人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2016年11月27日日曜日
人生の価値は成長にある
子供の頃は、目に映るものが、活き活きとして、輝いて見えていたように思えます。
先日、犬を散歩していたら、ようやく歩けるようになった子供が「わんわんだ!」と言って、うれしそうに近づいてきました。
物心がつく頃までは、魂の目で見ているので、人と動物の間に境目がなく、同じ生命として強い親近感を持っていると思いました。
子供の頃、捨てられた子猫を見ると放って置けずに、家に連れて帰った時がありますが、悲しいかな大人になると見て見ぬふりをしてしまいます。
自分(魂)に正直であったのに、大人になるに従い、自分に嘘をつく自分が作られて行くようです。
大人になるとは、この世界に順応していくことであり、もう一人の自分(自我)を発達させることかもしれません。
自我を発達させて行くのは、生きて行く上で必要なことですが、それに従い、それまで前面出ていた本当の自分(魂)が、後ろに隠れてしまうと考えられます。
打算とか遠慮がない子供の姿を見て、大人は無邪気に思いますが、魂から生じたありのままの想いが、自我に邪魔されずに、素直に表現されているからだと思います。
俗に言う「大人になる」とは、ありのままの想いを、隠して生きて行くことなのかもしれません。
周りと上手くやって行こうと思えば思うほど、自我が取り仕切るようになり、ありのままの想いは封じ込められてしまうと思います。
私の子供の頃は、本当の自分を出しながら生きて行けましたが、今は親や周囲の自我を押し付けられて、抑圧されている子供も、見受けられます。
子供は従順ですから、本当はしたくないことでもしますが、そんな中でも自分の想いは生じ続けていて、表現できなければ溜まって行きます。
抑えきれないところまで達してしまうと、溜まっていた想いが発露を求めて、一気に表現される時もあります。
溜まった想いが、怒りや、憤りであれば、暴力的な表現となり、取り返しのつかない事態に発展することもあると思います。
「私の子に限って」、「あの大人しい人がそんなことをするはずがない」と、ニュースで良く聞きますが、自我により封じ込められていた想いが、それだけ大きく強かったと思われます。
想いは肉体により表現される力であるため、当然の結果と言えます。
自我により全てが決定されてしまうと、魂の発露がなくなってしまい、何で生きているのか判らなくなってしまいます。
私も大学に入ってしばらくすると、何で生きているのだろうと思う時がありましたが、自我が大学に入ることを要求し、それが達成されたので、一時的に目的を失ったのかもしれません。
生きる意味が明確にならずに生きているのは、目的地もないまま旅をするようなものであり、無駄な時間を過ごしているように思える時もありましたが、そんな時に自我は、見せかけの生きる目的を示していたと思います。
周りに流されたり、自我に縛られて生きていると、「こんなので良いのか?」、「何か間違っているのではないか?」と、囁いている自分がいました。
それが本当の自分である魂の声であり、一時的に前面に出て来たと考えられます。
しかし、その声も自我により、もみ消されてしまいます。
ほとんどの人は、本当の自分(魂)と自我のせめぎあいの中で、生きているように思えます。
本当の自分を前面に出して生きたいけれど、周りに合わせて、より安全に生きようとする、自我の考えに、つい流されてしまいます。
本当の自分は、一歩前に進もうとしているのですが、怖れや不安が生じてしまうと、危険を犯さずに、現状のままでいようとする自我に負けてしまいます。
本当の自分は、悔いがないように生きようとします。
しかし、自我は傷つけられることを極端に嫌い、一歩前に進んで行く決断の足かせになっている時があります。
「どちらを選択しても、それほど大きな差はない」、「迷惑をかけているわけでもないし、そちらが安全」、「失敗したら恥をかく」と、考えてしまうのは、自我によるものと思います。
生きる目的は、自分(魂)を成長させるためです。
魂は、障害や困難を乗り越える中で、成長して行きます。
