2025年3月9日日曜日

自分の愛で癒す


人間が生きて行く上で「愛」は必要か?

答えは人それぞれです。



神聖ローマ帝国である実験が行われました。

時の権力者であったフリードリヒ2世は、「生まれつきの言語は何なのか?」という疑問を持ちました。

その答えを出すために、家来に生まれたばかりの50人の赤ちゃんを集めさせ、乳母たちに以下の条件で育てるように命じたそうです。

赤ちゃんの目を見てはいけない、笑いかけてはいけない、話しかけてはいけない、接するのはミルクを与える時、お風呂に入れる時、オムツを取り替える時のみとする。

出典は定かではありませんが、3才までに49人の赤ちゃんが、残りの1人も6才までに亡くなったと伝えられています。



ルーマニアのチャウチェスク政権(1965~1989年)下でも同じようなことが起こりました。

誤った国策によって、多くの赤ちゃんが捨てられました。

捨てられた赤ちゃんは孤児院に引き取られましたが、職員の数が極端に不足していたため、食事やおむつの交換などの最低限のことしかできなかったそうです。

そんな環境で育った多くの子供たちに、知能低下や情緒障害、自閉症に似た症状が見られました。



先日、市が主催する3歳時歯科検診に行って来ました。

多くの子供は虫歯のない綺麗な歯並びをしていますが、中にはほとんどの歯が虫歯になっている子供がいます。

親が子供のことに関心がない、いわゆるネグレクトが疑われます。

そんな子供たちは他の子供たちに比べて、感情表現に乏しいように感じられます。

現代社会においても、十分な愛情を受けられない子供たちは少なからずいると思われます。



生まれてしばらくの間は、自分で生きることができません。

誰かに守り育ててもらわなければ死んでしまいます。(そのために赤ちゃんは愛くるしく創られていると思います)

守り育てるという行為は、愛情表現に他なりません。



0才から3才までの間に十分な愛情を受けていないと、愛着障害を起こす可能性が高くなると言われています。

将来、愛情を求め過ぎたり、依存したり、人を信じることができなくなったり、愛情表現が上手くできなくなることもあるようです。

また、感情のコントロールが難しくなったり、自己肯定感が低い傾向もあるようです。



それらの症状を改善するために、いくつかの心理学的アプローチがあります。

愛着療法は、過去の愛着パターンを理解して、現在の人間関係にどう影響しているのかを探り、セラピストとの安定した関係を通して、新たな愛着の関係を得るものです。

認知行動療法は、過去の愛情不足によって生じた否定的な自己認識や不安を修正するものです。

いづれも専門家の指導が必要となります。



チャウチェスク政権下で孤児院に入れられた子供たちの中で、早期に里親の元で暮らせるようになった子供たちには症状の明らかな改善が認められました。

適切な愛情を受けられるようになったからと考えられます。



食事と水さえあれば、肉体は生きて行けます。

けれども、精神的に健やかに成長して行くためには、愛が必要と考えられます。



理由もなく、怖れや不安が生じる人がいます。

そんな人は、記憶の空白期間である乳幼児期に十分な愛情を受けていないために、世の中に対する安心感が獲得されていない可能性があります。

もし、いたたまれなくなるほどの恐怖が生じているのであれば、虐待などを受けてトラウマになっている可能性があります。



今までに自分に起きた事象と、その時にどう想って、どう行動(表現)したかが、時系列的に魂(オーラ)に刻まれています。(死後に全人生を回想します)

乳幼児期に起きていた事象と、それにより生じていた想いが紐付けされています。

何かをきっかけにして顕在意識に上って来ると、得体の知れない怖れや不安として感じられることがあります。




愛されなかったことによって生じていた怖れや不安を解放できるのも「愛」です。

以前、トラウマに苦しんでいる人を癒す方法はないかと思っていたところ、「今の自分がその時の自分に愛を与えることで想いを解放させる(癒す)ことができる」と伝わって来ました。

当時インナーチャイルドの概念を知りませんでしたが、ほぼ一致していたことに驚いた覚えがあります。



具体的なやり方です。

まず、心の中にその時の自分を思い浮かべます。

写真があれば、その写真に写っている自分の瞳を見つめます。

その時の自分に向かって「つらかったね」「さみしかったね」「怖かったね」など、共感する言葉をかけます。

「私がいるから大丈夫だよ」「もう何も怖くないよ」など、安心させる言葉をかけて下さい。

そして「大好きだよ」「愛しているよ」と言いながら心の中で抱きしめてやって下さい。

何よりも大切なのは、愛おしむ想いを伝えることです。



学びのために、愛情を与えない親を選んでいる時もあるでしょう。

苦痛を味わうことで、過ちを償っている時もあるでしょう。

そのどちらでもなく、親の自由意志によって愛情が与えられなかった時もあります。



自分に非がないのに、苦しむ必要はありません。

神の公正は完全です。

閉じ込められた想いは、涙となって表現されて、解放できるはずです。

根気よく、少しずつ、傷ついている魂をご自分の愛で癒して下さい。







2025年3月2日日曜日

神の愛


何のために生きているのだろう?

