子供の頃、学校でケンカをすると先生に呼ばれます。
先生は両者の言い分を聞いて、悪い方を謝らせて、もう一方に「許してやりなさい」と言います。
自分に非がなければ、もちろん相手に対して怒っています。
投げやりに「ごめんなさい」と言われようなものなら、許せるはずもなく、怒りが倍加してしまいます。
地上は、自分とは違う様々な人と関わり合いながら生きる世界です。
そのために、許せないようなことがしばしば起きます。
去年、池袋で凄惨な交通事故が起きました。
加害者の男性は、自分の非を認めず、謝罪もしないので、遺族の男性は許せるはずもありません。
どんな想いでいるのか分かりませんが、ひどく苦しんでいると察せられます。
当然のことですが、対象を許していなければ、怒りや憎しみが生じます。
怒りや憎しみが生じると、因果律の働きにより、苦しみが生じます。
内にあると苦しいので、外に表現して出したいのですが、攻撃的あるいは暴力的なものになってしまうために、多くの人は控えています。
人から「許してあげなさい」と、どんなに言われても、許せるものではありません。
許そうと努力をしても、許せるものでもありません。
許す、許さないは、自分の意志とは別次元の問題だからです。
人間は、霊(魂)、精神、肉体から成り立つ存在です。
食物を食べて、それをエネルギーに変えて、肉体は活動をしています。
魂は、それとは別次元のエネルギーが供給されて活動をしています。
「生命力」とも言える、神的なエネルギーです。
精神はそのエネルギーが変換されたものによって活動をしています。
神的なエネルギーにより生命は活動していますが、供給される「量」は精神のあり方によって影響を受けています。
精神のあり方は、環境によって大きく変化します。
身に危険を感じれば、怖れや不安が生み出されます。
怖れや不安、取り越し苦労があると、エネルギーの供給は妨げられてしまいます。
エネルギーの供給が少なくなれば、それに伴って精神活動は停滞してしまいます。
また、エネルギーの「質」は、受け取る側の魂の成長度によって変わります。
成長度が低ければ、高いエネルギーを享受できません。
成長度が高い人ほど、より神性を帯びたエネルギーを受け取ります。
精神は霊(魂)の反映です。
自分の霊性を超えた精神活動は出来ません。
それぞれの成長度に見合った、精神活動を行っています。
精神活動は肉体的表現によって成就されるので、その人の言動には魂の成長度が反映されていることになります。
同じことをされても、怒り心頭の人もいれば、怒りが生じない人もいます。
性格の違いと言えますが、魂の成長度が反映されていると考えられます。
成長するほど、愛を帯びたエネルギーが流れるので、怒りは生じにくくなります。
私たちは、精神を通して魂(自分)を表現しています。
精神は、地上の影響を受けて、絶えず変化しています。
地上では自分と違う人たちと生活しています。
そのために、お互いの違いを認め合わなければ反発が生じます。
また、肉体があるために利己的になりがちです。
そんなことから、他者から思いもよらぬ苦痛を伴う行為を受けることがあり、精神は大きく変化して、エネルギーの質は歪められて、時に怒りや憎しみが生じてしまうことがあります。
神から供給されるエネルギーは完全ですが、それを受け取る魂で制約を受け、精神によって歪めらてしまいます。
神は独立した存在ではありません。
全宇宙です。
私たち人間も神の一部です。
1人1人は神とつながり、全生命とつながっています。
それぞれが独立しているように思えますが、それは肉体しか視えないからであり、霊的にはつながっています。
全生命は、神の心を表現するために存在しています。
神の心は愛です。
より高い愛を表現するためには、私たちは成長しなければならず、そのために地上に生まれて様々な経験をしています。
地上の苦しみが、根本から自分を変えて行きます。
怒りに苦しまないためには、魂を成長させて、寛容になるしかありません。
神の公正は完璧です。
過った自由意思の行使によって起きた出来事、非のないことで生じた苦しみに対しては、魂の成長をもたらしていると考えられます。
それが、シルバーバーチが言う「埋め合わせの法則」の働きと考えられます。
北朝鮮に拉致された被害者のご家族を見て思うところがあります。
拉致された横田めぐみさんのお父様である滋さんは、去年亡くなられました。
理不尽な理由で我が子を誘拐され、40年以上にも渡り想像を絶する苦しみを味わって来られて、ご自身が望んでいたわけではありませんが、極めて高い寛容心を身に付けられていたのではないかと、優しく、柔和な姿を見る度に、勝手に想像していました。
地上を去り、あらゆる制約が取り払われた今、めぐみさんの元に赴き、その姿を間近に見れるようになり、安堵されていると思います。
出典:朝日新聞デジタル |
