無用な涙が戦争によって流されています。
どれ位の人たちが、次元を異にして生きなければならなくなったのでしょうか。
この現実は到底受け入れられないでしょう。
生命の尊厳を踏みにじり、未来までも破壊してしまう、こんな愚かな行為はありません。
敵の攻撃を受けて、一瞬のうちに肉体から離れて(死んで)しまった人の多くは、そのことに気付いていません。
逃げ惑っていた人は逃げ惑い、戦っていた人は戦おうとしています。
しばらくして見慣れた人間が横たわっているのを見つけるかもしれません。
良く見ると自分です。
なぜ、ここで寝ているのだろうと思います。
駆けつけて来た家族が、「自分」を見つけて号泣します。
自分はここにいるのに、動かなくなった自分がそこにいて、家族が泣いている、状況が理解できません。
家族に呼びかけても、聴こえていません。
体に触れようとしても、手が素通りしてしまいます。
今までと、全く様子が違います。
周囲を見渡すと、生前親しくしていた、既に他界した人たちの姿があります。
皆、微笑んでいて、自分を歓迎しているようです。
ようやく、その時のことを思い出します。
あそこの場所で、撃たれて死んでしまったのかもしれない。
客観的な状況と記憶から、自分はもうこの世にいないことを徐々に自覚して行きます。
肉体はもうありません。
けれども、弾を受けた時の衝撃が幽体にも及んでいるのでしょうか、痛みのようなものを感じます。
予期せずに、肉体から引き離された魂は、少なからずショックを受けています。
次の世界には、そんな人たちを看護する施設のようなものがあり、連れて行かれます。
そこで手厚い看護(愛)を受けながら、少しずつ魂は癒されて行きます。
次の世界は、地上とは比較にならないほど、全てに渡って配慮が行き届いています。
忘れられたり、いい加減に扱われる人はいません。
親が生き残り、1人で逝った子がいたとしても、不安や寂しさを感じさせないような最善の配慮がなされます。
直ぐに最適な人がかけつけて、その子を慈しみながら面倒をみます。
1人ぼっちになることはありません。
肉体がないだけで、何も変わっていません。
意識が向くところに瞬時に移動します。
1番大事な人のところに赴くのは、ごく自然な成り行きです。
しかし、地上の人の悲しみのオーラが、近寄ろうとする人の障壁になります。
生きていて、傍にいることを何度も伝えますが、無反応です。
肉体を失うことで、地上の人に想いが伝えられなくなったことに愕然とします。
死によって、地上の生活は終わります。
次の世界に移行し、新たな生活が始まります。
地上に接した幽界にしばらくいた後に、生まれる前にいた霊界に戻ります。
しかし、戦争によって無理やり次の世界に移った人は、しばらくの間は戻りたいとは思わないでしょう。
地上にいる人が気になり、やり残したこともあるからです。
そのために、どうしても意識が地上に向きます。
地上の人が深く悲しんでいたり、自分を必要としているのを感じたのなら、放っておいて行く気にはなれません。
全ての現象は、自然法則の働きによって起きています。
戦争で死んだとしても、そこには自然法則の働きがあります。
起きること全てが、神の管理下にあると言うことになります。
神は完全なる叡智であり愛です。
完全な公正が行き渡っています。
予定されていたよりも早く地上を去ったとしても、それに対して「埋め合わせ」があります。
この世で経験できなかったことを、霊的に親しい人が代わりに経験することによって、学びが共有され、成長が得られると考えています。
その人は、先に逝った人の分まで生きていることになります。
傷ついた魂が癒された後に待っているのは、苦から解放された世界です。
そこにいるのは、霊的に類似した、想いを共有する人たちばかりです。
この世よりはるかに平和で快適な世界です。
この世にいたかったと思うことは、まずありません。
いたかったと思うのは、残して来た人のことを想う時です。
※感受性の強い人は、影響を受ける可能性があるので、画像を見ないようにして下さい。
写真の男性はキエフに住むセレヒー・ペリビネスさんです。
奥さんと子供2人を、ロシア軍の攻撃で失いました。
セレヒー・ペリビネスさん(New York Times) |
ご家族の死を、twitterに投稿されていた下の写真を観て、初めて知ったそうです。
言葉がありません。
「ここで何が起きているのか知るべきです」と訴えていますので、載せることにしました。
亡くなったセレヒー・ペリビネスさんの家族 |
誰も望んでいません。
生きる目的にはなりません。
あなたが苦しむだけです。
苦しむためではなく、愛し合うためにご家族と出会ったのです。
罪を犯した人間は、神の法則により、厳格に裁かれます。
Будь ласка, не живіть з гнівом чи ненавистю.
