2019年10月13日日曜日

苦しみは魂を浄化する


人生100年と言われるようになりました。

周りを見ても、90歳を超えて元気に暮らしている人は少なくありません。

そして「終活」と言う言葉を頻繁に聞くようになりました。

死ぬまでに、身辺整理をして、やりたいことをして、心残りのないように生きることを指していますが、一昔前に比べて、死に対して暗くて、恐いイメージは少なくなったように感じています。

しかしながら、多くの人にとって、死んだ後のことは依然空白のままです。



霊的真理により、私の空白は埋まりました。

無になるのではなく、魂として生き続けることを知って、死は恐いものではなくなりました。

次に行くのは、嘘、偽りの存在し得ない真実の世界です。

これまでに得た知識と実体験から、想像している世界が待っていると確信しているので、今は待ち遠しく感じています。



この世の経験は、次の世界において活かされます。

正確に言えば、次の世界でより個性を発揮して生きるために、この世でさまざまな経験をしています。

人生において、悦びもあれば、苦しみもあります。

悦びばかりであったら、どんなに良いかと思いますが、そんなわけには行きません。

両方があって、それぞれが際立ちます。

苦しみがなければ、悦びの真の意味は判りません。



水に溺れたとしたら、大変な苦しみを感じます。

なぜ、苦しみを感じるのでしょうか?

苦しくなることで、肉体に危機的な状況になっていることに気付きます。

もし、何も感じなければ、酸素欠乏状態になっても気付かずに、最悪の場合は死んでしまいます。

肉体の異変を知らせて、守るために、苦しみは存在しています。



自分の夢が叶った時や、親切にされた時など、精神的な悦びを感じます。

一方、つらい出来事があった時は、苦しみを感じます。

もし、他者に酷い仕打ちをされたのなら、怒りや憎しみなど様々な想いが湧き上がり、胸が苦しくなってしまいます。

そんな時、怒りや憎しみに任せて、やり返したらとしたらどうでしょう?

気持ちは一瞬、晴れるかもしれませんが、後味の悪さは残ってしまいます。

たとえ、相手に非があったとしても、良心が咎めるようなことをすれば、後悔します。

それでは、怒りや憎しみを感じても、やり返しもせずに、苦しみに耐えなければならないのでしょうか?



たちが、この世に生まれて来た目的は、魂を成長させるためです。

この世は極めて不完全な世界なので、不公正、不公平、不平等に思えることが、往々にして起こります。

それに耐えることも、魂の成長につながっているのは確かです。

けれども、自分が苦しい思いをしているのに、相手が平然としていれば、心穏やかにいるのは困難です。



身体を傷つければ、法律に触れて、裁かれます。

法律の入らないところで、傷つけられたり、痛手を被ったとしたら、裁きを受けることはありません。

地上の法律が入らないところにも、自然法則は行き渡っています。

全宇宙に普遍的に働いていて、何人たりとも逃れることが出来ません。

原因に対して、寸分の狂いもなく結果が生じます。

自然法則に背く過ちを犯したのならば、結果として相応の償いが必ず生じます。



しかし、過ちを犯しても、償うことなく死んでしまう人もいます。

それでは、やはり不公正に思えてしまいます。

肉体は消えてなくなっても、生命の本質である魂は、全く変わりなく存続しています。

今生で犯した罪は、魂にしっかりと刻み込まれています。

この世で、言い逃れをしたり、嘘を付いたりして、ごまかすことは可能です。

しかし、次の世界においては不可能です。

真実が露わになり、自然法則に照らし合せて、その罪を償なうことになります。

人に苦痛を与えたのであれば、同等の苦痛を味わなければならず、そのためにもう1度地上に生まれて来る時があります。



相手の罪が暴かれ、償ったとしても、引き続き苦しみを感じながら生きて行かなければならないのであれば、やはり不公正さを感じてしまいます。

その苦しみにも、自然法則は働いています。

魂の成長という形で、埋め合わせが計られています。

地上的なものを失った分、それに見合った霊的なものが得られています。




どんなに不公正に思えたとしても、霊的に視れば完全な公正が保たれています。

そのことはこの世ではなかなか実感できません。

しかし、次の世界に行くとはっきりと自覚され、自然法則を創った偉大な存在を強く感じると共に、感謝するようです。

確かな知識を得ることで、苦しみは軽減されるはずです。

何故なら、苦しみは叡智(知識)を身に付けるために存在するからです。




生まれる前に決めていたことが予定通りに起きて、苦しみが生じていることがあります。

自分が変わり、成長して行くために、あえて苦しみを享受する人生を、自らが決めている場合があります。



苦しみは、自分を変えるための触媒です。

嘘を付いて、他者に苦痛や損害を与えて、罪を逃れて償うことなく亡くなった人がいたとします。

嘘を付くのは、神の法則に反した行いであり、次の世界に行くと自分の犯した罪と与えた損害に向き合うことになります。

そして、犯した罪を償わない限り、成長することが許されないことを知ります。

成長が許されないのは、牢獄に入り自由が許されないよりも、はるかに堪えることだと思います。

生きる目的を奪われたことになるからです。



犯した罪を償い、自分を変えるために、もう1度この世に生まれることになると思います。

嘘を付くのは良くないと親にどんなに言われたとしても、法律に触れて懲罰を与えられたとしても、本性は容易に変えられるものではなく、変わらなければ過ちは繰り返されます。

人生のどこかで、嘘を付くことで深刻な出来事が起こり、大きな苦痛を味わうことになると考えられます。

精神的に追い詰められ、魂が目覚めて、霊的な苦痛を味わう中で根本から自分を正すことになります。

外部の力ではなく、自然法則の働きによって、内部から変わって行きます。



溺れている人は、苦しくてそのままではいられません。

必死に泳いで岸に辿り着いて、深呼吸をして、初めて苦しみから解放されます。

自分が変わらなければ、苦しみはそのままです。

外部に何かを求めても、苦しみから逃れることは出来ません。

怒りや憎しみを、外部に向けても何も変わりません。

自分が変わった時に、苦しみから解放されます。

昔、許せずに苦しんでいたことが、何も思わなくなっている時があります。

それは自分が成長し、寛容さを身に付け、許せるようになったからと考えられます。



魂が不完全であるために、苦しみが生まれると考えられます。

不完全な魂が、苦しみの経験を通して、法則の働きを得心しながら、少しずつ完全(神)に近づいて行きます。

苦しみがあるのならば、どこかに不完全なところがあり、変えて行くことになると思います。

完全に近づくほど、苦しみから解放されて行きますが、完全になるのには無限の時が必要なので、私たちは永遠に生き続けなければならないようです。



地上的な苦しみは、時に耐えがたいほど大きなものになりますが、それだけ自分を大きく変えることが出来ます。

次に行く世界は、地上的な苦しみから解放された、とても快適な世界です。

しかし、成長と変化を望む魂とって、最適な環境ではありません。

自分を大きく変えるために、次の世界での生活に見切りを付けて、苦しみの存在するこの世に生まれることを決意し、勇気を出して飛び込んで来たと考えられます。

この世の苦しみは自分を変えるめに存在し、次の世界に行くと目的を成就した悦びに変わるはずです。






家の近くに、それほど大きくない河が流れています。

ところどころが淀んでいて、ゴミも浮いています。

昨晩(10月12日)ですが、大きな台風が通り過ぎました。

今朝、犬を連れて河に沿って散歩をしましたが、河の流れはいつもと同じでしたが、護岸の草は流れに沿って倒されていて、水量の多さ、勢いを物語っていました。

良く見ると、河の水は驚くほど澄んでいました。

激しく降った雨が河に流れ込み、濁流となって、淀みやゴミを一気に押し流してしまったようです。



人生においても、濁流のように押し寄せた出来事に翻弄されてしまうことがあります。

苦しみながら、もがきながらも、どうにか乗り越えられた後に、心の中のあった淀みの様なもの、染み付いていたものが一掃されて、心の軽さ、清々しさを感じることがあります。

苦しみは自分(魂)を浄化させている。

いつにない清らかな河の流れを見て、そんなことを感じました。




この台風で亡くなられた人のご冥福と共に、被災された人が一刻も早く以前の暮らしを取り戻すことを祈ります。






49 件のコメント:

  1. ラッパ吹き2019年10月14日 9:38

    イクミさん、
    いつもありがとうございます。ラッパ吹きです。

    シルバーバーチの霊訓を何度も繰り返し読み知識として頭で理解してはいても、苦しみをありがたいものとして受け止め、魂を浄化し成長させる触媒として立ち向かうことは、とてもつらくて難しいです。

