2017年1月8日日曜日

許しとは怒りや憎しみを手放すこと



私たちは、1日中、頭を使った生活をしています。

精神的な活動は、全て脳の働きによってなされているものと考えられています。

事務的な会話や計算は、大脳により処理されているのは確かであり、数時間、作業を続けていると、身体と同じ様に脳も疲弊して、ミスが多くなってきます。

同じ精神活動でも、怒りや悲しみ、うれしさや悔しさなどの「感情」は、どうなのでしょうか?

怒りが治まらなかったり、うれしさが続いたとしても、脳が疲れてしまうことはないと思います。

感情は、脳の働きにより作り出されているものではなく、どこからか湧き上がっているように感じられます。



ところで、人間にとって、感情は必要なのでしょうか?

怒りは正常な判断を狂わせ、悲しみは活動を停滞させてしまい、効率よく、快適に生きるために、必要ないように思えます。

憎しみや恨みの感情がなければ、世の中はもっと平穏になり、全くもって、無駄なものに思えます。

長年に渡って、科学的に感情の研究がされていますが、どこから生まれるのか、何のためにあるのか、ほとんど判っていません。



人には、個性があります。

怒る、笑う、涙を流すなど、いろいろな感情表現によって、個性が発揮されていると思います。

もし、感情が失われたならば、ロボットのようになり、個性はなくなってしまうと考えられます。



この世の人は五感を頼りに生きているので、目に見える肉体が自分と思ってしまうのは、無理ありません。

しかし、人は魂(霊)、精神、肉体の複合体です。

それぞれは密接不可分な関係にあります。

そのうちのどれが本当の自分かと言えば、最上位にある魂です。



肉体は、魂から生じた想い(思念)を表現する媒体に過ぎません。

死とは肉体と魂が完全に分離する現象であり、魂との連絡が絶たれた脳は活動を停止し、肉体は存在意義を失い崩壊します。

しかし、生命そのものである魂は、肉体に代わる新しい媒体を得て、変わりなく存続しています。



魂からは想い(思念)が生まれています。

それが、感情(意思)となって表出し、脳により指令となって、肉体が動いて外に表現されています。

その連鎖が繰り返されながら、人生は紡がれて行きます。

科学で感情を解明できないのは、魂の存在を否定し、全て脳の働きで説明しようとしているからです。

頑なに否定している限り、科学では生命も感情も説明することはできません。



感情とは、この世の出来事により生み出される、魂の回答と言えるのかもしれません。

同じ出来事に遭遇しても、どのような反応を示すのか人によって違いますが、それは人には個性があるからです。

肉体(大脳)を超えた魂によって、個性が形作られて、そこで感情が生まれていると考えられます。



肉体は、食物から摂るエネルギーによって活動しています。

目に見えない魂(霊)は、目に見えない生命力によって活動しています。

生命力とは神(霊)的なエネルギーであり、それを受け取っている器が、魂と言っても良いのかもしれません。

その力により、魂で想いが生まれ、精神で感情に変換され、脳で指令となり、肉体で表現され外に出される形で、完結しています。

その一連の流れがスムーズに行かなくなると、内部にエネルギーが滞って、精神や肉体に顕著な変化が現れる時があります。



生命力は神的なエネルギーであるため、人(生命)は本来、愛を表現するために存在しています。

しかし、魂には限りない発達段階があり、向上した魂は愛の想いが、未発達な魂は愛に反する想いが生じやすくなります。

怒りや憎しみの感情が生まれるのは、魂が未発達であることの証左であり、生命力が誤って表現されています。

