2022年2月13日日曜日

死はこの世の卒業


日本人の平均寿命は85歳位です。

個人差はありますが、単純に計算すると生まれてから3万日経つと、そろそろ死ぬ時が近づいていると言えます。

3万日は気の遠くなるような日々に感じますが、私もすでに2万日を超えています。



これまで生きた日々の上に、今日があります。

年を取るごとに、1日の重みが増して行くように感じるのは、私だけなのでしょうか。

これから先も重みが増し続けて、臨界点を迎えて一気に軽くなる時が来ます。

ずっと先のことだと思っていましたが、少し死を意識するようになりました。



霊的真理と出会って良かったと思うことの1つに、死は次の世界に移るための自然現象と、はっきりと判ったことです。

その現象を「鳥かごから大空に向かって鳥が放たれる」、あるいは「さなぎから蝶が飛び立つ」と例えていますが、それ以上に劇的な変化と考えられます。

肉体がなくなっても意識が存在し、思念が直接伝わる世界に移った時の感動は、言葉では言い表せないと想像されます。

そんな知識を得て、死は怖くなくなりました。

むしろ、早く来れば良いのにとさえ思います。



およその寿命は決まっていますが、その時がいつ来るのか分りません。

30年後だとしたら、ずっと先のように感じられ、生き方を変えることはないでしょう。

あと1年後だとしたらどうでしょうか?

どう過ごすのか、じっくりと考えます。

仕事に追われて生きて来たのであれば、家族や友人と一緒に過ごす時間を増やす人もいるでしょう。

喧噪から離れて、自然の中でゆっくりと過ごす人もいるでしょう。

世の中のために、何かをしようとする人もいるでしょう。

長く生きられないと判っているのに、お金や地位や名誉を欲しがる人はあまりいません。

愛情や友情など、目に視えないものを大切にする人が多いと思います。



あと1週間になったらどうでしょう。

後悔がないように、わだかまりがあった人と会って、仲直りをしたくなるかもしれません。

一番好きな場所を訪れるかもしれません。

何もせずに、ただ平穏に過ごすのかもしれません。



最後の1日になったらどうでしょう。

今までお世話になった人に、ありがとうと感謝の気持ちを伝えて、別れのあいさつの代わりにするような気がします。

できれば苦しまずに、眠るように逝ければと思います。



死を意識することによって、地上的な意識から、霊的な意識に変わると考えられます。

大切なもの、価値のあるものに、限られた時間を費やすと思います。

最後にしたいことほど、本当に大切なものと考えられます。

感謝の想いを伝える、心穏やかに過ごす、そんなありふれたことが、何よりも大切なのかもしれません。



今日1日が最後だと思って過ごせば良いのですが、頭ではまだ先と考えてしまうので、なかなか難しいです。

生活して行くため、社会との関わりがあるので、そう簡単に生き方を変えるわけにも行きません。

さまざまな地上的な欲求やしがらみがあり、思うほど大切ではないことに、多くの時間を費やさなければならないのは確かなようです。



命に関わる病気になれば、そうは行きません。

否が応でも死を意識するようになります。

霊的な意識に変わり、本当の大切なものに気付き、どうでも良いものを切り捨て、生き方を変える人もいるでしょう。

自分の意思で変えるのは難しいです。

病気は、本来の自然な生き方に強制的に戻すために創造されたのかもしれません。



死は不幸な出来事なのでしょうか?

