東京オリンピック・パラリンピックが終わりました。
当初は、コロナ禍での開催を疑問に思っていました。
いざ始まると、持てる限りの力を出し切り、良い結果が出た時の選手の歓喜の姿に、素直に感動しました。
中でも印象的だったのは、パラリンピックの女子マラソン(視覚障がいクラス)で、金メダルを取った道下美里選手の笑顔でした。
インタビューで、「最強の仲間と伴走者がいたので、ここに辿り着いた。」と答えていました。
この競技に出場する選手は視力が失われているので、伴走者が付いて一緒に走ります。
伴走者は、選手に進路を指示したり、ラップタイムや他の選手の情報を伝えたりしています。
今回のオリンピックでも、ラストスパートをかけるタイミングを計っていたのは伴走者であり、道下選手がそれに応え、最高の結果を得ることができました。
競技中だけではありません。
道下選手は、練習で毎月600~700Kmも走っているそうです。
当然のことながら、伴走者も同じ距離だけ走っていることになります。
これだけの距離を走れるのは、選手と伴走者は同じ目的に向かって進んでいる同志という思いがあるからでしょう。
そんなこともあり、優勝した歓びを分かち合い、感謝の言葉が自然に出たのだと思います。
伴走者には、1つのルールが課せられています。
それは、選手の前を走ってはいけないということです。
前を走ると、選手を助けた(助力)とみなされて失格することがあるので、前に行かないように、常に注意を払っています。
この競技を知って、あることを思い浮かべました。
地上の人と守護霊との関係です。
守護霊は、生まれた時から死ぬ時まで、生涯に渡り1人の地上の人に付いています。
選手がコースから外れそうになった時に、伴走者がコースに戻しますが、それと同じように、地上の人が予定していた人生のコースから外れそうになった時に、様々な手段を駆使して、元に戻そうとしています。
伴走者は言葉で指示を伝えていますが、守護霊にはそれは出来ません。
言葉を超えた思念で伝えています。
それがインスピレーションとなって地上の人に伝わっています。
もし、何の考えや、脈絡もなく、「こうしてはいけない」、「こうしなければいけない」そんな衝動が心の中に生まれたのなら、守護霊から思念が伝わって来たせいかもしれません。
両者が緊密な関係であれば、衝動も感じずに、無意識に行動に移していることもあると思います。
視力を失った選手の代わりに、伴走者は周りの状況を把握しています。
地上に生まれた人も、霊的な視力を失っています。
何のために生まれたのか、どんな人生を歩むのか、いつ死ぬのかも分からなくなってしまいます。
霊的に盲目になってしまった地上の人が、生まれて来た目的を果たすために、守護霊は付いています。
人生の要所で、正しい選択をするように働きかけています。
けれども、地上の人の自我が強くなってしまうと、働きかけが上手く出来なくなってしまいます。
欲に溺れたり、誘惑に負けたりして、道から外れてしまう時があります。
外れていることに気付いたり、その先で痛い思いをして、元に戻って来ることを期待して、守護霊は地上の人をなすがままにさせることもあります。
中には、死ぬまで元に戻らない人もいるでしょう。
そんな人は、死後に人生を振り返る時が来て、後悔することになります。
後悔を晴らすために、今度は道を外れないと決意をして、誘惑の待ち受ける地上に、再び生まれることになると考えられます。
マラソンでは、伴走者の走力が選手より高くないと、足を引っ張ることになります。
同様に、守護霊の霊格が地上の人よりも高くないと導くことはできません。
しかし、高すぎてしまうと波長が合わなくなり、インスピレーションは上手く伝わらず、導くのは難しくなると考えられます。
従って、守護霊として付くのは、地上の人と同じ類魂の上位にいる者と考えています。
選手が疲れてきて、苦しそうにしていれば、伴走者は「がんばれ!まだ走れる!」などと、声を出して励ましたり、気持ちを鼓舞しているでしょう。
地上の人が困難な状況に陥り、だめかもしれないと思いかけたのなら、守護霊は乗り越えさせようとして、必死に思念を送っているでしょう。
思念はエネルギーです。
受け取った瞬間、内から力が湧いて来るのが感じられるかもしれません。
選手に走ろうという気持ちがなければ、伴走者は必要ありません。
同様に、地上の人に何もする気がなければ、守護霊はお役御免です。
何かをしようとする意思に協調して、守護霊も動き出します。
迷っている時には、一歩を踏み出させようと後押をしているでしょう。
