人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2018年2月27日火曜日
苦痛の中で人は変わる
私は歯医者をしていますので、毎日のように虫歯の治療をしています。
虫歯が進行してしまうと、当然のことながら苦痛を味わうことになります。
もし、痛みがなかったならどうなるでしょうか?
虫歯になっても気付きません。
気付いたとしても放置してしまう人もいるので、きっと多くの人が歯を失うことになると思います。
私たちは、歯を失いたくない、苦痛を味わいたくないので、歯ブラシをするようになりました。
外胚葉無痛無汗症と言う極めてまれな全身疾患があります。
この病気は先天的に痛覚が欠損しています。
肉体的な痛みを感じることがないので、さぞ快適かと思いきや、大きな怪我をしても気付かないの
で、命取りになることもあるようです。
苦痛は不快で誰もが避けたいものです。
しかし、自分の身を守り、悪い方向に進んでいかないために必要なものと言えるのではないでしょうか。
人に限らず、生き物は苦痛から逃れようとします。
それは自分の身が危険に晒されていると察知するからです。
苦痛を感じると、生き物は行動を起こし、(苦痛を与えている)対象から回避しようとします。
苦痛には、肉体的なものの他に精神的なものもあります。
肉体的な苦痛であれば、原因が取り除かれればなくなります。
しかし、精神的な苦痛は、原因を取り除けない時があります。
私は十数年前に、屈辱的な出来事を経験して、精神的な苦痛を味わいました。
その当時、私は苦痛から逃れたくて仕方ありませんでしたが、起きた出来事を消し去ることは出来ません。
時間の経過に任せて、苦痛が去るのを待っていても、過去が変えられるわけではありません。
過去が変えられないのであれば、苦痛から逃れるためにはどうすれば良いのか?
自分を変えるしかありません。
私を変えたものは、それまで知らなかった真実(真理)でした。
真実(真理)を受け入れたことで、自分が大きく変わり、苦痛が大幅に軽減しました。
もし、苦痛に何の意味もないのであれば、(苦痛をもたらした)出来事は、不運、不幸なものでしかありません。
そこに何かの意味を見出した人は、不運、不幸なものではなくなり、苦痛を享受する心が生まれます。
苦痛を増幅させているのは、出来事を受け入れられず、不運、不幸だと思う自分の心かもしれません。
人間の身体には、無駄な構造物は一つもありません。
1本の歯の表面に走っている溝の1つにさえも、確かな意味があります。
無駄なように思えるのは、その意味(意図)を知らないだけと考えられます。
苦痛には、真実を見付け出そうとする動機付けの意味があり、自分に変化が求められているのかもしれません。
全ての事象と同じく、苦痛は因果律の働きによって生じます。
因果律の働きとは、自然法則(神の摂理)の根幹を成すものであり、その究極の目的は創造物を成長させるためと考えらえます。
成長とは、神の心に近づく永遠の過程を指すと考えられます。
神は、自らの元に近づこうとする者には悦びを、遠ざかろうとする者には苦痛を与えて、成長を促し
ていると思います。
そして、苦痛には魂に響き、目覚めさせるという役割りがあります。
魂とは神によって創られた、神の一部を構成するものです。
魂が目覚めれば、霊的なつながりが強くなり、真実(真理)を受け取りやすくなり、その真実により苦痛から救われると考えられます。
苦痛には、魂を目覚めさせ、真実(真理)を受け入れさせる意味があると考えられます。
世界中で争いが起きています。
怒りや憎しみや恨みの想いが、争いによって表現されています。
その結果、多大な肉体的、精神的苦痛がもたらされています。
神の摂理の、根源は愛です。
愛とは、ばらばらになったものを、1つにさせる神の力です。
1つにさせるものは、個々の調和であり、協調であり、融和です。
怒り、憎しみ、恨み、嫉妬は互いに反発する想いであり、1つにさせようとしている神の摂理に反しているので、苦痛をもたらします。
苦痛が、怒りや憎しみから生じているのであれば、対象を許すしか方法はありません。
力により解決しようとするのは、調和や協調や融和に欠ける考え方であり、因果律の働きにより同様な力が自らに返ってきてしまい、苦痛をもたらすと考えられます。
相手を信じ、そして愛すること、具体的には許すことにより、根本的な解決につながります。
怖れや不安も1つにさせるのを妨げるものであり、他者や自分を心から信じることによって、手放せると考えられます。
神は信じること、愛することの大切さを、苦痛を通して教えていると思います。
強者によって、苦痛がもたらされることがあります。
それが一方的なものであったとしても、受けた者の捉え方によって、生まれる苦痛の大きさが違って来ます。
過ちは、因果律の働きによって正されることになります。
受けた苦痛は、強者が相応の苦痛を味わうことで償われます。
与えたものは自らに返ってくると言う真実(真理)を知っていれば、哀れみの想いを向ける分だけ、苦痛は和らぐと思います。
全ての魂に神は内在しています。
本当の自分(魂)は他者を認め1つになろうとしていますが、この世の自分(自我)はどうしても個を優先しようとします。
この世の自分(自我)を優先した言動をすると、良心の呵責という形となって、苦痛として表在化すると考えられます。
もし、魂を成長させるため、過ちを償うために、生まれる前に予定された苦痛であるならば、耐え忍ぶしかありません。
それ以外の苦痛は、自分を変えるために存在している可能性があり、もしそうであれば、素直に受け入れ、自分を見つめ直さなければいけません。
気付いていないだけで、神の摂理に反した、生き方や考え方をしているのかもしれませんので、苦痛を感じたら、まず自分に問いて下さい。
信じることを忘れていないか?