    アラン・カルデックの著書にも苦しみをへて浄化され死後に幸福を得た霊からの通信がありますが、その人生は筆舌に尽くしがたい過酷なものでした。

    私も(彼らのような、私にはとても耐えられないほど過酷なものではないかもしれませんが、私にとっては)煉獄のような「魂の訓練場」に生きています。

    苦しみは、いつも逃げられない状況で、精神を破壊されるほどの強烈さで、いつ終わるとも知れない長い間、襲い続けました。今もそうです。

    いくら考えても判らないのです。この逃げられない苦しみが魂を浄化し強くするためにあるのか、私が犯した過ちに対する償いなのか。ただ歯をくいしばって耐え抜けば良いのか、何かを変えなければいけないのか、としたらそれは何なのか、祈っても願っても判らないのです。

    精神的にギリギリまで追い詰められて魂が目覚める、という劇的な経験も私にはありません。いけないこととはいえ、これでもまだ足りないのかと恨めしくなり、これほど何度も苦しみの課題が現れるのは学べていないからなのかと考えると絶望的になります。

    シルバーバーチ霊が述べているように、真理は知識として知っているだけでは意味が無く、それを現実の生活の中で身をもって実践する責任が負わされる。だから、今それが求められているのだ、と考えてみても、苦しみの辛さは一向に変わりません。

    霊訓の一節に「時には力の限界までしごかれることもあります。」とあります。(10巻 2章 何のために生まれてくるのか p19)
    もう気が狂いそうで、これでもまだ限界ではないのか、もう限界はとっくに越えているのに(だから、ウツが再発してさらに苦しんでいます)もしもこれが私の過ちの償いなら私はそれほどの極悪人なのか、と頭を掻きむしって叫びたい衝動に耐えて、この言葉にすがりついています。

    (今、これを書きながら「お前は嘘をついている。憐れみを乞うために誇張し言葉を飾り立てている。」というイメージが頭に浮かびました。自我の自己否定なのか、背後の霊からのメッセージなのか、もう何を信じたら良いのか、私はそんな悪党で偽善者なのか、もう言葉になりません。
    このコメントを投稿することも、「やめろ」というイメージがありました。
    おかしくなってきているのかもしれません。。)

    ラッパ吹き

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  2. イクミさん、
    連続のコメントお許しください。

    私はHSP(Highly Sensitive Person)です。5人にひとり必ずいる、種の生き残りのために危険を察知する役割を負った特質を持ってしまった者です。

    ひとりだけで何もせずに過ごすダウンタイムが必要不可欠で、それが無いと神経が参ってしまう。会社で大きなストレスにさらされ続けた上に家ではそんな時間も環境もまったくないので、かつては帰宅に長く歩いたり、年に数回の休日や、深夜にひとりでバイクに乗ったりと、HSPだと知った今はそれが私にはどうしても必要なダウンタイムを得る手段だったことがわかります。
    それができない日々が長く続くと限界に達して必死の状態まで追い詰められ争いになってしまう。

    ジュリア・キャメロンという人のThe Artist’s Way(日本語訳 「大人のための才能開花術」 ヴィレッジブックス 刊)という本にもまったく同じ内容が出てきます。
    そのひとりぼっちの癒しの時間、充電期間がないと、追い詰められた野生動物のように牙をむき出し「放っておいてくれ、無茶な要求はやめろ。」と訴えることになる、と。それが長期にわたると、殺してやるという脅しを口にするようになり、それでも無視され続けると「殺してやる」が「死んでしまいたい」に取って代わる。私もそうでした。

    ジュリアは、自分の心の奥の願いを押さえつけて他者にいい顔をし続けることを「美徳の罠」と呼び、それにとらわれた創造者は極端なまでの高潔さで本当の自己を破滅させてしまう、私たちの中のアーティスト、本当の自己は死んでしまって、抜け殻になってしまう、と書いています。
    私にはそれが実感として解るんです。

    もしそれが私の罪なのだとしたら、私にはもう逃げ場がどこにもありません。

    シルバーバーチの言葉からもこのことについては未だに答えが見つけられていません。

    取り止めなく申し訳ありません。
    読んでいただけるだけで、大きな救いになります。

    ラッパ吹き

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  3. ラッパ吹き様

    こんにちは。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    あなたの苦しみが、強烈で継続的であることは、今までいただいたコメントから承知しています。
    苦しみは因果律の働きによって生じます。
    何か原因があるはずですが、今生で作り出したものではないと私は思います。
    生まれる前にあったとすれば、より一層の学びと成長を望んでのことか、それとも過ちの償いのためか、そのどちらかと言うことになります。
    いずれにせよ、自分で決めて来たはずです。

    ブログにも書きましたが、私が訪問していた施設に、重度の障害によりベッドの上で身じろぎもせず一生を過ごす人がいました。
    霊的な知識のある人は、そんな人を見て、過去生で重大な過ちを犯したために、この様な結果になったのだと言うかもしれません。
    しかし、一点を凝視する顔を見ていて、違うのでないかと感じました。
    ご存知かもしれませんが、天台宗には千日回峰行業と言う荒行があります。
    約1000日間に渡り、比叡山の周囲の山道約30キロを不眠不休で歩き、9日間の断食、断水を行う最も厳しいと言われる修行ですが、それよりもはるかに過酷な修行を、全く動かない肉体に宿り、生涯に渡って、その人は行っているように思えました。
    千日回峰行を終えた僧侶は、修行の苦しみにより浄化されて、本当に清々しい顔をされています。
    この人も肉体を脱ぎ捨てた時に、光り輝く魂となるのではないかと思いました。

    あなたの場合はどうなのか、残念ながら知ることは出来ません。
    判る人がいたとしても、正しいと証明するものもありません。
    それでも、犯した罪の償いのために、今の苦しみが生じている様には思えません。
    ギリギリまで追いつめられて魂が目覚めると言う経験がなかったそうですが、すでに目覚めているのではないでしょうか。
    そうでなければ、真理は受け入れられないと思います。

    HSPの傾向にある人は、霊的な感性が強いと考えられ、さまざまな思念が飛び交うこの世の中で生きるのは、例えが適切かどうかわかりませんが、装備をしないで戦場にいるような危機感を感じているのではないかと思います。
    あなたが感じている苦しみは、その特性と深く関係があるような気がしています。
    ジュリア・キャメロンと言う人が、自分の心の奥の願いを押さえつけて他者にいい顔をし続けることを「美徳の罠」と呼んだそうですが、良く判ります。
    人の怒りや拒絶など、侵襲的な思念を受けたくないために、自分の本音に蓋をして、他者にいい顔をしてしまうような気がします。
    そうであれば、本当の自分を表現できないことになり、そのことも大きな苦しみを感じる要因になると思います。

    何故、あなたがその様な苦しみを感じる人生を選んで来たのかは判りませんが、この追い詰められた状況の中で、真理と出会い、そして実践することで、より大きな成長をすることを求めていたのではないでしょうか。
    大きな苦しみは、より深く真理を理解するために必要であり、自らも叡智を見出して行くことにより、今の苦しみから解放されて行くと思います。

    こんな過酷な人生を歩んでまで、成長しなければならないのか?
    あなたから最初のコメントをいただいた時のことを思い出しました。
    もしかしたら、向こうで待っている人の霊格に追い付くためなのかもしれない、そんなことをふと思いました。
    今は、とんでもない苦しみの中にいますが、計画通りに人生は進んでいて、肉体から解放された時、深い悦びが待っている気がします。

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  4. イクミ 様

    ルナです。先日は母にヒーリングをして下さり、ありがとうございます。
    おかげで母は子宮の腫瘍を取り無事退院をしております。
    母曰く心配する様なものではないとの事でホッとしております。
    そして、本日若い頃オーストラリアでホームステイをしていた先の現地の母と呼んでいた方が、子宮がんのステージ4で抗がん剤治療を受けていると知りました。
    なんという事か、本当に良くなって欲しいと願うばかりです。
    イクミ様もし可能であればですが、彼女にもヒーリングをしていただく事は可能でしょうか。
    お忙しいと思いますので、お手すきの時で構いません。
    厚かましいお願いをしすみません。
    私からも、彼女が元気になった時の姿を想像したりと良い波動を送ってみたりしたいと思います。
    いつもありがとうございます。

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  5. tomoko

    ラッパ吹き様、横からすみません。何か、読んでいて、ラッパ吹き様のお気持ちが解るような気がしました。私自身、鬱病ですし、苦難はただ苦しいだけ。精神的な成長などもたらさない。そう考えるほうが、実態に合っているのではないか?とずっと思っていました。だから、霊訓のことも、ふりかかる苦難に対して自らを納得させるために人間が生み出した創作であり、生活の知恵の一つなんだと思っていました。霊訓を学ぶ人にその気持ちを話して、「貴方は霊的真理を理解していない」と非難されたこともあります。でも、本に書いてある内容は理解しても、現実に活かすことは別なのですよね。なんだか実態に合わなく思えてしまって辛く感じたことがありました。