「何とかなる」「上手く行く」そんな前向きな気持ちが生まれたのなら、それは守護霊から思念が届いていたのかもしれません。
選手が走り出したら、伴走者も一緒に走り出します。
止まったら、一緒に止まります。
守護霊も同じです。
地上の人が動き出したら、守護霊も一緒に動き出します。
止まったら、動き出すまで、じっと待っています。
競技では、途中で歩く選手も、立ち止まる選手もいます。
疲労が限度を超えたり、体調が悪くなったのであれば、やむを得ません。
再び走り始める人もいれば、途中で棄権する人もいます。
人生は苦しくても棄権はできません。
立ち止っても良いでしょう。
動けるようになったら、前に進むしかありません。
進もうとする意思に守護霊は連動し、一歩を踏み出させようとしています。
止まっているのも、決して楽ではありません。
むしろ苦しみを感じます。
何故ならば、人は成長するように定められているからです。
苦しみを通して、成長する方向に進むように促されているからです。
死は、地上の人生のゴールです。
悲劇ではなく、苦しみからの解放です。
先に逝った人たちが待ち受けていて、ゴールを祝福してくれます。
そして、守護霊の存在に気付くでしょう。
地上から解放された喜びを共に味わいます。
やがて、地上の人生を振り返る時が来ます。
惜しみない援助を与えてくれたこと、予定されていた人生を歩むために導いてくれていたことが、はっきりと判ります。
目的を果たし、予期していた学びや成長が得られたことを知り、感謝の気持ちが湧き上がります。
たとえ存在は感じられなくても、守護霊が守り導いてくれていることを、強く信じましょう。
一人ぼっちになっても、守護霊だけはいます。
人生の主役は地上の人です。
責任は地上の人が負います。
従って、進む方向を決めたり、表立って助けることは許されません。
頼ってしまうと成長につながらないので、存在が感じられなくなっていると考えられます。
成長するために生まれて来た、地上の人の人生を並走しています。
目をつむりながらでは、怖くて歩けません。
走るのは、想像している以上に怖いはずです。
伴走者を絶対的に信じていなければ、思いっ切り走ることはできません。
両者は信頼と言う絆で結ばれています。
ちなみに、選手と伴走者を結ぶロープのことも「絆」と呼ぶそうです。
伴走者が右手に持っているのが「絆」(読売新聞より) |
地上にいる私たちは、守護霊をもっと信頼して、怖がらずに、勇気を出して、思いっ切り人生を走らなければいけないと思います。
いつも素敵なブログをありがとうございます。
返信削除私もマラソンを見て、感動しました。
選手と伴走者が信じ会えるからこそ、走れるのだと思いました。また、他の競技は自分を信じるからこそ、頑張れるのだろうと感じました。
迷うといつもこちらに書き込みをしてしまいます。申し訳ありません。
故人との約束事、夢に突き進むが出来ず休んでいます。
ブログにも優しく休んでよいのだと書かれていましたが、私は立ち止まっていても前ほど苦しくなく、どうしたらよいのかわからなくなってしまいました。前ほど純粋に頑張れる気がしません。
自分のなかで何が起きているのか分かりません。
それでも夜中に目が覚め、夢の実現のための考察は止みません。
故人を感じることもあまりなくなりました。
私の伴走者も私を遠巻きにしてしまったのかなと思うほど、自分に熱意がなくなってしまいました。哀しいです。なにもしたくありません。自分を責めなくてもよいのだと、つい最近も友人が言ってくれましたが、なかなかとらわれてしまって動けません。
前に進め、うまくいく、うまくいく、そう感じても、信じられないので動けません。
どうしたらよいのか、悩むのですが、前ほど真剣じゃない自分に哀しみを感じます。
何が書きたかったのか、わからなくなりました。いつもとりとめない言葉で申し訳ありません。
自分の事ばかりで申し訳ありません。
ゆらり
ゆらり様
返信削除おはようございます。
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
以前、話されていた、故人との約束したことを成就しようとする熱意が失われかけているのですね。
故人は、自分と約束したことを、是非果たしてもらいたいと思っているでしょう。
それが、あなたの今生の成長にもつながると信じていると思います。
このブログにも書きましたが、あなたの心の中に夢を実現したいと言う意思がなければ、何も始まりません。
何事も情熱を持ち続けるのは難しいものですが、当初の想いを復元することは無理でしょうか?
