1985年8月12日の夕刻、群馬県御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落し、520名の方が亡くなられました。
ほどなく身元確認作業が始まりましたが、ご遺体の損傷は激しく、現在のように遺伝子検査がなかったために、困難を極めました。
歯型の照合による確認が行われていて、歯科医院を開業していた父は県警から確認作業の協力の要請を受けました。
当時、歯科大生であった私は父に促されて、アシスタントとして同行することになりました。
御焼香の煙りが立ち込める学校の体育館に入ると、たくさんの棺が並べられていました。
ご遺族たちが、棺の蓋を開けてご遺体の確認をされていました。
少し前まで元気でいた人が変わり果てた姿になっている、この現実を受け止め切れないからでしょうか、少しでも早く家に連れて帰りたいという気持ちが勝っていたからでしょうか、そこにいたご遺族に涙はありませんでした。
大変な現場に居合わせていると思いました。
あの時から40年、8月15日に御巣鷹の尾根に行きました。
9年前に初めてこの地を訪れた時以来です。
登山道は整備されていますが、60代の私が息を切らすほどの急な坂が続いていて、ご高齢の方や身体が不自由な方が登るのはとても大変です。
沢伝いに登って行くと、つづら折りの坂となり、道の脇にはいくつもの墓標が立っていて、この場所でご遺体が見つかったと思われます。
もう少し登って行くと、急に視界が拓けて、平らに整地された場所に着きました。
振り向くと、「昇魂之碑」がありました。
事故直後、この場所は肉体を失った人(霊)たちで溢れていたはずです。
初めて訪れた時、もしかしたら今も留まっている霊がいるのではと思いましたが、その気配は全く感じられませんでした。
それどころか、拍子抜けするほど清々しく、明るい場所でした。
肉体から突然引き離された人(霊)たちは、自分が置かれている状況を理解できずに、茫然と立ち尽くしていたと想像されます。
事故を察知した霊界の人たちは、直ちにこの場所に赴いたと思われます。
霊界は、高度に組織化され、適材適所に人があてがわれた世界です。
自分から拒絶しない限り、放置されることは決してありません。
ショック状態に陥っている人たちは、地上の病院に当たるところに連れて行かれ、手厚く看護されたと思われます。
霊界の人たちの愛情と、間断なく注がれている生命(治癒)力により魂は癒され、次第に本来の自分を取り戻して行ったと思われます。
動かなくなった自分の身体に付いて行き、遺体が安置された体育館で家族と再会する人もいたと思います。
いくら家族に話しかけても応答はなく、身体に触れようとしても、手が素通りしてしまいます。
棺に縋り付いて泣き崩れる家族の姿を見て、自分が死んでしまったことに、その時に気付いた人もいたと思われます。
しばらくして、ご遺族はこの尾根を訪れるようになります。
悲しみ、悔しさ、怒り、言葉にできない想いが、叫びとなって放たれていたと思われます。
悲しみは、行き場を失った愛です。
悔しさも怒りが生まれるのも、親愛の想いがあってこそです。
祈りは、故人の平穏を願ってのことです。
亡くなった人たちは、その様子を傍で見ています。
言葉にしなくても、想いは分かっています。
涙を流している姿、祈りを捧げている姿を見て、自分はこんなにも愛されていたんだと感じた人もいたでしょう。
同時に、一緒にいられなくなった悔しさや憤り、すまなさを感じていた人もいたでしょう。
そんな人も、徐々に向こうの世界に順応して行きます。
ここが本来の住処であり、ここで経験できないことを経験して、学び成長するために地上に生まれたことを知ります。
学びや成長は、霊界においても引き続き行われ、周りのために自分を活かす生活が始まります。
地上でできなかった経験を、地上に残した人が経験することで、学びを共有することもあると考えられます。
不利益や不公正が生じないようになっているので、地上にいられなかった悔しさは、次第に薄らいで行ったと考えられます。
涙が尽きることのない、地上にいる人を見て、こう想うようになるのかもしれません。
「こんな別れ方をしたのだからいくら泣いても良い。けれどもいなくなったとは思わないで欲しい。前よりも近くにいられるのだから。」
けれども、悲しみに包まれた地上の人に、その想いが届くことはありません。
地上にいる人への愛情表現は、言葉や行動など肉体を介したものから、守り導くという想いを介した霊的なものへと変わります。
そのことにより、霊界においても地上にいた時と同等の成長が得られると考えられます。
この尾根を聖地と呼ぶ人たちがいますが、その通りです。
地上と霊界の双方から、長い年月に渡り放たれた想い(愛)と祈りによって、極めて浄化されていると感じられました。
山全体がこの世の雑念から隔絶されているために、霊界にいる人が近くに感じられ、知らずに想い(愛)を受け取っている人も少なくないと思います。
訪れるご遺族が絶えることがなく、笑顔になって山を下りて行く人が多いのは、そのためだと思います。
昇魂之碑の奥には、亡くなった人の名前が刻まれた石碑がありました。
手を併せて、何か伝えたいことはありますかと想いを向けたところ、何も感じられませんでした。
ここに留まっている人(霊)はもういないと、改めて思いました。
40年の歳月が過ぎて、亡くなったご遺族も多くいます。
それは待ちに待った再会を意味します。
その時、想像もしない形で想いを交し合っていたこと、つながりは全く失われていなかったことに気付くでしょう。
自分がいなくなった世界を生き抜いたことを、褒めてもらった人もいるでしょう。
その労をねぎらい、やさしく抱きしめてもらった人もいるでしょう。
今生の突然の別れは、魂の学びや成長として報われていて、完全な公正が保たれていたことを知り、無限の叡智、無限の愛が存在していることがはっきりと感じられて、思わず感謝した人もいると思います。
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御巣鷹山へと続く道 |
参考ページ:「日航機墜落事故の遺族を支えたシルバーバーチの霊訓」
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