多くの人は死を疎ましがります。

秦の始皇帝は不老不死の薬を探し求めたそうですが、現代においてもそんな薬があれば手に入れたいと思う人はたくさんいるでしょう。

もし「不死」の薬が与えられたとしたら、喜ぶどころか極めて重い懲罰が課せられたように感じてしまいます。

死ねないことこそ、不幸だと思うからです。



この世は学校に例えられますが、その通りです。

死後の世界(霊界)は実社会です。

実社会である霊界で、自分をより役に立てるために、この世という学校に生まれて来ます。

学校では、国語、算数、理科、社会などの教科を学びます。

この世という学校では、親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛について学んでいると考えられます。

それらは魂の資質であり、全てが愛に通じるものです。

神の心と言って良いでしょう。

自分に足りない資質を補うために、最適な出来事を経験することになります。



この世は、さまざまな魂が混在し、肉体を介して表現をしなければいけません。

そのために、判り合えず、時に争いとなります。

苦しい思い、痛い思いをしながら、信じること、勇気を出すことの大切さを学んでいます。

いくら愛があっても、それらがないと表現できません。

苦痛が取り払われている霊界では、地上ほど学ぶことはできないと思われます。



死は、この世という学校の卒業です。

しかし、誰でも卒業できるわけではありません。

あの世に行きかけて、まだ早いために、この世に帰って来る人がいます。

地上にいる人たちは、九死に一生を得たと喜びますが、本人にとって喜ばしいことなのでしょうか?

元いた住処に帰れるはずだったのに、引き返して来たことになります。

再び重い肉体を纏って、学ばなければなりません。

つかの間でもあの世を経験した人の多くが、そこに留まりたい衝動に駆られたと、後に語っています。



世の中には、この世を早く卒業してしまう人がいます。

残った人は、早すぎる死を嘆き悲しみます。

そんな人は、この世に入学した時点で、すでに多くのことを学んでいたのかもしれません。

魂の資質(親切、同情、寛容、慈悲、哀れみ、友情、無私の愛)を、十分に身に付けている優等生が多いと感じています。

学ぶことが少なければ、学ぶ時間は少なくなって当然です。

短い期間で目的を果たして、飛び級で卒業することが許されたと考えられます。

いつ卒業するのかは、予め決まっています。

偶然はありまぜん。



世の中には、社会を経験してから、再び学校に入り直す人がいます。

それなりの目的があってのことです。

それと同じで、霊界にいる者がこの世という学校に入り直すのには、明確な目的があります。



この世で学んだことは、あの世で活かされます。

自分を活かそうとするほど、まだ足りない資質があり、学ぶべきものが残されていることを強く意識するようになります。

そこで、地上と言う学校に再び入学し、計画的に学ぶことを志願します。

学校の勉強が楽しいものではなかったように、この世で大切なことを学ぶのも楽しいものではありません。

それでも、この世に戻って来るのは、成長したい根源的な欲求が魂にあるからです。



目的を果たした時、死によって地上から解放されます。

その時は自然法則に計られているので、勝手に早めることは許されません。



死にたくないのは、学校に居続けたいのと同じです。

学生のままでは、何のために学んでいるのか判りません。

卒業して実社会で活かさなければ意味がありません。



死はこの世の卒業です。

大変な思いをした人ほど、解放された悦び、そして成長した悦びを感じるはずです。

苦労して学んだことを、活かせる時が来たのです。





9 件のコメント:

  1. いくみ様
    世の中には、この世を早く卒業してしまう人がいる…
    そんな人は、この世に入学した時点で、すでに多くのことを学んでいた。

    主人もきっとそうだったと思います
    主人は余命宣告をうけ2週間後に亡くなりました
    後悔とか弱音とか悲しみの態度は私には見せませんでした
    卒業を受入て満足していたのでしょうね…

    最後の言葉が…大丈夫…でしたから
    いくみ様
    つくづく思うのは
    この御時世、コロナ禍を乗り越えていく力と思いやりを持ちたいと願う日々です。
    ありがとうございました。

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  2. あさよ様

    こんにちは。
    魂の成長度は外から見て判るものではありません。
    幼い子供の方が親よりも成長していることは、往々にしてあります。
    そんなお子さんが亡くなるとご両親は、自分にはもったいないような子供だったと言われる時もあります。

