人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2014年5月22日木曜日
この世を生きる意味
この世の生は、長い道のりのほんの一部です。
過ぎ去ったこの世の人生しか、私達には分かりませんが、生まれる前にも生があり、肉体が亡くなった後も、生は続いていきます。
生まれる前の記憶は、魂の奥に仕舞い込まれて、この世で引き出すことはできませんが、明確な目的を持ち、自らが志願して、この世に生まれてきたのは間違いありません。
この国、この場所、この親、性別、およその人生の設計図、それらすべてを承知した上で、魂は母体に宿ります。
この世で、自分の足りないところを補うためであり、大切なことを学ぶためです。
前世で、どうしても果たせなかったことを、果たすためです。
前世で、神の摂理に反した悔やまれる行いを、償うためです。
特別な使命があって、生まれてきた人もいます。
様々な出来事に出会あったり、いろいろな経験をしますが、生まれる前に自分で自分に約束をしたことを果たすために、1つとして欠けてはならないのかもしれません。
必要だということになります。
昔、絵を描いた時のことを、思い出しました。
明るい色、好きな色ばかりで描いた絵は、なぜか深みがなく、単調で、表現は乏しくなってしまいます。
暗い色があってこそ、明るい色が映えるのであり、色彩の調和には嫌いな色も使わなければいけません。
近くで見ると1つ1つ色の存在意義はわかりませんが、少し離れて眺めると、全体のためになくてはならない色であったことが、よく分かります。
人生も、バラ色で、楽しいことばかりだったらいいのにと、思ってしまいます。
しかし、つらいこと、悲しいこと、避けて通りたいことも、たくさんあります。
苦難の真っ只中にいる時には、ただつらい、悲しいばかりで、一刻も早くそこから逃れたいと思うばかりです。
そこに隠された意味を知ろうとする余裕はありません。
しかし、後になって、すべてのことが連綿と繋がっていて、1つ1つの出来事や経験が、生まれる前に自分で自分にした約束を果たすために、不可欠であったことが、きっと分かると思います。
意味のない苦しみ、意味のない悲しみは存在しません。
楽しいことは、楽しいだけで終わってしまいます。それほど大事なことではなく、1ヶ月もすれば忘れてしまうかもしれません。
つらいことであればあるほど、悲しいことであればあるほど、心の奥深くまで響き、忘れることはありません。
真の意味は、自分そのものである魂を、呼び起こすことにあります。
それまで眠っていた、魂を目覚めさせるためです。
魂に目覚めた時から、全く新しい人生が始まります。
自分で自分に約束した、本当の人生が始まります。
魂は神の一部としてつながっています。
魂に目覚めて、生まれて初めて、神の心に触れ、もっとも大切なものに気付きます。
大切なものは、ただ1つしかありません。
愛です。
愛よりも生命の方が大切と思われるかもしれません。
生命も愛です。
生命は魂であり、神の心を表現する一部です。肉体はこの世だけの道具(媒体)です。
神は無限の愛です。
よって、生命は神のものであり、愛そのものです。
生命は愛そのものであるため、しきりに愛を表現しようとします。
愛を表現しているのが、魂の自然の姿です。
しかし、肉体を持つと魂は埋没し、存在は意識されなくなります。
愛を表現したいという魂の要求は、残念ながら肉体からの要求に掻き消されてしまいます。
自分という意識が強くなればなるほど、神から遠ざかり、愛を表現出来なくなってしまいます。
素直に愛を表現できなくなると、神の摂理である因果律が働き、苦痛を経験をして、魂が目覚めて、自然の姿を取り戻し、素直に愛を表現出来るようになります。
愛を表現することは、摂理そのものであり、神の懐に抱かれ、真の悦びを手に入れることができます。
小さな道端の草も、地球の一部を構成する存在です。
小さいながらも、動物にとって必要な酸素を作って、空気中に放出しています。
動物たちは植物から、なくてはならない恩恵を受け取って生きています。
すべてが調和しながら、お互いがお互いのために生きています。
どんな小さくても、小さいなりに、ささやかな愛を表現しています。
あまりに当たり前で、何も思わなかったことすべてが愛です。
愛がすべてであり、すべてが愛です。
神の摂理が愛であることはわかっていても、嫌な人、敵対する人、自分を苦しめるものを愛するのは、きわめて難しいことです。
しかし、因果律は厳格に働きますので、嫌悪を向ければ嫌悪が、憎しみには憎しみが、敵対には敵対が、返ってきますので、賢明な方策ではありません。
こちらが何も想わず、何もしなければ、少なくても相手から返されることはありません。
さらに、相手を受け入れ、許せたのなら、自らを苦しめる想いから解放されます。
もし、愛することが出来れば、その障害、その苦難を完全に乗り越えたことになり、嫌な人ではなくなり、敵対する人ではなくなり、自分を苦しめるものではなくなります。
より高い愛が表現できるようになったのであり、魂が向上した確かな証です。
そして、この世に生まれてきた意味の1つを、成就したことになります。
参考ページ: 「人生のシナリオは自分を成長させるためにある」
「この世を生きる意味 その2」
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