恨まずに、その出来事を乗り越えようとすることで、魂の成長という報いがあり、神の公正が完全に保たれていたことを知るでしょう。



あらゆる存在は、法則の働きによって、神とつながっています。

神の心は愛です。

法則の働きによって、喜びが感じられる方向へと導かれています。

時に、つらく、悲しい出来事が起きますが、その経験により霊的に成長して、その先でより深い喜びが感じられるようになります。

霊的な真実が分からなくなる地上では、その時が必ず来ると強く信じて生きるしかありません。


2026年2月22日日曜日

霊的につながっている



私は家のパソコンで、この文章を書いています。

書いた文章をネット上で公開すると、皆様の目に触れることになります。

離れた場所から読んでいただけるのは、それぞれの器機が電子的につながっているからです。


地上にいる私たちは、肉体を携えた霊(魂)です。

肉体は地上における表現媒体であり、人間の本質は霊(魂)です。



食物を摂取して、肉体は活動するエネルギーを得ています。

それとは別次元エネルギーによって、霊(魂)は活動しています。



それを「生命力」と言っても良いでしょう。

科学的に証明できるものではありませんが、このエネルギーによって精神は活動し、病気や傷が治って行きます。



約20年前にヒーリングの力が突然出ましたが、その力も生命力の一種です。

以来、エネルギーが流れている感覚が常にあります。

その感覚は、寒さで体の芯まで冷え切った時に風呂に入ってしばらくすると、手足がビリビリと痺れたようになりますが、それに似ています。



感じる感じないにかかわらず、全ての人に生命力は流れています。

このエネルギーにより、私たちは生かされています。



肉体を始めとして、あらゆる物質を創っているのもエネルギーです。

宇宙はエネルギーによって創られ、変化(進化)し続けています。



宇宙の隅々にまで自然法則が働いていて、それにより秩序と公正が保たれています。

全エネルギーと全法則の総称を、「神」と呼ぶのだと思います。



広大な宇宙から見れば、地球は限られた小さな空間です。

そこに、さまざまな動物や植物が生きています。



上の絵はゴッホの「種まく人」です。

たくさんの色が集まって、1つの絵が構成されています。

目を近づけて1つ1つの色を見ても、そこにその色がある意味は分かりません。

少し離れたところから全体を見渡すと、あるべき場所にその色があることで、全体に調和が生まれて、美しい絵となっていることが分かります。




人間も同じだと思います。

人間を個別に見ただけでは、何のために存在しているのか分かりません。

全体を見渡すことで、他者とのつながりが分かり、必要とされていることが明らかになります。




生命もそうです。

全ての生命は、全体のために何らかの役割りを果たしています。

それぞれが果たしている役割りが明らかになれば、生命全体が密接につながっていることが分かります。

無用なものは、この地上に存在していません。




全ての人に流れているエネルギーは同じです。

そのエネルギーは、神的なものであり愛を帯びています。

全体のために、寄与しようとするエネルギーです。




そのエネルギーを肉体を使って表現するのが地上です。

けれども、媒体である(地上の)自我が不完全であり、意識は自分に向いてしまうために、表現は著しく妨げられています。




死んで肉体がなくなると、(地上の)自我は消滅します。

それに伴い、意識は自分から全体へと向かいます。

蘇った霊的な感覚により、全体と自分は同じエネルギーでつながっていて、全体の一部であることが分かります。

自我により妨げられることがなくなったエネルギーは、全体のために活かされるようになります。




地上に生まれると、肉体にある五感が前面に出て、霊的な感覚はその陰に隠れてしまいます。

ところが、状況が一変する時があります。

危機的な局面、深刻な出来事に直面して、魂が目覚めると、意識は自分から全体(周囲)へと向かうようになります。

霊的な感覚が前面に出て来て、全体と自分とのつながりを意識するようになります。




一例ですが、東日本大震災が起きた時に、被災地のために何かをしたいという想いに駆られた人は少なくありません。

人とのつながりが強く感じられ、平常時にはない連体感があったように思います。



私たちは、同じエネルギーによって霊的につながっています。

地上では目に見えるものが全てだと錯覚してしまうので、そう思えなくなっているだけです。

パソコンやスマホの電源を切ればつながりは断たれますが、生命のつながりを断つことは絶対にできないのです。




大切なこの事実を忘れて、過った行いをしています。

その最たるものが戦争であり、つながりを断とうとしています。




神は全てを織り込み済みです。

つながりを自覚し、誰かのために何かをしようとする者には、そのためのエネルギーと喜びが与えられます。

つながりが信じられずに、断とうとする者には、苦痛が与えられます。
    



喜びと苦痛により、エネルギー(生命力)は全体のために活かされるようになって行きます。

長い長い時間をかけて、世界はつながりを増しながら、1つになって行きます。
    




2026年2月15日日曜日

何のために生きているのか?