シルバーバーチの霊訓には、光(神的な力)は完全であるけれども、鏡(魂)が不完全であれば、反射される光も不完全なものになってしまうと表現されています。

そんな不完全な魂から生じた、不完全な想いを外に向かって表現してしまうと、周囲との調和が失われ、争いが生じることがあります。

内に溜めてしまうと、内部の調和が失われて、病気になってしまうことがあります。

生命力が自然法則に適った想いとなって表現されないと、因果律の働きにより、苦痛となって自らに返って来ます。

誰しも苦痛を味わいたくないので、適った表現をするように、変わって行かざるを得ません。



もし、他人の過ちにより大きな苦痛を味わったならば、怒ったり、憎んだり、恨んだりしてしまうのは、当然のようにも思えます。

しかし、自分に非がなくても、怒りや憎しみの想いを返してしまうと、自然法則の働きにより、また苦痛を味わなければなりません。

苦痛を与えた人が、この世で裁かれることなく、平然としていても、その罪は魂(オーラ)に印記され、後で過不足のない償いをすることになります。

自然法則の働きによって、完全な公正が保たれているので、憎んだり、恨んだりする必要は全くありません。

佳きに計られていますが、多くの人はその事実を知りません。

そのために、怒りや憎しみの想いに支配され、長い間、自らが苦しんでしまうことになります。



怒りや憎しみは、言葉や行為そのものよりも、そこに込められた想いによって生まれます。

電車で足を踏まれても、故意でなければ、ちょっと腹立たしく思っても長続きはしません。

しかし、怒りを込めて足を踏まれたなら、相手に対して強い怒りが生まれ、いつまでも残ってしまうかもしれません。



相手の言葉や行為に込められた想いに、自らが同調してしまうと、同じ想いが生じてしまいます。

人を傷つけるような摂理に反した想いに、同調しないのが肝心なのですが、影響を受けずにこの世を生きるのは、きわめて困難です。

同調が成立して想いが生じると、今度はそれを外に向かって表現しようとします。

世の中から戦争がなくならないのは、受け取った怒りや憎しみの想いを相手に返そうとする、因果律が働いて、それが繰り返されているからです。

もし、相手に返そうとする衝動を抑えたのなら、想いは内に滞ってしまいます。

内に滞った怒りや憎しみの想いは、常に表現を求めているので、訳もなくイライラしたり、怒りやすくなり、その後の人生に悪い影響を与えてしまいます。



滞った想いがあるといけないのは、あるがままの自分から生じている想いを、素直に表現するのを妨げてしまうからです。

生命力という神的なエネルギーは、人や動物や社会に奉仕するためにありますが、内に滞った想いは、その想いを屈折させてしまいます。

成長の機会を逃し、生まれて来た意味を、少なからず失ってしまうことになります。



この世界は、さまざまな発達段階の人間(魂)が、地上という同一平面に生きています。

それゆえに、許すことが困難な出来事が、そこかしこで生じています。

怒りや憎しみが生まれると、精神の自由を奪い、魂に内在する良心とぶつかり合って、苦痛となります。

この苦痛は対象のせいだと思い込んでしまうと、怒りや憎しみが強くなり、それに伴い苦痛が増してしまい、悪循環に陥ります。

苦痛は、内に怒りや憎しみがあるためなのですが、そのことに気付くのは難しいと考えられます。



許しとは、内に滞っている想いを手放すことです。

許さなければ、怒りや憎しみの想いは解放されずに、苦しみ続けます。

許しには、対象へ向けた無条件の愛が必要となります。

謝ったら許す、改心したら許す、対象に求めるものが何かあれば、無条件ではありません。

無条件の愛は、一朝一夕に手に入るものではなく、魂の成長が伴わなければいけません。



怒りや憎しみによって生じる苦痛は、一体、何のためにあるのでしょうか?

