2026年8月16日日曜日

生命は霊的につながっていて1つである


6500万年前、メキシコのユカタン半島に隕石が衝突しました。

その衝撃で直径160Kmのクレーターができて、地球規模で気候変動が起こり、恐竜が絶滅したと言われています。

もし隕石が衝突していなければ、今も恐竜が闊歩していて、その陰で人間はひっそりと暮らしていたのかもしれません。



現在、地球上の生命の頂点にいるのは人間です。

他の生命に比べて、格段に知性が発達しています。

言葉により高度なコミュニケーションができ、さまざまな物を作り出しています。



知性の発達は、人間を幸せにしているのかと言えば、そうとも言えません。

アインシュタインの優れた知性により、相対性理論が発見されました。

しかしながら、その発見により原子爆弾が作り出されました。

どのような結果をもたらすのかを検証しないまま、日本に投下され、たくさんの人々を不幸にしました。


人間には、知性の他に兼ね備えているものがあります。

それは「霊性」です。

生命の本質を表す、最も大切な側面です。



霊性の中心には「神」が存在しています。

他者を思いやる気持ち、傷つけてはいけないと思う気持ちは、良心と言う神から生まれています。

神の心がどのくらい発せられているのかで、その人の霊性が決まります。

原子爆弾が落とされたのは、知性の発達に霊性の進化が追い付いていなかったからです。



生命が調和して生きるにはどうすれば良いのかを考えるために、知性が与えられています。

けれども、地上の人間はエゴという側面も持っています。

エゴは自分を中心に考える傾向があるため、全体の調和を乱すような感情や考えが生じることがあります。



そして、人間には自由意志が与えられています。

エゴを優先して、過った自由意志の行使をしてしまうと、不幸な結果がもたらされます。

人間の知性が作り出したものを、霊性の伴っていない人間が手にすることで、たくさんの人たちが傷つき、苦しんでいます。



2020年からコロナウィルスの流行が始まり、わずか数年の間に世界の隅々にまで広まりました。

それは、世界中の人たちが物理的につながっていることを意味しています。



目に見えないつながりは、他にも存在しています。

今、この文章をパソコンやスマホでご覧になっているのも、目に見えない電子的な回線でつながっているからです。



名前も住所も知らない遠く離れた人に、私はヒーリングを行っています。

それが可能なのは、人間(生命)同士が霊的につながっているからです。



こんな経験はなかったでしょうか?

親しい人が、何を想っているのか、言わなくても分かっていた。

それも、目に見えないつながりを通して、想いが伝わって来たからだと思います。



近くにいる人が泣いたり笑ったりしていると、それにつられて泣いたり笑ったりしてしまうことはなかったでしょうか?

それも、つながりを通して想いが伝わって来たからだと思います。



霊的なつながりの本質とは「生命と生命は関係性を持っている」ことです。

そして「お互いがお互いのために生きている」ことです。



例えば、動物は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、植物は二酸化炭素を吸収して酸素を放出しています。

