2020年9月6日日曜日

自分の中に神がいる



少し前まで、私は神の存在を信じてはいませんでした。

正確には、存在しても、していなくても、生きて行く上で関係がないので、どうでも良いと思っていました。

目に視える現実が全てでした。




神の存在を信じている人は、世の中にたくさんいます。

そんな人の中には、高いところから地上を見下ろし、監視しているような存在だと考えている人もいるでしょう。

また、悪いことをしたら罰を与えられ、信じていないと天国に行けないと思っている人もいると思います。




神は自然法則として顕現しています。

自然法則によって、全宇宙を経綸しています。

法則は神の心の反映です。

神の意志を遂行するために、法則は働いています。




シルバーバーチの霊訓を読み始めて、しばらく理解出来なかったことがあります。

それは、私たちが神の子であると言うことです。

何故なら、神の子である実感が全くなかったからです。

人間とはかけ離れた存在であるように思えました。




宇宙を創造したのは神です。

神的エネルギーにより、宇宙は創られています。

宇宙は偶発的に誕生したのではなく、明確な意図を持って、偉大なる存在によって創造されたのです。




話が変わりますが、人間にはいくつの細胞があるのでしょうか?

何と37兆個もあります。

脳細胞、筋細胞、皮膚細胞など様々な種類がありますが、そのどれもが全身の中で大切な役割りを果たしています。

1つ1つの細胞は小さくても、人間にとって必要なものとして存在しています。





NGC2275

私たち人間は、宇宙の片隅に生きる、限りなく小さな存在です。

しかし、どんなに小さくても、神によって創られた、宇宙を構成する一部には変わりありません。

何かしらの役割りがあって、今、ここに存在しています。




全ての創造物は、神的エネルギーが形を変えたものです。

創造物は、生命体と非生命体の2つに分かれます。

地球上の動物や植物は生命体であり、水や土や岩は非生命体です。




目に視える体は生命体であり、生命そのものは目に視えません。

生命とは物質とは次元の異なるものであり、霊(魂)と便宜的に呼ばれています。

霊(生命)が物質(体)を媒体にして活動をしています。




物的な生物には、意識があるものと、ないものが存在しています。

もちろん、人間は意識があります。

意識の源泉、それが魂です。




魂は霊的(生命)エネルギーの供給を受けながら、全宇宙(神)とつながっています。

私たちは無限大のネットワークの一部です。

しかしながら、地上では五感が優位になり霊的感覚が乏しくなるため、霊的なつながりが認識されにくくなっています。

肉体が失われ、五感が取り払われた次の世界に行くと、はっきりと認識されるようになります。




生命は尊いと言われます。

死んでしまったらお終いと思うからなのでしょうか。

しかしながら、それは事実とは違います。

死とは、肉体と魂の永久的な分離です。

生命自体は失われることなく、次の世界で生き続けます。




魂は永遠不滅です。

侵し難い神聖なものです。

何故かと言えば、そこに神が宿っているからです。

いえ、神そのものと言って良いのかもしれません。

神が宿っているので、生命は尊いものだと感じているのではないでしょうか。




生まれたての赤ちゃんを見て、何か神々しいものを感じます。

それは魂が前面に現れているからだと思います。

赤ちゃんは、少し前まで霊界にいました。

自らの成長のために志願して、最適な母体を選んで、地上に生まれて来ています。

お腹の中にいる期間は、霊的次元から物質次元への移行期間のようなものかもしれません。

霊的次元で生きていた余韻を残している存在です。


フリードリヒ2世(1740~1786年)
神聖ローマ帝国にフリードリヒ2世という君主がいました。

彼は知的好奇心から、想像も付かないような実験を行いました。

捨てられた50人の赤ちゃんを引き取って養育しました。

その時にミルクを与え、お風呂に入れて、おしめは交換しますが、アイコンタクトを含め一切のコミュニケーション、スキンシップを排除すると言うものでした。

結果は悲惨なものでした。

数年以内に、全ての赤ちゃんが死んでしまったそうです。

その理由は、科学的に説明がつきません。

フリードリヒ2世ですが、死後とんでもない過ちを犯したことに気付き、酷く後悔したのは想像に難くありません。




どうして、赤ちゃんは死んでしまったのでしょうか?

生まれる前にいた霊界は、霊的エネルギーで満たされています。

魂(霊体)は、そこから生命エネルギーを補給していると考えられます。

いざ地上に生まれ肉体を持つと、今度は物的エネルギー(食物)が必要になります。

胎内にいる時は、母親から物的エネルギーとオーラから霊的エネルギーの両方が供給されていると考えられます。

そして、生まれたばかりの赤ちゃんも、物的エネルギー(ミルク)だけではなく、引き続き霊的エネルギーを必要としているのかもしれません。

必要としている霊的エネルギーの多くは、愛情と考えられます。

人間から愛情を与えられなかった赤ちゃんは、霊的エネルギーが枯渇してしまい、生きていけなかったのかもしれません。

赤ちゃんでなくても、人は人とのつながりの中で、知らずに霊的エネルギーを与えたり、もらったりしていると思います。

それが生きる力となる時があります。



赤ちゃんを見て可愛いと思うのは、愛情を与えなければ、生きて行けない存在であることを外部に認識させるための神の配慮だと思います。

知らない赤ちゃんであっても、一人で泣いていれば、何とかしなければと衝動に駆られるのは、本能と言うよりも、自分の中にいる神が愛情を与えようとしているからではないでしょうか。

困っている人がいれば、助けてやりたくなるのもそうです。

悪いことをすると心が咎めるのも、自分の中に神がいるからです。




もし、人間の中に神がいないとすれば、どうなるのでしょう。

善悪の判断がつかなくなるでしょう。

人を傷つけたり、殺したりしても、咎めるものはなくなります。

罪を犯しても、後悔も反省もありません。




思いやりも、親切心も、優しさもなくなります。

誰かが死にそうになっていても、関心はありません。

助けを求めている人がいても、放って置きます。

世の中は、無秩序、無関心、利己心が蔓延り、地獄絵の様相を呈するでしょう。




現実はどうでしょうか?

そうではありません。

それは、私たちの中に神が宿っているからです。




もし、それぞれの人や動物に神が宿っているのであれば、傷つけたり、殺したりすることは許されません。

差別はあってはいけないはずです。

生命に優劣はなく、同等の価値があるからです。

全ての人そして動物も、神聖なものとして敬うのが当然ではないでしょうか。



虐待され食肉となる牛

神聖な生命を傷つけようとする行為は、明らかに神の摂理に反しています。

その行為は、同時に自らの神聖なもの(魂)を傷つけていることになります。

因果律の働きによって、相応の苦痛がもたらされて、過ちを償うことになります。




私たちは、全知全能の神ではありません。

自分の中に宿っている神を、少しでも多く表現しようとする、進化の途上にある存在です。

生まれる前にいた霊界では、魂から生じる想いが、ストレートに外部に表現されています。

地上に生まれると、魂から生じる想いは、精神を経由して、肉体で表現されるようになります。

精神上に、地上的な自我(以下自我)が形成されて行きます。

自我は、肉体や外部からの影響を強く受けていて、性質上、自分を守ろうとするため抑制的に働いています。

溺れている人がいても助けられないのは、自我の働きにより、神性の発現が妨げられているからです。

自我に打ち克って、より多くの神性を発現させることが、この世に生まれて来た目的であり、それが魂の成長につながります。

霊界に戻った時に、より一層の神性が発揮されるようになると考えられます。




自分は神であると尊大になるのは論外です。

しかし、自分の中にいる神を意識することで心に安らぎを見い出し、自信を持って生きるのは望ましいことです。

自分の中に神がいるのであれば、怖れるものは何もありません。

遭遇する難局を乗り越えて行く力が、自分の中に秘められているからです。

自分の中にいる神を強く信じて、迷わずに進んで行きましょう。




神は、救いを求めている人の傍に来て、助けてくれるような存在ではありません。

自らの中に神を見い出し、そこから湧き出る力によって、現状を打破することで、結果的に救われると考えられます。




54 件のコメント:

  1. ラッパ吹き2020年9月6日 18:53

    イクミさん、

    ありがとうございます。
    これを、私はしていました。神と守護霊に何度も何度も「救い」を求めて祈っていたんです。

    以下引用)
    >神は、救いを求めている人の傍に来て、助けてくれるような存在ではありません。
    引用ここまで)

    私もわかりました。それはない。
    父親としての私も、それはしなかった。子どもたちが、自分の力を信じて自分の力を見いだしてくれることを願っていたからです。子どもたちに「転ばぬ先の杖」を、父の私が出してはいけない。手を出さずに、転んで、自分の力で立ち上がるのをじっと見守る。転んでも自分の力で立ち上がれるんだと、その自分の力を見つけて欲しいと、そう私は強く感じていました。

