2015年8月2日日曜日

この世の出来事の意味を知る時 



今から10年くらい前に、長野県の軽井沢にあった美術館をぶらっと訪ねました。

美術館の外に、立て看板が掛かっていて、その女性の憂いをたたえ、情熱を秘めた瞳に引き付けられました。


この女性の名はカミーユ・クローデルと言い、フランスの彫刻家です。

私はその名前を知りませんでしたが、館内にある解説文と展示品の説明文を読みながら、彫刻を観ているうちに、芸術家として、そして一人の女性としての人生に、次第に引き込まれていきました。



カミーユは、1864年にパリから少し離れたフランスの地方都市で生まれます。

芸術とは関係ない家庭環境に育ちましたが、少女期より卓越した彫刻の才能を発揮していました。

その後、一家はパリに移り、カミーユはその才能を買われてオーギュスト・ロダンの元へ19歳で弟子入りをします。

その当時、ロダンは42歳であり、新進気鋭の彫刻家でした。

ロダンは、カミーユの若さと美貌、そして溢れんばかりの才能と情熱に、大いに触発されました。

カミーユも、師匠であるロダンを、心から尊敬していました。

そして、芸術に全てを捧げる同志として惹かれあい、いつしか深く愛し合うようになりました。

2人は、お互いを高め合いながら、数々の傑作を生み出してしいきます。

カミーユとロダンは、弟子あるいは愛人の関係を超えて、芸術的パートナーとなって行きます。

ロダンの代表作となる「地獄の門」は、カミーユの独創的なアイデアが取り入れられています。

上の作品がロダン、下がカミーユのものですが、とても似ていて、二人の輝く日々が良く表現されていると思います。




ロダンには若い時から苦楽をともにしてきた、内縁関係にあるローズという女性がいて、二人の間には子供もいました。

ローズは、ロダンの生活を陰から支える月のような存在であり、カミーユは創作意欲を掻き立てる熱源であり、太陽のような存在だったかも知れません。

約15年に渡り、三角関係は続きましたが、カミーユは業を煮やして、ロダンにどちらを取るのか決断を迫ります。

そして、苦悩の末に出した結論は、ローズの元に帰るというものでした。

カミーユの落胆、悲しみ、激しい怒り、そして嫉妬は、察してあまり余るものがあります。

その時の想いを、彫刻に表現したのが、下の写真の「分別盛り」(1899年)です。


私は、この彫刻を観て、釘づけとなり、大きな衝撃を受けました。

若い女性の表情からはカミーユの深い悲しみ、男性からはロダンの苦悩と懺悔、老女からはローズの悪意のような想いが表現されています。

悪意のような想いは、カミーユの怒りや憎しみ、そして嫉妬が投影されたものと思われます。

それまで愛について深く考えることはなく、思い浮かぶものと言えば、恋愛と家族愛くらいで、気恥ずかしさを感じていました。

思っている以上に奥深いものであり、私の中にある「愛」の概念が変わったのを、その時に感じました。



決別した後も、カミーユは彫刻を創り続けました。

しかし、ロダンの弟子(愛人)というラベルが張られてしまい、思うような評価は得られませんでした。

作品は思うように売れず、生活は次第に困窮していきます。

一方、ロダンは「考える人」など傑出した作品を世に出し、ルネサンス期のミケランジェロと並び称せられるほどの存在となります。



女性として、芸術家としてプライドを、ことごとく傷つけられ、カミーユの生活は次第にすさんでいきます。

自分のアイデアを、ロダンが盗みに来るという被害妄想に捉われ、創った作品を壊してしまうほどになりました。

そして、良き理解者であった父親も喪い、カミーユは日常生活に支障を来たすほど精神を病んでしまい、アトリエは閉められてパリ郊外で療養生活を送ることになります。

訪ねて来る人もほとんどなく、30年に及んだ長い療養生活の末に、ひっそりと人生の幕を閉じます。

母親との確執があったため、一族の墓にも入れてもらえなかったそうです。



多くの人から見れば、カミーユの人生は最愛の人に裏切られて、独りこの世を去っていく、女性芸術家の哀しい物語になります。

『カミーユ・クローデル』という映画に、この世の人生が美しい映像と音楽とともに描写されています。(フランス・1988年・2時間36分・主演イザベル・アジャーニ)



