聖書の中に「金持ちとラザロ」と言う話があります。
ラザロはとても貧しく、毎日の糧にも事欠く次第でした。
全身のできものを野良犬がなめているような、哀れな身の上でした。
空腹に耐えかね、豪華な衣服を纏い、贅沢な暮らしていた金持ちの家に行って、食卓から出るくずを分けてくれるように乞いました。
けれども、金持ちはそんなラザロを無視し続けました。
エドゥアルト・フォン・ゲープハルト 1865年 |
そして、金持ちもこの世を去る時が来ます。
死の後に目覚めると、彼方にラザロとアブラハム(旧約聖書におけるイスラエルの民の祖)の姿が見えました。
金持ちはあまりに苦しさに、こちらにラザロを遣わすようにアブラハムに懇願しました。
それに対して、アブラハムはこう答えました。
「思い出すが良い。あなたは生前良いものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない」
今、味わっている苦しみは、生前の行いが原因で生じているので、どうすることもできません。
金持ちとラザロの関係は逆転していて、霊的な隔たりがあるために一緒にはいられないのです。
自分が得たものを、世の中や人のために活かせなかったことを大いに悔いて、地上にいる兄弟たちが同じように苦しまないために、真実を伝えてもらうようにアブラハムに頼みました。
しかし、伝えたとしても信じることはないだろうと言われて断られます。
最近になりこの一文を知りましたが、おとぎ話などではなく、死の後に誰にでも起こり得ることです。
世の中は、急速に2極化が進んでいます。
富む者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっているようです。
たくさんの「ラザロ」と「金持ち」が生まれています。
才能がある者が評価されて、努力して富を築くことは悪いことではありません。
けれども、才能は自分のためではなく、世の中のために与えられたものです。
築いた富を、どう世の中に返していくのかかが問われています。
救いを求めている人を無視するのは、想像している以上に罪なことなのかもしれません。
手を差し伸べなければいけないのですが、自分のことで精一杯になると、その余裕がなくなってしまいます。
自分のことが心配になると、人のことまで心配していられません。
シルバーバーチの霊訓では、心配や不安を抱いたり、取り越し苦労をすることを強く戒めています。
それは、利己的になるのと同じで、他者を無視することにつながるからなのかもしれません。
求めているのは、物的なものだけではありません。
目に視えないもの、心の安らぎや、触れ合いを求めている人もいます。
物的なものが少しくらい足りなくても、心が満たされていれば、幸せを感じます。
その逆に、有り余るほど物的なものがあっても、心が満たされていなければ、虚しさを感じます。
人間の本質は、物質を超えたものだから当然です。
宇宙全体が神です。
宇宙を構成する私たちは、神の一部です。
存在している限り、神とのつながりが断たれることはありません。
世の中から隔絶されていても、心を満たすことはできます。
私たちの中にいる神から生命力が供給されていて、その力は愛を帯びているからです。
愛を帯びているのは、同じく神から供給されているヒーリングの力により病が癒されることで、私自身は実感しています。
霊的につながっているのは、遠く離れたところにいる会ったこともない人に、ヒーリングの力が届くことで実感しています。
地上に誕生して、五感を頼りに生きるようになったので、神の力(生命力)で生かされていること、全てが霊的につながっていることを実感できなくなっただけです。
死んで肉体(五感)がなくなったら、再び強烈に実感するようになるでしょう。
気力が充実している時は、生命力で満たされています。
神とのつながりが強くなっているので、安らぎや悦びが感じられるかもしれません。
反対に、生命力が枯渇している時は、神とのつながりが弱くなっています。
そんな時は、孤独を感じたり、不安や心配や怖れの感情が生じやすくなります。
ヒーリングをすると、心配や不安が和らぎ、穏やかな気持ちになる人が多いのですが、それは魂に生命力が注ぎ込まれたためと考えられます。
神とのつながりを信じない人がいます。
そんな人に質問したいです。
怪我をした時に、傷口が治って行くのはどうしてでしょう?
「自然治癒力」があるからと答えると思います。
その力は、自分の意思で作っているでしょうか?
