2024年6月30日日曜日

分け与えることで進化する

 

シルバーバーチの霊訓に、こんな一文があります。

「地球は宇宙の惑星の中で最も進化の程度の低い部類に属します。」

人類は宇宙へロケットを飛ばせるくらいなので、かなり進化していると思っていたので意外でした



科学技術の発達は、どうでも良いことなのかもしれません。

進化の程度は霊性の発達によって決まります。



地球はどうでしょう?

最も進化していると言われる人間が、お互いに傷つけ合っています。

他の生命を虐げています。

そして、多くの生命が暮らしている地球を汚しています。

霊界から見ると、とても進化しているようには見えないのでしょう。



高度に進化している惑星はどうなっているのか想像してみました。

争いなどなく、助け合いながら生きているでしょう。

それぞれの生命が果たしている役割りを知っていて、互いに尊重し合っているでしょう。

文明に溺れることもなく、自然と調和した生き方をしているでしょう。

物的世界に生きていながら、神の摂理(自然法則)の働きを遵守していると思います。



人類が一足飛びに進化するとは考えられません。

摂理の働きに反した行いをして、因果律の働きにより苦しみや痛みを味わい、摂理を学びながら、少しずつ進化して行きます。

その行程が、霊界から見ると歯痒く感じられるのでしょう。

初めから摂理の働きを知っていれば、無用な苦痛を味合わずに済むので、あらゆる手段を講じて地上に霊的真理を普及させようとしていると思います。



けれども、真理の普及は容易ではありません。

地上に生まれると、五感により外部を認識するようになり、それに伴い霊的な感覚が失われ、目に視える物が絶対的なものになるからです。



意識は自分(肉体)に向かうようになります。

自分が1番可愛くなり、他者への関心が薄れて行きます。

戦争が起きても、飢餓で死んでいく人がいても、自分には関係がないように思えてしまいます。



人間の重要な役割りの1つに、地上にいる動物の進化を促すことがあります。

愛を与えることによって進化が促されますが、現実は多大な苦痛や恐怖を与えています。

おびただしい数の牛や豚やニワトリが、酷い環境で飼育され、恐怖を味わいながら殺されています。

人間の食料になるために創られたわけではありませんし、人間の身体も肉を食べるように創られていません。

動物たちが果たしている真の役割りを、まだ知りません。



多くの物を持っていると、豊かになったような気がします。

悲しいことに、物質的な欲望には際限がありません。

手に入れても、しばらくすると飽き足りなくなり、もっと欲しくなります。

物を持つことで豊かになったという錯覚が、地球環境を壊しています。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「唯物主義はその本質が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨念ーこうしたものを生み出すのは唯物主義です。物質がすべてである、死はすべての終わりである、だったら自分の思うままに生きて何が悪い、と言う論法です。こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。」

目に視えるこの世界がすべてだと思うと、利己的になりがちです。

目に視えない世界が存在し、死んだら誰もがそちらに移行します。

そのことが客観的に証明されれば、世界は大きく変わるでしょう。

けれども証明されたら、この世に見切りをつけて、そちらの世界に行こうとする人が後を断たなくなると思います。

未熟な人間がそのような過ちを犯さないために、神の配慮によって証明されないようになっていると考えられます。



世の中は急速な勢いで、2極化が進んでいます。

同じ惑星の中で、貧困で飢えて死にそうな人もいれば、莫大な富を持っている人もいて、その差が著しくなっています。



イエス・キリストがこんなことを言っています。

「金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がやさしい」

持てる者が持たざる者に分け与えないのは、想像以上に罪なことなのかもしれません。

生活して行くためにはお金は必要であり、あるのに越したことはないと思ってしまいますが、利己主義に陥らないように気を付けなければいけません。



支えになっている言葉が、シルバーバーチの霊訓にあります。

「あなた方の人生は楽ではありませんし、これまでも楽ではありませんでした。しかし、そうした問題に関わる法則があります。施す人は決して困窮することはない、必要なものは必ず与えられるというものです。そのためには、経験によって得たことを人生の中で精一杯表現することです。そうすることで神との絆が強くなることを悟るでしょう。その絆を強くすればするほど、援助と力が流れる通路として、今まで以上に役立つことができるのです。」

人や社会のために役に立とうとしていれば、贅沢はできないけれども、生活して行くことはできるようです。



「神の愛の宣教者会」という組織があります。

1950年にマザーテレサによりコルカタに創設されましたが、その後、拠点は増え続けて、現在世界145か国にあります。

貧しい人、困っている人、弱った人たちを救うためにと言う動機が摂理に適っているために、神から援助の力が与えられていると思います。

援助の力は、人間に内在している神を通して、奉仕活動や寄付という形で与えられていると考えられます。



社会においても、摂理の働きは認められます。

社会貢献を目的にし、利益を社会に還元している会社は、摂理に適っているので、末永く発展して行くと考えられます。

一方、利益だけを追求している会社は、動機が利己的で摂理に適っていないために、一時的に発展しても、いずれ衰退して行くと考えられます

せかけの社会貢献は通用しません。

神を欺くことは不可能であり、奥底にある動機に摂理が働いているからです。



私の家の裏に、ある乳飲料製造販売会社の保育所がありました。

保育料は格安で、小さなお子さんのいるお母さんたちに、安心して働いてもらう配慮がありました。

商品に価値があるのは当然ですが、時代に先駆けて外で働きにくい女性の雇用を創出し、守り続けて来たことも、会社が長く存続している大きな理由になっていると考えられます。



人や社会や国、そして人類全体にも神の摂理が働いています。

摂理を遵守することで、繁栄して行くようになっています。



「四海同胞、協調、奉仕、寛容─こうした精神こそ人生の基本であり、これを基礎としない限り真の平和はあり得ません。持てる者が持たざる者に分け与えることによって互いに奉仕しあい、睦みあい、援助しあうこと─この単純な真理は繰り返し繰り返し強調しなければなりません。」