    度重なるコメントを真摯に受け止めていただいて、心から感謝しています。

    幼い赤ん坊の私を思い浮かべて、「もう我慢しなくていい。大丈夫、いつも一緒にいるから。抱っこしてあげる。よしよししてあげる。だから、もう我慢しなくていいんだよ。自由にしたいことをしていいんだよ。」と語りかけました。

    涙が溢れて何時間も泣き通すような劇的な氷解はありません。激しい変化は何もありません。一切、何も、ありません。
    でも、今日、ふと「もしかしたら、人生って楽しいものなのかもしれない。美しいものなのかも知れない。」そう浮かんできたんです。

    ほんの小さなこと、食べたいものを食べるとか、やりたいことを気にせずするとか、そんなことさえこれまでの私は気兼ねして我慢に我慢を重ねていました。
    そして、時にはあまりにつらいことが重なって耐えきれなくなって、、爆発していました。

    わがままという言葉とは違う気がします。自分にありのまましたいことをしていいと許す。もう気兼ねして抑えつけなくていい。
    ある本にあった一節「自分に対しての贖いの旅」そんな気がします。

    なんでしょう「人生って楽しいのかも知れない」そう頭に浮かんできたのは、そう感じたのは生まれて初めてかも知れません。

    自分を許して、自由に思い通りに生きることを自分に許す。
    今日の空のように、厚く暗い雲の切れ間からわずかに抜けるような秋の青い空がのぞいた。そんな気がしました。

    これですべて解決、完了、などということではないとわかっています。
    それでも、「人生は楽しいもの、美しいものなのかも知れない。冒険の旅なのかも知れない、」そう素直に思えたのは、(傲慢で愚かな若者だった頃の世界の幻影は、あれは馬鹿な間違いですから)生まれて初めてだと思います。

    支離滅裂な文章お許しください。

    ラッパ吹き

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  2. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    ブログを早々に読んでいただき、ありがとうございます。

    お子さんたちに、自分の力を信じて自分の力を見い出すことを願ってあなたが手を出さなかった、それは強く成長して行って欲しいと願ってのことだとお察しします。
    神が苦しみを創造したのは、自らが克服することで成長して行くのを望んでのことだと思います。

    赤ちゃんの時のあなたを思い浮かべ、語りかけてみたのですね。
    あなたに何も変化が起きないのは、とても意外に感じましたが、何かしらの理由があると思います。
    その時に泣くことで表現されなかった想いとは、無力感、絶望感のような涙によって昇華されないものなのかもしれません。
    本文で亡くなった赤ちゃんは、愛と言う霊的エネルギーを全く受けられませんでしたが、あなたに起きた出来事、しきりに訴えていたことは魂に刻まれたものの、ご両親から何らかの形で愛を受けていたと思います。
    「もしかしたら、人生って楽しいものなのかもしれない。美しいものなのかも知れない。」と言う気持ちが心に浮かんで来たそうですが、その時のあなたが、今のあなたから向けられた愛によって、心境の変化があったためではないでしょうか。
    過去に生じていた何らかの想いが愛によって氷解されて、ご自分を少し許すことが出来て、晴れやかな感覚となったと思っています。

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  3. イクミ様
    こんにちは。最近台風や豪雨、そしてコロナウイルスによって動物への被害がとても多くなっていますね。
    ニュースで見ましたが、コロナウイルスで職を失い金銭的に苦しくなり、飼っていたペットを捨てるひとも多いとか・・・。
    今回のイクミさんの投稿の中の牛を虐待する写真をみて、辛くて辛くてたまらなくなりました。
    私は特に動物がいじめられたりする姿を見たり聞いたりすると、心がすごく乱れてしまい、ずっとその動物についての考えにとらわれてしまいます。
    コロナウイルスがにくい、と言う人が多く、早く経済を復活させよう、、国からの支援金を望む声・・・
    今、沢山のお店が閉店しています。でもみな、コロナが収束したら、また同じように焼肉、チキン、そういうお店を再開するのでしょう。それでいいのか・・・。
    みな家族がいて生活がかかっているからそう考えるのは当たり前だと分かっているし、私ももしも今回のコロナで主人に仕事がなくなったら、食べることもままならなくなり、子供と二匹の猫たちとどうやって生きていくのか・・・
    私は通訳翻訳などをしていましたが、海外との往来がなくなり、今は無職です。
    出来れば人のためになるような仕事がしたいですが・・・今私の住む国の現状に失望しすぎて、何も信じられなくなってしまいました。(人をだまして自分の利益のために利用する、そんな人がすごく多いです)
    シルバーバーチの霊訓を読み、こころを静ませる毎日です。

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  4. Kokoro様

    こんばんは。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    コロナの流行で、飼っていたペットを捨てる人がいるとしたら、あまりにも悲しいです。
    ブログの牛の写真ですが、現実を直視しない限り、何も変わらないと思い載せることにしました。
    コロナが終息しても、人間の食が大きく変わるわけではありません。
    また、提供する店の人も、生活がかかっているので、止めるわけには行きません。
    それでも、大きく社会が変わる中で、自分の生活を見つめ直す人がいて、思い切って肉食を止める人がいればと願っています。

    これからも不安の日々は続くでしょう。
    しかし、摂理に適った生き方をしていれば、贅沢は出来なくても、生活はして行けると信じましょう。

    あなたの住む国では、利己的な人も多いようですが、人のために生きている人もたくさんいます。
    そんな人たちと交流しながら、あなたに出来ること探して下さい。

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  5. イクミ様
    そうです。ぜひ、一人でも多くの人がイクミさんのブログを目にして、気づいてほしいです。
    動物ほど愛おしい存在はいないから。。。
    シルバーバーチを読み進め、心に残る言葉を記すブログを作ろうと、日々霊訓を読んでいます。
    私も、私の住む場所できっと、同じ価値観の人に出会えると信じ、生きていきたいです。

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  6. イクミ 様

    お久しぶりです。
    私はカナダに来てからベジタリアンなりました。
    もちろんヴィーガンへ日々努力しています。
    なぜこんなにも日本はヴィーガンを浸透させないのでしょうか?
    日本にいるとみんな無知のまま動物を没収して食べていることになります。
    こんなにも自然災害が起きる国なのに環境を破壊しつづけているのは無知な人々です。なぜ国は立ち上がらないのかため息がでます。
    動物がどのように苦しみ殺されているか真実を観せれば多くの人が胸がいたくなり自然と食べれなくなると思いますが。

    自由意志が授けられた人間がこういうことをしているのには納得いきません。人間が嫌にさえなります。
    コロナが早く収まりますようにとか言いながら#肉大好き女子 とかSNSで書いてあるのをみると、無知だと思いながらもイラっときてしまいます。
    真実をちょくちょくSNSでシェアしても、その投稿だけみんな避けたいのかそういう投稿するときのみ「いいね」がほとんどされません。
    痛いとこは目をつぶりたい感覚なのでしょうか。
    コロナなどこれまでのパンデミックも動物を食べていることからきています。
    これほど災害、感染病で危機を体験しているのに、国が立ち上がらないのはただただ悲しいです。
    ひとりひとりがシェアしていけばいずれ大きく広がる。でもメディアで洗脳される国民が多いのであれば、
    メディアを通して肉食がなぜいけないか広めてほしいと心底思います。

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  7. AK様

    おはようございます。
    カナダに行ってから菜食になったのですね。
    ブログの写真はちょっとショッキングでしたが、これを見て肉を食べるのを止めようと言う人が、1人でもいればと良いと思い載せました。
    日本は昔の食文化に戻れば良いだけの話であり、生活習慣病のリスクもそれで減るのですが、1度味わってしまったものは、中々手放せません。
    霊的真理と同じで、何か魂に響くようなことがなければ、受け入れるのは難しいのかもしれません。
    少しずつ、時間をかけて、広まって行くと思いますが、今のままではいけないと感じた人が、真実を伝えて広めて行く努力をしなければいけません。

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  8. イクミ様

    そうですね、掲載、発信することにより1人でも考えてくれればとの思いはすごく共感します。
    こちらカナダではbeyond meatというブランドなどが存在しプラントベースでここまで美味しくなるのかと関心するくらいです。お肉を超えると言う言葉がそのまま伝わるくらいジューシーです。
    こういったものがあればお肉好きの人でも無理なく移行できるのではと思います。
    アメリカ、カナダではもうすでに畜産業からミルクに変わるアーモンドミルクやソイミルク、それ以外にも何種類ものミルクに変わる産業に右肩上がりに移行してきているようですね。
    またカナダではトルドー首相が100ミリオンドルをプラントベースの食品に投資しました。