私は、カミーユの人生は、決して悲劇ではないと思います。

人生と言う物語は、この世で完結してしまうわけではありません。

死んだ後も、人生は続き、新たな章が始まります。

この世での悲しみ、苦しみの意味が、新たな章で全て明らかになります。



希望も多分に入っていますが、私なりの物語を書いてみます。



人にはそれぞれ、生まれてきた目的があります。

カミーユとロダンは、非常に親(ちか)しい魂同士であり、この世に生まれた目的は、優れた彫刻を地上に遺し、観る人の魂を揺り動かすためです。

二人は、見えざる力により導かれて、出会うべくして出会います。

出会いは、この世で探し求めていた魂との再会であり、予定されていたシナリオの始まりです。

一目見た時に、他の人には感じることのなかった、言いようのない親しみを感じます。

頭での記憶は全くありませんが、魂にかすかに残る生まれる前の残像により、懐かしさにも似た想いを感じます。

この世で、出会うことになっている魂にやっと巡りあえた、言い知れぬ悦びに二人は浸ります。



2つの親しい魂は、生まれる前の様に1つになろうとするので、求め合い、愛し合うのは、当然の成り行きです。

男女を超えた奥深いところで、2つの魂は強く結ばれています。

しかし、2つの魂は、この世ではそれぞれ「顔」を被っています。

カミーユにとって、ロダンのこの世の「顔」は大きな障壁となり、時に激しく衝突してしまいます。



カミーユは、ロダンの全てを独占する形を望みましたが、それは叶いませんでした。

若い時から支えてもらい、少し病んでいる内縁の妻を見捨てることを、ロダンの良心が許しませんでした。

より深いところで結ばれているカミーユと離れるという、苦渋の決断をロダンはしました。

魂に忠実に従い生きてきたカミーユにとって、ロダンの凡人のような保守的な決断は許しがたいものでした。

ロダンとの別れは、カミーユに大きな衝撃を与えて、言葉では言い尽くせぬほどの、悲しみや苦悩をもたらしました。



数々の作品は、カミーユのその時の想いを写し出しています。

愛と輝きに満ち溢れた日々に創られた作品とは対称的に、内にある悲しみや苦悩を「分別盛り」は表現しています。

もっと多くの作品を後世に遺すはずでしたが、精神を病んでしまいました。

もし、ロダンと死に別れたのなら、深く悲しむことは避けられませんが、ここまで精神を病むことはなかったでしょう。

生き別れになったため、ロダンを見る度に、怒りや憎しみ、嫉妬の想いが生まれ続けてしまいました。

その想いは神の摂理に反しているために、因果律が働いて病となり、償いのために苦しむことになります。

憎むことで苦しみ、今の苦しみはロダンによりもたらされたと思うために、新たな憎しみが生まれ、さらに苦しむと言う悪循環に陥いりました。



しかし、悲しみ、怒り、憎しみ、嫉妬の想いは、愛が形を変えたものです。

愛がなければ、悲しみも生まれず、怒りや憎しみ、嫉妬も生まれません。

いくら形を変えたとしても、その根底には愛があります。

憎しみに変えて外に吐き出さなければならないほど、愛する想いが大きかったのかもしれません。

あるいは、愛されない寂しさ、悔しさから逃れるために、憎んでしまったのかもしれません。

カミーユの魂は、生涯にわたりロダンの魂を求め続けていたのです。



ロダンは、内縁の妻ローズと共に、晩年まで過ごしました。

ローズに死が迫る中、結婚式を挙げます。

終生尽くしてくれた女性への、ロダンの感謝の思いからです。

そして、ローズの死の後すぐに、この世を去ります。



しかし、ロダンの最期の言葉は、周囲を驚かせました。

その言葉は、「パリにいる若い妻に逢いたい」でした。

ロダンの魂もまた、遠い昔に別れたカミーユの魂を求め続けていたのです。



ロダンの死後、数十年して、カミーユは独り静かに、療養所で息を引き取ります。

それは、長い間、肉体に閉じ込められていた魂が、解放された瞬間です。



暗闇の先で待っていたのは、カミーユの良き理解者であった父親です。

しばらくの間、父親の胸に抱かれて、再会の喜びに浸ります。



ふと後ろを見てみると、見慣れない人物がいます。

カミーユの全人生に渡って、見守って、導いてきた、守護霊(ガイド)です。

そのガイドに促されて、2人はパリに向かいます。

向かった先は、懐かしいロダンのアトリエです。

そのアトリエは、ロダンの遺言により、パリ市に寄贈され美術館になっていました。



戸惑いながらも中に入ると、そこにはロダンの彫刻に触れて、心打たれている多くの人の姿がありました。

彫刻の中に、自分がモデルになった作品を見つけました。

