2019年12月22日日曜日

死は次の世界に生まれること



日本では人が死んだら、亡くなると言います。

亡くなると言う言葉の響きは、もう存在していない「無くなる」を連想してしまいます。

跡形もなくなり、視えなくなってしまえば、無くなったと思ってしまっても仕方がないような気がします。



しかし、現実は違います。

人間は肉体だけの存在ではありません。

肉体を動かしているのは精神です。

そして、精神の高次に「魂」が存在しています。



死とは、魂が肉体から抜け出す自然現象です。

心臓が停止して脳波が平坦になるのは死の前段階に過ぎず、肉体から魂が完全に分離した瞬間が死です。

死によって肉体は活動を完全に停止しますが、生命の本質である魂は変わりなく生き続けています。



残念ながら死におけるこの現象は、いかなる機器をもってしても観察することは出来ないので、唯物的な人にとって根拠のない戯言にしか聞こえないかもしれません。

真偽のほどは、死を経験すればはっきりします。

けれども、事前に正しい知識を身に付けておいて損はありません。

正しい知識を身に付けていれば、死後の環境に直ぐ馴染むことが出来るからです。

魂など存在せず、死後の世界などない思っていれば状況は全く違って来ます。

意識があり、自分が存在しているので、まだ地上で生きていると錯覚してしまいます。

違う世界にいることが判らず、新しい環境に適応出来ません。

私が正しいと思っている知識が間違っていないと言う保証はありません。

しかし、たとえ間違っていたとしても、その時は無になっているので、騙されたと悔しがる心配もないでしょう。



死を境に肉体は活力を失い、分解され土に還ります。

一方、魂は肉体とは違う媒体(幽体)で自己表現を始めます。

幽体の波長は物質に近いので、半透明な「幽霊」として観察されることがあります。



肉体から抜け出した魂は、しばらくすると先に逝った親愛の情で結ばれた人と再会します。

再会の悦びに浸ると同時に、もうこの世の人間ではないことを自覚します。



それからどれ位経ってからでしょうか、人生を総括する時が訪れます。

この世で、想ったこと、言ったこと、行ったこと、その全てが魂に刻み込まれています。

目の前にスクリーンの様なものが現れ、全人生が映し出され、一部始終を観ることになります。

さまざまな出来事を振り返って行きます。

出来事を通して学ぶべきことを学んだか、予期していた成長が得られたかどうかが、つぶさに判ります。

苦しみながらも、どうにか乗り越えて行けたのなら、安堵と共に悦びに包まれるでしょう。

逃げてしまい、何も学ぶことが出来なかったとしたら、自分の取った行動を後悔することになるでしょう。



人のために役に立つのは、想像してた以上に価値があったことに気付きます。

喜んでもらえた上に、自分も成長していたことを知り、大きな悦びを感じます。

人を傷つけたり、苦しめたりしたらどうでしょう?

自分が取った行動の結果を見せられて、その責任を取ることになります。

たとえ地上の法律から逃れられたとしても、自然法則の働きからは逃れられません。

苦痛を伴う、相応の償いをしなければいけません。

後悔を晴らすため、償いをするために、もう1度この世に生まれて来る人も少なくないようです。

それを済まさない限り、前に進むこと(成長)が許されないのです。

死んで終わりになると信じていると、後悔をしたり、償いをしなければならない人生を送りやすくなります。

無用な遠回りをしないために、霊的な真実を早く知っておくことは、とても大切です。



ただ、平穏無事な生活を送っている人にとって、霊的な真実など関心はないようです。

太陽が出ている時に、明かりは必要ないのです。

けれども、出来事に打ちのめされ、真っ暗闇の中にいる人にとって、足元を照らす明かりになります。



この世界で起きる全ての出来事は、無限の叡智によって創られた、自然法則の働きによって起きています。

偶然はなく、原因(目的)が必ず存在しています。

学びと成長を得るために、(無限の叡智によって)計算し尽くされた上で、出来事は起きています。

挫折させるためではなく、霊的な進化を目的としているので乗り越えられない出来事は絶対に起きません。


この人生が全てではありません。

窺い知ることは出来ませんが、生まれる前にも人生があり、今生へとつながっています。

まだ学んでいないことを学ぶために、ふさわしい経験が必要だったと考えられます。

足りない部分を補い、強くなるために、避けて通ることが出来なかったと考えられます。



では、何故、私たちはそこまでして学び、成長して行かなければならないのでしょうか?


遠い遠い過去に宇宙は誕生し、元々は1つだったものがバラバラになりました。

そして、長い時を経て生命が誕生します。

生命は偶発的に誕生したのではなく、目的を持って創造されています。

創造した者を「神」と呼ぶことにします。

生命は神によって創られた、神の一部です。

勿論、人間もそうです。

一人一人の魂に神がいます。



神は無限の叡智です。

私たちの魂にも、無限の真理(叡智)が内在されています。



人生において、耐え難い出来事が起きる時があります。

なぜ、こんな目に遭わなければいけないのか?

どうすればこの苦しみから逃れられるのか?