    ただお肉を食べる人がいる限りまだまだ畜産業はなくならないので、もっと真相をたくさんの人に知ってほしいです。

    はい、これからも伝え努力していきます。
    いつもありがとうございます。

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  9. イクミ様

    過日優しいお言葉をかけていただいた者です。
    私は動物が好きで、肉を食べることがそもそも昔から好きではありません。
    ここに書かれている皆様も同じだと思うのですが、シルバーバーチの教えを
    知るようになってからはよけいにそういう思いが強くなりました。
    しかしながら、私たちはお金を払って食物を買い、それらを食べて
    生きている、そんな生活が一般的ではないかと思います。
    ごま油で野菜を炒めたり、甘味のないピーナッツバターで青物を和えたり、
    豆腐を揚げ出しにしたり、などとお肉がなくても蛋白質が摂取できると
    私は思うのですが、若い人は満足しないようです。
    安くて高蛋白な食物を、家族にと考えますと、自然に食肉コーナーへ目がいってしまいます。
    心の中で葛藤はありますが、いつも 命を頂いてありがとうございます、と
    感謝の気持ちを忘れず、お肉を食卓に出しております。
    今回のブログの内容にはそぐわないかもしれませんが
    そんなことを日々感じつつ生きております。

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  10. 匿名様

    こんにちは。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    あなたは昔から肉を食べるのが好きではなく、シルバーバーチの霊訓に出会いその思いが強くなったのですね。
    菜食をしている人、特に日本ではまだまだ少数派ですね。
    私も若い時には肉を食べてましたが、食べると活力が出るような気がしていました。
    今は、動物たちが死ぬ時の思念が肉に残っていて、興奮していただけかもしれないと思っています。
    食肉業界や政府のプロパガンダによって、肉食が定着してしまったのでしょうが、霊性の進化に伴い、毛皮を着なくなったように、徐々に肉も食べなくなって行くと思います。

    以前、「人間は動物を食べる生き物ではない」と言うタイトルでブログを書きました。
    その中で、歯の形態、あごの動かし方から、人間は肉食ではないと結論付けましたが、その考えは今も変わっていません。
    木の実や穀類などを食べるのが適しているのですが、今の人がそれで満足するとは思えません。
    この直前にコメントをいただいたAK様の国の様に、ビヨンドミートが簡単に手に入るようになれば、少しは変わって来るかもしれません。
    ご存知でしょうが、今の日本でも、大豆で作った唐揚げや、細切り肉が売られていますので、コストは少し高くなりますが、時々使ってみても良いのではないでしょうか。
    ご家族とあなたの思いに隔たりがあり、毎日ご苦労をされているのは良く判りますが、動物たちのためにどうぞ創意工夫をされて下さい。

    返信削除
  11. イクミさま

    ご無沙汰しております。
    53号です。

    ブログ いつも拝見しております。
    いつも、シルバーバーチ 霊的真理を思い
    自分の在り方を考えます。


    9月5日に、愛犬が突然旅立ちました。
    朝からなんの変調もなくほんとに突然でした。
    咳き込んで少し疲れているな。と思いかかりつけの
    獣医に連れていってからわずか数十分で急変し、
    そのまま危篤状態になってしまいました。
    あたしは、急いで娘に連絡しました。
    愛犬は、家族がそろうまで心臓マッサージをして
    命をつなげている状態でした。
    皆で声をかけて、なんとかなんとか…と思いましたが
    医師に手を止めてもらい愛犬は、旅立ちました。
    頭が混乱してしまいした。
    翌日に荼毘に付しました。
    たくさんの思い出を家族で語り合い送りました。

    愛犬は、あたしが彼に先立たれ新しい世界に出た時に
    いっしょに連れて暮らしていた子でした。
    あの暗闇の中にいたあたしを支え癒してくれていたのです。
    2年前に大病して手術し命を繋げた子でした。
    その頃はまだまだ安心できなかったのでしょうか?
    そして、ママはもう大丈夫だね。と思って旅立ったのかな?と感じてなりません。
    最後の最後まで普通でした。レントゲン撮るために
    待合室に入ってすぐに急変したそうで、そのまま
    意識は戻りませんでした。
    あたしに見せないようにしたのでしょうか?
    そして、10才の犬を招いたのも関係あるのでしょうか?

    いろいろと考えてしまいます。
    でも、愛犬の彼女には、ありがとう。愛しているよ。
    と感謝の気持ちでいっぱいです。

    あたしは、彼も突然の旅立ちでした。すべてのもの
    に感謝して今日まで歩いてこれました。が、
    また愛する愛犬を突然に送ることになりました。
    これもあたしにとって成長する成就することなんだと
    信じて、少しずつ摺り足でもゆっくり前に歩いて
    行くと誓いました。

    彼女に、ママが逝ったらすぐにお迎えに行くから
    待っていてね。と約束して送りました。

    今日も、空にむかい彼と愛犬に話しかけました。

    生きていくって試練だなぁ。と感じ独り言いた
    数時間後に愛犬が旅立ちました。

    生きていくって試練の繰り返しですね。

    返信削除
  12. 53号様

    こんばんは。
    本当にお久しぶりです。
    ずっとブログを読んでいただいていると聞き、うれしく思います。
    前にも書きましたが、あなたを通して信じることの意味を、私も学ばさせてもらいました。

    愛犬が逝ってしまったのですね。
    それも突然で驚かれたでしょう。
    あなたの悲しみや苦しみをどれほど癒してくれたのか想像も出来ません。
    それだけに、おつらいですね。
    それでも、悲しみよりも、感謝の想いの方が強いのであれば、彼女があなたの元に来た意味を理解されていると思いました。
    あなたが思っている通り、今生の役目を果たして旅立ったと思います。
    自分がいなくても、生きて行けるようになったので、お迎えが来たと思います。
    お迎えに来てくれたのは彼であり、自分の代わりにあなたを支え続けてくれて本当にありがとうと、労いと感謝の言葉をかけられたと思います。

    真っ暗闇の中にいる時に、そっと寄り添って、明るくしてくれる存在ほど、有難いものはありません。
    誰よりも、あなたの想いを理解していたのでしょう。
    死に際を見せなかったのも、あなたの想いが痛いほど判るからであり、自分のことで悲しむ姿を見ていられないと思ったのかもしれません。
    10才の時にあなたと出会って、彼女は救われたのです。
    因果律の働きによって、彼との別れの時、あなたが救われたと思います。
    彼女も今、あなたに対して感謝の想いで溢れているはずです。

    生きて行くのは試練です。
    年を取る毎に経験値が高くなるので、乗り越える試練もつらいものになって行くような気がします。
    しかし、その試練は向こうに行った時の悦びのためにあります。

    あなたの文章を見て、あれから真理を学ばれ、自分のものとされていることを実感しました。
    この世で起きる出来事を、霊的に見つめられていると思います。
    彼も彼女も、安心して見守って行くことが出来るでしょう。

    ママが逝ったらお迎えに行くと言うことですが、彼に抱っこされてあなたを迎えてくれるのではないでしょうか。

    返信削除
  13. ユーリ様

    こんにちは。
    お久しぶりです。

    あれから数年経つのに、泣かない日はなく、自分を責め過ぎて体を壊してしまったのですね。
    最愛の人との過去の出来事は変えられません。
    しかし、向こうに行ってから新たな関係を作って行くことは、いくらでも出来ます。
    過去を振り返り後悔するのではなく、今の自分を大切にして生きた方が、その人は安心していられます。

    確証がなければ信じられない人は、多いのかもしれません。
    あなたのように、多くの霊能者と会い、時間とお金をかける人はたくさんいます。
    霊能力は死後の世界、魂の存在を知らしめ、霊的真理を普及するために与えられているのですが、商業的に利用している人も、残念ながらいます。
    死後の世界の探求をすること自体は間違っていません。
    ただ、人から教えてもらい理解するものではなく、魂が受け入れるもの、悟るものだと思います。
    その時期が、まだ来ていないだけです。

    信じられずに、悲しみ、苦しみの日々が続いているのには、何かしらの意味があるはずです。
    学びや成長に関係していることは間違いありません。
    あれこれと思案せずに、亡くなった人の想いを素直に信じることが、求められているのかもしれません。

    あなたの中で何かが変われば、すんなりと受け入れられるような気がしています。

    返信削除
  14. イクミ様

    いつも温かいブログを大変ありがとうございます。

    私の住む辺りでは、昼間はまだまだ暑いですが、赤トンボが飛んでいたり、夜には鈴虫が良い声で鳴いています。
    少しずつ、秋の気配を感じられるようになってきました。


    イクミ様の前回の記事の、
    「霊的なつながりは、物理的な制約を受けません。
    遠く離れた場所で、別々に暮らしていても、お互いが想っていれば、つながっています。
    たとえ、この世にいなくても、存在を信じ意念を向ければリンクが張られて、次元を超えてつながることが出来るのです。」
    という文章を拝見し驚きました。

