2021年6月13日日曜日

誰かのために生きる

 

昔の私が「何のために生きているの?」と、誰かに質問されたのならば、答えられなかったでしょう。

答えを知っている人がいれば、教えて欲しいと尋ねたかもしれません。



今、同じ質問をされたのなら、迷わず「成長するため」と答えます。

生まれて来た目的も、生きる目的も、その1点に集約されます。



死の後も生命は続いています。

この世界で成長して、次の世界で自分をより活かすために、今、生きています。



「どうすれば成長するの?」と質問されたのなら、「誰かのために、何かをすること」と答えるでしょう。

そして「人生で起きる出来事を乗り越えて行くこと」と付け加えるでしょう。

「何でそうなの?」と問いただされたら、「そのような決まりになっている」としか答えようがありません。



肉体的な成長と違って、霊的な成長は目に視えるものではないので実感はありません。

自分は成長しているのだろうか?と思う時もありますが、特別なことをしていなくても、少しずつ成長していると考えられます。

私たちは、生活して行くためにお金を稼がなければなりません。

そのためには、働かなければなりません。

また、家の中にも働く人がいなければ、生活は成り立ちません。

働くとは、すなわち誰かのために何かをすることです。

地上は、生きていくために、誰かのために何かしなければならないので、自然に成長するようになっていると思います。



生きていると様々な出来事が起こります。

起きた出来事は、寸毫たりとも変えることはできません。

人生が大きく狂わされる出来事や、立ち直れそうにない出来事も起きることがあります。

そこから、失意、絶望、挫折、あるいは怒りや憎しみや恨みなどの想いが生じるかもしれません。

それは、人間として自然なことだと思います。

けれども、そんな想いを抱き続けていると、人は苦しみを感じるようになっているようです。

成長を妨げているからです。

水は上流から下流に流れています。

流れの中に留まっていると、水の抵抗を感じるのと同じです。


生命は成長するように定められています。

成長を妨げているものがあると苦しみを感じるのは、自然法則(神)が生命を成長させるように働いているからです。

自然の流れに従って生きるようになっています。



今から20年前の6月8日に、大阪で大きな事件が起きました。

小学校に男が突然乱入して、児童生徒8人が殺害されました。

安全であるはずの学校で起きたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えました。



元気に登校したはずの我が子が、冷たくなって自宅に帰って来る。

これ以上、信じがたく、理不尽なことがあるでしょうか?

まだ小さく、罪のないお子さんを失ったご家族が、どのような心境だったのか、想像すら出来ません。

突き付けられた現実に、きっと地獄のような苦しみを味わっていたと察せられます。



この事件は、犯人の自由意思によるものですが、この世を憎む霊が憑依をして、想いが増幅されて、犯行に及んだ可能性があります。

死刑の判決が下され、反省や謝罪もないまま、2004年に刑が執行されました。

肉体を失った後、今度は憑依する立場になるかもしれないことを、裁判官は知る由もありません。

ご遺族や被害者も、納得できるはずはありません。



ご遺族や被害者には、事件を忘れてはいけない、無駄にしてはいけないとの思いがあるようです。

当時7歳(小学2年生)の本郷優希ちゃんを失った、ご両親の紀宏さんと由美子さんは、そんな思いを持つご遺族です。

本郷優希さん(遺族提供)産経新聞より

上の写真を見るだけでも、どれだけ愛しく、大切な存在だったのかが、何となく判るような気がします。

何の罪もない、可愛い我が子の命を奪った犯人に対する憎悪の感情は、壮絶なものがあったと察せられます。

父親である紀宏さんは、優希ちゃんを守れなかったことに対して、強い自責の念があったそうです。

事件から数年は「生きるのを放棄していた。感情も表せず、自分が壊れた状態だった。」と言っています。




ご両親は、ある事実に衝撃を受けていました。

それは、犯人に教室で刺されて致命傷を負いながら、廊下を歩いて外に逃げようとした優希ちゃんの生きようとする姿勢でした。

その時の事を、お母さんである由美子さんは、こう語っています。


「娘は心臓を刺され、即死だったと警察から聞かされていました。でも事件からしばらくして、教室で刺された娘が、致命傷を負いながらも廊下まで逃げ出て、校舎の出口に向かって懸命に歩いていたことがわかったんです。私は娘が力尽きた現場に行き、廊下に点々と続く血の痕をたどりました。私の足で68歩分。娘はどんな気持ちだったのか、私は少しでも感じたくて、毎日毎日その廊下を歩きました。最初は「お母さん、助けて」と言っている娘の苦しそうな顔しか浮かんできませんでした。