愛することを忘れていないか?
時間が解決するのではなく、自分を変えて行くことで自然に消えて行くものなのかもしれません。
悦びと苦痛の双方を神は用意しました。
人がどのような方向にも進んで行ける、自由意志も与えました。
神は個々の自由意志には干渉はしません。
自由意志を行使した結果に、自然法則が働くようになっています。
従わないものに苦痛という罰を与えているのではなく、自然法則の働きによって自ら元に導いています。
人を成長させるために、神は苦痛を創ったと考えられます。
言い方を変えれば、人はまだ未熟な存在なので、苦痛がなければ変われないのかもしれません。
人が大きく変わることが出来るのは、悦びと苦痛の両者が存在するからです。
苦痛を生じさせることで、魂を目覚めさせ、成長を促しています。
神の摂理に適った、自分を成長させる生き方や考え方に変われば、苦痛が存在する意味はなくなり、消えるはずです。
苦痛を通して、本来の自分の愛を表現して1つになるように、神は働きかけています。
愛のみを表現する世界では、苦痛は存在せず、悦びしかありません。
そんな世界に行きたいと思うために、さまざまな出来事を経験し、時に苦痛を味わうことになる、この世に生まれて来ています。
苦痛には、魂を成長させる意味があり、望まれる方向に変わるための契機になっています。
2018年2月18日日曜日
ガンを癒やす その3
前回、病気(ガン)が癒やされるとは、肉体上の病変がなくなることではなく、成長を妨げている想いが解放されて、魂で生じた想いが精神を経由して肉体で円滑に表現されている状態と書きました。
何やら難しそうですが、簡単に説明します。
「成長を妨げている想い」とは、怒りや憎しみや嫉妬などの(愛に反する)想いであり、困難に立ち向かって行く気を殺がせる、怖れや極度の不安などの想いです。
「魂で生じた想いが精神を経由して、肉体で円滑に表現されている状態」を、平たく表現すれば、自分に対し正直に、あるいは素直に生きている状態です。
過去に生じていた想いから解放されて、自分に正直(素直)に生きられるようになれば、肉体上の病気のあるなしにかかわらず、その人は霊的に癒されたと考えられます。
では、どうすれば成長を妨げている想いを解放できるのでしょうか?
その想いを解放しているのが、実はガンなのです。
ほとんどの人は身体の異変に気付くと、病院に行って調べてもらいます。
医者からガンと宣告されると、血の気が引いて、頭が真っ白になる人が多いようです。
それまで意識しなかった、死が頭をよぎるようになり、多くの人は恐怖を覚えます。
そして、手術を提示されて、肉体から病巣を取り除いてもらいます。
病巣が完全に取り除かれたなら、病気は治ったとされます。
肉体は魂を表現する媒体です。
霊的次元の魂の様相を、肉体的次元の病巣は反映しています。
手術後、健康なまま一生を終える人はいますが、その様な人たちは霊的次元の原因が消滅したか、または肉体的次元に原因があったと考えられます。
病巣が取り除かれても、もし霊的次元の原因が残っていれば、肉体上に再びガンとして反映されます。
そうなると手術はもう出来なくなり、医者は抗ガン剤による治療を勧めます。
けれども、抗ガン剤にガン細胞を完全に消滅させる力はありません。
そればかりか、正常な細胞にも深刻なダメージを与えてしまいます。
特に、危惧しなければいけないのは、ガン細胞を身体から取り除くためにある、免疫機能が壊されてしまうことです。
神から与えられた身体からガンを排除する機能を、人が壊してしまうのは極めて愚かな行為であり、本末転倒と考えられます。
そして、副作用に苦しみながら亡くなって行くのは、人間本来の姿ではありません。
一方、病院に行った時にはガンが進行し、すでに手遅れと言われる人がいます。
そんな医者に見放された人の中に、ガンが自然治癒した人たちがいます。
医学的に例外とされてしまいますが、そこにガンを癒やす秘密が隠されていると思います。
医者から、手遅れで何も出来ないと言われれば、頼るものはありません。
苦痛が大きくなって行き、次第に追い詰められて行きます。
頭でいくら考えてみても、解決方法は見つかりません。
人は、日常生活で遭遇する問題を、頭で考えて解決しています。
しかし、緊急事態に陥った時はそうは行きません。
少し前になりますが、駅のホームで線路に転落した人を助けようとして、亡くなった人がいました。
もし、頭(精神)で考えたとしたら、その様な行動は決して取れません。
精神を超えた何者かが存在し、我を忘れて線路に降りて助けるのを命じていたと考えられます。
その何者かが、魂と呼ばれている存在です。
本当の自分であり、生命そのものです。
何故、自分の命の危険を顧みずに、人を助けようとしたのでしょうか?
