人は何のために生きているのか?死んだ後はどうなるのか?その明確な答えが「シルバーバーチの霊訓」の中にありました。本当の自分とは魂です。この世を生きるたった1つの目的は、魂を成長させるためです。人生で出会う障害や苦難を乗り越えること、人や動物そして社会のために奉仕することで、魂は成長していきます。死んだ後、魂は次の世界に移り、この世を振り返る時が必ず来ます。悔いのない様に、失敗を怖れず、今を大切にして生きましょう。
2012年9月4日火曜日
神について
霊訓を繰り返し読み、辛い思いをして、そしてヒーリングを重ねていくうちに、霊的真理の理解が少しずつ深まっていきました。
シルバーバーチが説く、因果律、愛、苦しみ、この世で生きている意味など、そのどれもが計り知れない重みがあり、考え方、生き方を根底から変えていきました。
ただ、多くの真理を受け入れていく中で、神についての理解が取り残されていました。
神とは宗教が創り出す精神的産物であり、信じるものだけに存在するものと思っていた私にとって、無縁なものであり、何かにすがりたい弱い人が求めるものとさえ考えていました。
唯物的な考えが強かったため、五感に触れることのない神の存在を否定していたと思います。
シルバーバーチは、私達人間のすべてが神の子であると言っています。
真実しか語らないと分かっていても、神は私とはかけ離れた存在に思えてしまい、しばらく素直に受け入れることが出来ませんでした。
しかし、こんなことをふと考えてみました。
赤ちゃんが可愛く思える心、動物に対する親愛の気持ち、花が美しいと感じる心はどこからくるのか?
もちろん親や先生から教わったことではありません。
本能と言われるものであるならば、他者へ向けてではなく自己へのための欲求であるはずです。
それは、肉体を超越したものではじめから全ての人にあるのではないか。
また、人を傷つけた、裏切ったり、悲しませたりさせてはいけないと思う良心とは一体何なのか。
これに逆らってしまうと、必ず自責の念にかられます。
霊訓の中に、神の監視装置(モニター)と明快に表現しており、確かに私に中にも存在している。
そんなことを考えながら、神の存在を徐々に受け入れていきました。
また、人の物的身体は(地球の物質から創られているので)地球の一部です。
そして、地球は広大な宇宙の一部です。
その宇宙は137億年前ビックバンで誕生したと言われていますが、そのエネルギーは果たしてどこからきたのか?
最先端の物理学、あるいは天文学でも、答えを見出しておらず、ある時偶発的に発生したと考えるのは、あまりにも不自然です。
もし1台の自動車が目の前にあったとしたら、偶発的に発生したと思うでしょうか。
人間が設計し、どこかの工場で作られたと誰もが考えます。
それと同じ様に、人間も宇宙もそれを支配する物理法則も、計り知れない知性がデザインし創りだしたと考えて良いはずです。
その知性、エネルギーとは何なのか。
宗教を信じなくても、自然科学を突き詰めていくと、やはり神にたどり着かざるをえないと思います。
私は神によって創られた神の一部である。
そう考えると深い安堵感に包まれます。
すべてが佳きに計られている、と思えてきます。
自分以外の人も同じく神の一部であると考えると、憎むことは出来なくなります。
それは、神を憎むことになるからです。
同様に、他者を愛することは、神を愛することになります。
霊訓と出会い、神の存在を確信するに至りましたが、摂理に適った生き方をして、より理解を深めていきたいと思います。
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