苦痛には、魂を目覚めさせるという、霊的に大切な意味があります。

魂が目覚めるとは、本当の自分が目覚めることです。

本当の自分が目覚めると、怒りや憎しみに縛られ、人生を損失していた自分に気付くことになるかもしれません。

魂が目覚めると、自分の中にある神性(愛)が目覚め、より高く、強い愛が表現されるようになります。

対象への、自己犠牲という愛により、内にある想いが解放された瞬間、許しとなります。



神の摂理は、以下のプロセスで、私たちを許す方向に導いています。

許せないと、神の摂理に反した想いが生じ、内に滞ります。

その想いは、因果律の働きで苦痛となります。

苦痛は、魂に響き、目覚めさせて行きます。

魂が目覚めると、自分の中の神性が目覚めます。

神性が目覚めると、より高い愛が発揮されるようになります。

自己犠牲により、内にある想いが解放され、対象は許されます。

対象を許すと、苦痛から解放されます。



許せるか許せないかは、魂の成長度合いにより決まります。

たとえ今、許せなかったとしても、結局は許せるようになります。

絶対に許せないことはないのは、常に魂は成長しているからです。



この世界にちりばめられた1つ1つの魂が、認め合い、許し合いながら、1つになって行きます。

愛という、魂を引き付け合う力で、1つになって行きます。



神の摂理は完全であり、無駄なものは何1つありません。

精神と肉体の苦痛を通して、愛を表現させる方向に、私たちを導いています。











16 件のコメント:

  1. イクミ様、あけましておめでとうございます◡̈今年もよろしくお願いします


    私は毎日仕事で煩悩と言うか苦しみが来ます。。
    仕事が肉体労働で3勤1休で3交代勤務してますが、身体的にもきますが精神的なものが多いです。上からは言われますし下からは生意気な事言われたりしてて忙しい時は頭にきてしまう時も時々あります。シルバーバーチを思い出しながら許す努力をして毎日が葛藤の日々ですが頑張ります。

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  2. かずねこ様

    今年もよろしくお願いします。
    仕事で苦しい思いをされているのですね。
    もし、仕事が楽であったら、駅前にある酒場は軒並みつぶれてしまうでしょうから、誰もが大なり小なり職場で抱えているものがあると思いますが、毎日のことなのでおつらいでしょう。
    思うように行かなかったり、人間関係で悩んでしまうのは、この世界で仕事をする限り、避けられないと思います。
    特に、忙しかったりすると、冷静さを失い、頭に来てしまうこともあると思います。

    でも、今まで、自分を抑え、我慢してきた分、魂は成長しているはずです。
    昔と比べて、許せるようになっていて、これからも少しずつ寛容になって行くと思います。
    何事に対しても、寛容になっていくのは、この世に生まれた目的の一つであり、仕事は大きな役割を果していると思います。
    怒りがこみあげて来そうになったら、とても難しいのですが発想を転換して、かずねこ様の魂を成長させてくれている、かけがえのない人たちと思われてはどうでしょうか。
    あの世に行って、振り返ると、実際にそう思うはずです。

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    1. お返事ありがとうございます。そうですよねこの世に生きている限り苦しみからは避けれないし、この世に生まれたのは魂の成長の為ですもんね。お返事を励みに今日も頑張ります。ありがとうございました

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  3. イクミ様
    はじめまして。
    検索から偶然たどり着きました。
    怒りと憎しみ、許しについて知ることができ、頭の中を整理するヒントを頂けました。
    自分の内側の怒りと憎しみに拘り続けて、同じ所でグルグルしていた事を自覚できたと思います。
    ありがとうございました。

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  4. 匿名様

    初めまして、イクミです。
    拙いブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    怒りと憎しみは、自分に苦しみとして返ってきてしまいます。
    もし、苦しんでいるのであれば、対象のせいではないことに気付かれて下さい。
    頭を整理するヒントになったのであれば、うれしい限りです。
    これからも、よろしくお願いします。

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    1. イクミ様
      昨日はお返事ありがとうございます。
      ヒロM と申します。
      対象のせいではないというところで気づけたのは ずっと自分自身が弱い自分を責めていた事です。何故かストンと自分の中で納得できました。
      今日になり、以前にも似たような内容で怒りについての説明を聞いた事を思いだしました。その時は自分の事として聞くことが出来ていなかったようです。そして苦しみと関連付けていませんでした。
      頂いたヒントで更に内観を続けます。
      これからもブログを拝読させていただきます。よろしくお願いいたします。
      イクミ様の文章は伝え方が丁寧であたたかさを感じ、心に響きます。
      ありがとうございました。

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  5. イクミさま

    NOBです。こんばんは。
    先日はヒーリングをありがとうございました。体調はだいぶ良くなりました。
    ただ、ここ数日いろんなことを考えてしまい、心の苦しさは続いています。
    イクミさまに教えていただきたいと思い、こちらからコメントさせていただきました。

