小学校低学年の時、道端でないていた子猫を、家に連れて帰ったことがあります。
直ぐに母親に見つかり、元いた場所に帰して来なさいと言われました。
しょうがなく元の場所に置いて来ましたが、しばらくするとその子猫は家に戻って来てしまいました。
どうしても飼えなかったので、自転車に乗せて隣町まで行き、後ろめたさを感じながら置いて帰った覚えがあります。
可哀想に思えたのも、後ろめたさを感じたのも、子供心に良心があったからです。
そもそも良心とは何でしょうか?
誰かに教えてもらったわけではありません。
生まれながらに備わっているものです。
地上の人間は、「肉体」「精神」「魂(霊)」から成り立っています。
魂(霊)から生じた意念は、精神を介して、肉体によって表現されています。
魂と肉体の間に形成された精神(自我)からは、感情や欲求が生じています。
生まれながらに備わっているものに「本能」と呼ばれるものがあります。
肉体と最も密接に関係した精神的な欲求が本能と言えます。
身に危険が迫ったら、回避しようとするのは、自己防衛本能と呼ばれるものです。
「神の御国はあなた方の中にある」
イエス・キリストはこう言いましたが、私たちの魂には神が宿っています。
神性が、良心という形で顕現しています。
ほとんどの人は、自分の神性を意識せずに生きていますが、ふとしたきっかけで表に出て来ます。
20数年前、駅のホームから転落した人を助けようとして、2人の青年が亡くなりました。
身の危険を冒してまで助けようとしたのは、神性が顕現したからです。
人を助けようとする神性と、自分を守ろうとする(自己防衛)本能は、相反する働きをしていますが、神性が優ったのです。
自己防衛本能から生まれる死の恐怖は、神性(愛)により駆逐されたと考えられます。
子供の時、我が儘な言動ばかりをしていると、友達から仲間外れにされます。
我が儘な言動に対して、友達の神性が反応しています。
人の言動が、自然法則の働きに反しているかどうかを神性は瞬間的に判断し、そのような行動が取られると考えられます。
成長に関わる局面においても、神性は表に出て来ます。
成長を妨げてしまうような、悪い(法則に反した)行いをしようとすると、言語を超えた抑制する力が働いて、押し留められる時があります。
その力の中に、神の心を感じることができます。
私たちは成長する方向へと導かれているのです。
神性の真髄は愛です。
シルバーバーチの霊訓には「霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。」と書かれています。
誰かのために何かをすることで成長が得られます。
寛容の精神は、他者を認め、許すことにより発揮されますが、その行為は間接的に他者に愛を表現していると考えられます。
多くの仕事は社会奉仕や貢献につながっていて、困難や障害を伴うものが少なくないので、それを仕上げ(乗り越え)ようとする中で、神性が発揮されると思います。
シルバーバーチはこうも言っています。
「あなたの奥にはいわゆる”神“の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何1つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の務めなのです。それは容易なことではありません。」
神的エネルギーによって、宇宙は創られています。
そして、同じ神的エネルギーによって、私たちは生かされています。
宇宙全体から見れば、私たちは極小の存在です。
しかしながら、全体を構成する一部に変わりありません。
同じ神的エネルギーによって、全体とつながっています。
そして、無尽蔵にある神的エネルギーを全体から受けることができるので、克服できないことはないと解釈しています。
私はヒーリングを行います。
エネルギーが流入し、外部に放たれて行くのがはっきりと分かります。
全体からエネルギーを受け取ることなしに、ヒーリングは成立しません。
全ての人(生命)も同じです。
意識できなくても、全体からエネルギーを受け取っています。
そのエネルギーによって、生命活動が営まれています。
今、オリンピックが行われています。
メダルを取った選手がインタビューで良く口にする言葉があります。
それは「自分を信じて頑張った」です。
自分を信じるのは、自分の神性を信じることに通じています。
たとえ神を信じていなくても、自分を強く信じることによって、全体からより多くのエネルギーを受け取り、想像以上の力を出せることがあります。
私たちは1人で生きていると思っています。
それは肉体(物質)的次元の話です。
霊的次元では、同じエネルギーが流れることによって、全生命はつながっています。
死んで霊界に行くと肉体が見えなくなります。
それまで分からなかった霊的なつながりが、はっきりと分かるようになります。
個は全体に包み込まれています。
個は全体の一部として、他の個を包み込んでいます。
全体に心(意識)が存在していることを実感します。
その心を、より発揮できるようになるために生きていることを思い出します。
いざ地上に生まれてしまうと、霊的な眼が閉ざされ、物質しか目に映らなくなり、それが分からなくなります。
だからこそ、私たちは霊的な存在であり、同じ神性でつながり一体であると、強く信じる必要があります。
信じることで、神的エネルギーの恩恵に与ることができます。
生きる不安や心配が和らぎ、力強く生きて行くことができるはずです。
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