    余命宣告から2週間後に、ご主人は亡くなられたそうですが、自分の命が短くても、あさよ様のことを気遣うことからも、成長された魂であることが窺えます。
    そのよう人がこの世からいなくなると、残された人の悲しみや嘆きは、どうしても深いものになってしまいます。

    そうですね、今のような自分のことで精一杯な時こそ、ご主人のような思いやりを持つこと大切だと思います。

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  3. ラッパ吹き2022年2月19日 15:15

    イクミさん、

    この文章が目に飛び込んできました。
    以下引用)
    >私はその人から、自分が許されなければ、相手を許すことはできないことを学びました。

    >ありのままの自分を認めて、大切にしなければいけません。

    >足りない自分、違っている自分、変わっている自分は、劣っているのではありません。

    このブログの中です。
    2014年8月15日金曜日
    苦しみから解放されるために許す
    http://slverbirch.blogspot.com/2014/08/blog-post_15.html?m=1


    再就職した会社の心身をすり減らす仕事と人間関係に苦しんでもう耐えきれなくなっています。
    別の仕事のオファーをいただいていて、今の仕事を辞めてそちらに変わるかどうかで悩み続けています。

    必要な苦しみなら、仕事を変わっても同じ苦しみがくりかえされる。逃げれば、さらに大きくなって。
    人を憎んではいないつもりです。自分ではそう信じています。が、嫌われていることはヒシヒシと感じます。

    わからなくなっているんです。
    耐えるべき必要な苦しみなのか、自分を許すことが必要なのか。自分を大切にして、新しい別の道に進んでみる時、恐れを超えてチャレンジするべきがきているのか。

    Mikiさんが伝えてくださった守護霊からのメッセージ、
    自分を許すにはどうすればよいのか。
    導きを求めて祈っても祈っても、私には感じられないんです。
    どうすれば良いのか、もう限界です。

    イクミさんに何かアドバイスいただけたら、感じられることがあったら、どうか教えてください。
    どうか、お願いです。
    こんなお願いをすることを、どうか許してください。
    まとまらず、乱文どうか許してください。

    伝えてくださった、私の守護霊からのメッセージ)
    >そなたは無理をしておる人を愛そうと許そうと無理をしておるのじゃ。
    先ずは己れを許すことじゃ。己を許すことで人も許せるのじゃ。
    それには創造主に全てをお任せすることじゃ。すべてをあるがままを受け入れることじゃ。
    そなたは深く考える癖がある。自分の頭で考えるのではなく、自然に身を任せるのじゃ。

    ラッパ吹き

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  4. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    今週末は、泊りでの仕事があり、コメントを何回も送っていただいたのにもかかわらず、アップと返信が遅くなり申し訳ありません。

    そうです。
    自分が自分を許さないと、他人を許すことはできません。
    信じられないような過酷な出来事を経験された人から、そのことを学びました。
    それと同じ様に、自分を認めないと、他人を認めるのは難しいでしょう。
    因果律の働きによるものと考えられます。

    再就職した会社で、人間関係に苦しんで、耐えられなくなって来ているのですね。
    言われるように、どこに就職したとしても、その苦しみは付いて回るのかもしれません。
    就職先ではなく、ラッパ吹き様が変わることで、今の苦しみから解放されると思います。

    なぜ自分を許すことができないのか、その原因ははっきりと判りません。
    自分を許すことのできない出来事が過去生にあったのかもしれませんし、大切な叡智を手に入れるために、この経験がどうしても必要なのかもしれません。
    価値のあるものを手に入れるためには、それなりの対価を払わなければいけないと言われています。
    おつらいのですが、苦しみの先に、答えが待っているような気がします。

    全てのことに意味があります。
    今の苦しみは、ラッパ吹き様の魂が良い方向に変わるために必要なものと思っています。

    苦しんでいる自分を受け入れて、神の望むように変われることを祈ってみてはいかがでしょうか。

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  5. イクミ様

    本日もお疲れ様です。
    ラッパ吹き様のコメントを見て、何とか幸せになってほしいなと思って、
    差し出がましいようですがコメントさせていただきます。
    お許しください。