    こちらの記事を読ませていただく少し前に、同じ様なことを魂の大切な人から受け取っていたからです。

    「人と人とが物理的に会ったり、話したり、見たり触れたりすることが大事なわけではない。それ以上のもの、相手を想う気持ちが大事であって、物理的に会ったりすることは一部分であって、それが愛の全てではない。会う会わない、話す話せない、見る見ることができない、で愛があるなしは図れない。愛しく想う気持ちを向けることの方が強くて確か。」
    と、このように大好きな人から入ってきました。

    いつもそうですが、決して言葉として聞こえるわけではありません。
    大好きな人に意識を合わせていると、何とも言えぬ愛しさと感謝と温かさに包まれ、そして、自分で考えて思い浮かんだ言葉ではないものが入る感覚です。

    そして今回の記事の、「自分の中に神がいる」「神は存在する」というお言葉...。
    これは、よく大好きな人が言っていた言葉でした。
    見えない大きな存在があるということを信じられる人は強い人です、と何度も話してくれた彼は、本当にぶれることがない強い人でした。
    今思えば、彼が話してくれた沢山の中に、霊的真理が至るところに含まれていたと思います。

    それから、この場をお借りし、どうしても
    ユーリ様にお伝えしたいことがあります。
    よろしいでしょうか?
    勝手を申し上げ失礼します。

    ユーリ様

    初めまして。
    さくらと申します。
    私も1年半前に、一番大切で大好きな人が肉体を離れました。
    ずっと支えてくれていた人が突然いなくなり、絶望と悲しみの真っ暗闇からずっと抜け出せませんでした。
    ユーリ様と同じように、私も、肉体を離れた愛しい人の声を聞きたいと、すがる思いで何人もの霊視を受け、傷付いたこともあります。

    そんな苦しい毎日でしたが、イクミ様がおっしゃるように自分の中で何かが変わった時、そして、肉体を離れた愛しい人は何も変わらずに側にいることがわかった時に、前を向くことができました。

    不思議なもので、側にいてくれるんだという安心感を感じられるようになってきた頃に、魂の大好きな人の想いが入ってくるようになりました。

    ゆっくりでいいと思います。
    たくさん泣いてもいいと思います。
    ただ、その間も、ユーリ様の肉体を離れた愛しい方はお側にいて、心から信じてくれるのを待っています。
    ずっと、柔らかいお顔でユーリ様を見ています。
    肉体を離れただけで、本当にユーリ様への想いは何も変わっていませんから、どうぞ安堵の気持ちをお持ちになり、心から繋がり続けていることを信じて下さい。

    返信削除
  15. さくら様

    おはようございます。
    引き続き、ブログを読んでいただきありがとうございます。
    朝晩は、少し涼しくなりましたね。

    彼があなたに伝えて来たメッセージは、私が書こうとしていたことです。
    お2人に証明していただけたようで、うれしいです。
    かなり詳細に受け取れていることにも感心しました。
    同じ想いで結ばれ、ピッタリと同調しているのでしょう。

    彼が伝えて来たことは、大切な人を残してこの世を去った人が伝えたいことだと思います。
    そのことが判ってもらえないもどかしさ、つらさは想像以上のものなのでしょう。

    シルバーバーチの霊訓の存在を彼は知らなかったかもしれませんが、霊的真理が初めから備わっていた霊格の高い人のように思います。
    あなたが真理に辿り着けたことを、心から喜んでいるでしょう。
    理解する土壌が整って来たので、ご自分が学んだことを、これからも伝えてくれると思います。
    よろしければ、またここに書き込んで下さい。

    ユーリ様へのお気遣いありがとうございます。
    向こうにいる人のお気持ちを、あなたが代弁している様に感じます。

    返信削除
  16. さくら様

    お優しい言葉をありがとうございます。
    私が昨日書き込んだ内容は、目立ちたがり屋の霊能者への嫌悪に満ちたものになってしまいましたので、イクミ様に削除をお願いいたしました。。

    私は母を若くして亡くしました。私にとって母は人生において全てで宝物でしたので、後を追うことも考えましたが、出来ずに結局は、自らが病気になってしまいました。

    さくら様のおっしゃる通り、側にいることを信じて生きていきたいです。
    弱い私に、それができるかは、分かりません。
    ですが、それが私にとっても母にとっても最善なことには間違いありません。
    さくら様も、これからも亡き人との繋がりを大切に、幸せでいてくださることを祈っています。


    もえ様

    見てらっしゃるかわかりませんが、私は数ヶ月前のあなた様の言葉に助けられました。
    いただいたコメントは、何度も読み返し、自分を立ち直らせております。

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  17. いつもありがとうございます。

    コメントの中に、肉食の話がありましたが、わたし自身、肉食をやめれていないです。以前、イクミさまにもお尋ねしたことがありますが…。正直、何を食べていいのかわからなくなります。

    小さいころから、親には少食でご飯と味噌汁と漬物があればいいもんねと言われたり。母の実家で出されるすき焼きをみてもあまり食べたいともおもわず。その前に、食べるという行為自体好きではないです。生きていくために、みんなが食べる時間だから食べているといった感じです。はっきり言って、これ一つ食べれば今日一日栄養面満点と思われるものが開発されないかなぁとも思っています。肉食もよろしくないとは知りつつ、鶏さんだけはいただいています。肉を食べる当たり前の世の中。肉食していない時代に生まれたかったです。本当に何を食べたら良いのか悩みます。慣れてしまえば、簡単なのでしょうが。

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  18. 匿名様

    こんにちは。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    あなたは鶏肉だけなので、肉食を止めるのは簡単そうですが、そうは行かないのですね。
    何かきっかけがあれば止められるはずです。
    私はのきっかけは、真理を知った者は肉食を止めなければいけないと言う強い思い込みでしたが、今は、動物の想いが判るので食べられません。
    動物は死の恐怖や痛みを、しっかりと感じています。

    あなたは元々食に対する欲が少ないようですね。
    人間には肉体があり、私たちはこの世にいる時は維持管理する義務がありますので、バランスの良い食事を摂らなければいけません。
    肉や魚がなくなると、料理のレパートリーは少なくなり、作るのも大変でしょうが、菜食の本がたくさんあり、ユーチューブにもアップされていますので、それを参考にして、思い切って始めてみてはどうでしょうか。
    慣れてしまえば、それが当たり前になります。

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  19. イクミさま ユーリさま


    こんばんは。

    上手く伝えることができるか自信がないのですが……。

    まず、ユーリさんのお母様への愛情の深さに、とても羨ましさを感じてしまいました。
    私は、子供の時の体験から、母への信頼や強い愛情を持つことが出来ずにいるからです。勿論、親への尊敬や感謝の気持ちはありますが、ユーリさん程の深い愛情を持てる母娘の魂の繋がりの深さに、そのような母娘もあるのだと……。

    私も、一年と少し前に、人生で1番愛する人を亡くしました。
    深い闇の中で、こちらのブログに出会い、霊的真理に出会い、信頼できるミディアムにも出逢えたことで、進んだり戻ったりしながら、少しずつ前を向けるようになりました。

    「信じる」この事が何より大切であることは勿論だと想うのですが、自分に自信のない私にとって「信じる」事は「自信を持つ」事でもあり、なかなか難しい事でした。

    そんなときに、彼がくれたメッセージが
    「信じるというと、無理やり信じるみたいな感じになるかもしれないけど、疑わないで❗疑わないだけで、想いを受け取れるようになるから。ただ、君が重たい気持ちになることがあるけど、重たい気持ちの時は、重たい幕が張って繋がりにくくなるから、余り重たい気持ちにならないといいな」でした。
    これまで注がれてきた愛情を、疑わない。その愛情は、肉体を失ってからも、変わらず注がれ続けている。
    まして、お母様であったならば、間違いなく、ずっと変わらぬ愛情を、注ぎ続けてくれていると想います。

    疑う事をやめたときから、沢山のメッセージを受け取れる様になりました。私の場合は、多くはふと頭に入ってくるメロディーや歌詞の一部で、その都度歌詞を調べてみると、その時の私へのメッセージだったり、今の彼の想いだったり。
    信じることに自信がなかった時は、「何故今急にこんな昔の歌が頭に浮かんだんだろう?」と、とても不思議でした。



    これ程お母様への強い愛情を持っているユーリさんへ、必ずお母様は、沢山のメッセージを送って下さっていると想います。
    ユーリさんが泣いているときは、そばにきて抱きしめて、一緒に泣いていると想います。

