2019年1月6日日曜日

死によって変わらないもの


年の瀬が押し迫る12月29日に、遠方に住む叔父の所へ行って来ました。

叔父は、11月29日に60年間連れ添った叔母を亡くしました。

叔父夫婦には子供がいなかったからでしょうか、遊びに行くといつも歓待してくれて、小学校の夏休みの期間中、ずっと滞在させてもらった経験もあり、親戚の中でも特に親近感を持っていました。

仕事の関係で葬式に出られなかったので、年内にどうしても会っておきたかったのです。



叔母は数年前から身体を自由に動かせない状況にあり、今年88歳になる叔父が介護をしていました。

去年のことですが、体調不良を訴えた叔母を病院に連れて行くと、全身にガンが出来ているのが判り、余命宣告をされたそうです。

そして、入院してわずか3ヶ月後に亡くなりました。

傍に付いていたのにもかかわらず、病気になっていたのが判らず、手遅れにさせてしまったことを悔いていました。



会ってお悔やみを言うのではなく、霊的な真実を伝えようと思っていました。

しかし、叔父は唯物的と言うか現実主義者です。

何の根拠も示せないことを、そうですかと言って受け入れるとは思えませんでした。

悲しんでいる者を侮辱しているのかと、怒られるかもしれません。

それでも、叔母が望んでいると思ったので

「叔母さんは視えなくなったけど、(魂となって生きていて)ここにいるんだよ。」

「愛情で結ばれていれば、離れることはないんだよ。」

と伝えました。



すると叔父は、「〇〇ちゃん(私のこと)の気持ちは良く判った。慰めてくれてありがとう。」と少しうれしそうな表情を浮かべて言いました。

私は「これは慰めなんかじゃない。事実を言っているんだよ。人と人とを結びつけているものは、死んでなくなるような薄っぺらいものではないんだよ。」

そして「もうしばらくすれば、また会えるよ。」と伝えました。

私がこんなことを言う人間ではなかったので、戸惑っていたと思います。

どこかの宗教に入ったのかと思ったかもしれません。



死によって肉体は消滅しても、生命の本質である魂は変わりなく存続しているのは、宗教の教えではなく、厳然たる自然現象であり、最も重要な知識の1つです。

私の中では当たり前になっていることですが、叔父は面と向かって言われたのは初めてかもしれず、どの様に受け取るのか予測が付きませんでした。



叔父の口から出てきた言葉は、とても意外なものでした。

隣にある台所を見つめながら、こう言いました。

「あそこにおるんよ。」

「心の中でしゃべっておるんよ。」



以前の私でしたら、最愛の人を亡くした悲しみのあまりに精神に異常を来したと心配したでしょうが、今は違います。

叔父は、霊感が強いわけでも、霊が視えるわけでもありませんが、叔母がいることを、ごく自然に感じているようでした。

その言葉を聞いて、うれしくなった私は、

叔母さんの想いが、叔父さん(の魂)に伝わって来ているのだから、絶対に気のせいにしないでよ。これは叔母さんのためだよ。」と言いました。

自分に起きている現象を、どう解釈したら良いのか判らないようでしたので、続けてこんなことを伝えました。

「叔父さんと叔母さんは、(話をしなくても)お互いに何を考えているのか判っている時があったでしょう。叔母さんの肉体はなくなったけど、今もその時と同じ状態が続いているんだよ。」