若い時、「何のために生きているのだろう?」と自分に問いかけていました。

けれども、いくら考えても答えは見つかりません。

周りの人たちはそんなことなど気にせずに生きているように見え、いつしか考えなくなりました。



20数年経って、「シルバーバーチの霊訓」と出会い、その中に答えを見つけました。

それは「成長するため」でした。



成長するとは、どのようなことでしょうか?

一般的には、自分の可能性を拡げたり、人間として成熟することを指します。

霊的には、より神性(神の心)が発揮されるようになることだと思います。



神の心とは、全体を慈しむ心だと考えています。

全てを愛する心と言っても良いのかもしれません。



私たちは神により創られた、神の一部です。

私たちの中に、神の心が良心となって顕現しています。



地上では肉体があり、(地上的な)自我によって自己表現しています。

地上を生きて行くために自我は必要なものですが、その働きによって良心(神性)が発揮されるのが妨げられます。



車を運転している時、横道から合流しようとする車がいたとします。

自分の良心は道を譲ろうとしますが、そのまま進んでしまおうとする考えが自我に生まれると、その行動は妨げられます。

駅のホームで、線路に落ちて動けなくなった人がいたとします。

そこに電車が迫って来ています。

良心は助けようとしますが、自我は身の安全を第一に考えて、その場に留まろうとします。

過去に助けようとして命を落としてしまった人がいますが、もう地上を生きる必要がないほどの神性が発揮された結果のようにも思えます。



霊界では肉体がありません。

そのため生きて行くために働く必要がありません。

地上では組織のために働いて、その対価としてお金をもらったり、家族のために家事をして働くことで、生活を営むことができます。



働いている中で、誰かに喜ばれたり、感謝されると、うれしさを感じます。

私も仕事をしていて、「何でもおいしく食べられるようになった」とか、「人前で笑えるようになった」と患者さんに喜んでもらえると、とてもうれしくなります。

そのうれしさが、仕事をするモチベーションとなります。


人は何故ペットを飼うのでしょうか?

かわいい、一緒にいると楽しい、癒されるなどの理由があります。

それ以外に、動物たちのために何かをしてやることに、人は喜びを感じるからだと思います。

与えた餌をおいしそうに食べているのを見たり、うれしそうに散歩をしている姿を見ると喜びを感じます。



人は誰かのために何かをすることで、喜びが感じられるようになっています。

けれども、地上では自我や肉体があるために、その喜びが感じにくくなります。

身体の具合が悪い時に、何かをしてやろうという気持ちになれませんし、無理にすれば苦痛となってしまいます。

また、物を買ったり、おいしい物を食べるなど、すぐ手に入る(地上的な)喜びがあり、それを求めがちになります。


子供の時に、わがままを言ったり身勝手な行動をしていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

社会に出て同じことをしていたら、組織に不利益をもたらす者として、クビになってしまうかもしれません。



そうなるのは偶然ではなく、神の創った法則の働きによるものです。

いつでも、どこでも、誰にでも同じ結果が生じます。

法則の働きによって生じる喜びと苦痛により、私たちは神性を発揮する方向へと導かれています。


霊界では、何もしなくても生きて行けます。

好きなことだけしていても許されます。

地上を生きている私たちにとって、まさに天国と言えます。



けれども、それだけでは成長することはできません。

人は、誰かのために何かをすると、法則の働きによって成長します。

自由に生きられる霊界で成長して行くために、生きるために誰かのために何かをしなければいけない地上に生まれて、奉仕をするための意志を培っていると考えられます。



それでは、何にために成長するのでしょうか?

私たちは霊的につながっています。

これは、霊界に行けば当たり前のように感じられることです。

地上では肉体(物質)が存在し、五感により外部を感識しているために、つながりは感じられなくなり、それぞれが独立して存在しているように見えます。

そのために、地上ならではの障壁や問題が生まれます。

それらを克服して行くために、神性が発揮されなければいけません。



自我に打ち克ち、より神性を発揮できるようになるのが、地上に生まれた目的と考えられます。

神性が発揮される度に、進化成長して行きます。

お互いを隔てているものが取り払われて、霊的に1つになって行きます。

そんな計画の元に、私たちは生きていると考えています。











2026年2月8日日曜日

世界を変えるもの


このブログで政治のことを書くことはありません。

政治は地上的なものであり、霊的なものを扱うこのブログの主旨とは違うと考えているからです。



ただ、政治のありようによっては、霊的なものにまで影響を与える場合があります。

戦争がそうです。

外交(政治)によって、戦争になったり、回避されたりします。

いざ戦争が始まれば、人と人が傷つけ合い、殺し合うことになります。

多くの人の人生が狂わされてしまい、予期していた学びや成長が得られなくなってしまいます。



霊界の人たちは政治のことをどう捉えているのでしょうか?