    ミディアムの方から頂いたアドバイスで
    「例えば、家でお茶やコーヒーを飲んだりするとき、隣か向かい側にその人がいると思って、一口どうぞ、とシェアするように話しかけてみて。」というのがありました。
    明確に言葉は返ってこなくても、そこにいるように話しかけて、相手の言葉も、最初は想像だと思ってもいいから、会話するような気持ちで。それを気長に続けていると、少しずつ言葉が入ってくる様になっていきますよ。と。

    イクミさん、もしも、ミディアムからのアドバイスが、このブログに相応しくない内容だとした、申し訳ありません。

    彼は、生前には叶わなかった、1番やりたかった仕事を今一生懸命勉強しているようです。

    きっとユーリさんのお母様も、元気なお姿で、穏やかに元気に過ごされているような気がします。
    そして、いつもユーリさんに寄り添いながら、いつの日かまたユーリさんが笑顔を取り戻してくれるのを願って愛を注ぎ続けて下さっていると想います。

    上手く伝えることができていないかもしれませんが、どうか、ユーリさんに、心からの笑顔が訪れる時が来るよう祈っています。

    イクミさん、いつも心優しいメッセージをありがとうございます。




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  20. てる様

    私は、小さい頃母に歌ってもらった子守唄、読んでもらった絵本、全て覚えているんです。自分でも驚きなんですが。
    物心ついてからは、「私には友達も姉妹もいらない。お母さんさえいてくれればいい」そう思い、買い物から旅行まで常に一緒でした。
    親孝行もできないままの別れでした。
    私は自立を怠っていたから余計に辛いのかもしれません。

    てる様もさくら様も大切な人を失って辛いのに、私の話ばかりですみません。お二人とも、色々乗り越え、信じて、努力されてきたのですね。

    信頼できるミディアムに出会えたのですね。私も一人だけ出会うことができました。
    でも逆にひどい対応をされ泣かされたミディアムもいます。

    私も、母が目の前にいると信じて、食べ物や飲み物をシェアしてみます。良い方法ですね、ありがとうございます!

    イクミ様

    まさにイクミ様のおっしゃる通り、私は自分でもあれこれ思案するのが良くないと思っております。
    母がなくなるまで、シルバーバーチも、死後の生も何も信じていない人間でしたので余計にです。
    なかなか死後の生を信じることに至らず、イクミ様に負担をおかけするようなコメントを度々してるような感じでしたら、本当に申し訳ありません。
    いつもブログで学ばせていただいています。ありがとうございます。

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  21. てる様

    こんばんは、
    ユーリ様への適切なアドバイス、ありがとうございます。
    疑わないこと、重たい気持ちにならないことが、想いを受け取るために必要だと彼は伝えて来ましたが、その通りです。
    またミディアムの方が言っていたことも、なるほどと感心しました。
    まだ受け取れていない人にとって、価値のある情報だと思います。

    あなたは、随分苦しい思いをされました。
    今、ユーリ様は悲しみ苦しみの中にいますが、穏やかな心境になる日がきっと来ます。
    愛は全ての障害を乗り越えて、つながる力だからです。


    ユーリ様

    私も死後の世界など信じていない人間でしたが、今は完全に信じています。
    死後の生、魂が存在する方が、人生で起きるあらゆる事象に合理的な説明が付きます。
    ないと考えると、この世界は極めて不可解なものになります。

    焦る必要はありません。
    真実はいつまでも変わりません。
    その時が来るのを待ちましょう。

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  22. イクミ様 ユーリ様

    こんばんは。
    以前にブログにコメントをさせていただいた、もえです。
    ご無沙汰しております。

    ユーリ様が、今も深い苦しみの中にあり、体調もすぐれないとお聞きして、胸が痛いです。
    今はあまり深く考えすぎず、どうか、体調の回復を最優先になさってください。
    一方、これからコメントさせていただくことは、ユーリ様を考えさせてしまうことになるのかもしれません。ただ、苦しみの根本にふれることが時には必要かと思い、書かせていただきます。長文となりますが、お許しください。

    私は以前、亡き人とのつながりの確証を求めて生きるのはやめた、と書きました。しかしながら、亡き人の存在を感じられないことに対する悲しみ、苦しみの気持ちが消え去ったわけではありません。どうしようもなく、ただ一目でいいから会いたい、と思う時があります。その願いは自分がこの世に生きている限り、絶対に叶うことはないのだと思い知るたび、胸が苦しくなります。この思いは、きっと、一生消えることはないと思います。
    ただ、以前よりも、苦しみとともに生きる覚悟が芽生えてきたように感じています。

    私は死別を経験してしばらく、なぜこんな苦しみがあるのか、この苦しみは自分にとってどんな意味があるのだろうか、ということを考えてきました。
    思い至った答えは、2つありました。
    一つは、深く愛を知ることでした。これまで、それなりに誰かを好きになることはありましたが、どこかで見返りを期待したり、相手に求めてしまう気持ちがありました。愛が何なのか、全く知る由もありませんでした。今から思えば、本当にぼんやりと生きていたのです。そんな自分が、心から純粋に、誰かのために自分を役立てたいと思いました。どんな困難にも目を背けないと誓いました。そして今も、生死に関係なく、いつも相手の幸せを願っています。
    このような思いは、突然どこかから降ってきたのではなく、元々自分の中に眠っていたものが、まるで分厚い皮を剥いたように現れたという感覚です。静かに、強く、心の奥深くから湧き上がってくる思いです。わが身に訪れた苦しみは、これを得るためであったのだと思いました。今は以前よりも、自分が強くなったと感じています。人生に困難はつきものと言いますが、本当に大事なことを悟ると、不思議と恐れる気持ちが弱まり、これからの人生で生じる大抵のことはどうにかできるという気がしてまいりました。
    そして、これからは、自分が手にした愛を他者へ、社会へ捧げることが、自分の人生の課題であると考えています。例えば、イクミ様が、傷ついた人へ癒しを与えるようなブログを書かれたり、ヒーリングをするといったように。まだ自分に何ができるのかわからないのですが、時間をかけて見つけていきたいと考えています。

    二つ目は、一人で生きることを知るということでした。これは、決して人と関わりを持たず、孤独に生きるという意味ではありません。すべての自分の行動、生き様に責任をもち、物事に対し自分で解決していく力を身に付けるという意味です。周りの援助(見えない存在も含めて)を感謝して受け入れる時はもちろんありますが、人は誰しも、生まれる時も、生きている時も、死ぬ時も、基本的には一人です。誰かに人生を代わってもらうことはできません。
    私はこれまで、誰かに依存して生きてきたわけではありませんし、自分に与えられた仕事などは真摯に務めてきたつもりです。でも、心のどこかで、困難が生じても「最後はきっと誰かが助けてくれる」「運が味方してくれる」といった根拠のない甘えた気持ちがどこかにありました。所詮は、大した困難など、経験していなかったのです。
    しかしながら、相方に訪れた危機は、どうすることもできない絶望に満ちた状況でした。病気の苦痛に耐える本人はもちろん大変なのですが、時には目を覆いたくなるような状況の中で、決して逃げ出さず、傍で見届けなくてはならないことは、私にとって大きな試練でした。ところが、当の本人は、苦しみの中、泣き言を漏らすことは一度もなく、いつも私や周囲の人達への思いやりと気遣いがありました。絶対に最後まで諦めない、強い意志がありました。亡くなる前の数日間、苦痛の中で、まるで最後の命の炎を燃やすように、眼に強い光を帯びて、キラキラと輝きを増す姿を、私は息を呑んで見つめていました。決して穏やかな死ではなく、壮絶な場面もありましたが、死に顔は笑っていました。本当に見事な人でした。私は、一人の人間の死に際し、その人の真の姿、生き様を見た気がしたのです。
    どんな状況であっても自分を全うする生き様、これは、私の人生のテーマの一つであり、これを成し遂げる力を身に付けるため、今生に修行に来たのではないか、という気がしています。そして、そのことに気づくために、大きな苦しみが生じたのではないかと考えています。
    また、亡き人の存在を信じているのに、メッセージや思いを受け取ることができないのは、私の感性が鈍いこともあるのでしょうが、この修行の最中だからなのかもしれない、という気がしています。修行が進めば、もっと身近に感じられる日が来るのかもしれません。

    随分と話が長くなってしまいました。ご参考にならないことばかりかもしれません。亡くなった方との関係性、その方の亡くなり方によって、遺された者の感じ方やその後の生き方への影響は様々かと思います。ただ、もっとも強く申し上げたいことは、苦しみには必ず意味があるということです。その意味は、誰かが教えてくれるものではなく、自分で見出すしかないのだと思います。きっと、答えはご自身の中にあるはずです。そして、苦しみには、相応の対価があります。その対価が今生で得られるのか、この世を去ってからなのかは、わかりません。この対価を得た時、真に苦しみから解放されるのではないでしょうか。
    もう一つ申し上げたいことがあります。死別を経験すると、前を向いて生きてほしいと言われることがあります。しかし私には、前を向いて歩むことだけが素晴らしいとは思えません。時には、過去の自分を振り返る時も必要ではないかと思います。苦しみを受け入れて前を向くためのヒントが、過去の自分にあると思うからです。そして、時には、耐え難い苦しみに必死に耐えてきた自分に、「本当によく頑張ったね」と声をかけてあげてください。