人は、自分の想いを言葉にして伝えています。

黙っていては、何を想っているのか判りません。

しかし、以心伝心と言う言葉がありますが、言葉を超えて想いが伝わって来る瞬間があると思います。

赤ちゃんは言葉がしゃべれません。

お母さんは、何を要求しているのか、どんな気持ちでいるのか、読み取ろうとしています。

赤ちゃんは、お母さんの瞳を見つめながら、想いを伝えようとしています。

お母さんに想いが伝わった瞬間、自然に行動に移していると考えられます。

涙を流している人を見ていると、もらい泣きをしてしまう時があります。

それは、その人の悲しみの想いが、自分の魂に伝わって来たからと思います。

こんな現象が起きるのは、人には言葉を介さなくても、想いを伝え合う能力が備わっているからと思います。

しかし、この世に生まれると五感に頼るようになってしまうため、残念ながらその能力は退化してしまうようです。



誰からでも、想いが伝わって来るわけではありません。

お互いに関心があり、両者の間で同調が成立して、初めて想いが伝わって来ると考えられます。

同調とは、魂の波長が同じになった時に起きると考えられます。

魂の波長が同じとは、お互いが同じ想いになることです。

音叉の原理と全く同じで同じ想いになった時に同調が成立し、お互いの魂が共鳴し合い、想いが増幅します。

魂が同調している時に、お互いの想いが伝わりやすくなると考えられます。

スポーツの世界でも、チームメートと同じ想いになっていると同調が成立し、相手の意思が五感を超えて伝わり、阿吽の呼吸で素晴らしいプレーが生まれる時があると思います。



魂の同調に必要なもの、それはお互いを信じることであり、愛することです。



昔から、叔父が叔母に何かをしてもらい時に、「お-い!」としか言わないにもかかわらず、かなりの確度で要求に応えている様子を見て来ました。

何を望んでいるのか叔母には判っているようで、経験則を超えた何かがあると感じていました。

叔父と叔母は、60年を超える長い年月を共に暮らす中で、信頼関係を築き、愛情を育んで来たと思います。

ごく自然に同調が成立していて、言葉を介さなくても、想いが伝わっていたと考えています。



叔母は病気になりました。

鎮痛薬の副作用で、意識が混濁することが多くなって行ったようです。

意思の疎通が難しくなって行く中で、叔母が何を望んでいるのか、どんな想いなのかを、叔父は読み取ろうとしていたと考えられます。

叔母がずっとして来たことを、今度は叔父がしていたようです。



叔母が今いる世界は、思念(想い)の世界です。

その世界では言葉は必要なくなり、直接的な思念のやり取りで意思疎通をしています。

地上にいる時から、言葉を超えて想いが判り合えていたのならば、次の世界に移行しても、全く問題なく意思疎通が出来るようになると考えられます。



もし、同調が成立しなければ、次の世界においてコミュニケーションは出来ません。

戸籍上は夫婦であっても、両者の間に信頼と愛情がなければ、同調が成立しないために、コミュニケーションは取れなくなるでしょう。

たとえ婚姻関係がなくても、信頼と愛情によって霊的に結ばれていれば、コミュニケーションは取れるでしょう。

この世とは比べ物にならないほど、信頼と愛情が優先される世界だと考えられます。

叔母を看取る日々は、次の世界で再び共に過ごす時のための準備のように思えました。

心の中でしゃべっているのが事実であれば、叔母のいる世界に今行ったとしても、直ぐにコミュニケーションが出来るはずです。



お線香を上げて、霊的な事実を伝え、その日の内に帰る予定でしたが、引き留められて一泊することになりました。

泊まった部屋には、叔母の祭壇があり、優しい笑顔の遺影が置かれていました。

横になり遺影を見ながら、叔父に何か伝えることはないですか?と問いかけてみました。

何も返って来ませんでしたので、伝えることがないのか、あるいは伝える時期がまだ来ていないのかと思いながら、眠ってしまいました。

朝起きると、今度は自分に伝えることがありますか?と問いかけてみました。

しばらくすると、心の中に言葉が浮かんで来たので、書き留めました。

それは、昨日の叔父の問いかけに対する回答のようでした。

叔母は自分の想いを知られるのが恥ずかしいかもしれませんが、何かの役に立つのであれば許してくれると思いましたので書いてみます。

「おじさんは何を言いたいのか判っているはず。

私が必要な人で、それに応えてやるのが生きがいだった。

私は私の人生と言う生き方は出来ない。

私がして来たことを判ってもらう必要があった。

お互いに感謝し合うために。

どこにも行っていない。

ここにいるのよ。

一緒になった時に一人でいるわけが判るはず。

これでいいのよ。」


朝、顔を合わせた時に、叔父に伝えました。

いきなりで驚いたでしょうが、叔母が心の中で伝えていたことと符合するのであれば、きっと受け入れてくれると思います。




死とは、この世の表現媒体である肉体と魂の完全な分離です。

果てしなく続く生命の営みの中の1つの区切りであり通過点です


生前の関係は死によって、いささかも変わることはありません。

愛されていた人は、今も変わらずに愛されています。


魂を引き付け合う力が愛です。

従って、愛し合う者同士が、死によって離れ離れになることは、決してありません。





参考ページ:「亡くなった愛する人とつながる








24 件のコメント:

  1. イクミ様
    カエルです、こんばんは。
    お正月休みは彼が居ないことを確認しすぎた為に、この2、3日とても辛くなっていました。
    年末に少し遠いところにいってしまう夢を見てしまい、もう会えないのかと不安になったからかも知れません。
    夢の中でもう消えていきそうな時に、愛してるって言って!と言ってしまったけど、彼は柔らかく微笑むだけでした。言葉はありませんでした。それ以降なんにも出来ないお正月でした。できるだけ人には会って、彼がいつもしていたことをやってみましたが、こんなんして楽しかったんやなと思う反面、居ないことが再確認されるばっかりでかなり凹みました。
    さみしい病になっている時にこれを読みました。表に出さない気持ちが溢れてきて沢山泣きました。
    吐き出せということなのか、もう大丈夫やろというのか…
    やっぱり居ないことはさみしい。頑張らなあかんと思うとしんどい。
    信じる気持ちはあるけど、片付かない気持ちも思ってるより沢山あるなと感じた正月でした。
    こんなんで引き止めて心配かけてると思うとダメですね…

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  2. イクミ様
    こんばんは、まゆみです。
    叔父様のお話、去年の私と重なって、とても他人事とは思えませんでした。叔母様の様子はまさに私の母のようで、母の事を思い出さずにはいられませんでした。
    叔父様は叔母様の気配を感じることができるのですね。今までそんな考えはなかったのに、それを感じておられる、うらやましいです。いるような気がする、だけではなく、人に言えるほどはっきりと気配を感じておられるのですね。私は、今主人がどこにいるとかはまだ感じることができません。
    でも、一人でいるとは思えず、今でもずっと一緒に暮らしている気がしています。
    最近、主人との事を思い出して涙が出てしまうとき、それがいなくなって悲しいとか寂しいと言う涙ではなく、何か温かいものを感じて、涙が出るときがあります。
    きっとそんなときは主人がそばにいて、私と同じ気持ちでいてくれているんだと思います。
    今、母が亡くなって誰も住まなくなった実家に帰ろうかと思っています。もちろん主人も一緒です。いつも、どこに住みたい?と聞いたら、お前と一緒ならどこでもいいと言ってくれていた主人なので、きっと一緒に来てくれると思っていますが、ホントにいいの?と聞いてみたい気もします。
    今日書かれたブログを今日読むことができたのは、主人が、読めよ、と言ってくれたのでしょうか。もしそうなら、きっと私も主人と魂では会話できているんですよね。

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  3. カエル様

    その後、体調はいかがでしょうか?
    一人のさみしさを、ひと際強く感じる正月だったのですね。
    姿が見えない、声が聞こえない、触れられない寂しさは、誰にもどうもすることの出来ないので、おつらいですが、耐え忍ぶしかありません。
    さみしくてしょうがない時、あなたを慰めるために、彼は傍にいるでしょう。
    彼も伝えてやりたいことが、山ほどあるでしょうが、どうしてもそれは叶いません。
    彼がしていたことをあなたがしているのを傍で見ていて、一人にさせてしまったことを、少し悔やんでいたのかもしれません。

    肉体を使って表現しないと、想いは鬱積してしまいます。
    悲しみの想いは、泣くことで表現されて、外に出されます。
    ですので、泣きたくなったら、思い切り泣いて下さい。
    あなたの内にある想いは彼は判っています。
    泣くことよりも、我慢して想いが溜まって何も出来なくなるあなたを見ていると心配するでしょう。

    あなたは前に向かって進んでいます。
    彼も、ここまでよく来たと思っているでしょう。
    何も心配しないで、今年も新たな挑戦をして下さい。
    あなたを、勇気付け、励まして、精一杯の支援をしてくれるでしょう。

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  4. まゆみ様

    こんにちは。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    叔父は霊的なことに全く関心がなかったので、何が起きているのか判っていない様子でした。
    霊感が強いとはとても思えませんので、叔母の魂と波長がピタリと合っているからだと思います。
    意識していないだけで、長年一緒に暮らしていたご家庭では、良く起きていることなのかもしれません。