シルバーバーチはこう言っていますが、争いに費やされる人やお金を、困窮している国や人のために分け与えれば、世界はどんなに良くなるだろうかと思ってしまいます。



分け与えるもので、もっとも価値のあるものは、やはり霊的真理(神の摂理)です。

真理を知れば、物的なものも分け与えるようになり、人や動物を傷つけたり、苦しめたり、悲しませることができなくなります。



真理が広まるのに従い、進化の速度は早まり、地球は「最も程度の低い部類」から抜け出すことができるでしょう。

進化をしながら、霊的に1つになって行きます。




2024年6月23日日曜日

生命力について


3時間しか眠らなかったというナポレオンの話は有名です。

実際は、昼寝をしていて、会議の合間やお風呂でも眠っていたそうです。

そうでなければ、身が持つはずがありません。



肉体を休息させるために私たちは眠りますが、それ以外にも目的があります。

この世の人間は、肉体、精神、魂(霊)の複合体です。

眠りにつくと、魂は肉体から抜け出して霊界に赴きます。

そこで、日中にすり減らした生命力を充填して、鋭気を養っていると考えられます。



人間は数日間眠らないでいると、深刻な健康被害をもたらします。

さらに眠らないでいると、死に至ると言われています。

眠らなければ、生命力の充填ができず、枯渇すると心身が破綻してしまうと考えられます。



過労死は絶対にあってはなりません。

厚労省の基準では、月80時間(直近100時間)以上の時間外労働があると過労死と認定されます。

過労死をした人たちは、毎晩9時以降まで仕事をしていたことになるので、帰宅し食事や風呂を済ませると、直ぐに就寝時間となります。

けれども、長時間の労働で高ぶった神経(精神)が鎮まらずに、眠れない人も少なくないと察せられます。

眠ることができなければ、生命力を充填できないまま、次の朝を迎えることになります。



酸素が不足すると、息苦しさを感じます。

生命力が不足すると、生き苦しさを感じるようになります。

十分に眠ることができずに、(生命力が充填されないまま)昼間に消費してしまうと、さらに不足して行きます。

生き苦しさ我慢し続け、生命力の不足が閾値を超え、精神や肉体が破綻してしまう、それが過労死ではないかと考えています。

労働時間の超過は当然のことですが、睡眠時間の不足も過労死の大きな要因になっていると考えられます。



もちろん、起きている時にも生命力は流れ込んでいます。

何かをしようとする(目的が生じる)と、魂に生命力は流れ込み、それにより精神は活動して、肉体を働かせます。

誰かのために何かをしようとする時には、神の心と同調しているために、より多くの生命力が流れ込むと考えられます。

生命力が漲っている時は、生き生きとしています。



目的(意志)がないまま、精神を働かせていると、生命力の流入が伴わずに、生命力が費やされます。

やりたくないことを、無理にやらされている時などがそうです。

目的(意志)を持ってやっている人は、生命力が充填されるために、そうでない人に比べて疲労度は少ないはずです。



アウシュビッツ捕虜収容所で生き残った人たちは、過酷な状況においても生きる目的を持っていたと言われています。

目的を持つことで、生命力が枯渇せずに済んだと考えられます。



負荷がかかる坂道を上って行くことで体が鍛えられるように、苦しみのあるこの世を生きることで魂は鍛えられます。

苦しみが生じるような出来事に、怒ったり、嘆いたりすると、いたずらに生命力を消費して、余計に生き苦しさを感じてしまいます。

そんな時は、自分を成長させるために起きていると信じることで、生命力が再び流れ込み、その力によって前に進むことができます。



「乗り越えられない出来事は決して起きない」これは大切な真理の1つです。

乗り越えるとは、自分が変わることによって、それまで味わっていた苦しみから解放されることだと考えています。

この世で起きる出来事の霊的な目的は、苦しみや痛みを味わう中で、好ましい方向に自分が変わるためにあります。

けれども、負の感情が生じてしまうと、変わるための力が奪われてしまいます。



小学生の息子さんを、交通事故で亡くされたご両親がいました。

道路を渡っている時に、車にはねられてしまいました。

まだ小さかったので、標識の中に書かれていた「横断禁止」の意味が分からなかったそうです。



身も引きちぎられるような悲しみや苦しみを感じていたであろうご両親は、交通事故で亡くなる子供や、自分と同じ思いをする家族がいなくなって欲しいと願うようになりました。

そこで小さな子供でも分かるような標識に変える運動を始めました。

奮闘努力の末に実を結び、全国の道路標識にひらがなで「わたるな」の文字が加えられました。


子供やその家族のために役に立とうとする意志は、神の心と一致しています。

大きな生命力がご両親に流れ込んで、目的を成就させたと考えられます。

その生命力により、ご両親の魂も少なからず癒されていたと思います。

この標識を見て、渡るのを止めた子供も少なくないでしょう。

好ましい方向に世の中を変えようとしたご両親の魂も変わったと思います。



この世を生きる目的は、あの世に帰って、周りのためにより自分を活かせるようになるためです。

私たちを生かしている生命力の本質は愛だからです。





2024年6月16日日曜日

運命共同体


HD1(出典: Harikane et al.)

四角の中の赤い点のようなものが、現在観測されている中で最も遠い銀河です。

何と135億光年の彼方にあります。

地球が誕生したのが46億年前なので、そのはるか前に発せられた光を見ていることになります。



遠くの銀河で起きていることを、私たちが知る必要はありません。

知らなければいけないのは、この地球で起きていることです。


NASA公開画像

地球上には、たくさんの国があります。

それぞれの国には法律があり、それを守りながら人々は生活しています。

守らなければいけないのは法律だけではありません。



宇宙の隅々まで「法則」が働いています。

法律をすり抜けて、罪を逃れる人はいますが、法則をすり抜けることはできません。

霊的な存在である私たちは、法則の働きによる報いを必ず受けます。



戦争が終わる気配がありません。

多くの人を傷つけ、苦しませる戦争は法則に反しています。

残念なことに、戦争を首謀している人たちは、法則が働いているなど思ってもいません。

死後に、自分の行いによりもたらされた結果を目の当たりにして、愕然とするでしょう。



戦争に関わっている人、それを傍観している人に伝えたいことがあります。

それは、私たち人間は霊的につながっていて、1つだと言うことです。



生命のつながりは、生態系として学校で習いました。

生態系(出典:浦安市HP)

生態系は、物質的なつながりを表しています。

最も重要なのは、図で表すことのできない、霊的なつながりです。

人と人との霊的なつながりについて、シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「肌の色・民族・宗教の違いはあっても、全人類は等しく神性を吹き込まれ、目には見えなくとも永遠に切れることのない霊の絆で結ばれております。それゆえ全人類は未来永劫、あなたの神聖なる家族の一員であり続けるのです。すべての大霊の子供たちの中に、互いを結びつける霊の絆が存在するという事実は、人間に共通の霊的資質があることを認識させることになります。それは戦争も混乱も流血も悲劇も存在しない社会体制を確立し、平和の中で霊的本性に秘められた才能と美と豊かさを開発する生き方を可能にしてくれるのです。」

戦争で怪我をした子供たちや、破壊された建物の映像を見る度に、哀しみや腹立たしさを覚えるのも、良心という神性によって私たちはつながっているからです。



人間の身体には、37兆個もの細胞があると言われています。

1つ1つの細胞に無駄なものはなく、身体(全体)の中で何らかの役割を果たしています。

全身の細胞は、同じ血液が流れることによって、つながっています。

そのために、一部分が悪くなれば、全身に影響を及ぼします。



地球は1つの生命体です。

1人ひとりの人間は、地球を構成している1部分です。

全体(地球)の中で、それぞれが役割りを果たすために存在しています。



自分はどんな役割りを果たしているのだろうか? 

分からない人は少なくありません。



上の写真はタイヤで、車のパーツであることは直ぐに分かります。




それでは、このパーツは何のためにあるのでしょうか?

直ぐに分かる人は少ないと思います。



答えは、タイヤを車軸に固定するナットです。



地球を生きている人の役割りは、多種多様です。

タイヤのように誰にでも分かる役割りをしている人もいれば、ナットのように目立たない役割りをしている人もいます。

しかしながら、ナットがなければタイヤはその役割りを果たせません。

全体にとって必要不可欠であり、大切さに変わりがありません。



車のナットではありませんが、自分しか見えていないと、自分の役割りは分かりません。

他者との関わり合いの中で、初めて分かります。

それは他者との関わり合いの中で、自分の役割りが発揮されるからです。



死んで霊界に行くと、霊的な目が見開き、視野が格段に広くなります。

全体の中で、自分がどんな役割を果たしていたのかが、はっきりと分かるようになります。





道端に生えているタンポポにも、ちゃんと役割りがあります。

二酸化炭素を酸素に変えることで、動物が生きて行くために一役買っています。



神の創った設計図は完璧です。

この世の中に、無駄なものは何1つありません。

全体の中で役割りを果たしています。



爪と皮膚は性質の違う組織です。

それぞれに役割りがあり、調和しています。

戦争は、調和が完全に失われた状態を指します。

同じ身体の中にある指の爪と指の皮膚が、それぞれの存在を主張することで、ひどい炎症を起こしているようなものです。

自分で自分を傷つけている、極めて愚かな行為です。



傷ついた人、苦しんでいる人がいても、自分には関係ないと思うのは、自分の足の指にひどい炎症が起きているのにも関わらず、自分には関係ないと思うのと同じです。

遠く離れた場所で起きていても、少なからず全体に影響を及ぼしていて、自分にも関わっていることを忘れてはいけません。



地球で起きていることは、全員で共有することになります。

人間だけではなく、他の生命とも共有することになります。



全ての生命は、運命共同体です。

人間の罪に対する代償を、罪のない動物たちが共有しています。

温暖化の被害を受けたホッキョクグマ 出典:NATIONAL GEOGRAPHIC


たとえ形として見えなくても、それぞれが何らかの役割りを持っている、かけがえのない存在です。

地球と言う限られた空間の中で、助け合うことで進化成長して行く存在であることを、しっかりと自覚しなければいけません。





2024年6月9日日曜日

今を生きるために神を信じる


金太郎という名前の犬を飼っています。

肝臓にガンが見つかり、先月手術をしました。

終わった後に金太郎に会いに行くと、もう麻酔から醒めていて、いつもと変りなく元気に見えました。

先生から話を聞いたところ、ガンはかなり大きく出血を伴い、手術は大変だったそうです。

もし、自分が受けたのであれば、1週間位はベッドの上で痛みに耐えながら過ごすことになったでしょう。

回復力には驚くばかりでした。



身体を癒す力は自然治癒力です。

その力の存在がなければ傷口は塞がらず、身体にメスを入れることはできません。

病気を治す主役は自然治癒力であり、医者はその手助けをしていると言えます。



自然治癒力はどこから来るのでしょう?

