2013年9月1日日曜日

病気を治すために

病気とは何かを考えてみました。

岩波出版社の生物学辞典では、病気とは「個体の秩序が何らかの原因(病因)によって偏倚した状態をいう」と定義しています。

「原因には内因と外因があり、内因は年齢、性、人種などの素因や体質のほか、遺伝・内分泌線機能障害・免疫などをさし、外因には栄養の欠乏、物理的・科学的作用、ウイルス類、細菌類などの感染をあげることができる」と記載されています。

何やら難しいことが書かれていますが、「病気」という文字を眺めた方が良さそうに思えます。



気が病む、肉体を超えた何ものかが病むということで、それは精神であり魂(霊)であると考えられます。

つまり精神、魂が病んだ結果として、肉体に病態として顕れ、認識されるということです。

そうであれば多くの病気の根本的な治療は、精神や魂を対象としたものでなければならないと思います。

ストレスで胃潰瘍になる方がいますが、H2ブロッカー(胃酸を中和する薬)を飲んでも対処療法に過ぎず、精神的ストレスを改善しなければいけません。

精神的ストレスを生み出すものは様々ですが、その多くは人間関係であったり、過度の労働であったりします。

かと言ってそれらを避けて日常生活を送ることはなかなか許されません。

いやだとか避けたいと思った瞬間、ストレスとなって肉体や精神に悪影響を与え始めます。数年前に私も大きな困難に遭遇しましたが、幸運にも「シルバーバーチの霊訓」と出会うことができたため、つらい経験でしたが精神的、肉体的にも健全さを失うことはありませんでした。

もし出会ってなかったら、深い絶望感から心身は衰弱し、病気になっていたかもしれません。



この世に生まれてきたのは、魂の向上のためであることは言うまでもありません。

魂の向上は、困難や苦痛を伴う経験を通しても、得られます。

従って、この世を生きているうちに、望む、望まないにかかわらず、困難や苦痛を伴う経験に、出会うことになります。

つらいライフイベントや深刻な災難が起きても、(霊的)知識があれば与えられた試練として受け止め、ストレスから病気になってしまうことはないでしょう。

霊的知識のあるなしは、物理的な内的、外的因子よりも、はるかに現代の病気の発症に関係していると思います。



そして病気には、この世に生まれる前の罪(カルマ)によるものと、生まれてからの罪(カルマ)によるものがあります。

いずれも相応の償いの期間が必要であり、苦しみや痛みを経験しなければいけません。

生まれてからつくってしまったカルマで病気になってしまった、例えば摂理に背いた憎しみや、怒り、妬みなどの感情を持ち続けたために、ガンになったり、あるいは、心身の限界を超えて働き過ぎると、うつ病になったりします。

そして、病状がさらに悪化して、死という転帰をとったとします。

死は魂が肉体から解放されることであり、決して不幸なことではありません。

しかし、学ぶことがあってこの世に生まれてきたのであり、それを病気により道半ばで切り上げてしまうことは、神や霊界が望むことでは決してないはずです。

そんなことから、私は神により病気を治す機会が、すべての人に平等に与えてられていると、考えています。



せっかくの機会を無視し、摂理に背き続けると、シルバーバーチが言うようにカルマ的負債が大きくなりすぎて、肉体を犠牲にする(死ぬ)しかなくなります。

病気を治すために最も優先すべきことは、摂理に背いた心を抱くことや、行動を改めることです。

摂理に適った心、慈愛の心、赦す心、感謝の心を持ち続け、過度な労働は避けて、無欲で穏やかに日々生活することにより、病気の原因であるカルマは少しづつ小さくなり、それに伴い病気も良くなってくるはずです。


摂理に適った心に変わるためには、相応の苦しみや痛みを経験しなければなりませんが、人や動物に親切にやさしくすることを心がけ、社会貢献やボランティア活動をするにより、その期間はきっと短くなると思います。


病気を根本から治すのは(自然)治癒力であり、薬ではありません。

治癒力は受け取るものであり、より多く受け取るためには他者を愛するしかありません。

「施すものほど授かる」は、永遠不滅の真理です。

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