    彼が亡くなったしまった悲しみ、苦しみと、関係が無くはないのですが、根っこが違う怒りの感情を持っている事に気づきました。年始からずっと、苦しんでいるのはその怒りのせいなのだと思います。
    たぶん、彼のことを想って何もできないような状態から脱したからこそ、自覚した感情だと思います。

    イクミさまのブログの記事で「許し」のラベルの記事を繰り返し読ませていただいて考えていました。
    私の魂が未熟なために、許せていない対象があり、今現在怒りの感情を持っているのだと感じています。
    イクミさまのこの記事を読んでいて、いつか許せるひとに、魂になりたいと思いました。
    今許せていないのは、自分がとても未熟なためと悲しくなります…。

    彼と出会えて一緒に生きられた事で、やっと自分の居場所を見つけたと感じて生きていました。
    でもその居場所は、保てませんでした。
    そして彼は私に、郷里で両親と一緒に暮らしてあげてほしいと言い遺しました。

    でも私は今、とても私を愛してくれている人、たぶん私も愛している人、血のつながった家族に対して怒りの感情を持っています。それは今だからでは無く、おそらく幼少のころからありました。
    彼が亡くなって実家に戻ってきたことで、過去の感情を思い出したのと、新たに感じる感情と両方あります。

    彼がこの世からいなくなった悲しみは、彼が生きていると信じられることで、癒されたと感じています。
    悲しみが薄れたことで、自分が決めてこの世に生まれてきた、シナリオ全体について考えるようになりました。
    彼と出会う前に感じていた、自分の生まれた環境、家庭に対する生き苦しさ、家族に対する怒り
    そういうものが今思い出され、何かのきっかけで湧きあがってきています。

    愛がまったくない家族だったわけではありませんし、皆、私の事を責任を持って育ててくれたと思います。
    ただ、私は様々な大人の事情を感じ取り過ぎていた気がします。
    ずいぶん昔に許せたと思ったものが、実は許せていなかった事を知りました。

    怒りを感じる相手と、一緒に成長していくことは難しいものなのでしょうか?
    そうであれば、私が苦しまないためには、ずっと私が許し続け、苦しみと許しを繰り返し続けていかなければいけないのでしょうか。
    正直言って今の私にはとても難しい事です。簡単に許しに至れません。

    イクミさま、いつもすみません。
    お返事はお時間のある時で構いません。
    ヒントになる事でも教えていただきたくコメントさせていただきました。

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  6. NOB様

    こんにちは。
    体調が良くなったけれども心の苦しさがあるのですね。
    それは今一緒に住んでいるご家族に対する想いから来ているものなのですね。
    悲しみが癒されて来て、その下に隠されていた想いが表在化してきたと、私も思います。

    ご家族に対する怒りは、今と昔の両方があるようですね。
    今の怒りは、魂の親(ちか)しさをあまり感じない相手と暮らしていることから生じていると思います。
    考え方や感性や価値観が違うことから生じる軋轢と言っても良いのかもしれません。

    昔の怒りは、過去の出来事から生じていた怒りの想いが解放されずに残っていて、類似する出来事をきっかけにして表に出て来ているのかもしれません。
    出来事を許せなければ怒りや憎しみの想いが生じますが、その想いは時間の経過と共に解放されたり、魂の成長に伴って次第に開放されて行きます。
    しかし、想いの根が深いと、解放されずにずっと残っている場合があると思います。

    子供の頃は、自分の身に出来事が起きても、何が起きているのか理解できなかったり、その時に生まれた自分の想いを上手く表現出来ずに、内に溜めためてしまい易いと考えられます。
    通常は、魂の成長に伴って出来事が許されて、内にある想いは解放されるのですが、子供の時に生じた想いは、大人になっても取り残されていている場合があると考えられます。
    今のあなたが許せても、その時のあなたが許せていないので、そのままの状態で想いが留まっている可能性があると思います。
    理解しにくいのですが、その時のあなたが許さなければいけないのであり、もし許すことが出来れば、昔の怒りを手放せると考えられます。