Ніхто не хоче.
Це не мета життя.
Просто скуштуйте страждання.
Ми зустрілися не для того, щоб страждати, а щоб любити один одного.
Людина, яка грішить, суворо судиться за законом Божим.
今、死の意味を見つけるのは困難でしょう。
いかに大きな存在だったのかを知り、茫然とするばかりかもしれません、
これから悲しみや苦しみは続くでしょう。
それに対して霊的な報いが与えられることだけは覚えておいて下さい。
そうでなければ、神の公正は保たれません。
Знайти сенс смерті зараз буде важко.
Я вражений розмірами існування.
Смуток і страждання триватимуть і надалі.
Пам’ятайте, що ви можете бути духовно винагороджені за це.
Інакше справедливість Божа не буде дотримана.
人間の本質は魂です。
姿は視えなくなっても、ご家族は存在しています。
記憶も性格も愛情もそのままです。
Суть людини - це душа.
Навіть якщо ви цього не бачите, ваша сім’я все одно існує.
Спогади, особистості та почуття залишаються тими ж.
魂を引き付け合う力が愛です。
愛で結ばれているご家族に別れはありません。
今も一緒です。
どうぞ信じて下さい。
Любов - це сила притягувати душі.
Немає прощання з родинами, пов’язаними любов’ю
я поруч з тобою.
Будь ласка, повір мені.
返信削除すみません、イクミさん、泣きながら、、
To whom accidentally find this blog and these messages from my dear IKUMI-san.
Please please live, love, and believe LOVE, the power of Love.
Please Do Not choose Hate, Kill, nor Die!!!
Please, please, please, forgive us Japanese.
全て失ったとしても、死なないで下さい
憎しみではなく、愛を選んでください。
復讐より、許しを選んでください。
愛する人のために。そして、あなた自身のために。
【український】
Subete ushinatta to shite mo, shinanaide kudasai nikushimide wa naku, ai o erande kudasai. Fukushū yori, yurushi o erande kudasai. Aisuruhito no tame ni. Soshite, anata jishin no tame ni.
【русский】*these two are the SAME. Aren’t they???
Subete ushinatta to shite mo, shinanaide kudasai nikushimide wa naku, ai o erande kudasai. Fukushū yori, yurushi o erande kudasai. Aisuruhito no tame ni. Soshite, anata jishin no tame ni.
【English】
Even though you lose everything, Please pleas DO NOT die!!
Choose love, not hate.
Choose forgiveness rather than revenge.
For loved ones. And for yourself!
ラッパ吹き
The piper
ウクライナとも戦争とも離れて、、この言葉が浮かび上がって、戦争を忘れて、命と死を思いました。
返信削除>その人は、先に逝った人の分まで生きていることになります。
彼女の死を知って悶え苦しんだあの時、頭の中に火花のようにひらめいた言葉が蘇りました。
「私の分まで、生きて。」
生きて
生きて
生きて
>怒りや憎しみは人間を変えてしまいます。
>変わってしまったあなたには会いたくないでしょう。
>生きる意味を見失い、ボロボロになりながらも、生きて来たあなたと会いたいはずです。
どうか、生きて
泣きながら、、、
ラッパ吹き
ラッパ吹き様
返信削除こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
シルバーバーチの霊訓は翻訳されてないでしょうが、ウクライナでも別の形で霊的真理を受け入れている人がいるでしょう。
その人たちが、必要としている人に伝えて行くと思います。
極めて微力ですが、書かなければ何も始まりません。
もしも、このブログを観てもらえたのなら、視えない力が働いていること、霊界の導きを信じてもらえると思います。
遠い過去のことを思い出したのですね。
「私の分まで生きて」と言うインスピレーションは、見届けていると言う意味にも思えました。
一刻も早く終わることを祈るしかありません。
イクミ様
返信削除鬱のことについてコメントさせていただきました者です。
私は去年、メンタル・霊的心理・生活などの雑多ブログを運営していましたが、写真のUPが大変で辞めてしまいました。
(ブログの写真は、著作権や肖像権のことがあるので、自分で撮った写真を加工したり、フリー画像サイトから拝借するのが面倒になったからです。)
でも、霊的心理を広めること・戦争について思うことを改めて発信したく、ブログ再スタートをしたいと考えております。
そこで、長年ブログを運営していらっしゃるイクミ様に二つ質問がございます。
①画像はどのように載せていらっしゃるのでしょうか、著作権等の対策の仕方があれば教えていただきたく。
②私のブログが完成しましたら、イクミ様のブログのリンクを貼らせていただくことは可能でしょうか?