    今でもずっと一緒に暮らしている気がするのですね。
    あなたの魂がご主人(魂)の存在を感知しているのではないでしょうか。
    思い出して泣いている時に、温かい何かを感じているのであれば、それはご主人の想い(愛)が伝わったからだと思います。
    あなたの想いに応えてくれて、お2人が同じ想いなり、魂が共鳴して、涙が出て来たのでしょう。
    このブログを読んだのは、ご主人の思念を受け取り、無意識に行動した結果だと思います。
    肉体はもうありませんが、魂は変わりなく結ばれていますので、どうぞ安心して下さい。

    ご実家に帰ろうかと考えているのですね。
    あなたが心地よく過ごせるところであれば、もちろん賛成していると思います。

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    1. イクミ様
      ありがとうございます。いつも、お返事を読むと安心できます。
      ブログを読めたのは、時々不安になったりする私を主人が安心させようと思ったからかもしれないと思えてきました。
      付き合い始めたばかりの頃、こんな私がホントに愛されてるのか不安、と言った時、主人は自信がないんだな、と言いました。もっと自信を持っていいんだと。
      今、主人の想いを感じながら、ただの願望ではないかなどと思っている私を、相変わらず自信がないんだなともどかしく思っているかもしれません。
      もっと俺を信じてくれと言っているかもしれませんね。
      実家に帰ることも、仕事のことや引越のことなど、不安材料はたくさんありますが、主人が支えてくれていると信じて、勇気を出さなければと思います。

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  5. イクミ様

    明けましておめでとうございます。

    不謹慎かもしれないですが、叔父さんのことをうらやましいなぁと思いました。
    そんな風に、想い合えることの素晴らしさ。 程度の差はあるものの、この世では当たり前ににお目にかかれないからこそ、本当に貴いものだと身に染みます。

    正月番組で、(確かさんまさんの長寿クイズ番組とかいう名前だったかと思います)高齢者の方が若い頃の自分へ送るビデオレターのコーナーがありました。

    ビデオレターの中に、本当に幸せそうな夫婦がいました。

    映像では、その紀和さんと二人で映っているのですが、二人とも本当に幸せそうなのです。。
    見ていて思わず泣いてしまいました。。

    長い間一緒にいれば、衝突することもあるだろうと思います。それでも、胸を張ってお互いのことを好きだと言えるのは本当に本当に素晴らしいなぁと思います。

    一方で、一緒になれない人もいらっしゃいます。26才で恋人を亡くし、その人のことをずっと想い続けて、80才の今でも独身だといいます。

    映像で見ると、面白い冗談を言うような、笑顔で明るい方でした。

    この人はどんな思いでこれまで生きてきたのかなぁ。。すごいなぁと思いました。

    なんだか、自分はこの世の不幸をすべて背負っているとか思っていた自分が恥ずかしくなりました。

    皆、色々な想いを抱えて生きているんですね。

    P.S. いつでもいいので、お時間ある時に、お会いできたら嬉しいです。 治療の様子とか見てみたいです。

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  6. ナオヤ様

    明けましておめでとうございます。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    百組のご夫婦がいれば、百の形があり、百の物語があります。
    どんな夫婦が望ましいかと言えば、シルバーバーチの霊訓を読んでいる私としては、お互いに成長出来る夫婦と考えています。
    相性の良い夫婦は幸せかもしれませんが、悪い夫婦は、お互い認め合い許し合うことが求められ、苦悩する中でより大きな霊的な成長が得られるのかもしれません。
    表面だけを見ていても判りません。

    テレビの番組で、胸を張って好きだと言えるご夫婦を見て素晴らしいなと思ったのですね。
    一緒にいると、照れ臭かったり、言わずもがなになってしまいますが、地上に生きている人は、きちんと言葉で想いを伝えておく必要があると思います。
    ただ、長く一緒にいると、自分の想いを表現する適切な言葉を見つけるのが難しくなるような気がします。
    26才で恋人を亡くし、その人のことを想い続けて80才の今でも独身の人がいるそうですが、その人以上に好きな人が現れなかったと思うでしょうが、真相は、地上的に結ばれなくても、霊的には結ばれていて、大きな成長と学びのため、長い別離を経験をする人生を自らが選んでいるのかもしれません。
    魂は全てを知っていて、歓喜の再会の時まであと少しなので、明るく笑っていたのかもしれません。

    あなたもいずれ結婚するでしょうが、お相手は霊界によって導かれて目の前に現れると思いますので、その時が来るのを待ちましょう。
    インスピレーションに従って下さい。