    ラッパ吹き様へ

    日々、お疲れ様です。
    私も一言コメントさせていただきたくお許しください。
    ラッパ吹き様は、ものすごく真面目で繊細なのがひしひしと伝わってきます。
    (何も知らない私が言うのも大変申し訳ございません。)
    ものすごくおつらい毎日を送られているんだなと(涙)

    現在のお仕事がおつらいのでしたら、変わられてもいいと思います。
    オファーをいただいているというのであれば、そちらに移られてもいいと思います。
    若い時に、『仕事というのは自分で選んでいるように見えるけれども、仕事に呼ばれてるんだよ』と言われたことがあります。必要とされているところに行かれたほうが幸せなように感じられます。
    自分がおかしくなってしまう前にお辞めになったほうがよい思います。
    大人になるとなかなか自分の背中を押してくれる方は少ないですよね。
    私も若い時、母に相談して離職した経験ががあります。(個人的な意見ですので、気に障りましたらすみません。)

    『自分を許す』…ものすごく大切なことだと思います。
    シルバーバーチの霊訓に自分よりも利他を大切にとありますが、私もはじめのころ、利他愛、利他愛と思っていましたが、その前に利他愛ができるだけの自分になっているのだろうか???
    というのも、自分の気持ちが幸せでなければ人を救うことはできないと現在は思っています。
    人の役に立てることはたくさんありますが、自分が大丈夫でなければ救えないこともありますよね。

    自分も幸せになってもいいんですよ!!!
    ラッパ吹きさんも幸せになる権利はあるんです。

    話は変わりますが、4年生になる息子に『人の役に立つことが大切だ』と教えてはいますが、自分のことがまだまだできません。子供だから仕方ないのですが、息子には『人の役に立つためにはまず自分のことがきちんとできないと助けれないから、まず自分のこと、できるようになろうね』と言っています。利他愛は大事ですが、自分も大事です。だって、人のお役に立つためには自分もしっかりしていなければ助けられないじゃないですか。そう思いませんか???

    自分を許すってどういうこと?って思いますが、どんな自分でも大丈夫なんです。
    完璧な人はいません。ラッパ吹きさんはラッパ吹きさんで素敵なんです。
    私も自分をいじめてしまう時があります。ダメダメだと思い込んでしまう時もあります。
    周りの目も気になることがありますが、案外、自分のことを気にしている人は少ないこともあります。
    私は甲状腺機能亢進症という甲状腺ホルモンが自分を攻撃してしまう持病を持っています。
    感情は自分の肉体に現れるといいますが、まさにこの病気は自分を追い込んでいる自分の感情からきているんだと思います。自分で自分を追い詰めているということです。
    現在は急がずゆっくりゆっくり過ごすことを目標にしていますが、ついつい急いでこなそうとすると息苦しさがやってきます。

    霊的真理にたどり着く前に幸せになりたくていろんな本を読んだりしました。
    その中で銀座まるかんという斎藤一人さんという方がお話しされていることの切り抜き動画がありますので、もしよろしければ聞いてみてください。(今ではYouTubeという素敵なものがあります。どこでも見れて、どこでも聞けます。)なんか違うとお思いでしたらスルーしていただいて大丈夫です。ほんの数分程の動画です。余計なお世話かもしれませんが、自分を許すことはとても大変な作業なんだと思います。もしよろしければ。
    自分自身、霊的真理だけではどうにもならなくなった時に聞いたりしています。

    https://youtu.be/Rl-9wzMtmdQ
    https://youtu.be/cQ8ejNrC81s
    https://youtu.be/uphZCFPSMPo

    それと、イクミ様が2月20日にアップされました『不安や恐れを意志で打ち消す』の記事はラッパ吹き様にあてられた応援メッセージにも見られます(笑)

    自分を信じて、信じて、大丈夫!!!
    何があっても大丈夫、大丈夫、絶対に大丈夫!!!