真実を教えてくれる人は、どこにもいません。

いくら考えても、答えは見つかりません。



追い詰められ、頭で考えてもどうにもならなくなった時、それまで眠っていた魂は目覚めます。

悲嘆、落胆、失望、屈辱など、苦痛と感じる心的状況は、魂を目覚めさせるための神の触媒です。

思考することによって、真実が判るわけではありません。

真実は霊的次元に存在しています。

目覚めた魂に内在している無限の叡智から、必要としている真実がインスピレーションとなって啓示されます。

啓示された真実は魂の学びとなり、苦しみから救われ、出来事が乗り越えられます。



話は変わりますが、人体は小宇宙と言われています。

数十兆個にも及ぶ、多様な細胞から構成されています。

たとえば指先の皮膚の細胞と脳の細胞ですが、お互いに関係がないように見えます。

しかし、どちらも人体を構成する一部であり、それぞれに果たすべき役割があります。

全体の中でつながっています。



広大な宇宙の中で、一人の人間は極小の存在です。

けれども、宇宙を構成している一部には変わりはありません。

どんなに小さな存在であっても、全体の中で果たすべき役割りが与えられているはずです。



全ての細胞に、同じ血が流れていて、私たちは生きています。

全ての生命に、同じ力が流れていて、私たちは生きています。

その力とは、生命(霊)力です。

生命力と言う共通の力で、全生命はつながっています。



ヒーリングの力は生命力です。

その力により魂と精神と肉体が癒やされます。

その様子を見る度に生命力は神を始源とした、愛を帯びた力であると強く感じます。

神は生命力を通して、全ての生命に自らの心、愛を表現させようとしていると思います。



しかし、私たちはいつも愛を表現しているわけではありません。

愛を表現するどころか、反対に怒ったり、憎んだりすることもあります。

それはどうしてなのでしょうか?



地上の人間は、自分の想いを、精神(自我)を介し、肉体と言う媒体で表現しています。

肉体からは様々な欲求が生じていて、そのほとんどが自己保存的なものです。

自我は肉体と強く結びついているため、どうしても自分に意識が向き、他者に意識が向きません

地上では、自分が1番可愛いのです。

自分が1番可愛いと思っている者同士の間には、反発が生じてしまいます。

自分に意識が向いてしまう中で、他者に意識を向けて、調和を図ろうとするのが、肉体を持つ地上ならではの修練と考えられます。



昔、駅のホームに転落した人を、自らの命(肉体)を犠牲にして、助けようとした人がいました。

その人は、頭で考えて行動したのではなく、魂に内在する神性(愛)が強く発現したと考えられます。

その場に居合わせた多くの人が助けられなかったのは、自我の働きにより、神性の発現が抑制されたからと考えられます。



人生では、このような自我と魂のせめぎ合いが起きています。

私たちは、常に試されているのです。

自我に打ち克ち、他者に愛を表現することによって、魂は進化向上します。

進化向上の果てに待っているのは究極の愛の境涯であり、神は自然法則の働きによって私たちを導いています。



この世界では、様々な人間が同じ平面に生活をしています。

考え方や価値観が異なる、自分とは違う人たちと一緒に生活するのは大変なことです。

平穏無事に生活するためには、お互いを認め合い、許し合わなければいけません。

それらが欠如したならば、争いが起きてしまいます。

争いから生じるのは、苦痛です。

私たちは苦痛を通して、認め合い、許し合うことの大切さを学びながら、次第に信じ合うようになって行きます。



この世界に生まれて来たのは自分に打ち克ち、自分とは違う人たちを信じ、愛を表現するためです。

愛は魂は引き付け合う、神的なエネルギーです。

バラバラになった生命が、愛によって再び1つになるために用意されたのが、この世界です。

気の遠くなるような長い年月をかけて、神の計画は成就されて行くはずです。





死とは、次の世界に生まれることです。

新しい媒体によって自己表現を始めることです。

肉体のような自己保存のための欲求はもうありません。

食べる必要も、休息する必要も、お金のために働く必要もありませんので、自分ではなく他者に意識が向けられるようになります。

自分に向けていた(生命)力を、自然に他者に向けられるようになります。

お互いを思いやり、助け合う世界です。

そして、本当の自分の想いを隠していた肉体はもうないので、周りに全てが知れてしまう世界でもあります。



この世界とは大きく違うところが、他にもあります。

周囲には自分と類似した魂しかいません。

従って、他者との関係で悩んだり、苦しんだりすることはありません。

類似した魂から生じる想いは、自ずと似通っています。

お互いが同じ想いを共有しながら生活しています。



素晴らしく快適な世界です。

本来は、喧騒と争いに満ちたこの世界に生まれようとは思わないでしょう。

それでも、生まれて来るのは、次の世界では決して起きることのない出来事を通して、大切なことを学び成長するためです。

神の計画に従い、想いを共有して1つになって行くために必要な経験をするためです。



大切な人が死んでしまったら、この世にいられなかったと悼みます。

それは大きな間違いであり、想像を超えた素晴らしい世界に誕生したのです。



他者を自然に思いやれる人は、次の世界に行く準備が整っていたのです。

肉体がなくなり、ありのままの想いが周りに知れたとしても、恥ずかしくない人だったのです。






19 件のコメント:

  1. 大切なことが美しく綴られた文章で、とても力を感じました。

    そっと寄り添ってくれるような感じが読んでいてとても心地よいです。

    今日は、アメリカ心臓協会のBLS(AEDや人工呼吸、胸骨圧迫等)講座を受けてきました。

    死は生命の終わりではないと分かってはいても、人間をほんの僅かな時間、生きながらえさせることがそんなに重要なことではないと分かってはいても、救命の基本的な技術を習得しておくことはやっぱり必要なのではないかと今の私は思っています。

    すごく葛藤はあるんですけどね。でも、BLSも出来ないのに、医療現場で働く勇気はありません。


    私、闇を見るのが結構好きで(闇の中には幸せに生きるヒントが隠れているように感じるので)、「八つ墓村」のモデルともなった、"津山33人殺傷事件" という一人の青年が一晩で33人を殺害した日本史上最悪の殺人事件を調べていました。

    彼が最期に残した遺書には、"次は幸福に生まれてこよう"とあります。無意識にも死後も生命が続くことを知っていたのかなぁと感じました。

    もし、自分が彼と同じ立場に生まれていたら、同じ事をしたのだろうか。どうすればこのようなことを避けることが出来たのか。これからの社会のあり方はどうあるべきなのか。 では、自分に何ができるのか。

    当時の社会の闇を垣間見ることもでき、それに比べて今がいかに良くなっているかが分かる。それはきっと、理想に燃え、知らないうちに霊媒となったたくさんの人たちの努力の賜物に違いないです。

    https://matome.naver.jp/odai/2136400317829783901

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  2. ナオヤ様

    こんにちは。
    更新したブログを読んで、感想を書いていただき、ありがとうございます。

    BLSの講義を受けたのですね。
    私も数年前に、ヘルスケアプロバイダーの講習を受けましたが、アップデートされていて、最新の知見を入手しなければいけないと感じています。
    死は決して嘆かわしいものではありませんが、この世にいる人間として、他者が生きるための手助けは怠ってはいけません。
    特に医療従事者は、プロとして求められているのですから、そのための研鑽を積まなければいけません。

    津山33人殺傷事件については、父の出身地が津山と言うこともあり知っていました。
    父がまだ小学生の頃だと思いますが、大騒ぎになったようです。
    逃げられないように、集落の下(しも)の家から上(かみ)に向かって襲っていったと言っていました。
    資料を読みましたが、犯人は現代で大量殺人を行う人間と共通する気質的な問題があると感じました。
    遺書に、今度は幸福に生まれてこようと書いてありましたが、何度、苦痛を味わう人生を送らなければならいかを考えると、哀れみを感じます。

    自分が同じ立場に生まれたら、同じことをしていたか? ほとんどの人にとってそれはあり得ないでしょう。
    どうすれば避けることが出来たのか? 予測するのは難しかったでしょうが、誰か一人でも理解者がいれば、起こらなかった様な気がします。
    これからの社会に必要なものですが、やはり多くの人が真理を知ることであり、自分に出来ることは伝えることだと言う結論に至りました。
    受け入れる時期はありますが、生命の存続、因果律の働きだけでも知っていれば、このよう凄惨な事件は激減するでしょう。

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  3. >>私も数年前に、ヘルスケアプロバイダーの講習を受けましたが、アップデートされていて、最新の知見を入手しなければいけないと感じています。
    死は決して嘆かわしいものではありませんが、この世にいる人間として、他者が生きるための手助けは怠ってはいけません。
    特に医療従事者は、プロとして求められているのですから、そのための研鑽を積まなければいけません


    確かにそうですね。真理を知っているからこそ、より一生懸命やれるようでないと駄目だなと反省です。。(^^;)


    >>津山33人殺傷事件については、父の出身地が津山と言うこともあり知っていました。


    驚きました。。そんなこともあるものですね。


    >>自分が同じ立場に生まれたら、同じことをしていたか? ほとんどの人にとってそれはあり得ないでしょう。


    私は、まだ結論が出ずにいます。こういう事件を起こした当人の心情を知りたいです。私は、"彼らは自分と気質が違うから"で片付けてしまいたくないです。

    それってまさに彼の集落の人が取った態度そのものではないかと思って。。


    その一方で、それを知ったとしても、"やるべき事は真理を伝えること"だというイクミ様の意見を読むと、私もそうだなと思うので、知ることにたいした意味はないのかもしれないとも思います。