シルバーバーチの霊訓にはこのように書かれています。

「私たちは政党というものには関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類のためになるかということです。地上世界は悪習と不正、既成の権力が氾濫し、それが神の豊かな恩恵が自由に行き渡るのを妨げています。そこで私たちは利己主義に立ち向かっているのです。そのためになる人であれば、党派に関係なく、時と場所を選ばずに影響力を及ぼして、改革なり改善を促します。」

組織(政党)には関心がなく、個人個人の想いを察知して、社会のために何かをしようとしている人を積極的に援助していると思われます。



霊界における絶対的な基準は「愛」です。

利他的で奉仕の精神に富んだ人には、たくさんの指導霊が付いて、インスピレーションを送り、それが導きや気付きとなっていると考えられます。

想いを送って、勇気付けたり、励ましたりして、実現させようとしています。



地上の人は霊界の人のように本心を知ることができません。

人や社会のためになろうとしているのか、エゴを満たそうとしているのかを見極めるのは困難です。

それでも、普段どんな生活をしていて、どんなことをやっているのかで窺い知れます。



リンカーンは庶民的な感覚を持ち続け、贅沢な暮らしを好みませんでした。

南北戦争で犠牲になった兵士の家族に手紙を書いたり、金銭面で援助をしていましたが、そのことを公にすることはありませんでした。

そんな人はどこを探しても見当たりませんが、エゴが強くなく良心に忠実な人、質素な暮らしをして弱い者の味方になっている人であれば、ある程度信用できると思います。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことなどどうでも良いと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされる結果になります。」

エゴが強く、利己的な人たちが大きな権力を手にしている今の世界は、かなり危うくなっています。



世界はつながっています。

コロナウィルスは世界の隅々にまで広がりましたが、そのことは人と人は国や人種を超えてつながっていることを証明しています。

遠い国で起きている戦争も、他人ごとではなく、全体に影響を及ぼし、何らかの結果が返って来ます。



自然法則の働きによって、世界は1つになる方向へと向かっています。

遠い過去から現在に至るまでの道のりを振り返れば、そのことがはっきりと分かります。



進化は一直線ではなく、スパイラルを描きながら進むと言われています。

人と人を分断させ対立を生むような、自然法則に反した言動が繰り返されている今は、下方局面に入っているのかもしれません。


地上には、さまざまな人がいます。

そのために、違うもの同士の間に争いが起こり、差別が生まれます。



生きるために物質を必要とします。

そのために、強者と弱者が存在し、強者は限りなく富み、弱者は生存を脅かされる事態にまで陥っています。



争いではなく協調や調和を選び、強者が弱者を助けるような仕組みを作るのが、本来の政治の役割りであると考えています。

霊的真理を実践すれば、必然的にそうなって行きますが、残念ながら知っている人すらいないのが現状と思われます。



政治で変えることができるのは、外側の世界だけです。

世界が変わるのを政治に求めるのではなく、自分が変わることで世界が変わり始めます。

この世界は、個の人間の集合体だからです。

意志や行動が同じ方向に変わることで、根本から世界は変わります。



シルバーバーチの言葉を引用して結びます。

「地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのは容易ではありません。でも自分を変えることは今すぐからでもできます。いつどこにいても人のためを心掛けましょう。力になってあげましょう。」






2026年2月1日日曜日

未来の自分のために


地上を生きる人には、さまざまな欲求があります。

現代社会において、「承認欲求」に悩まされている人が多くいるようです。

「他人から認められたい」「評価されたい」この欲求を満足させるために、多くのエネルギーを消費している人も少なくありません。



仕事で評価をされるとうれしくなるので、私にもこの欲求があります。

向上心につながる側面もあるので、それ自体が悪いわけではありません。

問題なのは、この欲求を満たすことが生きる目的となってしまっている場合です。



欲求が満たされても、それは一時的なものです。

しばらくすると、また満たそうとします。

その理由は、金銭欲と同じく、エゴ(自我)から生まれているものだからです。

十分なお金があっても満足せずに、もっと欲しくなりますが、それと同じように、承認欲求にも際限がありません。



なぜ、承認欲求が強くなるのでしょうか?