    そのために、どうすれば良いのかと言えば、その時のあなたと想いを共有し、今のあなたが慰め、労わり、その時のあなたを愛してあげれば良いと考えています。
    具体的には、その当時の自分の写真を用意して見つめたり、目を閉じて心の中でその時の自分を思い描いて、「よく頑張って来たね」「つらい思いをしていたね」「もう大丈夫だからね」など、優しく声をかけてやります。
    全部とは行かないでしょうが、上手く行けば内に溜まっていた想いは、涙となって外に表現されて解放されると考えられます。

    以上のことは、霊界からのインスピレーションとして伝わって来たことです。
    これは子供の頃のつらい出来事が原因で、大人になって病気になってしまった人へ向けられたものであり、後で知ったインナーチャイルドの概念と良く似ています。
    あなたに適応されるのか判りませんが、一応書いてみました。

    怒りを感じる相手と、一緒に成長していくことは難しいものなのでしょうか?
    そうであれば、私が苦しまないためには、ずっと私が許し続け、苦しみと許しを繰り返し続けていかなければいけないのでしょうか。
    と、言うことですが、
    まず、怒りを感じる相手を、許そうとして許せるものではありません。
    人生でさまざまな経験をして、魂が成長することによって、怒りや憎しみの想いが自然に手放された時に、結果的に許していると思います。
    一緒に生活する中で、苦しい思いをしないために、穏やかな心境を保とうと修養する中で、魂は成長して行くと思います。
    許せない相手が 魂を成長させていることになります。

    親(ちか)しい彼と一緒に暮していた年月が夢のようだったので、今の生活と比較してしまい、現実に対するいら立ちを感じてしまっているのかもしれません。
    また、愛されてないと感じてしまい、好ましくない感情が沸き上がっているのかもしれません。

    怒りの想いが生まれない人は、この世にいません。
    あなたに限ったことではなく、みんな共通の苦しみを経験しながら生きていると思います。
    さまざまな人(魂)と関わり合い、いろいろな想いが生じ、その想いに苦しみながらも、なるべく生じさせないように、学びながら成長して行くのが、この世に生まれた大きな目的の1つだと思います。

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  7. イクミさま

    NOBです。こんばんは。
    お忙しい中、お返事をありがとうございました。

    子供の頃の事を思い出し、またいろいろ考えていました。
    ”子供の時に生じた想いは、大人になっても取り残されていている場合があると考えられます。
    今のあなたが許せても、その時のあなたが許せていないので、そのままの状態で想いが留まっている可能性があると思います。”と書いていただいた部分を読んで、涙が溢れました。子供の頃の自分を思い出して泣きました。

    私の父は仕事柄、一年に一月しか家にいる事が出来ませんでした。
    そのことに基因する、子供ではどうしようもない事情がたくさんあって、
    小学生の低学年の頃、私は自分の部屋にいくと毎晩泣いていました。死んでしまいたいと思っていました。
    父も母も祖母も、それぞれに私達姉妹の事は愛してくれていました。でも、なぜこんな状態の家庭を続けていなければいけないんだろう?と思い、いつか壊れてしまうのだろう…ととても不安でした。
    今も許せていないのは、その不安の中に子供の自分が追い込まれた事、その事に気づかなかった父母へ想いだと思います。
    子供心に、こんな家庭環境になるのなら、なぜ結婚するのだろう?と思っていました。
    それと、これはよくあることですが、長子である姉と私への差別のようなものもありました。
    今の私は、様々な事情がわかるので許せています。父も母もとても辛かったのだと思います。

    今、両親と暮らす事で生じる怒りの感情は、考え方や感性や価値観が違うことから生じる軋轢
    それと、自分自身への怒りもあるように思えています。
    私の両親は、彼と私に、いづれ私の実家で一緒に住んで欲しいと言っていました。
    彼は乗り気では無かったと思いますが、仕事の引退後は考えてもいいか…くらいだったと思います。
    自分が病気になった時、もしもの時には私には実家に帰ってご両親と一緒に暮らしてあげて、と言いました。
    東日本大震災があって、身内を思う気持ちが高まったという事もありました。

