2025年6月29日日曜日

戦争は人類の進化成長を遅らす


世界の各地で戦争が起きています。

以前は、遠い国で起きている、自分には関係のない出来事のように感じられました.。

霊的真理を知った今、他人ごとのように思えません。



住んでいる国は違っていても、魂の成長という同じ目的を持って、この地上に生まれて来ています。

それぞれの人に、目的を果たすために計画された人生があります。



戦争は身体や建物を破壊します。

それだけではなく、計画された人生も破壊してしまいます。



戦争で亡くなった人たちは、地上の人生が中断されます。

次の世界に移っていることに気付かなかったり、ショックを受けて順応できない人たちが多くいます。

中には、戦闘を続けている人もいるようです。



そんな人たちのために、霊界の人たちが寄り添って介抱します。

注がれる愛によって、魂は癒されて行きます。

神の公正は完璧です。

地上で得られる予定だった学びや成長が、「埋め合わせの原理」により、霊界においても得られるようです。

不利益を被らないように配慮されていますが、計画された人生を全うするのに越したことはありません。



大切な人を失った人は嘆き悲しみます。

あまりに理不尽な現実に、憎しみや恨みを抱く人も少なくありません。

中には、復讐するために、テロ組織に入る人もいるでしょう。

テロ組織を壊滅するために行っていることが、テロ組織を生み出しているのが現状です。



銃の引き金を引いた人も、苦しんでいます。

たとえ命令であったとしても、罪もない人たちに向けて引き金を引いてしまったとしたら、真ともな人間なら良心の呵責に苛まれてしまうでしょう。


たった1発の銃弾が、撃たれた人、その家族、そして撃った人の人生を狂わせます。

これまでに、どれくらいの数のミサイルが落とされ、銃弾が撃たれたのでしょうか。

膨大な数の人生を大きく狂わせてしまうのが戦争です。



生きるか死ぬかの状況下で興奮状態となり、理性が失われ獣性がむき出しになる人がいます。

欲望を満たすために、武器を片手に非道な行いをして、無用なカルマを作ってしまう人も少なくありません。

カルマを作ったら、その償いが済むまで、成長は許されません。

成長するために生まれて来たのに、償いをするためにまた地上に生まれなければならないほど、大きなカルマを作ってしまうのも戦争です。



戦争の本質は怒りと恐怖と悲しみです。

そんな感情に捉われてしまったら、自分本来の表現ができなくなります。

他者を愛することもできなくなります。

戦争は、人が進化成長して行く機会をことごとく奪って行きます。



シルバーバーチの霊訓には、こう書いてあります。

「これより先もまだまだ地上から戦火が消えることはないでしょう。人類全体が巨大な霊的家族であるという、この単純な真理が未だに理解されてないからです。」



個々の人間は、身体の細胞のようなものです。

小さな存在であっても、全体のために何らかの役割りを果たしています。



全ての細胞には同じ血液が流れ、つながっています。

従って、どこかの細胞に異変が起きたら、他の細胞にも影響を与えます。



個々の人間も、つながっています。

出典:Anadolu via Getty Images

戦争で悲惨な状況に置かれている人たちを見て、感じているであろう苦しみや痛みや怒りや怖れや悲しみに同情するのは、神性でつながっているからです。

世界のどこかで起きている戦争は、少なからず全体に影響を与えています。

多くの人の進化成長する機会を奪ってしまう戦争は、人類全体の進化成長を遅らせていることになります。

私たちは霊的に一体だということを忘れてはいけません。



自我(エゴ)と神性とのせめぎ合いの中で生きています。

エゴが勝れば不調和が起こり、神性が勝れば調和が訪れます。

エゴから生じる欲求や感情に打ち克って、神性を発揮させることは、この世に生まれて来た大きな目的の1つです。



エゴの働きが強くなり、本来の自分を見失った人たちは、因果律の働きにより、苦しみや痛みを伴う出来事を経験することになります。

それにより、魂が目覚めて、本来の自分を取り戻します。

その時から、内在している神性を発揮できるようになります。



戦争をなくす特効薬はありません。

さまざまな出来事を経験することによって、魂は学び成長し、より神性を発揮できるようになります。

全ての争いは、神性が発揮されることで回避されます。



人は何度も地上に生まれて来ます。

これから生まれて来る人たちは、過去生でさまざまな出来事を経験して、より神性が発揮できる人たちと思われます。

そんな人たちが多くなるのに従い、戦争は姿を消して行き、調和のとれた平和な世界へと変わって行きます。





2025年6月22日日曜日

全宇宙は霊的に一体


子供の頃、星空を見上げるのが好きでした。

暗い中に一人ぼっちでも、満天の星の下にいると、何か大きなもの、あたたかいものに包まれているような気がして、怖くも寂しくもありませんでした。

宇宙との間に、一体感のようなものが感じられました。



大人になると星空を見上げることもなくなり、目の前にある現実の世界しか見なくなりました。

その世界に存在している人や物は、それぞれが完全に独立しているように見え、一体感は感じられませんでした。



あの一体感はどこから生まれたのでしょう?