    ここでもシルバーバーチの言う、真理は無限の側面があるということになるかと感じます。

    資料お読みいただき、ありがとうございました。 貴重なお時間有り難うございます。


    何回か、シルバーバーチの霊訓の読書会にも参加しましたが、しっくりいかず、徐々にフェードアウトしています。

    私みたいな若造が言うのもあれなのですが、正直、霊訓原理主義的なところについて行けず。。。

    真理が一番大切ということは分かってはいるのですが、参加者の発言から、"私は大勢の地上人と違って、霊訓を知っている"的な自惚れの心情が感じられてきついです。

    それが、自分自身の中にもあるものだと分かっているからこそ、それを他者の中に見るのが辛いんですよね。

    "霊訓をしっている自分"を自分のアイデンティティにしてしまうと、失敗する気がします。霊訓を知っているかどうかより行動の方が大事だと常に言い聞かせないと。。


    真理を知っているという事実よりも、同僚の体調を心配して日勤が疲れているのに、夜勤を変わるあの看護師さんや、将来子どもを授かれるように敢えて子宮を残す難易度の高い手術を選択した思いやり溢れるあの医師、人々に元気を与えようと笑顔で歌うアイドル(笑)の行動の方がよっぽど人々に元気を与えているように思います。


    かなりひねくれてますね。こんな自分が昔は嫌いでしたが、今はそんなに嫌いじゃないです笑 地上では誰も賛同してくれなかったとしても、頑張ります。

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  4. ナオヤ様

    おはようございます。
    こういう事件を起こした人の心情を知りたい、私は、"彼らは自分と気質が違うから"で片付けてしまいたくないですと聞き、詳しくはありませんが、精神病理に特別な興味をお持ちなのかなと思いました。
    確かに、凶悪な犯罪が起きても、個の問題と片付けて、社会は根本原因を究明しようとはしません。
    何も学ばずに、同じことが繰り返されているように見えます。

    シルバーバーチの読書会に参加されていたのですね。
    私は参加したことがないのですが、イギリスのスピリチュアリストチャーチ的な役目を果たしていると想像しています。
    実は私も、霊訓を知っていることに優越感を持っていたことがあります。
    その雰囲気は周囲に直ぐに伝わり、妻からは選民思想だと言われました。
    これ以上大切な真実はない(それは今でも思っていますが)と考え、真理を押し付けてしまい、判らないと魂の成長度が足りないと決めつけていた時期もありました。

    知っている人は、求めている人に伝えなければいけません。
    求めている人は、霊界によって知っている人のところへ導かれて来ます。
    霊界は地上の人の心の内を知り尽くしています。
    知っている人の心に、自惚れや優越感が巣食っていたのなら、霊界はその人の元に導くことはないでしょう。
    その気持ちが伝えることの大きな障害になるからです。
    必要なのは、慈しみの想いです。
    慈しみの想いにより霊界と同調し、インスピレーションが伝わって言葉となり、求めている人の魂に伝わると考えています。
    自惚れや優越感を持っている人は、知っていると言う自己満足で終わってしまうと思います。

    言われるように、知っていることよりも行動の方が大切です。
    霊的真理など知らなくても、人や社会のために立派に奉仕をしている人はたくさんいます。
    多くの人は、日々の仕事や家事や育児を通じて奉仕をしていますが、それ以外にも、災害にあった人をボランティアに行って助けたり、道で困っている人がいたら声をかけるのも、保健所にいる犬や猫を家族として迎え入れるのもそうだと思います。
    神は信じていなくても、人や動物が喜ぶことをする人は神の心に適っています。

    ひねくれてなどいません。
    私は大いに賛同しています。

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  5. イクミ様

    こんにちは。お久しぶりです。
    前回の、才能について書かれた記事も自分自身の気付きとのタイミングとぴったりで、コメントを入れたかったのですが、12月が忙しくなる職種なので、今ようやく落ち着きこちらにコメントを入れさせて頂いています。

    今回もまた、父の存在を強く実感した出来事があったタイミングでの記事の内容でしたので、是非コメントをさせて頂きたいと思いました。

    霊とはなにか、霊界なんて本当にあるのか。
    これらの「肉眼で見えない感覚」は、身近な人を亡くされても実感が湧かずに悲しみに打ちひしがれたままの方も多いのでしょう。
    実際に体感した方が、現実に起きた事をありのまま伝える事で、不確かながらもようやく実感へと一歩近づけるのかもしれないし、実感までできなくても、信じる事はできるのかもしれません。

    私自身の体験をこちらに書かせてください。
    長いですが、失礼致します。

    肉眼で幽霊が見えるとか、心霊現象などの体験をしている人もいますが、私にはその様な体験はありません。
    テレビでの心霊番組は嫌で、信じることもできませんでした。
    霊的感受性が強い私自身の感覚も「気のせい」と、否定し続けていました。
    シルバーバーチの霊訓と出会うまでは、です。

    目に見えない、五感でも得られない、心の中の、感覚上の体験のみですが「これが霊感。霊的世界なんだなぁ」と実感できる体験は、特に父を亡くしてから日常的に得られる様になってきています。

    リラックスしている時に、自分の脳裏の中を明らかに、父の考えそうな事、言いそうな事が「勝手に」よぎってきます。
    音楽に乗せて、父の存在感が強く感じられる事があります。
    父の人生に想いを馳せた時、勝手に涙がこぼれ落ちる事があります。