    最後に書いてある、治療とはヒーリングのことでしょうか?
    やることと言えば患者さんに手を置くくらいですが、会ってお話しするのは大丈夫です。
    仕事の関係で東京に出た時に、時間が作れればと思います。

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  7. まゆみ様

    ご主人は今生きていることを証明する術はなく、あなたに信じてもらうしかありません。
    信じてもらえなければ、ご主人との間につながりが出来ず、霊的に離れてしまいます。
    強く信じてもらえるほど、強いつながりが出来て、ご主人はあなたに対して影響力を持てるようになり、支えてもらい、導いてもらえます。
    この世の人でも、信じ合える人とは仲良くなり、信じ合えなければ疎遠になりますが、それと全く同じです。

    五感に触れなくなり実感がないのは承知していますが、それでも傍にいて、見守っていると強く信じて下さい。

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  8. イクミ様
    はい、信じていきます。
    まず、私自身が、主人の想いを感じ取れると、自分自身を信じなければダメですね。これからも、どこへ言っても一緒に来てくれて、支えてくれると信じて、生きていきます。
    ありがとうございました。

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  9. イクミ様
    カエルです、ご返信ありがとうございます。
    体調はかなり良くなっていますが、身体中が詰まっている感じが寝ても寝ても抜けきりません。
    何ヶ月かの間に相当傷めつけてしまったようです。反省して無理しないようにしています。
    一人分の食事だと作る方が高くつくこともあって、手抜きしすぎておりました。全くしまった!な結果です。
    年末まで力が漲っていたのですが、気が落ちると雑音が意識に入り込んだりしてまだまだコントロール不足です。

    私が見た夢ではありませんが、音楽仲間が見た夢で、これで良かったですかね?と言っていたようです。
    ブログに書いてありましたが、読んだ時、よかったよ!良かったんやよ!!そう念じました。
    近しい周りのみんなもそう思って、彼の写真に向かって言っていました。
    私の初夢はバンドのこれからを暗示するような夢でした。みんなで力を合わせて進むべき道を見つけていくような内容でした。
    他にも4つぐらい見ましたが、全部前に進んでいく夢だったと思います。
    彼が教えてくれているのだと思います。

    何も心配しないで、とイクミ様がゆって下さったおかげで、迷いや不安が消えました。体調は先に書いた通りイマイチなんですけど、それでも自分の楽しめることが増えています。新しい仕事の取り組みもスタートしました。人の繋がりを大切にし、新しいネットワークを構築すると決めた今年度中の目標も達成しつつあります。彼の得意分野でした。サポートされていますね。ありがたいです。
    記憶に残っていなくても、彼にあっているとも思えます。本当に寒すぎて眠れないので電気毛布を買ってからはドーンと落ちてくることはなくなったのですが(笑)もっと近く、ハートの中で一体化しているんだと思うようにしています。
    あと今日から、毎日彼に感謝の言葉を必ず伝えることにしました。朝太陽を見て、新しい1日をありがとう、寝る前に枕元の写真を見ていちにちが無事おわれたことをありがとう。それ以外も沢山ゆってるけど、朝晩は必ず言うことに決めました。私の一日は彼と共に始まり、彼と共に終わる。そう思うことで強くなれるように思います。

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  10. イクミ様

    返信ありがとうございます。
    そうですね。霊的真理を知っていても、表面的に見てしまうことがあります。
    きっと、シルバーバーチも、"そのように考えてしまうことこそ、真理がまだまだ自分のものになっていない証です。埋め合わせと懲らしめの原理というものがあります。誰一人として忘れ去られることはありません。真理を常に忘れてはいけないですよ。"と優しく説いてくれるんじゃないかなと思います笑

    そして私もイクミ様と同じく、成長できる夫婦がよい夫婦だと思っています。
    それこそ、永続性のあるものであるし、真に価値あるものだと思います。

    そして最近は私自身も、そういう人に出会えるような気がしています。

    もっと自分の人生を楽しめるようになっておかなきゃですね。


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  11. カエル様

    こんにちは。
    体調がまだ回復しないのですね。
    ヒーリングが必要であれば、遠慮なく言って下さい。

    彼に向って、これで良かったんよと念じたのですね。
    この世の私たちにとって偶発的に思える出来事でも、自然法則の働きによって起きています。
    自然法則の根幹をなすのは因果律であり、必ず原因や目的があり、出来事はその結果です。
    無限の叡智、無限の愛である神により自然法則が創がられたので、今は原因や目的が判らなくても、良きに計らわれていると信じて下さい。
    向こうの行った人は、そのことがはっきりと判り、この世の人生のことで不平不満を言う人は一人もいないそうです。
    あなたは、彼の死によって大切なことを学びながら成長し、新たな世界が拓けてくるはずです。
    前に進む最初の一歩を踏み出すのは地上の人ですが、勇気を出して一歩踏み出したのならば、霊界にいる人が成就するように後押しをしてくれます。