でも痛みに寄り添っていくうちに、本当に最期の瞬間まで一生懸命生きようとした娘の笑顔が浮かんできたんです。ああ、人が生き抜く力はこんなに強いんだって、娘が命がけで教えてくれた。だから私は、ここで止まってはいけない、ちゃんと歩いて行こうと思いました。だけど、あまりにもつらいことだから、「神様、私はこの68歩分をしっかりと生きます。もし願いをかなえてもらえるなら、69歩目を娘と一緒に歩かせてください」と誓ったんです。」


苦しいときに、静かに寄り添ってくれた人たちの存在が何よりも支えとなり、自分は一人じゃないと感じることができたそうです。

自分も誰かの支えになりたいと思うようになった由美子さんは、事件から4年後、対話を通じて傷ついた人をケアする精神対話士の資格を取得したそうです。

「生きる力~愛(かな)しみと共に生きて~」というセミナーの中では、「あなたは、これだけ大変なことがあって、今こうして生きている。私はちゃんとそれを 見ているよ、見守っているよ。共にいるよ。」これが本当にうれしい寄り添いになると思う、と語られています。

そして、昨年11月に、お寺の敷地内に「ひこばえ」という、グリーフケアのための小さなライブラリーを開設しました。


夫の紀宏さんも、事件から3年後に講演活動を始めます。

多くの人に、学校の安全や犯罪を社会全体の問題として考えなければいけないことを伝えたかったそうです。

〈講演記録はこちら〉



講演をすれば事件のことを思い出すのでつらいでしょうが、今までに150回行って来たそうです。

どんなに行っても、ご自身の悲しみや苦しみが消えるわけではありません。

それでも続けて来られたのは、こんな悲劇が2度と起こってはならない、子供の死を無駄にしてはいけないと強い思いがあったからです。

何かをせずにはいられなかったのだと思います。



優希ちゃんは学校の先生になりたかったそうです。

この世を生きられなかった優希ちゃんのために、お父さんは子供たちのために何かをしたかったのでしょう。

子供たちに、命の大切さを伝えているそうです。

「あなたがどれだけ大切な存在か、自分が愛されていると分かれば、他人の命の尊さにも気付くはず」と、お父さんは語っています。

それは、優希ちゃん自身が、この世を生きている子供たちに伝えたいことでもあると感じました。

優希ちゃんの想いは、お父さんを通して、地上の人に伝えられていると思います。



事件から20年が経ち、今のお父さんの気持ちが新聞記事に載っていました。

ある文章のところで目が留まりました。

お父さんの魂は目覚めていて、優希ちゃんの生を確信していると思いました。

文字が小さいので、下記の切り抜きより文章を抜粋します。

「優希のどんな気持ちにも寄り添おうと思い始めてから、普通に会話が出来るようになった」~本文中段より~

「日々を重ねてこられたのは、優希さんの名前の通り「優しい希望の光」として自分の中に生きているから」~本文下段より~

あまりの悲しみのために、精神に変調を来してしまったのではありません。

生きている次元は違っても、信じることができれば、想いを交わし合うことはできるのです。

強い愛で、お父さんの魂と優希ちゃんの魂はしっかりと結ばれているのです。

2021年6月9日上毛新聞より

引用した上記の講演記録からも抜粋します。

~優希が大好きだった1年生のときの担任の先生は、4月から他の小学校に転勤していたのですが、発表会のことを聞き、優希の代わりに弾かせてほしいと言ってきてくださいました。発表会で、先生は優希の順番だった4番目に登場。プログラムにない特別演奏で、「剣士の入場、本郷優希ちゃんです」とのアナウンスを受け、ピアノを弾きました。終了と同時に、約150 人の客席から拍手が沸き、全員で黙とうをささげてくれました。