人は神によって創られたものであり、全ての人に神は内在しています。
助けようとした人の行いに、神の心(愛)が顕現したと思われます。
ガンになり窮地に追い込まれ、頭でいくら考えても解決方法が見つかりません。
忍び寄る死の恐怖に怯えながら、人生の意味、命とは何なのかと問いかけますが、答えは見つかりません。
危機的な状況に陥ると、思考は活動を停止し、それまで奥で眠っていた魂が目覚めます。
助けてくれる人がいなければ、自分によって自分が助け出されます。
魂に内在する神は、窮地から救うための啓示(気付き)を与え、向かうべき方向を指し示します。
ところで、私たちの魂はいつ頃から眠ってしまうのでしょうか?
子供の頃は、自分(魂)に正直に生きています。
しかし、大きくなるのに従い自我が作られて行きます。
上手に生きようとしたり、自分を守ろうとすると、自我が大きくなり、次第に自分の想いが表現出来なくなって行きます。
大きくなった自我を自分だと思ってしまうと、本当の自分(魂)は眠ってしまい、表現出来なくなった想いは内に溜まって行きます。
魂よりも自我が優先されているのは自然な状態ではありません。
自我の働きを弱くして、内に溜まった想いという障害物を取り除いて、本当の自分の想いが円滑に表現されなければいけません。
何故なら、本当の自分が表現出来なければ、予定されていた人生を歩めなくなるからです。
予期した成長が得られ、この世に生まれて来た意味を成就するためには、その状態をどうにかしなければいけませんが、もう自分ではどうすることも出来ません。
そこで、神の摂理である因果律が作動し、想いが肉体上にガンとなって表現されます。
優先されるべきは、病巣を取り除くことではありません。
病巣を作った根本原因である、内にある捉われている想いに気付くことです。
魂が目覚めたら、作り上げて来た自我によって、本来の自分の表現が妨げられていたことに気付きます。
魂が目覚め、自我の働きが弱まると、神から大きな生命力が流れ込んで、内に溜まっていた想いを外に押し流して行きます。
障害物だった想いが取り払われると、自我により見えなくなっていた最も大切なものが視えてきます。
最も大切なものとは愛です。
愛に目覚めた魂と、内にある(愛に反する)想いとの間にある親和性は失われて、想いはさらに解放されて行きます。
生命とは愛を表現するために存在しています。
魂を成長させる愛の表現がようやく出来るようになります。
ガンを作り出したのは自分です。
医者ではなく、自分で治さなければいけません。
成長を妨げていた想いが解放され、魂が癒やされた結果として肉体が治ります。
想いを解放させるのは、これまでに成長した今の自分から、過去の自分へ向けた愛です。
想いが生じるイニシエーターとなった出来事が、自らの愛で許されることによって、その時の想いが涙となり、肉体的表現によって解放されます。
そして、魂が目覚めることによって、想いを溜めて行くプロモーターになっている自我の働きは弱まり、内に溜まり続けていた想いは解放されて行きます。
全ての問題を解決するのは愛です。
自分の魂を癒すだけの愛を表現出来るようになったので、因果律の働きにより、ガンが生じたと考えられます。
魂に目覚め、神の愛(生命力)により想いは解放されて、本来の自分を取り戻して行きます。
ガンは無秩序に増殖を続け、母体を死に至らしめる病気のように思われ、怖れられています。
それは表層的なものであって、深層は本当の自分を目覚めさせ、この世で成長して行くために存在していると考えられます。
その目的を達成したのなら、存在意義を失い、肉体上のガンは消滅して行くと思われます。
想いが解放されれば、肉体上のガンは異物として認識されて、免疫機能により排除されて行くはずです。
しかし、人為的に免疫機能が破壊されてしまうとガンは排除されず、肉体上に治癒機転が起こらなくなります。
魂が癒やされているのにもかかわらず、肉体が癒やされないために、神の計画から外れて、この世を去る人がどれ位いるのか想像も出来ません。
神の計画を台無しにする愚行は、直ちにやめなければいけません。
ガンになると一刻も早く自分の身体から取り除きたいと思いますが、怖がる必要はありません。
死に向かって一直線に進行して行くものではないからです。
原因があって生じているので、原因さえなくなくなれば癒されるのです。