    目に見えない精神世界の事ですが、自分の脳を使わず「勝手に」起きて、そこには確実に「お父さんだ」とハッキリ分かる感覚があります。

    生前、私達家族を守る為に、私が幼い頃に父が突然いなくなってしまった事が、私の中で「身近な男性が突然いなくなる」という体験として刻まれてしまい、実はそれが今になっても消えず、先日も、心から優しい想いを傾けてくれている男性に対しても、お互い忙しく連絡をとる間もない間にその不安と苦しみが湧き出してしまい、押しつぶされそうな感覚と一人で葛藤していました。
    大切である程に「また捨てられるのでは」という恐怖と不安が沸いてしまい、「見捨てられた時のショックを和らげる」為のシミュレーションをしてしまうのです。
    冷静に人柄を見ればそんな人ではないと分かりますし、例えお相手がそういう選択をしたとしても、それはお相手の意思で仕方の無いことと受け入れて済む事ですし、それに20数年後には父と再会して変わらない愛情を実感できたのだから、この不安はただの被害妄想。一番は、自分で自分を見捨てない事。
    と頭の片隅では分かっていても、それでも無意識にくすぶってしまう恐怖と苦しみに囚われてしまう事があり、未だにこうなってしまう自分に気がつき自分でも驚いてしまいました。
    感受性が強い為、不安と恐怖の波長がシルバー・バーチの言う「邪霊集団」を引き寄せてしまったのかもしれません。
    苦しんでいたその時も脳裏の中を、父が言いそうな事が強くよぎってきたんです。

    「お前のその不安定さが未だに消えないのは、俺のせいなんだな。俺もお前と何十年も離れ離れで心配だし寂しかったけど、お前には小さい頃から寂しい思いをさせてきてしまった。俺のせいで、お前にこんなに長い間、苦しくて寂しい思いをさせてきたのか。申し訳なくて、切なくて苦しい。だから、お前がそっちにいる間はお前の側を絶対に離れない。残りのお前の人生は、俺が幸せに導かないといけない。果たさないと。その事にしか関心がない。だから、俺の声をいつもよく聞ける様にしておいてほしいんだよ。俺には全部見えてるから。不安に押しつぶされそうになったら、俺が癒やすから。お前の身体に直接触れられる身体はもうないけど、お前なら俺の愛を、感じる事はできるだろ?俺のお前に対する愛情がどれだけ深いかよく知ってるだろ?ちゃんと受け取ってほしいんだよ。お前にそのまま人生を終わらせるわけには行かないからな?」

    というメッセージを感じ取ったまま寝落ちしました。
    そのまま夢の世界に行き、その中で、父と手を取り合っていたんです。

    目が覚めた後、リアルな感覚が残っていました。
    そして「俺が側にいる感覚が分かったか?」とメッセージが脳裏をよぎってきました。

    目には見えず、触れられる身体がなくても、存在感の強さがハッキリ分かり、ここに「お父さんが、居る」と、強烈すぎる位に感じられる出来事でした。

    これが霊感なんだ、霊的世界なんだなと思いました。

    父のメッセージを受け取る前に、何故か無性に、竹内まりやさんの「いのちの歌」を聴きたくなっていたんです。
    何度か聞いている内に、曲に乗せて、父のメッセージと、強くて優しい愛情の様な感覚が、降り注いできました。

    見えない世界で、たくさんの愛が働いているのでしょう。
    改めて、感謝しながら全うしていきたいと思いました。

    そして、イクミ様の立ち上げられたこちらのブログに出会えた導きにも感謝しています。

    こういう事を語れる場所は、まだそう多くはありませんので、話せる事で、とても救われています。

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  6. ゆかり様

    こんにちは。
    お久しぶりです。
    所用があり、返信が遅れて申し訳ありません。

    あなたからのコメントをいつものように興味深く読まさせていただきました。
    多くの人にとって、死後の世界の存在は懐疑的です。
    十数年前の、あなたも私もそうでしたが、確証を得ていないからです。

    あなたは幼い頃に、お父様と生き別れ、そして過酷な体験を長い年月に渡りして来ました。
    頼るものが何もない、追い詰められた状況で、崇高な真実が啓示されました。
    真実を得心するために、その経験がどうしても必要であり、絶妙のタイミングで霊界はあなたに伝えました。
    そして、その真実によって、魂が救われました。
    シルバーバーチの霊訓との出会いによって、今までの人生で起きている出来事の意味を、深く理解することが出来たと思います。

    強烈な実体験により、魂が目覚めないと、霊的な眼は開かれません。
    死後の世界を、いくら頭で考えたとしても想像はできません。
    霊的な眼が開かれて、初めて視えて来る世界だと考えています。

    身近で頼るべき人がいない、見捨てられたと思ってしまう体験は、あなたの心に怖れや不安を生じさせていたと思います。
    未だに、恐怖と苦しみに囚われてしまうそうですが、それは表現出来なかったその時の想いが、今起きている出来事を通して表出していると考えています。