若き日の表情は、愛と悦びに満ち溢れています。

人生で最も輝いていた日々を回想しながら、その時の想いが鮮やかに甦ってきます。



そして、ガイドは建物の一角にある部屋に、カミーユを招き入れます。

そこには、全ての情熱を注いで創った、自分の作品ばかりが並べられています。

感情に任せて、多くの作品を壊してしまったことを後悔しているカミーユにとって、その光景は驚きであり、喜びでした。

でも、どうしてロダンの美術館に、自分の彫刻が置かれているのか、理解できません。



部屋の真ん中には、ロダンと生き別れ、どん底の時に創った、あの「分別盛り」が置かれています。

魂が引き裂かれるような、あの時の想いが甦ってきます。



周りに目をやると、多くの人がこの彫刻をじっと観ています。

ある人は、若い女性の哀しみに満ちた表情を観て、深いため息をついています。

また、ある人は男性に差し伸べられた手をみつめて、涙しています。



そんな光景を見ていて、なぜか無性に悦びが込み上げてきます。

その時、ようやく生まれる前に自分にした約束を思い出します。

彫刻を創作して、多くの人の魂を揺さぶるため、地上に生まれたことを。

この国、この家族の下に、彫刻家として天賦の才能を持った女性として生まれ、もう一人の同志に出会い、幾多の出来事を経験して、その目的を果たすことを。



この世で、2つの親しい魂が出会い、本来の形を取り戻し、その無上の悦びを、彫刻に表現していきます。

目に見えない愛を、彫刻という目に見える形にして表しています。



しかし、カミーユの魂は、さらに高い愛の表現を求めていました。

これ以上ない悲しみを彫刻に表現し、深い愛を喚起させ、観る人の魂を揺さぶること。

観る人の魂にまで届く作品を創り出すためには、これ以上ないと思われる悲しみを、カミーユ自身が経験しなければいけませんでした。



魂が引き裂かれる想いは、作品に表現されて、観る人に伝わっています。

観る人の魂は共鳴し、閉じ込められていた想いが表に出てきています。

その想いは、涙とともに解放され、いくばくかの魂の救いが得られている様です。

それこそが、芸術の持つ大きな意味であり、カミーユがこの世で果たすべき使命でした。



親しい魂との別れは、観る人の魂を揺さぶるほどの悲しみを表現するために必要だったことを知ります。

もし別れがなかったなら、魂に届くほどの想いを、彫刻の上に表現できなかったことを悟ります。

共に過ごす日々は続いたでしょうが、次の世界で自らの魂に課せられた使命を果たした悦びに満たされることはなかったでしょう。

過ぎ去った、地上で起きた出来事の1つ1つに、意味があったことに気付きます。

そして、最も大切な意味があったのは、あの別れでした。



私たちが生きている目的は、たった1つしかありません。

本当の自分である、魂を成長させるためです。

この世で降りかかる苦難や障害を乗り越えることで、魂は成長していきます。

この法則が、全ての人を支配しているために、一人ひとりに魂を成長させるような苦難や障害が、この世で起きるようになっています。

何の前触れもなく、不幸と呼ばれるような出来事が起きたり、乗り越えられそうもないような苦難が降りかかってきます。

当然のことながら、そこから耐え難い苦しみや痛み、気が狂わんばかりの悲しみが生まれることがあります。



人生にはおよそのシナリオがありますが、魂の奥深くに仕舞われていて、この世では全く自覚されません。

もし、その苦難や障害が待ち受けていることが事前に判っていたら、全精力を傾けて、それを回避しようとするでしょう。

この世の誰もが、平穏無事を望み、つらい経験をしたくはありません。

立ち向かって乗り越えるか、それとも回避するかの選択が許されるとしたら、魂を成長させることが判っていたとしても、回避する人がほとんどかもしれません。

それは、この世に生まれてきた目的を放棄することになってしまうために、シナリオは仕舞われて自覚できないようになっていると思われます。

そんなシナリオなどある訳がないと思うのであれば、人生の出来事は偶発的に生じ、そこには何の意味もなく、ただ不幸になっただけと言うことになります。

不公平、不平等が、この世にまかり通り、神も仏もあったものではないという結論に至ります。



人は、自然法則に従い、死ぬ時が来ます。

そして、自然法則に従い、次の世界で魂として生き続けます。

次の世界で魂は生き続けていることを自覚できないのは、この世のシナリオを自覚できないのと同じ理由からであり、もし自覚してしまえば苦難や障害から逃れようとしてしまうためと思われます。