    最後に、繰り返しになりますが、体調がすぐれないときは、考えすぎず、どうか心身の回復に努めてください。健やかに日々をお過ごしになられますようお祈りいたします。

    イクミ様
    いつも有益な記事をありがとうございます。
    だいぶ長くなってしまいましたが、どうかお許しください。

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  23. もえ様

    もえ様のコメント、嬉しく思います。ありがとうございます。

    私も人は一人で生きていくのだと思っています。それは事実ですし、またそう思うことにより、私は死別苦しみや孤独感が少しは和らぐのです。

    以前のもえ様のコメントにあったように、自然の中を散策すると、私も気分転換になりました。
    しかしながら、最近は体重がこの2ヶ月で8キロも減りましたから、体力もなくなり、散歩していても息が切れて耳が詰まってきてしまいます。
    病気になってから、父を残してはまだ死ねないと強く思いました。ですから、薬を飲み栄養を少しずつとり体力回復に努めています。

    さくら様やてる様からいただいたコメントを拝見して、私にもいつか信じられる日がくるような期待が持てた気がしています。
    もえ様も以前言われていた、信じることが亡き人への愛なのではないかと私も思っているのです。

    もえ様の大切な方は、一生懸命辛さと戦い、人に優しい素晴らしい方だったのですね。
    もえ様と共に過ごせた時間、とても幸せだったと思います。

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  24. イクミ様

    コメント欄で自らの辛さを度々書き込み申し訳ありませんでした。皆様に気を遣わせ、重い気持ちにさせてしまった気がしています。

    今後、具体的にどう考えどう生きていけば良いのか。色々と教えていただける機会をいただけましたこと、感謝しております。

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  25. もえ様

    こんばんは。
    お久しぶりです。

    読んで下さっていたのですね。
    コメントを読んで、少し涙が出ました。
    あなたの魂から出た言葉であり、ユーリ様を思いやる気持ちに溢れていたからです。
    そして、その方を愛されているが故の、あなたの苦しみが伝わって来たからです。

    愛する人が、苦しみ、死んで行く、それを傍で見ている、これ以上の試練がこの世にあるのでしょうか。
    おつらかったでしょう。
    彼を失った苦しみの意味の答えを見つけたと言うよりも、苦しみの果てに真理に辿り着いたのだと思います。
    真理を魂に刻み込むために、私たちはこの世に生まれ、さまざまな経験をしていますので、大きな目的の1つを果たしつつあると思います。

    出来事が起きる霊的な目的とは、より高く強い愛を表現するようになるためと考えています。
    自分の中にある神性を、より顕現させるためです。
    これ以上ないと思われる試練を経験し、あなたは強く優しくなったと思います。
    その事が、文面からしっかりと伝わって来ています。

    彼の存在を信じているのに、メッセージを受け取れない理由を、霊的感性の低さや修行の最中だからと言っていますが、そうではないのかもしれません。
    メッセージを伝え、確証を得る目的は、魂を目覚めさせるためです。
    彼がこの世を去る前、苦痛の中で、眼に強い光を帯び、輝きを増して行く姿を目の当たりにして、その時に彼の中に魂を見出し、同時にあなたの中で眠っていた魂も目覚めたと思います。
    もしそうであれば、メッセージや確証は、もう必要はありません。

    強い姿のまま、彼は逝きました。
    その理由は、あなたに強く生きてもらうためです。
    もし、メッセージを受け取ることが出来たら、2つ目の答えは見つけられなかったかもしれません。
    決意にも、水を差すことになるでしょう。
    そのために、敢えて今は静観しているような気がしてなりません、
    あなたが求めなくなった時を見計らって存在を示してくれる、それが彼の愛情表現なのかもしれません。
    成長を願ってのことだと思います。

    横から書き過ぎてしまったことをお許し下さい。

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  26. ユーリ様

    こんばんは。
    重い気持ちにはなっていませんので、気になさらないで下さい。

    シルバーバーチの霊訓の中にこんな問答があったのを思い出しました。

    問)求めよ、さらば与えられん”という言葉も真実ではなさそうですね。

    答)「その”与えられるもの”が何であるかが問題です。祈ったら何でもその通りになるとしたら、世の中は混乱します。最高の回答が何もせずにいることである場合だってあるのです」

    何も反応がないことの中に、お母様の深い想いが隠されているのかもしれません。

    今は生命力が不足している様なので、心身を休めて下さい。
    今日は遅くなりましたので、よろしければ明晩ヒーリングを行ってみようと思いますが、いかがでしょうか?


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  27. イクミ様

    一年前ですがミディアムの方に、母が「そっとしておいたほうが良いと思っていた。黙って見守っていたほうが良いと思っていた。」と言っている。
    と言われたことがあるのは何か関係あるのでしょうか。

    ヒーリングお願いいたします。
    睡眠も浅くいつも寝たり起きたりしています。
    いつもお手数をおかけしますが、どうかよろしくお願いいたします。

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  28. ユーリ様

    おはようございます。
    ミディアムの方が伝えたことが正しければ、お母様はご自分から自立して生きて欲しいと思っているのではないでしょうか。
    ご自分の死の意味は、あなたの成長を促すものとして捉えられているのではないでしょうか。
    お母様を安心させる生き方を見つけて行きましょう。

    ヒーリングの件、了解しました。
    今晩10時に行いますので、そのまま眠っても良いように着替えてリラックスしてお待ち下さい。
    時間は15~30分位です。
    栗男様と言う方がヒーリングに参加して下さると思います。

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  29. 栗男様

    おはようございます。
    直前のコメントの通りですので、よろしければユーリ様のヒーリングに参加されて下さい。

    返信削除
  30. イクミ様

    おはようございます。
    今晩10時からのユーリ様へのヒーリング承知しました。
    よろしくお願いいたします。

    返信削除
  31. イクミさま、栗男さま

    ヒーリングありがとうございます。
    お忙しい中お手数をお掛けしますがどうぞよろしくお願いいたします。

    返信削除
  32. ユーリさま

    ユーリさんの想いの中に「まだ親孝行もできないままだった」という言葉がありました。

    私は、まだ霊訓を深く理解できていないので、これは、とても個人的な想いになってしまうかもしれませんが……

    もう、充分に親孝行はされたと想います。

    私にも、12歳の息子がいますが、息子が3歳位になったとき
    「こんなに可愛くてこんなに愛しくて、こんなに幸せな気持ちを経験させてくれて、見させてくれて、もうこれで親孝行は充分」
    と感じました。あとは、自分の人生を、転びながら起き上がりながら、生きていってくれたらそれでいい。

    きっとユーリさんのお母様も、言葉にならないくらい幸せな時間をユーリさんから与えられていたんじゃないかと想います。

    「黙って見守る」事も、お母様としても娘への深い愛情を感じました。本当は、自分が手助けして守ってやりたいけれど、子供の苦しみは自分の苦しみのように痛いけれど、それでも敢えて、子供の生きる力を信じて黙って見守る。
    そんな風に感じました。

    私も、幼少期の体験から、長い間拒食症と不眠を繰り返してきましたが、その数十年の経験を経て、今こうして生かされています。

    そんなことをいいつつ、やはりまだ、触れられない見えない寂しさに泣いてしまう日もありますが💦

    きっと大丈夫です。
    ユーリさんは、一人じゃありません。私もブログの画面のこちら側から祈ってます。ゆっくりゆっくり、ユーリさんに少しずつ笑顔が戻る日を。

    感じたままに書いてしまいましたので、もしかしたら的外れな内容になっているかもしれませんが……。

    イクミさま

    個人的な想いで書かせて頂いてしまいました。
    申し訳ありません。

    返信削除
  33. イクミ様、てる様

    てる様、長い間、拒食症と不眠が続いておられたとのこと、大変お辛かったとお察しします。
    なかなか治らない病で苦しんでいるときは、自分がこれからどうなってしまうのか分からないという不安な気持ちになり尚更辛いですよね。今は大丈夫なんでしょうか?無理はなさらないでください。

    てるさんと同じこと、叔母からも言われました。子育て自体が幸せだったから既に親孝行したのだと。優しい方はそう言ってくださいます。どれだけ救われたか分かりません。

    反対に、悪意のある周囲の人間の言葉もまたなかなか忘れることができません。
    私はシルバーバーチの本は2冊しか持っておらず、しかもまだ良く読み込めていないのでこういうときどうやって忘れればよいのか考え込んでしまうときがあります。まだまだ私は未熟だなと思います。