許そうと思っても、許せるものではありません。
許しとは、意識的な作業ではありません。
自分が変わり、成長することによって成就されます。
許せなかったことを、許せるようになるのは、自分が変わり、魂が成長したからです。
許しとは、魂が成長することにより、神性を帯びたエネルギーを受け取るようになり、怒りや憎しみや恨みなどから解放されることです。
許せないようなことが起きるのは、地上ならではです。
低い界層を除いて、同類の人間しか周りにいない霊界においてはあり得ません。
貶められたり、裏切られたり、傷つけられたり、大切なものを奪われれば、許せないのは当然と言えます。
けれども、許すことのできない事象は起こりません。
全てが自然法則の働きの枠内で起きているからです。
そして、私たちは神の心を宿しているからです。
全ては許す方向に向かっています。
魂が成長するように定められているからです。
許せないと苦しいのは、自然法則の働きによって、許す方向に導かれているからです。
池袋の交通事故で、ご遺族、加害者の双方に必要なのは、霊的な真実です。
亡くなったご家族は今も生きていて、また会えることを知れば、ご遺族の苦しみは少しは和らぐでしょう。
事実から目をそらし、非を認めようとしない加害者を哀れに思います。
不注意で起こした事故そのものよりも、非を認めずに謝罪しないために遺族に与えた苦しみの方が罪が深いと考えられるからです。
法律から逃れられても、法則から逃れることは絶対にできません。
その先で苦痛による償いをしなければならないことを知れば、慌てて許しを請うかもしれません。
神の法則の働きを知ることで、許しへとつながって行くはずです。
いつも楽しみに拝読しています。
返信削除死後私たちは霊界に赴くと思うのですが、何らかの理由で霊界に往くことができない霊体というものは存在するのでしょうか?
その霊体は、自分が死んだということを認識できず、俗に言う地縛霊のような存在としてこの世を彷徨うことになるのでしょうか?
以前の記事で善くない霊についての記載があったように記憶しているのですが、その善くない霊とは具体的にはそのような霊界に往けなかった者たちなのでしょうか?
もふもふ様
返信削除お久しぶりです。
早速、ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
ご質問の件ですが、死後霊界に行けない霊はいます。
言われるように、死んだことを認識できずに、地上に生きていると錯覚している霊です。
また、地上的なものに執着している霊も、死んでも意識がこちらに向いているので、霊界が視えていません。
今回のテーマではありませんが、地上に生きている人や社会に対して、憎しみや恨みを強く抱いていると地縛霊になる可能性が高いと思います。
霊界に行けなかった霊が、全て善くない霊とは限りません。
事故などに遭い死んだことを意識していないだけの場合もあります。
また、地上に残して来た人のために、あえて霊界に行かない霊もいます。
イクミ様
返信削除いつもお世話になっております。平田です。5月に潰瘍性大腸炎で、入院をしている私の弟のヒーリングをして頂きました。たくさんの方がヒーリングや、祈りをして頂き本当に感謝しております。知らない人に祈るという事が私の中にはありませんでしたので、とても驚きました。心がとても温かくなりました。
弟は出血がなかなか止まらず、薬の治療では無理なようで大腸はとってしまったのですが、前向きで頑張っています。
あと、私は以前パーキンソン病で何回かヒーリングをして頂きました。先月新しい先生に変わって診察に行きました。症状がでだして20年くらい経つのですが、今の状態をみて驚かれていました。薬は飲んでいるのですが、薬でここまでコントロールをするのは珍しいと、見たことがないと言ってました。
私も弟も、まだまだ先は長いので取り越し苦労はせずに前向きに、なにかあったらその時に考えるように生きて行きたいと思います。イクミ様たちのおかげで、私も頑張れそうです。ありがとうございました。
イクミ様もお体に気を付けてお過ごしください。
平田様
返信削除おはようござます。
弟さんは出血が止まらずに、大腸を取ったのですね。
たくさんの人にヒーリングや祈りに参加していただいたので、良くなるのと期待していたのですが、残念です。
けれども、前向きに頑張っていると聞き、安心しました。
あなたの病気の症状は落ち着いているようで良かったです。
そうですね。
先は長いですが、全ての事象が神の法則の働きによるもので、意味があって起きていますので、難しいとは思いますが、取り越し苦労をせずに、今を生きて行きましょう。
この世の苦労は、魂の成長という形で報われ、向こうの世界で悦びとなることを忘れないで下さい。
コロナがまた流行して来ましたので、油断をせずにお過ごし下さい。
何かりましたら、遠慮なく連絡して下さい。