2024年12月1日日曜日

幸せになるために生まれて来た


昔、ある国に王様がいました。王様は広大な領地を治め、金銀財宝を持っていましたが、なぜかいつも心が晴れず、不満や焦燥感に悩まされていました。宮殿の中で「どうして私はこれほどの富と権力を持っていながら幸せではないのだろう?」と考える日々を送っていました。

ある日、王様はその答えを見つけるために、王宮を離れて旅に出ることにしました。国中を歩き回りましたが、心が満たされることはありません。

旅の途中、一人の農夫に出会いました。彼は質素な服をまとい、麦畑で額から汗を流し、歌を口ずさみ微笑みを浮かべながら働いていました。働き終えた農夫が休憩をとっている時、王様は近づいて尋ねました。

「農夫よ、きつい仕事をしているのに、どうしてそんなに幸せそうなのだ?」

農夫は少し驚いた様子で、笑顔で答えました。

「陛下、それは簡単なことです。私は自分に必要なものがすべて揃っているからです。家族は健康で、毎日こうして畑を耕すことができ、食べ物を手に入れることができる。それだけで十分幸せです。」

王様は納得がいかず、さらに尋ねました。「だが、お金や豪華な衣装、大きな家を持ちたいとは思わないのか?」

農夫は再び微笑み、「もちろん、大きな家やお金があればうれしいかもしれません。でも、それがなくても私は十分に幸せなのです。毎朝太陽の光を浴びることができ、働ける健康な体がある。それ以上のものを求める必要はありません。」と言いました。

王様はその夜、農夫の言葉を思い返しながら宿に戻りました。農夫が何も持たずに幸せを感じられる理由が分からず、さらに悩みました。しかし、よく考えた末に気づきました。

「この農夫は、自分に与えられたものに感謝し、毎日の小さな喜びを見つけ、楽しむ習慣を持っている。私はすべてを手に入れようと焦り、今あるもののありがたさを見逃していたのだ。」

王様は宮殿に戻ると、今あるものに感謝する習慣を作り始めました。毎朝起きるたびに、健康であることや家族、臣下の忠誠を思い返し、それに感謝する時間を持つようにしました。すると次第に、不満や焦燥感が薄れ、心の平穏が戻ってきたのです。(終わり)

この逸話を読んで、目に見えるものを追い求めても幸せにはなれない、人は何かに感謝することで幸せを感じ、不平や不満を持つことで不幸せを感じるようになっていると思いました。



誰でも幸せばかりを感じていたいものです。

けれども、地上ではそうは行きません。

自分と似通った人たちばかりいる霊界と違い、地上は違う人たちに囲まれて生活しなければいけません。

そのため人間関係で苦労します。

人と比べては、羨ましがったり妬んだりもします。



霊界では自分が望むことだけをしていれば良かったのですが、地上はそれだけでは生きて行けません。

気が進まないこと、やりたくないこともしなければいけません。

そんなこともあり、つい不平や不満を口にして、自分が不幸せに思えてしまう時があります。



そんな地上に、なぜ生まれて来たのでしょうか?

霊界と地上で、明らかに違うところがあります。



霊界は一極の世界です。

真実しか存在しません。

光しか存在しません。

善しか存在しません。(地上近くは除く)

愛しか存在しません。(地上近くを除く)