    というメッセージに感じられました。

    ラッパ吹きさん、『自分を許します』っておっしゃってみてください。
    因果の法則があるように、言霊の法則もあると私は信じています。
    因果も言葉も目には見えませんが、宇宙法則であることには変わらないんだと思います。
    言霊って、神様へのオーダーらしいです。
    『自分を許す=自分を緩む』ということなんだそうです。
    自分を許しますということによって、ガッチガチになった体を緩ませるということでもあるみたいです。私も自分のことが許せないので、体のあちこちがガチガチです(笑)

    なんだか変な話をしてすみません。

    とにかく自分を許して、自分をもっと大事にしてください。
    自分を大事にしたっていいんです。大丈夫です。
    相手も自分も大切なんです。
    自分も神様の子ならば、自分をおろそかにしていいわけがないですよね。
    と言いつつも、自分もできていないので、私も頑張ります。


    長々とすいませんでした。
    不愉快に思いましたら、本当にすみません。

    心が穏やかになってほしいただそれだけです。幸せになってほしいだけです。

    ありがとうございました。

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  6. 匿名様

    おはようございます。
    細かいところまで、ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    ご自身の体験を踏まえた、あたたかいご助言に感じました。
    斎藤一人さんの動画も観ましたが、もしかしたらシルバーバーチの霊訓がベースにあるのかもしれません。
    それを、分かりやすく伝えていらっしゃるような気もします。

    さまざまな魂が同じ平面に住んでいる地上では、お互いに許し合わなければいけません。
    その前に、自分を許さなければいけませんが、それは簡単なことではありません。
    許せない苦しみ、人生の出来事を経験することで魂が成長し、気付いてみたら許せていたと言うようなものなのかもしれません。
    自分に対する怒りは最もやっかいなものと感じていますが、更新したブログ(2022年2月20日)に書きましたように、不安や怖れと同じく、明確な意思を持つことで打ち消すことができると考えています。

    匿名様の様なコメントがラッパ吹き様に届くのは、苦しんでいる人に対して、ご自身が親身になって助言をされているからだと思います。
    ご自分の行いが、ご自分に返って来ていると思います。

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  7. ラッパ吹き2022年2月22日 14:56

    匿名さん、

    ありがとうございます。ありがとうございます。
    胸に染み入ります、すべてが。

    返信遅くなってすみません。
    ウツもあって、頭が回らなくて書く気力がなくて。

    斎藤一人さんの動画も観ました。
    「緩める」、実感しました。自分を許すのは緩めること。本当に感じました。
    動画にもあった、お酒を飲むと緩む、まさに私です。お酒を飲まないと食事さえできないでいるんです。

    書いてくださったどれもすべてがありがたく、暖かく、安らぎをくださいました。
    >とにかく自分を許して、自分をもっと大事にしてください。
    >自分を大事にしたっていいんです。大丈夫です。
    >相手も自分も大切なんです。
    >自分も神様の子ならば、自分をおろそかにしていいわけがないですよね

    匿名さん、
    もし良かったら、何かニックネームを選んで教えてください。

    感謝の思いが胸に溢れているんですが、頭が回らなくて言葉に紡げません。。許してください。
    (いけない、「私は自分を許します。」緩めます。)
    もどかしくて、ウツがつらくて、、
    本当にありがとうございます。

    回らない頭に浮かんだ乱文そのままで、自分を許して、自分を緩めて、送らせていただきます。
    ありがとうございます。
    ありがとうございます。

    イクミさん、
    お言葉ありがとうございます。
    ふるえるような思いがします。何故でしょう。
    (頭に浮かんだ謙譲の言葉を打ち込もうとして、頭が締め付けられるようにつらくなりました。
    「己を許せ。」守護霊が、私の中の神がそうしてくださっているのでしょうか。)