 先生は演奏後、「甘えん坊の一方で愛嬌のあった優希ちゃんがまだそばにいるようで、1人で弾いている気がしなかった」と、思いを語られていました。私には、一緒に演奏している優希と、演奏後先生をうれしそうに見上げ、笑顔で寄り添っている優希の姿がはっきりと見えていました。先生の暖かいお気持ちに、感謝の思いで胸が熱くなりました。~



これ以上ない悲しみの中で、優希ちゃんは生きていることに気付かれたのです。

そして、苦しみの果てに、人は誰かのために生きていると言う真実に辿り着かれたのです。



胸を張って、笑いながら、優希ちゃんと一緒に「69歩目」を歩くために、ご両親は今生を生きています。

地上を去った瞬間、その願いは叶えられます。



神の公正は完全です。

生きる意味を見失うほどの出来事を経験しながら、誰かのために何かをしようとする想いに対し、自動的に成長と学びがもたらされます。

そのことを知っている優希ちゃんは、会える時までご両親を優しく励まし続けるでしょう。



参考ページ:「その一瞬の時のために強く生き抜く」



よろしかったら聴いて下さい 「Tears in Heaven 」 Eric Clapton 




16 件のコメント:

  1. 新聞の記事、興味深く読ませていただきました。

    私が小学生になった頃は、学校の防犯対策がとても厳しくなった時ですが、この事件がきっかけだったと聞いていました。


    文字からでもご両親の心労は相当なもので、まさしく生き地獄だったろうと思います。

    しかし、娘さんの気持ちに寄り添っていくうちに、前を向けて本当に良かったです。

    次の箇所が本当にいいですね。

    “でも痛みに寄り添っていくうちに、本当に最期の瞬間まで一生懸命生きようとした娘の笑顔が浮かんできたんです。ああ、人が生き抜く力はこんなに強いんだって、娘が命がけで教えてくれた。だから私は、ここで止まってはいけない、ちゃんと歩いて行こうと思いました。”

    優希ちゃんもそんなご両親の姿を見て感謝の気持ちでいっぱいだと思います。

    やっぱり人間の原動力は”心”なんだなぁとしみじみ思います。

    優希ちゃんの笑顔の写真を見ていたら、私も元気を貰いました。自分ももう一度襟を正して、明日からの日々を大切に生きます。

    全ては生かされている、その言葉をいつでも自分に言い聞かせて生きていきます。

    私も優希ちゃんの死を無駄にしない1人になれたら幸いです。


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  2. ナオヤ様

    こんにちは。
    早速、読んでいただき、ありがとうございます。

    亡くなった子供たちは、同世代ではないでしょうか。
    この事件で学校の安全神話が崩れ去りました。
    お父さんが講演の中で話されていますが、学校の門が開いてなければ、犯人は中に入るつもりはなかったと言っているので、悔やんでも悔やみ切れないそうです。

    最期の瞬間まで一生懸命生きようとした、優希ちゃんの笑顔が浮かんで来たとお母さんは言っていますが、それは背後霊によってもたらされた、実際の映像ではないかと思っています。
    これほどの事件であれば、霊界から多大な援助の手が差し伸べられていることでしょう。
    お母さんは生き抜く力の強さを教えてもらったそうですが、どんな出来事であっても、そこから学ぶことがあるのだと、改めて思いました。

    偶発的と思える事故であっても、亡くなる子は優希ちゃんのように、優しく思いやりのある良い子ばかりのように感じるのは私だけでしょうか。
    そうですね、写真に写る優希ちゃんの笑顔は、人に元気を与え、優しい気持ちにさせるものがあると思います。
    次の世界で優希ちゃんは待っていると分かっていても、この目で可愛い我が子の成長を見られないご両親の気持ちを考えると胸が痛くなります。