人間は肉体以上の存在です。

目に見えない精神があり、その上位に魂(霊)が存在しています。



肉眼(肉体)によって、星空を見ています。

精神によって、星空を認識しています。

星空との間に一体感を感じていたのは、私の魂です。


私たちの本来の住処は霊界です。

そこでは五感はなくなり、霊的な感覚だけになります。

周りにいるのは霊的に似通った人たちばかりで、お互いの想いを共有しています。

自分と他者を隔てていたものが取り払われ、地上とは比較にならないほどの一体感が感じられます。



地上にいる私たちにも霊的な感覚はあります.

けれども、五感に圧倒されて、その感度は極めて鈍くなっています。

霊的な感度が鈍くなり、霊界にいた時のような一体感は感じられなくなっています。



そんな地上に、どうして生まれて来たのでしょうか?

肉体を持つと、(地上の)自我が芽生えます。

自我の働きにより、自分が1番大切に思えるようになります。

しかも、周りにいるのは自分と違う人たちばかりです。



そんな状況から、地上では他者とぶつかり合ってしまう時があります。

怒りなどの感情が生まれると、争いなど苦痛を伴う出来事が起きてしまいます。



誰しも苦痛を味わいたくありません。

そうならないためにどうすれば良いのかを考えるようになります。

自分を大切にするように、他者を大切にしなければならないことに気付く人もいるでしょう。



他者を大切にすることは、他者を慈しむことに他なりません。

慈しむことによって、言葉や人種や文化の違いから生まれる障壁を乗り越えられます。

人間だけでなく動物たちとも、心を通わせることができるようになります。

許すことができて、苦しみを伴う感情から解放されます。

争いを終わりにすることができます。

差別や飢餓や貧困もなくなります。

霊界ではあり得ない出来事を経験することで、他者を慈しむことの大切さ、その意味について学ぶために、私たちは地上に生まれて来たと考えられます。



全宇宙は霊的に一体です。

けれども、地上ではその実感はありません。

それゆえに、その真理を信じることが必要です。



信じることができたならば、全体の意識に触れることができるかもしれません。

子供の頃、星空の下で味わった、あのあたたかいものに包まれている感覚は、全体の意識に触れて、そこから流れ込んだ愛を帯びた霊力によって生まれたと思います。



全体の意識とは、全宇宙を慈しむ無限の心と考えられます。

さまざまな出来事が起きるこの世界に対して、慈しみの想いを持つことができたならば、地上にいながらにして霊界にいる時のような一体感を感じながら生きることができるはずです。





一体であるものを分断しようとする、愚かで残酷な行為が平然と行われているこの世界を変えて行
のは霊的真理です。





2025年6月15日日曜日

自分の中にいる神


昔は、神など信じていませんでした。

神は宗教の産物であり、弱い人間が頼るものと思っていたからです。



40代半ばに霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、神の存在を信じるようになりました。

ただ、そこにあった神は宗教が説いていたものとは違っていました。



神は自分と離れたところに存在しているのではありません。

全てのものに存在しています。

私自身も神です。



けれども、自分が神であるという実感は全くありません。

他の人を見ても神とは思えません。

そのため、その真理を受け入れるまでに、少し時間がかかりました。


自分の中に自分とは違う「何か」がいるのは、子供の時から感じていました。

その「何か」は、やってはいけないことをしようとする時に、声なき声で引き留めていました。



それこそが、自分の中にいる神です。

神が良心となって顕現しています。



人の行いの中にも、神を見る時があります。

第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事であった杉浦千畝は、ナチスドイツの手から逃れて来たユダヤ人にビザを発給して、国外に脱出させました。

この行為は国の方針に背いたものでしたが(後に失職)、リトアニアの地を去る最後の一瞬まで続けられたと言われています。

国外に脱出できた六千人以上にのぼるユダヤ人たちは、彼の行いの中に「神」を見たと思います。



大きな行いだけではありません。

転んだ人の手を取って起こそうとする人の中にも、神を見ることができます。

出来事を許そうとしている人の中にも見ることができます。

神は遍く存在しているのです。



神を見るのは、人の行いの中だけではありません。

ファシリティドッグというのをご存じでしょうか?

