2025年1月26日日曜日

霊的な自我(意識)を見い出す


若い頃「何で生きているのだろう」と漠然と考えていました。

死んで無になるのであれば、生きている意味は極めて希薄になります。



意味がないのであれば、面白おかしく生きようとするかもしれません。

高い地位やお金を手に入れることを目的にして生きるかもしれません。



けれども、そんな生き方をしていては物足りなさを感じます。

何故なのでしょうか?



お腹が空いている時に食べると、満足感が得られます。

けれども、食べたものが消化されて、またお腹が空くと満足感はなくなります。



お金や地位を手に入れると、よろこびを感じます。

けれども、時間が経つと、もっとたくさんのお金、さらに高い地位が欲しくなります。

最高の地位を手に入れたとしたら、今度は手放したくなくなります。

地上的な欲求には際限がないからです。



私たちは生活して行くために働かなければいけません。

働いている時に、人に喜ばれたり感謝されたりするとよろこびを感じます。

そんなよろこびを感じたいために、頑張って働いている人も少なくありません。



私の家では、約20年前から動物の保護活動を行っています。

それまでつらい思い、寂しい思いをしてきて来た犬や猫たちが、新しい家族に迎え入れてもらい、幸せに暮らしている姿を見るとよろこびを感じます。



お金や地位を手に入れた時のよろこびと、人に喜ばれたり、感謝されたり、誰かが幸せになった時のよろこびは違います。

前者のよろこびは、時と共に消えてしまいます。

けれども、後者のよろこびは、その時を思い出す度に感じることができます。



地上の人間は、肉体を携えた霊(魂)です。

霊(魂)とは生命であり、意識の源泉です。



地上の人間は、地上的な自我(意識)と霊的な自我(意識)の2つ自我(意識)が存在していると考えられます。

お金や地位などを手に入れてよろこびを感じているのは、地上的な自我と考えられます。

喜ばれたり、感謝されたり、誰かが幸せになるとよろこびを感じているのは、霊的な自我と考えられます。



死んで霊界に行くと、地上的な自我はなくなり、霊的な自我でよろこびを感じるようになります。

霊的な自我は永続性があるために、そこで感じているよろこびにも永続性があります。

地上的な自我は束の間の存在であるために、そこで感じているよろこびを追い求めても虚しくなるだけです。



地上的なものにしかよろこびを感じなかった人は、霊的なよろこびがあることを知りません。

死んでもなお、地上的なよろこびを追い求めようとしますが、対象はもう存在しません。

よろこびが感じられない世界で生きることになります。



霊的なよろこびを感じながら地上を生きていた人は、霊的な自我が活きていたので、霊界に行っても直ぐに馴染むことができます。

地上よりもはるかに強く霊的なよろこびが感じられるようになります。

人はよろこびを感じていたい生き物です。

喜んでもらうために、誰かの役に立つような生き方をするようになるでしょう。



神の心が自然法則の中に顕現しています。

喜ばれたり、感謝されるとよろこびを感じるのは、その行いが自然法則の働きに適っているからです。

悲しませたり、傷つけたりするのは、自然法則に反した行いなので、苦痛を感じる事象が返ってきます。

よろこびと苦痛を通して、私たちは神の心を学んでいます。



霊的な意識の中に神がいます。

悪いことをしたくないと思うのは、神が良心となって顕現しているからです。



つらいことがあると、逃げ出したくなります。

逃げ出そうとするのを、霊的な自我(意識)が押し留めています。

つらくても生き抜くことが今生に生まれて来た目的であること、そして目的を果たした後に大きなよろこびが待っていることを、霊的な自我(意識)は知っています。



魂(霊)の存在を認めなければ、生きている意味を見い出すことができません。

何故なら、生きている意味は、自分の本質である魂(霊)を成長させることにあるからです。

そのために地上に生まれ、さまざまな経験をしています。



経験を通して、霊的な自我(意識)を見い出す人がいます。

そんな人は、他者のよろこびの中に、真のよろこびがあることに気付くでしょう。





