人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2013年12月1日日曜日
死について
命にかかわる病気になってしまった人に、伝えたいことがあります。
余命を告げられた人も、最後まで見ていただければ幸いです。
私は幸いにして健康であり、深刻な病気を経験したわけではありません。
病気のつらさや痛み、怖れや不安は経験した人でなければわからないことなので、安易な同情の気持ちで書く気はありません。
病気に怯えている人、死の恐怖と闘っている人に、真実を知ってもらうことにより、少しでも心が安らぎ、穏やかになってもらいたいと願っています。
病気の人を、恐怖に陥れる元凶は「死」です。
10年前の私は、死は生の終局だと考えていました。
時折、メディアを通じて死後の世界のことを語る人を見ましたが、それは脳が作り出した空想もしくは幻影の世界であると思っていました。
死後の世界が存在することを、証明できるものは何ひとつなく、体験者の主観的なものだったからです。
世界各地のことを知りたければ、現地に行った人から直接話を聞いたり、書籍、インターネット等で調べて多くの情報を得ることができます。
しかし死んだ後の世界について容易に知ることは出来ません。
たとえ知識を入手できたとしても、それが正しいかどうかを検証することは不可能です。
宗教においても死後の世界を説いてますが、キリスト教は天国と地獄、仏教では極楽と地獄というように統一されたものではないため、どれが正しいのかわからなくなってしまいます。
宗教や文化や地域によって違うため、どうしても普遍的なものではないと感じてしまいます。
そんな分からないことを考えても仕方がないと、思っている人もきっと多いのではないでしょうか。
もし、死後の世界が存在しないとすれば、死がもたらすものは「無」です。
生命は肉体の死とともに終わります。
一方、死後の世界が存在するのであれば、生命は肉体の死の後も存在し続けるということになります。
死がもたらすものは「肉体からの解放」であり、肉体を超越した何らかの存在を認めなくてはいけません。
多くの人はそれを魂(霊)と呼びます。
2つに1つであり、どちらかが真実です。
人間の身体は様々な組織から成り立つ、精密な機械と言って良いと思います。
機械は指示をしなければ動かすことはできません。
身体を動かしているのは脳からの命令ということになりますが、脳は自動的に命令を出しているのではありません。
すべての命令を出しているのは精神です。
精神が、脳という器官を通じて命令を出し、身体を動かしています。
精神を大脳の働きとして説明しようとすれば、電気的、化学的反応により作り出された実体のない幻影ということになります。
本当に精神とは実体のない幻影なのでしょうか。
そうではなく、五感で認識することのできない非物質的次元のものと考えることに無理があるのでしょうか。
精神は、様々な感情を表現します。
もし、脳が電気的、化学的反応を繰り返す機械ということであれば、満開の桜を見て美しいと感じることもないでしょう。
ニコッと微笑んだ赤ちゃんを見て、かわいいと感じることはないでしょう。
愛する人を喪って、涙を流すこともないでしょう。
脳という機械に、そんな感情が入り込む理由は見つかりません。
魂が感じとって、精神(心)を動かしています。
例えて言えば、魂という譜面に曲が書かれていき、精神(心)は曲を表現する楽器です。
曲がなければ楽器の存在意味はなくなり、楽器がなければ曲を奏でることはできません。
精神(心)は魂の表現媒体なのです。
目に見えない精神(心)の存在を認めながら、魂の存在を否定するのは不合理だと思います。
死の正確な知識を最も必要としているのは、愛する人を亡くされて深い悲しみに沈まれている人たちであり、病気を患い死の恐怖と闘っている人たちです。
何回でも、その人たちに伝えます。
人は死んで無になるのではなく、心、意識は存在し続けます。
生命とは、肉体を超えた魂です。
肉体は死んでも、この世に残した愛する人に寄り添い、見守ることができます。
そして、亡くなった愛する人と、肉体の死後すぐに再会することができます。
しばらくして、この世に遺した愛する人を、出迎えることになります。
愛するもの同士に、永続的な別れがないことは、紛れもない事実です。
信じられなくても、いずれ現実のものとなります。
死が訪れるのは多少の遅い早いがありますが、誰も避けられない自然の摂理であり、悲しむべきことではありません。
この世は、様々な経験を通して大切なことを学ぶためにある、いわば学校であり、死は卒業を意味します。
卒業後には、この世で学んだことを活かすことのできる、すばらしい世界が待ち受けています。
死に対する無知は恐怖を生み出し、正しい知識は恐怖を打ち消します。
限られた人だけが知っているのは、あまりに不公平です。
(肉体の)死の後にも生があります。そのことを前提に生きて下さい。
死の悲しみや恐怖から、心が解放されることにより、今、本当にするべきことが見えてきます。
この世も次の世も、愛が最も大切であるのことに変わりはありません。
悔いの残らぬように、この世で愛を存分に表現しましょう。
美しい曲を奏でていきましょう。
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