入院している病気の子供たちのためにいる病院専属の犬です。

彼らは、子供たちが嫌いな注射をする時や手術室に向かう時に寄り添って、立ち向かう勇気を与えています。

つらい思いをしている子供たちを癒そうとしている犬の姿にも、神を見ることができます。

人間が訓練したので、そのような振る舞いができるようになっただけと考える人もいるでしょう。

それ以上のものが存在していなければ、子供たちに勇気や元気や笑顔は生まれません。



訓練したわけでもないのに、溺れかけている猫を救っている犬の姿を見ても、それ以上のものが存在していることが分かります。

種に関係なく、生命(魂)に神が存在しているからこそ、このような行いができるのだと思います。

それ以外に合理的な説明はできません。



神が存在しているのですが、地上では自我によって、その発現が妨げられています。

「自分の身が危ない」「自分が不利益を被る」と自我(エゴ)が出てしまえば、神が発現することはありません。

何かをきっかけにして、自我の束縛から解放された時、初めて発現します。



無限大の宇宙の中で、地球という限られた空間の中で生きている全ての生命は運命共同体です。

全体のために、何らかの役割りを果たすため、能力を発揮するために、地上に生まれて来ています。

前述のファシリティドッグも、医者や看護師にできない、自分に与えられた能力を発揮しています。

しかしながら、多くの人はその役割りや能力に気付いていません。


生命とは神そのものです。

そのことが分かったのなら、傷つけたり苦しめたりすることはできないはずです。

他者の中に神の存在を認めたのならば、戦争や差別はなくなるはずです。

最も尊いもの、聖なるものを、蔑んだり、憎んだり、壊そうとすることは、誰にもできないからです。



神の意図を実現させるために、この世界は存在しています。

私たちの中に神がいること、神性でつながっていることに、多くの人が気付くことによって、神が意図した愛と喜びに満ちた世界へと変わって行きます。






2025年6月8日日曜日

霊界に持って行けるもの


人間は喜びを感じていたい生き物です。

服を買ったり、おいしいものを食べたりすると、ちょっとした喜びを感じます。


けれども、その喜びは時間の経過と共に薄れて行きます。

しばらくすると、また新しい服が欲しくなり、おいしいものを食べたくなります。


人に喜ばれた時や、物事をやり遂げた時にも喜びを感じます。

その喜びは、もっと深いところから生まれていて、時を経ても思い出すことができます。



地上の人は2つの自我が存在しています。

肉体を使って表現するための自我(以下地上的自我)と、霊体を使って表現するための自我(霊的自我)です。

起きている時は地上的自我、眠っている時は霊的自我を前面に出して自己表現しています。

真の自分とは、もちろん霊的自我です。



物的な欲求が満たされた時の喜びは、地上的自我から生まれています。

人に喜ばれた時の喜びは、霊的自我から生まれています。

同じ喜びであっても、次元が違う自我から生まれています。 



あの世に行くと、地上的自我はなくなり、霊的自我だけになります。

お金や地位など物(地上)的なものに喜びを感じていた人は、喜びが感じられなくなります。

喜ばれることに喜びを感じていた人は、より深い喜びが感じられるようになります。



喜ばれた時、物事をやり遂げた時に喜びを感じるのは、どうしてでしょうか?

他者に奉仕すること、困難や障害を乗り越えようとすると、法則の働きによって人は成長します。

反対に、人を貶めたり傷つけたりすると、同じ法則の働きによって成長は妨げられ、苦痛による償いが生じます。

喜びと苦痛を通して、私たちは成長する方向へと導かれていると考えられます。



「地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるのかあらかじめ承知しております。あなた方は自分がどんな人生を生きるのか覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発してより大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。」

