2016年2月11日木曜日

亡くなった愛する人のために許す



私が54年の過去の人生を振り返り、はらわたが煮えくり返るような経験は、今は思い出せませんが、いくつもあったと思います。

人に裏切られたり、暴力や言葉に傷つけられたりして、その時は、言葉にできない想いが渦巻いていて、しばらくはその想いを引きずっていたと思います。

もう、忘れてしまっているのは、私なりに人生経験をしていく中で、ある程度の成長が得られて、いつの間にかその出来事を許せるようになり、知らない間に、想いが解放されていったためと思っています。

想いが絡まっていない出来事は、過去の記憶の1つになっていくと考えられます。



この世の中は、さまざまな人が、地上という同じ平面上に住んでいます。

それぞれの人が持っている人生観、価値観、道徳、善悪の基準に大きな差があるため、想いを自由に表現してしまうと、他者との行き違いが生じてしまうと思われます。

時に、行き違いから、怒りや憎しみが生まれ、争いに発展してしまうこともあると思います。



一方、後に行く世界(あの世)は、同じ想いを共有している者同士が集まっています。

従って、他者との行き違いはなく、怒りや憎しみの生じる心配のない、平和な世界です。

天国と言われる所以は、そこにあると考えられます。



悲しいことに、この世の中には身勝手な行いにより、愛する人の命を奪われてしまい、極限とも言える怒りや憎しみに、悶え苦しんでいる人もいます。

その心境は、経験した人でなければ理解できるものではなく、「相手を、同じ様にして殺してやりたい」と、怒りや憎しみを露わにしている、ご遺族の姿をニュース等で見かけます。

同じ目に会わせる行為は、許されるはずもありませんので、内から湧き上がる想いを、合法的な手段により実現しようと思ってしまうのかもしれません。



以前、世の中を震撼させる事件が、山口県で起きました。

何者かが部屋に押し入り、そこに住む若いお母さんと赤ちゃんが殺されてしまうという、凄惨なものでした。

後日、容疑者が逮捕されましたが、近くに住む未成年者の男性でした。

裁判が始まるとともに、事件の全容が明らかになり、それは想像を絶するほど、冷酷かつ残忍なものであり、同じ人間のする所業とは、とても思えませんでした。

その内容を知って、犯人に対して憎悪の感情を持つ人は、きっと多かったのではないでしょうか。



被害者のご主人は、あたたかな家庭を一瞬にして奪われて、何が起きたのかしばらく判らなかったと思われます。

その後、現実を認識して絶望し、深い悲しみとともに、激しい後悔、自責の念に襲われてしまったと推察されます。

その想いは、筆舌に尽くしがたいものであったのは、間違いありません。

何の罪もない愛する家族、しかも赤ちゃんの命までも奪ったのであれば、いかなる人であっても、

犯人に対する、強い怒り、憎しみ、恨みが生まれてしまうのは、時間の問題と思われます。



記者会見をする、被害者の夫であり父親でもある、まだ若いご主人の表情や言葉からは、強い怒りや憎しみが表れていましたが、私を含め、見ていた人の多くは、その姿に心を動かされ、同情したと考えられます。

愛する家族がひどい仕打ちを受けて、命を奪われたなら、亡くなった家族に代わって、同じ様に恐怖を味あわせ、復讐してやりたいと願ったとしても、仕方がないと思えてしまいました。



霊的に見て、怒りや憎しみ、恨みの想いは、神の摂理に反するものであるため、因果律の働きで、何かしらの苦痛が生じてしまうと考えられます。

しかし、怒りや憎しみの想いを持つのはいけないと判っていても、この様な出来事が身に起きれば、湧き上がってくる想いを抑えるのは、きわめて困難と思われます。

また、人生はシナリオに沿って展開されて行きますが、このような出来事が、予め決まっていたとは到底考えられず、あくまで少年の意志により起こされたはずであり、亡くなった家族に原因はないのは明白です。



加害者は当時、未成年(18歳1ヶ月)でしたが、家庭裁判ではなく地方裁判所で審議されることになります。

遺影を抱きながら入廷するご主人の姿を、ニュースの映像で何回か見る機会がありましたが、その目の奥に、強い決意のようなものを感じました。

公判は進んで行き、原告側は死刑を求刑しましたが、出された判決は無期懲役でした。

判決に失望したご主人は、刑務所から出てきたら、自らの手で思いを遂げたいとまで、語っていました。

その後、判決を不服とし、高等裁判所に控訴しましたが、棄却されます。

さらに、最高裁判所に上告したところ、上告審弁論が開かれることになりました。

この決定は、高等裁判所の判断が覆され、死刑判決が下される公算が高いことを意味します。

予想された通り、無期懲役の判決は覆され、死刑判決が出されます。



社会正義が果たされた結果であり、極刑により被害者の無念は少しは晴らされただろうと感じた人も多かったと思います。

ご主人は、その時の心境をこう語っています。

「事件からずっと死刑を科すことを考え、悩んだ13年間だった。20歳に満たない少年が人をあやめたとき、もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのかとても悩んだ。きっとこの答えはないのだと思う。絶対的な正義など誰も定義できないと思う。」