    でも、世の中、善悪のどちらかにジャッジできることばかりではないと思いますし、人の心はそういうものではないと思います。私は、「あなたは善か悪かの価値判断しかできないから程度が低い」みたいに言われたこともあります。言い方に腹は立ちましたが、道徳の判断だけを全ての物差しにしていたら、心の中に押し込めたものは見過ごされ、人はどんどん強迫的になってきて、病んでしまうと思いました。
    善悪の判断は「道徳」の領域ですが、人の心理的なものは「道徳」が扱う分野ではないと思います。善悪の判断は、歴史が、そして他の誰かが、勝手にするのですし、時代とともに移り変わるものなのですから、自分の心の中で善悪の物差しに合わないものをばっさりと捨象したり、これは悪だからと強引に封じ込めようとせずに、折角、HSPの感性をお持ちなのですから、善悪だけでわけてしまったときに見えなくなってしまうものを見て、ご自身の感覚を掬い取られて、大切にされても、良いのではないだろうかとラッパ吹き様の書き込みを読んでいて思いました。あまり、ご自身を追い詰めずに、シンプルな運動や、笑える・楽しい気持ちになれる読み物を読む、など、霊訓以外の方法も試してみられてはどうでしょうか?案外効果がありますから・・・

    また、余計なお節介かもしれませんが、鬱病で悩まれているのでしたら、TMSやホメオパシー、YSメソッドといった療法はどうでしょうか。TMSは鬱で不活性となっている脳の部位に磁気をあてて活性化する療法で、予後がよく再発が少ないそうです。保険は効きませんが、極端な儲け主義の病院でなければ10万前後で1クールです。後者の2つは薬をつかわず、自己に備わっている自然治癒力を引き出すもののようです。魂の底に潜む本当の自我が持つ、愛の力を引き出すのだそうです。私には鬱病の友人もいるのですが、その友が今度受けると言っていまして、その人から聞いて初めて知ったのですが・・・病気は、その人の本来の魂の発現が、阻害された結果かかるので、それがとりのぞかれたら、自分自身の愛の心で自分自身を治すことができるという理論です。(YSメソッドで調べるとすぐヒットします)
    私は、霊訓の実践のために地上のとある宗教に入ったのですが、実践面では、霊訓の生活を習俗にまで落とし込めるので、良い効果があったと思います。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」宗教は、勇気をくれました。

    心の余裕を取り戻されましたら、霊訓のことも違った視点から新しい理解ができるようになるかもしれないですし、自分が苦しい時は、あまり霊訓に囚われなくても良いと思っています。人間は完璧な生命体としては創造されていません。人間に完璧が不可能な事ぐらい、神様はとうにご存じだと思います。そして、命あるものには、例外なく、幸せになる権利があると思っています。快方に向かわれますことを願っております。横から差し出がましく、すみません。私へのご返信は、されなくて、全然結構ですから、ご自身を、労られて下さいませ。

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  6. ルナ様

    こんばんは。
    心配するもの(悪性)ではなくて、良かったです。

    ホームステイ先で親密にしていた人が、ステージ4なのですね。
    ヒーリングは免疫機能を賦活化しますが、抗がん剤はその免疫機能に損傷を与えてしまう恐れがあるので心配ですが、タイミングを見計らって行ってみます。
    あなたが元気になった姿を想像したり、良い思念を送るのも、無駄にはなっていないと思います。

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  7. tomokoさん、
    メッセージありがとうございます。
    お気遣いくださったお気持ちに心から感謝します。

    思いや疑いを隠さず率直に送っていただいたメッセージに感謝と敬意を表して、私も率直な思いを書かせていただきます。

    私は高校までガチガチの理系人間でした。小学生の頃のアイドルはアインシュタインで、中学では深夜NHK教育テレビの天文物理の大学講座の小尾信彌教授に憧れて、天文物理学者を目指していました。
    本当に幸いなことに高校受験にも大学受験にも失敗して、そんな間違った道に入らずに済みましたが。

    何故こんなことを書くのか、解っていただけるでしょうか。
    スピリチュアリズムと称されているこれは、宗教でも道徳でも、ましてや人生訓などではなく、厳然たる極めて美しい自然法則だからです。シルバーバーチ霊が繰り返し述べている通りです。

    モーリス・バーバネルによるシルバーバーチの霊訓や、スティントン・モーゼスによるインペレーターの霊訓、アラン・カルデックによる聖ルイの霊訓、その他にもいくつもの信憑性の高い霊界通信を読んで、私に神が授けてくれた「ちょうど良い」知性と理性で徹底的に疑ってかかって検証してきました。

    私がスピリチュアリズムに出会ったのは、心の底から愛した人の死を知って悲しみのどん底でのたうち回っていた時です。涙の海の底で藁にもすがるように「死の意味」を探し回っていました。
    それでも、疑り深い理系だった私には検証せずに盲信することは出来なかった。
    私にとっては、物理学を含むあらゆる自然科学も、思想や哲学も、現実的な選択として選んだ経済学部で学んだことも、ウツになって学んだ心理学も、何もかもが全面的には信用できないまやかしでした。

    ですから、そんな私にとって新旧すべての既存の宗教は論外でした。散々怪しげな宗教から勧誘されましたが幸いどれにも捕まらずにこれました。キリスト教も仏教も神道も真実からは程遠い。当たり前です。この世の人間が政治的な意図から、あるいはビジネスとして捏造したものですから。必ず、こんな私でさえ理性が納得しない論理の綻びがあります。キリスト教の三位一体なんて誰が納得できますか。それをただ盲目的に信じろ?人を馬鹿にするにもほどがある。

    私にとっては、真理だけしか意味が無いんです。大切な人の死を知って、すべての価値が吹き飛んでしまったんです。世間で言われているような「価値」のすべてが何もかもゼロになってしまったんです

    今の私には、ビル・エヴァンスが言った言葉「真実と美だけを追求し、他は忘れろ。」が生きる指針なんです。
    だから、今でも音楽を追いかけているんです。

    尊崇すべきなのは、シルバーバーチでもなければ、ナザレのイエスでも、シッダールタでも、マイルス・デイビスでも、ベートーヴェンでも、ロダンでもない。真理そのもの、摂理そのもの、それを生み出した根本原理、つまりGreat Spirit=神だけ、なんです。

    私は、スピリチュアリズムやシルバーバーチを「信じて」いるのではありません。私は厳然として神が在ることを「知った」んです。物理学者も、誠実な人は検証と深い考察の末に、万物の創生の第一原理としての創造者=神を想定しなければ説明がつかないことを認めています。それとまったく同じ意味で、です。

    私が求めているのは、真理と美だけであり、究極的にはそのふたつは、同じものです。
    善と悪は存在しない。これは、禅でも言っていることですし、古いネイティブアメリカンの知者もそう言っていたそうです。そうして物事を二分することから間違いや争いが起きる。
    善悪、美醜、明暗、良い悪い、みな同じもののグラデーションでしかないんです。
    愛と憎しみも、同じものの程度の違った両極でしかない。私は今それを苦しんで学んでいるところなんです。

    私の考えを正直にありのままに書かせていただきました。真意が伝わることを願っています。

    ラッパ吹き

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  8. イクミさん、
    ありがとうございます。頂戴した言葉を読んで不覚にも涙が出ました。
    お礼が遅くなりました。心の中でそれがひらひらとゆらいでいるのに任せる時間が欲しかったのです。

    彼女のこと、彼女が受けたのと同じ苦しみを与え給えと神に祈ったこと、ひと時も忘れていません。

    私がしなかった電話、あの時死を見つめていた彼女が伝えたかったのは、私がいつか夢から覚めた時に呪文のように繰り返していた言葉「オリビアの歌詞、オリビアの歌詞、、、」が指しているもの、”I love you. I honestly love you.”だったのだと信じています。「私が本当に愛していたのは、あなただった。」と、万感の思いを秘めて。

    とても不思議なのですが、私は遠くからでも大勢のなかに紛れていても、いつも彼女をすぐに見つけることができました。私は彼女の魂が放つ光を見ていたのだと思います。

    高校生になりたての頃、彼女と話したことがあります。ジョーイという映画(カレッジフットボールの選手と白血病の弟を描いたもの)の頃です。
    「病気でもうすぐ死ぬとわかったら、どうする?」と私が尋ねると、
    彼女は「私は、きっとそれまで通り淡々と生きていくな。」と。
    私は「そうか、僕はきっと泣き喚いて暴れて大騒ぎして、ありとあらゆることをやると思う。」
    彼女は、その時言った通りに、最後まで凛々しく淡々と生き切ったそうです。

    その時の言葉に彼女と私の霊格の違いがすでに表れています。中学生で出会った時から既に優しい光を放っていた彼女の魂は、その後の過酷な試練を耐え抜いてさらに美しく純粋になりました。未熟な私がその彼女に追いつくには、それはそれは大変な試練を苦しみ抜かなければならないはずです。