    大切にしなければならない人に対して、好ましくない想いを抱いてしまうことを、お父様はとても心配しているようです。
    眠る直前(起きる直前)の意識の次元が変わる時を見計らって、お父様は伝えて来たと思います。
    その後の夢でも会い、起きた時も感じたのは、あなたに生命存続を確信させる体験をさせていたのかもしれません。
    ほとんどの人は、想いが伝わって来たとしても、ふと何かを感じるだけであり、言葉には変換出来ません。
    お父様から伝わって来た想いを、ここまで詳細に言葉で表現できるのは、あなたに与えられた能力だと感じています。

    お父様はご事情があったにせよ、あなたに寂しい思いをさせてしまったことを悔やんでいて、あなたにはどうしても幸せを感じる人生を歩んで欲しいと願っています。
    今が大切な時期であり、好ましくない想いに囚われて、前に進めなくなることを心配している気がします。
    長い年月に渡り父親として果たせなかったことを、あなたの傍で守り導くことにより、果たさせてもらおうとする熱意に溢れています。
    注げなかった愛情が、これからの人生で注がれて行くと思います。

    ご存知でしょうが、不安や怖れは、霊的なつながりを弱めてしまいます。
    不安を感じたら、直ぐにお父様を思い出すことによって、向こうから注がれる愛情によって、取り除かれると思います。
    お父様は、守り導くために、強固なつながりを保っていたいのです。

    音楽を聴くと、自分の想い(波長)が変わり、向こうの世界にいる霊と同じ想い(波長)でつながりやすくなると考えています。
    ラジオと同じで、同調すれば、自然に想いが伝わって来ます。

    あなたからのコメントは、魂の存在、愛する者同士は死によって離れ離れになることはないと言う真理を裏付けるエビデンスとなっていますので、これからも送っていただければ、私も助かります。

    来年が、あなたにとって幸せを感じる年であることを祈っています。

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  7. イクミ様

    こんばんは。いつもありがとうございます。
    イクミ様の、冷静で客観的な視点からの返信、ありがたいです。

    父は自分で「俺は口から生まれた男だからなぁ」とユーモラスに表現する位に良く喋り、そして熱い人でしたが、受け取れる思いやメッセージもまさに父そのものだと、自分で読み返して改めて思いました。
    脳裏によぎった事をそのまま入力を続けている内に、父の言葉としか思えない文面が出来上がりました。

    明らかに自分のものでは無い考えや言葉が、父以外の存在の言葉も脳裏によぎってくるのですが、やはり、あまりある事ではないのでしょうか?
    だとしたら、やはり試練や困難の多い人生を、愛情を発揮しながら乗り越えていける為に与えてくださった能力なのかもしれません。
    その受信能力がなければ、道が分からず光も見えず、もっと若くに絶望して自死していたかもしれないからです。

    不安や恐怖、孤独に対して強くいられるのも、感受性の強さに救われてきた所があるかもしれません。

    地球浄化の計画の一員でいられる様な生き方をして行きたいと思っています。

    自分自身が幸せを感じていられる日常の訪れも、受け入れていきたいと思います。

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  8. ゆかり様

    おはようございます。

    お父様は積極的に想いを表現する人であることも要因になっているでしょうが、やはりあなたは霊界とのつながりが深く、そのために強い感受性が与えられたと考えています。
    今生の試練を乗り越えるために、霊界のサポートが必要であり、それを受け取る目的もあったと思います。

    これからは、人のために活かすことが出来ると考えています。
    地球浄化と霊的覚醒は連動していると思います。
    導かれてあなたに救いを求めて来る人がいれば、あなたを通して霊界からのインスピレーションが伝わり、それがその人への回答となり、上手くすれば霊的覚醒につながるでしょう。

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  9. イクミ様

    いつも心温まるブログをありがとうございます。
    こちらの記事にあるように、私も「亡くなる」という言葉には違和感を感じており、大切な人が肉体を離れてからこの言葉を使っていません。
    肉体を持っていないだけで、変わらぬ優しさで支えになってくれている今、「無」になったなんて到底思えません。

    今年は私にとって、たくさんの出来事があった一年でした。
    一番大切な人が肉体を離れる出来事がはじめにあり、その直後にこちらのブログにたどり着き、イクミ様とお話をさせていただく機会に恵まれました。
    そして急速に、魂のことや「死」はなく本質は永遠であること、この世で生きるとはどういうことなのか、様々な真実を知ることができました。

    この世で生きる私たちは、疑いなく「死」は無になることではないこと、肉体を離れた方は変わらぬ優しい想いで私たちをサポートしたい気持ちがあることを信じるべきだと思います。
    よく、あの世に旅立った人のことは忘れて生きていくのが大切だ、と言われますが、決してそんなことはなく、いつまでも愛を感じながら共に生きていっていいと思うのです。
    私は大好きな人が肉体を離れてからも、今まで通り何でも相談しお話をしています。
    彼はいつも包むような優しさで必ず答えてくれます。
    声が聞こえるということではないのですが、彼の言葉であることは本当にわかります。
    最近は、私が落ち込んだり元気が出ない時に彼に語りかけると、癒される感覚を感じるようになりました。