子供の頃、漠然と考えていました。

やがて大人になり、慌ただしく生活する中で、そんな疑問もどこかへ行ってしまいました。

40代になり、人生を変えるような出来事が立て続けに起こり、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会います。

その中に答えが書いてありました。



この世を生きる目的は、自分を成長させるためです。

生まれる前にいた世界では経験できないことを経験して、大切なことを学ぶためです。



学ぶべき最も大切なものは「愛」です。

愛は五感に触れません。

五感に触れない愛を、地上での経験を通して魂が感じ取り、その意味を深く学んでいます。



なぜ、そこまでして愛を学ばなければならないのか?

「愛があればこそ全宇宙が存在する」

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれていましたが、当初はその意味が判りませんでした。

今も学びの途中ですが、こんなことを考えています。


NASA公開画像

宇宙はバイブレーションでできています。

物質も生命も、固有のバイブレーションを放っています。

人間から放たれている思念もバイブレーションです。

その中で最も振動数の高い(波長の短い)ものが「愛」と考えられます。



「神は無限の愛」と言われます。

ただ、地上の人間が考える愛とは、全く次元の異なるものと考えられます。

限りなく高いバイブレーション(愛)を放つ無限のエネルギーと考えていますが、どんなに言葉を尽くしても神を表現することはできません。



神からバイブレーション(エネルギー)を受け取っているのが魂と考えています。

魂は神とつながった神の一部です。



魂が受け取ったバイブレーションは、自我により思念というバイブレーションに変換されて、地上ではそれが肉体で表現されて完結していると考えられます。

神からのバイブレーションは、媒体である自我を経由するごとに、低いものへと変わって行くと考えられます。



地上は最も低い物質的バイブレーションの世界です。

それに相応して、低いバイブレーションの思念も放たれています。

怒りや憎しみは、魂が受け取ったバイブレーションが、地上の自我の働きにより変化したものと言えます。

シルバーバーチは「憎しみの中にも神が宿っている」と言っていますが、元は神のバイブレーションだからと考えています。


物質と物質を引き付ける物理的な力が「引力」です。

魂と魂を引き付ける霊的な力が「愛」です。

肉体に閉じ込められた魂が、愛を表現することによってつながって行きます。

ばらばらに存在している人間(生命)が、愛によって霊的に1つになって行く計画が立てられていると考えています。



怒りや憎しみや恨みや嫉妬などの愛に反する想いは真逆の作用を示し、反発し合います。

お互いを遠ざける力と言えます。



世界の多くの場所で、苦しみ痛みや悲しみや怖れが生じています。

最たるものが戦争であり、愛に反する行いによってもたらされる悲惨な結果を目の当りにしています。

被害を受けた弱者が泣き寝入りをし、飢えて死んで行く人もいます。

傍観している私も、神から見れば、愛に反する行いをしているのかもしれません。



あらゆる行いに対して、神の法則が働いています。

愛を表現すれば喜びが生まれ、愛に反する想いを表現すれば苦しみや痛みが生まれるのも、法則の働きによるものです。

苦痛を与えたら、その償いとして苦痛が与えられるのもそうです。

法則の働きを知らずに、大きな罪を犯している人たちを見ていると哀れになります。


私たちは神からのバイブレーション(エネルギー)を受け取りながら生きていますが、未熟な自我でも自由意志が与えられているので、愛に反する行いをしてしまいます。

人は誰でも苦痛を感じたくはありません。

喜びと苦痛を与える法則を通して、愛を学び、表現する方向へと導かれています。



「愛は摂理の成就なり」

イエス・キリストはこう語っています。

摂理(法則)の中に、神の心が顕現しています。

神の心を表現させるものが「愛」と言えます。



宇宙は神のエネルギーで創られています。

宇宙を経綸している法則に、神の心が顕現しています。

神が愛であるならば「愛があればこそ全宇宙が存在する」という言葉の通りです。



大げさな表現ではなく、愛が全てであり、全てが愛です。

五感が前面に出ている地上では、そのことが極めて分かりにくくなっています。

次の世界に移行して、五感が取り払われて霊的な感覚が前面に出ると、自然に感じられるようになるでしょう。



怖れや不安を感じながら生きる必要はありません。

神の愛の中で生きているからです。

神のバイブレーション(愛)が感じられなくなる地上において、そのことを強く信じることができれば、喜びを感じながら生きて行けるはずです。