地上は二極の世界です。

真実だけでなく偽りも存在します。

光だけでなく影も存在します。

善だけでなく悪も存在します。

愛だけでなく憎しみも存在します。



病気になって、健康のありがたさが分かると良く言われます。

冬の寒さがあって、春の温かさを感じることができます。

対極のものが存在して、初めて認識できるものがあります。



神は法則です。

法則を貫いているのは、完全なる愛です。

私たちは、法則に従って成長して行く存在です。

生きている究極の目的は、永遠の時をかけて完全な愛を表現できるようになることです。



霊界は想念の世界であり、愛に実体があります。

ありふれた存在となっているため、愛を学ぶのにはかえって難しいです。



愛は五感に触れるものではありません。

従って、地上では何もしないで認識することは困難です。

愛を想起させる出来事を経験することで、初めて認識できます。

あるいは、愛が波動として伝わって来て、魂が共鳴して認識することもあるでしょう。

怒りや憎しみなど比較対照となる地上ならではの感情があることによって、愛を鮮明に認識することができます。



「戦争」の対極にあるのが「平和」です。

「差別」の対極にあるのが「平等」です。

どちらが望ましいのか、言わずと知れています。

戦争や差別はあってはなりませんが、望ましい「片方」を学ぶために存在しています。



平和で平等な世界にするためには、互いを許し合い、認め合わなければいけません。

許し合い、認め合うためには、自我を鎮めて、全体を想う心(神の心)を表現する必要があります。

地上を悩ましている事象は、愛を表現することで根本的に解決することを、苦しみや痛みを味わいながら学んでいます。

大切な教訓を学ぶために、対極のものが存在する地上に生まれ、それに相応しい経験をしています。



明るい日差しの中で、ロウソクの光を認識するのは難しいです。

暗闇の中で、輝き出します。

この世で不幸と言われる出来事を経験しなければ、見つけることのできない幸せがあります。

両者は一対であり、片方だけが欲しいと言っても、それはできないのです。



不幸とは心が作り出している実体のないものです。

実体がなければ、心で消し去ることができるはずです。

前述の逸話のように、今の自分にないものではなく、あるものに意識を向けて感謝することができれば、不幸として感じられなくなるはずです。



今の自分には何もないと言う人もいるかもしれません。

人は生れる環境を自分で決め、どのような人生を辿るのかも了承しています。

全ての出来事は、神の法則(因果律)の働きによって起きています。

そこに、偶然や運が入る余地はありません。



全責任を神が負った上で、出来事は起きています。

神の心は愛であるがゆえに、最後には悦びを感じるように取り計らわれています。



たとえ地上で悦びを感じることができなかったとしても、出来事は必ず清算されます。

本来の住処である霊界で、学び成長できたことに悦び感じ、そのために地上の出来事が起きていたことを理解します。

完全な公正が働いていたことを、神に感謝するでしょう。





11 件のコメント:

  1. イクミ様

    いつも勉強になるブログ記事をありがとうございます。

    自分の心と正面から向き合いたくて、ここ数か月かけて貴ブログ本文を最初から全部読み直し、シルバーバーチの霊訓も全巻読み直し、日記を書き続けました。そのなかで、自分の心の癖、つまりどういう点で悩むのかがよくわかりました。
    初めて霊訓に出会った数年前、衝撃を受けてむさぼり読んだので、そのとき全てを理解したつもりでした。でも、数々の小さな出来事があるたびに心を動揺させて、神とのつながりや因果律に対する信念が揺らいでしまい、つい、人を裁く心が生まれ、人を憎んだりしていたと思います。
    読み直していくうち、いくつかの要点についてはすっかり忘れていました。理解したはずの内容を自分のなかの一部として肚に落とすには、何度も何度も霊訓にふれて、怒りや不安が起きるたびに原点に戻り、自分を納得させることが大事なんだと思いました。
    また、真理を知ったものはその責任を負う、という意味も痛感しました。できる範囲で、自分の逃げ癖や弱さを直していこうと思います。

    今後も、折にふれ、苦しい出来事に出遭うこともあるでしょうが、痛みも苦しみも自分を磨くための触媒であり、カルマの償いなんだと思うと、勇気が出てきました。
    タイトルの、霊訓とともに歩む、という意味は、常に霊訓を学び続けることなんだなあと、つくづく思いました。ありがとうございます。これからもブログ楽しみにしています。

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  2. 冬の太陽様

    このブログを最初から読んで下さったそうですね。
    私がいかに未熟な人間であり、霊的真理(シルバーバーチの霊訓)に出会い、さまざまな出来事を経験しながら、真理を支えにして歩んで来たかが分かっていただけたかと思います。
    私もそうです。
    丸飲みした真理を、自らが経験することで消化吸収して来たと言っても良いのかもしれません。

    現実を生きていると、神の存在を忘れてしまう時があります。
    それは地上を生きる私たちにはやむを得ないことですが、我に返り霊界とのつながりを意識するように努めることが大切です。
    怒りや不安を鎮めるためには、霊訓に触れて霊的意識を高めるのが有効です。
    霊的意識が高まれば、負の感情を生みだしている自我(エゴ)は相対的に弱くなるからです。
    真理を知ると(活かすことへの)責任が生じるのは、ある意味つらいことです。
    それでも知った恩恵の方がはるかに大きいので、果たして生きましょう。