2025年1月19日日曜日

今を生きるために意志を持つ


去年の12月26日に、愛犬の金太郎が亡くなりました。

金太郎は兄弟犬のはなと我が家で生まれ、母犬のしろと共に暮らしていました。

3匹は近寄ったり、匂い嗅いだりしてお互いの存在を常に確認していましたが、日々衰弱して行く金太郎の様子を、はなとしろは少し離れたところから見ていてました。



金太郎の魂が肉体から離れる時が来ました。

全く動かなくなった金太郎を見て、犬たちが死を認識していたのかは分かりません。

それでも、はなの瞳からは別れの悲しみのようなものを感じました。



人間は動物より精神(自我)が発達しています。

精神が発達するのに伴い、感情も豊かになって行きます。

人間と共に暮らし、愛情を受けた動物たちは自我が芽生え、さまざまな感情を表現するようになります。

嫉妬という感情も生まれ、人間に近づいています。

また、人間の感情を識別していると思う時があります。

悲しんでいたり、落ち込んでいたりすると、寄り添って顔をなめて慰めようとします。



金太郎を散歩に連れて行く時に使っていたリードを見ると、元気な時の姿が思い出されて、(元気でいるのは分かっていても)悲しくなってしまいます。

はなとしろは、何事もなかったかのように元気にしています。



人間は過去を思い出します。

思い出しては、感傷に浸ったり、後悔したり、時に怒りや憎しみが生まれる時もあります。

もちろん動物にも過去の記憶はあるでしょうが、生きて行く上で必要のないことは思い出さないと考えられます。



人間は未来を予測します。

予測しては、不安になったり、心配したり、恐れを抱いたりします。

動物も未来を予測するでしょうが、生きて行く上で必要のないことは予測しないと考えられます。



動物たちが元気なのは、今を生きているからです。

それに比べて人間は、過去や未来に捉われて、必要のない感情が生じることによって、生きる力が奪われていると思います。



感情は精神(自我)から生まれています。

精神の上位には、意識の源泉である魂が存在しています。

魂からは、意志(意念)が生まれています。

意志があるところに、感情は生まれません。



1947年、インドがイギリスから独立しました。

その立役者となったのがマハトマ・ガンジーです。

ガンジーは強い意志で、非暴力を貫き通しました。

非暴力という意志を持つことにより、敵対する者への怒りや憎しみの感情が生まれるのを防いでいたと考えられます。

ガンジーだけではなく多くの国民も、同じ意志を持つことにより、感情的にならなかったので、目的が成し遂げられたと思います。(怒りを爆発させたら武力で封じ込められていたでしょう)




アルピニストが断崖絶壁を登って行く姿を見る度に、怖ろしくてとても自分には出来ないと思います。

もちろん彼らにも「怖い」と言う感情はあるはずですが、それよりも「登る」という意志の方が上回っているので、挑戦することができると考えられます。

シスパーレに挑む平出さんと中島さん(2024年7月没)



誰もが同じような経験をしています。

仕事や趣味などに没頭すると、それまであった感情を忘れています。

意念は感情に優っているのです。





死んで霊界に行くと肉体がなくなり、地上的な苦しみから解放されます。

何もしなくても生きて行くことができる安楽な世界です。




霊界においても、生きる目的は魂の成長です。

何もしなければ、成長もありません。

自分の意志で何かをして、それにより周りが良くなれば、自分も良くなって(成長して)います。




時間が存在する地上では、過去の記憶や未来の憶測が付きまとい、そこから苦しみを伴う感情が生まれます。

その感情に支配されないためには、意志を持つことが必要です。

地上で意志を培うことは、(時間がなくなり)今を生きている霊界での成長につながります。




胸に手を当てると、自分の意志を感じ取ることができます。

心臓の鼓動は、地上を生きようとしている魂の現れです。




2025年1月12日日曜日

大切なものを見つけ出す世界に生きている


人間が生きて行くために必要なものは何でしょう?

