2018年9月2日日曜日

自分を責めてはいけない



アトランタオリンピックで銅メダルを取った直後に、有森裕子さんが言った言葉が今も記憶に残っています。

「自分で自分を褒めてあげたい」

その時は、何を言っているのか判りませんでしたが、今は少し判るような気がします。



1人の人間には、1つの心しか存在しません。

けれども、何かをしようとする時に、何者かが囁いているのを意識する瞬間があります。

たとえば、学校でクラスメートがいじめられていたとします。

可哀想なので、何とかして助けてやりたいと思います。

しかし、「もし助けに入ったら自分までやられてしまう」と、心の中に声を聞く時があります。

危ないから、失敗するからなどと理由をつけて、やめさせようとしている、ブレーキの役目を果たしている「もう1つの自分」がいると思います。



助けてやりたい想いは、本当の自分である魂から生じています。

魂は神の心を表現する一部であり、良心が内在されているため、いじめられているクラスメートを見ると助けてやりたい衝動が生まれます。

その想いは、精神上に作られた「もう1つの自分」を経由して、脳の働きにより肉体を動かして外部に表現されます。



もう1つの自分は、本当の自分の想いを表現をするためにある媒体であり、外部環境から自分(肉体)を守るためこの世界に適合してより良く生きるために存在していると考えられます。

一般的に「自我」と呼ばれる存在であり、生まれてから今日まで築き上げて来た自分と言えます

顕在化し、意識されている自分であり、本当の自分(魂)と密接な関係を保っています。



日常生活においては、本当の自分ともう1つの自分は、無意識下で連動しながら自己を表現をしています。

仕事や家事などの事務的な作業は、もう1つの自分により行われていますが、それから逸脱した出来事が起きた時には、本当の自分(魂)が働きだして様々な想いが生じます。

そんな時、もう1つの自分は、地上的な経験や知識を基に頭脳を使って思考をして、その想いを肉体で表現するのが妥当かどうかを検討しています。



魂から生じた想い(思念)を肉体で表現するために、もう1つの自分はなくてはならない存在です

普段は本当の自分(魂)と連動しているのですが、ある程度の自律性を備えていて、状況によっては独立し、別個に働いていることがあります。

本当の自分ともう1つの自分の間で主張が異なると、両者の間の協調関係が崩れ、その状態を精神的葛藤として感じます。

最終的には、どちらかの主張が通り行動となって表現されます。



いじめられているクラスメートを助けてやりたくても、もう1つの自分の声に負けてしまうと、黙認する行動を取ってしまいます。

周りの状況に合わせたり、危険を避けた行動を取った時は、本当の自分の想いが表現されずに、もう1つの自分の声が勝っていることが多いと考えられます。

いじめられているのを黙認すると、良心の呵責が生じて苦痛を感じますが、その苦痛は本当の自分の想いに従うように促していると考えられます。



この世の人は、(魂から生じた)想いを肉体を使って表現しています。

悲しみの想いは、涙を流して泣くことで、外部に向かって表現されています。

想いを、言葉にして表現する人もいるでしょう。

言葉にするのには精神の働きが必要であり、精神的次元に作られているもう1つの自分がその役割を担っていて、頭脳を働かせて想いを言葉に変換しています。



もう1つの自分は、客観的に自分を評価して、心の中で言葉を発している時があります。

例えば、大きな失敗したり、周囲の期待に応えられなかったりすると、もう1つの自分は「全くどうしようもない」あるいは「何てダメな人間なんだ」と、他者の様に叫んでいる時があります。

