人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2013年10月12日土曜日
病気の根本原因とは
今までの多くの病気の方にヒーリングをしてきました。
治癒する方もいれば、効果が認められない方もいますが、どちらの方にも分け隔てなく治癒力は流れていきます。
治癒力により病気が癒され、悦びやさすらぎの表情に変わるのをこの目で見てきました。
治癒力の源が神であり、癒やしが御心であるならば、「神は愛」であり、流れていく力は「神の愛」と思わざるを得ません。
すべての人は学ぶべきものを学び、果たすべきことを果たすために、この世に生まれてきたのであり、目的が達成されたらこの世を去っていきます。
摂理に則った生き方をしていれば、シルバーバーチが言うように熟した果実が落ちるがごとく、自然に苦しまず、あの世に旅立って行きます。
しかし現実には病気を進行させ、まだ(魂が)熟していないうちに、苦しんだ末に死を迎えてしまう人が数多くいます。
私の周りを見ても、若くして病気で亡くなった方が多くいますが、ほとんどの方は家族や会社のために勤勉に働いていて、あと何十年かはこの世で喜びや悲しみ、楽しみや苦しみを経験するはずであったろうと思われます。
とても肉体の死をもって償うほど大きな過ちを犯したとは考えられず、健康な私たちとの差はわずかと思われます。
では、なぜ死んでしまうのかを考えてみると、「病気の原因や治療を肉体次元のみで考えてしまう(霊的)知識の欠如にある」という結論にいたりました。
ある人ががんになったとします。
その人は結婚をして出産し、家族のために家事と子育てを懸命にして生きてきました。
子育てが一段落したところでからだの異常に気付き医者に診てもらいます。
診断はがんで手術を勧められます。選択肢は他になかったので摘出手術を受け、化学療法も併用しました。
数年後、がんの転移が見つかりましたが、転移がんは手術の適応でないので、抗がん剤治療を始めました。
抗がん剤治療によりがんは縮小傾向にありましたが、副作用のためつらい日々を堪えねばなりませんでした。
そして徐々に抗がん剤が効きにくくなり、がんは再び大きくなり始めます。
医者は別の抗がん剤を勧め、わらにもすがる想いで治療を受けます。
そして治療の甲斐もなく亡くなったとします。
患者も医者も、病気を治したい一心な気持ちだけでした。
肉体を犠牲にするような大きな原因(カルマ)を作ってしまったとは、どうしても思えません。
この世で果たさなければならないことがまだあるとしたら、たとえ摂理に背き病気になったとしても、相応の苦痛を経験した後に、その機会が与えられると思います。
それにもかかわらず死という転帰をとるのは、何かが間違っているとしか思えません。
病気は摂理に背いた結果であり、苦痛は過ちに気付かせるための触媒です。
たとえ、手術で除去したとしても、肉体上に顕れた結果(病巣)を取り除いたに過ぎず、根本にある霊的次元での原因は依然としてそのままです。
原因がそのままであれば、それを気付かせるためにまた病気になり、苦痛を経験することになります。
まず、原因が何にあるのか、過去を静かに振り返り突き止める必要があります。
例えば、失職し挫折感を味わった、配偶者の裏切りで強い憎しみを覚えた、愛する人を失い深い悲しみが長く続いたなど、心よりさらに深いところにある魂にまで影響を及ぼす出来事がなかったかを検証します。
その時に、陰湿な感情に長くとらわれたり、相手の言動に深く傷つけられたりすると、時として病気という形で肉体に顕れることもあります。
もし相手を傷つける言動をしていれば、自らが病気となり、相手が傷ついて苦しんだのと同等の苦痛を経験しているのかもしれません。
中には人を平気で傷つけていても病気にならない人がいますが、「蒔いた種を自らが刈り取る」という摂理から逃れられる人はいません。
生まれ変わってから、あるいは病気とは違う形で相応の苦痛を必ず経験することになります。
病気になったのは偶然ではありません。
何らかの誤りに気付き、大切なことを学ぶために与えられた契機です。
自分のことしか考えず生きてきた人だったとしても、病気になり大きな苦痛を味わったら、同じ病気で苦しむ人に対して同情の気持ちが生まれます。
それは他者のことを思いやるという大切なことを学んだことになります。
その思いやる気持ちがさらに昇華し、慈愛の想いに変わり、やさしく人に接し、見返りを求めない善行を重ねていくうちに罪は償われて、病気は快方に向かっていくと思われます。
神の御心は愛です。
すべての人に償いの機会はいつでも与えられています。
摂理に背いて病気になったのであれば、摂理に適った慈愛と感謝の心で、世の中や人のために生き、欲を張らず、穏やかに過ごすことにより、少しずつ原因が取り除かれていき、必ず病気は良くなっていくと思います。
あまりにも(肉体の)病気を治すことだけにとらわれ過ぎると、引き起こした真の原因を振り返ることがなくなり、根本から治す機会を失ってしまいます。
多くの人が病気にならないために、また病気を治すために「シルバーバーチの霊訓」に代表される霊的真理を知ることは必要不可欠だと強く思います。
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