    ご両親は、犯人を憎むのではなく、そんな行動をさせてしまった社会を変えて行かなければならないと思っているようです。
    最愛の子を失って20年の歳月により、格段の成長をされていると思います。
    優希ちゃんも、きっと同じ様に感じていると思います。

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  3. 優希ちゃんのご両親は、ある時までは加害者を激しく憎んでいたのです。誰でも人間はこんなことがあれば皆犯人を憎みます。
    しかし、優希ちゃんのご両親は何年かかったかは分かりませんが、その憎しみをようやく乗り越えられたのです。憎しみや恨みからは何も生み出せないと感じられたそうです。そこまで気持ちを前向きにさせるのはどれだけ大変だったか、お辛かったかと思うと涙が出ます。

    私は一昨年、当該小学校に行き、家族とその話をし、手を合わせました。
    こんなことがなくなるよう私も更に社会に協力できればと思っています。

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  4. 匿名様

    こんばんは。

    ご両親の心の変遷を教えていただき、ありがとうございます。
    親として、憎むなと言うのが無理でしょう。
    それでも、憎しみや恨みは摂理に反した想いなので、自らに苦しみとして返って来てしまいます。
    想いが変わるまで、どれほどつらい思いをされたのか想像も出来ません。
    また、全てのご遺族が、このご両親のような心境になれるとは限らないと思います。

    一昨年に小学校に行かれたのですね。
    こんな惨劇が、2度と起こらない社会になって欲しいのですが、そのためには根本的な原因を解決しなければならないと思います。
    お父さんは講演の中で、犯人はモンスターではなく人間であり、幼い頃に、親、学校、地域が愛情を持って心育てをしていれば、事件を防げたのかもしれないと言っています。
    そして、子供は「あなたは大切な存在」と、1人でも感じさせてくれる誰かがいれば変わり、そんな社会が子供を守ることにもつながるとも言っています。
    全くその通りです。
    この世で生じる問題は、愛によって解決されると強く思います。

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  5. ラッパ吹き2021年6月13日 20:17

    イクミさんのコメントから引用)
    >偶発的と思える事故であっても、亡くなる子は優希ちゃんのように、優しく思いやりのある良い子ばかりのように感じるのは私だけでしょうか。

    イクミさん、
    私も、そうなのではないかと思います。
    とても辛くて悲しいけれど、、神から大きな役目を託されて生まれてきた魂なのではないかと思います。お父様、お母様が悲しみの底で真に大切なことを学ぶため、私たち皆が大切なことを学ぶために。

    参考ページからの引用)
    >こんな過酷な人生を歩んでまで、魂が目覚めなくても良いと、思われる人も多いでしょう。

    本当に。。。この世の意識や精神力ではどうにもならない大きな悲しみや苦しみがあります。
    飛行機事故(参考ページのあの事故も)や、列車の大事故、大震災や、火山の噴火。。。
    私など、当事者ではないのに、今はそれを思い出し考えるだけで押しつぶされそうです。愛する人を突然奪われた方たちがどれほど苦しまれたことか。。

    イクミさんの2番目のコメントから引用)
    >お父さんは講演の中で、犯人はモンスターではなく人間であり、幼い頃に、親、学校、地域が愛情を持って心育てをしていれば、事件を防げたのかもしれないと言っています。
    そして、子供は「あなたは大切な存在」と、1人でも感じさせてくれる誰かがいれば変わり、そんな社会が子供を守ることにもつながるとも言っています。
    全くその通りです。

    イクミさん、私もそう思います。
    嘘のない本当の愛、ひとりの人間として存在を認めてもらえること、大切な存在と心から思ってもらえること、、
    人が生きるためにどれほどそれが大切で、なくてはならないものか。。

    思い溢れて、、まとまらず申し訳ありません。ご容赦ください。、

    ラッパ吹き

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  6. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    突発的に思える交通事故や飛行機事故であっても、亡くなる人はこの世で学ぶことが少ない、成長した人のように思えてしまいます。
    ランダムではなく、計られて(選ばれて)いるような気がしてしまいます。
    地上に残された人の、その後の人生を含めて、窺い知れない叡智の働きを感じます。
    神がこの様な残忍な計画を企てるはずもなく、あくまでも犯人の自由意思によるものでしょうが、全てが予定されていたように思えてしまうところもあります。
    ご両親は、最愛のお子さんの死を通して学んだことを、世の中に伝える使命が、初めからあったのではと思えてしまいます。
    この辺は、深く考えない方が良いのでしょう。