心の中でどんなに叫んでも、外に聞こえることはありません。

しかし、その声は本当の自分(魂)に届いています。

自分で発した心の中の言葉なのに、他者から言われているのと同じで、傷つく言葉であれば傷ついています。



「お前なんか生きている資格はない」

こんな言葉を、他者から言われたらどうでしょう。

深く傷ついてしまいます。

毎日の様に言われ続けたとしたら、精神的に追い詰められてしまうでしょう。

もう1つの自分が、そんな言葉を心の中で発し続けているならば、本当の自分に相当なダメージを与えていると考えられます。

高じてしまうと罪悪感から自分を傷つける衝動が起きて、最悪の場合は自ら命を絶とうとしてしまうかもしれません。

自らの肉体を傷つける行動を取ってしまう人がいます。

そんな人はもう1つの自分が、本当の自分を容赦なく傷つけている可能性があると考えられます



想い(思念)は肉体上で具現化されるエネルギーです。

自分の発した傷つける言葉によって生じた想いは、自分の肉体を傷つける行動となって具現化されるかもしれません。

もし、その想いが行動として表現されなかったとしても、肉体上に病態となって表現されてしまうかもしれません。



もう1つの自分は、本当の自分を守るためにありますが、無意識の内に傷つけている可能性があることを忘れてはいけません。



この世は失敗や挫折を経験し、そこから這い上がり、大切な教訓を学ぶためにあると言えます。

失敗や挫折自体は罪ではありませんが、それを許さない(もう1つの)自分がいて、本当の自分(魂)容赦なく傷つけている人がいます。

他者を傷つけないように注意している人は多いのですが、自分の言葉で自分が傷つけられていることに気付いていない人がほとんどです。

反省は必要です。

しかし、自分を傷つけるのは、人に傷つけられるのと同じであり、苦痛を味わうことになります。



もし、親しい人が何か失敗して落ち込んでいたらどうするでしょう?

「失敗は誰にでもある」、「今度は上手く行くから大丈夫」など、励ましの声をかけて、早く立ち直ることを願うでしょう。



自分を守ってやれるのは自分です。

励ましてやれるのも自分です。

失敗をしたら、落ち込むようなことがあったら、一番親しい人を励ますように、本当の自分を励まして下さい。

一番欲しい言葉を、自分にかけてやって下さい。

その言葉は、本当の自分に届いて励ますことが出来ます。

誰も手を差し伸べてくれなくても、自分を窮地から救ってやることは出来ます。

「絶対に大丈夫!」、「何とかなる!」

そう言い聞かせることで、本当の自分は勇気をもらい、立ち上がり、前に向かって進んで行くことが出来ます。

私が言うまでもなく、無意識の内にそうしている人は、たくさんいると考えられます。



反省がなければ向上はありません。

けれども自分を責めてしまうと因果律が働き、苦しんでしまうだけです。

この苦しい世の中で、今まで生きてきた自分を思いっきり褒めて下さい。

人に優しくしようとする前に、まず自分に優しくして下さい。

それは、甘えや自己中心的なことではありません。

心の中で言葉を発している自分は、その奥にいる本当の自分を守るために存在していることを忘れてはいけません。

自分を責めることは、神の摂理に反しています。














16 件のコメント:

  1. いつも素敵な言葉を拝見しております。

    他者からの言葉、どうしても忘れられず、その言葉で自分を責めてしまいます。
    ですが、何よりも自分が自分に味方する、責め続けてはいけないのだと感じました。
    幾度となく思い出しては泣いている自分、そろそろその言葉から解放してあげないといけないと思いました。

    他者からの言葉からの解放方法は模索せねばならないと思うのですが、どうしたら自分を許せるのでしょうか?

    変な質問で申し訳ありません。

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  2. 匿名様

    初めまして、イクミです。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    人から言われた言葉がどうしても忘れられず、その言葉で自分を責めてしまっているのですね。
    どのような状況で言われたのか判りませんが、言われても仕方がない状況にあったのでしょうか。
    もし、神の摂理に反した行いをあなたがして、それによって相手に苦痛が生じたのならば、相応の苦痛を自らが味わって償わなければいけません。
    そうではなく、過失があっても故意ではない場合、突発的な出来事などは、相手にどんなことを言われたとしても自分を責めてはいけません。
    何かがあって言われたと思いますが、動機が問われるのであって、それが生じた原因が利己的なものでなければ、相手を傷つけようとしたものでなければ、自分を責めてはいけません。