お金と答える人が多いかもしれません。

確かに、お金がなければ生活して行くことはできません。



それよりも大切なものは空気です。

何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、空気がなければ数分で死んでしまいます。

存在が感じられないものほど大切な気がします。


鏡に映る肉体が自分ではありません。

奥に控える、存在が感じられない魂が、その人の本質です。



魂とは生命です。

魂から湧き出す生命力によって、私たちは生きています。

魂が完全に抜け出した肉体は活力を失い、崩壊が始まります。



生命力は神の力です。

神の心を表現する力です。

けれども、地上では肉体があるためにそうなりません。



魂と肉体の間に精神(自我)が存在しています。

自我は肉体と深く結びついています。

自分のことが1番大切に思えるのはそのためです。



自分(魂)の想いと、頭で考えることが違うのは良くあります。

子供の時、道端でないている子猫を助けてやりたくても、連れて帰ると親に怒られてしまうと考え止めてしまう時がありました。

大人になるのに従い自我の働きが強くなり、本当の自分(魂)の想いに気付きにくくなります。



自分の想いよりも、自我の欲求を優先してしまうと、いろいろな問題が生じます。

生まれて来た目的を忘れて、地上的なもの、お金、地位などを手に入れようと躍起になってしまう人もいます。

地上的なものを手に入れても、永続的な満足は得られないので、際限がありません。



そんな生き方は、霊的な成長を妨げています。

自然法則の働きに反した生き方に対して因果律が働いて、最適なタイミングでそれを改めるための出来事が起きます。



ある人は病気になり、ある人は挫折や絶望を味わう出来事に遭遇するかもしれません。

深刻な出来事は、自我に隠れて眠っていた魂を目覚めさせます。

霊的に目覚めると、それまで手に入れようとしていたものが、価値のないことに気付きます。



意識していなかった、目に見えない大切なものに気付く人がいます。

そこから生まれて来た目的を成就する方向に進み出す人がいます。


聖フランチェスコ

アッシジの聖フランチェスコもそうでした。

若い時は、物質欲にまみれた享楽的な生活をしていましたが、戦争で捕らえられ幽閉され、病気になったことをきっかけにして、霊的に目覚めたと考えられます。

その後、神と隣人に仕える道に進んで行きます。



運命を呪ったり、神を憎んだりしてはいけません。

全ては因果律の働きにより起きています。

因果律の働きには、創造した神の心が込められています。

悪い方向に向かっているように思えても、善い方向に向かうために起きているのです。



もしかしたら、自分のために、自分で決めていたことかもしれません。

真相を知らないことから生れる感情に振り回され続けたら、目的を果たせなくなります。




地上の人が空気の大切さに気付かないように、霊界にいると霊的に大切なものはありふれた存在になってしまうために、その大切さに気付きにくくなります。

そこで、霊的なものが分からなくなる地上に生まれます。

地上での出来事を通して、大切なものを見つけ出し、深く学んで、魂に刻み込んで行く人生が計画されます。



大切なものを見つけ出した人は、それを表現しようとするでしょう。

霊界に戻ってもそれは続いて、自律的に成長して行けるようになります。



最も大切なものは「愛」です。

地上を悩ましている問題は、愛によって解決します。

言い方を変えると、愛の欠如によってさまざまな問題が起きています。



愛を表現することは、生命が存在する意味そのものと考えられます。

宇宙の進化を促し、創造の目的を成就させて行くものだからです。




参考資料:「フランシスコの平和の祈り」


2025年1月5日日曜日

伝えたい真理


今から20年前、突如ヒーリングの力が出て、直ぐ後に霊的真理と出会いました。

そこには、全く知らなかったことが書かれていました。

本当にそうなのか?と思っていたところに、自分の過ちが原因で大きな問題が起こりました。(詳しいことは過去のブログに書いてあります。)

「因果律の働き」を思い知らされました。

窮地に追い込まれて行く中で「乗り越えらえない出来事は起きない」という真理にしがみつきました。

この2つの真理をきっかけにして、他の真理も受け入れて行くことになります。




こここまで自分が変わるとは思いませんでした。

望ましい方向に自分を変えてくれた真理を、他の人にも伝えたいという欲求が生まれました。

伝えた人の中に、真理を受け入れてくれた人たちがいます。

その人が伝えることによって、また受け入れる人たちがいます。

このようにして真理は少しずつ広まって行きます。





家の電灯が点くのは、発電所から電線でつながっていて、電気が流れて来るからです。

離れていてもヒーリングが成立するのは、送り手と受け手との間に目に見えないつながりががあって、それを通して力が伝わるからです。

言葉を超えて分かり合える瞬間があるのも、霊的につながっているからです。





無限に広がる宇宙の中で、地球は1つのユニットです。

地球には、たくさんの生命が存在しています。

それぞれの生命にそれぞれの役割りがあります。




例えば、血を吸う蚊にも、植物を受粉させる役割りがあります。

幼虫のボウフラにも、バクテリアや有機物を摂取して水を浄化する役割りがあります。

道端の雑草も、動物が生きて行くために必要な酸素を作り出す役割りがあります。

人間が知らないだけで、全ての生命に役割りがあります。




他の生命と関わり合うことで、役割りを果たしています。

動物たちは人間を癒しています。

人間は愛情を注ぐことで、動物たちの進化を促しています。




身体には、さまざまな種類の細胞があります。

それぞれの細胞は、身体を維持するために必要不可欠な存在です。

それと同じで、それぞれの生命は全体を支えるために必要不可欠な存在です。

同じ血液が流れることで全細胞が生かされ、つながっているように、それぞれの生命に同じ(生命)力が流れることによって全生命は生かされ、つながっています。

全生命が、1つの生命と言えます。




地球で最も進化した生命は人間です。

他の生命と違うのは、全体を意識できるところです。

全体を意識して、全体を考える役割りが与えられているのです。




全体を意識することなしに、自分たちのことばかりを考えていたら、調和が失われます。

周囲の組織を押しのけて拡がるガン細胞のような存在になってしまいます。

全体のために何ができるのかを考えれば、調和を取り戻すことができます。





「私たちは霊的につながっていて1つである」

この真理が広まれば、戦争や飢餓や動物の虐待など痛ましい出来事は起こらなくなるでしょう。

利己主義、唯物主義は影をひそめ、平和で平等な望ましい世界に変わって行くはずです。

絵空事のように思う人がいたとしても、多くの人に伝えたいと思います。

個が変わることで、世界が変わると信じているからです。