    少しずつ体調は回復していけば良いと思っています。死別がいくら辛くとも今はまだ生きていかなくてはいけないという現実がある限り、なるべく健康な心身でいなければと思っています。
    親身になっていただき、ありがとうございます。
    元気になって心に余裕ができたら、私も人の役にたち、優しさを分けてあげられるようになりたいと思っています。


    返信削除
  34. イクミ様

    こんばんは。
    昨日の私のコメントは、苦しみの根源を見つめ、強く立ち向かう方向にしか、結局のところ自分自身を救う術は見つからないという思いで書かせていただきました。「耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません」とシルバーバーチは述べていますので、苦しみぬいた先に必ずや救いが見いだせるとの思いがありました。
    ユーリ様を想ってのことでしたが、あまりに個人的な体験談を書きすぎて、私の方こそ、ブログをご覧になっている方々を重い気持ちにさせてしまったのではないかと案じておりました。特に、死に際しての描写は、あまり聞きたくないという方もいらっしゃるかと思います。もしそのような方がおられたら、お詫び申し上げたいです。
    普段、あのようなことは胸の内に留め、表に出したりはしないのですが、心のどこかで自分の思いを整理したいという気持ちがあったように思います。そのような機会をいただけたこと、お礼申し上げます。イクミ様に温かなコメントをいただき、胸が熱くなりました。

    ところで、私はかねてより、イクミ様に肉食のことでお尋ねしたいと考えておりました。ご教示いただきたいことが3点ほどあります。
    一つ目は、どの程度まで肉類を許容するのかという点です。
    私はもともと肉類が好きな方ではありませんでしたが、霊的真理を学ぶようになってからは、牛肉・豚肉・鶏肉といった、いわゆる家畜の肉をもう口にしたくないと思うようになりました。しかしながら、私が持病のために毎日服用する薬は、豚の内臓から作られているそうです。服用を止めても直ちに命を落とすわけではありませんが、QOLが低下し、長期的にみると寿命は縮まるかもしれません。また、様々な加工食品等にはこれらの肉類のエキスや脂などが使われていることがあります。日々、フルタイムで働く身としては、毎度の食事に細心の注意を払うことに限界を感じており、外食や出来合いの物を利用することもあります。その中には、肉由来のものが含まれている可能性があります。これらは利己的な行動になるでしょうか。一体どの程度まで許容するのが妥当といえるのでしょうか。個人の生活に支障のない程度にやるしかないということでしょうか。

    二つ目は、肉食の範囲についてです。現状としては、魚介類や卵(平飼い)、乳製品などは口にしています。どこまでを排除すべきなのか、悩ましく思っています。動物に分類される生物とそれに由来する物は、一切食べたり、殺したりすべきではないのでしょうか。一方で、なぜ植物は食べてもよいのか、周囲の人に聞かれたことがあるのですが、うまく答えることができませんでした。進化のレベルが低く、痛覚がないとされる生物だからなのかもしれませんが、進化のレベルのどこで線引きをするのが妥当なのでしょうか。動物の痛覚の有無については様々な研究があるようで、魚類や甲殻類は痛みを感じているとの議論がありますが、植物についてはまだよくわかっていないという報告もあるようです。植物食に移行することで家畜の飼料が減り、植物への負担も減るため望ましいことは理解できるのですが、植物だけは食べてもよい理由が、まだどうもよくわからないのです。また、仮に植物のみが許されるという答えが出たとしても、植物が栽培される過程で、虫が殺されていることも多いかと思います。このように考え出すと、無農薬で植物を自分で栽培するのがベストなのではないか、という今の私にとっては現実的に難しい考えに至ってしまいます。
    さらには、家畜の範疇外となる野生動物の取り扱いについても気になっています。近年、イノシシやシカの食害による農作物への被害や森林植生への深刻な悪影響が指摘されています。このため、これらの動物の生息密度をコントロールするために捕獲し、一部の食肉はジビエ料理として消費されています。イノシシやシカが増えすぎてしまったのは、温暖化や人間生活が変化して山が手入れされなくなったことが一因と言われるため、人間側に問題があるのに、野生動物に苦痛を与えて殺すのはおかしいと思います。しかしながら、人間の生活様式を昔のように戻すことは難しく、深刻な被害が出ている以上、現実問題として殺さざるを得ないのが現状であると認識しています。私はイノシシやシカの肉を食べたいとは全く思わないのですが、ただ食べなければよいという問題ではない気がしています。このような状況において、個人の行動としてはどのようなことが求められるでしょうか。

    三つ目は、肉食を避けることを周囲にどう説明するかについてです。同居する家族が肉食をする場合、家族にも肉食をやめるよう促すことが望ましいのでしょうか。成人に達しない子どもの場合は、親の信条で育ててよいものなのでしょうか。家族が霊的真理に通じておらず、霊的な観点による説明が難しい場合は、どのように説明するのがよいのでしょうか。

    以上のことについて、どのような考え方が霊的真理に沿っているといえるのか、イクミ様のお考えをお聞かせいただければ幸いに存じます。お忙しいと思いますので、お時間のある時で結構です。どうぞよろしくお願いいたします。

    返信削除
  35. イクミ様、栗男様

    昨晩はヒーリングをしていただきましてありがとうございました。
    相変わらず何度も起きましたが、いつもより寝付きが良く、質の良い睡眠が取れました。
    お二人の力をお借りして、パワーをチャージできたことですし、これから前向きに病を治していきます!

    イクミ様、母からのメッセージは何か降りてきましたでしょうか。

    お忙しい中、貴重なお時間を割いていただいたことに感謝いたします。

    返信削除
  36. イクミ 様

    ご無沙汰してます。
    ルナです。
    今日は孤独感に耐えられずこちらにお邪魔してしまいました。
    主人が亡くなりはや4年が経ち、最近は穏やかに過ごしてきたつもりですが週末の夜は久しぶりに今日の様な寂しさとに陥りってしまったじぶんがいます。
    子育ても1人二役しなければいけず子供にあたってしまう事もしばしばです。

    最近人と比べる事を手放したと思えたのですが、やはりどうしても比べてしまう自分が居ます。
    ママ友と呼べる人が少ないので、子どももお友達付き合いができずかわいそうに思います。
    全て私の責任ですね。
    旦那さんがいる人と友達になれないのは、私が引けを感じているからなのだとわかっています。
    どうしようもないです。知り合いになるひとがいるとどうしても”ご主人は”という話題になり、亡くなったと言うとまずい事を聞いてしまったと言う雰囲気になってしまい、それから先は親しくなれない気がして自分から遠ざかってしまいます。

    中心軸がいつもブレてしまい、つい外向きに注意が行ってしまい元に戻さないといけないと思いつつも辛いです。
    もう大丈夫かなと思っていたのですが、やはりまたここに戻ってきてしまいました。

    イクミ様、すいません私にも少しエネルギーを送って頂くと嬉しいです。

    返信削除
  37. もえ様

    おはようございます。
    あなたがコメントを書いたのも、ユーリ様を思ってのことですが、見守っている存在は何かを気付かせたかったのかもしれません。
    死に際の描写を知りたくない人は、スルーすれば良いだけの話です。
    私はあなたの大切な人、そしてお二人の関係を知ることで、苦しみの理由が少し理解出来ました。
    深く共感した人もいると思います。

    ご質問の件ですが、私なりにお答えさせていただきます。
    1つ目の、どれくらいまで肉類を許容するかと言うことですね。
    ます、あなたの健康を維持するための薬の中に、豚の成分が入っているそうですが、同じ効用で入ってないものがないのであれば、服用はやむを得ないのではないでしょうか。
    普段の食事は妻に作ってもらい、楽をさせてもらっているのですが、もし独り身であれば、納豆や豆腐など簡単なものしか食べない、偏食になってしまうような気がします。(もちろん両立している人はいますが)
    フルタイムで仕事をしていれば、外食や出来合いの物を利用するのは致し方ないことです。
    あなたには持病がありますので、細かいところまでこだわっていると、神経をすり減らしてしまい、心身の健康に良くありません。
    今は入っている可能性があるものでも、気にせずに食べて良いと私は思います。
    それは利己的なのとは違います。
    もっと健康になり、時間に余裕が出来てから、ヴィーガンを目指して下さい。

    私は仕事で泊まり込みの研修会に行くことがあります。
    そんな時には事前に施設に知らせておいて対応してもらっています。
    日帰りの研修に参加して昼食に弁当が出されますが、変更できない時には、食べられないものは、箸をつける前にどなたかに食べてもらうようにしています。
    そんな時、自分の主義を貫くために、利己的になっているのでないかと感じてしまいます。