源泉は神です。

全生命は神の一部としてつながっていて、生きる力(生命力)を受け取っています。

受け取った生命力が、身体を癒す力として働いています。



私の患者さんに、中年のサラリーマンの男性がいました。

ある日、口の中が痛いと来院されましたが、診ると歯ぐきがひどい炎症を起こして、ところどころから膿が出ていました。

急性の炎症を起こした理由は、免疫力が低下して、細菌の勢いが増したためと考えられます。

聞いたところ、仕事で大変なストレスがかかっていたそうです。

ご自身が受け取っている生命力の大部分が、精神活動に費やされてしまい、肉体まで回って来なかったために、免疫力が低下したと考えられます。



「取り越し苦労は大敵です。生命力を枯渇させて、霊性の発現を妨げます。」

シルバーバーチの霊訓には、こう書かれています。

取り越し苦労をすると、不安や心配などが生まれ、それが外部からの生命力の流入を妨げます。

流入した生命力は、魂⇒精神⇒肉体へと次元変換されながら伝わっています。

あれこれと頭で考え、不安や心配が強くなると、生命力の多くが精神で費やされてしまい、肉体に十分行き渡らなくなります。

肉体において生命力は免疫力や自然治癒力として機能しています。

つまり、取り越し苦労をしている人は、病気になりやすく、治り難いと考えられます。



ヒーリングの力も生命力の一種です。

免疫力が高まるのは、乳がんの患者さんにヒーリングを行った後に取ったデータ(下図)により証明されています。

ヒーリングをすると不安や怖れが和らぐのは、生命力の本質が愛であることを意味しています。

ヒーリング後に上昇したNK細胞活性(赤丸)


地上の人間は、肉体、精神、魂(霊)の3者の複合体です。

神から伝わった生命力により魂から意志が生まれ、その意志が精神を働かせて、肉体に命令が出され、肉体により表現されて完結します。

新しいこと、難しいことに挑戦する時、何とかしてやり遂げようとする意志が生まれます。

上手く行くように、精神が働いて、肉体を動かします。

ところが、精神は上手く行かなかった時のことも考えます。

あらゆる事態を想定することは必要ですが、その意識が過剰になると怖れや不安が生じてしまい、上手く行くのを妨げてしまいます。

やり遂げようとする力(意志)が、怖れや不安の感情により損なわれてしまいます。

力が出せなかった時は、そのような感情に支配されていることが多いです。



犬の金太郎を見ていると、つくづく思うことがあります。

それは「今を生きている」と言うことです。

過去や未来に捉われたりせずに、目の前で起きていることに真剣です。

回復が早いのは、生命力が精神によって損なわれることなく、治癒力として肉体に注がれているためと思います。



子供も生命力に溢れています。

動物と同じように、今を生きているからだと思います。

大人になるのに従い、自我が発達して、今を生きるのが難しくなって行きます。

過去を思い出しては、怒りや悔いなどの感情に苛まれてしまいます。

将来を考えては、心配や不安などの感情に捉われてしまいます。



百歳を越える人に長生きの秘訣を尋ねると、腹を立てないこと、くよくよしないこと、そんな答えが返って来ることが多いです。

生命力を損なう感情をなるべく持たないことで、肉体に回る生命力が維持されて、病気になりにくくなると考えられます。



それでも、生きているといろいろな出来事が起き、さまざまな感情が生まれてしまいます。

そんな時、シルバーバーチの霊訓のこの言葉を思い出します。

あなた方は一体何を恐れ、また何故か神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身をゆだねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って、神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。心の奥を平静にそして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通じて発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことが出来るのです。愛がすべての根源です。」

霊界にいるシルバーバーチにとって、神の力で生かされている私たちが、何故神の力が信じられないのか理解できないのかもしれません。

そして、こうも言っています。

「神の力は物質的な宗教的建造物ではなく、霊的存在であるあなたがた人間を通して流れます。もしあなたが確固たる不動の冷静さを保てずに怖気づいてしまえば、その力は発揮されません。あなたは神の一部なのです。神とは何か形がない遠い宇宙の果てにもやもや浮いているような存在ではありません。神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。あなたの内奥に宿された神性である愛を人生で発揮すればするほど、それだけあなたが神をこの世に顕現させていることになります。霊が進化・成長するとはそのことを言うのです。」

神は全宇宙であり、全法則と考えられます。

私たちは神(宇宙)を構成する一部として、地上を生きています。

全宇宙に無限に満ちている力によって生かされています。



愛と同じく、神も五感で感じられません。

地上においては、信じるしかないのです。

必要としている人は、信じられるようになる出来事を経験するかもしれません。

目に視えない最も大切なものに、経験を通して気付くことは、地上に生まれて来た目的そのものだからです。



神の存在を能動的に信じることによって、つながりが強くなり、そこから流入する力(愛)によって、怖れや不安や心配など無用な感情が払拭されて、今を生きる力が生まれます。





2024年6月2日日曜日

この世を生きる意味


昔、買った「霊力を呼ぶ本 ~生きがいの発見~」という本を改めて読んでいます。

著者は、シルバーバーチの霊媒であるモーリス・バーバネルです。

豊富な霊的知識と真理を元にして、地上を生きる教訓が書かれている良書です。(残念ながら出版元である潮分社は廃業しているために書店には置いてありません。)



その本の中で、マイヤースという米国の女優の体験談が書かれています。

彼女は結婚22年目で突然、最愛のご主人を亡くされて、茫然自失の状態となります。

そこから這い出さなければいけないと思い、「起きてしまったことはもはやどうしようもない。あんなことさえなかったらと思ってみても、何の役にも立たない。もう、それを忘れてしまうことだ。」と考えるようにしたそうです。

自分一人だけの「忘れよう会」を結成して、「どうしようもないことは忘れること」をモットーにして掲げました。

けれども、自分一人で忘れよう忘れようとすると却って過去を思い出すことになると気付いた彼女は、趣旨に賛同するを募ったところ、7人が集まったそうです。

「要するに心のスイッチを切り替えて、過去のことは忘れるよう自己暗示をかけるのです。それが1日の一刻一秒を何か仕事をしていることにつながります。」と彼女は言います。

話の途中で悲しみが出て来て話が途切れそうになったり、情けないことを言い始めると、規則違反ですよと他のメンバーが注意しました。

そうしているうちに、次第にみんな新しい自信を覚えるようになったそうです。

そして、全米各地に同じような会が結成されて行きました。

月日はかかりましたが、暗闇と空虚さから立ち直って人生に生きがいを見い出せるようになった彼女はこう語ったそうです。

「最初の段階で1番つらい思いをしました。が、それが結局は幸せへの1番の近道でもありました。自分のことを不幸だと思わないようにすることです。それさえ出来れば、もうあなたは幸せへの道を歩み始めたことになるのです。」