    彼女が受けた苦しみと同じ苦しみを与え給え、と祈った私の願いは叶えられているのだと思います。
    彼女が耐え抜いたことを思って、今を生きるよう努めてみます。

    ラッパ吹き

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  9. ラッパ吹き様

    率直なお気持ちを教えていただきました事に厚く感謝致します。まず、まるで既存の宗教への入信を勧めているように感じられたのであれば、申し訳なかったです。私自身が、神とのつながりを持ちながら生きる手段として伝統的宗教を選んだ、というだけなので。享楽的で私欲にまみれて生きてきましたから、戒律や集団での祈りや、定期的な勉強会がないと、すぐに神を忘れます。残念ながら、一人で本を読んでいるだけでも己の思うところを貫けるほど、強力な自我と知性を有していません。神と生きるために集団の力を借りているという認識です。

    それでも、正直に申しまして、ラッパ吹き様から頂いたコメントには、大変驚きました。特に次の部分です。

    >私は、スピリチュアリズムやシルバーバーチを「信じて」いるのではありません。私は厳然として神が在ることを「知った」んです。物理学者も、誠実な人は検証と深い考察の末に、万物の創生の第一原理としての創造者=神を想定しなければ説明がつかないことを認めています。それとまったく同じ意味で、です。

    私はこれまで幾つかのシルバーバーチの読書会に参加して参りましたが、ここまで断言された方は本当に、本当に、初めてです。。

    私は物理学には疎いのですが、他の学問を通じた自然現象の観察から、「超越的な存在」は、「いると認めざるをえない」と考えています。従って神の実在は私にとって紛れもない事実であり、真理です。
    「霊感」につきましても数多の霊能者と会い、その実在を確信しました。
    でも、霊訓で説かれているその他のこと・・・たとえば「死後存続」等は、自然法則なのか事実なのかどうかまだ判別がつきません。検証の術を思いつかないからです。
    霊訓は読んでいるが、「神の実在」以外の事項は、自然法則を知るように「知識として知った」「これは真理だ」とはまだ思えないのです。
    そのように認識したい、という願望は強く持っているのですが。何か、「これは間違いなく真理なのだ!」と思えるような劇的な体験があればなぁ・・・と思っています。

    ですのでラッパ吹き様の文章には本当に、衝撃を受けました。

    でも、事実はひとつだと思ってます。人間が神を信じようが信じまいが、神は厳然として存在している。
    だから、私がどう思おうが霊がいるならいるし、死後存続するのならするはずです。
    願わくは、私の認識と事実が一致することと、霊訓の内容が真理であることです。

    宗教に関してですが、私個人は100%まやかしだとまでは今のところ思っていません。一定期間、歴史的な検証に耐えた伝統的宗教であれば、それだけ多くの人の普遍的な支えになってきた証拠であり、そのような宗教には、何がしかの真理の啓示があったと考えています。イエスのことを、霊能者・神について伝える人として、シルバーバーチは高く評価していたと思います。教義には政治的な都合もあり人為的な夾雑物が相当入っていますが、イエスやムハンマドの伝えた教えそのものは(後世歪曲されているが)真理だったのではないか、と考えています(あくまで私の個人的な見解です)

    頂いたコメントのお陰で、私自身が霊訓との向き合い方を再考する手がかりになりました。信じられないのに無理に信じようとして苦しんでおられるような絵が当初は浮かんでいましたが、誤解していたようです。
    私にも伝わるべくお時間を割いてコメントして頂いたこと、そして、新しい視点を与えていただきましたこと、深く、御礼申し上げます。

    返信削除
  10. tomokoさん、

    もしお気に障ったら申し訳ありません。
    私が何を言わんとしていたか、解っていただけるでしょうか。

    tomokoさんのアドバイスを、私はこう受け止めました。
    「霊訓が要求していることを守ろうとして苦しむよりも、霊訓は傍に置いておいて、自分が楽に楽しく生きられる術を見つけてください。」
    とてもありがたく、受け止めました。もし、間違っていたら教えてください。

    私がイクミさんに訴え、助けを求めたのは、こういうことです。
    「私が苦しいのは、摂理に反しているからに違いありません。でも、どこが摂理に反しているのか、いくら考えても祈ってもわからないのです。」

    シルバーバーチは、ただ単に「摂理はこうなっています。」と教えてくれているだけです。摂理そのものをどうすることも彼にはできないんです。
    親や学校の先生が、ああしろこうしろと高圧的に指示命令するのとはまったく違うんです。

    「偏差値の高い大学に入れ。」という親も、校則で生まれつきの自然な赤毛やブロンドの髪を黒に染めろと強制する教師も、シルバーバーチとはまったく違うことはお解りいただけると思います。そんな、利己的な要求に従う必要などありません。

    摂理に異議を唱えることがどれほどおかしなことか。
    「万有引力の法則は不当だ。私は自由に空を飛びたいんだ!」
    それよりも、摂理を良く観察して理解すれば、美しい飛行機を作り自由に美しく空を舞うことが人間にはできています。

    解っていただけますか?
    霊訓は、命令でも道徳でもマナーでもないんです。霊訓がどうこう、霊訓を言っている霊がどうこうではないんです。彼らが私たちに伝えてくれているのは、絶対の自然法則なんです。私たちは、それを深く理解して、その美しくて愛に溢れた摂理に自らの生き方を合わせるしかないんです。

    囲炉裏の火に手を突っ込めば火傷します。火に触ってはいけないと諭す親の小言に従うか、そんな小言は不快だからしたいことをすればいい、思い通りに自由に火に触ればいい、のか。

    お解りいただけることを、心から祈っています。

    ラッパ吹き

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  11. tomoko様

    コメントのブログへのアップは、仕事の合間を見て行っています。
    tomoko様からコメントをいただいてアップしない内に、ラッパ吹き様からのコメントが来ました。
    従って、ラッパ吹き様はtomoko様のコメントを見ないで書かれていますので、ご承知下さい。

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  12. イクミ様

    台風の過ぎ去った後の川の様子からの人生の話、素敵だなと思いました。

    私も自分の普段目にしている何気ないものを繋げ、想像力豊かに生きていきたいです。

    スティーブジョブズのconnecting dotsとはまさにこのことでしょうか。


    私の現在受け持っている方は25才男性、統合失調症初発の(と医学的には診断されている)方です。

    私はめちゃくちゃ憑依を疑っています。

    明日が最後の実習日なので、その方と会うのは最後です。どんな言葉をかけようか、何を訊こうかと悩んでいます。


    精神科って、客観的な評価が難しいです。カルテには、患者さんが良くなっているのか、悪くなっているのかを書く欄があるのですが、精神科は書くのが難しいです。

    それは良いのですが、結果が見えない(悪く言うとごまかしがきくから)それに甘えてしまっている先生が多くて非常に残念な印象を受けました。

    向上心よりも、ただただ楽したいからということで、精神科を選んでいる先生が多くて残念でした。
    "あいつらの話なんてまともに聞いてたら駄目"などと研修医に向けて偉そうに話す先生がいて耳を疑いました。

    こんな心持ちでは、高級霊の援助は得られないでしょう。

    検査の結果や医学的データを元に、覚悟を持って、論理できっちりと固めている外科の方がまだ健全だと思いました。


    精神科では、リエゾンといって、他の科からその科の身体的疾患のみならず、精神的な疾患を抱えていると思われる患者さんの診察を依頼されることがあります。

    先週と今週と診察に同行しましたが、依頼してきた科への文句ばかりで嫌になりました。

    なぜ、依頼してきた主治医の意図をくみ取ろうとしないのか。なぜ、今のところ鬱病やせん妄はないと思うので、精神科的に薬の介入を現段階で積極的に考慮する必要はないですよとか、これからは○○に気をつけてみて、○○のようになったらまた精神科に相談してくださいねというように主治医の先生が求めているであろう情報を提供しようとしないのか。

    分からないんだったら、なぜ調べようとしないのか。そんなに忙しそうにも見えないのに。

    なぜ、なぜ、なぜが止まりませんでした。

    そして、ふと、私ってやっぱり人に求めすぎるのかなと思いました。

    でも、楽をして生きることって必ずしも、手を抜くって事では無いと思う。

    しっかりと自分の責任を果たして生きる方が、楽なのではないかなと思うんですよね。

    そういう生き方をしている方は、いつまでも若々しいです。

    私も、今現場に出たときに備えて準備しています。

    時間のある今のうちに、カルテの書き方とか、画像所見の読み方の手順とか、スケジュールの管理の仕方とか、現場に出た時をシュミレーションしながら練習しています。

    "研修医になると忙しいから~できない"というようなかっこ悪いことを居酒屋で愚痴って何もしないよりも、それに備えて今から行動を起こす方が賢いのでは?と思います。

    こんなことを言うと、皆の反感を買うので言いませんが。

    ちょっと今日は毒があってすみません。。

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  13. イクミ様

    お忙しいところすみません、昨晩、こちらに投稿させていただいたのですが、
    届いておりませんでしたでしょうか?

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  14. イクミ様

    お忙しいところすみません、
    昨晩、こちらに投稿させて頂いたのですが、届いていなかったでしょうか?

