2025年4月13日日曜日

生きることは愛すること


約20年前のある朝、左手に痺れを感じました。

歯科医という職業柄、頭を傾けて口の中を覗いているため、頸椎を痛めてしまったと思いました。

けれども、その痺れは肩から指先へと一定の速度で移動して行くので、神経的なものとは違っていました。

ネットでいろいろと調べてみて、もしかしたらヒーリングの力かもしれないと思いました。



ある日、妻が胃痙攣を起こしたので、試しにお腹に手を置いてみました。

すると手のひらからビリビリと力のようなものが勢いよく流れて行くのが感じられました。

しばらくすると、痛みが和らいだようです。

不思議なことが起きているのに、少し興奮したのを覚えてまいます。



人は、この力を自然治癒力として持っています。

医者ではなく、自然治癒力が病気を治しています。

もし、この力が存在しなければ、医者は患者の体にメスを入れることはできません。



ヒーリングの力も自然治癒力も「生命力」の一種です。

生命力はどこから来るのでしょうか?

 


私たちは生きるためのエネルギーを、食物から摂っています。

けれども、それは肉体だけの話です。

地上の人間は魂、精神、肉体の複合体です。

非物質である魂は、非物質である「生命力」によって活動しています。

魂に供給された生命力は、次元変換されて精神を活動させる力となります。

何も食べないでいると肉体の活力は低下しますが、精神の活力は保たれるのはそのためです。



魂と精神と肉体は密接に関係しています。

精神の調子が悪くなると、肉体に病変となって現れることがあります。

胃潰瘍はその典型です。



精神と魂の間にも、相互作用があります。

極度の怖れが精神で生じると、魂が生命力を受け取り難くなります。

それが精神の活動を低下させ、ひどくなると思考が停止し、いわゆる頭が真っ白の状態となります。

取り越し苦労はしてはいけないと、シルバーバーチは繰り返し言っていますが、生きる力が奪われてしまうからです。


宇宙全体が神です。

神とは無限の意識であり、無限のエネルギーです。

私たちは宇宙の一部として、全体(神)と繋がっています。

たとえて言うのならば、身体を構成している1つの細胞です。

1つ1つの細胞に同じ血液が流れて生かされているように、個々の生命には同じ力が流れて生かされています。



全体(神)と霊的に繋がっている魂に供給された生命力は、精神そして肉体へと流れて行きます。

高い次元から低い次元へと(垂直的に)流れているので分かり難いのですが、ヒーリングする時は肉体を(水平的に)流れて行くので、その力を体感することができます。



私たちは、全体(神)から届いている力によって生かされています。

そのことを、より多くの人に分かってもらうためにヒーリングの力が存在すると考えています。



神との繋がりは永遠です。

肉体を失っても、同じ力によって魂は生かされ続けます。

ヒーリングの力は、神を源泉として霊界の人たちを介して、地上にいる私たちに届けられます。

神の愛を帯びた力なので、魂が癒されて、病気が治ると考えられます。



同じく、生きる力である生命力も、神を源泉としているので愛を帯びているはずです。

けれども、媒体である精神(自我)が不完全なために、歪められて表現されてしまいます。

大きく歪められてしまうと、時に憎しみになります。

憎しみの中にも、神が宿っていることになります。

自我が完全に近づくのに従い、神の心を忠実に表現できるようになります。

それが霊的成長であり、生きている目的と考えられます。



本来、生命力は神の愛を表現するためにあるものです。

生きることは、愛することです。

けれども、地上にいる私たちは肉体があるため、霊的な感覚が鈍くなり、そのことに気付けません。

意識が自分に向くため、生命力は自分を守ったり、養うために費やされます。



死んで肉体がなくなると、意識は外部に向くようになります。

生命力の働きによって、ごく自然に外部に愛を表現したくなります。



地上においても魂にまで響く出来事を経験して、霊的に目覚めて、愛を表現したくなる衝動に駆られる人もいます。

少し前になりますが、踏切内にいた老人を助けようとして、電車にひかれて亡くなった女性がいました。

危機的な状況を目の前にして、女性の魂が目覚めて、止むに止まれずに愛を表現した結果と考えられます。



私たちの本来の住処は霊界です。

生まれて来たのは、霊的なものが見えなくなる地上で、最も大切なものが愛であることを、実体験を通して、魂に刻み込むためと考えられます。

その目的を果たした人が霊界に戻ると、生まれる前よりも強く高い愛を表現できるようになっています。

愛する悦びをより感じながら、生きるようになっています。






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