正直なところ、人間は機械ではないので、記憶は消せません。

従来のグリーフケアとは真逆で、悲しみに蓋をしているだけと思う人もいるでしょう。

けれども、彼女はそう決めて実行することで、最悪の状態を脱することができました。



話は変わります。

オーストリアにヴィクトール・E・フランクルという精神科医(フロイトと並ぶ心理学の第4の巨頭)がいました。

フランクルはユダヤ人と言う理由で、1941年にナチスドイツに連行されて、家族と共に強制収容所に送られます。

その後、ご両親とご兄弟と奥様は収容所で亡くなります。

アウシュビッツ強制収容所

彼は医学生時代から「ロゴセラピー」という生きる意味を見い出すことで精神的な苦悩から解放させる手法(意味の癒し)を考えていました。

いずれはガス室送りになるという絶望的な状況下で、自らがその手法を検証することになります。

彼は、こう想像することにしました。

「ある日ついにナチス・ドイツが敗北し強制収容所から解放される。心理学者である私は、明るく照らし出された美しい大講堂の演壇に立って講演している。会場には、ゆったりとしたクッションの椅子に多くの聴衆が座り、熱心に私の話に耳を傾けている。私は収容所で自分が体験したことや、そこで見聞した様々な人間模様を心理学的観点から語る。聴衆はその講演を聞き、たとえどんな状況におかれても希望をもち続けることができるのだというメッセージを受け取る。」

そうすると、今、自分が置かれている悲惨な状況を第三者的な目で見ることができるようになりました。

自分の現在の苦境や苦悩を上から見下ろすことができ、それがあたかも過去のことであるかのように見なすことが可能になったそうです。

解放された未来に立って、半ば強引的にですが現在の苦境に意味を持たせました。

彼にとって、この意味付けは癒しとなり、生きる力にもなったそうです。

自分の考えが間違っていなかったことを確信した彼は、後にこう語っています。

人生は状況から耐え難いものに決してならず、ただ意味と目的の欠如によりそうなる。」



他人がどう思おうと関係ありません。

マイヤースは「自分を不幸と思わない」と決めました。

悲しい出来事には違いありませんが、自分の意志で決めれば不幸でなくなると、彼女は言いたかったのです。



「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった1つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」フランクルはこう言っています。

運命に翻弄されても、考え方や生き方は自分の意志によって決めることができます。

自分の意志によって、置かれている状況を克服できることを、この2人は証明しています。



小学校に入る頃でしょうか、何度も転びながら、自転車に乗るのを覚えました。

本を見たり、人に教えてもらうだけでは、決して乗れるようになれません。

それと同じです。

大切なこと(真理)学ぶためには、時に苦しい思い、痛い思いをしながら、自らが経験しなければいけません。



価値のある真理ほど、手に入れるための経験は困難なものになります。

ぎりぎりまで追い詰められ、これ以上無理と観念しかかった時に手に入れて、それまでの苦痛から解放されることもあります。

「どんな人生でも生きる意味がある」という真実を、壮絶な経験をしてフランクルは手に入れました。



それに霊的真理を付け加えることによって、より理解が深まると考えられます。

(フランクルのように)未来の自分が思い描けなくても、取り巻く環境が劇的に変わる瞬間(死)が必ず訪れます。

その後に赴くのは、全体のために自分が役に立つことに、生きる悦びを感じる世界です。

しばらくそこで生活をしていると、もっと役に立ちたいと思うようになります。

それに当たり、自分に足りない資質があることを自覚します。

その資質を手に入れるためには、それに相応しい経験をしなければいけません。

霊界ではできない経験をするために、この世に生まれることを志願します。

この世を生きる意味とは、次の世界で役に立つ悦びを感じながら、自律的に成長して行くために、必要な経験をすることにあります。



起きたことを、どのように捉え、どのように生きるかを決めるのは自分です。

決めたことが、自分を成長させるものであれば、神の意志と同調して、生きる力が与えられます。

成長を妨げるものであれば、因果律の働きにより、生きる力が枯渇しかけて、苦しみが生じます。

その苦しみは、成長させる方向に転換させるための触媒となっています。

無駄なものは何1つありません。



生きる意味を見失うことが、この世を生きる意味である場合があります。

次の世界に行くと、起きたことの意味を知ります。

そして完全な公正が保たれていたのが分かります。

本来の住処で悦びに満ちた生活をするために、この世でこの経験がどうしても必要だったと強く信じることで、生きる苦しみは多少なりとも和らぐと思います。






2024年5月26日日曜日

神の心


神の存在は信じていませんでした。

宗教上の産物であり、一生無縁と思っていました。

20年前に霊的真理と出会い、その考えは一変しました。



神は存在しています。

ただ、宗教で言われているような、第3者的な存在ではありません。

霊的真理(シルバーバーチの霊訓)で「神は法則」と知りました。



もし法則がなければどうなるでしょう?

石を空に向かって投げると、ある時は地面に落ちて来て、ある時は大気圏外まで飛んで行ってしまいます。

この世界は偶然に支配され、極めて不可解なものになるでしょう。

宇宙の秩序は、法則の働きによって保たれています。



全宇宙と全法則の総称を神と考えています。

神のエネルギーによって全てが創られ、神の法則の働きによって全ての事象が起きます。

神とは全てです。



神には心があります。

神の心を一言で表現するならば「愛」です。

私たちは神の心を表現する、神の一部として存在しています。

人を傷つけたくない、人を助けてやりたい、誰に教えられたわけでもなくそう思うのは、生まれながらに良心と言う神が宿っているからです。



神の心は、法則の働きの中にも顕現しています。

神の心(愛)に反した行いをすると、法則の働きにより苦痛が生じます。

わがままばかり言っていると、仲間外れにされて、孤独という苦痛を味わいます。

神の心(法則)に適った行いをすると、喜びが生じます。

人を助けて喜ばれると、自分まで喜ばしい気持ちになります。

私たちは、痛みと喜びを通して法則の働きを学びながら、愛を表現する方向へと導かれています。



愛は五感に触れません。

地上ならでは経験を通して、愛を認識することになります。



病気や障がいによって、愛の大切さに気付くことがあります。

ベートーヴェンは音楽家としてこれからと言う時に聴力を失いました。

絶望の中で死も考えましたが、苦しみの末に家族や友人そして自分自身への愛を見い出し、生き続けることができたそうです。(第九の中にその過程が表現されていると思います)



医学で為す術がなくなり、追い詰められた人がいます。

ヒーリングを受けて病気の痛みから解放された人の中には、人智を超えた神の愛に感謝する人もいるでしょう。

苦しみや痛みや悲しみの経験は、愛を認識するために、欠くことのできない触媒になっています。



作家の三浦綾子さんの代表作の1つに「塩狩峠」があります。

主人公の青年を乗せた汽車が、峠の頂上に差し掛かった時に連結部が外れてしまい、客車がゆっくりと下り始めてしまいます。

鉄道員でありクリスチャンでもある主人公が、暴走を防ごうとレールと車輪の間に自分の身体を挟んで、大惨事になるのを防いだという物語です。

これは実話であり、イエスの説く自己犠牲を究極の形で体現したものとして書かれていますが、実際に客車に乗っていて命が助かった人たちは、愛について深く考えさせられたのに違いありません。

死によって、愛の意味を知る人もいます。



神の心(愛)を表現すると、神と同調して、神的なエネルギーが流れ込みます。

人に優しくすると、自分の心がほのかに温かくなるのを感じるのはそのためです。



東日本大震災があった直後のワールドカップで、なでしこジャパンは奇跡的な優勝を果たしました。

ダメージを負った日本のためにと奮闘している時、神の心と同調して、神的なエネルギーが流れ込んで、想像以上の力が発揮されたと考えています。



塩狩峠で殉死した青年ですが、乗客を助けようと言う想いが、神の心と同調して、神的なエネルギーが流れ込んで、死の恐怖から免れていたと考えられます。

イエスの「全き愛は恐れを知らない」と言う真理を実践していました。

これ以上、地上を生きる必要がないほど、霊的に進化していたと考えられます。


死んで霊界に行くと肉体はなくなり、五感は消滅します。

地上で視えている物は視えなくなり、地上で視えない思念が視えるようになります。

愛が光輝となって、魂から放たれているのが分かります。



地上で愛を深く知ることで、より高い愛を表現できるようになっています。

試練を乗り越えて来たことで、より強い愛を表現できるようになっています。

生れる前より光輝を放つようになっていたのなら、地上の経験は活かされたことになります。



愛を表現することが何故必要なのでしょう?