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  15. イクミ様、

    お忙しい折、恐縮ですが、昨晩私が投稿致しましたコメントは届いておりますでしょうか。認証用の画像が出なかったので、投稿できているか分かりません。うまくいかなくて同じ内容で数回投稿したので、迷惑かけていたらごめんなさい。

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  16. ナオヤ様

    おはようございます。
    苦しみは魂を浄化すると言うタイトルで、ブログを書きましたが、多くの人が体感していることだと思います。
    インフルエンザで数日間、肉体的に苦しい思いをしただけでも、全快した時には内部が浄化されているのを感じます。
    病気で入院して、しばらくの間苦痛を味わった末に、内部が浄化され、清々しい顔で退院する人も多いのではないのでしょうか。
    魂が目覚め、本来の生き方を取り戻したのであれば、(霊的な)病気になった目的は果たされたことになります。

    精神科を回っているのですね。
    精神科は医学の中でも特殊だと思います。
    目に視えないものを扱っているので、言われるように客観的な評価が難しく、診断が主観的なものになってしまいます。
    誰でも気分が落ち込むことはありますが、それをうつ症状と診断し、薬を出したとしたら過剰医療と考えられます。
    医師のモラルが問われる科だと思います。
    統合失調症の代表的な症状である幻聴や幻覚は、憑いている霊と同調あるいは占領されているために起きていると考える方が、他の医学的な解釈と比べて合理的ですが、絶対に認めないでしょう。
    非物質的なものが原因なのに、物質的な薬で治るわけがありません。
    精神科の先生もそれを知っていて、いくら頑張っても治せない、無力感のようなものを感じているのではないでしょうか。

    そうですね。
    自分の責任を果たすことが1番大切かもしれません。
    果たせない仕事は、回って来ません。
    仕事を含めて、常に私たちは、楽な方向、困難な方向、どちらに進むのか選択をしています。
    最善の方向は、圧倒的に困難な方向と思われ、自分の良心の声もそちらを指示しています。
    大変であるのは目に見えていますが、成長する方向です。
    迷った時は、良心の声に従って進んで行くようにして下さい。
    それが医師として、十分な責務を果たすことにもつながると思います。

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  17. tomoko様

    おはようございます。
    あなたからのコメントは届いておりません。
    時々ですが、この様なことがあります。

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  18. いつも楽しみにブログを拝見しております。
    また、みなさまのコメントも大変勉強になります。
    日々、お疲れ様です。

    わたしが真理を知ってからまだ2年です。
    真理を毎日少しずつ読んではいますが、今もって死ぬのは怖いです。
    (まだまだ未熟なようです)
    死なない、死ぬときは痛みはない、死ぬときはお迎えが来ることも知っています。
    死ぬまでの過程が怖いです。体調もいまひとつなこともあり。体調が悪い=苦しいということなので。
    わたしも、病気がちで「摂理違反を犯して償い」なのかとも思う反面、病気にならないためにはどうしたらよいのかともかんがえますが、やはり、病気になります。
    かかった時に考えれば一番良いと、今日思いました。
    実は、10月のはじめから寒気などして…甲状腺のホルモンが出すぎていることもあり内科に通っていることもあり、そこで見ていただいていたのですが、2日前から、微熱や頭や目や歯が痛く、今日、耳鼻科に行ってきました。副鼻腔炎との診断でした。気をつけていても、どうにもならないときは専門医のところに行かなければならないのですから。ものすごく苦しいけど、私は「この苦しみが乗り越えられるように」と祈りその日を過ごします。

    現在38歳ですが、35歳過ぎたころから体調に波があり死というものを考えるようになりました。
    (36度いくかいかないかです。このころに真理に出会いました。)
    でも、この地球にいる以上は鍛えられる仕組みだから一つ課題がクリアされれば、また課題がやってくるんですよね。

    最近、不眠や冷え(体温が低くて)にも悩まされ、本を読んで寝ること、体を温めることはものすごく大事なんだということをいまさらながらに痛感している自分がいます。
    現在の人は肉体には手をかけすぎで、霊体にも同じくらいてをかけてほしいという文面があったと思いますが、肉体すら満足に扱うことができていない自分がいます。

    真理に照らし合わせて、日々をこなしてはいますが逃げたくもなります。
    でも、自分で決めてこの地上に来たのだから死を迎えるまでこなしていきたいと思います。

    えり

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  19. えり様

    こんにちは。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    真理を知ってから2年経つのですね。

    死は怖くはないにしても、死ぬ時の苦痛は誰しも避けたいものです。
    真理では、摂理に従って生きていれば、苦しまないで死ねると言われていますで、そうでありたいと願っています。

    病気はさまざまな次元の原因によって生じます。
    霊的次元の原因によって病気になることもありますが、肉体(物質)的次元の原因でなることもあります。
    肉体(物質)的次元に原因があるのであれば、専門医に診てもらうのが最善です。
    副鼻腔炎が物質的次元の細菌感染によるものであれば、同じく物質的次元の抗生物質の服用が有効です。

    肉体すら満足に扱うことができていないと思っているそうですが、病気になりやすい肉体を選択したのは自分であり、何か意味があってのことと考えられます。
    死や生について深く考えることも、意味の1つなのかもしれません。
    乗り越えられるからこそ、その肉体に宿ったはずです。

    その苦しみも、あなたの魂に何らかの影響を与えているはずですが、おつらそうなので、よろしければヒーリングを行ってみますが、いかがでしょうか?

    返信削除
  20. イクミさま

    お忙しいところ、ありがとうございます。

    体調が悪くなるたびに復活はするものの、早く霊界に返りたいと思いつつも、
    今まで無駄に費やしてきた生活を考えるとまだまだお迎えは先と考える自分もいます。
    ぽっくり行けるのが理想です。

    「病気になりやすい肉体を選択したのは自分であり、何か意味があってのことと考えられます。
    死や生について深く考えることも、意味の1つなのかもしれません。」
    なんだか救われるお言葉です。涙が止まりません。
    小さいころから、病気がちで毎度病院通い。(小さい頃も死んだらどうなるんだろう。今死んだら迷惑かかるなとか点滴を打ちながら考えたこともあります。)
    病院通いをやめたいとは思っても、やはり病院に行かざる負えない。
    カルマも多いんだなあと思ってもみましたが。
    真理を知った今は真理をよりどころにして乗り越えれればと思います。

    一つ質問よろしいでしょうか?
    霊的次元の原因って「心」ということでしょうか?
    霊的次元、肉体(物質)的次元とよくわからなくて…。
    ものすごく未熟ですみません。

    お忙しいことと思いますが、ヒーリングお願いします。
    ありがとうございます。

    いつも、このブログに来て涙を流し一歩ずつ階段を上っているんだなあ~と勝手に思っています。
    本当にありがとうございます。

    えり



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  21. もう一つ質問させてください。
    風邪は、肉体的次元の原因ですが、これも摂理違反に当たるのでしょうか?
    なんども、すみません。教えていただけると、うれしいです。

    えり

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  22. イクミ様

    そういえば、インフルエンザになって寝込んだ後は、すっきりとしますね。(霊的真理を知ってから、一度も病気にかかったことがないです。病気にかからなくなったのも、人間が霊であることの証のような気がします。)

    残念ながら、患者さんが清々しい顔で退院していくところはまだ見たことがないです。

    長くても2週間単位で実習場所が変わってしまうので、患者さんの入院から退院までのすべての過程を経験することが出来ないんです。

    そこがちょっと残念なところですね。


    >>仕事を含めて、常に私たちは、楽な方向、困難な方向、どちらに進むのか選択をしています。

    改めて見ると本当にそうですね。

    似たようなことを霊能者もやはり仰ってたなぁと懐かしいです。(ちょくちょく出してしまいすみません笑)

    "それが逃げであるか挑戦であるかをご自身の心によく照らし合わせ決断してください"だったような。

    この言葉に恥じない自分でいたいと思います。


    物事を継続することはすごいことだなと最近感じます。

    日々仕事をして、食事して、歯磨きして、風呂に入って、そのサイクルを回しつづけるということ自体が凄い。

    家庭を持って家族のために働くお父さんや、家族のために家事を頑張るお母さんはもっと凄い。

    "社会の多くの人たち"が辿るルートはやはり伊達ではないと思います。


    そんな風にこれから先も頑張り続けなければならない未来を考えると、不安にもなるのですが、今に集中して精一杯生きていれば、きっとあっという間に過ぎ去ってしまうのだろうとも思います。

    (ヨガのきついポーズをやる時も、先に続くきついポーズのことを考えるよりも、今やっているポーズと今の呼吸に集中した方が楽なんです。)

    "でも、苦しいことも多いだろうけれど、楽しいこともいっぱいあるよね" そんなことを今日の帰りの車の中で友達と話していました。

    そんな話を友達と出来たことも、私にとってはとても愛おしい時間でした。

    返信削除
  23. えり様

    小さい頃から、私には想像もできないほど、つらい思いをされて来たのですね。
    ヒーリングの件、了解しました。
    時間が差し迫って来ていますが、今晩10時30分からでよろしいでしょうか?