ご主人は、どちらに進んで行こうか、とても悩んでいたのです。



私が、同じ立場になったら、どのようになってしまうのか想像もつきません。

もし、同じ年齢でしたら、ご主人よりも過激な行動を取った可能性は十分ありますので、非難するつもりは毛頭ありません。

ただ、肉体はなくなり見えなくなっても、奥さんも、赤ちゃんも生きていて、ずっとご主人の傍にいたこと、そして、自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならないという、絶対的公正が自然法則を通して保たれているという、一片の知識があったのならと、悔やまれずにはいられません。

これから書くことは、霊的な解釈に基づく、1つの仮説として読んでいただければ幸いです。



奥さんと赤ちゃんを襲った出来事は、あまりにも突然であり、暴漢に対する強い恐怖を感じながら、肉体から魂は引き離され、向こうの世界に移行したと思われます。

死んでいることに気付かずに、家の中でひたすら助けを求めていたのかもしれません。

魂にまで及ぶ、きわめて深刻な出来事であったのは間違いなく、しばらくは錯乱状態が続いたと思われます。

帰って来たご主人に、必死に助けを求めたと考えられますが、惨状を目の当たりにしたご主人は、茫然自失となっています。

部屋にいる人たちに、何をしても気付いてもらえず、自分が空気のような存在となっていることに、
愕然としたのかもしれません。

しばらくすると、傍にいた子供のことが急に心配になり、周囲を見回します。

見知らぬ人に抱かれて、泣いている姿を見つけて、安心して、いつものように胸に抱きます。



あらゆる状況から判断し、自分は死んでしまったと自覚するとともに、子供を守ってやれなかったことを、後悔せずにはいられませんでした。

そして、家の中で放心しているご主人の様子を見て、自分がすぐ傍にいることを、必死に何度も訴えただろうと思います。

しかし、全く気付いてもらえないことに、深く失望したと思われます。



最愛の家族を喪ったご主人は、当然のことながら、深い悲しみ、そして後悔、自責の念に襲われたと思います。

やがて、その想いは少年への強い憎悪へと変化していき、生きる目的が、少年を極刑にして、罪を償わせることになって行きました。

その後も、奥さんは赤ちゃんと一緒に生きていることを、しきりに訴え続けますが、悲しみと憎しみの想いに包まれてしまっているので、容易に近づくことが出来ません。

ご主人の魂に、こちらの想いを送り込む余地などありません。



悲惨な出来事により、無理やり次の世界に移ってしまった奥さんの魂は、当然ながら深く傷つきましたが、多くの人たちに介抱され、徐々に元の健全な状態に回復していき、赤ちゃんと共に、向こうの世界での生活に、順応していったと思われます。