この世の出来事の意味は今は判らなくても、次の世界に行けば明白となります。

そして、自然法則の働きにより、完璧な公正、完全な平等が行き渡っているのを目の当たりにします。






この世に生まれた目的を果たすために、ロダンと別れなければならなかったことを知ったカミーユは、無性にロダンに逢いたくなります。

その想いは直ちに届き、目の前にロダンの姿が現れます。

地上で出会った時よりも、深い悦びに包まれた再会です。

ロダンとカミーユは魂の同志であり、次元を越えて、常に結ばれていました。

地上で離れていた時も、この世とあの世で離れていた時も、愛する者同士の魂には距離はありません。



カミーユの彫刻は、ロダンと似通っていたため、地上での評価が低くなってしまいましたが、2人の魂は親しいために、想いを表現する彫刻は、どうしても似てしまうのかもしれません。

そして、ロダンが美術館の一室に、カミーユの作品を置いたのは、引け目や、懺悔の思いからでは決してなく、カミーユの魂を自分の魂の一部の様に感じていたからかもしれません。



人は、次の世界に移ってしばらくすると、この世のすべてを振り返る時が訪れます。

カミーユは、ロダンを憎んでしまったことを悔やんだかもしれません。

しかし、私がそうだった様に、多くの人達の魂を揺さぶり、何かを変えられる作品を地上に遺せたことに、深く満足していると思います。



やがて2つの魂は、地上に生まれる前にいた、本来の住み家に戻っていきます。

隔てるものは、もう何もありません。

そこにあるのは、この世を経験して、より成熟した愛のみです。



「ワルツ」1893年 カミーユ・クローデル




                                                              




参考ページ: 「この世の出来事には意味がある」


12 件のコメント:

  1. 少し前にイクミ様のサイトにたどり着くことができました。間違いなく、無くなった彼が導いてくれました。
    私は若い頃、彼にとても大切に思ってもらいました。
    でもその当時私はその深い意味に気づきませんでした。
    そして彼は運命に導かれ、他の女性との結婚という選択をしました。
    結婚直前私に救いを求めるような電話がかかってきました。
    でも、まだその時も私は気づきませんでした。
    そして彼が結婚してしばらく経った頃私達は深い関係になりました。
    私達は深く愛し合いましたが、また別れがやって来ました。
    私は他の男性との結婚を選びました。
    それからの私は自分の人生を必死に生きてきました。
    過去を、彼を振り返る余裕もありませんでした。
    彼は私と別れた事を深く後悔していると風の便りに聞いていました。
    そして2年前、彼が数年前も前に亡くなっていた事を知らされました。
    それからの私は自分でも理解できないほどの深い悲しみ、後悔、無念…
    様々な感情に苦しみ、涙を流さない日はありませんでした。
    何とか彼に近づきたい、この苦しみから救われたいという思いで、魂についての色々な本を読みました。
    それでも悲しみは軽減されませんでした。
    大切な家族を残してでも彼のそばに行きたい…人には理解してもらえない感情にただ1人苦しんできました。
    そして決して偶然ではない彼からの導きによりイクミさまの所にたどり着きました。
    ありがとうございます。救って頂きました。あの日から涙を流さないで過ごせる日ができてきました。
    今生をしっかりと生きていかなければ…。
    家族の為に、彼の為に、そして自分の為に。
    長文で申し訳ありません。本当にありがとうございます。

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  2. 匿名さんへ

    こんにちは。イクミです。
    いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
    コメントが遅くなり申し訳ありません。