    ご質問の件ですが、霊的次元の原因とは、心と言うよりも魂であり、成長や償いに関わっていると言えます。
    肉体次元の原因とは、細菌や物質(発がん物質、放射線)など、地上で検出できる原因です。
    風邪の原因が、ウィルスなら物質(肉体)的次元の原因ですが、ストレスが原因で免疫力が低下していたのなら精神的次元にも原因があると考えられ、風邪を引きやすい体質で生まれて来たのであれば霊的次元に原因がある可能性があります。
    1つの病気でも、それぞれの次元の原因が絡み合って生じている場合が多いと考えられます。

    返信削除
  24. ナオヤ様

    おはようございます。
    実習のサイクルが短くて、一人の患者さんの経過が追えないのですね。
    たとえ病気が治らなくても、苦痛によって魂が目覚めて、内に溜まっていたものが解放されれば、生まれ変わったような感覚になると思います。
    仕事で継続的に患者さんを診るようになったら、そのことが実感できると思います。

    人生は決断の連続です。
    最終的な決断をするのは地上の人ですが、いざ困難な方向に進んで行ったのならば、成就させるために霊界は惜しみのない援助をしてくれます。
    それを知って、気持ちがずいぶん楽になりました。
    1人で生きているのではありません。

    今に集中することが、何より大切ですね。
    シルバーバーチも取り越し苦労をしたり、後悔することを戒めています。
    イギリスの心霊治療家も、心の負担が3分の1になると言っていましたがその通りです。
    現在が未来を作って行くので、良い未来にするのには、最善を尽くして今を生きるしかありません。

    返信削除
  25. イクミさま

    本日も、一日が始まりました。
    昨日は、ヒーリングをお願いしたのにもかかわらずお返事できずすみませんでした。
    子供のことを、あれやこれやしているうちに忘れてしまいました。すみません。
    イクミ様の都合もおありでしょうが、私は今日子供のPTA役員のため夜に懇親会に出席しなければならず。
    今夜はバタバタした感じになりそうです。

    また、風邪についても教えてくださいまして、ありがとうございます。
    私の風邪は、霊的な要因に入りそうです。
    去年の9月に亡くなった母が、あまりにも病気になるのでお医者さんに「こんなにも風邪ばかり引いてよくなるものでしょうか」と聞いたこともあるし、霊能者の人に見てもらったこともあるといっていました。
    たくさん迷惑かけた母はもう目には見えなくなってしまいましたが、親孝行なんてできなかったな~って。
    この後悔も不要なんですよね。

    イクミさんがお書きになるブログや真理を読みますと必ず涙があふれだします。
    いつも、ありがとございます。

    ナオヤ様にあてたコメントに「1人で生きているのではありません。」
    物的生活に追われるとすかっり忘れがちになります。
    なにか、心によろしくない考えが渦巻いたときには、
    「私は一人ではない、守護霊さんがきちんと見守ているから、大丈夫」と唱えますが、
    唱えなくても、実感できる日がくればいいなと思います。

    えり

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  26. えり様

    おはようございます。
    お身体の具合が悪いのに、忙しいのですね。
    おつらそうだったので、取り急ぎ昨晩10時半からヒーリングを行いました。
    よろしければ、明晩10時に改めて行ってみたいと思います。
    もし、ご都合が悪ければ遠慮なく言って下さい。

    1人で生きていないことを自覚しているのは、大切なことです。
    守護霊が導きやすくなるからです。
    去年、亡くなられたお母様も見守られていると思いますので、安心して下さい。


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  27. イクミさま

    お忙しい中、ヒーリングをしてくださったとのことで、ありがとうございました。
    昨夜は、なかなか寝付けなかったものの、痛みはなく。
    今朝は、また頬や歯が痛く、痛み止めを飲んでしまいました。
    (極力痛み止めを飲まないで頑張ろうという考えなもので。)
    明日の夜10時、申し訳ございませんがヒーリングお願いします。

    実のところ、今日のPTAの懇親会は、私にとってはものすごくハードルの高いものです。
    ただの飲み食いで、懇親会なんだから行けばいいと他の人からは思われそうですが。
    できれば行きたくないのですが、役員ゆえに行かざるを得ない感じです。
    わたしは、人見知りですし、できれば外に出て行ってということはしたくない派です。
    そうは言いながらも、サービス業をしていますが。
    こういう性格だからこそ(人と接することを避けているがゆえに)病気という形で苦がやってくるのかとも思っています。人様に助けられて生きているはずなのですが、消極的なのです。

    守護霊さんってものすごく大変なお役目ですよね。
    子育てと一緒のような気がします。
    目に見えない存在だからこそ、わかってもらえない部分がいっぱいあり、自分よりもたくさん涙を流されてるんだろうな~って思います。

    いつも、温かいお言葉をありがとうございます。

    えり


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  28. えり様

    今朝は、また痛みがあるそうですね。
    昨日も書きましたが、細菌感染による上顎洞炎が起きているのであれば抗生物質が有効です。
    ただ、ヒーリングにより免疫力は上がりますので、治癒は早まると思います。

    あなたは霊的な感受性が高いと考えられますので、人の思念の影響を受けやすく、不特定多数の人が集まるところは苦手だと思います。
    そんな時こそ、守護霊に思いを巡らして一体化を計って下さい。
    守護霊により強くなった自分のオーラで、他者の思念をブロックするように心がけて下さい。

    それでは明晩10時に行いますので、リラックスしてお待ち下さい。

    返信削除
  29. イクミさま

    お世話になっております。

    おかげさまで、苦手な親睦会も終了いたしました。

    また、先日は、ヒーリングありがとうございました。
    症状は、痛み止めを飲まなければ、まだ鼻の周りが痛く…。
    今日、また、耳鼻科へ行ってきました。
    副鼻腔炎って、膿を出さなければ治らないんですよね?
    鼻水出なくなってしまったんですよね。

    前回のコメントンおなかに「霊的な感受性が高い」とありましたが、
    少々驚いています。
    とても鈍いと思っていますし、「守護霊さんや霊界の方々と一緒にいることを感じれるように」と思う日々ですので。

    実は、ものすごくくだらないといわれそうですが、
    先日『ほんとにあった怖い話』で佐々木蔵之介さんがでていた「肩の女」というのを見たのですが、
    それが頭から離れなくて。
    なおかつ、自分の肩にあのような女性がのっていたらどうしようと思もい。
    肩に濡れた女性(亡くなられた人)がのっかっていて、そのせいでお客さんが来ないというような内容でしたが。
    真理を知っていても、本来は霊であると知っていても怖いものは怖いです。
    見なければよかったのですが、見てしまったんですよね。
    自分もサービス業をしておりますが、私の場合は、ほかの人よりも団体さんが来る日に出勤ですし、
    お客様が全く来ないということはないので、肩に乗っているということはないと思っているのですが。

    感情が大事だとは言われていますが、こんな感じで毎日ぬるい生き方をしております。

    たわいもないことをコメントしてすみません。

    えり

    返信削除
  30. イクミ様

    ビーガン始めたんですね笑 自己紹介のところに“ビーガン"が加わっているのに気づきました。

    私は、子どもの頃から肉は嫌いなのですが、(鶏肉を見てると、にわとりさんを想像しちゃいますし、牛肉を見てると牛さんを想像しちゃいません?笑)魚は好きで食べてきました。本当は、魚も食べないようにしたいとは思うのですが、魚も食べないとなると、食べるものが限られすぎて厳しい状況ですね。。

    ベジタリアン通販で大カレー、大豆ミート冷凍餃子を購入して自炊をしたりと工夫はしていますが、平日は時間的・気力的に厳しいので、諦めて病院食堂で魚定食or山菜蕎麦です笑

    時間や気力と、自分の体と相談しながら、出来る範囲でやっていきたいですね。

    イクミ様はどんな工夫をされていますか?