一歩前に進んで行くと、そこには障害や困難が待ち構えていますが、それを乗り越えようとする中で、魂は成長して行きます。
迷わず一歩進んで行くべきなのですが、その1番の障害となっているのは、思いとどまらせようとする自我です。
進んで行って失敗したとしても、それは魂の選択であり、後悔はしません。
けれども、自我は失敗をして後悔をする姿を、想像させます。
自我が出している結論は、本当の自分の想いと異なることが多く、そこに葛藤が生まれます。
成長は人に科せられた宿命ですが、自我に流されたままになると、予期した成長が得られなくなります。
敵は外にいるのではなく、自分の中にいる自我と思われます。
一歩進んで行くのを選択して、悪戦苦闘しながら乗り越えて、成長した魂には、さらに障害や困難が待っているのかもしれません。
それでも、また一歩進んで行く選択をするのが正解であり、そんなことを繰り返しながら、魂は大きく成長して行きます。
目の前にある困難を受け入れるかどうかは、自分自身にかかっています。
その時に助けとなるのが、「乗り越えられない困難は与えられない」という真理であり、自我の誘惑に負けてしまわないように、強く信じ続けなければいけません。
今、振り返ってみても、当初は、とても乗り越えられない思ったことでも、持てる力を尽くして行けば、少しずつ障害が取り払われて行き、結局は乗り越えていたことが判ります。
乗り越えて行けると言う信念が足りないと、自我の言うがままになり、妥協と言う脇道に逸れて行ってしまいます。
妥協が妥協を生み、それが自分の本性になってしまうのは、恐いことです。
恐れや不安を振り払い、少しでも前に進んで行かなければならないと思います。
人生には、およそのシナリオがあります。
それに沿って起きる出来事で、どちらの方向に進んで行くかは、自分の意思に任されています。
どちらを選択するのかで、人生は変わってきますが、これまでした選択の結果として、現在の自分があります。
無限の知性は、正しい選択をしないことも織り込み済みですが、それでも、正しい選択はどちらかは、知っていなければいけません。
自分を成長させる方向が、進むべき方向です。
それが正しい選択であり、後悔はしません。
1つ1つの決断が、自分を形作って行き、死によって人生は終焉を迎えます。
しかし、生命は死とは関係なく続いています。
しばらくすると、生まれてから死ぬまでの人生が映し出され、客観的に眺める時が訪れます。
この世の自分を眺めながら、うれしくなったり、悔しがったりします。
うれしくなるのは、人や社会や動物のために役に立っている自分の姿が、映し出された時です。
反対に、傷つけたり、苦しませたり、悲しませている自分の姿を見るのは、耐えがたいものになります。
そして、誘惑に負けずに、成長する方向に進む選択をした自分の姿を見て、ホッと胸をなでおろします。
何よりも悔しくなるのは、成長する機会を逃す選択をした自分の姿が映し出された時です。
この世に生まれた意味の1つを、成就できなかった後悔は、想像以上のものになると考えられます。
一歩進んで、たとえ失敗したとしても、待っているのは学びですが、留まることを続けていると、後に待っているのは後悔です。
この世で言われている幸、不幸と、人生の価値は一切関係ありません。
人生の価値とは成長です。
困難な道を選択した人、苦難を耐え忍んでいる人の魂は、より大きく成長しているので、価値のある人生を送っていることになります。
人生では、とても歓迎できないような出来事が起こります。
それは不幸な出来事ではなく、自分を成長させるために起きていることを忘れないで下さい。
どちらに進んで行くか迷う時がありますが、自分をより成長させる選択をして下さい。
しばらくは苦しみが続くかもしれませんが、その後に悦びが待っています。
いくみ様
返信削除以前、何で?何で?と主人をせめてしまうとメールしました。
主人の声が聞こえなくなり明日で1年になります。長くて短い1年でした。
いくみ様のメールを何度も読み返し励まされたり、悔しく思ったりしました。
いくみ様どうか主人の事を教えて下さい。
一緒に子育てしてくれてますか?
まだ、私を愛してくれてますか?
私たちは、頑張って生きてますか?
私は、母親ちゃんとできてますか?