    私も彼亡き後、一人で東京に住みたいとは思わなかった事と、悲しみと疲労が大きくて実家に戻ることを決めました。
    経済的な理由で実家に戻ったわけでは無いですし、仕事をするなら実家以外に住むことの方が有利でした。
    今も実家には戻らない方が良かったのだろうか…と考えます。でも父母は高齢なので、やはり一緒にいてあげたいと思います。その二つの気持ちの中で揺れる自分がいて、そんな自分も嫌なのだと思います。

    今現在の感情については、それほど根深くないと思います。父母は私を愛してくれています。
    自分の考え方を検証したり、穏やかな心境を保とうと思えば解消されていくように思えます。
    イクミさまからのお返事を読ませていただいてそう思えました。
    それに、彼を見送った悲しみ、苦しみに比べたら小さな苦しみです。
    今思うと、彼と一緒に生きていた時は、過去のことも未来のことも考えず、ただその時を生きていたと思います。
    自分たちが満たされていただけでなく、人に優しくできていたと思います。心が穏やかでした。
    怒りの感情など湧いてくることはありませんでした。神様にいただいた時間だったのかな…と思ったりします。
    昨夜彼の夢を見ました。また長くなるので詳しくは書きませんが、彼が嬉し涙をしている夢でした。

    やはり子供の時の感情が、今の私の苦しみの大半を占めているように思います。
    子供の頃の私が許せるように、内に溜まっていた想いを解放できるように、イクミさまが書いて下った事を試してみます。

    自分は、未熟者だとつくづく感じます。
    でもこんな私でも、彼ととても幸せな時を一緒に過ごし、こうしてイクミさまに導かれて
    霊的真理を学べて、少しずつ成長していけると信じられる事に感謝しています。
    いつも、イクミさまの愛のこもったお返事に、勇気をいただき、前を向くことができます。
    ありがとうございます。

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  8. NOB様

    こんばんは。
    子供の頃、お父様が1月しか家にいなかったのですか。
    とても寂しい思いをされていたとお察しします。
    その時に、さまざまな想いが生まれていて、誰にも言えずに、溜まって行ったのかもしれません。
    時々、理由もなく不安になることがあれば、その時に生じていた想いが表に出て来たためかもしれません。

    前回のコメントで書いたことをやってみるのですね。
    1つ書き忘れたことがあります。
    つらい思いをしているその時の自分を、心の中で優しく、愛を込めて抱きしめてやって下さい。
    少しでも早く解放出来ればと思います。

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  9. イクミさま

    こんばんは。NOBです。
    先日イクミさまにコメントさせていただていから、毎日子供の頃の自分に話しかけていました。
    なかなかうまくいかなかったのですが、今日、泣いている子供の私に、何が悲しいの?辛いの?と聞いてみました。
    返ってきた返事が予想外で、自分でも驚いてしまいました。
    ”祖母が母をいじめているのが悲しい。祖母が怖い。母が可哀想だ。父が家にいたらこんなふうにならないのに。母は家を出てしまうかも知れない。姉は私を嫌っている。” 祖母は母にとって姑です。
    涙が止まりませんでした。もう大丈夫だから、といって抱きしめてあげました。
    この想いは、子供の頃も、成長してからも他人には話したことはありません。
    まだ子供の私の想いは解放されていないと思います。また話そうと思います。

    年末年始に怒りの感情が湧いて辛かったのは、姉が帰省していたので、そのせいだったのだと思います。
    姉も小さい頃に辛かったのだと思いますが、私に優しくはありませんでした。
    父母の育て方が姉をそんなふうにした、という想いも怒りに結び付いたのかも知れません。
    姉の事は今の私も許せていません。姉は独身なので、父母亡き後にも続く大きな課題になりそうです。

    でも今回、子供の時の自分の想いを聞いたことで、何か心が軽くなった感じがします。
    子供の自分と話そうとしている時、彼が一緒にいてくれているのを感じて嬉しかったです。
    子供の自分に会いに行ってみた後に、あの頃もずっと家族皆を誰かが守ってくれていた…と思いました。
    家庭の崩壊の危機は何度もありましたが、皆愛を見失わずに、なんとか今に至っています。
    私達が大人になるまで守ってくれた存在に感謝しなくては…と心から思いました。