想いの全てが知れ、具現化する次の世界はとても新鮮であり、一足先に来ていた親しい人と一緒に、快適な生活を始めます。

しかし、この世に目をやると、悲しみの涙をとめどもなく流し、後悔と自責の念に捉われ、それが怒りと憎しみに変化していく、愛するご主人の姿が見えます。

自分が先に、こちらに来てしまったことに対して、申し訳ない気持ちで一杯になります。



とにかく、肉体はなくなっても、生きている事実を伝えたいだけです。

しかし、ご主人は、死んだ後にも生があり、跡形もなく消えてしまった人の意識は変わりなく存続し、切実な想いが送られてきているなどとは思いもしません。

残酷にも、想いは無視され続けます。

いなくなってしまったと錯覚しているご主人は、死をもって償わせるという目的に向かって、突き進んで行きます。



向こうの世界から、この世の人の魂(想い)は一目瞭然です。

法廷には、怒りを押し殺すご主人と、自分たちを殺した少年の姿が見えます。

奥さんは、あの時の情景が思い出され、恐怖を感じましたが、同時に、自分を殺めた少年の魂が、ひどく病んでいることに驚きます。

少年の過去の出来事や、その時の想いを知りました。

これまで受けてきたのは怒りばかりであり、愛が絶対的に不足していたことが判ります。



とても優しい人(魂)である奥さんは、少年に対する憎しみの想いは、初めからありませんでした。

事情を知り、哀れみと同情の想いすら持っています。

強い憎しみを抱き続ける、愛するご主人へ、そのことをどうしても伝えたいと思っていました。



犯した罪は、当然のことながら、償わなければいけません。

けれども、死によって、少年の魂は次の世界に移行するだけであり、償いにはならない事実を、どうしても判ってもらいたいと、訴え続けます。

大切なのは、少年に死の恐怖を味あわせて、この世から追放させることではなく、自分の過ちに気付き、深く反省させ、この世において正しい生き方に変えさせることです。

もし、人を殺め、多くの人を苦しめた罪が、この世で償い切れなかったのであれば、あの世に行ってから、償うことになります。

何人も、この自然法則の働きから逃げられないことを、はっきりと奥さんは判っているのですが、ご主人には全く伝わりません。



人為的に、肉体から引き離された病んだ魂(霊)は、次の世界に移っても、病んだままです。

それどころか、社会に殺されたと思い、社会を強く恨んでしまうかもしれません。

肉体を失った病んだ魂は、同様の想いを抱いている、この世の人の魂に引き付けられ、恨みを増幅させていき、悲惨な事件を起こしかねません。

法律として正当化されている死刑は、霊的には国家による殺人行為に他ならず、新たな憎しみや恨みを生み出し、この世の惨劇が繰り返される一因となっているのは、あの世から見れば明白です。



多くの人は、この世に生きた意味を、あの世に行ってから知ることになります。

完全な人間など、この世に誰一人としていません。

どこかしら足りないところ、鍛錬しなければいけないところがあり、さまざまな出来事を通して、学びながら成長していくところに意味があります。

大切なことを学ぶ、学校のような存在だったのが、後になって初めて判ります。



罪を犯したのであれば、法律に従って罰せられます。

それとは別に、人に苦痛を与えたり、悲しませたり、迷惑をかけたのならば、自然法則は厳格に働き、相等の苦痛を味わうことになります。

法律から逃れることは出来ますが、自然法則の働きから逃れることは、何人も出来ません。

犯した罪は、情状酌量も猶予もなく、収支が合うまで必ず霊的に償わなければなりません。

そして、苦痛による償いを通して、大切なことを学んで行きます。



愛を知らないために、魂が病み、罪を犯してしまう人が、世の中には多くいます。

そんな人に対して、愛の大切さを、身を持って教えてやることで、病んだ魂は癒されて行きます。

愛は、人から人へ循環しているものであり、そこから取り残されていただけです。

愛されていないので、愛の意味も知りようがありません。

愛を知らないので、愛する人を喪った悲しみ、引き裂かれた苦しみが、全く判らないのです。

その罪の深さが、判らないのです。

愛を向けてやらなければ、犯した罪の意味や、他者の想いも判らず、苦痛を味わうところまでも行けません。

この世の命(肉体)を奪っても、暴力的な行為により、自分を追放した社会を、ただ憎むだけです。

何の償いにもなりません。

愛されることで、良心が目覚め、自分が犯した罪の深さを知ります。

そこから、悶え苦しみ、深く後悔し、懺悔する日々が始まり、真の償いの人生が始まります。

すべては、愛でしか解決できないのです。



少年の運命は、世論を動かし、司法の判断にまで影響を与える、ご主人の意思に委ねられていました。

とめどもなく襲う悲しみや苦しみを経験していく中で、魂は成長し、どうしても許せなかったことが、許せるようになっていくのかもしれません。

許すことは、自己犠牲による大きな苦痛を伴うため、生易しいものではありません。

しかし、その見返りとして相応の霊的な成長が得られます。

死をもって償わせることが、奥さんや子供へのせめてもの愛と、大きな勘違いをしていたのかもしれません。

ご主人が望んでいたことは、実は、奥さんが最も望んでいないことだったのかもしれません。

望んでいたのは、怒りや憎しみの表現ではなく、許すという、少年へ向けた大きな愛を表現することだったのかもしれません。

大きな愛を表現して、大きく成長したご主人と再会したかったのかもしれません。

固唾を呑んで、あの世から行く末を見守っていたと思われます。



2008年、元少年の死刑は確定します。

目的を達成して安堵するご主人と、向こうで見守っていた家族との間に、埋めようのない大きな溝が生じてしまったのかもしれません。

あたたかく見守っていた家族は、自分たちの愛の届かぬところに行ってしまったと、嘆き悲しんでいたのかもしれません。

長い間、憎しみ、恨むことによって、人は変わってしまうものなのかもしれませんが、誰もそれを責めることは出来ません。

想いを共有できなくなってしまった2つの魂は、お互いを結びつける力を、急速に失っていったのかもしれません。



2009年、ご主人は、それまで支えてくれていた女性と結ばれます。

それは、かつて結ばれていた魂との、永久の別れを意味するのかもしれません。

あの世で見守っていた奥さんと娘さんは、この世でのご主人の幸せを祈りつつ、生まれる前にいた界層へと戻って行きます。








6 件のコメント:

  1. イクミさんこんにちは。別の記事で早速のお返事ありがとうございます。
    シルバーバーチの霊訓は、本当に勉強になると言うか救われることが多いです。
    こんな事をイクミさんにお話しして良いものか悩みましたが、私には1つだけ、どうしても解決策が見つからない問題があるのです。
    先程も申しました通り私自身の2つの悩みは自分の努力で乗り越えられます。2年前にもこの年での転職が死ぬほど大変でしたが乗り越えて良いこともありました。
    ただ、もう1つの悩みは実家の母と妹の事です。というか妹の事です。
    私は早くから家を出て結婚もして今は旦那と東京に住んでいます。母と妹も東京の少し離れた所に都営住宅に住んでいます。ずっと母子家庭だったせいか独立心のある私と違い母は妹をとても過保護に過干渉に育てました。10歳離れてますので、私も昔はオムツを変えたり学校の帰りに保育園のお迎えに行ったり母の負担を減らそうと頑張ってきました。10歳下だから私も甘やかしたのも反省していますが40歳になった妹は料理も家事も何も出来ない人に育ってしまいました。子供の頃から妹はいじめにあっていたせいか母も余計過保護になりました。料理も上げ膳据え膳していたくらいです。私は母に昔から「そんな育て方したら妹はダメになってしまう。恐ろしいことになるよ。妹を自立させるように育てるのが親だよ」と言い続けて来ましたが母は「可哀想でしょ!」と聞く耳を持ちませんでした。
    その恐ろしいことが将来来るのが私には怖いのです。
    妹はとても内弁慶で友達もいなければ40歳でも彼氏も出来た事もなければ結婚する気も無いようです。他人と一緒にいるのが苦痛なようです。同性・異性問わず。どこにも、お一人様で行くようです。それは良いのですが、だから身内に対する依存が高すぎなのがわかります。
    ただ、私は同居はしてなかったけれど、たまに前の旦那(私は2回結婚しました)が妹を呼んで夕食ご馳走したり泊めたりしても、ありがとうが言えません(いい大人なのに)私が小声で旦那にありがとう位言いなね。って言っても、なかなか言いません。ありがとう、ごめんなさいを言わない人なのです。私は、ありがとう、ごめんなさいは世の中で生きていくのに必要だから言うクセをつけた方が良いよと教えたのですが「ハイハイ」で流されます。
    妹が前にヘルニアの手術で入院した時は私は仕事帰りに見舞いとか行きましたが、私が入院、手術した時は知らん顔で大丈夫?のだの字もありませんでした。
    ここまで来ると発達障害か何かを疑いますが、本人は正常だと言い張り病院にも行きません。でも、一応バイトはしてまして(掃除のバイトです。1人現場で良いようです)月10万くらいは稼いでいますが、親には家賃も食費も何も払ってあげていないようです。それどころか保険料も自分で払っていないようです。全部自分で使い貯金は全くしていないようです!家の事も年老いた母にみんなやらせて…。
    私は、将来母はこの妹を残して逝ってしまわれるのが、とても恐ろしいのです。情けない話ですが…。
    しかも都営住宅の制度は親(名義人)がいなくなると子への継承は出来ないため妹は追い出されます。
    特に今の旦那と一緒になってから私は実家にあまり行ってませんでしたが昨年末辺りから用事が出来て行くようになりました。妹は40歳になって成長しているかと思いきや幼稚性が変わらず、がっかりしました。
    私は、いざというとき時のために一人暮らしになったらその収入じゃやっていけない事、払うのは家賃だけじゃなく光熱費、その他色々かかることを言いましたが「うるさい!これ以上収入も増やせないし、いいの!ちっちゃいところでも!」とか言ってましたがちっちゃいとこって…どんな狭い部屋でもその収入じゃ住めないし不動産屋も貸してくれないよ。と言ったら「じゃあ死ねって言うんだね!」と騒がれました。昔からなにか言うと泣き叫んだり少し暴れたりしてましたので母も今は怖くて何も言えないんだと思います。でも、私は頑張って口を出さずに正月に実家に泊まりに行き行き私自ら料理をしたり掃除をしたりして見せて「お母さんも年だから少しお手伝いして助けてあげてね」と言いましたが、やはり「うるさい!出てけ」と怒られました。
    もう、何も言えない何も出来ない。お手上げです。遠いですが徳島に住んでいる親戚も心配してくれて(妹の性格も知っていて)母と妹を呼ぼうとしてくれてるのに妹は絶対嫌!と泣き叫びました。普通に嫌と言えば良いのに泣き叫び方が怖いのです。
    母も諦めたようです。母だけでも徳島に行かすのが嫌なようです。母は高齢ですが、まだ無理して少しだけど働いていますが見ていて可哀想です。
    電話だって妹は自分が困ったときは時間お構い無くかけて来ますが、私がかけた時は(常識的な時間)なに!テレビ見てんだよ!と怒られます。私は、超能力者じゃないのでそんなことわかりません。
    実家に泊まりに行った時も妹はプリキュアなどのアニメばかり見ています。
    間違いなく普通の40歳では無いのですが本人も親も認めないし仕事も少しでもしているのでなにも出来ません。
    ただ、親に何かあった時が、凄く怖いのです。どうしたら良いのか私にはわからないのです。話し合うことも出来ないのですから…。
    同時に、私は情けない事に借金が膨らみ昨年末あたりに債務整理を始めました。私の会社の性質上自己破産は出来ないので任意整理をして、これから5年払っていきます。ただ、この任意整理や、会社の忙しさなど自分自身の問題は乗り越える自信はあります。頑張ります。
    ただ、妹の事は難しすぎます。しかも私も債務整理で金銭的にも助けてあげられないのです。
    会社の信用できる年配の方や電話相談などで相談したりしましたが、実家とは距離をおき、まず自分の生活を立て直して自分の事を考えれば良い。妹はいざとなったら行政に任せましょう。と言ってくれています。
    でも、そんな見捨てるような事はシルバーバーチの霊訓に背くのかな、と思ったり妹が母の次に私に依存するのが、ひしひしと伝わるのです。私は将来、離婚をしてアパートを借り妹と一緒に住んでやるのが良いのかと思いましたが、何せ私の収入もそんなに多くないし金銭的にも精神的にも10歳も若い妹の面倒を見る自信がありません。(どう考えても私の方が寿命は短いですよね)
    親戚を巻き込み、色々対策を考えましたが、ことごとく拒否されました。生きていくためには自分の事は自分で頑張らないといけないのに。困ってしまう。
    私も、借金(原因の半分は実家を助けるためでしたが)や仕事など自分の問題は歯を食いしばって頑張れますが、将来の妹の事で、初めて、鬱ってこんな感じなのか…ってわかるくらい参りましたし死のうとも思いました。
    自分の事ではなく妹の事が怖くて死にたいのです。
    でも、私は旦那とも仲良くしたいし、会社の皆とも仲良くやって悲しいし死ぬのも怖いです。でも、将来の事を考えると生きているのも怖いです。(最近、きょうだいリスクというのが話題になっているようですね)
    こんな困難もカルマなのでしょうか。
    すみません。初めてなのに、なぜか長々と書いてしまいました。妹から逃げる私は冷たいのでしょうか、ひどい人間なのでしょうか。
    この記事で愛につい考えてしまいます。