創造的なエネルギーが物的なエネルギーに変換された瞬間、宇宙が誕生したと考えています。

物的なエネルギー(肉体)に、霊的なエネルギー(魂)が宿った瞬間、生命体が誕生したと考えています。



物的な存在が引力により引き付け合うように、霊的な存在は愛により引き付け合います。

ばらばらになった個々の生命が、愛によって引き付け合い、霊的に1つになって行く、それが宇宙を創造した神の意志と考えています。



愛が引き付け合うのに対して、愛に反する想いは反発し合います。

今、世界で起きている争いは、愛に反する想い(怒り、憎しみ、恨み)が表現された結果です。


怒りや憎しみの想いに駆られて争いをしている人たちに、宇宙空間から地球を眺めてもらいたいです。

地球が1つの生命体であり、強烈なオーラを放っているのを感じるでしょう。

人を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じであり、最も愚かな行為であることに気付くでしょう。



個々の生命は、全体のためになくてはならない存在です。

運命共同体であり、霊的につながっています。

全体が見えなくなってしまうと、そのことに気付けなくなります。



苦しみや痛みを伴いながら、愛を表現する方向へと向かっています。

長い、長い年月をかけて、法則の働きによって、世界は1つになって行きます。




2024年5月19日日曜日

神とのつながり


昔は、調べ事があると図書館まで行ったものです。

欲しいものがあれば街まで出かけました。

今はスマホがあるので、居ながらにして用が済みます。



生活に欠かすことのできないスマホですが、もし百年前の人に見せたとしたらどうでしょう?

薄べったい物体にしか見えません。

遠くにいる人とやり取りができるなど、想像もしないでしょう。


私たち人間も想像を超えた存在です。

目に映っているのは肉体ですが、それを動かしているのは精神です。

その内奥に魂(霊)が存在しています。

異なる次元に存在する、肉体、精神、魂(霊)の3者の複合体が地上の人間です。

千年後には、そのことが当たり前のように認知されているでしょう。



死んで霊界に行くと、物質的次元の肉体は失われます。

五感もなくなり、言葉を介さない思念のやり取りによって、コミュニケーションが行われるようになります。

スマホでコミュニケーションができるのは、ネットワークでつながっているからですが、思念のやり取りができるのも、魂と魂が霊的につながっているからです。



地上の人も同じで、霊的につながっています。

何を根拠に?と言う人もいるでしょう。

約20年前にヒーリングの力が出現し、遠く離れた場所にいる人に癒しの力を届けられるようになりました。

メールはアドレスを入力すれば届きます。

ヒーリングの力は名前も住所も分からない人にも届きますが、霊的なネットワークが張り巡らされていて、受ける人に意念を向けた瞬間、霊的なつながり(リンク)ができると考えられます。

そのつながりを通して、ヒーリングの力は伝わって行きます。



思念とは波動(エネルギー)です。

音叉の原理と同じで、思念を受け取ると同じ思念が生じます。

地上ではさまざまな思念が放たれていますが、五感から入る情報が圧倒的な存在感を持っているため、感識するのが難しくなっています。

霊的な感受性の高い人であれば感じ取れるでしょうが、それほど高くない人でも、無意識の内に受け取り、少なからず影響を受けていると思われます。

もらい笑い、もらい泣き、あるいは集団(群衆)心理と呼ばれるものは、放たれている思念の影響を受けて、同じような反応をしてしまうことだと思います。

地上の人も、霊的につながっているのです。




子供の時の夏休みに、家族で海の近くに泊まりました。

夜、1人で抜け出して海を見に行きました。

浜辺で寝そべると、それまで見たことのない数の星空が広がっていました。

しばらくすると、宇宙と一体になったような不思議な感覚になりました。

1人で真っ暗なところにいるのに怖くないどころか、何とも言えない安心感がありました。



私たちは独立している存在のように思えます。

それは物質(肉体)に限った話です。

霊的には宇宙と一体です。

真っ暗な場所で、宇宙と自分だけしか認識できなくなり、一体感が蘇ったと考えられます。

安心感が得られたのは、何か大きな存在に見守られている感じがしたからです。



私たちは、神とつながっています。

何を根拠に?と言う人もいるでしょう。

怪我をすると血が流れます。

しばらくすると血が固まって止まります。

固まった血はカサブタとなり、数日経つとはがれ落ちます。

その下には新しい皮膚ができています。

この一連の現象は、自然法則の働きによって起こります。

傷が治って行くのは、自然治癒力の働きによるものです。

ここで言う自然が神です。

神とのつながりなしに、存在しているものはありません。



個々の細胞は全身の一部としてつなっがっているように、個々の生命は宇宙(神)の一部としてつながっています。

個々の細胞に同じ血液が流れているように、個々の生命に同じ力が流れています。



「神と一体であり、神の力によって生かされている。」

死んで霊界に行くと、この感覚が取り戻されます。

肉体があり、霊的な感覚が著しく鈍くなっている地上では、そう信じるしかありません。



信じることにより、神とのつながりが強くなります。

流れ込む生命力によって、地上を生きる怖れや不安や怒りは和らいで、穏やかな心でいられるはずです。




2024年5月12日日曜日

守護霊の存在を信じる


一人でいても、一人ぼっちではありません。

地上を生きている人には、守護霊が付いています。

一生涯、守護霊は変わることはありません。

片時も離れることはありません。



私たちは、自分を成長させるために、地上を生きています。

そのために最適な人生が計画されています。

計画に沿って生きることで、予定されていた学びや成長が得られます。



けれども、地上の人には自我(エゴ)があります。

エゴに負けて、計画されていた人生から逸れてしまうことがあります。

そうならないように、守護霊は地上の人を導いています。



霊界からの導きは、インスピレーションの形を取ることが多いです。

私事ですが、20年近く前に仕事で不祥事が起こり、行政機関に呼ばれて事実確認されることになりました。

行政の判断によっては、仕事が立ち行かなくなり、廃業の可能性がありました。

それを避けるためには、不都合な事実を隠すしかありません。



その時、私の心の中に浮かんだのは「正直に全てをさらけ出せ」と言うものでした。

少し前に、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会っていました。

そこには「乗り越えられない困難は起きない」と書かれていました。

その言葉を信じて、インスピレーションに従い、全てをさらけ出しました。



その結果、想定された中で最も重い処分が下されました。

明日をも知れぬ、暗闇の日々が続くことになります。



処分を受けたのも、元へと言えば自分が原因です。

霊的真理に書かれていた「因果律の働き」を、この経験から痛いほど学びました。



あの時、嘘をついていたらどうなっていたのだろう?と想像する時があります。

処分は軽く済んだと思われ、胸を撫でおろしたでしょう。

運が良かったと思いながら、それまでと同じような生き方をしていると思われます。



私たちは寿命が来ると、肉体から離れて霊界に行きます。

そこで地上の人生を振り返ります。

何を思いながら、何をしたのかを、全て思い出します。

あの時、処分を逃れるために嘘を付いたことが、いかに愚かな行為だったのかに気付くことになるでしょう。

インスピレーションに従わなかったために、魂が目覚める機会を逸してしまったことを知るからです。

せっかく出会った霊的真理は目の前を素通りしています。

ヒーリングの力の意味を知らないまま、利己(金銭)的な目的のために使って、霊界から見放されてしまうかもしれません。

生まれる前に決めて来たであろう、霊的真理を多くの人に知ってもらうという目的を果たせずに地上の人生が終わってしまったことに気付き、深い後悔の念に襲われるでしょう。



地上での後悔を晴らすのは、地上しかありません。

今度こそは決めたことをやり通すと覚悟して、さらに過酷な試練を経験する人生を承知して生まれることになると思います。



地上で凶事や不幸と言われる出来事は、魂が目覚めさせるために起きていて、そこから目的を果たす人生が始まることがあります。

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

「魂は肉体の奥深くに埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸などは地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。」