原因は、故人のことを以前よりも身近に感じられなくなっているからではないでしょうか。
前に進め、うまくいく、うまくいく、せっかくそう感じていても、あなたが信じられないのであれば、故人の想いがあなたの中で力とはなりません。
あなたの中で、故人の存在が消えかかっていて、想いと言う力が届かなくなっていると思います。
もし、情熱を注いで、成長できることが他に見つかったのなら、故人は黙って去るでしょう。
そうでないのであれば、初心に帰ってみる必要があるのではないでしょうか。
シルバーバーチの霊訓にも、この様なことが書いてあります。
「まだまだ精進が足りません。現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか。今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。時の流れとともに煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。」(一部抜粋)
あなたも、いずれ向こうの世界に行きます。
故人と再会することになります。
今のままでは、夢を果たせなくてごめんなさいと謝りながら会うことになります。
胸を張って笑顔で会いたくはないでしょうか。
約束した夢を実現することが出来ると、信じて下さい。
そして故人の存在、想いが届いていると、心から信じて下さい。
それは事実なのですから。
迷っている自分を導いて下さいと、心から祈って下さい。
そして、答えが返って来たのなら、それを糧にして前に進んで行きましょう。
優しいコメントをありがとうございます。
返信削除おっしゃる通り、情熱、信じる力が弱っています。
何度もコメントに信じるという言葉が登場し、とにかく信じろと故人が訴えているような気さえしました。
初心に……夢を追うのは故人との会話がきっかけでした。それを思い出すのも初心に返ることになるでしょうか。いつまでも過去にとらわれ、思い出のみを反芻ばかりしてしまう、なんとも情けないことになりそうです。ただ、幸せな気持ちになって、信じる心は復活しそうな気はします。
私は胸を張って頑張ったけどダメだったとか、やってやったぞと、言いたいです。そして感謝を述べたいです。
気持ちや思いが大事、想いは届くのだというのを故人が一番教えてくれたのに、それは現実にあった事実だと思い出しました。
イクミさんのおっしゃるように、信じ、祈る、そして前に進めていけたらと思います。
励ましてくださって、ありがとうございます。年に一度くらいの頻度で心が折れそうになってしまい、毎度申し訳ありません。
ゆらり
いくみ様
返信削除ブログ拝読させて頂きました。
陸上競技の伴走者
私もとても感動しました。
守護霊との関係のお話は心にひびきました…
私は守護霊、逝った家族の霊の存在を実感できます、
悩み迷う事ばかりの日々ですが…ふっと大丈夫上手く行くた思えるようになり
少しですが、成長してるのか?と。
一人ぼっちになっても守護霊だけは居ます
本当ですね!!
コロナ禍
何を信じ何を求めたら良いのか問う日々
でも…
地上にいる私たちは、守護霊をもっと信頼して、怖がらずに、勇気を出して、思いっ切り人生を走らなければいけないのですね��
いくみ様
いつも勇気と元気を貰えるブログ、ありがとうございます。
ゆらり様
返信削除こんばんは。
故人との会話を思い出しても良いのですが、その時の想いは今も続いていることを忘れてはいけません。
あなたなら夢を叶えられると思ったからこそ、何度も伝えていたのだと思います。
故人は霊界にいるので、視界が開け、先を見通せる状況になっています。
あなたがその気になり、自分のことを信じてもらえれば、必ず叶えられると伝えたいのだと思います。
共同作業は、今も続いているのです。
イクミ様
返信削除こんばんは。
今でも想いは続いています。それなのにくよくよとしていました。自責の念にとらわれているからだとおもいます。それも気にするなという想いを受け取っている気がします。
たまに自己暗示かもと思うことはありますが、イクミさんの共同作業は続いているとのお話も信じていきたいです。
実感は無くとも、何か気づきがあるので、それも信じます。
いつもありがとうございます。
あさよ様のコメントも拝見し、信頼、勇気という言葉もいただきたいと思います。
あさよ様
返信削除こんばんは。
早速読んでいただき、ありがとうございます。
霊界にいる人とのつながりを信じるほど、その恩恵に浴することが出来ます。
不安な時、心細い時に、一緒にいてくれると思いを寄せると、心がぱっと明るくなったり、温かくなるのを感じられると思います。
それが愛の力です。
マラソンの伴走者にはメダルはありません。
選手が良い結果を出して、喜んでいる姿を見るのが報酬だと思います。
もちろん、利他的な行為に対して、霊的な成長が得られています。
霊界で守り導いている人たちにとって、地上の人の成長して行く姿を見るのが悦びであり、報酬となります。