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  2. こんばんは。返信が遅くなり申し訳ありません。
    今、置かれている状況を、丁寧に説明していただき、ありがとうございます。
    鬱になりそうなほど、難しく、悩ましい状況に置かれているのが、よく判りました。
    正しいかどうか分りませんが、なるべく霊的真理に照らし合わせて、私なりの意見を書きます。

    妹さんはご心配のように、社会への適応性はかなり低いと思われます。
    その原因は、育て方によるところも大きいのですが、本人の持って生まれたものも、かなりあると考えられます。
    もし、野菜様が妹さんの立場に入れ替わって、甘やかされて育ったとしても、今の妹さんみたいには、決してならなかったはずです。
    同じ家族でも、魂の成長度はさまざまであり、親よりも子供の方が成長している場合も、たくさんあると考えられます。
    妹さんは、他者へ愛情を与えるのではなく、まだ要求する段階の、魂の成長過程にあると思われます。
    ですから、姉として甘やかし過ぎたと反省されていますが、妹さん自身に多くの原因があり、責任を感じてしまう必要はないと、私は思います。

    妹さんは、今の家族を自分で選択して、この世に生まれて来たのは間違いないことです。
    生まれて来た目的は、もちろん自分(魂)を成長させるためです。
    そして、親や兄弟も、妹さんを育てたり、一緒に生活することで、成長していきます。