両者は密接に関係していて、生きて行くためにお互いが必要な存在です。



人間の腸内には約40兆個もの細菌がいると言われています。

腸内にいる細菌は、免疫に関与したり、食物繊維を分解したりするなど、多様な役割りを果たしています。

もしいなくなると、病原菌に対するバリア機能が失われるなど、生命維持に深刻な影響を受けると考えられています。

一方、人間は細菌が生きて行くために必要な環境と栄養を提供しています。

意識している、していないに関わらず、1つの生命は他の生命と関わり合いを持ちながら、お互いのために生きているのです。



地上では、人のために働いて、その対価として金銭を得ることにより、生きて行くことができます。

霊界に行くと、生きて行くために働く必要はなくなります。

人のために何かをするのには、「愛」が必要になります。

神の力である愛により、お互いがお互いのために生きている世界が霊界です。

愛を表現することにより、魂と魂とのつながりは強くなって行きます。



地上では、それぞれの生命は独立して存在しているように見えます。

実際は、霊的につながっていて、1つの共同体を成しています。



ある人が長い宇宙旅行を終えて、地球に戻って来たとします。

漆黒の宇宙空間に浮かぶ、青く輝くこの惑星を見た時に、美しいオーラを放つ、1つの生命体のように感じられるかもしれません。


広大な宇宙の中において、地球は最小のユニットです。

全ての細胞が人体のために何らかの役割りを果たしているように、地球上の全ての生命は全体のために何らかの役割りを果たしています。



自分がどんな役割りを果たしているのか、今ははっきりと分らないかもしれません。

けれども、死んで霊界に行くと分かるようになります。

想ったこと、言ったこと、行ったことの1つ1つが、周りに影響を与えていたことを知ります。

周りに与えていた影響が、地上での自分の役割りであったことに気付く人もいるでしょう。



広いこの世界の中で、自分の存在はとても小さく感じられます。

小さく感じられても、他の人間や生命と関わわりながら生きる中で、何らかの役割りを果たしています。

役割りを果たしていない生命は、この地上に存在しません。



「生命は霊的につながっていて1つである」

この事実を受け入れることができれば、地上を悩ましている多くの問題が解決します。



戦争は自分で自分を傷つけている、愚かな行為であることに気付くでしょう。



皮膚の細胞と筋肉の細胞は、形態や機能が違っていても、そのどちらもが人体に必要不可欠なものです。

差別とは、筋肉の細胞が皮膚の細胞に向かって、自分の方が優れていると言っているのと同じで滑稽なものです。



貧困や飢餓に苦しむ人を見ても、他人事のように思えてしまうことがあります。

でもそれは、自分の足が大変な状態になっているのに、自分は手なので関係ないと言っているようなものです。



地球温暖化が着実に進行しています。

水温が少しずつ高くなっていても、それに気付かないまま「ゆでガエル」になってしまうのと同じことが起きているのかもしれません。

人間が地球とのつながりを忘れてしまった結果だと思います。



「生命は霊的につながっていて1つである」

大げさでも、戯言でもありません。

そのことを忘れているために、なくても良い苦しみや痛みが生まれています。

危機的な状況に陥り、魂が目覚めた時に、そのことに気付くかもしれません。



もし、6500万年前と同じような巨大な隕石が、数年後に地球に衝突すると分ったのなら、戦争は直ちに終わるでしょう。

それまで追い求めていた地上的なものに価値がないことに気付くでしょう。

生命のつながりを感じるようになり、慈しみや感謝の想いを大切にして生きようとする人も出て来るでしょう。



幸いにして、今のところその心配はありませんが、「生命は霊的につながっていて1つ」であることに、早く気付くべきだと思います。

それは、地上の現状を憂いている、霊界にいる人たちの切実な願いであると感じています。




2026年8月9日日曜日

この世を生きる意味はあの世にある


子供の時、死ぬのが怖かったです。

意識が消滅して、自分が失われてしまうと思ったからです。



人間の本質は魂(霊)です。

肉体を失ったとしても、生命は変わりなく存続し、意識はそのままです。

そのことを知り、死は怖くなくなりました。



あの世は、この世の延長線上にある「おまけ」のような存在ではありません。

私たちの本来の住処です。



あの世では肉体がありません。

自分(肉体)に向いていた意識は、周りに向けられるようになります。



この世を生きて行くために遣っていた(生命)力は、周りのために何かをしようとする力となります。(低い界層は除く)

その力の源泉は、無限の愛である神だからです。



あの世では、自分の好きなことだけをしていても生きて行けます。

けれども、好きなことばかりをしていても、どこかに物足りなさ、虚しさを感じるようになります。

周りのために奉仕をして、霊的な悦びを感じながら生きる方を、自然に選択するようになります。



しばらくすると、より次元の高い奉仕をしたくなります。

そのために自分に足りない資質を自覚するようになります。

その資質を身に付けるためには、それに相応しい経験をしなければいけません。




あの世では起こり得ない出来事を経験するために、この世に生まれて来たと考えられます。

また、この世で借り(カルマ)を作ってしまい、それを返す(償う)ために生まれて来た人もいます。

いずれにせよ、自分を成長させるために、この世に生まれる必要があったのです。



生まれる前の自分は、そのことを承知していましたが、いざ生まれると、その時の記憶はなくなります。

もし、あの世にいた時のことを覚えていたとしたら、戻りたくなってしまう人も少なくないでしょう。

生まれる前の記憶がなくなり、死が怖いものであった方が、この世での目的を果たすために都合が良いと考えられます。



「人生は楽しむもの」とよく言われます。

苦労などなく、楽しいことばかりだったら、どんなに良いだろうと思っている人がほとんどかもしれません。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身に付けたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努めることです。耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。それは勿論楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬なのです。」

楽しいばかりの人生では、得るものは少ないようです。

霊的な宝(学び)を手に入れるために、この世にしかない苦しみという触媒が必要なようです。



また、このようにも書かれています。

「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解が行けば苦しい思いをしなくなります。」



マラソン選手の中には、月に1000キロ以上走る人もいるそうです。

「走った距離は裏切らない」と言った人がいましたが、過酷な練習の中で、自分の限界が進展して行くのを知っているのだと思います。

試合で最高の結果を出すという「目的」があるからこそ、苦しい練習にも耐えることができるのだと思います。


もし私が、目的を告げられないまま、何十キロも走らされることになったらどうでしょう。

「何で」「どうして」という疑問を抱きながら、走りたくもないのに走ることになります。

苦痛以外の何ものでもなく、途中で走るのを止めてしまうでしょう。



人生も同じです。

生きる目的が分からないと、生きるのが苦しく感じられます。



それぞれの人生に、明確な目的があります。

その目的を果たすために、経験しなければならない出来事があります。



出来事の目的(原因)が分からないために、「何で」「どうして」という疑問が生まれて、憤りを感じてしまう人もいるでしょう。

分かっていれば、納得できるような気がしますが、一概にそうとも言えないようです。



もし、人生で起きる出来事が、予め分かっていたとしたらどうでしょう?

例えば、50歳で命にかかわる病気になることが分かっていたとしたら、そのことが気になってしまい、平常心でいられなくなるかもしれません。

病気にならないために、あらゆる手を尽くそうとする人もいるでしょう。

先のことに意識が行き過ぎて、今を精一杯生きられなくなってしまう可能性があります。



出来事の目的を、知っていたとしたらどうでしょう?

大切な人を喪った人がいたとします。

仮に、別れの目的が最も大切なもの(愛)を学ぶためであったとします。

知っていたとしても、そんなことはどうでも良くなってしまう人が多いのかもしれません。

ただ、前と同じように一緒にいたいと思うだけかもしれません。

悲しみ、苦しんだ末に、目覚めた魂が学ぶべきものであり、頭で知っていても何の意味もありません。



人間には、考えや感情があります。

誤った考えや、好ましくない感情に捉われてしまうと、魂の成長に関わる学びが疎かになってしまう恐れがあります。

苦しんだとしても、分かっていない方が良いとの、神の配慮があるのでしょう。

「学び成長させるために出来事は起きている」そう強く信じることで、目的は果たされて行きます。



死んであの世に行くと、この世の人生を振り返る時が来ます。

そこで出来事の真意を知ります。

出来事を通して、予期していた学びが得られたのを知ったのなら、思わず安堵するでしょう。



この世の経験を通して学んだことは、あの世で活かされます。

足りなかった資質が身に付けられ、より次元の高い奉仕ができるようになったのなら、生まれて来た目的を果たせたことになります。

この世の苦しみや悲しみは、奉仕ができる悦びへと変わります。



ふと、こんな疑問が生じました。

熊本で大きな地震が起きました。

つらい思いをされている人たちがいますが、それにも意味があるのか?

不自由な環境に耐えながら、生活を再建して行かなければいけませんが、その経験も何らかの影響を魂に与えているはずです。

シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「人生の苦難は魂が向上して行くための階段です。困難、障害、不利な条件ーこれらは魂の試練なのです。それらを克服して行くことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。」

こんなことを言える立場ではないと承知していますが、その先で大変な出来事が起きたとしても、あの時の苦しさから比べれば大したことはないと思えたのなら、魂が強くなっているはずです。

同じように苦しんでいる人を見て、手を差し伸べたくなったのなら、魂が純粋になっているはずです。

出来事を経験した者にしか得られない学びや成長があり、それにより神の公正が完全に保たれていると信じています。



まとめになるような文章を、シルバーバーチの霊訓の中に見つけました。

「人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界に戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身に付けるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。」


シルバーバーチの霊訓より

この世を生きる意味は、あの世にあります。




2026年8月2日日曜日

意志は感情よりも強い

 

前回のブログで、強制収容所で拷問を受けたオランダ人女性コーリー・テン・ブームのことを取り上げました。

「赦しは意志による決断です。感情がついてこなくても、その意志は働かせることはできます。」

彼女のこの言葉が、とても印象に残っています。

コーリー・テン・ブーム 出典: Wikipedia


地上の人間は、「肉体」と「精神」と「魂」の3者から構成されています。

厳密には、肉体の他に霊体があります。

そして、精神には肉体と強く結びついている「地上的な自我」と、魂と強く結びついている「霊的な自我」が存在しています。(シルバーバーチの霊訓に書いてある「パーソナリティ」と「インディビジュアリティ」がそれに当たると考えています。)




本当の自分とは、霊的な自我です。

霊的な自我の一部分が、地上的な自我として顕現していると言っても良いのかもしれません。

死んで霊界に行くと、霊的な自我で自己表現が始まり、意識の拡大が起こります。



シルバーバーチの霊訓には、こう書いてあります。

「ものごとは自分次第で善にもなり悪にもなります。そこであなたの選択権、自由意志、決断力、判断力を使用する必要があるわけです。それは大霊があなたに与えた神性の1つです。」