できれば避けたかった出来事を通して学んだ教訓は、次の世界に持って行ける貴重な財産となります。



生れる前の自分は、地上の人生を承知していたのですが、そのことをすっかり忘れています。

もし、覚えていたとしたら、どうにかして回避しようと躍起になってしまうでしょう。

忘れてしまう地上の人のために、守護霊が付いているのですが、自我(エゴ)の働きが強くなると、影響力を行使しにくくなります。

自我(エゴ)を認識しておく必要があります。



もっとはっきりと分かるように、守護霊が導いてくれたら良いのにと思う時があります。

守護霊は、家族でも友達でもありません。

魂を成長させるための同志です。



学校で宿題が与えられ、大変だからと親が代わりにやってしまったら子供のためにはなりません。

それと同じで、守護霊が安易に助けてしまったら地上の人ためになりません。

地上と同じように意思疎通ができたならば、頼り切ってしまう人も少なくないでしょう。



守護霊は地上の人の決断には干渉できません。

エゴに負けてしまう時もあります。

摂理に反した行いをすれば、後で痛い思いをしますが、そこから摂理の働きを学んでいます。

摂理に適う決断ができたのなら、目的が果たせるように、惜しみのない援助の力を送り続けるでしょう。

存在をはっきりと示さないのは、自分で決めて自分で責任を取らせるためであり、それが地上の人の学びや成長につながるからです。



守護霊の存在を信じていた方が、インスピレーションを受けやすくなるのは確かです。

ある局面に差し掛かった時に、送ってくれるかもしれません。

送ってくると、地上の人の心の中に、突然アイデアや概念やイメージが浮かんで来ます。

理由もなく、急に何かをしなければいけない衝動にかられた時も、思念を受け取っている可能性があります。



昨日ですが、同業者(歯医者)の患者への気を遣う手術がありました。

朝から体調不良で、上手く行くか心配していたところ、心の中に「25」という数字が何度も浮かんで来ました。

予定通り手術を行い、終わりかけてホッとした時に、ふと置き時計に目をやったところ午後3時24分でした。

1分の違いはありましたが、「見守っている」という確信を深めるための霊界からのメッセージであり、今、書いているブログの内容を後押しさせるものと感じました。

気付く、気付かないに関わらず、想像以上にインスピレーション(メッセージ)は伝わって来ていると考えられます。



心の中に浮かんで来たことは、地上の人の全てを知っている守護霊からのインスピレーションかもしれません。

繰り返し浮かんで来たのなら、その可能性はさらに高いと思われます。

インスピレーションに従うことで、今よりも苦しい状況になるかもしれませんが、そこから何かを学ぶことができ、自分の成長につながります。

後悔することはないので、迷わずに進んで行きましょう。




2024年5月5日日曜日

地上的な欲求、霊的な欲求

 

人間にはさまざまな欲求があります。

マズローの「欲求5段階説」

心理学者のマズローは、5段階の欲求があると提唱しています。

一番下にある生理的欲求は、食欲や睡眠欲など、生命を維持するための欲求です、

その上には、経済的な安定や健康な身体を保つなど、安全に、安心して暮らすための安全欲求があります。

その上には、友人や家族などの小さな集団から、会社や組織などの大きな集団まで、何らかの集団に所属しようとする社会的欲求があります。

さらに上には、他者に認められたい、または自分を認めたいという承認欲求があります。

一番上にあるのは、望んでいる自分になりたいという自己実現欲求です。



マズローによると、下位の欲求が満たされると、上位の欲求を満たしたくなるようです。

食欲などの生命を維持する欲求が満たされると安定した生活を求めるようになり、安定した生活ができるようになると人とのつながりを求めるようになり、人とのつながりができるとその人たちから認められたいと言う承認欲求が生まれるようです。



承認欲求は誰にでもあります。

会社に入ると、上司や同僚に認めてもらいたくなります。

子供は親に褒めてもらいたいです。

自分が高く評価されて、気分を悪くする人はいません。



承認欲求は、形を変えて広範囲に存在しています。

「プライド」もそうです。

プライドをくすぐられるとは、承認欲求が満たされることを指すと考えられます。

自己承認欲求が満たされないと「劣等感」が生じることがあると考えられます。

金持ちになりたい、有名になりたい、偉くなりたいなどの願望も、承認欲求から生じている場合ことがほとんどです。



欲求が満たされないと、苦しみのような感覚を覚えます。

そこから何とか抜け出したくなります。

空腹は苦しいものであり、どこかで食べ物を調達しようとします。

家に引きこもっている人は、社会的欲求が満たされていないため現状に苦しみを感じて、外に出て社会と関わりを持ちたくなります。



叱られたり、あるいは褒められたりすると、承認欲求が一気に高まることがあります。

上司に叱られると、仕事を頑張ろうとする人もいるでしょう。

もっと褒めてもらうために、一生懸命に努力をする子供もいるでしょう。

このように欲求は自分を高めることにもつながるので、無用なものではありません。



SNSでつながっていないと不安になる人がいます。

つながっていても、自分について書き込まれたことが気になります。

私自身も自院の検索サイトの口コミが気になり、見ることがあります。(初診の患者さんの数割は口コミの評価が受診理由になっています)