    私事ですが、少し書かせて下さい。今朝7時のことですが、我が家で可愛がっていたリマという犬が、私の手の中で息を引き取りました。先週までは元気だったのに、一昨日より具合が悪くなり、昨日の夜に獣医のところで危篤状態になり、急遽家に連れて帰り、今朝まで頑張ってくれました。今日はリマの13歳の誕生日でした。息を引き取る直前、「ありがとう」と想いを込めて、ほっぺたの辺りを撫でていたら、とても穏やかな、やさしい表情になりました。横にして寝かしていると、急に顔を上げて、みんなの顔を見て、そして私の指にガブッと甘噛みをして、かすかに叫ぶようにして、向こうに逝きました。小さいけれど、とても気合の入った、やさしい犬だったので、自分のよう精一杯生きろという、最期のメッセージだと感じました。
    今まで生きていた者が、急に動かなくなり、眠っているような姿を見て、ふと何事もなかったかのように起きるのではないかと、錯覚してしまいました。でも、死は現実でした。
    死は、肉体が魂から離れることであり、むやみに悲しんではいけないことを、再三にわたりブログに書いてきましたが、私の人生で窮地の時に、保護犬として家に来て助けてもらったこと、楽しかった日々を思い出すと、涙が出ました。それを、止めようがありません。

    そして、少し冷静になり、こう思うようにしました。
    この悲しみは、この世で愛し、愛されていたことの証であると。
    涙は、この世を生きた、確かな足跡だと。
    それでも、とても悲しいです。


    あなたのように、最愛の人を喪った人が、悲しみで気が狂わんばかりになったとしても、無理のないことです。
    他の人が理解できるような、同情できるような、生易しい現実ではないと感じています。
    なぜ、この過酷な現実を背負って生きていかなければならないのか、誰も答えてくれません。
    それでも、背負って生きていかなければいけません。
    代わりに誰かに背負ってもらうことは出来ません。

    しかし、霊的な事実は、その荷を少し軽くして、もしかしたら答えを導き出すことができるかもしれません。
    この世だけ見渡しても、答えは決して出ません。
    次の世界とこの世は、死を通してつながっています。
    次の世界があるのは事実であり、知らない人の雑音に耳を貸してはいけません。
    次の世界は、数十年後にあなたが行く、想いの世界ですが、この世の経験が反映される世界です。

    人の本質は魂であり、魂の成長という観点から、この世の出来事を見なければいけません。
    生きている目的は、魂の成長であり、それ以外何もありません。
    魂の成長させること以外は、実はどうでもいいことなのです。
    魂の成長は、苦難や障害を乗り越えること、他者に愛を表現することで得られます。
    苦しくて悲しくて仕方がないことほど、魂を成長させていますが、この世では誰もが避けようとします。
    最愛の人の死は、大きく魂を成長させることになりますが、悲しみにくれる人にとっては、不幸以外の何者でもなく、この悲しみ、苦しさから、どうにかして逃げたいと思うだけです。

    何で、この現実を、背負って生きていかなければならないかと問われるならば、信じてもらえないもしれませんが、生まれる前にあなたが自ら志願したシナリオの一部であり、それに従って人生が展開していることが、とても多いと答えます。
    魂を大きく成長させるために、自分自身で決めたと言うことになります。
    そして、彼にも自分のシナリオがあり、それに従っていたと思われますが、その死はあなたへの愛の想いが、間違いなくあると思います。
    そんなことは、とても容認できないと、思われるかもしれませんが、どうぞ心の片隅に置いといて下さい。

    彼も、そのことを、向こうに行ってから知ったと思います。
    悲しませるためではなく、死によってあなたを変えて、成長させることが、この世で最後の自分の役目であり、あなたの奥深くで、何かが変わって行くのならば、その目的を果たしたことになるかもしれません。

    あなたは、過去を後悔しているようですが、人生には後悔は付き物です。
    ああすれば良かった、こうすれば良かったと、今、考えても仕方ありません。
    その人への後悔や、懺悔の想いがあったとしても、それは向こうに行ってから、償いや、埋め合わせをすればいいのであり、取り返しがつかないことはありません。
    取り返しが付かないのは、過ぎ去って行く、この世の時間です。

    彼の死の目的の1つが、あなたの魂を成長させるためであれば、悲しみや苦しみを味わうのは避けられません。そして、魂を成長させるものとして、もう1つ、他者に愛を表現することがあります。
    霊的な事実から考えてみましたが、彼が喜ぶであろう生き方をしていれば、それは立派な愛の表現として、魂を成長させていくので、今の悲しみや苦しみは、その分、和らぐのではないかと考えられます。
    あなたが、誰よりも彼を知っているのであれば、その生き方は判るはずです。
    彼の想いを、あなたが判って表現すれば、彼の喜びとなります。
    その喜びは、あなたの魂にも、きっと伝わってくると思います。