    朝晩、彼に感謝しているのですね。良い習慣だと思います。
    感謝してもらうとうれしくなり、また力になってやろうとするのは、地上にいる時と全く同じです。
    彼だけでなく、守護霊やあなたの仕事を助けている背後霊にも感謝して下さい。

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  12. イクミ様

    神は法則である。叡智であり、愛である。
    このことはシルバーバーチの霊訓に何度も繰り返し出てきます。
    きっと、神とは、人間の想像するような「意識」を備えた存在ではないのでしょうね。
    そこで、イクミ様に教えていただきたいことがございます。

    1、シルバーバーチのような高級霊の上の上の、さらにそのまた上にイエスがおられ、もっと上の最深奥部に光り輝く大霊が
    おられるというのは、霊訓に照らすと間違った認識でしょうか。悪も大霊の一部なのだとシルバーバーチが言っていたのが、
    気にかかります。

    2、だとしたら、霊界や地上の霊的存在(肉体をまとった人間のことです)が大霊に祈るとき、
    私たちは一体、いかなる存在と繋がっているのでしょうか。

    3、大霊も霊なのでしょうか。

    と言っても、無限なる神について人間の頭で理解できるわけがない、とは思いつつ。
    愚問をお許しください。

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  13. TOMOKO様

    ご質問に上手く答えられるかどうか判りませんが、私なりの解釈を書いてみます。

    質問1について
    宇宙は1つであり、そこには無限の界層が存在します。
    界層の上下は霊性により決まり、私たちのはるか上にシルバーバーチの霊訓(霊的真理)を伝える役目を担った霊がいて、その上にイエスがいます。
    その上にも、無限の界層が存在し、頂点に神がいます。
    しかし、私たちの魂も神の分霊であり、神の一部です。
    魂が表現媒体に宿ることで1つの個(自我)が生まれますが、その表現媒体が未熟であればあるほど、神性を発揮出来なくなります。
    最も未熟な表現媒体の1つとして肉体があると考えられます。
    肉体を携える未熟な個が自由意思により、神の心(愛)とは全く反対の表現をしてしまったのが悪です。
    利己性の現れであり、憎しみなどの想いから生まれます。
    従って、私たちが神の一部であるならば、未熟な個から生じる悪もまた神の一部と言うことになります。
    霊訓にも書いてありますが、悪が神の一部でなければ、キリスト教のように悪魔(サタン)を便宜上拵えなければならず、その悪魔は誰が創ったのかというジレンマに陥ってしまいます。

    2の質問について
    祈りとは、神と波長を合わそうとする魂の行です。
    より神性を発揮することを願うものであり、そうでなければ単なる願望に過ぎません。
    自分(魂)に内在している神とつながるものであると同時に、外部にいる霊界の存在とつながるためのものと考えられます。

    3の質問について
    大霊とは、全ての霊の総称であり、その霊を進化させる法則であると思います。

    あなたの言う通り、神は人間の理解をはるかに超えた存在であるのは確かです。
    答えになっていなかったら申し訳ありません。

    返信削除
  14. イクミ様

    いつも、的確な指針を有難うございます。
    以前御相談しました件ではイクミ様のご判断が正しかった事を思い知らされました。
    お答え頂いたばかりのところ、追加質問失礼します。

    4、神(大霊)に、こころや意識はあると思いますか。
    法則なのに意識を備えているんですかね・・・?

    5、神の心は愛なのに、悪も神の一部というのは、どう理解したら良いのでしょうか?