昔は知ることのなかった自分の評価が、電子媒体によって知れるようになりました。

良く見られたいという承認欲求を満たすために、私たちは大きな労力を払っているような気がします。



承認欲求が強い人の中には、幼少期に十分な愛情を受けていなかった人もいると考えられます。

十分な愛情を受けた人は、自分は守られているという安心感を潜在的に持っています。

受けていない人は、他者から認められることで安心感を得ようとする傾向があると思います。



私たちは、自我によって自己表現してます。

自我には、肉体を使って自己表現するための自我(以下地上的な自我)と、死んで霊界に行った時に自己表現するための自我(以下霊的な自我)があると考えています。

地上的な自我は、安全に快適に生きることを志向しています。

承認欲求が満たされると、周囲との関係が安定し、安心して生きられると感じられます。

このことから、承認欲求は地上的な自我から生じていると考えられます。



あの世に行くと肉体がなくなります。

同時に地上的な自我もなくなり、それと共に多くの欲求が消滅します。

ありのままの自分が認められる世界なので、承認欲求もなくなります。

残っているのは、自分を成長させたいという霊的な欲求と考えられます。



地上は霊界と違い、自分と違う人たちと共に生きる世界です。

違う人たちと共に生きるためには、お互いに認め合わなければいけません。

認めてもらわなければ、疎外されたり、時に敵対関係になってしまい、生きて行くのに不都合が生じます。

認めてもらいたい承認欲求は、地上を安全に、安心して生きるための欲求でもあるために、そこから逃れるは困難です。



認めて欲しくても、認めてもらえるわけではありません。

世の中には、因果律が働いています。

まず自分が相手を認めることによって、相手も自分を認めてくれるかもしれません。

20年位前でしょうか、私の医院にある言葉を多用する高齢のご婦人が訪れました。

その時のやり取りを再現すると

私「奥歯に虫歯がありますので、これから治療します。」

ご婦人「ありがとうございます。」

治療が終わった後の私「今日は奥歯の治療をしました。次回は前歯の虫歯の治療をします。」

ご婦人「ありがとうございます」

私「お大事にして下さい」

ご婦人 深々と頭を下げながら「ありがとうございます。ありがとうござます。」

通常は「はい」と答える人がほとんどですが、そのご婦人は笑顔で、気持ちを込めて、スタッフにも受付にも「ありがとうございます」と繰り返していました。



礼儀正しいと思うと同時に、そのご婦人に対して、もっと良くしてやろうという気持ちが生まれました。

何故、そんな気持ちが生まれたのか、今になって分かりました。

「ありがとう」という言葉によって、私の承認欲求が満たされたのです。

自分が満たされたので、因果律の働きによって、相手も満たしてやろうと言う気持ちが生まれたと思います。

相手を認める最も有効で簡便な方法は、感謝の意を伝えることかもしれまぜん。

認められたと感じると、相手を認めたくなるものです。



世の中には、飢餓で苦しんでいる人がいます。

そんな人たちを見て助けてやらなけばいけないと思っても、(段階は違いますが)それぞれの人に欲求があり、それが満たされなければ苦しみが生じます。

自分が苦しんでいるのに、人のことまで構っていられません。

飢餓や戦争がなくならないのは、そんな理由もあると考えています。



地上的な欲求には際限がありません。

自我から生じる地上的な欲求は、魂から生じる霊的な欲求を満たすことで、生じなくなります。

神の心を表現する、誰かのために何かをすることで、霊的に満たされます。



第2次世界大戦中のアウシュビッツ強制収容所での話です。

そこでの1日の食料は、パン1枚だったそうです。

ある男性は、そのたった1枚のパンを、お腹を空かした見知らぬ子供に手渡したそうです。

男性の生理的欲求(食欲)は全く満たされていません。

けれども、神の心を表現することで霊的な欲求が満たされていたので、地上的な欲求から生じる苦しみから免れていたと思います。



全体のために、1人ひとりが存在価値を持っています。

地上の苦しみから少しでも解放されるためには、自分の存在価値を果たす以外にありません。

それは特別なことでなく、今いる環境で良心に従って生きれば良いのだと思います。



2024年4月28日日曜日

法則の働きを知る


30数年前から、同業者(歯科医師)が集まる研修会に所属しています。

入会した当初、主宰されていた恩師の先生から言われた言葉が、今も心に残っています。

それは「知らないものが1番強い」でした。

言われた時は、その意味が良く分かりませんでした。

今は、知識がない人ほど、恐いもの知らずで、間違ったこと(治療)を平気でしてしまうという意味であり、無知な私を戒めていたと思います。



世界を動かしている人たちは、豊富な知識を持っています。

しかし、その多くは経済的、政治的なものであり、偏っている人も少なくありません。



世の中にはさまざまな知識が存在しています。

中でも、霊的真理は最も重要と考えています。

その理由は、全ての人が深く関っている「法則」について書かれているからです。



アルコールを飲み過ぎると肝臓を壊してしまいます。

その行為が生物的な法則に反しているからです。

子供の頃、わがままばかりを言っていると仲間外れにされます。

わがままな言動に対して法則が働いています。

その結果として孤独になり、苦痛を味わうことになります。

生まれるのも、死ぬのも法則の働きによるものです。

起きている現象に、偶然はありません。



自分の言ったこと、行ったこと以外に、人に知られない自分の想いにまで、法則は働いています。

怒りの想いを抱くと血圧や脈拍は上昇し、悲しみの想いを抱くと涙が出るのも、法則の働きによるものです。

怒りなどの抱き続けると病気になることがあります。

それがいけないことだと、法則の働きによって知らされます。



世の中を動かしている人は、全体に貢献するために、その力が与えられています。

けれども、そのことを信じないどころか、力によって支配しようとする人もいます。



力によって支配できるのは形(外面)だけです。

人の内面まで支配することはできません。

それを知らない人は裸の王様のようです。



内面では、自我が働いています。

自我には、地上で自己表現するための自我(以下地上的な自我)と、霊界で自己表現するための自我(以下霊的な自我)が存在していると考えています。

自我からは、喜び、怒り、悲しみ、怖れなどの感情が生じています。

悲しみ、怒り、怖れは地上的な自我から生じていると考えられます。



喜びには、「地上的な自我」から生じているものと、「霊的な自我」から生じているものがあると考えています。

権力や富を得た時の喜びは、地上的な自我から生じています。

霊的な自我から生じている喜びとは、魂の成長にかかわるものです。

困難や障害を乗り越えた時、愛を表現すること、役に立つことに喜びを感じるのは、法則の働きによって、魂が成長する行いに対して、喜びが感じられるようになっているからです。

私たちは、喜びと痛みによって、成長する方向に導かれています。



愛は、魂から生じている霊的な力です。

地上的な自我(精神)から生じている感情とは次元が異なります。

魂は自我(精神)より高い次元にあるので、愛はあらゆる感情を支配する力を秘めています。



例えば、怒りの感情ですが、許すという自己犠牲(愛)によって鎮められます。

悲しみの感情も、愛によって慰められます。

怖れの感情も、愛によって和らぎます。

苦痛を伴うさまざまな感情を癒すものは愛です。



戦争がいつまで経っても終わらないのは、エゴから生まれた怒りや憎しみの感情を表現しているからです。

因果律の働きによって同じ感情が返って来るだけであり、解決に向かうことは決してありません。

エゴから生じた戦争は、次元の高い愛でしか解決できません。

私たちは苦しみや痛みを通して、そのことを学んでいます。


ところで、地上的なものを得ることに大きな喜びを感じていた人が、霊界に行くとどうなるのでしょう?