    向こうにいる魂には、見せ掛けは通じません。
    言葉や行動に先立っている、想いが一目瞭然です。
    真実しか見えないのです。

    そのことを、どうぞ忘れないで下さい。

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  3. イクミさま、深い悲しみの中こんな私の為に長い返信を下さいまして
    心より感謝申し上げます。
    彼が亡くなって間もなくの頃、子供を褒めてあげなければいけない時に私は
    子供に小言を言っていました。
    その時「褒めてあげるように」という彼の言い方で、彼の声が耳ではなく頭(?)に
    はっきりと感じました。
    その瞬間から私は彼は居てくれている…と思えるようになりました。
    理解してもらえない人からしたら頭がおかしくなったのでは?と
    思われてしまうかもしれませんが、私は毎日彼と話をしているつもりでいます。
    時々自信がなくなり勘違い?と思ってしまう事もありますが…。
    でも間違いなく彼の魂 は生きていると実感しています。
    だから私は生きていけるのだと思います。
    彼はいつも私を大きく深く包み込んでくれていました。
    なぜそんな彼に、結婚しようと言ってもらった時「はい」と言える自分じゃなかったのか、
    また、あの時ああなっていたら結婚までいったのに…と言う事が何度かあり、何故そうならなかったのか…と
    激しい後悔の念に苦しみました。
    でもそんな設定はしていなかったのですね。
    彼と深く愛し合ったあの時を思い出し、あのまま彼の元を去らなければ
    彼を死なせなかった…と後悔もしましたがそれもなかったのです。
    あのまま彼と一緒に居て、彼が設定通りの寿命で亡くなったら、私は間違いなく彼の後を追っていたと思います。そうするとあちらの世界に行っても彼とは会えなかったと思います。
    だから彼と2人でその設定もナシと決めたのではないかしら?
    彼が亡くならなければこれ程までに彼の事を思わなかったはずです。
    この苦しみは私達にとって最善の選択だったのでしょうね。
    この苦しみを彼ではなく、私が引き受けて本当に良かったと思っています。
    イクミさまが仰っていた通り、彼があちらの世界で歩みを止めて私の成長を見守ってくれているのではないかと思っています。
    いえそう思いたいです。
    だからこそ今生での家族を大切に、私に出来る事はさせて頂いて彼の元へ行けたらいいなと思っています。
    彼の喜ぶ生き方を気持ちを奮い立たせてしていけたらいいな。

    イクミさまご家族の温かい愛情に包まれて過ごされたリマちゃん
    喜んでいらっしゃるでしょうね。
    大変な中ありがとうございました。
    がんばって生きていきます。イクミさま、本当に本当にありがとう!

    返信削除
  4. こちらこそ、リマのことを知っていただき、ありがとうございます。
    リマの想いをしっかりと受け止め、私も頑張って生きていきます。

    彼の、あなたへの、とても深い愛を感じます。
    そして、あなたが出した結論に、彼はとても喜んでいると思います。

    今の想いを忘れずに生き抜いて、少し先になりますが、笑顔で、胸を張って再会しましょう。

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  5. 初めまして。
    約四年前にシルバーバーチを通して霊的真理に出会いました。イクミさんのブログに出合い沢山の気づきと学びを得て大変感謝しております。苦難苦労を積極的に受け入れて日々精進していきたいと思いながらも、やはり自分の弱さから逃げてしまいます。
    私は現在アメリカ在住で2人の娘の母として生活しています。アメリカ人の旦那とも18年の付き合いですが、最近夫婦間の仲が良くなくて辛い日々が続いています。もっと話し合いをすべきなのですが、価値観の違いを感じてしまい最近では旦那の顔を見るのが億劫になるぐらい距離を置きたいと思ってしまいます。霊的真理を元に利他愛の実践を心に誓う一方、身近な家族には素直に愛する事ができません。
    実は一年前から夫婦間で別居の話が出ている仕事先の上司とお互いの夫婦の問題を相談するうちに惹かれ合い深い仲になってしまいました。常に罪悪感で苦しめられる一方、彼に対しての愛を封じ込める事も出来ず誰にも相談できずにいます。
    イクミさんに対しての質問は愛する人を亡くされた方々からが多く、私のような状況は利己的な醜いものかもしれません。
    こんな状況になってしまったのには原因があるはずです。摂理に沿って霊的成長をしたい一心です。少しでもいいのでアドバイス頂けると幸いです。