    犯人に十分な愛が注がれていれば、この様な事件は起きなかったと思います。
    社会全体に責任があると考えられる犯罪は、とても多いと感じています。
    上辺だけを見て、解決したふりをしていれば、同じことが繰り返されるだけです。

    霊的に出来事を見つめて、愛をもって対応することが、何よりも大切だと思います。

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  7. イクミさま

    いつも心に響く記事をありがとうございます。
    当たり前の生活をおくっていますが、何も起こらない日々はとても奇跡なんだとつくづく実感しました。
    こちらの記事、日航機墜落事故の記事といい、ボロボロ涙を流しながら読ませていただきました。
    当事者でない私ですらこんなにも涙が止まらないのに…。
    魂の成長とは言いますが、本当に過酷な修行としか言いようがありません。

    肉体はないけれども魂はある。
    肉体という鳥かごから放たれたんだから喜んであげようとはいいますが、
    涙は出るし、いたたまれない思いになります。
    とても自分だったらと思います。
    魂は死なないとはわかっていても、このようなことが起こることに、『なんで???』と言いたくなってしまいます。

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  8. >最期の瞬間まで一生懸命生きようとした、優希ちゃんの笑顔が浮かんで来たとお母さんは言っていますが、それは背後霊によってもたらされた、実際の映像ではないかと思っています。
    これほどの事件であれば、霊界から多大な援助の手が差し伸べられていることでしょう。

    間違いないですね。そんなふうにふとした瞬間にインスピレーションが浮かんだものはそうだと思ってます。


    >お母さんは生き抜く力の強さを教えてもらったそうですが、どんな出来事であっても、そこから学ぶことがあるのだと、改めて思いました。

    そうですね! 愛する娘を奪われるという理不尽に対し、自分の意思の力で良い方向に変えていったお母さんには脱帽します。

    こんなふうに生きている人が私は好きです。


    >偶発的と思える事故であっても、亡くなる子は優希ちゃんのように、優しく思いやりのある良い子ばかりのように感じるのは私だけでしょうか。

    偶発的と"思える"と書いておられるところに笑ってしまいました。ですね。何かしらの原因はあるのだとシルバーバーチは言ってましたね。

    そうなんですよね。。いい人は神様からお呼ばれするのが早いですね。7年だけとはいえ、"お疲れさまでした"と言いたいです。

    どんな気持ちだったのか、体験談を訊いてみたいので、向こうに行ったら会ってみたいなーと思っています。 


    >ご両親は、犯人を憎むのではなく、そんな行動をさせてしまった社会を変えて行かなければならないと思っているようです。

    すごいですよね。おっしゃるように犯罪を犯すような人を生み出してしまう社会を変えていかないといけませんね。

    今回のケースも負の連鎖が続いていってこのような結果になったと思います。誰かがその負の連鎖を止めていくことが大切と思います。

    妹を殺された社長さんで、"妹にやれと言われている気がするんや"と、非行に走る少年を自分の会社に雇い入れるということをやっている方がいらっしゃいました。

    裏切られることも多いそうですが、続けられていて凄いです。

    取り敢えず、私は目の前のことを頑張ります。(勉強することが多すぎて、何からはじめたら良いのやら^^;)