    野菜様には、正反対の2通りの道があると思います。
    1つは、野菜様が、今生の自分の宿命と捉えて、腹をくくって面倒を見て、自らの魂の成長の糧とする道。
    もう1つは、妹さんの成長を願い、孤独で苦しい状況に置かれたとしても、距離を置いて見守る道。
    1つ目は、家族愛の表現であり、一見すると立派に見えますが、妹さんの成長の機会を奪っているように、私には思えます。
    2つ目は、楽になるように思えて、苦しむ妹さん姿を見続けるのは、想像する以上につらく、葛藤が生じると思います。
    どちらも、正しい選択の様に思えますが、妹さんが明らかに心身に障害があって自助努力だけでは自立が困難であれば話は別ですが、自分の意思で依存しているのであれば、1つ目の選択は本当の愛情ではないと私は思います。
    普通の人がする苦労を避けて、自分本位で生きてきた結果として、今があると思います。
    それは、怠慢かつ利己的であり、神の摂理に反していると思われ、成長が遅れてしまっていると考えられます。
    もちろん、親であるお母さんには少なからず責任があり、今、そしてこれからも償いとして、苦しみを味わっていくことになるかもしれません。

    お母さんが年を取って動けなくなったり、病気になってしまったりする日が来るのは、目に見えています。
    妹さんは、今まで世話になったお母さんの面倒を見ることが最も望ましいのですが、可能性は限りなく低いと考えられます。
    妹さんは好きなように生活できなくなってしまい、そのことに強い不満を感じると思います。
    きっと、お姉さんである野菜様に、どうにかして欲しいと訴えてくると思います。
    野菜様は、お母さんの先のことについて、考えなければいけない立場にありますので、その時に、「お母さんは私があなたに代わってこれから世話をするから、あなたは自分一人で生きて行きなさい。」と言って、自立を強く促すのも良いかもしれません。
    何年先になるかわかりませんが、その時が来るまで、たとえ拒否されても、自立への助言は引き続きされた方が良いと思われます。
    妹さんの救いは、たとえ自分のためであっても、仕事を続けていることです。働けることです。
    あいさつもできない妹さんを、受け入れてくれる会社を探すのは、決して容易ではありません。
    しかし、どこかに妹さんでも就業可能で、給与面で最低限の自立した生活ができる職場はあるはずで、今のうちから探して、嫌われても、ことあるごとに自立の話をされた方が良いと思います。
    見つけるのは、野菜様だけでは無理かもしれず、あらゆる方面に助言を求めた方が賢明かと思われます。
    妹さんが、その気にならなければ、前に進んでいきませんが、いつまでもお母さんは元気でいるわけでなく、10万円では生活は困難であるのは、十分に分かっているはずであり、先の不安はあるはずです。
    苦しい思いをするのは嫌なので、お姉さんである野菜様に頼れば良いと考えているのかもしれません。
    自分の現状と気持ちを話し、あなたの意思をはっきりと伝えた方が良いと思います。
    それは妹さんのためでもあります。

    私は父親でもありますが、子育てに関しては後悔しきりです。
    子供の望みを叶えることや、喜ぶことではなく、子供の成長にとって一番望ましいことを考え、つらくても実行していくのが愛情だと、今は思っています。
    兄弟でも同じであり、妹さんの成長を促すようにしてやるのが、姉としての真の愛情だと思います。
    つまり、今まで避けていた苦労を、心を鬼にしてさせるのは、薄情ではなく愛情であると考えます。
    このままで行ったら、妹さんの成長は望めず、何のためにこの世に生まれてきたか分からなくなるからです。
    この世で恨まれたとしても、あの世で妹さんは苦労の意味を知り、自分のためになっていたことを必ず知ります。

    ただ、言動に対する動機が、常に問われています。
    面倒だったり、妹さんを避けたいから、突き放すのはでは、心は変わりません。
    妹さんの成長を願った上です。愛情からです。
    妹さんも、敏感に野菜様の想いを感じ取っていると思います。
    あくまでも本人のために、繰り返し、先のことを話さなければいけません。
    しかし、現状で問題ない内は、聞く耳は持たないでしょう。
    お母さんに何かあって、生活に支障が出た時が、肝心と思われます。
    その時に、最初に野菜様がどのような対応をされるかで、道は決まるかもしれません。
    頼れると判ったら、その後も頼り続けて、後で関係を断ち切るのは難しいでしょう。
    たとえ突き放したとしても、あの手この手で、頼ろうとしてくると思います。
    その時が最も大切で、野菜様にとってつらく、試されることになるのかもしれません。
    きっと野菜様の情に訴えてくるでしょう。
    耐え忍ぶか、折れてしまうか、瀬戸際の状態が続くでしょう。