そうではなく、初めから備わっているものです。
自分の意思とは関係なく、傷口は自然に治って行きます。
自然とは、神が顕現したものです。
自然治癒力とは、肉体を治癒させる神の力が、法則に従って顕現したものです。
傷口が塞がって行くのは、神の御業です。
私たちは、神とつながっています。
それとは別のつながりもあります。
私たちは守護霊と強くつながっています。
また、生前、愛情で結ばれていた人とのつながりも失われていません。
ヒーリングの力が届いて病が癒されるのと同じように、霊界にいるつながりのある人たちから、想いと言う力が魂に届くことで、無意識の内に励まされたり、勇気付けられたり、癒されたりしています。
この世界を自分一人で生きていると思っているとしたら、大間違いです。
内にいる神とつながり、外にいる霊に支えてもらいながら生きています。
そのことが信じられた瞬間、内と外から力が伝わって来て、心配や不安が消えて、心が明るくなるのが実感できると思います。
持てる者が、持たざる者に分け与えるのは、物的なものだけではありません。
孤独な人、愛情に恵まれない人、見放されたと思っている人に、目に視えない存在とつながっていて、常に愛されているという真実を分け与えることで、霊的な飢えが和らぎます。
真実は分け与えても減ることはありません。
知っていて分け与えようとしないのは、飢えたラザロに食べ物を分け与えようとしなかった金持ちよりも、罪深いことなのかもしれません。
気持ちを新たにして、取り組まなければいけないと思います。
出典:Karapaia.com |
イクミ 様
返信削除本日は、母の四十九日で只今お寺で納骨が行われています。
私は遠方で行く事ができず、家で母の事を考えています。
本日もその場にいられない事が本当にやるせ無い気持ちです。
母はどうしているでしょうか。
母が恋しくてたまりません。
主人が道びいてくれているでしょうか。
会いたい、会いたい、会いたい です。
イクミ 様
返信削除先ほどは、感情に任せて投稿してしまいました。
ご失念ください。
あれから、イクミ 様の以前の投稿などを拝読させて頂き、気持ち落ち着いてきました。
いつもありがとうございます。
ルナ様
返信削除こんばんは。
仕事で外出していて、返信が遅れて申し訳ありません。
お母様の49日だったのですね。
前回コメとントをいただき、遠く離れた国にお住いのためにお母様の死に目にも会えず、葬式にも出られないかったルナ様の心中を察すると、かける言葉もありませんでした。
今日も、納骨の場にいられないのは、おつらいですね。
お母様は、向こうの世界に慣れて来ているでしょう。
前にも書きましたが、生前は異国に嫁いだルナ様のことを案じても、行くことはできませんでしたが、今は距離の障壁がなくなり、地上から想いが届く度に、寄り添っています。
ルナ様ご家族が、生活をしている様子を間近に見られ、安心しています。
ご主人は、ルナ様の想いが判っているので、他の人たちと共にお母様を出迎えて、しばらくしたらご一緒に、ご家族の元に行かれたと思います。
孤軍奮闘しているルナ様に、想いを送って励まし、勇気付けてくれているでしょう。
そのことを強く信じて下さい。
そうすれば、魂に想いが届いて、内から力のようなものが湧いて来るのを実感できると思います。
ルナ様には、守護霊、ご主人、お母様の少なくとも3人の霊が付いています。
ご家族に危害が加わらないように守り、ルナ様が成長する方向に進んで行くように導いてくれます。
パッと心の中に閃くものがあったのなら、それは霊界から届いた導きの想いかもしれませんので、大切にして下さい。
こんにちは、イクミさん。
返信削除世界の今の現状を見ると良くないです。今さながら資本主義の失敗と限界を感じます。
TMを1年以上やりましたが大した変化なしです。人によっては多く変わった人がいます。
TMでは心が浄化されるため世界の状況が良くなる言っていました。現状は全く反対の方向にむかっています。
イクミさんから頂いた回答を何度に事があることに読みなおしています。
たぶん自殺はしないと思います、たぶんと書いたのは、これから後10年程度生る事になると予想しています。何が起こるかわからないためです。