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  31. えり様

    こんばんは。
    まだ、痛みがあるのですね。
    副鼻腔(上顎洞)に膿(鼻水)が出ないで溜まってしまうと、痛みや腫れなどの症状が強く出てしまうので、耳鼻科で通りを良くしてもらう必要があると思います。
    しばらくすれば、薬が効いて良くなって来るでしょう。

    あなたは霊的に鈍いと思っていたのですね。
    霊的(真理)に目覚めた人は、霊的な感受性は高くなっていると思います。
    また、多くの人が集まるところが苦手なのは、性格もあるでしょうが、感受性が高いために人の思念を受け取って疲れてしまうためではないでしょうか。
    守護霊に実感を持つのは、この世を生きている人にとって難しいでしょうが、見守っている人に意識を向けていれば、そこはかとなく感じることがあると思います。

    テレビを観て怖くなったそうですが、霊的真理に適った生き方をするように努めていれば、何も怖れることはありません。

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  32. ナオヤ様

    こんばんは。
    ヴィーガンですが、ヒーリングの力が出現し、真理を知って直ぐに始めましたので、もう14年位経ちます。
    急に変わったので、周りにはどうしたんだと良く言われましたが、何かの宗教に入ったと思っている人が多いのかもしれません。
    あなたのような真っ当な想像力が欠如していただけなのですが、ヒーリングの質を落とさないためにも必要なことだと考えています。
    今はごく少数でも、これから増えて行き、ずっとずっと先には多数派になるのは間違いありません。

    食事は、私のわがままで家内に大変な苦労を掛けています。
    大豆で作った肉もどきは重宝していて、多くのメニューが肉なしで作れると思います。
    やはり外で食べる時は大変ですね。
    肉はなくても、鰹節や乳成分や卵が入っているものが本当に多いので、偏食になりがちです。
    事前にネットで検索して店を探しますが、パスタなどは比較的対応してもらいやすいです。

    日本の社会でヴィーガン(ベジタリアン)になると、様々な面で支障を来たしたり、迷惑をかけることが多いと感じています。
    無理のない範囲でされて下さい。

    返信削除
  33. イクミさん、

    ご存知かもしれませんが、数年前にアメリカの脳神経外科の権威として著名な医師が自ら臨死体験を経験して奇跡的に生還し、科学者として自分の危篤状態のデータを徹底的に検証した結果、死後の世界の実在を確信した、という事実があります。

    リンク先の動画は日本のテレビなので派手なナレーションが気にはなりますが、そのエベン・アレグザンダー医師ご本人が語ることはとても明快です。

    超一流の科学者、それもかつては死後の世界の存在を完全に否定していた医師の自らの体験とそこで経験した事実から導かれる結論には、理性的に疑う余地がありません。

    こうして、科学者の立場からも真実が明らかにされて行くのだと思います。

    https://youtu.be/5YzJ9QwdLcY

    ラッパ吹き

    返信削除
  34. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    興味深い動画を教えていただき、ありがとうございます。
    エヘン・アレグザンダー医師については知っていました。
    脳外科医ならではの観点から、自らの経験を元に、論理的に死後の世界の存在を証明しようとしていて、感銘を受けた覚えがあります。
    このような貴重な経験をしたのは、多くの人に死後の生があることを知らせる役目があってのことだと思います。
    ほとんどの医者は死んで自分の認識が誤っていたことに気付いて、現役で働いている医者を通して、真実を広めようと働きかけているのかもしれません。

    返信削除
  35. イクミさま、こんにちは。ひろみです。
    いつもブログを読ませていただいております。
    毎回、わたしにとってもタイムリーな内容で、霊的な歩みの支えとなっています。

    >確かな知識を得ることで、苦しみは軽減されるはずです
    本当にそうですね。
    シルバーバーチの霊訓を知ったばかりのころは、ピンとこなかった文言が、困難を乗り越えるたびに実感していっています。
    最初は正直、登場する人たち(交霊会に招かれている方々)と自分の置かれた環境があまりにちがい(英国と日本という点もあって)、このような成長を自分もできるのか、雲の上のことのようにおもえていました。

    でも、霊的な導きによって困難に遭遇するごとに、書かれている内容が心や精神にしみこんでいっている気がします。
    それに、回を追うごとに、精神的な立ち上がりが早くなっています。

    まだまだ未熟な魂ですが、霊的真理を強く信じて、自分がこの世で決めた課題をこなしていきながら、利他愛を実践していきたいです。

    ところで、ヴィーガンのことが話題になったので便乗させてください。
    家族全員ベジタリアンでないかたのほうが多いとおもうのですが、そこで問題となるのが、肉食をする家族とそれを避けたい自分とのギャップです。
    調理するのは私なので(笑)、どうしても肉料理を作らざるを得ず、葛藤をかんじています。
    固形スープなどもチキンエキスを使っていて、家計を夫のお金でまかなっている以上、お値段のはるベジタリアン用のスープエキスはなかなか買えません。
    お金がいっぱいあったら、無農薬野菜や身体によい食材をそろえられるのになあ、とつい物欲に傾いてしまいます(^^;;;

    できることからやっていくしかない、とおもいながら、家族のなかでひとりだけ霊的真理を知ったかたは(密かに)悩まれているのではないかと、書かせていただきました。
    ベジタリアンのお財布にも優しい時代が早く来るといいですね!

    返信削除
  36. ひろみ様

    おはようございます。
    更新したブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    真理は実際に経験して、身に付くものだと思います。
    私も「乗り越えられない困難は起きない」と言う真理にしがみついて来た経験がありますが、今はそのことを知っているので、困難に伴う苦しみは随分と軽減されていると思います。
    知識を得ることで苦しみは軽減しますが、苦しみは知識を得るために存在しているとも言えます。

    あなたもヴィーガンなのですね。
    ご家族が違うのであれば、献立を考えたり作るのに、毎日苦労されているとお察しします。
    スープまで厳格にすると、コストも探す労力も掛かってしまうので大変です。
    ベジタリアンが増えて来れば、商品も豊富になり、安くなって行くでしょうが、まだ先になると思います。
    真理は受け入れる時期がありますので、動物愛護の観点から、ご家族の良心に働きかけて、少しずつ肉を減らしていければ良いですね。

    返信削除
  37. イクミさま

    いつもブログありがとうございます。
    この世は、訓練の場所でもあり、お互いを愛しなさいと霊訓にありますが…。

    旦那さんのお姑さんと同居をしておりますが、
    気持ちは仲良くやろうと思っても、一方的な行動に気がめいりそうです。
    溜息しか出ません。
    さまざまな魂が混在するこの世界。
    私が間違っていないとは言いませんが、なんだか理解不能です。

    どのように自分の感情をもっていったらよいのでしょうか?


    返信削除
  38. イクミさん、ひろみさん、

    私もヴィーガンです。
    死別の悲しみのどん底でスピリチュアリズムを知って肉食をやめたのが8年前、ヴィーガンにしたのが3年前です。

    しっかりしたレストランでは頼めばちゃんと対応してくれますし(美術館のレストランでも頼んでみたら、パスタランチをオードブルのサラダからデザートまでヴィーガン対応してくれました)ラーメンでも九州じゃんがらラーメンさんにヴィーガンラーメンがあって、coco壱番屋にもベジタリアンカレーがあります。私の外出ランチはたいていT’sたんたん、というお店の担々麺です。

    今は色々あって自分で自分の食事を作っていますが、だしは化学調味料なしの粉末の昆布だしがカレーでもチャウダーでもシチューでもどんなものでも美味しく使えて安いです。コンソメなんて必要ないですよ。

    ベジタリアンやヴィーガン料理が高いというのはまったくの誤解です。
    もしFace Bookやユーチューブをされていたら、ダンテ・オレールさんという方の情報にアクセスしてみてください。沖縄在住のアメリカ人で、とても素晴らしい人です。
    ヴィーガンの情報、それもとても正確で役立つことを熱く知らせてくれています。
    肉食や魚に比べてヴィーガンの食事が圧倒的に安いことも、ダンテさんはちゃんと実例を添えて説明してくれていす。
    日本人はもともとほとんどヴィーガンだったんです。私の母は農家の出で、私の記憶でもお盆などで母の田舎に行った時はほとんど全部野菜だけでした。それが当たり前なんです。

    (ダンテさんについて手短に説明すると、、
    親御さんが食肉会社の社員で肉が大好きだった。いじめられっ子で殺されそうにもなり、クラス最低の成績で親が呼び出されていた。
    そんな彼が、弱かった肉体を鍛えて筋骨隆々な青年に成長し、溢れる願いを叶えるために頑張って世界第2のカリフォルニア大学バークレー校に入学し主席で卒業。沖縄に住んで小学校で働きながらヴィーガンの普及に走り回っている。)

    ラッパ吹き

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  39. 匿名様

    初めまして、イクミです。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    お姑さんと同居しているのですね。
    同じ家の中で、価値観や考え方や生き方が違う人と、一緒にいるのは本当に大変だと思います。
    嫁の立場は弱いため、言いたいことも言えず、溜息しかでないあなたの気持ちが、ほんの少しですが判る気がします。

    この世はさまざまな魂が混在しているので、憤りを覚えること、理不尽なことが起きますが、それを耐え忍ぶ中で成長しているのも事実です。
    嫌で嫌で仕方がない人ほど、自分を大きく成長させてくれる、かけがえのない人です。

    好きになることは出来なくても、相手を認めずに拒んだり、蔑むのは止めて下さい。
    自分が苦しくなるだけです。

    お義母様はご主人を、この世に生んで、育ててくれた大切な人です。
    いなければ結ばれることはありません。
    小さなことでも、お義母様の中に良いことを見つけ出して、感謝する気持ちを抱くようにすれば、心は楽になります。