その原因とは成長を妨げている想いであり、本当の自分が表現されていない生き方です。
それらが解消されたのなら、因果律の働きにより、肉体上のガンは消滅して行きます。
ガンの本質は想いです。
その想いに気付かなければいけません。
慌てずに、隠されている本当の自分の想いを知って下さい。
捉われている、怖れている想いに気付いて下さい。
想いを生じさせた出来事を見つけ出して、その時の自分に愛を向けて下さい。
そして自分の想いに忠実に生きて下さい。
そうすれば魂は自然に癒されて行きます。
魂が目覚め、愛により自らが癒やされることで、肉体上のガンも癒されて行きます。
全ての病気は、神の考案した自然現象です。
そこに神の意図が織り込まれています。
魂に欠けているものを補い、成長させて、自らの方向に導いています。
2018年2月4日日曜日
ガンを癒やす その2
人は目に見える肉体、目に見えない精神と霊(魂)から構成されています。
病気には必ず原因がありますが、ガンは肉体、精神、霊(魂)のそれぞれの次元に原因が存在すると考えられます。
大量の放射線を浴びたり、アスベストを吸ってしまいガンになる人がいますが、これは肉体的次元に原因が存在しています。
原因をなくして、病巣を切除してしまえば、完治する可能性は高いと考えられます。
ところが、早期発見が可能になり、治療技術が向上しているにもかかわらず、ガンの死亡率は一向に減っていません。
それは、ガンの原因の多くは、医学が対象としている肉体的次元にはなく、より高次の精神的及び霊的次元にあるためと考えられます。
では、精神的次元、霊的次元の原因とは何なのでしょうか?
人生は偶然の積み重なりではありません。
人には生まれる前に決めていた、およその人生のシナリオがあり、無限なる叡智により立案されていると考えられます。
シナリオがある目的は、自分(魂)を効率よく成長させ、欠点を的確に正すためと考えられます。
もし、何の前触れもなく、これと言った原因も見当たらず病気(ガン)になったのであれば、シナリオとして決められていた可能性があります。
病気を通して、いろいろなことを学んだり、改めるべきところを改めるためです。
過去世の過ちを償うために、病気になるシナリオも存在します。
また、治療がほとんど奏功せずに亡くなってしまう人がいますが、次の世界に移行するためにガンになった可能性があります。
その人は、この世の寿命が来たのであり、医学ではどうすることもできません。
しかし、生まれた後に(霊的な)原因が生じた人であれば、その原因さえなくなれば肉体上のガンも癒されると考えています。
前回、ガンになった人の多くは、自分本来の想いを肉体で表現出来なくなり、思念(想い)というエネルギーが内部に蓄積した状態にあると書きました。
その様な人は、霊(魂)、精神、肉体の3者の間に調和が失われていると考えられます。
人の想い(思念)は、霊的次元の魂で生まれます。
その想いを、この世で具現化するために、精神や肉体はあります。
悲しい想いが生まれれば、精神の働きによって肉体が動いて涙を流し、怒りの想いが生まれれば、顔が紅潮し、人によっては攻撃的な行動を起こします。
この世は、想いを肉体で言葉や行動として表現する世界ですが、そうもいかない時があります。
満員電車の中で足を踏まれて痛い思いをすれば、怒りのような感情が湧き上がり、文句の1つでも言いたくなる時がありますが、多くの人はグッと我慢します。
上司に理不尽なことを言われたら腹が立ちますが、その想いを伝えられない時の方が多いと思います。
そんな言葉や行動として表現出来なかった想いは、内に溜まっています。
想いを溜めていると身体に良くないので、人はストレス解消と言って、酒を飲んだり、おしゃべりをしたり、運動をして、無意識に外に出そうとしています。
しかし、不快な想いが常態的に生じ、それを外に出せない環境にいると、徐々に蓄積して行き、肉体上に変化をもたらすようになります。
血圧が高くなったり、脈拍が速くなったり、精神が不安定になったりするかもしれません。
あるいは、胃に穴が開いたり、ひどい場合は心筋梗塞や脳卒中になるかもしれません。
肉体で表現できなかった強い想いは、解放されずに内に溜まっています。
理由もなく涙が流れたり、腹立たしくなるのは、表現されなかった過去の想いが内に溜まっている証拠だと考えられます。