    でも、いつかは観念する時が来ると思います。
    それが正しい道なのですから。
    絶対に頼れないと気付いた瞬間に、何かが変わるのかもしれません。
    何か深刻な状況が起きない限り、妹さんは今後も変わることはないと思われます。
    長い間、神の摂理に反した生き方をしてきたので、痛みを伴うのは、どうしても避けられません。

    霊的には、苦労をする人生が不幸な人生ではなく、何の苦労もない人生の方が不幸です。
    なぜなら、成長する機会がなく、この世に生まれて来た意味が希薄になってしまうからです。
    野菜様の今の苦労は、魂の成長として報われています。
    人としての苦労や困難から逃避している限り、妹さんの成長は望めません。

    血を分けた妹さんですが、野菜様に頼れないことを認識してもらうと共に、自立のための協力を惜しみなく行うのが良いとかと、私は考えます。

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  3. イクミ様、ありがとうございます。会社で読んでいましたが(今、事務所に1人なので)涙が出ました。このコメントをプリントアウトして何度も読み返させて頂きます。
    その通りで、実は一時期は、私は旦那と離婚をしてアパートを借りて妹と一緒に住もうかなどと考えてしまいましたが、やはり、私は給与も安いしかなりの負担で2人して潰れる可能性大なのです。(私は50歳でこれから高給な正社員への就職は厳しいかと思われます)それに、それは妹のためになりませんね。確かに。
    他の方にも相談しましたが、イクミさんのおっしゃる通りなのです。自立させて苦労させなければいけないのです。親戚も、そう言ってます。
    ただ、私も弱いのか破滅し苦しむ妹を見るのが耐えられるかが心配なのです。でも、そこは私自身も強くなって乗り越えなければいけない事ですよね。
    私は、うるさがられて妹のメールアドレスも教えてもらえなくなり電話もダメなので一心同体(?)の母に強く訴えかけました。
    過去に私が高校生の時に両親が離婚し、足の悪い障がい者の父が1人暮らしになってしまった時がありました。
    私は高校を出てすぐ働き、お金を貯めて1人暮らしを始めました。それで、堂々と父の所に行けるので。
    それからは出来る限り不便であろう父の面倒を見てきました。車いすの押し方もうまくなったし役所の手続きその他やりました。ちちは13年前に他界しました。旦那にも助けられました。
    だけど、その時は色々できたのに、今の私はウツになってしまったのか、色々な事が怖くて仕方なくて変な話、飛び降りれそうなビルを探してしまったりもしています。でも、怖いのでできないでいます。
    うちは独立型の夫婦で、私の借金は旦那に頼らず自分の力で乗り越えるため、苦しくても社員で働いています。(社員と言っても最低賃金ほどなのですが)
    それに、いつかは旦那の実家の新潟に行くのです。それまでに債務整理を片づけるのです。
    妹と話が出来ない分、母に言って新潟に行く事も今の私には債務整理があって金銭的に本当に手助けできない事、それらが重なってウツになってしまった事(病院へは行ってませんが、わかります。でも、仕事はできます)死んでしまうよ。という事、すべて伝えてあります。
    母は、物分かりが良いのですが、そうなんです妹の自分の人生まで人に頼る癖が心配だったのです。
    収入を増やすこと、または住み込みで働くこと、など伝えてあります。
    母と電話で話してる最中にも、いきなり妹が出て「うっせーんだよ!ばーか!」と言われます。
    金銭的にもそうですが、性格的にも妹の面倒は見る自信がないのです。
    でも、苦労しないと何もわからないと思います。
    私は愛情の為にも、心を鬼にして(それに新潟に行ったら物理的にしてあげれない)妹を自分の足で生きさせるほかないと思っています。
    母にも話しましたが、それで万が一、妹の人生が何らかの形で終わっても、私はそれが彼女の寿命だと思っている。とまで話しました。
    私も、これからも、もし新潟に行く事になっても自分自身も苦労するとは思いますが(車の免許がないのがきついですがやれる範囲でやるしかないですね)その苦労は乗り越えなければいけないと思っています。
    本当に重たい話をしてしまい、すみませんでした。
    逃げるためにビルから飛び降りるのは、やはりやめた方が良いですね。
    ありがとうございます。
    自分の苦しみも含めて色々乗り越えなければいけないですね。そして、私は旦那の家の人間なのですから旦那や旦那の家族も大事にして生きていきたいと思います。