    返信削除
  6. サラ様

    初めまして、イクミです。
    アメリカで結婚されて、お二人の娘さんの母になり、大変な毎日を過ごされていると思います。
    シルバーバーチの霊訓と出会い、4年が経ったのですね。
    苦難苦労から逃げてしまっていると言うことですが、私たちは弱いところ、足りないところがあるために、この世に生まれて来ているので、少しずつ克服して行けば良いと考えています。

    ご夫婦の関係が良くないのですね。
    価値観の違いを感じてしまうそうですが、もしかしたら、あなたは霊的真理を学び、ご主人はまだなのが理由なのかもしれません。
    身近な家族を愛することが出来ないのは、同じものを求めているからなのかもしれません。

    職場の上司と深い仲になってしまったのですね。
    同じ境遇であれば、想いが判り合えます。
    あなたは上司を慰め、あなたは慰められているかもしれませんが、それは愛ではなく、共感なのかもしれません。
    最も想いを共有できる人なのでしょう。
    けれども、その事実を知って、悲しみ、苦しむ人がいます。
    あなたは幸せを感じていますが、不幸になってしまう人がいます。
    やはり、その行いは利己的であり、摂理に反していると思います。

    ご承知とは思いますが、因果律は正確無比に働きます。
    償いとして、大切な何かを失うことになるかもしれません。
    良くお考えになって下さい。

    摂理に沿って、霊的成長をしたいのであれば、心地良い方向ではなく、つらく感じる方向に進んで行った方が良いのではないでしょうか。
    利他愛の実践は、もちろん周りの人への奉仕ですが、自分と違うもの、意見を異にする者を認め、許すことも含まれると思います。
    まず、最初に認め合い、許し合わなければいけないのが、身近にいる家族かもしれません。
    それが出来て、周囲の人へと波及して行くと思います。

    夫婦はもちろん、親子であっても、別々の魂です。
    従って、考え方や生き方が違うのは、当然です。
    違う者同士が、共に暮らしながら、お互いを認め合い、尊重して行くことで、成長して行くと思います。
    家庭と言う、最も身近な場所は、大切な霊的成長の場になっていると思います。

    利他愛の実践は、ご主人を認め、許すことから始まるのではないでしょうか。
    相手に求めるより先に、霊的真理を知っている、あなたから始めてみてはいかがでしょうか。
    そうすれば、全てが良い方向に変わって来るような気がします。

    返信削除
  7. イクミ様、
    大変丁重なアドバイスありがとうございます。このような境遇になってしまった事も必然であり、今まさに自分にとって成長するべき時期だと思います。子供はかすがいと言いますが、今2人の娘達の存在で何とか夫婦を保っているような状態です。
    その為には勇気を振り絞って旦那と向き合わないといけませんね。
    やっと下の子が小学生に入るので今現在別の分野でのフルタイムの仕事を探しています。経済的にも苦しい状況とあり全てが上手くいっていないように感じ落ち込む日々もあります。
    家族の基盤が緩む中、やはり色々な事が上手くいかない状況です。もっと自分に強くなり霊的真理を元に乗り越えられたらと思います。

    返信削除
  8. サラ様

    ご主人と向かい合う時が来てると思います。
    価値観や考えが違う者同士が一緒に暮らし、いろいろな壁を乗り越えながら、お互いに成長して行くのが夫婦だと思います。
    同じではないことに、大きな意味があります。
    相手の欠点や短所が気になるのは、自分にも欠点や短所があることを、すっかり忘れて、霊的な見方が出来なくなっているからなのかもしれません。

    ご主人を認めないこと、ご家族を愛さないこと、職場での上司との関係は、全て摂理に反しています。
    大変でしょうが、考え方や生き方を少しずつ変えて行って下さい。
    神の摂理が働く前に、仕事を変えて、関係を絶って下さい。
    シルバーバーチが言っているように、摂理に適った考え方や生き方をしていれば、経済的な面を含め、全てが整い、悦びを感じる日々が訪れるはずです。
    できるところから、すぐに行動に移して下さい。