    楽な人生はありません。
    どこかで苦しみを味わうようになっています。
    あなたは未熟だからこの世に生まれて来て、今の苦しみはその未熟さを克服するために生じていることを忘れないで下さい。

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  40. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    有名なラーメン屋や大手のカレー屋にも、ベジタリアンメニューがあるのですね。
    T’sタンタンは東京駅構内にある店だと思いますが、私も良く利用しています。

    ひろみ様は、ご家族のために肉を買って料理するのを、心苦しく感じていると思います。
    家族そろってヴィーガンであれば、コストもそれほどかからないのでしょうが、押し付けたくはないのでしょう。

    ダンテ・オレールさんは知りませんでした。
    サイトを見て、何か役立つことがあれば活用したいと思います。

    いつも貴重な情報、ありがとうございます。

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  41. いつも素敵なブログをありがとうございます。
    何度もコメントでお世話になっております。
    ほんとうにいつもありがとうございます。

    苦しみは魂を浄化する、そのタイトルに惹かれました。
    私の尊敬する故人の言葉に通ずる気がしました。
    純粋な祈りは叶わないけど救いはあると、おっしゃっていたのです。
    意味をずっと考えていますが、なんとなく答えのヒントを頂いたような気がしました。

    ブログを拝読いたしまして思ったことがあります。
    ずっと忘れられない言葉から逃れられず、みずから苦しみを深めてる気がします。
    これもいつか浄化に繋がるのでしょうか。

    また、話は変わりますが、コメントを見ていて疑問があります。
    ベジタリアンになると、霊的感受性が高くなるのでしょうか。

    ゆらり

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  42. ゆらり様

    おはようございます。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    苦難や障害の最中にいる時は、そこから逃れたい一心でしょうが、もがき苦しむ中で、霊性が発現し、魂が浄化されて行くのだと思います。
    イギリスの著名なヒーラーが書いた本の中に、心に残った言葉があります。
    それは「神は人間を深みに連れて行くことがあるが、溺れさせようとするのではない。魂の洗濯をさせるためだ」です。

    過去に、あなたを苦しめる言葉を投げかけられたのですね。
    あなたの中で様々な想いが生じていて、それが自分に向けられると、時に痛みや苦しみになります。
    その言葉は消し去ることは出来ませんが、生じた想いは成長と共に解放されて行くと私は思います。
    どうしても逃れられない時は、その時とは全く違う自分に変わるしかないのかもしれません。

    ベジタリアンになると霊的感受性が高くなるのかと言う質問ですが、私の場合は、真理と出会い、霊的感受性が高くなりベジタリアンになったのかもしれません。
    芸術など創作活動をしている人にベジタリアンが多いのは、精神(魂)が清明になり、インスピレーションに恵まれることを知っているからだと思います。

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  43. イクミさん、

    ここ数日、とても辛くてずっとシルバーバーチの霊訓を読んで過ごしていました。
    今朝は布団から出さえせずにすがるようにネットを探していて、この言葉を見つけました。イクミさんが書いてくださっていたあの”心霊治療家の言葉”です。

    「神は人間を深みに連れて行くことがある
     おぼれさせようとするのではない
     魂の洗濯をさせるためだ」

    https://kokorodou.p-kit.com/page287641.html

    このM・H・テスター氏ご自身が最後の望みでフリッカー氏から受けた心霊治療で重い腰椎のヘルニアが全快し、フリッカー氏からご自身もヒーラーであることを教えられたこと、バーバネル氏に相談しホームサークルでシルバーバーチからもアドバイスを受けて治療活動を始めた経緯など、迫真的に迫ってきます。
    まだほんの一部しか読めていませんが、第七章 感情を抑えすぎてはいけない、など、今の私にとってとてもありがたく思えるアドバイスがありました。

    偶然というものはない、とシルバーバーチも述べられています。これを見つけることができたのにもきっと確かな意味があるのだと思います。

    ラッパ吹き

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  44. イクミさま

    お世話になっております。
    お姑さんの件でお話しさせていただいたものです。
    霊的真理を知っていながら、情けなく思います。
    一晩して、あ~未熟だなって実感がこみあげ、涙の嵐でした。
    活を入れてくださり、ありがとうございます。
    感情が先立ってしまい、肉体のあるうちに感情のコントロールをしていきたいと思います。

    ありがとうございました。

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  45. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    無料で読めるサイトを教えていただき、ありがとうございます。
    テスター氏は仕事一筋でそれまで生きて来て、ヒーリングで重度のヘルニアが治って霊的真理に出会い、人生が激変しました。
    初めて読んだ時に、親しみを感じました。
    文章も、明快で小気味良いです。
    イギリスの高名なヒーラーやミディアムの多くが、シルバーバーチの交霊会に参加して、訓示を受けているのも特筆するべきことであり、霊訓の信憑性の高さを物語っていると思います。

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  46. 匿名様

    こんばんは。
    違うコメントにイギリスのヒーラーであるテスター氏のことを書きましたが、彼がシルバーバーチの交霊会に参加した時のことです。
    テスター氏がシルバーバーチに、治療を受ける患者の人間性に問題があると訴えたところ、それはあなたの人間性に問題があることの証明だと返されました。
    未熟さがなくなるほど、相手の未熟さが気にならなくなると思います。
    私もそのことを肝に銘じて生きるようにしています。

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  47. イクミさん、

    度々のコメントお許しください。
    昨日も抑うつがひどくほとんど何もできずにいたのですが、なんとか師事している方のジャズライブを夜聴きに行くことができました。

    聴いていて気付いたのですが、これまでより、音が微細なニュアンスまではるかに鮮やかに生き生きと聴こえて、各楽器の演奏の音の流れもよくつかめたんです。それは驚くほどでした。

    ふと思ったんです。今も続くこの長く辛い苦しみがもう耐えがたく感じていましたが、もしかしたら「苦しめば苦しむほど」音楽が鮮明に聴こえ、良くつかめる/解るようになっているんじゃないか。。

    特にこの1年ほどはその辛さや苦しみが耐え難いほどになった反面、その苦しみから逃れたい一心で、すがるように貪るようにして音楽についても生きることや霊的真理についてもたくさんのことを深く学びもしました。

    苦しめば苦しむほど、生命や真実や愛や美の顕現である音楽そのものや奏者と深く繋がれるようになってきているのかもしれない。。

    昨日見つけたヒーラーのテスター氏が書いていらっしゃったことが頭をよぎりました。

    引用)
    「しかし、その調査をしていくうちに一つだけ顕著な事実が浮かび上がってきた。それは私の治療で奇蹟的に全治した人、そしてその後二度とぶり返さない人というのは、十人中九人までが長期間にわたって苦しみ抜いた、つまり絶望の寸前にやっとの思いで私のもとに辿り着いた人だということである。
    (中略)
    が、長い長い闘病生活で疲れ果て、身も心も荒廃しきった人ほど目を見張るような効果を見せるというのが、偽らざる事実なのである。」

    私の苦しみは肉体の病や故障からではないけれど、精神や心の苦しみも同じなのではないか。こんな私でもこの苦しみから得ているものがあったのかも知れない。

    苦しみは魂を浄化する

    テスター氏の言葉や、多くの音楽家やミュージシャンの辛い人生を考え合わせて、その意味の深さに言葉を失う思いがしています。

    ラッパ吹き

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  48. ラッパ吹き様

    こんにちは。
    抑うつ症状がひどいのですね。
    何もする気力が起きない中で、ライブを聴くことが出来て良かったです。

    このブログにも書きましたが、ベートーヴェンは苦悩の末に、歓喜の歌を作るまでの境地に達しました。
    クラッシックの作曲家では、ラヴェルは失語症、シューマンは幻聴があり、マーラーも幼い子供2人を亡くしています。
    この前書いていただいたビル・エバンスも波瀾万丈の人生を送りましたが、苦しみや悲しみを味わうほど、奏でる音楽はシンプルで純粋になり、美しさを増して行ったように感じています。
    余分なものを削ぎ落し、高い境地に達し、聴く人の魂にまで響く音を表現をするために、苦しみや悲しみの経験がどうしても必要だったのかもしれません。

    今までとは違う音に聴こえたそうですが、今までの苦しみによって感性が研ぎ澄まされ、音楽家やミュージシャンの音に込めた想いが、魂に伝わって来たのではないでしょうか。

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  49. 匿名様

    非公開がご希望のようだったので、アップはしませんでした。
    全ての苦しみが魂を浄化させるわけではありません。
    今、ウクライナで起きている戦争で、多くの人が苦しみを味わっていますが、浄化するどころか、怒りや憎しみが増すばかりです。
    匿名様が言われるように、親から受ける行為で、苦しんでいる子供たちも多くいますが、このブログがその行為を擁護するものでは全くありません。
    タイトルをもう少し絞って書いた方が良かったのかもしれません。

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