    真実を含んでいる言葉であったからこそ、ひどく堪えたのでしょう。
    この世は、過ちを犯し苦痛を味わい、そこから大切なことを学ぶためにあります。
    私も過ちを犯し、責められることがありました。
    その苦痛から、この世界に因果律という神の摂理が働いていることを学びました。
    この世で自分を責めるのは他者だけで十分であり、自分が自分を責めていては苦しむだけであり、学ぶことは出来ません。
    言われたことで自分を責めるのではなく、どのような意味があるのかを考えて下さい。
    どうしても意味を見出せない場合は、今生で成長するために与えられた試練と受け止めて下さい。

    どうしたら自分を許せるようになるのかと言うことですが、お判りだと思いますが、許そうと思って許せるものではありません。
    許せないのは、自分の未熟さに対してのことが多いと考えられます。
    まず、未熟だからこそ、この世に生まれて来たことを認識して下さい。
    未熟なところを、苦しみながら、なくして行っているのです。

    人それぞれに過去に許せないことはあったと思いますが、いつの間にか忘れてしまうのは、怒りや憎しみの想いを手放せたからと考えられます。
    つまり、怒りの想いがある時は、許せていないのです。
    許せないから自分に対して怒っているのではなく、内に自分に対して怒りの想いがあるので自分を許せていないと感じていると思います。

    怒りを手放すためには、自分(魂)の成長が必要です。
    さまざまな出来事を経験しながら成長し、寛容になって行き、内にある怒りを手放すことが出来ます。

    もう1つは、自分に向けた愛により、怒りを解放することが出来ます。
    あなたと同じ状況に置かれた最も親しい人がいると想定して下さい。
    その人にかけてやる言葉を探して、心の中にいる自分に、想いを込めてかけて下さい。
    あなたの怒りは根強いかもしれませんが、涙となって解放できるかもしれません。

    この世で生じる苦しみは、愛でしか解決できません。
    愛(神の摂理)を学ぶために、苦しみのあるこの世に生まれて来ています。

    自分を責めている自分がいるから、他者の言葉から解放されないのであり、自分を許せないのだと思います。
    あなたは自分を責めることもできれば、愛することも出来ます。
    どちらが神の摂理に適っているのかは、決まりきったことです。

    お答えになっていなかったとしたら、申し訳ありません。

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  3. コメント、ありがとうございました。

    自分を責めている自分がいるから、解放されない。
    おっしゃる通りだと思います。

    怒りを手放す、自分を愛する。
    怒りという感情よりも悲しみのが強いです。
    私に発信された言葉よりも、その原因となった第三者の気持ちを無視されているからです。
    例えですが、いじめにあっている人をかばった私が罵詈雑言を投げかけられているという感じです。
    いじめにあった人の気持ちを無視していること自体が悲しいんです。
    そして、付随するように罵詈雑言がこびりついていて離れないんです。

    この悲しい気持ちを解放するためにも自分を愛することが必要なのかなと思いました。
    心の中で自分は間違ってない、大丈夫だよと投げかけたいと思います。
    それがいつか自分に良い影響を与えるのではないかと思いました。
    なかなか難しいことですね。

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  4. 匿名様

    怒りよりも、悲しみの感情の方が強いのですね。
    この世とあの世の違いはご存知でしょうか?
    あの世は、自分と似通った魂だけが集まって暮らしていますが、この世はさまざまな魂が同一平面で暮らしています。
    従って、この世では見るに堪えない、聞くに堪えないことも、往々にして起こります。
    気持ちを無視した言動に、深く傷ついてしまう人が絶えません。

    あなたが取った行動は、神の摂理に適っていますので、思い悩む必要などありません。
    傷つけられた自分を、それ以上自分で傷つけないようにして下さい。
    悲しんでいる自分がいるなのら、適切な言葉をかけて下さい。

    肉体の傷と同じ様に、心の傷も直ぐに治るわけではありません。
    しかし、神から届く霊的な力により癒やされてくるはずです。

    お役に立てるのかどうか判りませんが、魂が癒されることを祈念し、ヒーリングを行ってみましょうか。

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  5. ありがとうございます。
    コメントを読んだ時点ですでに涙が流れています。
    イクミさんの優しさが、それと傷ついた方の温かさが心に染みます。
    もししていただけるのであれば、ヒーリングをお願いしたいです。21時以降であればいつでも大丈夫です。お忙しいところ申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