    「見えない存在があり、その大きな後ろ楯があることを信じていれば、何も怖くない。」と言っていた彼の言葉が今、本当によくわかるようになりました。

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  10. さくら様

    お久しぶりです。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    今年はたくさんの出来事がありましたね。
    長い間、悲しみ、苦しんでも、真実に辿り着けない人もいます。
    そんな中で、こんなにも早く辿り着けたのは、彼の導きによるものでしょう。
    生きていて、傍にいて、問いかけに答えてくれているのを感じられるのは、あなたが彼の存在と想いを信じているからです。
    信じることは、神の摂理に適っているので、死を超えてつながることが許されたのです。

    生きている、愛されていると言う真実の他にも、大切なことを学ばれたのですね。
    きっと、それは彼が生前あなたに伝えたかったことだと思います。
    形見だと思って、大事にして下さい。

    「見えない存在があり、その大きな後ろ楯があることを信じていれば、何も怖くない」と言っていたそうですが、彼は自分がその役目を果たすことを予見していたように思えます。
    その意味が判ってもらえて、すごく喜んでいるでしょう。

    信じていれば、守り導いてくれるので、怖いものは何もありません。

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  11. イクミ様

    新年おめでとうございます。
    イクミ様にとって素晴らしい年となりますように。
    そして世の中の多くの方が霊的真理を知ることで、大きな愛に包まれますように。

    今日は、今年をどんな一年にしようかとひとりで考えたいと思いカフェに行きました。
    そして、行く途中の信号待ちで突然、肉体を離れた大切な人からメッセージが入ってきました。

    「肉体を離れた今、全てが愛しいと思ってる。
    関わった場所も人も、辛かったこと、嬉しかったこと、全てが愛しい。
    どれもこれも、どんな人も、どんな場所も出来事も。」
    このような言葉でした。

    この世で私達が体験する全てのことは、喜びも悲しみも、全てが尊く大切で意味があり、肉体を離れた彼から見たら、大きな愛と光に包まれているんだと伝わってきました。

    彼からのこの言葉を受けて私は、この世で体験すること全てを、一つ一つ慈しむように心に刻みながら生きていこうと、新しい年になり思いました。

    優しく降り注ぐような彼からの光を感じた瞬間でした。

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  12. さくら様

    おめでとうございます。
    車に乗っている時に、彼からメッセージが伝わって来たのですね。

    霊界には時間がないので、新年のあいさつはありませんが、それにふさわしい素晴らしいメッセージです。
    全てが愛しいと感じているのですね。
    そんな心境になるのは、この世にいる限り難しいと思いますが、どうしてもあなたにこの感覚を伝えたかったのだと思います。

    あなたの心に生まれた想いは、今年1年ではなく、これからの人生をどう生きるかの答えにもなっています。
    そんな想いが生まれることを、彼は望んでいたと思いますので、きっと喜んでいるでしょう。

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  13. はじめまして。
    先月突然母がクモ膜下出血で他界しました。
    シルバーバーチを毎日読んで理解してきたはずなのに悲しみで胸が押しつぶされる毎日を過ごしています。
    毎日電話で声を聞き、
    会えば1番の友達のような理解者でした。
    亡くなる朝も普通に話していたので、
    いまだにこの世にいるように電話して報告したりしようとしてしまいます。

    本日、イクミさんの記事を偶然にも見つけ読みはじめると、他界した母からのメッセージのようで感動して涙が止まりませんでした。
    父は47、母は66歳と若く亡くしてますが、
    それは2人とも私よりレベルの高い魂で、
    使命を果たしたからよりよい世界で行ったのだと思っています。
    そして私にとってもこの出来事は何か深い意味があるのだと思います。
    それか何なのかはまだ確実には分かりませんが、
    人のために少しでもなる人生を送っていきたいと思います。

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  14. イクミ様

    あけましておめでとうございます。

    コメントありがとうございました。

    自分の醜い心を見つめるのは悲しくて辛いことですが、忘れないようにしたいです。

    特に家族は指摘してくれることが多いと思うので、その時に聞く耳を持っていたいです。

    真理はたくさんの側面があるということを忘れないようにしたいです。

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  15. Unknown様

    初めまして、イクミです。
    先月、お母様が亡くなられたのですね。
    あまりに突然の出来事で、現実に起きていることが、未だに受け入れられないとお察しします。

    早くお父様が亡くなり、お母様と支え合って生きて来られたと思います。
    母親であると共に大親友であり、この世で1番大切な人を失ったあなたの心境を察すると、かける言葉がみつかりません。

    シルバーバーチの霊訓を読まれているのでお判りでしょうが、お母様はこの世の人ではなくなり、視えなくなりましたが、今も生きています。
    一番気がかりなあなたの傍にいて、自分は何も変わっていないと必死に訴えているでしょう。
    親子の関係は、全く失われていません。
    それどころか、お母様にとってあなたはより身近な存在になっています。
    あなたとの間に、距離が存在しなくなったからです。
    大好きなあなたの傍に、いつもいられるようになったからです。
    そのことが、あなたに判ってもらえなくて、とても悔しく感じていると思います。