    冬の太陽様は真理に忠実に生きようとして来たとお察しします。
    そうすると現実社会との間に軋轢を生じることも多々あると思います。
    社会は変わり行くものですが、真理は不変ですので、これからも支えにして生きて行って下さい。


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  3. いくみ様、ご無沙汰しております
    私は7年前に、理不尽な交通事故で、1人息子を亡くして悲しみの中、いくみ様のブログに出会いました。あの時いくみ様から、頂いた息子からのメッセージ、
    『僕のお茶碗をとって置いてくれてありがとう~』と。
    とても有難く受け取らせ頂きました。ありがとうございました。毎週楽しみにブログを拝見させていただいてます
    私達夫婦、2人だけの生活になり、色々と体調崩したり、不眠症になりましたが、なんとか仕事もしながら、生活しております
    いくみ様にまた、お願いしたいのですが
    お忙しいと存じますが、今年の春頃から、眉間の間に、赤い湿疹ができ、色々な皮膚科に通院したのですが、治らなくて、最近では、大きく腫れてしまい目立つ場所なので、とても心配で睡眠薬を飲んでも、眠ることができなく、悩んでます
    どうか、ヒーリングを、お時間ができたときに、お願いできますでしょうか
    よろしくお願い致します
    長々とすみません

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  4. 匿名様

    こんにちは。
    7年が経つのですね。
    何とか仕事をして生活していると聞き、安心しました。
    これ以上ない悲しみ、苦しみの中、よく耐えて、ここまで来られました。

    眉間の間に湿疹ができて、医者でも治らずに大きく腫れてしまい、心配で眠ることができないのですね。
    癒されない想いがあるせいかもしれません。

    ヒーリングの件、了解しました。
    今晩10時からヒーリングを行ってみます。
    どうぞリラックスしてお待ち下さい。

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  5. ヒーリングの同志の方へ

    こんにちは。
    コメントをご覧のように、匿名様の眉間の湿疹が大きく腫れて、眠れないほどご心配なようです。
    匿名様の心身が癒されることを祈念して、今晩10時からヒーリングを行いたいと思います。
    急なお願いで申し訳ありませんが、参加の方、よろしくお願いいたします。

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  6. 私も治癒を願ってお祈りします。

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  7. aki様

    こんにちは。
    貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。

    日本の将来を憂慮されているのですね。
    政治的あるいは経済的な所業の1つ1つに自然法則(神の摂理)が働いています。
    世の中は自然法則の働きにより、長い時間をかけて神に心に適ったものへと変わって行きます。
    霊的真理(自然法則の働き)をより多くの人に知ってもらうことは、望ましい世の中へと変わるための早道だと私は強く信じています。

    世の中を正したいaki様のお気持ちは十分に伝わって来ましたが、このブログは政治的なものを批判したり話題にする場ではなく、霊的真理の理解を共に深め、伝えるための場と考えていますので、どうぞご了承ください。

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  8. いくみ様
    不眠症と、眉間の湿疹で、ヒーリングをお願いしたものです!
    いくみ様、冬の太陽様、同士の皆様、ありがとうございました!本当にうれしかったです!
    暖かい気持ちで、眠れました!
    湿疹も、赤みがひけていました!
    このブログは、暖かいですね
    涙が溢れました
    これからも、ブログ、心の支え、楽しみにしております
    ありがとうございました

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  9. ヒーリングに参加してくださった同志の方へ

    こんにちは。
    昨晩はヒーリングに参加していただき、ありがとうございました。
    匿名様のコメントにありますように、眠れて、湿疹の赤味が引けて来たそうです。
    良かったです。
    また依頼があった時には、よろしくお願いいたします。

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  10. 匿名様

    こんにちは。
    昨晩は予定通りヒーリングを行いました。
    眠れて、湿疹も改善した来たと聞き、安心しました。
    息子さんが亡くなった時の衝撃が心に残って、いろいろな形で表れていると思います。
    また何かありましたら、遠慮なく連絡して下さい。

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  11. いくみ様
    ありがとうございます
    眉間の腫れは、まだ時間がかかるのかな?と思いますが、強い赤みがひけているので、気持ちが少し落ち着きました
    以前、いくみ様が
    大丈夫大丈夫と、言い聞かせるのも大切だと、書かれておられたので、私も、大丈夫!と、前向きに、生きてみます
    ありがとうございます
    これからも、ブログ
    よろしくお願い致します
    楽しみにしております
    同志の皆様も、
    ありがとうございます

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