    どうも、病気のせいもあるかもしれませんが、私の頭では理解が追いつかないです。
    一つ一つの文章は理解出来ますし、総合的なイメージも湧くのですが、
    それらを論理的に体系立てようとすると、矛盾が生じ、すっきり割り切れなくなるように思うのです。
    でも「論理」は人間世界の思考の道具ですから、神様を説明するには甚だ、不適切なのかもしれないですね・・・。

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  15. お世話になっております。
    わたしも質問させていただきます。
    シルバーバーチの霊訓の書籍をお友達にあげようと思っています。
    でも、わたし自身そうでしたが、はじめは何を書いているのかさっぱりわかりませんでした。スピリチュアル普及会さんがだされているテキストみたいなので、理解できて、シルバーバーチの霊訓を全巻そろえました。
    霊的真理は、時の来た人しか理解できないといわれたり、向こうから必然的にやって来るとあります。
    総集編の12をあげようと思っているのですが、今頃になってシルバーバーチの霊訓1がいいのかもと迷った次第です。
    イクミさんは、お勧めするときにどうされていますか?たぶん、インスピレーションなるもので行動されるんだろうとおますが。
    シルバーバーチの霊訓は、奥深く、いろいろありすぎ、なおかつ、自分で学んでいかなければいけないことだらけです。
    自分よりも、目上にあたりますが、とっても素敵な方なので、プレゼントしようかと思っているのですが。

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  16. TOMOKO様

    ご質問の件ですが、

    4、法則なのに意識を備えているのか?

    神の心、あるいは意識は存在します。
    しかし、シルバーバーチ霊訓には神は法則であると何回も書いてあるので、矛盾しているように思えてしまいます。

    ある国があって、そこに王様がいたとします。
    王様が自分の目指している国を創るためには、治めるための法律が必要です。
    法律は王様の意志の反映ですが、法律そのものが王様と言うわけではありません。
    王様には別の側面があります。

    神は法則ですが、法則の中にその心(愛)を顕現をさせています。
    神の一側面が法則であり、神そのものではありません。

    5、神の心は愛なのに、悪も神の一部なのはどうして?

    神の心は愛であり、神は完全です。
    しかし、その心を表現している私たちは、進化の過程にある極めて不完全な存在です。
    神の一部として愛を表現しなければならないのに利己的になり、時に法則に反したこと、いわゆる悪を行ってしまいます。
    悪とは人間が作りだした概念であり、神が与えた自由意思により、法則に反した行いをしているのに過ぎません。
    自らの心に反した行いをすることを神は先刻承知です。
    悪を行うと法則の働きにより必ず苦痛を味わいます。
    苦痛により、自然法則の働きを知り、従うようになります。
    世の中に犯罪がなければ、それを取り締まる法律を作る必要ありません。
    もし、悪(法則に反した行い)がなければ、自然法則自体が必要なくなります。
    法則を通して神が顕現されなくなり、生命の霊的な進化もなくなると考えられます。

    また、この世は双極性の世界と言われています。
    影があることで、光の存在を認識します。
    同様に、悪があって、善あるいは愛が明確に認識されると考えられます。

    神が人間に自由意思を与えて悪(と言われるような行為)を許したのは、苦痛を通して自然法則の働きを知るためであり、最終的に善や愛を表現させるためと考えられます。
    悪を受けると苦痛を感じますが、それを許すことは自己犠牲を伴うために、神の心(愛)を表現したことになり、霊的な成長となって埋め合わされていると思います。

    お答えになっていなかったら、申し訳ありません。

    返信削除
  17. 匿名様

    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    シルバーバーチの霊訓を読んでいるのですね。
    巡り合えて良かったです。

    お友達に、シルバーバーチの霊訓をプレゼントすることは良いことだと思います。
    ただ、書かれていたように、時期が来た人や必要としている人しか理解できないのは確かです。

    以前ですが、職場のスタッフが結婚して退職する時に、シルバーバーチの霊訓をプレゼントしました。
    幸せな今は必要ないと思ったので、この先人生で耐えられないようなことが起きたら読んでみてと言って渡しました。
    お友達も、今意味が判らなかったとしても、さまざまな出来事を経験して、判るようになるかもしれません。

    最初に読んでもらうとしたら第1巻です。
    興味を持ったら、全巻読むように勧めて下さい。

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  18. イクミさま

    お忙しい中、ありがとうございます。
    やはり、第1巻なんですね。
    貴重なご意見、ありがとうございます。
    第1巻にしたいと思います。
    今後もブログ楽しみにしております。