人間は自由意志が与えられています。

自由意志が神性の1つならば、霊的な自我によって決断が行われていると考えられます。



肉体(五感)によって得られた情報は、地上的な自我を通して、霊的な自我に伝えられていると考えられます。

霊的な自我はその情報を基に、魂に内在されている良心(神)に照らし合わせて、どのような行動をするのか決めていると考えられます。

霊的な自我で決められたことが、地上的な自我に伝えられて、肉体に命令を出して行動に移されていると考えられます。

この往復が繰り返し行われることで、地上の人生が営まれています。



霊的な自我が意志を決定するのに際し、地上的な自我は大きな影響を及ぼしています。

例えば、踏切の中で倒れている人を見たとすると、霊的な自我からは(良心の働きにより)助けようとする意志が生まれます。

ところが、地上的な自我からは、自分の身を守るために、怖れの感情が生まれます。

その感情が大きくなると、助けるという意志決定は困難となり、行動に移せなくなります。



法則に反した行いをしようとすると、それを引き留めるような、言葉を超えた良心の声がします。

それを無視して行動に移すと、その罪は霊的な自我に印記されます。

例えばお金が欲しくなり、人に危害を加えて手に入れたのなら、その先で苦痛を伴う償いが生じます。

霊的な自我が決めた行動に対する責任は、霊的な自我が取ることになり、その間は成長することができなくなります。



「物的身体は霊が自我を実現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい。」シルバーバーチの霊訓にこう書いてあります。

霊(魂)が上位にあり、次に精神があって、その下位に肉体があります。



最上位にある霊(霊的な自我)から生まれる意志の力には、精神(地上的な自我)から生まれるいかなる感情も敵いません。

そのことから、冒頭のコーリーが語ったことが理解できます。

怒りや憎しみと言う「感情」よりも、赦すという「意志」の力が勝ったのです。



難易度の高い仕事をする前に、私も不安や心配が生じる時があります。

そんな時に、上手く行くように願うのではなく、自分を信じるという意志、「患者さんのために成功させる」と言う意志を持つことで、不安や心配を追い払うようにしています。



仕事や趣味など、夢中になってしている時はどうでしょうか?

それまであった感情から解放されていることに気付くはずです。

意志を持つことにより、感情に捉われずに済みます。



話が少し逸れるかもしれませんが、スポーツの世界などで「ゾーン」という言葉を聞くことがあります。

ゾーンに入った時は高度に集中していて、最高のパフォーマンスができると言われています。

また、試合中にチームメートが何を思っているのか、何を望んでいるのか分かっていたと語っていたアスリートがいましたが、そんな時もゾーンに入っていたのでないかと思われます。



ゾーンに入っている時は、地上的な自我の働きが抑えられ、霊的な自我が前面に出て来ていると考えています。

時間の感覚も希薄になり、感情や考えに捉われない、俗に言う無我の境地に入っていて、自分の意志が忠実に表現されているように思います。

その時の感覚は、霊界にいる時の感覚に近いのではないかと想像しています。



以前、踏切内で倒れている老人を助けようとして、巻き込まれて死んでしまった女性がいました。

「助ける」という強い意志により、死の恐怖を感じなくなっていたと考えられます。

その瞬間、地上的な自我の束縛から解放され、霊的な自我から生じている神性が遺憾なく発揮された結果だったと考えられます。



1947年、インドはイギリスの植民地支配から独立をしました。

その立役者がマハトマ・ガンジーです。

インドは長い間、イギリスから理不尽な要求や対応を受け続けていました。

国民に強い憤りが生まれていましたが、ガンジーは「非暴力」「不服従」を選択しました。

その意志を持つことにより、感情を封じ込めようとしていたと考えられます。

もし、感情に任せて力で対抗していたのであれば、力によって封じ込められて、独立は叶わなかったでしょう。

因果律の働きを熟知していた偉大な霊覚者だったのです。



怒りや憎しみなど、成長を妨げるような感情を抱き続けると、苦しみを感じるようなっています。

法則に適った意志を持つことによって、それらの感情は打ち消されて、その苦しみから解放されます。



地上と違い、霊界では何もしなくても生きて行けます。

そして、思念(意志)が直ちに具現化される世界です。

見方を変えると、意志がなければ何も始まらない世界です。



周りのために何かをすることで、人は悦びを感じ、成長して行きます。

地上では、さまざまな出来事が起こります。

出来事を克服するために、意志を持って臨まなければいけない局面に遭遇します。

そのような経験を繰り返すことによって、思念が全ての霊界において、周りのために何かをする「意志」が培われていると考えられます。