思い出してみると、子供の頃から成績表やテストの順位、偏差値などで評価され続けて来ました。

親や先生など大人たちは、良い結果が出ると褒めて評価します。

評価された子供はうれしくなり、さらに良い結果が欲しくなります。

大人に評価されると、子供は認められている気がします。

このような環境で育つことにより、自然に承認欲求が生まれると思われます。



社会に出ても、数値などの結果により評価されることが多いです。

評価が給料や出世に反映されることが多いので、どうしても気になってしまいます。


この世は、評価をしたり、されたりすることで溢れていると言えます。

人間的な価値が、評価によって決まってしまうという錯覚に陥っている人もたくさんいます。



周りから認められた方が、安心して生きて行けるような気がします。

周りから評価された方が、自分の価値が高まり、安定して生きて行けるような気がします。

このようにして、知らないうちに承認欲求が強くなって行くと思われます。


あの世に行くと、肉体はなくなり、エゴも消失します。

それに伴い、承認欲求からも解放されます。



そこにあるのは、神の法則の働きだけです。

法則の働きによって、私たちは生きています。

神によって認められた存在であることを知ります。

誰かに認められる必要も、誰かに評価されることもありません。

あるがままの自分でいられることに、大きな喜びを感じるでしょう。



認められ、評価されることに代わって、自分の想いが法則の働きに叶っているか、反しているかが問われます。

法則に叶った想いを、一言に集約するのならば「愛」です。

叶っていれば、神(宇宙)からより多くのエネルギーを受け取ることができ、オーラは光り輝きます。

反していれば、オーラはくすんだものになってしまうでしょう。



地上においても、同じ法則が働いています。

誰かのために何かをしようとする人が輝いて見えるのは、神からエネルギーを受け取っているためです。

自分のことしか考えない人からは、そのような輝きは感じられません。



言葉や行動に込められた想い(動機)に対して、法則が働いています。

いくら頑張って行動しても、エゴの欲求を満たすためであれば、動機が法則(愛)に叶っていないので、神からエネルギーを受け取ることができません。

それでも欲求に従って行動するのなら、次第にエネルギーは枯渇して行きます。

何のために生きているのか分からなくなり、疲れ果ててしまうでしょう。



それとは反対に、誰かのために何かをしようとする時は、神の心と同調しています。

無尽蔵の源からエネルギーが供給され、目的を成就するための活力となります。



例えば、自分の評価を高めるためではなく、(組織を通して)人や社会のために貢献したいと想いながら働いた方が、エネルギーを受け取ることができるために、疲労感は少ないと考えられます。(もちろん肉体や精神は疲弊するので過労はいけません)

同じことをするにしても、エゴの欲求からではなく、他者のためであれば、上手く行く可能性が高くなると考えられます。



その現象が、スポーツの世界で顕著に表れることがあります。

2011年3月、東日本大震災が起きましたが、それから数か月後に女子ワールドカップサッカーがドイツで開催されました。

日本全体が重苦しい雰囲気に包まれる中で、大会に向けて準備を進めて行くうちに、選手たちの間に「女子サッカーで日本に元気を送りたい」という気持ちが強くなったそうです。

試合前のミーティングで「何のために、この大会を戦っているのか。それは震災で打ちひしがれた人たちに、われわれが一生懸命ひたむきにプレーする姿を見ていただいて、何とか元気になってもらうためだ」と監督は選手を鼓舞したそうです。

結果として、奇跡的な勝利が続いて、見事に優勝を果たしました。



相撲取りで、ウクライナ出身の安青錦関がいます。

避難民として3年前に来日した彼は、21歳と言う若さで大関に昇進し、2場所連続で優勝を果たしましたが、その活躍はウクライナでも話題になっているようです。

きっと、戦時下にある祖国の人たちを想いながら相撲に臨んでいるのだと思います。



以前このブログに書きましたが、あるメジャーリーガーが起こした奇跡も同様な法則の働きによって起きたと思われます。

自分の栄誉のためではなく、少女を勇気付けたい、希望を与えたいという純粋な想いが神の心と同調し、想像以上の力が出せて、奇跡のような結果が生まれたと考えられます。

人は誰かのために何かをする時に力を与えられますが、その法則の働きは地上では分かり難くなっています。



私たちは、本来の住処である霊界に戻ります。

地上的な欲求が満たされる喜びに代わり、全体のために奉仕をすることで、霊的な喜びが得られるようになります。

奉仕をしようとする時に、神から力が与えられることが、はっきりと分るようになります。



魂の成長度に見合った奉仕をすることになりますが、しばらくするとより次元の高い奉仕をしたくなります。

より次元の高い奉仕をするのに必要な資質を身に付けるために、この世に生まれて相応しい経験をしています。



自我の欲求を満たすためではなく、未来の自分が奉仕をする喜びに満たされるために生きていることを忘れてはいけないと思います。