以上、ご多忙中恐縮ですがご教示給われますと幸いです。
匿名様
返信削除こんにちは。
あなたもブログを書いていたのですね。
ご質問の①についてですが、引用に関しては、私も苦慮しています。
以前、若松英輔さんの詩を載せた時に、出版元に電話をかましたが、皆さんに知ってもらいたいと話したところ快諾していただけました。
画像に関しては、基本的にフリーのサイトからダウンロードしていますが、適切な画像がない場合も多いです。
そんな時はネット上に公開されている画像から引用することもあります。
著作権について不勉強で申し訳ありませんが、いくつかの制約があるようです。
引用する必然性のあるものを使う、引用部分を視覚的に区別する、あくまでも補完的に使う、引用元を明示する、等の条件が満たされなければいけないようです。(判例があるようです)
守るように心がけていますが、厳密に言えば条件を満たしていない画像もあるのかもしれません。
画像を載せる理由は、文章の理解を深めるためです。
動機は霊的真理を広めるためなので、許してもらえるのではないかと思っています。
身勝手な解釈かもしれませんので、ご自身の良心に従って下さい。
②ですが、私のブログでよければ全然構いません。
ご自身の経験が霊的真理と結びついて、人のために活かされるブログになることを願っています。
頑張って下さい。
いくみ様
返信削除ブログ読ませて頂きました。
全てを失っなったとしても死なないで下さい…
戦争の意味は私は理解できないし解らない
でも…愛する人を失った悲しい苦しみは解ります。
心から戦争野終わりを願い祈ります。
あさよ様
返信削除こんにちは。
愛する人を失った悲しみ苦しみは、痛いほどお判りになると思います。
せめて、生きていること、また会えることを知ってもらえればと思い書きました。
戦争が早く終わるように祈りましょう。
戦争が終わりますように。
返信削除争いが無くなりますように。
毎日のように悲しい争いが起きていて、苦しいですし、何も出来ず、ただ祈ることしか出来ないです。
イクミさんの翻訳の優しさに涙が出ました。
哀しみの中にいる方々に、
何よりも安寧の地を、
辛いけど穏やかに悲痛に暮れることの出来る時間を、
そして少しでも哀しみが安らぎに変わること、
心から願っています。
祈りを込めて。
ゆらり
ゆらり様
返信削除こんばんは。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
毎日のように戦争の悲惨な状況が映し出される中で、何も出来ないことに、腹立たしさを感じます。
そうですね、悲痛に暮れることさえ許されない人たちのために、戦争の音が消えて、安心して過ごせる日が早く訪れることを祈りましょう。
それくらいしか出来ません。
その祈りに応えて、霊界が一丸となり、ロシアの国民や兵士の良心に、戦争を止めるように働きかけていると思います。
イクミ様
返信削除お返事に対するお礼が遅くなり大変失礼いたしました。
ブログの運営は大変ですよね。特に写真に関しては、肖像権や著作権の関係で本当に厳しいらしいので、フリー画像か自分で撮った写真を加工したものしか使っておりませんでした。
数年前(ブログやる前です)のある日、天気が良いので公園の景色の写真を撮っていたら、急に若い男性に注意をされました。
なにかと思ったら、私が写真を撮っている先に園児の集団がいたのです。
園児の写真をとっていると勘違いされたのか…。それだけ厳しいということなのでしょうね。
ブログがもし完成したらリンクを貼らせていただけるとのことありがとうございます。
実現するよう、頑張っていきます。
匿名様
返信削除こんにちは。
公園の景色を撮っていたら、その先に園児がいて、注意されたのですね。
ちょっと行き過ぎかなと思いますが、世の中全体が厳しくなって来たのは確かです。
画像の引用のコンプライアンスに関しては、車の運転と似たように思えます。
スピードが40キロ制限のところを、41キロで走っていれば違反です。
取り締まっても良いのですが、現状に見合っていないので、許容されているように思います。
霊的真理について、自分の言葉で自由に書く人が増えて来たと感じています。
多くの人に真理を知ってもらいたいという気持ちで書いていれば、間違いありません。
あなたらしさが出ているブログを完成させて下さい。