人間の行動には、必ず意志が先行しています。
何を食べるか、何を着るか、どこに行くかなど、自分の意志で1つ1つ決めながら、行動しています。
今、このブログを見ているのもそうです。
意志が生れなければ、何も始まりません。
行動しなければ、生きていけないのが地上です。
生活するために働かなければいけませんし、家事もしなければいけません。
私たちは、行動する意志を持ち続けながら生きています。
死んで私たちが行く世界は違います。
肉体がないので、生活するために行動しなくても済みます。
意志を持たなくても生きて行ける世界です。
生きる目的は、霊的に成長することです。
シルバーバーチの霊訓にはこうあります。
「魂は親切、寛容、同情、愛、奉仕を通して成長するのです。」
愛を表現することで人は成長しますが、表現しようとする意志がなければ何も始まりません。
目的を果たすために、意志を持ち続けなければ生きて行けない地上に生まれると考えられます。
霊界では、意志(意念)が直ちに具現化します。
地上は物質(肉体)を介して、具現化することになります。
例えば、希望する学校に入りたいと思えば、試験を受けて合格しなければならず、そのために勉強をしなければいけません。
意念を具現化するために、肉体的、精神的な労力を必要とします。
地上では、労力が報われるとは限りません。
たとえ報われなかったとしても、それまでの労力は意志を培うことにつながっています。
小学校低学年の時に、九九(掛け算)を覚えました。
その時は、何でこんなものを覚えるのだろうと思いました。
ところが後になり、九九が生活して行く上で活かされることを知りました。
漢字もそうであり、覚えていて良かったと思う時があります。
人生で起きる出来事もそうかもしれません。
その時は、何でこんなことが起きたのかと思います。
死んだ後の世界では、霊的な目が見開かれます。
原因と結果の連鎖が繰り返されているのが分かるようになり、後の人生のために欠くことのできない出来事であったことを知ります。
時には、生きる目的を奪ってしまう出来事も起こります。
生きる目が奪われた中で生きるのは、とても苦しいものです。
苦しみの中で、霊的に目覚める人がいます。
真実を受け入れ、それまでの苦しみから解放され、新たに目的を見つける人がいます。
それこそが、地上に生まれた目的である人もいるでしょう。
生きる目的をなくした中で生きることにも意味があります。
息をするのも、食べようとするのも、生きようとしているからです。
ただ生きているだけであっても、生きようとする意志が培われています。
霊界では経験できないことを経験しているのです。
霊界に行くと、意識が全てになります。
周りには、自分と意識を共有できる人たちが集まっています。
肉体がなくなることで、自分と他者との境界が曖昧になります。
自分への執着が弱まり、意識は周りへと向かうようになります。
生きる力は神の力であり、愛を帯びています。
そのために、周りのために何かをしようとする意志が、自然に生まれるようになります。
地上を生き抜くことで培った意志は、周りのために何かをしようとする意志となります。
困難や障害に出会った時に、人は何とかして乗り越えようとします。
「光と闇、日向と日陰は、1つのものの2つの側面です。闇がなくては光の存在は分からず、日影がなくては日向の有難さも分かりません。人生の苦難は、魂の成長を促す手段です。困難や障害や不利な条件は、全て魂の試練です。それを1つ1つ克服するたびに、魂は強さを増し、清さを増し、深みを増し、本性を高めるのです」と、シルバーバーチの霊訓には書かれています。
自分の成長のために必要だと、魂は自覚しています。
生まれる前に決めていたことであれば、それしか選択しようがありません。
成長とは、より高い愛を、より強い意志で表現できるようになることだと思います。
愛が見えなくなり、愛に反する想いが存在し、生きて行くために労力を伴い、苦しみや痛みの存在する地上だからこそ、成長して行くための意志を培うことができます。
「魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなか得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。」シルバーバーチの霊訓にはこうも書かれています。
大変な時こそ、大切な時のようです。
死んで持って行けるのは、霊的な財産だけです。
地上で大変な思いをして得た財産は、本来の住処に戻って、周りのために活かされます。
0 件のコメント:
コメントを投稿