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  9. ラッパ吹き2021年6月14日 19:04

    イクミさん、匿名さん、

    「ありきたりの平凡な日常」という時間は、本当は存在しないのではないでしょうか。
    それは、もしかしたら、誰かが作り上げた虚像なんじゃないでしょうか。

    その虚像だけを見ていて、本当に自分の目で見ていない、自分の耳で聴いていない人たちが、巷には溢れかえっているような気がします。

    麻痺してしまって、見ることも聞くこともできなくなっている。あるいは、ロボットとして生きねばならないために、無理矢理に自分を麻痺させている人たちが。

    そして、その「ありきたりの」や「普通の」という虚像のとてもとても狭い枠からはみ出している人を、馬鹿にする、非難する、イジメる、差別する、迫害する、排除する。。

    「普通じゃない」という心をえぐる言葉は、私にはとても苦痛です。今でもそうです。

    その対極が『「あなたは大切な存在」と、1人でも感じさせてくれる誰か』なのではないでしょうか。
    どんな存在であっても、かけがえのない大切な存在なんですよね、誰もが同じ神の子ですから。

    大きな悲しみが、私たちにそれを気づかせるためなのだとしたら、、、
    神の愛は、それほどに深く大きいのですね。計り知れないほどに。。

    まとまらず、申し訳ありません。。
    頭が回らず、でもいたたまれず、書かずにいられなくて、、どうかご容赦ください。。

    ラッパ吹き

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  10. 匿名様

    こんばんは。
    仕事が忙しく、返信が遅れて申し訳ありません。

    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    そうですね。
    何も起こらない日々は、決して当たり前ではありません。
    何が起きるのか判らないのが地上であり、紙一重の差だと思います。
    霊的に見れば、何も起きない人生の方が不幸と言えるのではないでしょうか。

    自分が当事者だったら、どのようになっただろうか想像も付きません。
    ご両親が今の心境になれたのは、元々の資質もあるでしょうが、優希ちゃんが生きて傍にいるのを知ったこと、そしていつもの優希ちゃんでいることが判ったからだと思っています。

    真理を知っている者が当事者に、故人は肉体から魂が解放されたので喜んであげましょうなどと言ったとしたら、意味が理解できずに怒鳴りつけられてしまうでしょう。
    お母さんが言われたように、ただ寄り添ってあげるのが良いのかもしれません。
    そして、時が経過し、必要としていると感じたら、伝えるのが良いと思います。
    同じような経験をしていたら、想いが共有されて、その経験が活かせることになります。

    想いを共有し、慈しみ合い1つになるために、私たちは地上でさまざまな出来事を経験をしているのだと思います。

    返信削除
  11. ナオヤ様

    おはようございます。
    優希ちゃんのご両親は、言葉にならないようなつらい思いをずっとされて来たので、文章に書にするのも憚られるものがあります。
    それでも、世の中のどこかにはご両親のように悲しみや苦しみに耐えている人がいます。
    生きていること、傍にいること、また会えること、神の公正が働いていること、そして乗り越えようとしている人がいることを伝えて、少しでも苦痛が和らぎ、生きる力になればと思います。

    生き残った優希ちゃんの同級生の中には、トラウマをかかえながらも、命の大切さに気付いて医療の道に進んだ人もいるようです。

    返信削除
  12. ラッパ吹き様

    おはようございます。
    この世を生きている人は、それぞれに目的を持って生まれてきているので、誰一人として「普通」ではないと思います。
    オリジナルであり、唯一無二の人生です。

    何が起きるのか全く判りません。
    打ちのめされること、絶望の淵に落とされることも起きるでしょう。
    ただ、全てが神の法則の元で起きているので、必ず良きに計られます。
    神の視えないこの世界で神を見い出し、その愛を信じること、自分を信じて全力を尽くすことが、さまざまな出来事を経験する目的の1つだと思います。

    返信削除
  13. イクミ様。

    新しい投稿、ありがとうございます。

    この事件はよく覚えています。

    ある日突然安全なはずの学校で多くの子供達が亡くなられどれだけ怖かったかと思うと今でも胸が苦しくなります。


    私の勤務する職場にカウンセリングの先生が来られる事になりました。
    カウンセリングなどの経験は無かったのですが、職員全員順番で受けるのことになっており、
    初回と言う事で、どんな感じかも皆んなに伝えて欲しい。との理由から私が受けさせて頂く事になりました。