    返信削除
  19. イクミ様

    御回答、拝読致しました。
    お忙しい中、真摯に私の質問に向き合って下さった事に、深く感謝申し上げます。
    最終的には自分で勉強して解釈していくしかないものとはいえ、非常に参考になりました。
    霊的真理を今より深く味わうには、引き続き、心の勉強を続けていかないといけませんね。
    このような場と機会を与えてくださった大霊に、そして共に霊的真理を学ぶ道程にある
    全ての霊的同胞に、敬礼!

    tomoko

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  20. tomoko様

    神は無限の存在であり、言葉で書き表せるようなものではありません。
    コーランでは、「たとえ、地上のすべての木がペンであって、また海がインクで、そのほかに七つの海をそれにさし添えても、アッラー(神)のお言葉は、書き尽くすことはできぬ。」と表現しています。
    桁外れであり、想像を絶するものです。
    幸いにして、霊的真理により、ほんの一部を垣間見ることが出来ましたが、知り尽くすのには、無限の時が必要と考えられます。

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  21. いくみさんこんにちは。
    今年もよろしくおねがい致します。

    今朝、目を覚ました瞬間に脳裏に母の懐かしい手が浮かびました。


    母が亡くなって二年半経ちますが、少し前から父の様子が少しおかしいのです。
    私が帰省した時にもその行動を見ましたが一緒に住んでる弟の報告でとても心配しています。
    父は現在84歳ですが、少しずつ色々なことができなくなる自分に腹がたつらしく物に当たってしまうのです。
    例えばドアを思い切り閉めたり、食べた後のお皿を強い力で机に叩きつけたり。
    私や弟が目にした時はバツが悪そうにします。
    聞いても自分が許せない、イライラすると言うだけで、それ以上は話してくれません。
    とにかく弱みを見せるのが嫌なのです。
    ひつこく聞くと嫌がるのでどうやって寄り添えばいいのかわからないのです。
    母に父を助けてといつもお願いするのですが、
    母が助けてあげたくても、父の魂の成長の為じっと見守るしか出来ないのではないかと思っています。
    今日の母の手が浮かんだことが気になっています。
    いくみさんはどう考えられますか?
    お時間のある時でかまいません。
    よろしくおねがい致します。

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  22. 弥生様

    こんばんは。
    お久しぶりです。

    お父様のことが心配ですね。
    年を取れば、いろいろなことが以前のように出来なくなるのは当たり前です。
    その現実を素直に受け入れられる人もいれば、受け入れられず自分や外に当たってしまう人もいるでしょう。
    弱みを見せるのが嫌なのであれば、衰えて行く自分が、弱い自分になって行くように思えてしまい、それが外に現れてしまうが耐えられないのかもしれません。
    寄り添い方が判らないと言うことですが、子供たちの前では、強い父親でいたいのでしょうから、誇りを傷つけないように配慮して、後はお父様にあるがままの自分を受け入れてもらうしかありません。

    他に考えられるのは、感情抑制が上手く出来ていないようなので、もしかしたら認知症が始まっているのかもしれません。
    酷くなって来るようでしたら、1度専門家の判断を仰いでみてはどうでしょうか。

    お母様はその様子を心配しながら見ているでしょう。
    しかし、年を取るのも、病気になるのも摂理の働きによるものです。
    自分が干渉できることではなく、耐え忍ばなければならない、お父様の試練と受け止めているでしょう。

    目を覚ました瞬間に、お母様の手が脳裏に浮かんだのですね。
    何かの意味があって、手のイメージを送っていたのでしょう。
    お母様は、苛立つお父様の手を優しく握りながら、深い同情や愛しむ想いを伝えていたのかもしれません。
    言葉よりも、行動で寄り添ってみてはどうでしょうか。

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    1. 早速の返信ありがとうございます。

      認知症の始まりが感情抑制が出来ないということもあるのですね。

      父自身がきっと認めないでしょうから病院に連れて行くのは、今のところ無理ですが、注意深く観察したいと思います。

      母は父のことを最後まで心配して亡くなったので
      今もきっと心配で心配でたまらないと思います。
      でも父の試練ですよね。
      乗り越えられない試練はない。
      父には踏ん張ってほしいです。

      いくみさんがおっしゃるように父の誇りを傷つけないように配慮し父が少しでも楽な気持ちで生きられるように私も努力したいと思います。

      色々なアドバイスを本当にありがとうございます。

      インフルエンザが猛威を奮っています。

      どうぞお気をつけてくださいね。



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