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  6. 匿名様

    了解しました。
    それでは、今晩10時にヒーリングを行いたいと思います。
    ベッドかソファの上でリラックスしてお待ち下さい。
    身体が温かくなったり、ピリピリしたりするかもしれませんが、心配しないで下さい。
    眠たくなってきたら、眠ってしまってもかまいません。

    少しでも癒されることを祈っています。

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  7. コメントがはじかれてしまったような気がするので、もう一度同じようなことを書きます。

    ヒーリング、お忙しいところありがとうございました。
    身体がだるく?なって、深い眠りにつくことができました。
    不思議なことがおきると、目の端で白い光がちらちらとするのですが、それが起きました。その後、体がぐったり?となって、眠くなりました。
    3時には目が覚めてしまいましたが、久し振りにゆっくりと眠ることができました。
    イクミさんに、ほんとうに感謝いたします。ありがとうございました。
    イクミさんや何か違う力?を感じました。
    その力にほんとうに感謝です。

    またゆっくりと眠れる日が来るといいなと思います。

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  8. 匿名様

    今まで良く眠れていなかったのですね。
    ぐっすり眠れてうれしいです。
    目に見えなくても、霊的な力は存在しています。
    その力によって癒やされて来ますので、安心して下さい。

    また、何かありましたら連絡して下さい。

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  9. 始めまして。
    今年の三月に主人を亡くしました。私が仕事に行っている間に外に出て倒れ、病院に運ばれましたが私が行ったときには心臓マッサージだけされていて、間もなく死亡を宣告されました。一言の別れの言葉もなく、逝ってしまいました。
    亡くなる前は体の事を考えない主人に苛立って、残酷な言葉を投げつけたり、冷たい態度を取ったり、思い出して、この半年は自分を責めて泣く毎日です。
    自分を責めてはならない、でも、責めずにはいられない、今でも毎日愛してると言うけれど、主人はもう私に愛想をつかしているのではないか、そんなことばかり考えています。
    主人は本当に私のそばにいてくれているのか、どうしたら確信が持てて、また主人に会うまでの日々を生きていけるのでしょうか。
    長々とすみません。

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  10. まゆみ様

    はじめまして、イクミです。
    今年の3月にご主人を亡くされたのですね。
    一言の別れの言葉もなく、突然逝ってしまったことが、今も信じられないとお察しします。

    体のことを考えないご主人に苛立って、残酷な言葉を投げつけたり、冷たい態度を取ったのを思い出して、自分を責めて、泣いてばかりの毎日なのですね。
    体は魂の入る器です。
    この世の人は、自分の体を気遣い、大切にしなければいけません。
    あなたが心配しているのもかかわらず、忠告を聞いてくれないご主人に苛立ってしまうのは、仕方がないことです。
    悲しみに、苦しみが加わってしまいます。
    つい強い態度を取ってしまったのは、主人のためを思ってのこと、愛するが故のことなので自分を責めてしまうのは止めて下さい。

    ご主人は、あなたの忠告を聞かなかったことを、悔やんでいるのでしょう。
    まさか、自分が死ぬわけがないと高をくくっていたところもあると思います。
    あなたが別れの言葉が聞けなかったのを悔やんでいるように、ご主人もあなたに最後に言葉を伝えられなかったのを悔やんでいます。

    「どこにも行っていないんだ。信じてくれ。
    俺にはお前しかいなかった。もっとお前のことを大切にすれば良かったと悔やんでいる。
    ふらふらと外に出て倒れてしまったが、部屋の中にいたら迷惑をかけてしまっただろう。
    迷惑をかけっぱなしだったからな。
    これでお前は自由になったのだから、自分の思う通りに生きて欲しい。
    やりたかったこともたくさんあっただろう。
    それをすればいいんだ。
    自分のせいだと思うのだけはやめてくれ。
    全部、俺のせいなんだ。
    お前の気持ちが判らなかった俺を許してくれ。
    ずっとそばにいるんだ。
    俺こそ申し訳ない気持ちで一杯なんだ。
    今になって、また初めから二人で生きて行きたいと思うけど、それが叶わないから悔しいんだ。
    俺の面倒をみてくれて、本当にありがとう。
    愛している。
    絶対にお前のことは忘れない。」