    2つ目の質問ですが、動物に由来するものは食べてはいけないと言うよりも、大豆や穀物や果実を食べている方がより自然と考えています。
    以前のブログにも書いたことですが、歯の形がその様に創られているからです。
    私も、植物も生きているのに食べて良いのかと質問されたことがあります。
    捉えられる時、殺される時に恐怖や苦痛を感じているのは動物だけです。
    植物には、大脳や知覚神経はないので、それはありません。
    苦痛を強いるのは、神の摂理に反していると考えています。
    もし、植物を食べるのもいけないのであれば、人間は食べるものがなくなり、生存することが出来ません。
    神は生存することが出来ない世界に、人間を創ることなどありません。
    よって、必要十分な植物を食べることは許されると考えています。
    あなたが言うように、無農薬のものが望ましいのですが、それだけになるのは現状では難しいと思います。

    3つ目の質問ですが、家族で動物性のもの食べないのは私だけであり、止めることを促すことはしていません。
    ただ、肉となる動物も恐怖や苦痛を感じていることは何度も伝えています。
    子供は大人よりも動物に近いので、そのことは判ってくれると思います。
    正しい理由があって親が肉を食べていなければ、子供も納得して、見習うのではないでしょうか。

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  38. ユーリ様

    おはようございます。
    少しはお役に立てたようなので、安心しました。
    必要な時は、遠慮なく連絡して下さい。

    お母様からのメッセージですが、ヒーリングの最中も特に何も感じませんでした。
    ただ、あなたのことは生前よりも良く判っていますので、伝えたい想いはたくさんあると思います。

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  39. ルナ様

    こんにちは。
    お久しぶりです。
    ご主人が亡くなり4年経つそうですが、孤独に耐えられなくなってしまったのですね。
    時間は経っても、この世にいなくなった現実はそのままですから、仕方ありません。

    お子さんに当たってしまうそうですね。
    また、ママ友があまりいないので、お子さんが友達付き合いが出来ずに可哀想に思うのですね。
    ご主人のことを聞かれた時に、亡くなったと答えると、気まずい雰囲気になってしまい、それから先は親しくなれないような気がして遠ざかってしまうそうですが、お子さんの友達作りのためと割り切ってお付き合いすることは難しいのでしょうか。
    自分のせいと、ご自身を責めてしまうと、傍にいるお子さんにとっても良くありません。

    ご主人がいないことは、あなたにとって大きなことですが、人生の全てではなく一部分です。
    それぞれの人が、それぞれの人生を歩んでいて、あなたはご主人のいない人生を今歩んでいます。
    それも明確な目的があってのことです。
    あなたはご主人を失った代わりに、ご主人がいる人には得られない貴重な経験をしているのであり、そのことで大切なことを学び、苦労した分、大きく成長して行かれると思います。
    失った分だけの埋め合わせが必ずあり、神の公正は保たれています。

    あなたが引け目を感じていたのなら、お子さんも感じてしまうでしょう。
    難しいでしょうが、ここはお子さんのためにと、開き直って、お付き合いされても良いのではないでしょうか。

    地上的な見方をすると、寂しくなり、人と比べて嘆いたりしてしまいますので、そんな時ほど、霊的真理にしがみついて下さい。

    何もかも一人でやらなければならず、お疲れでしょう。
    ヒーリングの件、了解しました。
    今晩10時に行いたいと思いますが、大丈夫でしょうか?

    尚、栗男様と言う方が、ヒーリングに参加して下さると思います。

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  40. 栗男様

    こんにちは。
    昨晩のヒーリング、ありがとうございました。
    直前のコメントにありますように、今晩10時からルナ様に向けて行いたいと思いますので、よろしくお願いします。

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  41. イクミ様

    こんにちは。
    今晩10時からのルナ様へのヒーリング承知しました。
    本日も、よろしくお願いいたします。

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  42. イクミ 様

    早速返信くださりありがとうございます。
    おっしゃる通り息子も引け目を感じてしまうかもしれません。
    それはやはり避けたい事です。
    客観的に自分を見ると、人と比べると言うのは劣等感の現れと言うか羨ましく思うからなのでしょうか。
    自分がかつて当たり前の様に過ごしてきた幸せが突然奪われてしまい、他の人には当たり前の様にある。
    正直に言うと嫌でたまりません。
    心から人の幸せを祝福することができなくなっています。
    割り切ってお付き合いをする様にしますとは、断言できない自分がいるのですがタクミ様がおっしゃる様にそれが乗り越えて浮く事なのでしょうか。

    ヒーリングの件ありがとうございます。
    私の住むところは日本と比べると7時間遅れているので、夜10時は午後3時にあたります。
    以前ヒーリングを送っていただいたときは日本で早朝だったのですが、タクミ様にもご負担をおかけしますのでご無理をしない様にできる日で結構です。
    また無理を言うつもりもありません。
    こうして返信をくださるだけでもありがたいです。


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  43. ルナ様

    こんにちは。
    時差が7時間もあることを、すっかり忘れていました。
    こちらが早朝くらいががよろしかったのですね。
    それでは明朝の5時、そちらの時間で今晩10時にしましょう。

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  44. 栗男様

    ルナ様のコメントに書かれていた通り、時差が7時間あるところにお住まいですので、明朝5時に変更になりました。
    就寝中の時間であれば、私一人で行いますので、無理なさらないで下さい。

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  45. イクミ様

    ルナ様のお住まいのところとは、時差があるとのことですので、
    私は明朝9時半くらいから、ルナ様へ向けてのヒーリングを行います。

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  46. 栗男様

    了解しました。
    よろしくお願いします。

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  47. イクミ 様、栗男様

    ヒーリングの件ありがとうございます。
    イクミ様朝5時はイクミ様にとって早すぎないでしょうか。
    もう少し遅い時間でも大丈夫です。
    申し訳ないです。
    最近イクミ様のブログに訪れておりませんでしたので、栗男様の事は存じ上げず失礼いたしました。
    どうぞご無理のない範囲で宜しくお願いします。
    ありがとうございます。

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  48. ルナ様

    時間ですが、年のせいか5時頃には起きていますので、大丈夫です。
    それでは、リラックスしてお待ち下さい。

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    1. ありがとうございます。それではよろしくお願いします。

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  49. イクミ 様、栗男 様

    昨日はヒーリングをして頂きありがとうございました。
    こちらの時間で夜10時にベットに行き程なく寝入ってしまいました。
    お蔭様で今朝はすっきりと起きられてやる気も湧いてきました。
    感謝です。
    色々と考えすぎるのはやめにします。

    本当にありがとうございました。

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  50. ルナ様

    こんにちは。
    すっきりと起きられて、やる気も湧いて来たそうですが、ヒーリングの力は届いていたと思います。
    異国の地で、お一人での子育ては本当に大変でしょうが、あなたには守護霊がしっかりと付いていますので、良い方向に導いてくれます。
    また、何かありましたら連絡して下さい。

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  51. イクミ 様

    ありがとうございます。
    1つお伺いしたいのですが、”あなたには守護霊がしっかりと付いていますので”、良い方向に導いてくれます。と返信頂きましたが、それはイクミ様が感じられた事でしょうか。
    それとも一般的な事でしょうか。
    お教えいただけたら嬉しいです。

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  52. ルナ様

    おはようございます。
    あなたは1人ではなく、守護霊とともに生きていると言いたかったので、あなたの守護霊から何かを感じていたわけではありません。
    良い方向に導いてもらうためには、守護霊に見守られていると強く信じることが必要です。

    イクミ

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  53. イクミ様

    さっそくご回答くださり、ありがとうございました。
    お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
    霊的真理を学ぶようになり、知識が増えてまいりましたが、知識には責任が伴うとのことで、どのように責任を果たしていくのがよいのかと思い、質問させていただきました。

    自身の生活において、隅々まで徹底して動物の使用を排除することには、現状ではやはり難しいですので、あまり細かいところまで考えすぎず、今はできる範囲でやっていこうと思います。
    ヴィーガンになる理由として主な観点の一つである環境配慮については、肉食をやめることで資源量を減らせるとのことで、一定の合理性があり、比較的理解を得やすいかと思います。
    一方、もう一つの観点である動物愛護については、感情論だとして、時に批判の対象とされます。植物は痛みを感じないし、意識がないから殺してもよいというのは、植物の命を軽視した偏見であり、合理性に欠けるとの批判です。意識自体が霊的次元の話で、科学では未解明ですから、理屈で説明することは困難ということですね。
    霊的真理を受け入れ、未科学のことでも理解できる人がもっと増えればと思います。

    新しいことを学ぶたびに、もっともっと学ぶべきことがたくさんあると感じます。
    また様々なことを学ばせていただけたらと思います。
    ありがとうございました。

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