喜びを感じられる対象が消滅してしまうために、生きる喜びが感じられなくなります。

魂の成長を促す、霊的な喜びを見い出すために、再び地上に生まれて来ることになるでしょう。



エゴに翻弄されて、戦争を始めた人はさらに哀れです。

自分が与えた、苦しみや痛みや悲しみの1つ1つに、責任を負わなければいけません。

気の遠くなるほど膨大な償いをしなければならず、何度地上に生まれなければならないのか想像も付きません。

知らない人が、やはり1番強いのです。



優しさ、思いやり、友情、寛容、協調、博愛の精神を大切にしてきた人が霊界に行くと、同類の人たちに囲まれて、助け合うことに喜びを感じながら生きるようになります。

誰かが喜ぶことをすれば、自分の成長につながり、自らの喜びとなります。

目に視えない世界では、目に視えない愛に関わるものが何よりも大切になります。

愛が最大の力であることを知ります。



愛を帯びた法則が、宇宙の隅々まで行き渡っています。

法則の働きによって、生命はより高い愛を表現するように進化して行きます。

愛を表現することで、全体は調和しながら、霊的に1つになって行きます。


NGC1961:NASA公開画像より


2024年4月21日日曜日

親の成長を願う子


ある若い騎手が落馬事故で亡くなったと、ニュースで報じていました。

誰からも好かれていたようで、葬式の席では、皆、涙を流していました。

在りし日の写真を見て、若くして亡くなる人は、明るく清らかな輝きを放っている人が多いと改めて感じました。



「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

そして「地上人生の期間、つまり寿命が切れる時期は、たいていの場合あらかじめ分かっています。」とも書かれています。

およその人生は予め決まっていて、承知していることになります。

偶発的としか思えない事故であっても、その人の寿命が来ていたのだと思います。



地上の人は亡くなった年齢を気にします。

若くして亡くなれば、これからだったのにと嘆き悲しむ人が多いでしょう。



死んで無になってしまうのであれば、そう思っても仕方ありません。

現実は全く違います。

新しい環境で、生命は変わりなく続いています。



さまざまな経験をして、霊的に成長するために、私たちは地上に生まれて来ています。

内在する資質を開発するため、言い方を変えると、より多くの神性を発揮できるようになるためです。

神性とは、親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

一言で言えば「愛」です。



地上の年齢は、霊的な成長度の尺度とはなりません。

若くても、十分に神性が発揮されている人はいます。

一方、年を取っていても、それほど発揮されていない人もいます。



思い出せませんが、過去にも地上を生きています。

過去の地上での経験が、魂に反映されています。

神性がそれほど発揮されていない人は、地上に生まれて来た回数が少なく、経験が乏しいと思われます。

十分に発揮されている人は、これまでに何度も地上に生まれ、さまざまな経験をしていると思われます。




若くても、年を取った人よりも、霊的に成長している人がいるのはそのためです。

年齢で判断しようとするのは間違っています。



生まれて来た目的を果たすと、摂理に従って寿命が来ます。

肉体から完全に離れて、本来の住処に戻ることができます。

霊的に成長した人ほど、地上で開発すべき魂の資質が少なくなるので、早く戻れると考えられます。

優しく、思いやりがあり、「何でこんな良い人が」と言われるような人が、早く逝ってしまうのはそのためと考えられます。


生まれて間もなく、お母さんの胸の中で亡くなる子がいます。

ご両親は深い悲しみの中で、こんな問いを突き付けられます。

「何のために生まれて来たの」



学び成長するために、相応しい環境(親)を選んで生まれて来ます。

けれども、早くして亡くなる子供は少し違います。



親が子供を亡くすほど苛酷な試練はありません。

身を引き裂かれるような悲しみ苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。

目覚めた魂が、生命の真実を見つけます。

「視えなくても生きている」

「また会える」

無知から生じていた苦しみから解放されます。



親として選ばれるのには、いくつかの条件があります。

別れに耐えられる魂であること。

深く愛してくれる魂であること。

今生で大きく成長することを求めている魂であること。



選ばれたのであれば、耐えることができ、生き抜くことができます。

深く愛してくれる魂ほど、別れの悲しみが深くなるのは当然です。

この経験を通してでしか決して得られない、貴重な魂の資質を手にするために、生まれて来てくれたと考えられます。



自分のためではありません。

周りの人たちを成長させるために生まれ、そして逝ったと考えられます。

そのような人生を選択するのは、地上を生きる必要のない進化した魂のような気がしてなりません。



過去生から関わりがあって、今生で親子になることを決めてた来た人もいるでしょう。

そうであれば、霊的に親しい間柄(類魂)なのかもしれません。

本来の住処で、愛し合う悦びを、より深く感じながら共に生きるために、地上での別れを経験しています。



先に逝った子が何よりつらく感じているのは、目の前の現実に隠された真実が分からずに、自分を責めている親の姿を見る時です。

「そうじゃない」と必死に訴えているでしょう。



地上の子は、親の愛を一身に受けながら成長して行きます。

先に逝った子と残された親は、地上とは真逆の関係になっていると思われます。

子の愛や導きを受けながら、親が成長して行きます。



進化成長するために、神の計画として起きています。

そのことに、早く気付いて欲しいのです。

真実に気付くことで、先に逝った目的が成就されて行きます。








2024年4月14日日曜日

大丈夫と言い聞かせる


18年前に、突然ヒーリングの力が出現しました。

直後に、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)と出会い、私の意識に変革が起こりました。

世の中が違って見えるようになり、ある言葉が妙に心に響くようになりました。

その言葉とは「大丈夫」です。



人のことが心配になった時に「大丈夫?」と声をかけます。

また、不安な時に自分に「大丈夫」と言い聞かせる時もあります。

なぜ心に響くようになったのか、当時は分かりませんでした。

今は、神や霊界の存在が、私たちに語りかけている言葉だと思うようになりました。



不治の病気になり、死が迫っている人がいたとします。

その人に向かって「大丈夫だよ」と言ったとしたらどうでしょう?

多くの人は、死に対して恐れや不安を持っています。

死が迫った人ならなおさらです。

「気休めなど言わないでくれ」と言われてしまうかもしれません。



死とは、生命の本質である魂が肉体から完全に分離する自然現象です。

死んでも、意識は変わりなく存続しています。

本来の住処に戻って、新たな生活が始まります。

地上の苦しみや痛みから解放されるので、本当に大丈夫なのです。



現実に打ちのめされている人、窮地に追い込まれた人に、「大丈夫」と言ったらどうでしょう?

「何を根拠にそんなことが言えるんだ」と怒られてしまうかもしれません。



あらゆる物は自然法則に働きによって支配されています。

あらゆる事象は自然法則の働きによって起きています。

そのことを、物理学者のアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と表現しています。

「偶然・運命の気まぐれ・奇跡・偶発事故というものは存在しません。すべては整然とした犯すべからざる連鎖の法則にしたがって働く「因果律」の結果なのです。自然の摂理がこの宇宙全体を支配しており、どこで何が起きようとー昆虫であろうと人間であろうと天体であろうとーすべてにその法則が働いているのです」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。

自然法則の働きによって、この世界の秩序は保たれています。



魂には神が存在しています。

神が良心となって顕現しています。

助けを求めている人がいたら、何とかしてあげたいと思うのはそのためです。



全体を愛しむ無限の心(意識)が神と考えています。

神の心そのものである愛が、自然法則の働きの中に顕現しています。

私たちは、自然法則の働きによって、神に愛されているのです。



どのような事象であっても、神の愛により創られた自然法則の働きによって起きているので、最終的には良い方向に向かいます。

神が全責任を負っているので「大丈夫」なのです。



地上にいる時は、肉体があります。

五感が強くなり、相対的に霊的な感覚は弱くなります。

そのために、五感に触れない神の存在や自然法則の働きが分からなくなります。

次の世界に行くと、もう肉体はありません。

五感の障壁が取り払われ、神の存在と法則の働きが如実に感じられるようになります。

宇宙は神の愛により経綸されていることが分かり、地上で怖れるものは何もなかったと思うようになります。



シルバーバーチは「取り越し苦労をしてはいけない」と繰り返し言っています。

また「乗り越えられない困難や障害は起こらない」と言っています。

必要なことが自然法則の働きによって起きているので、何が起きたとしても大丈夫と、地上の人たちに伝えたいのだと思います。



幼い頃、怯えていると、親から「大丈夫だよ」と言われると安心できたものです。

「大丈夫」という言葉から、自分の想いを理解してくれて、気遣う気持ち(愛)が伝わるので、恐怖や不安が和らいだのだと思います。



先のことが、全く分からなくなるのが地上です。

不完全な世界のために、思う通りに生きられません。

失敗や挫折もあり、生きるのに疲れてしまう時もあるでしょう。



そんな時に、霊界にいる存在に意念を向けてみるのはどうでしょう。

間髪を入れずに、生きる力が出るような言葉やイメージが心の中に浮かび上がって来るかもしれません。

先のことが予見できる霊界の人たちは地上の人に、何とかなるから大丈夫だよと伝えていると思います。

きっと、その通りになるはずです。



私たちは、全体(神)の一部です。

全体(神)とつながっているので、全ての事象を乗り越える力が秘められています。

外にいる誰かが救ってくれるのではなく、自分の中にいる神によって自分が救われます。



「大丈夫」の語源を調べてみました。

仏教で言う「菩薩」のことを指すようです。

菩薩とは、自己の悟りを求める過程で、他者を救済しようとする精神を持つ者のことを言います。

華厳経の中に「もし諸の菩薩この法に安住すれば大丈夫の名号(みょうごう)を得ん」と書かれています。

(真理を求める人は)自然法則の働きを信じていれば大丈夫と解釈しています。

分殊菩薩像(焼山寺) 


新しいことに挑戦する際に怖れや不安を感じたり、困難や障害に遭遇して生きるのがつらくなったら、「必ず良い方向に向かうので絶対に大丈夫」と、強く自分に言い聞かせて前に進んで行きましょう。