    前日から彼のことを話そうか迷っていたのですがカウンセリング当日が彼の月命日で、今まで声に出して誰かに話した事もなかったのでもしかしたら彼が話しておいで。と言ってくれているのかも知れない。
    そう思い話す事にしました。

    これ位の年齢で、心の友に出会えた事、とても幸せですね。
    そう言っていただきました。

    カウンセリングの先生も随分前に恩師を突然亡くされ、家族のご意向からお通夜もご葬儀も身内で済まされお墓の場所も知らされないままです。
    そう仰ってました。
    臨床心理の事も右も左も分からないまま恩師の先生は突然亡くなられ、そこからは失敗や間違いを繰り返して今に至ります。
    との事です。
    その先生の経歴を拝見すると臨床心理士、公認心理師など沢山の経歴がある先生です。

    きっと彼は紀子さんに沢山の宿題を残して旅立たれたのではないでしょうか。
    ご自身の経験からそう言っていただきました。

    そして、亡くなってから2年以上経った今でも私が彼の事をこれ程に思うと言う事は、彼は冥利に尽きると思います。
    とも言っていただきました。

    父や彼が亡くなったおなじ年齢になり、何事もなく次の歳になった時私は耐えられるだろうか。
    そう話すと、きっとそこから紀子さんの1歳が始まるのではないでしょうか。
    そんな返事を下さいました。

    今回のイクミ様の投稿を拝見させていただき、
    69歩目を娘さんと一緒に歩かせて下さい。
    優希さんのお母様の言葉に、重なるものがありました。

    強い絆で結ばれている。
    そんな人に出会えた事を大切にしたい。

    そう思い、コメントさせていただきました。

    紀子。

    返信削除
  14. 紀子様

    こんにちは。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    あのような凄惨な事件に遭っても、ご両親が強く生きていること、今もつながっていることを知ってもらいたかったので書きました。

    カウンセリングを受けたそうですが、かなりプライベートなことまで話すのですね。
    それでも、心の中にしまっていることを誰かに聞いてもらうのは良いことだ思います。
    月命日と重なり、彼が話していいよと言ってくれているみたいですね。
    あなたの想いを判ってくれる人を、向けてくれたのかもしれません。

    そうですね。
    今も涙を流すほど想ってるくれる人は、きっといないでしょう。
    すごくうれしいでしょうが、あなたにはしっかりと地上の人生を歩んで欲しいのです。

    魂と魂の結びつきがあれば、お2人は本来の形を取り戻し、ご一緒に歩むことになると思います。

    返信削除
  15. イクミ様。

    彼を信じ、感じ今生きています。
    ただ、何故私を置いて逝ってしまったの?
    その想いに日々逢いたい。
    その気持ちが時間が経つにつれ強いものになっています。

    笑っていないといけない
    前を向いていないといけない。

    そう思い過ごしていまいますが早く迎えに来て欲しい。
    それが正直な気持ちです。

    私は彼がこの世を去った事から結局何も学んでいないのかも知れません。
    自分の想いだけで過ごしているのかも知れません。

    そう思っているうちは、彼の今いる世界に逝けないのでしょうか。

    記憶が消えない様に彼との思い出を大切にしていますが、どうすれば良いか判らなくなります。

    紀子。

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  16. 紀子様

    おはようございます。
    早く(同じ次元で)会いたいと思う気持ちが、強くなっているのですね。

    彼が去ってから何も学んでいないと言うことですが、そんなことはありません。
    彼の存在、想いを信じようとすることで、あなたの魂は言葉には出来ない、霊的な学びを得ています。

    地上に1人残されているために生じる感情は、どうしようもありません。
    その感情を、何かに転化できれば良いのですが、まだその時期ではないと思います。

    自分の想いだけで過ごしているうちは、彼のいる世界に逝けないのかと言うことですが、人の寿命は決まっています。
    この経験や他の人生経験により、あなたの魂が予定された成長をした時に、この世を去ることになります。

    記憶が消えないよう、彼との思い出を大切にしているそうですが、顔や声を思い出せなくなっても、魂に刻まれているものは、決して消えませんので安心して下さい。

    あれこれ考えずに、自然に任せれば良いのです。

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