    それにしても、この”亡くなった愛する人の為に許す”も、涙が出るような記事ですね。例の事件の事ですね。

    イクミさん、ありがとうございました。

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  4. 先ほどのコメントに書き忘れましたが、よく私は「あなたの為に言っているから怒らないで聞いてね」と、付け加えてから言っていました。でも、怒られて泣かれてしまうのです・・・。
    妹に言い続けていると母にやつあたりするらしく、母から苦情の電話が来るので、妹自身とは距離を置いてます。だから母に言ってます。もう、仕方ないですよね・・・。

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  5. 野菜様のコメントを読んで、いろいろと考えさせられます。
    言われていた通り、自分のことよりも、ずっと難しいですね。

    妹さんは、魂の成長が遅れていると同時に、少し病んでいる気もします。
    どの様ないきさつで、今に至ったのか判りませんが、それが言動に表れていると思います。
    姉妹でありながら、心が通い合わない、とげとげしい関係になってしまったのは、野菜様にとって、とても悲しいことでしょう。

    前のコメントにも書きましたが、住むところがあって、食事が用意されていて、好きなようにできるのであれば、変化を拒絶するでしょう。
    その環境が崩れて、野菜様にも頼れずに、自分一人になり、何とかしなければいけないと危機感を持った時、奥深くに眠っている魂にまで響く気がします。
    しかし、思いつくのは誰かに頼ることであり、間違いなく野菜様に泣き付いて来るでしょう。

    もし、野菜様がご主人と出会わなければ、妹さんと共に生きなければならないかもしれません。
    新潟に行くのは、ご主人と野菜様が新たな地で成長していくためであり、妹さんにとっても、今生で立ち直る、数少ないチャンスにも思えます。
    泣いたり、わめきちらして、周りがどうにしてくれれば、いいのでしょうが、どうにもならなかった時に、自分でどうにかするしかないことに気付くと思います。
    今まで頼りすぎていて、自分で何もしてこなかった誤った生き方に対して、因果律が働いて相応の苦痛を味わうことは避けられません。
    しかし、その苦痛が妹さんの生き方を変えるための触媒となると思います。
    破滅に苦しむと言っていましたが、破滅寸前のぎりぎりのところまで行って、初めて妹さんは変わることができるのかもしれません。

    もう1つ、野菜様が言われたように、妹さんには発達障害等の精神的な病気があるのかもしれません。
    もし、今までに原因となるものが見当たらなければ、妹さんの病気はカルマの可能性もあると思います。
    カルマにより、人や社会に奉仕できず、成長が許されない状態が、続いているのかもしれません。

    妹さんの現状は、魂が未熟なためなのか、病気(カルマ)によるものなのかは、私には判りません。
    どちらにしても、他人が治すことは出来ず、自分で気付いて、変わって行くしかありません。
    しかし、今、それは無理だと思います。
    自分でどうすることもできないのであれば、苦痛を伴う経験をして、変わるしかないのかもしれません。
    正しい生き方に変わっていくために、今までの間違った生き方をした償いとして、苦痛があるとも言えます。
    苦痛を味わっているのを見るのは、肉親として耐え難いものですが、本人にとって必要なものであり、妹さんに自身に負わされているものなので、肩代わりできません。
    妹さんのために苦痛を取り除いてやろうとしても、結局は(苦痛を)先送りしているのに過ぎないと思われます。

    妹さんにも、魂があります。
    その魂には、自分のためではなく、人のために何かをしようとする、神性(愛)があります。
    今の妹さんは、悲しいことに神性がほとんど表現できていないと思われます。
    魂が成長すると共に、人や社会への関心も出てきて、より多くの神性(愛)が表現できるようになりますが、成長を促すのに、苦痛を伴う経験が必要と思われます。
    そして、つらいこと、苦しいこともたくさんあると思いますが、野菜様の愛情も不可欠かもしれません。

    引き続き、自分ひとりで生きていけるように、働きかけて下さい。
    いつか、その日がやって来ます。
    電話で上手く伝わらなければ、手紙で想いを綴ってみてはどうでしょうか?
    とても難しく、逃げたくもなりますが、妹さんを良い方向に導いてやるのが、野菜様に与えられた役目かもしれません。

    シルバーバーチの霊訓は12巻ありますが、もう読まれたでしょうか?
    もし、まだでしたら、全巻読むことをお勧めします。
    今後の方針を決める、大切なことが、どこかに書かれているかもしれません。

    妹さんの魂が成長するように心がけ、そして妹さんへの愛を忘れずに物事を決めて行けば、道を誤ることはないと思います。

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  6. ありがとうございます。
    シルバーバーチの霊訓は2巻だけ持っていますが、ネットなどで全巻読めるので読んでみます。
    本当にありがとうございます。

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