    返信削除
  9. イクミ様、
    適切なアドバイスありがとうございます。以前から理性と感情の間で葛藤が続き辛いです。まだ次の仕事は決まってませんが、現在の仕事は来月半ばで辞める事にしました。
    これから旦那とも話し合いを重ねていこうと思います。
    時間がかかるかもしれませんが上司との事は思い出として封じ込めたらと思います。しかし沢山の気づきや学びをくれた彼に感謝の気持ちで一杯で後悔はしていません。
    イクミ様のブログ内でこうしてお話を聞いて下さり大変ありがとうございました。
    正直感情的になって旦那と向き合うのが怖いですが勇気を出して前へ進んでみます。

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  10. イクミ様、
    神の摂理に反した罰がこのようなタイミングで下された今、自分の犯した罪の重大さで押しつぶされそうです。
    イクミ様にご相談した後、旦那に全てを知られてしまいました。もう隠し通して罪に反して生きるよりもいいと思いましたが、家族、子供達の将来、希望さえも全て壊してしまった自分をどうやって償っていくべきか途方に暮れています。
    今もっと辛いのは旦那の方で、信頼していた妻に裏切られ、私は周りの人の幸せをすべて壊してしまいました。
    霊的真理を元に幸せに生きたいと思っていたのになぜこんな境遇になってしまったのか。これも全て必然なのでしょうか?

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  11. サラ様

    こんばんは。
    サラ様に起きたことに、少々驚いています。
    因果律の働きは完璧ですが、このタイミングで起きるとは思っていませんでした。
    事実を封じ込めて、生きて行くことが出来ると思っていたかもしれませんが、サラ様は許されなかったのだと思います。
    ブログにも書きましたが、私も10年前に因果律の働きを、嫌と言うほど思い知らされました。
    神の摂理は厳格に作動し、相応の償いをしなければなりません。

    今のご主人は深く傷つき、向かい合う気にもなれないかもしれません。
    しかし、少し時が経てば、どうしてその様になってしまったのか、いきさつを尋ねて来るかもしれません。
    その時に、今までの経緯やあなたの想いを、包み隠さず、正直に話して下さい。
    ご主人が、それをどう受け止めるのか。

    あなたを擁護するつもりはありませんが、このような結果を招いたのは、ご主人にも原因があったはずです。
    自分の原因に気付いて、夫婦として、もう1度やり直すチャンスが与えられるのか、それとも、全てあなたの過ちとなり、別れることになるのか。
    もし、チャンスが与えられたなら、ご主人の深い愛に感謝して下さい。
    身悶えるような苦しみの後に、あなたを許したのですから。
    そうでなかったとしたら、霊的真理を知った者が、承知で過ちを犯すと、想像している以上の償いをしなければならないと考えて下さい。

    信じている者に裏切られるほどの苦痛はないと思います。
    その苦痛は、全てあなたに返って来て、償いとなります。

    これから、どの様な方向に進んで行くのか、私にも判りません。
    けれども、罪が償われる時は必ず来ます。
    その時が来るまで、霊的真理にしがみついて下さい。
    そうすれば、必ず乗り越えることが出来ます。

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  12. イクミ様、

    いずれこの日か来る事は覚悟の上でした。旦那を傷つけた事は本当に最低な事をしてしまいました。でも浮気前から子育ての中であったストレスやわだかまりがあり旦那との間に少しずつ亀裂が大きくなっていったのは事実かもしれません。
    浮気相手ともきちんと話をしました。最後の方は私の八方美人的な所や性格不一致など指摘され、今冷静になればそんな波長の人を好きになろうとしていた自分を反省しています。
    彼はレストランのオーナーで私は夜ウエイトレスとして働いていました。アメリカにある寿司屋です。相手は日本人ともあり、日本語で話せるし、大成功されて何もかもを手に入れたような人でした。彼自身も奥さんとは上手くいっていない事は以前に申し上げましたが、今回の件で彼を通じてこの世の物資的な豊かさは本当の幸せを得られないという事を実感しました。
    これから旦那と話し合って私の過ちがどこまで許されるのかは分かりませんが、寄り添っていこうと心から思っています。
    これからは霊的真理にしがみついていきます。今回の件があって家族の絆や幸せ本気で考えていけるようになったのかもしれません。
    イクミ様、本当にありがとうございます。少しずつ前に進む勇気を与えてくださいました。出会いに心から感謝しております。

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