    ラッパ吹き

    返信削除
  8. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    前にも書きましたが、守護霊は答えを知っていると思います。
    ただ、苦しんだ末に、ラッパ吹き様が手に入れるべきものなので、涙を浮かべながら見守っている様に思います。

    返信削除
  9. こんばんは。
    本日もお疲れさまでした。


    イクミ様

    コメントの許可、誠にありがとうございます。
    いつもお優しい対応に感謝いたします。私も救われます。
    本当にありがとうございます。


    ラッパ吹き様

    本日もお疲れさまでした。
    また、まじめで繊細だから悩むなと言われても悩まれたんですよね、きっと。
    返信が遅くたって、なくたっていいんです、私は。
    ラッパ吹き様が幸せになられるんだったらそれでいいんです。
    ラッパ吹き様のコメントを見て、涙がこぼれ落ちました。
    『あ~、これからもっともっと自分を好きになってくれればいいな』と。
    うつを患っているのに働きに行かれている…ものすごいことですよ。頑張り屋さんなんですね。
    でも、頑張りすぎると自分が苦しくなっちゃうから自分を労わってください。
    鏡に向かって、『今日もものすごく頑張って偉いじゃん。俺ってすごいじゃん!!!』って言ってあげてください。
    うつのかたは、心のリセットというか休養がものすごく大切とお伺いしたことがあります。
    息抜きしたっていいんですよ。本当に本当に。
    私も霊的真理に出会った頃は、ボロボロでした。母の死・体調不良全開。
    辛いですよね。でも、乗り越えられます、絶対に。今もよくなったかなと思うとおかしくなったりもします(笑)
    最近分かったことは、脈拍が早い時は呼吸ができてないってことです。
    深呼吸をすれば、脈拍が正常というかゆっくりになることに気が付きました。
    関係ない話をしてしまいました。すみません。こんな私でも生きています。
    私より優しいラッパ吹き様なんだから、生きる価値大大大ですよ!!!

    だから、ラッパ吹きさん、もっともっと自分を好きになってください。
    自分を許してください。だって、本当に神様の子なんだから大丈夫なんですよ。

    ただ、イクミ様がおっしゃられているように、さまざまな魂が同じ平面に住んでいる地上なもので生きずらいですよね。いろんな人がいて、いろんなことを好き放題言うもんだから。でもでも、ラッパ吹き様が思っている以上にラッパ吹き様は素敵な人間なんですよ。
    だって、イクミ様のコメントにもありますように、
    「苦しんでいる人に対して、ご自身が親身になって助言をされている。
    ご自分の行いが、ご自分に返って来ていると思います。」この文章のようにラッパ吹き様はお優しい方なんですよ。
    ご自分の良きところを評価してあげてください。でも、自分のいいところって自分ではわからないもんなんですよね。


    ご自分を救えるのはご自分しかいないので、
    これから自信をもって自分を信じて自分を救っていく作業をしていってほしいと思っております。
    うつもよくなられていくと思います。まわりも優しい方々ばかりになっていくと思います。
    まず、自分が変わらなければいけない時期に来ているんだと思います。

    『ふるえるような思い』は、自分を許してもよいものかどうかという不安のように感じられました。
    (勝手にすみません。違うかもしれないのでスルーでお願いします。)
    自分を許して本当に良いものかどうかと疑っているような???
    自分を許してもいいんです。もう本当に本当にたくさんたくさんたくさん苦しんだことでしょうし(涙)
    苦しんでいる自分を解放してあげてください。何も悪いことなんてしていないんです。
    気持ち、感情一つです。イクミ様がおっしゃられている通り、守護霊様も望まれていることと思います。
    歯がゆい思いをされていると思います。でも、一人ではありませんので、信じて、進みましょ。

    応援しております。


    長々とまたすみません。
    ありがとうございました。

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