    まだいろいろ滞っているものはありますが、だいぶ楽になりました。
    イクミさまに教えていただいたおかげです。いつも救っていただいています。
    ほんとうにありがとうございます。またいろいろ教えてください。

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  10. NOB様

    おはようございます。
    子供の頃の泣いている自分に尋ねてみたら、すっかり忘れていた想いが表に出て来たのですね。
    お祖母様がお母様をいじめているのが悲しく、その想いが内に溜まっていたのですね。
    今のあなたが、抱きしめて愛情を与えることで、何十年かぶりにその想いの一部が解放されたと思います。
    他にも、お姉様から受けた言動により生じていた、怒りの様な想いも溜まっているようですね。
    内に溜まっている想いを普段は意識することはありませんが、過去の経験を想起させるような出来事があると表に出て来て、訳もなく泣き出したり、怒ったりすることがあると考えられます。
    多かれ少なかれ、人には表現出来なかった想いは溜まっていると思います。
    ただ、溜まり過ぎていると、本来の自分の想いを表現する妨げとなってしまう可能性があります。
    怒りの想いが溜まっていると、人に優しくしようと思っても、なぜか出来なくなってしまいます。
    溜まっている想いによって、自分の成長を妨げられている場合は、因果律の働きで病気になることがあります。
    病気の苦痛により魂が目覚め、内に溜まっている想いが解放されて、本来の自分を取り戻すことになります。
    このブログにコメントを下さる人の中にも、子供の頃からの家族との関係が原因で大きな病気になったと思われる人がいます。
    あなたは、心の中に何か引っかかるものを感じているでしょうが、そこまでの想いではないと考えられます。
    心配や不安、憤りや悲しみが生じることもあったでしょうが、ご両親からは十分な愛情を受けて育って来たと感じています。
    また機会があれば、子供の時の自分と向かい合って、その時の想いを解放させて下さい。
    家族崩壊の危機があっても、愛を失わずに現在に至っているのは、見えない存在の導きがあったと思います。

    少し窮屈なところがあるでしょうが、彼が亡くなり帰れる場所があり、そこで心身を癒すことができたのは本当に良かったと思います。
    彼を含め、見守っている存在が必要だと考えていたのであり、今はその場所で学び、成長することが、あなたに求められていると思います。

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  11. イクミさま

    NOBです。こんばんは。
    お返事をありがとうございました。

    子供の自分に聞いてみて、不安や怒りの原因が父母で無かったことに正直ほっとしました。
    子供の私は父と母の事をとても好きでした。祖母の事は、今思うと納得しますが考えてもいませんでした。
    祖母への想いは、もうほとんど解放されていると思います。
    私の怒りはやはり姉に向いているのだと思います。彼と一緒にいた時はほぼ絶縁状態でした。
    私が姉を嫌っている、と思っていましたが、子供の頃に嫌われてると想っていた裏返しだったのですね。
    彼の手術後の状況を思い出して辛い年末年始に、過去の経験を想起させるような出来事がありました。
    それで怒りの感情が湧いたと思います。いろんな想いが重なってしまって体調を崩したのだと思います。
    姉とは、日常的に一緒にいるわけではないので、ゆっくり解放していこうと思います。

    イクミさまが書いてくださったように、私が悲しみと疲労で倒れてしまいそうな時、
    実家に戻れたことは大きな救いでした。休養が取れずにいたら病気になってしまっただろうと思います。
    そしてこの環境があったから彼と繋がれたと思います。必要な事でした。導かれたと思っています。

    また彼の想いが感じ取れるようになりました。イクミさまにヒーリングしていただいてから、だいぶ穏やかに戻れてきたからだと思います。こちらの条件が整わないと繋がれないのだと実感します。
    彼は、私がいろんな事に気づけて良かったと言っていました。