    あなたがこの世を去る時に、ご主人のことを愛しているのなら、間違いなく再会が出来ます。
    お互いに悔やんで、やり直したいことがあるのなら、それからでも遅くはありません。

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    1. イクミ様
      お返事ありがとうございました。
      主人の言葉そのままのようで、涙が溢れました。主人はそばにいてくれているのですね。いつも見守ってくれているのですね。
      本当に嬉しいです。もう一度主人に会えるまで、精一杯生きていきます。
      本当にありがとうございました。

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  11. まゆみ様

    そうです。
    そばにいて、見守っています。
    愛する者同士に別れはありません。
    慰めで言っているのではありません。

    生命とは魂であり、永遠に生き続けます。
    死にたくても、死ねないのです。
    あなたは肉体を携えた魂であり、ご主人には肉体がないだけです。
    本質的には、何も変わっていません。
    記憶も性格もそのままです。

    あなたが肉体を失った時に、ご主人の姿がはっきりと視えるようになります。
    判っているとは思いますが、会いに行くことは許されません。
    悲しく、苦しくても、精一杯生き抜いたその先に、ご主人が待っています。

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    1. イクミ様
      ありがとうございます。
      今まで寂しく死なせてしまったと悔やんでばかりでしたが、主人も同じように悔やんで、私のことを心配していると知って、そしていつもそばにいてくれてるとわかって、ほっとしています。
      私が冷たい態度をとったことで、もう気持ちが冷めたのかとか、他に好きな人ができたのかとか、誤解したのではないか、それで私から離れようと思ったのではないかと、そんなことも考えました。
      イクミ様が以前書いてらしたように、主人が死んであらためて、こんなに愛していたんだと私自身気がつきました。
      今は主人が私の気持ちをわかってくれて、そして私が精一杯生きて、主人のもとに行った時に、思いきり抱き締めてくれることを願っています。

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  12. まゆみ様

    こんばんは。
    あなたに対する誤解を解くために、ご主人が導いていたと思っています。
    今のご主人は、あなたの想いが手に取るように判っています。
    あなたが、あれこれと思いを巡らし、ひどく悔やんでいるのを知り、その必要が全くないことを伝えたいのだと思います。
    自分こそ甘えてばかりいて、あなたの思い応えられなかったとすまない気持ちで一杯だと思います。
    あなたは、生活の中に埋もれてしまっていた、本当の自分の想いに気付いています。
    ご主人は、あなたと同じ想いであることを、どうしても伝えたかったのです。

    本当に大切なものは、失ってから気付くことが多いようです。
    今生の別れは、本当に大切なものに気付き、深く学ぶためにあります。
    今のあなたは痛いほど判っていると思いますが、愛より大切なものは存在しません。

    もう終わったなんて思ってはいけません。
    ご主人の今いる世界が真の世界です。
    その時が来たら、両手を広げて待っていて、あなたが望んでいる通り、思い切り抱きしめてくれるでしょう。
    悲しみ、苦しみは、魂を成長という報いをもらたし、より強い愛で結ばれた、お二人の生活が待っています。
    次の世界でより幸せに暮らすために、この世界で様々な経験をしているのです。

    それまでの間、ご主人はあなたの成長を願い、想いを伝えて導いてくれるでしょう。
    悲しみが深い今は無理でしょうが、ご主人から届く想いに、どうか気付けるようになって下さい。

    真実を知っている者は、まだ知らない者に伝えなければなりません。
    こうしてあなたに伝えられて、本当に良かったです。

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    1. イクミ様
      今日は主人の月命日でした。ちょうど半年になります。
      半年経って、イクミ様の言葉をいただけたのは主人が導いてくれたのかと思います。自分の思いを私に伝えるために。
      これからも、ふとしたときに主人の優しい眼差しや手の温もりを思い出して涙するときはあるでしょうが、それでも精一杯生きていこうと思います。
      これからもブログを拝見して、生きる勇気をいただきたいと思います。
      本当にありがとうございました。

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