溜まっている想いは、少なからず今の自分の言動に影響を与えています。
無意識に誰かにつらく当たってしまうのは、怒りの想いが溜まっているせいなのかもしれません。
何かに挑戦しようとしても、ためらってしまうのは、怖れの想いが溜まっているせいなのかもしれません。
困難を乗り越えて行くこと、他者のために奉仕をすることで、人は成長して行きます。
シナリオに沿って成長させる出来事は起きて、それが繰り返され、人生は紡がれて行きます。
しかし、怖れや不安があると、乗り越えて行かなければならない出来事が訪れても、しり込みしてしまうかもしれません。
強い怒りがあれば、人のための奉仕の機会が訪れても、行動に移せないかもしれません。
過去に生じていた想いが内に溜まっていると、シナリオに沿って成長させる出来事が訪れても、無にしてしまう可能性があります。
予定されていた行動が取れなくなり、予期していた成長が得られなくなれば、この世に生まれて来た目的を十分に果たせなくなってしまいます。
霊的には極めて大きな損失です。
想いは肉体で具現化される、エネルギーの一種です。
精神を介して表現できなかった想いは、因果律の働きによって、肉体上に直接変化を起こすエネルギーになることがあります。
では、何のために肉体上に変化を起こすのでしょうか?
それは、成長を妨げている想いに気付くためです。
想いは、五感によって感識できないので、内に溜まっていても気付けません。
自分の想いに気付くために、五感に触れる形となって外部に表現される必要があり、その表現形態の1つがガンと考えられます。
溜まった想いは、言葉で言い表せないような、怒り、憎しみ、貪欲、怖れのようなものと考えられます。
人生のどこかで、そんな強烈な想いを生じさせた出来事があり、その後の人生でそれを喚起するような出来事によって、同様の想いが生じ続けて大きくなって行ったと思われます。
その想いが、意志決定に影響するまで大きくなってしまい、自分ではどうすることが出来なくなると因果律が作動して、肉体上に変化を起こしガンとなると考えられます。
また、(地上的な)自我が大きくなり過ぎると、本当の自分(魂)が埋没し、自分の想いが表現されるのを妨げてしまいます。
肉体上でガンが増殖する様子は、想いが(地上的な)自我によりブロックされ、内部で大きくなっている状態の反映と考えられます。
心(感情)とガンが密接に関係していることに気付いている人は多くいます。
そんな人はストレスを避けて、心穏やかに過ごそうとします。
ガンが活性化し増殖して行くのは、溜まった想いと類似した想い(感情)が生じている時であり、その様な想いが生じないような生活を心がけるのは、極めて大切なことです。
ガンは細胞分裂時の遺伝子のコピーミスによって生じると言われています。
しかし、それは誤りです。
この宇宙で起きる自然現象にミスはありません。
全ての自然現象は、神の法則(自然法則)によって生じているからです。
自然現象には神の意図が隠されています。
ガンの発生や増殖は、神の意図が隠されている自然現象の1つであり、それが判らないために人は恐怖を感じてしまいます。
手術をして病変を切除しても、本体である想いが内にあれば、再発と言う形で肉体上に反映されると考えられます。
死亡率が減らないのは、根本原因が存在しているからです。
手術をして根治が期待できるのは、肉体次元に原因がある場合であり、精神的と霊(魂)的次元に原因があれば対処療法に過ぎません。
抗ガン剤をいくら投与しても、耐性が生まれてガンが増殖し始めるのは、想いが取り除かれていないからです。
人間の意図によって、神の意図を阻止することは出来ません。
この世に生まれて来るのは、人を成長させようする神の意図があるためです。
成長を阻害している溜まった想いが、肉体を変化させて病気(ガン)となって表現され、人は見えない次元の変化に気付くようになっていると考えられます。
同時に、病気(ガン)は、成長を阻害しているものを取り除いて、魂を浄化させています。
病気(ガン)が癒やされるとは、肉体上の病変がなくなることではなく、成長を妨げている想いが解放され、魂で生じた想いが、精神を経由して、肉体で円滑に表現されている状態と考えられます。
ガンとは、本来の自分を取り戻し、成長して行くためにある、神が創った自然現象の1つと考えられます。
《次回に続く》