    今回、体調を崩したので、抗うつ薬の減薬は見送っているのですが、心身の調子をみて減らしていくつもりです。また不安定になって、イクミさまにヒーリングをお願いしたくなるかも知れません。
    いつも甘えてしまって申し訳ないのですが、その時にはどうぞよろしくお願いいたします。
    ヒーリングをしていただくと、心身の調子が良くなるだけではなく、どんどん本当の自分がわかってくるのだと感じています。
    いつも前を向かせていただき、イクミさまには言葉に出来ないほど感謝しております。

    イクミさま、一つ質問なのですが、霊界の方が、この世の人を試すようなことはあるのでしょうか。
    私は霊界からの想いは愛がこもったものがほとんどで、試されるような想いは無いのかな…と思っています。
    でも、やはりこの世の人を試されることはあるのでしょうか。これは、ふと思った事です。
    いつかお時間がある時にイクミさまのお考えを教えてください。

    いつもお力をいただき、ありがとうございます。

    返信削除
  12. NOB様

    こんにちは。
    所用により返信が遅れて申し訳ありません。

    過去の自分の想いに気付けて、良かったと思います。
    過去に生じていた想いを、今の自分の想いと勘違いすると、それを心当たりのない人にぶつけてしまうことがあり、注意が必要と思います。
    お姉様との関係がこれから大変でしょうが、現在と過去の想いを混同しないようにして下さい。
    あなたを心配し、この世の誰よりも幸せを願っているのはご両親ですので、大切にして下さい。

    質問の件ですが、霊界の人がこの世の人を試練を与えて試すようなことはないと思います。
    試練を与えるのは神であり、直接与えるのではなく、神が創った自然法則(因果律)の働きによって与えられる(生じさせる)と思います。
    霊界の人は、その試練を乗り越えさせるために惜しみない援助をしていますが、試練が人を成長させるのを知っているで、敢えてそちらに導くことはあると思います。

    体調が早く戻ると良いですね。
    抗うつ剤を減薬する時を含めて、必要だと感じた時は遠慮なく伝えて下さい。

    返信削除
  13. ラッパ吹き2018年2月21日 14:28

    イクミさん、

    ご無沙汰しております。ラッパ吹きです。
    この投稿を改めて読み直していて腑に落ちた思いがありました。

    実は今朝方それを実感できたことがありました。
    つまらない事でいつものように妻が悪意を込めた嫌味の言葉で私をなじったのですが、その後になぜか「ありがとう」と言わねばと頭に浮かんで、強い抵抗があったもののぎこちなく言うことができたのです。
    深夜3時です。

    その時はそのまま床についたのですが、朝目覚めた時にいつもの重苦しい辛さが少し薄れて、心が軽くなっていました。

    その時ふと気づきました。縛り付けていたのは、苦しめていたのは、妻ではなく自分自身だったと。
    取り繕ったありがとうの言葉であっても、それが私自身を解放して癒す力があったと。

    許すのは自分自身を解放して癒すことなのではなかったか。そう思いました。

    ナザレのイエスが言った言葉、敵をも愛し迫害する者のために祈れ。その真意がほんの少し解ったように思います。
    ありがとうの言葉を言わせたのは、あれは彼女だったのか、私を導く霊だったのか、私の中にある良心だったのか。その全てだったのかもしれません。

    ラッパ吹き

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  14. ラッパ吹き様

    こんばんは。
    返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
    ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    奥様になじられる言葉をかけられた後、ありがとうと言うことができたのですね。
    そうしたら、朝起きた時に心が軽くなっていたのですね。
    あなたが自己犠牲をして言葉が言えたのは、摂理に適った行為であり、神からの愛がいただけて心が癒やされたのではないでしょうか。

    良からぬ行為を受けても、怒る人もいれば、怒りが生まれない人もいます。
    そのことは行為をした人の問題のように見えて、実は受けた人の問題であることを意味しています。
    自己犠牲により許せる人は、怒りにより苦しまなくて済みます。
    奥様は、神の摂理の働きを知り、魂を成長させてくれるのに必要な人なのかもしれません。

    ありがとうの言葉を言わせたのは、彼女か、導く霊か、良心のどれかだと私も思いますが、あなたの自我に打ち克つだけの力を持っていたのは確かです。
    あなたを愛する存在からのインスピレーションだったと思います。

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