霊訓の中に質問形式で書かれいる記事で人は以前より長生きする事するのかとい問に対してシルババー進歩しているからと答えています。日本では困って事になります、支える人が少なくなります。自分に取っては長いしんどい生活を強いられます。そうなったときは受け入れるしかないです。
おじいちゃん様
返信削除おはようございます。
お久しぶりです。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
TMとはTM瞑想のことでしょうか。
1年以上やって、大きな変化がなかったのですね。
詳しくは知りませんが、瞑想により多くの人の自我の働き抑えられ、魂の働きが優位になったら、世界の状況は少しは変わって来るかもしれません。
けれども、行者でもない限り、瞑想ばかりをしているわけには行きません。
現実社会を生きる中で、また自我が優位になると思われます。
地上の経験を通して、時に痛い思いをしながら、少しずつ人間全体の霊性が高まって行き、それに伴い世の中も変わって行くと考えています。
根本的に変わるためには、やはり因果律の働きに委ねるしかないと思います。
大分前のコメントで、知らないうちに首にロープをかけていたと書かれていて、私は大変焦りました。
今も身体はおつらいでしょうが、霊的真理も学ばれて、予定された寿命が来る時まで生きる覚悟を持たれていると思っています。
何が起こるか分からない、本当にそう思います。
実は昨日、このコメントをいただいた頃、親友の訃報が入りました。
発病して1年余りでしたが、ご家族も本人も、こんなに早く逝くとは思ってもみなかったでしょう。。
おじいちゃん様の寿命がいつ来るのかは誰にも分かりません。
10年と言っていて、数か月後に来るのかもしれません。
予定された学びや成長が果たされた時に、肉体が急速に衰えて、向こうに行くことになると思います。
つらい生活を強いられるほど、その時期が早まっているようにも思えます。
前にも書きましたが、全ての出来事は、神の法則である因果律の働きによって起きます。
神の管理下に置かれているので、乗り越えられないことは起きないのです。
これからも、大変なことが起きるかもしれませんが、そんな時は霊的真理にしがみついて、今生を生き抜いて下さい。
イクミ 様
返信削除いつも、あたたかいお言葉ありがとうございます。
時々、なぜ自分がこんな思いをしなければいけないのか、と思う事がありますが今できる事をしていくしか無いと思う様にしています。
年末年始に実家に行く事にしました。
母のお墓参りに行き、父との時間を過ごしたいと思います。
色々と向き合わなければいけませんね。
イクミ様もご自愛下さい。
イクミ様。
返信削除ご親友の方が逝かれたとの事。
先日、私も彼も大変お世話になった方が逝かれたとの事を今日知らされました。
ご葬儀などはご家族で済まされた。
と聞きました。
死んで終わりではない事、学んではおりますが やはりとても寂しいです。
いつも暖かい言葉をくれる方でした。
今頃 あちらで彼と再会しているかも知れないと思います。
この世で学ぶべき事。
それを全うしたのち、私も彼の住む世界に行ける。
辛い事も悲しい事も、それがあるから乗り換えられる事、イクミ様から教わりました。
それでもやはり、自分から彼の住む世界に行きたくなる。
そう思う時も多々あります。
なんとか踏み止まり生きています。
イクミ様からの教えで、そう思い過ごさせていただいています。
辛く悲しい時間ほど、早く会える。
そう信じています。
紀子。
紀子様
返信削除おはようございます。
紀子様と彼と共通の知人が亡くなられたのですね。
暖かい言葉を、誰にもかけられるような人が、先に逝ってしまうことが多いと感じています。
今でも、彼のいる世界に行きたくなるけど、何とか踏み留まって生きているのですね。
魂同士のつながりがある人は、そのような衝動を覚えるでしょうが、何度も言っていますが、この世とあの世に別れて生きること自体に意味があります。
全ては、あの世での幸せのためです。
私の友人は、幼少期に父親がいなくなり、若くして母親を亡くし、先妻が突然亡くなり、子供3人を抱えながら仕事をしていた時期がありました。
人よりも苦労の多い人生でしたが、その分、人より人生は短かったと解釈しています。
今日が告別式です。
紀子様と同じ様に、生きていること、見守っていることを、近日中にご家族に伝える予定です。
明日「親友が逝く」とういうタイトルでアップしますので、よろしかったらご覧になって下さい。