こんばんは。
返信削除仕事で遅くなり、返信が遅れて申し訳ありません。
ご主人を亡くされて、今日が一回忌なのですね。
人生で最もつらい1年を過ごされたとお察しします。
ご主人の死に、今も納得がいかないのでしょう。
ご主人がいないことが、まだ信じられないのでしょう。
あまりにも大きな存在だったので、心に出来た穴を埋めようがないのでしょう。
ご主人はご家族のことが心配で、仕方がないと思います。
いつものように声をかけて、励ましてやりたいのですが、それができません。
ご家族に伝えたいことが、いっぱいあるのですが、それができません。
あなたのことを、1番心配していると思います。
悲しむ余裕さえ奪われて、生活に追われている姿は、とても痛ましく映っていると思います。
抱きしめて慰めてやりたい衝動にかられているでしょう。
もちろん、あなたのことは、誰よりも愛しています。
けれども、苦労をかけてすまないという想いが、今は大きいのかもしれません。
あなたの生活ぶりを、間近に見ているからです。
あなたの日頃の想いが、ご主人に届いているからです。
当然のことながら、お子さんのことは気にかけていて、励ましたり、勇気付けたりする想いを送っていると思います。
ご主人ができる子育てとは、想いを伝えて、導くことです。
ご家族の生きる姿を見て、涙が出るくらい頑張っていると思っていることでしょう。
特にあなたには、自分の分までやってくれていることに、深く感謝していると思います。
仕事の合間でしたが、どうにか受け取ることが出来ました。
ご主人の想いを聞きたい時ほど、ご主人は想いを伝えたいと思います。
命日に間に合って良かったです。
以下の文章は、ご主人からのものと証明するものは何もありませんし、私の潜在意識の混入もあるかもしれませんが書きます。
「何から話せばいいのか判らない。
苦労をかけたな。
泣き言を言わずに、頑張っていた、お前の姿を見ていた。
子供たちも、この1年で大人になった。
決まっているじゃないか、お前に気持ちが伝えられないのが、歯がゆい。
みんなに言いたいんだ。パパはここに、ここにいるぞ、いつもの場所にいるぞ。
お前の肩に全てがかかってしまい、申し訳ない。
俺が死ぬと、こんなにも大変だとは思わなかった。
すまなかったと、謝りたい。
お前たちが、お父さんはいないと言う時の顔を見るのがつらい。
わがままを言わずに、ママを助けて欲しい。
パパはお前たちに、みんなで仲良くするんだと、いつも言っている。
パパも好きでここに来たわけじゃない。
みんな、それなりの理由があって来る。
パパには、こちらでの役割が待っていた。
みんなのために、いろいろなものを作っている。
腕が振るえるんだ。
パパはもちろん、お前たちを見守っている。
みんなが落ち込んでいると、パパまで寂しくなる。
パパが外で作った料理を食べている時の、お前たちのうれしそうな顔がもう1度見たい。
愛しているけど、それを伝えられないから苦しいんだ。
みんなのために、色々したいけど、できないからつらいんだ。
パパとお前たちは、家族だ。
視えないパパも、仲間に入れておくれ。
何もしてやれないけど、みんなを愛していることだけは分ってくれ。
忘れるな。パパがいることを。
何があっても、パパの家族だから守ってやる。」
いくみ様
返信削除忙しいのに一周忌に間に合わせて頂きありがとうございます。
あちらでも役割があるんですね。
うちの主人は働き者です。
私は、主人を好きでした。
子供達も今でもパパが大好きです。
長男は、パパの代わりになる努力をしているようで泣く姿は見ていません。
泣き虫の長女は、少しお姉さんになり次女の面倒を見ています。
次女は、今でもパパに会いたいと泣いていますが時々、パパはお空に居るね‼と私を元気にしてくれています。
子供達はこんなに頑張っているのに、変わってないのはわたしだけ…と思うと母親として情けないです。
パパ、パパに会いたいしパパって呼びたい。と毎日思います
私は、子供達に助けられ今までこの1年過ごしたんですね。
このメッセージがご主人からのものと信じていただけたのなら、とてもうれしく思います。
返信削除ご主人は、今も大きな愛でご家族を包んでいると思います。
ご長男が泣かずに努力しいているのも、ご主人の働きかけだと思います。
下の二人のお子さんも、一緒です。
ご家族全員が、ご主人の影響下にあると思います。
見えなくなっても、愛する人に想いを伝えて、導いています。
ご主人はこの世からいなくなりましたが、大切な種を蒔いていったと思います。
それは、お互いを思いやる心であり、労わり合う心です。
その種は、もう芽を出していて、大きく育って行き、強くて太い絆で結ばれた家族となって、結実すると思います。
これから先、いろいろなことがあるでしょうが、ご家族が結束すれば必ず乗り越えて行けます。
あなたは、自分のできる範囲で、力を尽くすだけです。
ご主人も、助けてくれるでしょう。
いくみ様
返信削除結実って凄く良い言葉ですね。
私達と主人2人で、子供達の名前を決めめました。◯は同じ漢字を使い、長女の名が結◯、次女ね名が◯実と言います。2人合わせると結実。
凄く嬉しい言葉を見つけて頂きありがとうございました。
そうでしたか。
返信削除なぜか種という単語が出てきて、続けて書いていくうちに、結実という言葉が頭の中に思い浮かび上がり、すっぽりと収まりました。
お二人の想いが詰まった、名前なのですね。
仲良く、力を合わせて、お母さんを助けてくれるでしょう。