    66歳であれば、あと20年は生きているのが普通です。
    しかし、年齢は地上的なものであり、魂の成長度で計らなければいけません。
    お母様は、自分のことより、周りのことを考えるような人ではなかったでしょうか?
    明るく、朗らかで、誰からも好かれるような人ではなかったでしょうか?
    もしそうであれば、あなたが言っているように使命を果たし、予定通りの成長が得られたので、向こうに行ったと思います。
    この世の寿命だったのです。
    置いて行かれたあなたにとっても、何らかの意味(目的)があるはずです。
    その答えを見つけるのが、あなたに与えられた課題であり、早く逝った1つの意味になっています。
    あなたの魂をより高みに導き、ご両親の魂に少しでも近づくために、どうしても必要だった、そんな気がしています。

    あなたにとって悲しい別れは、お母様にとって片時も忘れることのなかった大切な人との再会になっていたのかもしれません。
    再会の喜びと、あなたの悲しみの間で、戸惑っているのかもしれません。

    お母様が微笑むのは、あなたがあなたらしく生きている姿を見ている時です。
    自分の死によって、真理を深く理解して、これまで以上に成長する人生が送れるようになったのなら、これ以上の悦びはありません。

    お互いに伝えたいことは、山ほどあるでしょう。
    あなたの想いは、お母様に届いています。
    お母様の想いは、地上にいるあなたには届きにくくなっています。
    しかし、語らずとも判り合えていた親子であったのならば、必ずお母様の想いはあなたの魂に届くはずです。
    今も変わらずに想ってくれていることを、実感する日が必ず来るはずです。

    あまりにもつらい現実を前にして、霊的真理は意味をなさないように感じられているかもしれません。
    それでも、真理はこの現実を乗り越えるための、支えになるのは間違いありません。

    愛する者同士に、別れは存在しません。
    これまでと同じ様に、人間として成長して行く姿を、温かく見守り続けていることを、決して忘れないで下さい。

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    1. お返事ご丁寧にありがとうございます。
      すごく助かりました。
      今でも親子の関係は変わっていないという言葉に本当に嬉しさを感じました。

      シルバーバーチでは死後、幽界へ行き、そこで先に亡くなった家族たちとの再会とありましたが、
      のちに霊界に行くときはそれぞれの階層に行くとのことで、いずれは母と子の関係ではなくなるのかな〜とか地上的な考えで見てしまい不安になるときがあります。
      しかし、幽界ではしばらくは一緒にこちらで過ごしたように過ごせるのであれば、
      その先のことはまだ考えても意味がありませんね。

      まだまだシルバーバーチ、スピリチュアルを勉強中です。
      ちょうど春からカナダに移住予定が決まっており、お母さんはすごく寂しがっていたので、
      これからはお母さんもいつでもすぐに様子を見に会いにきてくれるかなと思います。
      昨年は私の娘たちが入院、手術があり、そのときもお母さんがいなければどうしようもできませんでした。

      すべてすることをして旅立って行ったんだと思います。
      イクミさんが仰ってくれた「自分のことより人のために」という言葉にびっくりしました。
      なぜなら私たち家族が口を揃えてそう話していたからです。
      最後まで自分より相手のためにしてくれたお母さんでした。
      驚くほどの数の人たちが手を合わせにきてくれました。

      それだけお母さんは慕われていたのだと改めて思いました。

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  16. ナオヤ様

    あけましておめでとうございます。
    医師になるための集大成の年になるので、心して臨んで下さい。

    あなたは私が若い時よりも、知識が豊富で、自己分析も出来ています。
    今の謙虚さを忘れなければ、今年も成長する1年となるでしょう。

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  17. Unknown様

    そうですね。
    死後、幽界で親愛の情で結ばれた人と再会し、しばらく一緒に過ごした後に、それぞれ元居た住処(界層)に戻ります。
    多くの人に慕われていたお母様は、きっと悦びに溢れたか境涯が住処なのだと思います。
    前世のことは判りませんが、あなたとお母様の関係は今生だけのものではないような気がします。
    あなたを大きく成長させるために、母子の関係となり、目的を果たして戻って行ったのではないでしょうか。

    去年は娘さんの手術などがあり、大変だったようですね。
    これからの人生でも、いろいろなことがあるでしょう。
    その1つ1つを乗り越えて行くことで、お母様がいる境涯に少しずつ近づいて行くのだと思います。
    思いやりを持って接し、周囲に優しくすることで、お母様と同じ想いを共有することが出来ると思います。
    1番大切なものを、人生をかけてあなたに伝えていたのではないでしょうか。

    これからカナダに住むのですね。
    あなたの傍にいられるので、少なくてもお母様が寂しい思いをすることはありません。
    何か困った時に、お母様ならどうするだろう?と思いを巡らした時に、そっと自分の想いを吹き込んでくれるのではないでしょうか。
    これからあなたが地上を去る時まで、さりげない形で導いてくれると思います。

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    1. ありがとうございます。
      イクミさんが仰ってくださることはとても分かりやすく心に入ってきます。
      前兆もなく地上界からいなくなってしまったので、まだまだ受け止めることが上手くできませんが、
      いつか再会できることが待ち遠しいです。

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