シルバーバーチの霊訓にはこう書いてあります。

人生には計画があります。

計画に沿って人生は展開して行き、予定されていた出来事が因果律の働きによって、絶妙のタイミングで起こります。



出来事が起きた時、どう想い、どう行動するのかは、その人の自由意志に任されています。

そのため、予定されていた方向に進んで行くとは限りません。



死んだ後に、地上の人生を振り返る時が訪れます。

出来事が起きた時、どう想い、どう行動したのかを、思い出します。

追い詰められて、どうにもならなくなった時、奥深くにいる自分が目覚めて、そこから予定されていた人生を歩み始める人がいます。

生まれて来た目的を果たすために、その出来事がどうしても必要だったことが分かります。



感情に捉われないで、奥深くにいる自分(霊的自我)の想いに従って進んで行かなければいけません。

想いが分からないのであれば、より自分を成長させると思われる方向に進んで行きましょう。

その方向は往々にして困難が伴いますが、予定されていた人生から大きく外れることはありません。



その時、地上的自我はこのように考えるかもしれません。

「無理だからやめておこう」

「このままでもいいじゃないか」

そんな考えは無視して、自分の想いに正直になりましょう。

決して後悔することはありません。



出来事は法則の働きによって起きています。

法則は無限の愛によって創られているので、克服できない出来事は起きないようになっています。

挫折させたり、絶望させるためではありません。

学び成長させるために起きています。



いつまでも受け入れなかったり、運命を呪ったり、人生を嘆いたり、誰かのせいにしてしまうと、予定されていたのとは違う方向に進んでいることになります。

そんな自分の姿を見たとしたら、後悔は避けられません。

自分の意志で、自分の責任で、自分の未来を決めていたことが、死んだ後にはっきりと分かるからです。



苦しくても前に進んで行こうとするのは、試練は完全に報われることを、奥深くにいる自分(霊的自我)は知っているからです。

この人生の後にも、人生は続いています。

無駄な経験はなく、後の人生で活かされることを知っているからです。



霊界に持って行けるのは、さまざまな経験を通して得た学びです。

成長することができた喜びです。





2025年6月1日日曜日

自分の想いを問い質す

私たちは、肉体を使って自己表現しています。

生まれた時からそうしているので、当たり前のように感じられますが、そうではありません。



死ぬと肉体はなくなります。

別の媒体で自己表現を始めます。

そこでは想ったことが、直ぐに具現化します。

想いが周りに知れる、嘘や偽りが存在しない、ありのままの世界です。



地上での行いの全ては、魂(オーラ)に刻み込まれています。

死後に人生を振り返る時が来ますが、自分の行いがどんな結果をもたらしたのかを知ることになります。



同じ行いであっても、動機は様々です。

例えば、大きな災害が起きると、被災地を支援する人たちが現れます。

支援する動機が、被災者のために役に立ちたいという人がほとんどでしょうが、中には見栄や称賛を得るための人もいます。

外からは知ることはできませんが、その動機が問われます。



地上を生きる人間は、肉体、精神、魂(霊)の3者から成り立っています。

3者の存在する次元は異なります。

私たちは物(肉体)的次元の存在ですが、同時に精神的次元、霊的次元にも存在していると言えます。



肉体、精神、魂(霊)は、それぞれの次元の法則の働きによって支配されています。

私たちが認知しているのは物的次元に働いている法則です。

物理的、化学的、生物学的法則などがそうです。



精神的法則は、精神次元に形成されている自我に働いています。

別れの時に悲しくなり、裏切られた時に怒るのもそうです。

特定の出来事に対して、特定の感情が生じるのは、精神的法則の働きによるものと考えられます。



霊的次元の法則は、魂に働いていて、進化成長に関わっています。

他者に奉仕をすること、困難や障害を乗り越えようとすること、内なる神の声に耳を傾けることで、霊的次元の法則に則って、魂は成長します。

人を傷つけたり、苦しませたりすると成長は妨げられ、償いが生じるのも同じ法則の働きによります。



霊的次元の法則は、目に見えない想い(動機)に対しても働いています。

想い(動機)が、役に立ちたいなど利他的なものであれば、法則に叶っているので成長を促します。

見栄や称賛を得るためなど利己的なものであれば、法則に叶っていないので成長することはありません。

同じ行いをしても、想い(動機)によって魂に与える結果は大きく違って来ます。



自分の心は自分のものです。

何を想っても自分の自由だろうと考えている人もいるでしょう。

行動に移さなければ、何を想っても構わないと考えている人もいるでしょう。


壁を手で押すとどうでしょう?

壁から押し返されます。

これは「作用・反作用の法則」(ニュートンの第3法則)の働きによるものです。

霊的次元においても、同じような法則が働いていると考えられます。

憎しみや恨みなどで他者を貶めようとする想いが生まれると、魂を貶める結果となって自らに返って来ます。

想いは具現化する力です。

行動に移さなくても、自分から生じた想いは、形を変えて具現化するので、気を付けなければいけません。



あらゆる次元の法則の根幹を成しているのは「因果律」です。

人に喜んでもらうと、自分もうれしい気持ちになります。

愛情を知らない動物たちが、飛び切り愛情深い家族に迎え入れてもらい、幸せそうに暮らしている姿を見ると、自分もとても幸せな気持ちになります。

幸せになって欲しいという想いは、自分自身を幸せにしてくれます。           

良くも悪くも行動を起こした想い(動機)は、霊的次元の法則の働きにより、自分に返って来ます。



人のためにと思っていても、実は自分のためにしている時があります。

法則は誤魔化せません。

どんな想いで行動しようとしているのかを、自分に問い質す必要があります。



シルバーバーチの霊訓にはこう書かれています。

「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」

地上において培われた、誰かのために何かをしようとする想いは、霊界で遺憾なく発揮されて、自らを成長させることになります。

全体のために、もっと自分を役に立てたいと言う想い(動機)があったからこそ、居心地の良い霊界を離れて、さまざまな体験ができる地上に生まれて来たのです。